SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画「さよなら、僕らの夏」~ どっちがイジメっ子?

2006年08月03日 | 映画(サ行)
 夏の終わりのほろ苦さが漂ってくる作品。イジメっ子に対するちょっとした制裁のつもりが思わぬ事故に発展する。

 チラシにあるように「スタンド・バイ・ミー」に比肩するような作品ならば、もう少し公開形態も考えられたのだろうが単館レイトショーもやむ無しというところか。極めてまじめに直球を投げられたようで、映画的な興趣がない。

 配役は悪くないし、少年、青年がそれぞれにトラウマを背負った設定も映画を膨らませる要因になりうるのだが、それが膨らまないままに終わってしまう。

 イジメっ子と言っても腕力勝負のガキ大将風である。誰かとつるんで陰湿なイジメを先導するわけでもなく、むしろ群れからは離れて一人で遊んでいる。デブの留年生で、言動はエキセントリック、確かにイヤな奴で、腕力も強い。だけどそんなに悪い奴ではないのだ。

 日本なら、むしろこちらの方が皆から嫌われて無視され、イジメの対象になってしまうのではないか、と思うほどである。

 体の小さな主人公はいつも理不尽にイジメられているという設定だが、画面で表現されるのは主人公がイジメっ子のビデオカメラを勝手にいじったために暴力をふるわれるシーンのみである。イジメっ子はこのビデオカメラを非常に大切にしており、理由がないわけではないのだ。

 逆に制裁をたくらむ主人公の兄の友達グループはイケメン揃いで、けして苛めを受けるタイプではない。どうも、どちらが苛められているのか分からなくなってしまう。

映画「イノセント・ボイス」~ 生きてこそ!

2006年08月02日 | 映画(ア行)
 
 世界は知らないことだらけだ。驚きに満ちた世界ならまだしも、「悲惨」に満ちている。この映画の現実が1980年代の出来事だと知って愕然としてしまう。

 赤紙が来て家族との別れが・・・・、というのは大戦中の日本の風景。この映画の場合は普通に学校に行った小学生が、その学校で家族さえ知らない間に軍隊に取られてしまうという世界なのだ。

 エルサルバドル政府の、農村に対する圧制に耐え切れず蜂起したゲリラとの15年に及ぶ内乱。ゲリラの根を断ち切るには子供の内に政府軍の兵として訓練してしまおうというわけだ。12歳になるとその子供狩りの対象となる。

 クラスの女の子に対する淡い思いも持てば遊びにも興じる、どこにでもいる普通の子供たちだ。だけど家にいて食事をしていても眠っていても、いつ銃撃戦が始まり弾丸が壁を突き破ってくるか分からない毎日。
 そこで徴兵を逃れるには先手を打ってゲリラの側に志願するしかない。しかし敵国のある戦争ではなく内乱、戦う相手は同胞なのだ。同じクラスに学んだ子供同士が銃を向け合う可能性もあるわけだ。

 劇中でゲリラ兵が奏でるギター曲や、子供たちの飛ばす色鮮やかな「紙ホタル」(極小サイズの熱気球だ)が闇空に消えていく風景に詩情が漂う。

 主人公の少年は危機一髪のところで難を逃れるが、これはけっしてご都合主義ではなく脚本を担当したのオスカー・トレス自らの体験に基づくものらしい。そうやって生き延びたからこそ、観客はこの現実を目にすることが出来るのだ。

 たまたまこのストーリーを語るのは自分になったが、これは他の誰になったかも分からない・・・・という意味のナレーションが最後に流れる。
 まさに生きてこそ!の、奇跡の物語なのだ。

映画「ゆれる」~ 完璧な間

2006年08月01日 | 映画(ヤ行)
 またまた凄い映画が出て来た。娯楽として見るには重いが、良質な作品を求める目の肥えた観客が多いということか、大変な混雑だ。

 西川美和監督は前作の「蛇イチゴ」に続き家族をテーマに描いている。ややコミカルな要素もあった前作に比べて、今回は兄弟の心の葛藤が一分の隙もない息詰まるような描写で迫ってくる。とくに兄役・香川照之の演技は圧巻。

 面会室でのガラスを隔てた弟役オダギリジョーとの二人芝居は表情も台詞も心理の流れを表現し尽くして素晴らしいし、なにより、ほとんど完璧な間が長く張り詰めた緊迫のシーンを作り上げている。ここでは手持ちのカメラが「ゆれる」。

 7年の経過が字幕で示された後、ややテンポが落ちるのが気になるがラストの微妙な邂逅の意味は観客の想像に任される。

 必見の作品。将来、「名作」と呼ばれるだろう。