
自照舍の足利浄円先生が拙寺にご出講下さいましたのは、講師録によりますと昭和27年14日、15日の二日に亘ってのことであったことが記されています。ご住所は広島県豊田郡東野村生野島とありますから、生野島にお住いの頃であったことが分ります。多分紺屋の木村誠一先生の懇望によってのご来山であったのでしょう。
講師録には独特のてらいが全く感じられない枯れた筆跡で「足利浄圓」と署名し、讃題の項にただ「自然法爾」とのみご記帳されていました。
いただいた「離僧離俗」の中に、昭和26年に多分身重になられた龍山壬生子様に宛てられたお手紙が紹介されていました。それは浄土真宗では依用しない「般若心経」の陀羅尼「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボヂソワカ」を他力念仏で味わっておられる内容であることには驚くとともに仏教を広く深く偏見なく味わっておられますことに襟がただされます。
お浄土へ 渡れるか渡れるか
渡れるかもしれぬ
渡れそうな渡れそうな
とうとう渡れたではないか
南无阿弥陀仏
病気は よくなるかよくなるか
よくなるかも知れぬ
よくなりそうな
よくなったではないか
お産は うまれるかうまれるか
うまれるかもしれぬ
うまれそうなうまれそうな
うまれたではないか
母性は 母になれるか母になれるか
母になれるかもしれぬ
母になれそうな母になれそうな
母になれたではないか
(一部をご紹介してみました)
陀羅尼文をこのように解釈し味わったものを今まで他に見たことがありません。
優柔な水のようなお心ですね、
講師録には独特のてらいが全く感じられない枯れた筆跡で「足利浄圓」と署名し、讃題の項にただ「自然法爾」とのみご記帳されていました。
いただいた「離僧離俗」の中に、昭和26年に多分身重になられた龍山壬生子様に宛てられたお手紙が紹介されていました。それは浄土真宗では依用しない「般若心経」の陀羅尼「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボヂソワカ」を他力念仏で味わっておられる内容であることには驚くとともに仏教を広く深く偏見なく味わっておられますことに襟がただされます。
お浄土へ 渡れるか渡れるか
渡れるかもしれぬ
渡れそうな渡れそうな
とうとう渡れたではないか
南无阿弥陀仏
病気は よくなるかよくなるか
よくなるかも知れぬ
よくなりそうな
よくなったではないか
お産は うまれるかうまれるか
うまれるかもしれぬ
うまれそうなうまれそうな
うまれたではないか
母性は 母になれるか母になれるか
母になれるかもしれぬ
母になれそうな母になれそうな
母になれたではないか
(一部をご紹介してみました)
陀羅尼文をこのように解釈し味わったものを今まで他に見たことがありません。
優柔な水のようなお心ですね、