先日画像のような法話集をいただきました。著者は広島県江田島市の教法寺前住職鷹谷俊昭師です。『三分間真宗法話365』
と題されているように1頁に1篇のご法話が365篇、365頁に纏められています。1篇1篇珠玉のお言葉でハッとするようなお言葉が綴られています。
百数十年前から江田島、能美島、音戸辺りの浄土真宗寺院では常朝事と呼ばれている毎朝の勤行に続いてご法話が語られてまいりました。1年365日、休みなしにです。毎朝数十人の参詣者があるとのことです。尊い習慣が続けられていることに頭が下がります。ご住職、坊守さまの忍耐と努力なしにはあり得ないことです。
教法寺の前住職鷹谷俊昭師は東京生まれ、東京の武蔵野女子学院に勤務されていましたが教法寺住職を継職の為帰山、常朝事も継職され勤められて来られました。この集はそれをまとめられた法話集で今回で7冊目になります。長年にわたるご努力と熱意に唯々敬服いたします。
随分以前にお聞きしたことですが、東京時代、小学校の同級生、同窓生に詩人の谷川俊太郎氏や共産党委員長であった上田耕一郎氏などがいるとのことで影響し合っている面もあるのでしょう、内容が広くて深いものになっています。
『真宗法話365』から1篇を紹介させていただきます。
有為の奥山
いろは歌の後段は「有為の奥山今日越えて」です。有為とは様々な条件、因縁によって生じ、変化し消えてゆくもの、現象のことです。この人間の世界はまさに有為の世界です。そこに苦しみ、悩み、争い、憎しみが生まれます。それを越えることは甚だ難しい、ですから奥山で、越えた先にある行くべきところ目標とそれにいたる道筋を見、一歩踏み出す意義と、喜びの心が現れています。
奥山というところだけを見ると徳川家康の道訓と言われている、人の一生は重荷を担うて遠き道を行くが如しというのにも似ていると思いますが、ここでは急ぐべからずと続き、急いては事を仕損じる、と徐々に着実にというに過ぎません。それも悪いことではありませんが、そうすればいつでも誰でも家康のように天下が取れるわけではありません。むしろ家康は、自分のほかに天下を取る人が出ては困るのですから、これは万人の目標とは言えないのですし、この言葉を悪く考えればそのうちにどうにかなるさという程度にしか受け取れません。
そんな目先のことではない、浅はかな迷いの快楽、一時的な希望に溺れる夢は見ない、独りよがりの酔いにふけることがなくなるのが仏道です。(3月23日の項より)
このように仏教の広い味わいが365篇収録されています。もし求めたい方がおられましたらご連絡ください。
出版社は京都市下京区七条大宮東入大工町124-1 探求社です。