万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

まんさく

2011年02月08日 | Weblog
                

 寺庭を見回っていると枯れ葉を付けたまゝの枯れ枝のような枝にモールのような黄金色が見えました。

もう「まんさくが咲いている!」・・・春の訪れのサインを知りました。

 「まんさく」は「満作」で黄金色の花をたわわにつけて豊年満作を心に思わせることからの意と、春真っ先に咲くことから「先

ず咲く花」の意から「まんさく」と呼ばれるようになったと2説あるようです。(『牧野植物図鑑』)

 どちらにへせよ「まんさく」の花を枯れ葉の中に知る時、こころが暖かくポーッと豊かになるようです。
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妙好人開花 

2011年02月06日 | Weblog
                 

 2/6 朝ぼらけに白藪椿「妙好人」が咲いているのが見えました。朝霜を受けながら、静かに咲いたのです。今年最初の開

花、矢張り思っていた通りこの輝く純白さはすごさすら感じます。

 寒中に咲く花は冷え込めば冷え込むほど咲いた花は綺麗になるようです。冬野菜も寒い方がうまみが凝縮されるように感じま

す。寒さも恵みなのです。
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白藪椿

2011年02月04日 | Weblog
              

 当院の椿、白藪椿「妙好人」(みょうこうにん)の蕾が膨らみ始めました。他の蕾はまだまだ固いのですが、この蕾だけはぐん

ぐん膨らんで来ました。明日にでも開くのではないかと思います。厳しい寒さでしたからきっときっと輝くような純白の花弁を見

せてくれることでしょう。

 島根大学の哲学の教授であられた川上清吉先生の讃仏詩頌に「芬陀利華」(ふんだりけ)と題された詩頌があります。お正信偈

の「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」の味わいを散文詩とされました。この芬陀利華の言葉

はサンスクリットの「プンダリーカ」の音写で意味は「白い蓮の華」のこと、仏法を純情に慶ぶ人を白い蓮の華のような人と喩え

られ、最勝人とも妙好人ともたたえられています。

     芬陀利華(ふんだりけ)
  よしあしの 間(はざま)をまよい
  より処(ど)なき凡夫(ただびと)すらや
  みほとけの
  誓いをきけば

  おおいなるみむねをうけて
  現世(うつしよ)のにごりえに咲く
  かぐわしき
  芬陀利華(しらはちす)かも

  世のひとの うちにすぐれて
  上もなき 人とたたえん
  みほとけの
  かくそは告(の)れ

 この詩頌に山田耕作さんがきれいな曲をつけておられます。

  このような味わい、イメージーからこの白藪椿を「妙好人」と呼ぶようにしたのでした。

  
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2月の法語

2011年02月01日 | Weblog


 厳寒のまゝ2月となりました。3日が旧暦の元旦、4日が立春ですがまだまだ厳しい寒さは続きそうです。インフルエンザも流

行のきざし、どうか皆様ご用心下さいますように。今のところ寺内一同元気に過ごさせていただいております。ご放念下さい。

 さて、法語カレンダーの2月の聖語ですが、表紙、1月と同じく『教行信証』の総序からのご文です。総序の最終文章の中のお

言葉です。

  遇いがたくしていま遇うことを得たり (あいがたくしていまあうことをえたり)

 親鸞聖人がこのように「遇い難くして」今「遇うことができました」と申されていることは、今まで29才になるまで仏教を学

びもし、修行をもし、念仏行をも必死で行ってきたことも本願他力の「いのち」に邂逅してみれば「太陽の光に照らされた炭火に

も等しい」目覚めであり、この出遇いは「自力無効」と打破する力との出遇いであったと伺えます。その出遇いはこの世にいのち

めぐまれた意味と、これから生きて行く方向性が明らかに見えて来ることでもあるのです。

 総序の最終文を紹介しておきます。

 ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃(せいばん)・月支(げっし)の聖典、東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈(ししゃく)に遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信(きょうしん)して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもって聞くところを慶び、獲(う)るところを嘆ずるなりと。
                                         (註釈版『浄土真宗聖典』p132)

 ∴〈西蕃月支〉とは現在のインドとパキスタン・アフガニスタン地域。 ∴〈東夏日域〉とは中国と日本。

 人知ではとうていはかり知ることのできない、いのちのうねりを、輝きを知らせんとして南無阿弥陀仏とそれぞれのいのちの上

に顕れてくださってある「おいのち」に今遇わせていただいていることを、この総序のご文から味あわせていただくことでござい

ます。
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