’113月11午後2時46分に東北三陸沖海底に起こったマグニチュード9と云う大地震は大津波を引き起こしその巨大な津
波は東北地方海岸から房総、北海道にかけて押し寄せ猛威を振るったのでした。その津波が東北地方の津々浦々を襲う恐ろしい状
況は生々しくテレビに映し出されたのでした。それは一瞬息が止まるような惨い映像で今も脳裏から消えません。
その津波は津々浦々の街や村落を破壊し、2万人を越える老若男女の尊いおいのちが犠牲になられたのでした。またその津波は
福島県大熊町に設置されている「福島第1原子力発電所」を襲い、原発は制御不能となるほどに破壊したのでした。
自然の大災害が此の度のように原発を破壊すると云う2次の大災害引き起こしたことは初めてのことです。そう云ったことから
も此の度大地震は未曾有の大災害となったのでした。
被災の復興は諸問題がからまっていて中々前進していないように見受けられます。一刻も早く復興し、生活の場なりとも平常な
状態になることが早からんことを願っています。
今年も椿「意宇の里」がひっそりと咲いていました。
やさしい色合いとおだやかな風姿を与えてくれています。
昨日愛媛県西条市の総合文化会館を会場に仏婦研修大会が開催されました。万福寺仏婦からは引率の若院、坊守を含めて39名
が参加いたしました。
途中、海が展望できる東予休暇村に寄り昼食をとって会場へ向かいました。
東予休暇村で昼食
研修大会の総合テーマは「そっとつながる ホッがつたわる ーー結ぶ絆から広がるご縁へーー」
ご講師は茨城県稲敷市の医療法人精光会みやざきホスピタルの副院長宮崎幸枝先生が「人生の解決」ーーお浄土があってよかっ
たねーーをご講題としてお話くださったそうです。宮崎先生にはこのご講題と同じ著書「お浄土があってよかったね」が出版され
ていて、今日直面している終末医療の大切な課題に重要な指針となっています。
以下、本大会の事務局によって製作されたレジュメの講師紹介文を転載しておきます。(この文章は宮崎先生が記されたものと
思えます)
多くの患者や病院職員と接する中で、人々が人生の答え、生死の解決を聞く環境が全くないまま、人生が終わってしまうという現実を目の当たりにし、仏法の聞こえる環境を整えようと考えた。そのため平成5(’93)年から、院内に浄土真宗の布教使を招き、毎月1回ビハーラの会を開始し、患者、職員と共にご法話を聴聞し、座談会も開いている。
また、毎年1回(5月)、仏教文化を基盤とした一般公開講演会「こころの講演会」を院内で開催。
さらに平成15年(’03)年12月からは毎月1回、勤務時間外の夜に布教使を招き、患者、職員、近隣の住民も自由参加できる「歎異抄を聞く会」を始め、現在は「御文章」の講義を聴聞している。
夜の会は仕事中でビハーラの会に参加できない職員や、聴聞の機会に恵まれない地域での近隣の人々がゆっくり2時間かけて聴聞し、質問もできるという唯一絶好の機会となっている。
宗方地区参加者 野々江・浦戸地区参加者 口総地区参加者
寺庭に植わっている枝垂れ梅は咲くのが遅いのですが、2、3日前より咲き始め今朝の陽気に促されるように開いたり蕾が赤く
大きく膨らんできました。紅梅です。この梅が咲くと必ずウグイスがやって来るのです。
3/9今日が満開
3本植わっている白薮椿(妙好人)が盛んに咲いています。沢山の蕾を付けていますから当分の間咲き続けることでしょう。余
寒はまだあるものゝもう春光そのものです。
今日は愛媛県仏教婦人会の研修大会が西条市で開催されるので坊守と若院は参加者と一緒にバスで参りました。若坊守は昨日か
ら京都へ、したがって寺には私一人です。花の撮影をしたり、調べ物をしたりで久し振りに一人だけの貴重な時間を過ごしていま
す。
母の年回法要や法務で走り回っていましたら、もう3月も4日、あわてて3月の法語を読み味わっております。
参られると思うて
参れぬお浄土へ
本願力にて往生す
このお言葉は稲垣瑞剱先生の法話集からのお言葉です。
稲垣先生は播州姫路に明治18年に誕生されています。お名前は最三(さいぞう)と申しておりました。漢籍学、英文学、東西
の哲学、仏教学、教行信証を中心として真宗学を研鑽され神戸の本願寺関係学校である成徳女子学園に教鞭を取られ校長、理事長
となられたのですが、60才の折得度し本願寺の僧籍に入られ僧名「瑞劍」(ずいけん)となられました。生涯聞法の姿勢を崩さ
れず、ご縁あれば諸方へ出向かれお法(みのり)をお説きになられました。そのご講話は野球で云えば常に直球を投げられ、変化
球は投げられることは無かったように伺えます。常にご本願、お名号、ご信心、お念仏の尊さを語ることに終始され、ご讃嘆され
ることを常とする方であられたようです。
そのようなご講話、ご著述の中から今月の法語が選ばれています。
瑞劍先生が37才の時に厳父久太郎氏が逝去され、その久太郎氏の口癖であった「このままやで」と「参れると思うて参れるお
浄土ではないぞよ」のふたつを受け継がれたとのことです。(同朋舎刊『親鸞に出遇った人びと』p132)
このように信じていたら大丈夫だろうとか、このような感動や喜ぶことが出来たのだから、それを維持して行けば往生出来るだ
ろうと云うようなことでは浄土往生はかなわぬことであって、唯々、如来さまのご本願をお聞かせ頂くばかりであることをこの法
語から、益々味合わせていただくことでございます。
瑞劍先生のご長男久雄先生はロンドン大学で浄土真宗学の教鞭を執られた方で仏典の英訳の重鎮であられます。
前坊守13年回法要の仏華
昨日3/1、前坊守(私の母)の13年回法要を営ませて頂きました。祥月命日は1月15日なのですが、その頃は親戚の寺も
拙寺も多忙な時なので延修とさせていただいたことです。皆さまご多用の中を案内させて頂いた14軒22名ご参席下さいまし
た。隣寺の教善寺様がお勤めご法話を下さり有難いご法縁でした。
お花が大層好きでした母の法事ですから処々にお花を入れました。若坊守の往子さんが床の花を入れてくれました。
床の軸は前住職の「微妙音」(みみょうおん)を掛けさせて貰いました。前坊守は大正2年2月に誕生し、その7月には生母が
急逝しています。小学校3年生の大正11年秋に実父慈朗が38才で他界しました。父と結婚して2年目に恵まれた長男を昭和2
0年の8月に広島へ投下された原爆によって別れなければなりませんでした。母は元来明るくて楽しいことの好きな人間でした
が、別れと云うことに関しては異常なまでに顔が曇ることがありました。そんな母がある時ぽっつりとこのように云ったことがあ
りました。・・・・「お父さんが此処に来て下さったのは、このようにしっかりしない私にお法(みのり)を聞かせるためであっ
たのだと思っています」と、
そのことを思い出し、前住職の「微妙音」を掛けさせて貰ったのです。母が好きだった白玉椿(妙好人)も咲き始め仏華にも、花
入れにも添えることができました。
法要の記念写真、それぞれ13年の歳を重ねました。