奄美、バハマ、ハワイ、インドネシア、プエルトリコと脈絡無く続く”島の音楽シリーズ”であります。
さて島歌といえば沖縄。
あれは80年代になるのか、沖縄の島歌の形を取り入れた”島歌”なるエスノなロック曲(?)をザ・ブームの連中が発表した際、あれは確か沖縄島歌界の大物、知名定男だったと思うんだが、「他の土地の人は、怖いもの知らずでこんなタイトルの歌が作れるんだねえ」と苦笑まじりの談話を発表していたと記憶している。
まあ、そりゃそうなんであって、”島歌”を活動の舞台そのものとして生きている人たちが”島歌”なんてタイトルの唄を作るなんて発想としてもないでしょうな、確かに。
知名の談話の中には、楽しみにしていた”一番おいしいところ”を通りすがりの人間にいきなり食い逃げされてしまった者の当惑みたいなものが漂っていて、奇妙なユーモアを感じさせたものだった。
当時、あの唄に対する沖縄の人々の反応に興味があって新聞の切り抜きだの取って置いたんだけど、いつの間にか散逸させてしまって残念。とりあえず、「最初は”沖縄の島歌の本質も知らないであろう内地の人間が勝手な歌を作って”と反発を感じていたんだけど、この頃では結婚式などでも歌っている」なんて沖縄のおじさんのコメントはなかなか面白かったものだ。
”現地の人たちはどう思っているのか?”は、ワールドものに興味を持って聴いている者としては常に気になるところで、昔から私がたびたび持ち出しているネタなのだけれど、”オールド・ディキシーダウン問題”というのがある。
あの70年代ロックの最高峰、”ザ・バンド”に”オールド・ディキシーダウン”って曲があり、それは要するに南北戦争で北軍に打ちのめされた南部人の恨みつらみを歌ったものなのだが、なにしろ歌っているザ・バンドは5人のメンバー中4人までがアメリカ人ではなく、カナダ人なのである。
あの歌を聴いた南部の、それもゴリゴリの郷土意識に凝り固まった人なんかはどんな感想を持ったのだろうか?と、このあたりが気になって仕方がない。「南部魂に関して、お前ら余所者が分かったような事を言うな」なんて反発を呼んでいるケースだってありうるだろう。
この質問、あるアメリカ音楽通の音楽ライター氏にぶつけてみたところ、「あれを歌っているのはメンバー中ただ一人のアメリカ人であり、それも南部訛りの強烈な唄いぶりなのであって、それゆえ、特に問題も生じていないようだ」とのことだったが。
いずれにせよ、ザ・バンドのアメリカの田舎の香り漂うあたりが売り物のサウンドを好んで聴いていたのは、とうの”アメリカの田舎”在住の人々ではなく都会在住者であったのだろうな、とも思え、このあたりの調査の数字など見てみたかったりする。
その辺の狭間を縫って”余所者”のバンドが来たりて、ちゃっかり”島歌”をものにしちゃったりするわけで。
で、その一方で文明に汚染されていないはずの田舎の人々は、衛星放送で仕入れた情報から、ニューヨークとかの最新情報に興味津々だったりする。
この辺の行き違いが妙に面白かったりするのですな。いや今回、説明の要領が悪く意味不明の部分も多かったかも。いずれ何とかします。長~い目で見てください。ホイホイ。