まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝カール3世妃 聖リヒャルディス

2010-11-21 20:33:38 | ドイツ系王妃
身を呈して潔白を証明
カール3世妃 聖リヒャルディス


840~896/在位 (神聖ローマ皇后)881~888
         (東フランク王妃)882~888 (西フランク王妃)884~888

南フランクに次いで嫡子を遺せなかった西フランクの王には
東フランクのルートヴィヒが継いで、フランク王国は一瞬統合したようになります。
その後を継ぐカール3世が神聖ローマ皇帝に即位しました。

リヒャルディスは、ノルドガウ伯Erchangerの娘で862年にカールと結婚しました。

         

887年、強力な力を持って嫌われていた大臣リウトワルドを失脚させようという動きがあり
リヒャルディスは、王や貴族たちに彼との不貞を告発されました。

そこでリヒャルディスは試罪法の裁判を受けることにします。

ここで試罪法の説明ね! 驚きますよ
これは例えば、試しに火あぶりの刑を受けてみて、焼け死んじゃったら有罪で
焼けなかったら無罪という、むちゃくちゃな裁判です。
潔白なら神が助けてくれるという信仰心から出だものでしょうけど…焼けるよね。

他にもお互いに罪をなすりつけ合っている者同士を決闘させて
勝った方が無罪で負けた方が有罪、とかね… 説明終わります。

下の画はリヒャルディスが火あぶりの刑にあっているところです。

            
              こんな裁判はおかしいですよね

結局リヒャルディスは無事に生還して無罪が証明されました。
しかし、だからといって自分を告発したカール3世とよりがもどる訳でなく
これを機にアンドー修道院に身を落ち着けました。

実はカール3世、愛妾と結婚したかったらしいですよ
無罪になったら離婚はできないし、がっかりしたでしょうね! いい気味。

アンドー修道院はリヒャルディスが880年頃に先祖代々の土地に建てたもので
修道院長には姪のRotrod が就いていました。
リヒャルディスはそこで生涯を過ごし、896年に亡くなると
王家の墓所ではなくそのままその地に葬られました。

1049年に列聖されています。
この列聖というのは詳しくわからんけれども、とても敬虔な人生を送った人で
カトリックの布教に尽力した方が聖人に加えられることを言うようです。
中世時代に列聖された方々は何かしら奇跡をおこしたエピソードがついてきます。
病気に触れたら直ったとか、地面に手を触れたら水が湧き出たとか
亡くなった時に空が暗くなったとか…いろいろです。

リヒャルディスの列聖の理由はよくわかりませんが
火あぶりにあっても無事だったことが奇跡とされたのだとしたら皮肉なことですよね?
疑われて受けた裁判で聖人にされるなんて。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)

火にまつわる…余談です
このあいだ炒め物をしていたら大きめのトレーナーの袖に火がついて
キャーキャー騒いでいるうちに胸元まで火がまわってました。
幸い髪の毛が少し焦げたぐらいですみましたが、火だるまになるところでした。
からだに火がつくって恐ろしいですよ…皆さんも気をつけて。

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