まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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フランス王アンリ4世妃 マリー

2009-03-21 10:55:10 | フランス王妃・王女
マルゴの気持ちがよく分かる
アンリ4世妃 マリー・ド・メディシス


1575~1642/在位 1600~1610

マリーはメディチ家の出身ですが、彼女の母ジョヴァンナは
シャルル9世妃エリザベートの父マクシミリアン2世の妹で
カトリーヌ・ド・メディシスよりエリザベートの方が近親かと思われます。
けれどもさすがメディチ家、マリーには60万クラウンという莫大な持参金がついていました。

        

アンリ4世には、長年妻のように暮らしていてアンリの子供も3人生んだ
愛妾ガブリエル・デストレがいて、マルゴと離婚したら彼女と結婚するつもりでした。
けれどもガブリエルはアンリ4世がマルゴと離婚した年に急死してしまいました。

ただアンリ4世は生涯に50人 の愛妾を持っていたと言われる王ですので
その時もちゃんと後がまのカトリーヌ・ド・バルザックという愛妾が控えていました。
王はガブリエルが死んだらカトリーヌと結婚すると約束していたようです。

なんとかカトリーヌをなだめることに成功したのか
1600年にアンリ4世とマリーは結婚します。
ふたりの間には6人の子供が生まれていますが、仲の方は新婚当初から悪かったみたいです。
なぜって…アンリ4世は結婚後も愛妾を遠ざけることはせず
それまでのように堂々とおつき合いをしていたからです。 それは怒るわよね?
(上の肖像画かどうかはわかりませんが、マリーはかなり細めに描かれていたらしく
 アンリ4世は初めてマリーを見た時「騙された!」と叫んだそうですよ)

喧嘩が絶えず、夫への不信感が募る一方のマリーは、前妻マルゴに共感を覚えます。
相談相手が欲しかったのかもしれません。
マリーはアンリ4世を強く促してマルゴのフランスへの帰国をとりつけました。

1610年、アンリ4世が暗殺されると、マリーは幼王ルイ13世の摂政になります。
彼女はまずアンリ4世の愛妾たちを宮廷から追い出しました(そりゃそうね!)。
政治の方はめちゃくちゃで、メイドのレオノーラの夫である
イタリア人コンチーニの影響を強く受け始めて
せっかく名君と言われたアンリ4世が丸く収めてきた宗教間の争いを再燃させます。
彼女のいかげんな政治は、貴族たちのみならず子供たちの反発を招きます。

              
               こちら、貫禄充分になったマリー
                   ルーヴル展で日本にきてましたね


ルイ13世が親政を始めると、マリーの生涯の宿敵、枢機卿リシュリューが登場します。
コンチーニは処刑され、彼女の政策はことごとく覆されて
ブロワ城に軟禁されてしまいました。
その後、マリーはブロワの城を脱走し、王弟オルレアン公を旗印に反乱を企てたり
せっかく和解したのにリシュリュー追放キャンペーンなどを展開したりして
1630年にはとうとうフランスから逃げ出すハメに陥ります。

その後はブリュッセルやアムステルダムを転々とする生活を送り、1642年に
旅先のケルンで息を引きとりました。

もともと政治に興味がある女性だったみたいですけど
アンリ4世の存命中はなかなか口がだせなかったんでしょうね。
好き勝手ができるようになったら、弾けちゃったという感じかしら?

賢明な側近がついていたら良かったかもしれないけど
肖像画を見ているとおとなしく言うことを聞きそうなタイプにも思えなかったりして…
(ルーヴル展のHPによると、ルイ13世と和解している間に描かれたそうです)

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 
      エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

フランス史10講 岩波書店


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コメント (2)
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