まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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神聖ローマ皇帝カール4世妃 エリーザベト

2011-01-20 22:32:40 | ドイツ系王妃
お若いのにしっかりしていらっしゃる
カール4世妃 エリーザベト・フォン・ポンメルン


1347~1393/在位 (神聖ローマ皇后)1363~1378 (ボヘミア王妃)1363~1378

二人目、三人目の妃を若くして亡くしたカール4世は、またまた若い妃を迎えました。

お相手はポメラニア公ボギスワフ5世の公女エリーザベトです。
母親はポーランド王カジミェシュ3世の王女エルジェーベトです。

         

前妃アンナの死から10ヶ月後にクラクフで式を挙げました。
けっこう素早い再婚でしたね。
三度の結婚で皇子が一人しか残っていないということに焦っていたと思われます。

エリーザベトは16歳、カールは47歳でした。
カール4世はただの若い娘好き…というわけではないんですよ(と思ふ)
この結婚は、オーストリア公ルドルフ4世・ハンガリー王ラヨシュ1世と
カジミェシュ3世による反チェコ連合に亀裂を与えるための政略結婚でした。
ちなみにルドルフ4世は次女カトリーヌのお婿さんですけどね…

祖父の敵陣に乗り込んで来たエリーザベトは、年は若かったですけれども
精力的で自信に充ち満ちた女性だったようです。

夫婦の仲は睦まじかったということで、カール4世が重い病にかかった時には
大聖堂まで徒歩で赴き、供え物をしたり祈りを捧げたりしたそうです。

エリーザベトはカール4世に四男二女を授けました(皇子二人は1歳で夭逝)
でもカール4世は前妃たちが生んだ子供たちの方を好んでいたみたいで
つらい思いをしたようです。

1378年、カール4世が亡くなりました。
エリーザベトは12歳を筆頭にまだまだ幼い4人の子の育児に専念します。
特に長男ジギスムントがハンガリー王になれるように心血を注ぎました。
ジギスムントはハンガリー女王マリアと結婚してハンガリー王になり
兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王になり、ついに神聖ローマ皇帝になります。

エリーザベトは1393年に亡くなり、ヴィート大聖堂のカール4世の隣に葬られました。
前も書いたけど、ここには4人の妃がカール4世と眠っているのよね。
どうやって並び順が決まったのか気にかかるんだわ。

ジギスムントのボヘミア王、神聖ローマ皇帝即位には立ち会えませんでしたが
ハンガリー王即位だけでも目にすることができてよかったですね。

しかし、せっかくふたつの王座と皇帝の座まで手に入れたジギスムントだったのに
子供が王女エリーザベトしか生まれず(皇子は死産)紆余曲折の末
娘婿アルブレヒトの実家ハプスブルク家に何もかも持っていかれることになります。

ハンガリーの続きはこちらから
神聖ローマ帝国の続きはこちらから見てみて下さいな

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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神聖ローマ皇帝カール4世妃 アンナ

2011-01-20 01:33:44 | ドイツ系王妃
またまた若くして亡くなる
カール4世妃 アンナ・フォン・シュヴァイトニッツ


1339年~1362年/在位 (神聖ローマ皇后)1355~1362 (ボヘミア王妃)1353~1362

カールの3人目の妃は、ピアスト家のシフィドニツァ公ヘンリク2世の公女アンナです。
ヘンリク2世はアンナが4歳の時に亡くなってしまいました。

アンナの母カタリンはハンガリー王カーロイ1世とマリア・ピアスト
エルジェーベト・ピアスト、どっちかの王女でした。
王女なのに誰の子かはっきりしないってどうよ?
そんなわけで、アンナも母の故郷ハンガリーで育ちました。
     

アンナは最初、カール4世と二人目の妃アンナ・ダー・フォン・プファルツ
王子ヴェンツェルと婚約していました。
ヴェンツェルは生まれたばかりの0歳で、アンナは11歳でした。
しかし、ヴェンツェルは1歳で亡くなってしまいました。

その2年後にアンナ(プファルツ)が亡くなると、カールはアンナ(シュヴァイトニッツ)を
自分のお妃にしようと考えます。

若い子好きってわけじゃないの。
ボヘミア近隣で郡を成す、ピアスト家の公国、シュレージェン(シロンスク)地方を
コントロールするための政略結婚なんですよ!

で、この結婚にはローマ教皇インノケンティウス6世の特免状が出されたっていうんだけれども
なんで? そんなに濃ゆ~く血がつながっているようには見えないんだが…
          
         
どうこれ? 繋がってないよね?
それとも他で濃い~い繋がりがあるんでしょうか? たどりきれませんでした

たぶん、アンナが14歳になるのを待って1353年に結婚、カールは37歳でした。

王女エリーザベトに続き、待望の皇子ヴェンツェルが生まれました。
(前妃アンナとの間に生まれて1歳で亡くなった皇子もヴェンツェルでしたけど…
 よっぽどこの名前がつけたかったと思える)
アンナは、結婚から10年目、第三子出産の際に亡くなりました。
またまた23歳という若さでした。
          
カール4世、お祓いかなにかすればよかったんじゃないのぉ?
あ、神聖ローマ皇帝だから教会で何かやっていたかもしれませんね

アンナはヴィート大聖堂に葬られました。
ここにはカール4世の前妃二人ブランカとアンナがすでに眠っていました。
後にカール4世も、四人目の妃エリーザベトも葬られています。
どういう順番で並んでいるのでしょうね?

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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