goo blog サービス終了のお知らせ 

まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イギリス王ジョージ4世愛妾 メアリー

2009-10-26 00:56:44 | 王の寵姫・愛妾
王子と結婚した未亡人
フィッツハーバート夫人 メアリー・スマイス


1756~1837/愛妾 1784~1811

この人、結婚運が悪いんだかいいんだか…

ハンプシャーで生まれてパリで教育を受けたメアリーは
19歳の時に16歳年上の裕福な領主エドワード・ウェルドと結婚しました。
しかし夫は3ヶ月後に落馬して急死し未亡人に。

3年後にスタッフォードシャーのトマス・フィッツハーバートと再婚します。
ところが、10歳年上の夫が3年後に亡くなり再び未亡人になります。
メアリーはメイフェアの屋敷と年金を手に入れますが
これが彼女をロンドン社交界へと連れ出します。

     

なんたって23歳の未亡人、すぐに人気者になるってば!
1784年には王太子ジョージに紹介され恋人関係になりました。

1785年、メアリーとジョージは彼女の自宅でこっそり結婚したと言われています。
ちゃんと国教会の牧師もいたし、立会人も(メアリーの親戚だけど)2人いて
手続きには問題なかったらしいのだが、父王の承認を得ていなかったので
違法とされて、まったく相手にされませんでした。

ジョージの友人たちも「いくらなんでも軽はずみすぎる 」と思ったらしく
メアリーに、王太子妃ではなく愛妾として接していました。

でもジョージは王位継承権を失う恐れもあったのね。
見栄っ張りで、贅沢好きで、浪費家で、洒落者のジョージが
それでも彼女と結婚しようと決心したところはえらいよね。

ふたりは同棲をしていたのですが、ジョージは40万ポンドに膨らんだ借金を
チャラにするため、ちゃんとした結婚をすることにしました。
1794年にキャロライン・オブ・ブルンスウィック と結婚するために
メアリーと別れたジョージでしたが、早々に妃に嫌気がさしてメアリーのもとへ。
1800年から再び一緒に暮らし始めました。

ジャージー伯フランセス・ヴィリアーズには打ち勝ったメアリーも
1811年、ハートフォード候夫人には敗れ去りました。
55歳で捨てられてもねぇ…
まあ、彼女の場合は亡き夫のお金があるから生活には困らないだろうけど…

1830年にジョージ4世が亡くなると、即位した弟のウィリアム4世は
兄に対するメアリーの苦難に報いるため公爵夫人の地位を与えようとしましたが
メアリーは辞退したそうです。
愛妾じゃない、王太子妃であり王妃だったんだから… という意地があったのかもね。

本当なら王妃だったかもしれないメアリーは
1837年にフィッツハーバード夫人として亡くなり、ブライトンに葬られました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

   

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『リスタデール卿の謎』新た... | トップ | イギリス王ジョージ4世愛妾 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

王の寵姫・愛妾」カテゴリの最新記事