仏智に照らされて
初めて
愚鈍の身と知らされる
信國 淳(のぶくにあつし)
信國 淳先生は明治37年(1904)に大分県宇佐市に生まれられました。長じて京都第3高等学校から東京帝大仏文科に学ば
れ、フランス文学がご専門の方だったのですが、ドイツ文学者で篤い念仏信仰に生きられた池山栄吉先生(1873-1938、「歎異
抄」を最初に独訳された先生)との出遇いによって徐々に他力念仏への道を歩まれる方になられ、また、多くの苦悩する青年を導
いて行かれたのでした。
信國先生が池山先生に初めて出遇った時のことを次のように記しておられます。(信國 淳著『呼応の教育』)
浄土への目覚め
そういうことで、わたしの中で動かなければならぬはずのものがついに動いたわけであります。その動かなければならぬはずのものとは、池山先生を思い出すということです。私は、念仏を通して出会った自分の精神生活を歌にあらわし、それを先生に宛てて送りました。それは「雲霧の ゆききひまなき こころぞと 知りはそめてき み名となえしより」というものです。
ちょうど年末のことで、私は年賀状の端にこの歌を書き添えて出したのです。すると折り返し先生から便りがあって、1月5日に自分のところに信仰の友達が集まるから、君もひとつ出てこんかという案内が書き添えてあったのです。(中略)
私は初めて先生のお話を親しく聞く機会をもつことができました。先生のお話はその時まで、公開の講演なんかでしょっちゅう聞いていましたけれども、親しく先生の居間で聞いたのは、あの時あの歌を縁としてでありました。
で、その池山先生という方は、私に親鸞聖人のそばへ行きなさい、親鸞聖人の教えの前にぬかずきなさいと、直接教えて下さったこの世での唯一の人となったのです。こうして親鸞聖人と私との出会いは、池山先生を仲立ちとして、はじめてわたしのために可能になったのです。
そしてその聖人のお言葉は、私が幼年時代から求めていた人間の問題に答えて下さるお言葉であった。池山先生との出会い、そして親鸞聖人との出会いを通して私は、自分の傍らにある人と自分とが一つにつながれている事実を、初めて知らされることになった。あらゆる人びとと自分とがまったく一つにつながれている世界。自他一切の、ーーーあらゆる生命、あらゆるものの一つにつながれている世界。universal unity (ユニバーサル ユニティ)の世界。
それを仏教では一如の世界というのでしょう。その一如の世界というものが、私の問い、つまり、どこでわたしどもはゆきちがいのない世界をもつことができるのかという問いに、はっきり答える世界であるということを、私は初めて教えていただいたのです。だから私にしてみると、私の師を求めたということは、実はそういう世界をこそ、私が求めていたことになるわけです。
信國先生の若き多感な頃のよき師との感動的な出遇いの時のことを記される文章を拝読する時、その直向きな池山・信國両師の
お心が慕われます。
昨年、野で採集し庭に植えた「紫露草」に花が咲きました。