ハプスブルク家にふたつの王冠をもたらした妃
フェルディナント1世妃 アンナ・フォン・ベーメン・ウント・ウンガルン
1503~1547/在位せず
1516年、ヤゲウォ家のハンガリーとベーメン王ウラースロー2世が亡くなります。
すると、10歳で王になったラヨシュ2世と妹のアンナは
皇帝マクシミリアン1世の保護下におかれました。
これはマクシミリアンの結婚戦略によるものです。
まず孫のマリアは1歳の時にラヨシュと婚約し、1515年に結婚していました。
アンナはどの孫と結婚させるか迷っていましたがフェルディナントに決まり婚約しました。
マクシミリアンはすでに息子フィリップ美公とスペイン女王ファナとの結婚で
スペインを手に入れていました。
次のターゲットは、ベーメン&ハンガリーってわけでしょうか?
1521年、フェルディナントは兄カール(5世)に代わって
オーストリアを治めることになりました。
実はカールはフランドル育ち、フェルディナントはマドリッド育ちです。
だから本当は逆を治めた方がもめなかったんじゃないかと思うんだけどね。
性格も兄カールは寡黙で信仰心が強く質素だったというけれど
フェルディナントはご陽気ですぐにみんなの人気者、太陽が似合いそうじゃない?
それはさておき、統治を機にフェルディナントとアンナは結婚しました。
もちろん政略結婚だったわけですが、とても愛し合っていたそうです。
1526年、マクシミリアンの思惑どおり(と言ってはなんですが)
ラヨシュ2世が嫡子を遺さないままオスマントルコとの戦いで戦死してしまいました。
フェルディナントはアンナの権利を盾に、ハンガリーとベーメンを手に入れます。
しかしハンガリーには少々手こずりました。
ハンガリー貴族たちは外国の統治者を認めようとせず
対立王にサポヤイ・ヤノーシュをたてます。
その後はサポヤイの妻イザベラが女王を名乗り、次いで息子のヤノーシュ・ジグムンドが
王になり、というわけで完全に手に入れたのは1571年でした。
これより歴代の神聖ローマ皇帝は、ベーメン王とハンガリー王を兼ねることになります。
1531年に兄カール5世から継承者としてローマ王の座を譲られていたフェルディナントは
アンナの死から9年後の1556年に神聖ローマ皇帝になりました。
ご陽気だったフェルディナントはアンナの死後は大人しい人になってしまったそうです。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
フェルディナント1世妃 アンナ・フォン・ベーメン・ウント・ウンガルン
1503~1547/在位せず
1516年、ヤゲウォ家のハンガリーとベーメン王ウラースロー2世が亡くなります。
すると、10歳で王になったラヨシュ2世と妹のアンナは
皇帝マクシミリアン1世の保護下におかれました。
これはマクシミリアンの結婚戦略によるものです。
まず孫のマリアは1歳の時にラヨシュと婚約し、1515年に結婚していました。
アンナはどの孫と結婚させるか迷っていましたがフェルディナントに決まり婚約しました。
マクシミリアンはすでに息子フィリップ美公とスペイン女王ファナとの結婚で
スペインを手に入れていました。
次のターゲットは、ベーメン&ハンガリーってわけでしょうか?
1521年、フェルディナントは兄カール(5世)に代わって
オーストリアを治めることになりました。
実はカールはフランドル育ち、フェルディナントはマドリッド育ちです。
だから本当は逆を治めた方がもめなかったんじゃないかと思うんだけどね。
性格も兄カールは寡黙で信仰心が強く質素だったというけれど
フェルディナントはご陽気ですぐにみんなの人気者、太陽が似合いそうじゃない?
それはさておき、統治を機にフェルディナントとアンナは結婚しました。
もちろん政略結婚だったわけですが、とても愛し合っていたそうです。
1526年、マクシミリアンの思惑どおり(と言ってはなんですが)
ラヨシュ2世が嫡子を遺さないままオスマントルコとの戦いで戦死してしまいました。
フェルディナントはアンナの権利を盾に、ハンガリーとベーメンを手に入れます。
しかしハンガリーには少々手こずりました。
ハンガリー貴族たちは外国の統治者を認めようとせず
対立王にサポヤイ・ヤノーシュをたてます。
その後はサポヤイの妻イザベラが女王を名乗り、次いで息子のヤノーシュ・ジグムンドが
王になり、というわけで完全に手に入れたのは1571年でした。
これより歴代の神聖ローマ皇帝は、ベーメン王とハンガリー王を兼ねることになります。
1531年に兄カール5世から継承者としてローマ王の座を譲られていたフェルディナントは
アンナの死から9年後の1556年に神聖ローマ皇帝になりました。
ご陽気だったフェルディナントはアンナの死後は大人しい人になってしまったそうです。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
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