まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ12世妃 アンヌ

2009-03-02 01:03:42 | フランス王妃・王女
生まれ変わった王妃
ルイ12世妃 アンヌ・ド・ブルターニュ


1477~1514/在位 (シャルル8世妃)1491~1498 (ルイ12世妃)1499~1514

シャルル8世の死亡でルイ12世と再婚しなければならなくなったアンヌですが
ルイ12世の離婚がごたついたため、故郷のブルターニュに帰る機会に恵まれます。

      

14歳でフランスに嫁いだアンヌには訪れることができなかった領地の所々に凱旋し
各地で熱烈な歓迎をうけます。
ふたたびフランスに戻って15歳も上のルイ12世との生活を始める前に
羽をのばしたかったのでしょうが、美しい郷里と領民の歓喜に沸く顔を見ているうちに
彼女の心には領主としての何かが芽生えたのではないでしょうか(勝手な想像です

1499年、フランスに戻ったアンヌはルイ12世と3回目の結婚式を挙げますが
シャルル8世の時とは違い、前王妃として毅然とした態度で臨みました。
また、王に “ ブルターニュ公の配偶者 ” という称号を与え
ブルターニュ領主たる自身の権利と、ブルターニュの独立自治を強く主張します。

アンヌはかなり才知に長けていたということで、フランスにいながら
多くの時間をブルターニュの管理にあてていました。
また、イタリアでの勢力拡大を狙いスペインと同盟を結ぶため
娘クロードとスペイン王カルロス1世を結婚させようと奔走しました(これは失敗します)。
芸術にも理解が深く、タペストリーの蒐集家としても有名だそうです。

高慢で尊大なところもあったといいますが献身的な母親で
子供といる時間をなるべくたくさんとるようにしていました。
けれどもシャルル8世の時同様、ルイ12世との間にも9人の子をさずかりながら
成人したのは王女2人のみで、他は死産、夭逝しています。

アンヌは1年ほど腎臓結石を煩った末1514年に亡くなりますが
その葬儀はなんと 40日にもおよんだそうで
その後の王族の葬儀に影響を与えました。

アンヌの希望で心臓は金でコーティングされナントに供えられました。
現在はスイスのサン・ピエール大聖堂にあるそうです。

運命に翻弄され、子供を生む役目しか与えられず無為で空虚な人生を送る王妃が多い中
自分の進むべき道を見いだして主張できた数少ない王妃かもしれません。
国政に口を出して混乱を招いたりするのではなく、自分の領分を守って王を支えた
賢明な王妃と言えましょう。

ルイ12世は、イタリアを巡る神聖ローマとの戦いには敗れましたが
減税や政府の改革など進歩的な考を持っていて、政治に安定を与えた人物だそうで
こういう王と王妃が続いていたらフランス革命はおこらなかったかも…しれないですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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