まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世妃 マルガレーテ2世

2011-01-16 02:21:52 | ドイツ系王妃
領主も楽じゃない・・・
ルートヴィヒ4世妃 ホラント伯マルガレーテ1世


1311~1356/在位 1328~1347

マルガレーテはエノー伯ギョーム1世の娘で
ルートヴィヒが前妃ベアトリクスを亡くした2年後の1324年に嫁ぎました。

       
1328年、長年対立してきたハプスブルク家のフリードリヒ1世に打ち勝ったルートヴィヒは
いよいよローマ皇帝に即位しようとしますが、フランスの支配下にあった
ローマ教皇ヨハネス22世は戴冠を拒否します。

ルートヴィヒはローマへ乗り込み、ローマ市民の推挙という形をとって戴冠を受けます。
また、ヨハネス22世の対立教皇にニコラウス5世を選びました。

これでルートヴィヒは一時ドイツ諸候から拍手喝采を受けます。
しかし、これが後々ルートヴィヒに痛い目をもたらすことに…

マルガレーテは、1345年、兄ギョーム2世が嫡子無しで亡くなったので
エノーを含むホラント・ゼーラント・フリースラントなどの領地を継承しました。
エノー伯としてはマルガレーテ2世になります。

この時、イングランド王エドワード3世妃フィリッパをはじめ
ユーリッヒ公ヴィルヘルム5世妃ヨハンナ、ナミュール伯子ロバート妃エリザベスなど
妹たちも生きていたんですけど、マルガレーテが独り占めして
騒ぎはおきなかったんでしょうかね?
さしあたってエドワード3世がクレームを出さなくて良かったですよね。

1346年、ルートヴィヒ4世はヨハネス22世を継いだ教皇クレメンス6世から
破門&廃位を言い渡されルクセンブルク家のカールを対立王に立てられてしまいました。
カールは神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の孫にあたります。
(対立王とか対立教皇とかわかりずらいですよね
 ここではあまりスペースがないので…詳しくはなにか専門書を読んで下され

またまた国内大混乱か? という時に、ルートヴィヒ4世が狩猟中の事故で亡くなりました。

長男ルートヴィヒが父のバイエルン公領やブランデングルク辺境伯領を継ぎました。
1350年、マルガレーテは自分の主権を次男ヴィルヘルムに譲って引退することにします。

ところがヴィルヘルムが手当を払わないもんで争うことになってしまいます。
ヴィルヘルム支持のコッド派と、マルガレーテ支持のフック派が結成され
両者が母子を擁立したりして、戦いは数年に及びます。

ここでは妹フィリッパの夫であるエドワード3世がマルガレーテを救いにやってきて
フック派の勝利に終わったのですが、あらら、エドワード3世が寝返ったもので
母子は和解することにいたしました。
ホラントとゼーラントはヴィルヘルムが、エノーはマルガレーテが手に入れました。

2年後の1356年、マルガレーテは亡くなり、ヴィルヘルムがエノー伯領を継ぎます。

どうせ後々継ぐんだから、年老いた母親と争わなくたっていいと思わない?
「母さんの言いなりじゃないやい!」というところが見せたかったのかしら?
それとも単なる強欲息子なんでしょうか?
中世の親子兄弟入り乱れての争いはなかなか奥深いところがありますのでね…

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipeida英語版)
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神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世妃 ベアトリクス

2011-01-16 02:20:10 | ドイツ系王妃
ふたり王時代の王妃
ルートヴィヒ4世妃 ベアトリクス・フォン・シュレージエン=グローガウ


1290~1322/在位 (神聖ローマ皇后)せず (ドイツ王妃)1314~1322

ルートヴィヒ4世はヴィッテルスバハ家出身の神聖ローマ皇帝です。
なにかと皇帝にからんできたヴィッテルスバハ家にやっと皇帝の座が!
しかし平坦な道のりではなかったんですけれどもね…

そんなルートヴィヒが上バイエルン公時代に結婚したのが
ポーランドの王室ピアスト家に属するルヴヴェク公およびヤヴォル=シフィドニツァ公
ボルコ1世の公女ベアトリクスでした。

しかし実父は早くに亡くなり、母のベアトリクス・フォン・ブランデンブルクは
ビトム公ヴワディスワフと再婚しています。 こちらもピアスト家。
        
ベアトリクスの結婚は、バイエルンと確かな同盟を結びたかった
弟のヤヴォル=シフィドニツァ公ベルナルトにアレンジされました。
1308年に結婚しています。

ルートヴィヒは1314年にドイツ王に選出されましたが、なんと!
実はその前日に別派がハプスブルク家のオーストリア公フリードリヒ1世を選出していました。
立候補した本人たちのみならず各家の利権が絡み合い、教皇まで口をはさむこの戦いは
(どちらかというとルートヴィヒ優勢でしたが)長々と決着がつきませんでした。

結局ベアトリクスの生存中、ルートヴィヒは神聖ローマ皇帝に即位しませんでした。
ベアトリクスは1322年に亡くなっています。
夫の晴れ姿を見たかったでしょうね。

ちなみに、ルートヴィヒとハプスブルク家のフリードリヒは従兄弟同士です。
家系図のしとくね。
      
フリードリヒ1世の妃はエリーザベト・フォン・アラゴンで
こちらは1330年に亡くなっています。
その前にルートヴィヒの神聖ローマ皇帝即位(1328年)を見ているはずですね。
悔しかったろぉ…

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世妃 マルガレーテ

2011-01-16 02:19:46 | ドイツ系王妃
久々にいい夫婦の話し
ハインリヒ7世妃 マルガレーテ・フォン・ブラバント


1276~1311/在位 (神聖ローマ皇后)せず (ドイツ王妃)1308~1311
  
ハインリヒ7世は、フリードリヒ2世の死後続いていた “ 大空位時代 ” 中
不気味に力をつけてきたハプスブルク家の台頭を押さえようとした貴族諸候たちから
選挙で選ばれたドイツ王です。
ハインリヒ自身も反ハプスブルクの急先鋒でありました。

ブラバント公ヨハン1世の公女マルガレーテとは、ルクセンブルク伯時代の
1292年に結婚しています。

ふたりの結婚は長年に渡って両家に諍いををもたらしていた
リンブルクの領土の問題を解決するためのものでした。
      

完全に政略結婚のおふたりですが、仲はとてもよかったそうです。

ハインリヒは、1310年、教皇をフランスの支配下から奪回してローマで戴冠するために
イタリア遠征に向かいます。
この遠征にはマルガレーテも同行しました。

ところがマルガレータはブレシアの包囲中に病気になり
半年もしないうちにジェノヴァで亡くなってしまいました。
結局、当地のサンフランチェスコ教会に葬られました。

ハインリヒは、戴冠を果たした翌年の1313年に、高名な彫刻家ピサーノに命じて
彼女のためのモニュメントを制作しています。

政略結婚で哀しい目にあう王妃が多い中
夫婦が仲睦まじかったという話しを聞くとホッとしますね。
特に時代が古くなればなるほど、横暴な王様は多かったようだし…

マルガレーテのお子様のうち、王子ヨハンはボヘミア王になり
その息子が神聖ローマ皇帝カール4世に即位します。
ふたりの王女のうち姉のマリーはフランス王シャルル4世妃になり
妹のベアトリクスはハンガリー王カーロイ1世妃になりました。
ふたりともあまり幸せな結婚ではないようでしたが…

ところで、あまり関係ないかもしれませんがブラバント公家がとてもアクティブに
イングランドにもフランスにも絡んでいっているのがすごいので
家系図のせときます。
      

(参考文献 池田良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世妃 イザベラ

2011-01-16 02:17:03 | ドイツ系王妃
ハーレムに入っちゃうってどういうこと?
フリードリヒ2世妃 イザベラ・フォン・エンゲランド


1214~1241/在位 1235~1241

二人目の妃を亡くしたフリードリヒ2世が次のお妃に選んだのは
イングランド王ジョンとイザベラ・オブ・アングレームの王女イザベラでした。


        

フランスの領土を失ったフリードリヒは、反撃の時にイングランドの援助が欲しくて
教皇グレゴリウス9世が持ってきた縁談に飛びつきます。
よくよく考えたらフリードリヒにはすでにビアンカ・ランチアという
最愛の女性がいたんですもの、政治的にOKなら相手は誰でもよかったのかもね…

でもイザベラは美しい女性だったそうですよ。
結婚のためにケルンへ向かう道すがら、イザベラはヴェールを上げ
ドイツの皆さんにお顔を見せてあげてたいそう喜ばれたそうです。
イザベラは21歳、フリードリヒは40歳でした。

結婚するとイザベラは、フリードリヒにモンテサンタンジェロ城を贈られました。
ふつう「ここにお住まいなさい」ということだと思いますよね?

ところがです
イザベラは人々からは隔離されたハーレムでの生活をしなければなりませんでした。

ハーレムと書いてあるけど、イタリアですからねぇ…
オスマン帝国みたいなのでなくて、男子禁制という意味ですかね?
なんでもイザベラの兄コーンウォール伯リチャードが十字軍の帰りに彼女を訪ねた時
兄妹だっていうんで特別に会うことが許されたみたいですよ。

いずれにしても、イザベラがイングランドから連れて来た従者たちは
二人の女性を除いて皆帰国させられてしまいました。
異国で頼りになる同胞がいないとは…心細かったでしょうね

イザベラはノヴェンタに引っ込んで暮らし
フリードリヒが定期的に訪れるという生活だったようです。
定期的というのがどれぐらいのスパンかわかりませんけどね…

皇后だというのにすごく地味な生活じゃない?
そんな生活の末、4人目の王女を出産する時に27歳という若さで亡くなりました。
アンドリア大聖堂の、前妃イザベラ2世の隣に葬られました。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世妃 イザベラ2世

2011-01-16 02:16:33 | ドイツ系王妃
女系家族出身の女王
フリードリヒ2世妃 イェルサレム女王 イザベラ2世


1212~1228/在位 (神聖ローマ皇后)1225~1228 (シチリア王妃)1225~1228
          (イェルサレム女王)1212~1228

フリードリヒ2世は、最初にハンガリー王イムレの未亡人だった
コンスタンツェ・フォン・アラゴンと結婚しています。

コンスタンツェが亡くなった3年後の1225年、フリードリヒ2世は
イェルサレム女王イザベラ2世(ヨランダ・フォン・ブリエンヌ)と再婚します。

         
ものすごく簡単に言っちゃうと、イェルサレム王国は十字軍の際に
キリスト教側の中継地みたいな感じで建国された王国です。
なんか女系みたいで、夫の家系に王家が移っているパターンが多い気がします。
イザベラの母も祖母も女王です。

母マリアはイザベラを産んですぐ亡くなりました。
イザベラはすぐに女王に即位し、父のジャン・ド・ブリエンヌが摂政になります。

1223年、教皇ホノリウス3世、フリードリヒ2世、父ジャンの三者会談が開かれ
イザベラとフリードリヒの結婚が決められました。

なぜかというと…実は摂政だった教皇インノケンティウス3世は
シチリア王フェデリーコ2世(フリードリヒ)をドイツ王にしたくありませんでした。
それであの手この手を打っていたのですが、教皇の裏をかいたフリードリヒは
まずオットー4世を敗ってドイツ王になると十字軍遠征を誓って
1220年に神聖ローマ皇帝に即位しました。

だのに、第5回十字軍の時、フリードリヒは軍は出したものの自分は参加しなかったので
インノケンティウス3世の後を継いだホノリウス3世が大激怒!
「破門するぞ!」と脅して、イェルサレム王として戴冠し十字軍に参加するように言い渡し
フリードリヒも(しぶしぶ)同意しました。
でもそのためにはイザベラと結婚しなければなりませんね?

そんなわけで1225年、ふたりはイタリアのブリンディジ大聖堂で結婚しました。
その席でフリードリヒはイェルサレム王の宣言をして、父ジャンの摂政職を解き
全ての権利を自分に移譲しましたが、実際にイェルサレムに向かったのは数年後です。

フリードリヒはもともと十字軍に乗り気じゃなかったらしいのね。
その上国を離れられなかったり、病気になって途中で引き返したりしていました。
そこで怒ったのが教皇グレゴリウス9世です。
「病気なんて嘘だろ~よ」と1227年にとうとう破門を言い渡しました。

イザベラはというと1226年に(たぶん)王女を出産しましたが1年で夭逝します。
1228年に待望の王子コンラートを生みますが、この時に亡くなりました。

フリードリヒはイェルサレムに向かっていましたが途中で(また)病気になり
オトラントで静養中でした。

イザベラはアンドリア大聖堂に葬られました。

フリードリヒ2世はその後めでたく十字軍に参加して、その上(無血で)勝利し
イェルサレムに入ると王の宣言をしました。
破門中で誰も戴冠してくれなかったので、自分で王冠を頭に載せたそうです。
その後イェルサレムに進軍してきた教皇軍に勝利して破門は解かれました。
めでたし、めでたし…

生まれた時から女王というとスコットランド女王メアリーなど
華やかな経歴の人もおりますけど…

イザベラにはあまりエピソードがありませんね。
13歳までは父ジャンの、その後はフリードリヒ2世の影で過ごして…という印象です。

たった16年の人生です。
せめて父ジャンもフリードリヒも、彼女をちゃんと愛してくれていたと願いたいですね。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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