領主も楽じゃない・・・
ルートヴィヒ4世妃 ホラント伯マルガレーテ1世
1311~1356/在位 1328~1347
マルガレーテはエノー伯ギョーム1世の娘で
ルートヴィヒが前妃ベアトリクスを亡くした2年後の1324年に嫁ぎました。
1328年、長年対立してきたハプスブルク家のフリードリヒ1世に打ち勝ったルートヴィヒは
いよいよローマ皇帝に即位しようとしますが、フランスの支配下にあった
ローマ教皇ヨハネス22世は戴冠を拒否します。
ルートヴィヒはローマへ乗り込み、ローマ市民の推挙という形をとって戴冠を受けます。
また、ヨハネス22世の対立教皇にニコラウス5世を選びました。
これでルートヴィヒは一時ドイツ諸候から拍手喝采を受けます。
しかし、これが後々ルートヴィヒに痛い目をもたらすことに…
マルガレーテは、1345年、兄ギョーム2世が嫡子無しで亡くなったので
エノーを含むホラント・ゼーラント・フリースラントなどの領地を継承しました。
エノー伯としてはマルガレーテ2世になります。
この時、イングランド王エドワード3世妃フィリッパをはじめ
ユーリッヒ公ヴィルヘルム5世妃ヨハンナ、ナミュール伯子ロバート妃エリザベスなど
妹たちも生きていたんですけど、マルガレーテが独り占めして
騒ぎはおきなかったんでしょうかね?
さしあたってエドワード3世がクレームを出さなくて良かったですよね。
1346年、ルートヴィヒ4世はヨハネス22世を継いだ教皇クレメンス6世から
破門&廃位を言い渡されルクセンブルク家のカールを対立王に立てられてしまいました。
カールは神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の孫にあたります。
(対立王とか対立教皇とかわかりずらいですよね
ここではあまりスペースがないので…詳しくはなにか専門書を読んで下され )
またまた国内大混乱か? という時に、ルートヴィヒ4世が狩猟中の事故で亡くなりました。
長男ルートヴィヒが父のバイエルン公領やブランデングルク辺境伯領を継ぎました。
1350年、マルガレーテは自分の主権を次男ヴィルヘルムに譲って引退することにします。
ところがヴィルヘルムが手当を払わないもんで争うことになってしまいます。
ヴィルヘルム支持のコッド派と、マルガレーテ支持のフック派が結成され
両者が母子を擁立したりして、戦いは数年に及びます。
ここでは妹フィリッパの夫であるエドワード3世がマルガレーテを救いにやってきて
フック派の勝利に終わったのですが、あらら、エドワード3世が寝返ったもので
母子は和解することにいたしました。
ホラントとゼーラントはヴィルヘルムが、エノーはマルガレーテが手に入れました。
2年後の1356年、マルガレーテは亡くなり、ヴィルヘルムがエノー伯領を継ぎます。
どうせ後々継ぐんだから、年老いた母親と争わなくたっていいと思わない?
「母さんの言いなりじゃないやい!」というところが見せたかったのかしら?
それとも単なる強欲息子なんでしょうか?
中世の親子兄弟入り乱れての争いはなかなか奥深いところがありますのでね…
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipeida英語版)
ルートヴィヒ4世妃 ホラント伯マルガレーテ1世
1311~1356/在位 1328~1347
マルガレーテはエノー伯ギョーム1世の娘で
ルートヴィヒが前妃ベアトリクスを亡くした2年後の1324年に嫁ぎました。
1328年、長年対立してきたハプスブルク家のフリードリヒ1世に打ち勝ったルートヴィヒは
いよいよローマ皇帝に即位しようとしますが、フランスの支配下にあった
ローマ教皇ヨハネス22世は戴冠を拒否します。
ルートヴィヒはローマへ乗り込み、ローマ市民の推挙という形をとって戴冠を受けます。
また、ヨハネス22世の対立教皇にニコラウス5世を選びました。
これでルートヴィヒは一時ドイツ諸候から拍手喝采を受けます。
しかし、これが後々ルートヴィヒに痛い目をもたらすことに…
マルガレーテは、1345年、兄ギョーム2世が嫡子無しで亡くなったので
エノーを含むホラント・ゼーラント・フリースラントなどの領地を継承しました。
エノー伯としてはマルガレーテ2世になります。
この時、イングランド王エドワード3世妃フィリッパをはじめ
ユーリッヒ公ヴィルヘルム5世妃ヨハンナ、ナミュール伯子ロバート妃エリザベスなど
妹たちも生きていたんですけど、マルガレーテが独り占めして
騒ぎはおきなかったんでしょうかね?
さしあたってエドワード3世がクレームを出さなくて良かったですよね。
1346年、ルートヴィヒ4世はヨハネス22世を継いだ教皇クレメンス6世から
破門&廃位を言い渡されルクセンブルク家のカールを対立王に立てられてしまいました。
カールは神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の孫にあたります。
(対立王とか対立教皇とかわかりずらいですよね
ここではあまりスペースがないので…詳しくはなにか専門書を読んで下され )
またまた国内大混乱か? という時に、ルートヴィヒ4世が狩猟中の事故で亡くなりました。
長男ルートヴィヒが父のバイエルン公領やブランデングルク辺境伯領を継ぎました。
1350年、マルガレーテは自分の主権を次男ヴィルヘルムに譲って引退することにします。
ところがヴィルヘルムが手当を払わないもんで争うことになってしまいます。
ヴィルヘルム支持のコッド派と、マルガレーテ支持のフック派が結成され
両者が母子を擁立したりして、戦いは数年に及びます。
ここでは妹フィリッパの夫であるエドワード3世がマルガレーテを救いにやってきて
フック派の勝利に終わったのですが、あらら、エドワード3世が寝返ったもので
母子は和解することにいたしました。
ホラントとゼーラントはヴィルヘルムが、エノーはマルガレーテが手に入れました。
2年後の1356年、マルガレーテは亡くなり、ヴィルヘルムがエノー伯領を継ぎます。
どうせ後々継ぐんだから、年老いた母親と争わなくたっていいと思わない?
「母さんの言いなりじゃないやい!」というところが見せたかったのかしら?
それとも単なる強欲息子なんでしょうか?
中世の親子兄弟入り乱れての争いはなかなか奥深いところがありますのでね…
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipeida英語版)