万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

則我善親友(そくがぜんしんぬ)

2010年07月21日 | Weblog
 昨夕、大三島の盛(さかり)の西光寺さんのご住職さんが来山あって「これ出来ましたので・・・」と三原市高坂の臨済宗仏通寺派の本山仏通寺の機関誌「仏通」を態々お届け下さいました。
 約一ヶ月前、ご住職にお会いした折に「仏通」に原稿を書くのですが万福寺に懸かっている「則我善親友」について書いてみようと思っていますと云うことでありました。
 早速読まして頂きましたが、これはこれは恐れ多いことで、お尻がむずむずするような、汗顔のいたりと云うべきです。ですが、一部分をご紹介しておきます。

 此地大三島には、曹洞宗寺院6ヶ寺、浄土真宗が4ヶ寺ある。その4ヶ寺の中に、自坊から車で15分位で口総という地に、万福寺という寺がある。
 小生が30才前後のことだったと記憶しているが、家族4人で細やかな食卓を囲み、父親が万福寺さんを訪問しての時を喋っていたことが思い起こされる。
 「万福寺さんを訪うと、いつも寺族総出で歓待して呉れるんだ。住職夫妻と御隠居夫妻そして子供さん達も。良い家族だぞ。玄関に則我善親友という扁額が懸かっとってなぁ。これが実に良いんだ。3代前の住職さんの筆らしいが、良いんだよなぁ。儂を出迎え応援してくれること、正にこの言葉の如くよ。寺はこうでなくっちゃいかんよな。禅寺ときたら、どうも総じて素っ気無い」とだれに云うともなく語っていた親父が懐かしい。
 (中略)
 やはり、物より人ですよね。先ずは私め住職自身が、率先垂範せねばならぬ。自己の意識改変だ。目指すは、則我善親友の則(あるいは即)だ。
 この則という文字、「・・・であったならば、則ち・・・」といういみがあり、その前の言葉が予測される。則我善親友の出典は、浄土三部経の中の一つ、大無量寿経である。則の前の言葉は、聞法能不忘。見敬得大慶。(法を聞きて能く忘れず、見て敬い得て大いに慶ばば)となっていて、端的に言えば「私(釈尊)の説く法をよく理解したならば、そなたは善き親友である」ということだ。(中略)
 小生の目指す則は、恬淡純一(てんたんじゅんいつ)にして稚気があるということ、さっぱりした気性で、偽りや飾りっ気がなく童心を備えている、ということである。
 平成4年満90歳で逝去された、万福寺先代浅野三智和尚。大人の風格を有ちつつ、稚気のひとでもあった。自筆の原稿を拝読する機会があったが、稚気溢るる純美なる文字であった。また出棺前に拝見したお姿の何とも神々しくあられたこと。旅立ちの純白の涅槃衣に身を包んだお貌は、まさに純一そのもであられ、私の脳裏に深く刻まれて、忘れることが出来ない。
 この三智和尚、エスペラント語の大家であり、同じくエスペラント語に堪能であられた禅家柴山全慶老師(南禅寺管長)とも親交があったことを付け加えておこう。(以下略)

 西光寺ご住職照峰馨元師は現在仏通寺派の本山で管長代務・宗務総長と云う重職にあられます。お互い随分と若い頃よりの知己です。この度、お書き下さった佳文、有難く、厚くお礼申し上げます。

 
 
コメント
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