今年も師走を迎える頃となりました。光陰矢のごとし、アッという間に一年が過ぎて行きます。この法語カレンダーの所感文の記述も、もう少し読みやすく味わい深かくと、思いながら最終月となってしまい、悔恨の念がしきりにおこって来ます。申し訳ありません。
今回のご法語は板東性純(ばんどうしょうじゅん)先生の
永遠の拠り処(よりどころ)を 与えてくださるのが
南無阿弥陀仏の
生活である 板東性純
今年最後の12月のご法語は板東性純先生のお言葉から選ばれています。板東先生のお生まれになられた、そしてご住職をつとめられたご寺院は東京の板東報恩寺と呼ばれている古寺名刹です。このように称されているのはこの御寺の開基は親鸞聖人の高弟24輩(にじゅうしはい)の第1番の性信房によって下総横曽根に開かれています。この寺に親鸞聖人のお直筆の「教行信証」(国宝、現在は東本願寺蔵)が近世まで伝蔵されていたのです。
その報恩寺の板東性純先生の法語、「永遠の拠り処」とは私たちの日々の日暮で当てにしているものは案外数年の働きであったり、壊れてしまったり、色あせてしまったりするものに心がいつも向いているようです。ですからいつもこれらによって憂悲苦悩を引き起こされていると云えましょう。「永遠の拠り処」とは過去・現在・未来にわたって変わること無く値打ちの変わらないもの、それは「お念仏を申す日暮」しかないことを申して下さってあるのです。
親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのことみなもて空ごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにおはします」(歎異抄)
この歎異抄の聖人の究極ととも云えるお言葉と板東性純先生のご法語を、合わせて味読してみて下さい。
板東性純先生は私(住職)が小学校5、6年生の頃の夏休みのある日、東京大学のインド哲学科の学生3人がインド仏跡を16ミリフイルムに撮影して寺々を巡回されたことがありました。そのメンバーのお一人が板東性純先生であられたのです。昭和28、9年頃にインド仏跡を探訪することはほとんど冒険的な旅行であったことでしょうが、16ミリ撮影機を持参して記録されたのでした。昭和56年6月の仏婦法座にお越し下さいました花山勝友先生もその時のメンバーのお一人であられました。今、60年前からのご因縁の浅からんことを回想し、お念仏申させていただいております。
これで、本年の法語カレンダーの感話を終えることにいたします。また、来年の法語について味わう処をお話させていただくことにいたします。