まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『家族の記録』“変哲もない”家族の記録

2009-04-22 01:26:18 | ロシアの作家
СЕМЕЙНАЯ ХРОНИКА 
1852年 セルゲイ・チモフェーヴィッチ・アクサーコフ

名前は変えていますが、作者の祖父、父、その家族のことを綴っている物語です。
最初はどうなることかと思いましたよ・・・つまんなくて。

第1章には祖父ステパンが新しい土地を探して移り住み
パグロヴォという立派な村ができるまでが描かれています。
特筆するところはありませんが、ステパンの暴君ぶりはよく分かります。

第2章はステパンがこよなく愛する従妹プラスコーヴィヤの結婚の物語。
美男子で人気者のクロレソフは、結婚後立派な夫ぶりを発揮していましたが
次第に本性を表して、忌まわしい人物に変貌します。
事実を知ったプラスコーヴィヤは別離を決意し、ステパンは彼女を救います。

第3章から第5章は、作者の両親にあたるアレクセイとソフィヤのなれそめから
作者が生まれるまでの物語なのですが、これはもう『渡る世間は鬼ばかり』ばりの
嫁 VS 小姑 and 姑の争いの連続です。

なにしろアレクセイには姉妹が4人いまして、三女と四女がすごい意地悪なの!
母親と五女はそのふたりに逆らえず、一緒になってソフィアによそよそしくします。
しかも善良なアレクセイはまったく気付かず、頼りにもなりません。
(長女は亡くなってまして、次女はお人好しでソフィアが大好きなのです)

けれども暴君であるステパンが、美しく才気あふれるソフィアを気にいったことから
ソフィアもその特権を行使しようと、舅のご機嫌取りに余念がありません。
ますます気に入られ、逆にそれが小姑の嫉妬を招くという “ 負のスパイラル ”
この先うまくやっていけるのでしょうか?

作者はソフィアの息子ですから、やはり肩入れしがちになっております。
確かに小姑ふたりはヒドいし、嫁に行ってるんだから自分の家の心配をしなよ、と
言いたいところです。
でもソフィアもちょっと高慢じゃないかしら?
姉たちをはじめ田舎の生活を見下しているみたいだし
すぐ激怒してアレクセイを叱りとばすのはどうかと思うよ。

ステパンとアレクセイ、二代に渡る物語で、プチ・ルーゴン・マッカールみたいですが
ルーゴン・マッカールみたいなドラマティックな展開はありません。
(かろうじて第2章が物語になりやすい要素を含んでいますかねぇ)

けれども、あまりにも普通の家族のことを本にしようと思い立った、その無謀さに乾杯!
しかもそんな物語がそこそこ面白いというのは驚きでした。
時代が違うことと、ロシアという独特の土地柄がそう思わせてくれたのでしょうか?

家族の記録 岩波書店


このアイテムの詳細を見る

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン王フェルナンド2世妃 ヘルマナ

2009-04-22 01:24:06 | スペイン王妃・王女
いったい誰の妻ですの? という王妃
フェルナンド2世妃 ヘルマナ・デ・フォワ


1488~1538/在位 1505~1516

イサベル1世が亡くなった時、フェルナンド2世には王子がいませんでした。
カスティーリャは長女ファナが継ぎ女王として即位しましたが
ファナの希望で夫ブルゴーニュ公フィリップも共治王フェリペ1世として即位しました。

フェルナンド2世はフェリペ1世の政治姿勢が気に入らないし
あんなに苦労して統一したスペインをハプスブルク家にもっていかれるのも
しゃくにさわる ってことで再婚して王子を得ようと考えます。

そこで当時悪化していたフランスとの関係を和らげるため、ルイ12世に申し入れ
ブロワ条約でルイ12世の姪にあたるヘルマナとの結婚が同意されました。
イサベル1世の死から1年後の1505年、フェルナンド2世は再婚しました。

翌年、ファナの夫フェリペ1世が死去して少しは安心したものの
自分の子供に王を継がせたいという思いから、なんでも媚薬まで使ったらしい…
媚薬って何? まむしとかスッポンとかそういうこと?
その甲斐あってかヘルマナは1509年に王子ファンを生みましたがすぐに夭逝、
その後は子供に恵まれませんでした。

1516年にフェルナンド2世は亡くなりますが、その前に
(精神錯乱をおこしていた)女王ファナと共治することになる孫のカルロス1世に宛てて
「ヘルマナに毎年50,000フロリンの年金を渡すこと。くれぐれも彼女を見捨てないように」
という手紙を書き送っていました。

カルロス1世が即位してフランドルからアラゴンにやってくると
ヘルマナも宮廷に移って来ました。
17歳のカルロス1世は29歳の義理の祖母ヘルマナに敬意を表して
馬上試合や晩餐会などを盛んに催してもてなしたそうです。

ところが 1年ほどするとヘルマナに女の子が生まれます。
イサベルという名のその子の父親はカルロス1世だという噂が、公然と囁かれます。
「見捨てるな」というのは、そういう意味ではないと思うが…

     

ヘルマナは1519年に、カルロス1世がまとめた縁談に従って
ブランデンブルク=アンスバハ辺境伯ヨハンと結婚し、一度はドイツに移りますが
4年後には夫とともにヴァレンシ副王にとりたてられてスペインに戻りました。

1526年にヨハンが亡くなると、カラブリア公フェルナンドと再婚しますが
またもや夫がヴァレンシア副王になって、そのままカルロス1世の近くに残ります。

ヴァレンシアはあらたにスペインに併合された国で、反感は燻っていたのですが
ヘルマナは芸術などを通してヴァレンシアがスペインと和合するよう
1538年に亡くなるまで、終生努めたということです。

スペインの人ではないのに、スペインのためにそんなに尽くすなんて…
カルロス1世のことをとても愛していたのかしら?
他の夫は一種のかくれみのみたいにみえます。

ところでカルロス1世は1526年にイサベル・デ・ポルトゥガルと結婚すると
他の女性には目もくれなくなったそうですよ。
ヘルマナ、哀しいねぇ…なんだか。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする