まりっぺのお気楽読書

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フランス王アンリ4世妃 マルグリート

2009-03-18 00:46:57 | フランス王妃・王女
ニックネームはマルゴ
アンリ4世妃 マルグリート・ド・ヴァロア


1553~1615/在位 1589~1599

アレクサンドル・デュマ・ペールの小説もあり、映画もあって有名なマルゴですが
いったいどんな王妃だったのでしょう?

アンリ2世の娘に生まれ、3人の兄も王になるという輝かしいバックボーンを持つマルゴは
愛する人と結ばれなかったり夫に愛されなかったりして、悲劇の王妃といわれる一方
生まれついての淫蕩ぶりで悪評名高い王妃にもなっています。

マルゴは11歳で既に3人の情人がいたといわれていますが、それでは飽きたらなかったのか
10代前半から露出が多いスケスケのドレスで男の気を惹いていたそうですよ
いったい賢母カトリーヌ・ド・メディシスは何してたんでしょうね?

              
              10歳前後のマルゴです。このころすでに…

マルゴは “ パリ王 ” と呼ばれ人気絶大だったギーズ公アンリを愛するようになり
ふたりは結婚の約束をしたのですが、これはギーズ公家がさらなる力を持ち、
カトリックとプロテスタントの争いが激化することを怖れた
母后カトリーヌの大反対にあい成就しませんでした。

マルゴにはスペイン王フェリペ2世の王子カルロスや、ポルトガル王セバスチャンとの
縁談が持ち上がりますが、いずれも上手くいきませんでした。
そこでナヴァール女王ファナ3世王子アンリ・ド・ブルボンとの結婚が検討されます。
ファナ(フランス名ジャンヌ・ダルブレ)はプロテスタントで
フランス国内のプロテスタントを擁護していました。
カトリーヌは旧教と新教の融和を画策していてふたりの結婚を思いついたのです。

       

1572年、19歳のマルゴは17歳のアンリと挙式します。
ふたりは最初から最後まで1回も目を合わせなかったそうです。
すでに暗雲が立ちこめていますね。

しかし宗教間の融和を図ったはずの結婚式の直後、サン・バルテルミーの虐殺があり
プロテスタントのアンリは捕えられます。
アンリはカトリックに改宗してナヴァールに戻り、3年後にシャルル9世が亡くなると
マルゴを残してパリに向かいます。
その後ふたりはお互いおおっぴらに愛人をつくりスキャンダラスな生活を送りました。

1582年、マルゴはナヴァールに嫌気がさしフランスに帰りますが
兄アンリ3世は彼女のふしだらな評判を嫌い、すぐに宮廷から出ていくよう言い渡します。
渋々ナヴァールに戻ると、今度は夫アンリから「出ていけ」と言いたげな
冷たい仕打ちを受けました。

ヤケクソになったマルゴは愛人とクーデターを謀り、再びフランスに足を踏み入れましたが
激怒したアンリ3世に捕えられ幽閉されてしまいました。
夫アンリ4世の即位後幽閉は解かれましたが、即離婚を宣告されます。

マルゴはその後も派手な男関係をくりひろげて死の間際まで麗しい男性を侍らせていました。

しかし後年は、前夫アンリ4世と王妃マリーと和解するためフランス宮廷に戻り、
王一家の良き相談相手になりました。
また、宝石の全てを売り払い芸術院を設立したり、貧しい人々に慈善を施したそうです。

もともと淫乱だったというのは置いといて…本気で愛したとされるギーズ公と結婚していたら
彼女の人生も大きく変わったかもしれないし
フランス王家の行く末も違っていたかもしれないですね。
(ギーズ公の母方の祖父はルイ12世です。アンリ4世とはどちらが優位だったのでしょう?
 ややこしくって…
ふたりの間に生まれた子供が王になったら、パリ市民も大喜び! だったかもしれません。
そしたら革命もねぇ、もう少しお手やわらかなものになったかもしれないのに…

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 桐生操氏『世界悪女大全』
      川島ルミ子氏『息子を国王にした女たち』 Wikipedia英語版)

世界悪女大全 文藝春秋


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奔放なるフランス王妃マルゴ (メリエンダ)
2018-11-10 19:57:09
マルゴこと、マルグリート・ヴァロワ。
デュマの小説と、映画でその名を知りました。(主演のアジャーニの妖艶な美しさったら…!)マルゴは、美しい、とはお世辞にも言い難かった母カトリーヌには、 全く似ず、美男子と言われた父アンリ2世によく似ていたらしく、父アンリは彼女を溺愛していて、愛娘の為に、命を懸けて守ってくれる忠実な護衛、従者を付けようとした所、父アンリは、見目麗しい少年と野暮ったい田舎出の少年のどちらかを選ばせた際、マルゴは、野暮ったい少年を自身の従者に選らんで、父アンリは、もう一人の方が、見目麗しく、洗練されているのに何故?と尋ねたところ、マルゴは、見目良い方は、功名心に逸り過ぎて信用できないが、もう一人の方は、見た目は多少良くなくとも、忠実で、信頼を置くにたる従者だ、と答え、幼い少女が、こんなにも明敏な事を言ったというのには驚かされますが、マルゴは美貌のみならず、教養豊かな女性だったらしいですね。その淫放さばかりが取り沙汰される女性ですが…
父は、マルゴを溺愛したみたいですが、母カトリーヌは、兄アンリや姉エリザベートのことは可愛がっていたらしいですが、マルゴを特に可愛がってはいなかったらしく、唯一の母らしい行為は、マルゴの性欲を抑える為に、特製ジュースを飲ませていた、という逸話が…マルゴの淫乱ぶりに関しては、頭を悩ましていたらしく、ある日、マルゴが顔を血塗れにしていて、ある部屋で、母カトリーヌと兄アンリが、彼女を、『この淫売、娼婦、菅掃除女!』と叫びながら二人して折檻していたことがあったらしいですね…
また、彼女は、面食いで、夫アンリはタイプじゃなかった為(一説には、体臭が凄すぎた為に…)上手くいかず、互いに愛人を作っていて、離婚。互いに恋愛感情を持てなかったらしいですが、アンリとマリー王妃との間には“友愛”が芽生え、二人の子供たちを慈しみ、とりわけ、マリー王妃とは、元妻、現妻の関係にも関わらず、良き友、良き相談相手の仲で、マリー王妃は、夫の女癖や体臭(笑)がいかに酷いか、マルゴに愚痴をこぼす程。なんとも、奇妙な間柄だったみたいですね…
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