夫いらずのやり手ママ
ジョージ2世王女 メアリー・オブ・グレートブリテン
ヘッセン=カッセル伯フリードリヒ2世夫人
1723~1772
メアリーはジョージ2世とキャロライン・オブ・アーンズバックの五女(四女は死産)で
ロンドン生まれです。
結婚するまでのエピソードがないんですけどね…
1740年にヘッセン=カッセル方伯子フリードリヒ(2世)と結婚しました。
しかしこの結婚は不幸なものでした。
フリードリヒはもともとこの結婚に乗り気でなくて、愛人にかまけていたようです。
愛人大好き!のジョージ2世ではありましたが、見かねて娘に離婚をすすめています。
ジョージ2世は愛人も好きだが妻にも愛情をもって接していましたからね。
メアリーは子供のために、と離婚はしませんでしたが
1747年から別々に暮らすようになり、1755年には公式に別居しました。
フリードリヒがプロテスタントからカトリックに改宗してるんですけど
それも原因のひとつでしょうか?
翌年メアリーはデンマークへ渡り、亡くなった妹デンマーク王フレデリク5世妃ルイーズの
子供たちを世話することにしました。
フレデリク5世はユリアーネ・マリーと再婚していましたが、彼女は宮廷で浮いていたそうで
子供の教育も上手くいっていなかったみたい…
メアリーは子供たちも一緒に連れて行っています。
デンマーク王室の子供たちと一緒の教育が受けさせられるますからね。
うまくいけば王族との縁談も…と考えたかどうかはわかりませんけれども
子供のうちの2人がデンマーク王女と結婚しています。
ヘッセン=カッセル家は当時の西欧きってのお金持ちだったので
デンマーク王室にとってもよい縁談だったかもしれません。
さてはそのつもりでメアリーを呼び寄せたとか…
1760年、夫フリードリヒが伯爵になってメアリーも伯爵夫人になりました。
ただし別居は続いていました。
その後ドイツに帰ったようで、1772年にハーナウで亡くなりました。
ヘッセンに帰ったということは復縁したんですかね?
ちょいと詳しいことがわかりません。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
ジョージ2世王女 メアリー・オブ・グレートブリテン
ヘッセン=カッセル伯フリードリヒ2世夫人
1723~1772
メアリーはジョージ2世とキャロライン・オブ・アーンズバックの五女(四女は死産)で
ロンドン生まれです。
結婚するまでのエピソードがないんですけどね…
1740年にヘッセン=カッセル方伯子フリードリヒ(2世)と結婚しました。
しかしこの結婚は不幸なものでした。
フリードリヒはもともとこの結婚に乗り気でなくて、愛人にかまけていたようです。
愛人大好き!のジョージ2世ではありましたが、見かねて娘に離婚をすすめています。
ジョージ2世は愛人も好きだが妻にも愛情をもって接していましたからね。
メアリーは子供のために、と離婚はしませんでしたが
1747年から別々に暮らすようになり、1755年には公式に別居しました。
フリードリヒがプロテスタントからカトリックに改宗してるんですけど
それも原因のひとつでしょうか?
翌年メアリーはデンマークへ渡り、亡くなった妹デンマーク王フレデリク5世妃ルイーズの
子供たちを世話することにしました。
フレデリク5世はユリアーネ・マリーと再婚していましたが、彼女は宮廷で浮いていたそうで
子供の教育も上手くいっていなかったみたい…
メアリーは子供たちも一緒に連れて行っています。
デンマーク王室の子供たちと一緒の教育が受けさせられるますからね。
うまくいけば王族との縁談も…と考えたかどうかはわかりませんけれども
子供のうちの2人がデンマーク王女と結婚しています。
ヘッセン=カッセル家は当時の西欧きってのお金持ちだったので
デンマーク王室にとってもよい縁談だったかもしれません。
さてはそのつもりでメアリーを呼び寄せたとか…
1760年、夫フリードリヒが伯爵になってメアリーも伯爵夫人になりました。
ただし別居は続いていました。
その後ドイツに帰ったようで、1772年にハーナウで亡くなりました。
ヘッセンに帰ったということは復縁したんですかね?
ちょいと詳しいことがわかりません。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)