境内の「胡蝶侘助」椿が一輪、二輪と咲いています。
侘助椿と呼ばれて来たのは最初はこの「胡蝶侘助」を指していました。何年か前に京都紫野大徳寺へ参じる機会があった時、折
良く塔頭総見院の拝観ができて庭の中央部に豊臣秀吉が主君織田信長公に手向け植えた「胡蝶侘助」に見えることができました。
相当高く繁茂していたとのことですが、今は大風のために途中から折れて低くなっています。ですが残された幹は相当に大きいも
のでこの「胡蝶侘助」が一番古いものではないかとのことです。
この胡蝶侘助が侘助と呼ばれている椿の中で一番小さい花であろうと思います。所謂侘助咲きをした花長は1.5~2㌢くらいしか
ありません。他の侘助椿もみな小振りな椿なのですがそれでも2.5~3.5㌢くらいはあります。小さく目立たないようにひっそりと
咲いている様を奥深い山辺の侘家につつましく生きている人になぞらえて「侘助」と呼ぶようになったと云う説と秀吉の朝鮮出兵
の折、侘助と字されていた将兵が朝鮮から持ち帰った椿だから「侘助」と呼ばれるようになったと云う説があります。
今日侘助と呼ばれている椿は沢山あります。万福寺の境内や庭でも10数種あります。これらは一様に小振りで筒咲きと云う特
徴を持っていて静謐感があり、控えめと云う品が感じられます。ですから「侘助」の由来は「わびた椿」から来ているのではない
かと思っています。