”Islands”by Cyrus Faryar
奄美島歌、バハマのギタリストと並べてみたら、なんとなく流れで”島の歌を歌う人々”の特集をはじめてみる気になっている。まあ、夏らしくて良いじゃないか。
そうなると、まず挨拶を通しておかねばならないのがサイラス・ファーヤーである、私の場合は。
サイラスは1970年代初めに地味に活躍し、2枚の”幻の名盤”をそっと時代の片隅に残していったアメリカ(一応)のシンガー・ソングライターである。まあ、それ以外にも仲間と作ったコーラスグループでの活躍もあるのだが、そいつはこっちへ置いておく事とする。
ともかくこの人のアルバムは手に入りにくくてね、つまりは本国アメリカでろくに売れちゃいなかったから、盤の絶対数が少なかったって事なんだろうが、当時はそこまで気が廻らず、盤の入手困難の現実は即、サイラスのミュージシャンとしての神格化に寄与した。
サイラスはイラン人の父と英国人の母との間に生まれ、父親の仕事の都合で世界各地を転々としつつ育った人物で、とりあえずハワイの地を永久の住処と定めたようだが、まさに生きたワールドミュージックみたいな存在といえよう。そんな彼のライフストーリーは彼の音楽にも大いに影を落とし、不思議にエキゾティックな感触を作り出していた。
サイラスの2枚目のアルバムである、この”アイランド”は、そんな彼の魂の故郷ハワイ、をとりあえずの舞台に、だが音楽そのものはハワイ音楽というよりはもう少し漠然たる定義を行った方が適当だろう。太平洋のただ中の”海流の中の島々”にイメージを託し、展開してみせた彼の音楽による文明批評のための幻想空間とでも言うべきものとなっている。
展開されるのは、ハワイ音楽とは似て非なるもの、むしろ根底には、60年代ニューヨークのフォーク・シーンでユニークなギタープレイを売り物に、独特のブルージィな音楽を展開していたフレッド・ニールあたりに親和性がある気がする。フレッド・ニールについてはこのアルバムでも、名曲”ドルフィン”がカヴァーされているが。
あるいは独特の書き割り的南国楽園音楽を創造して見せたマーチン・デニーなどにも通ずる感覚もあるようだ。
過酷な現実と断絶されたその場所。時の止まったような世界は静けさと安らぎと、そして奇妙な淡い悲しみに満たされている。
広大な海の広がりと空を紅く染めて沈み行く夕日のイメージ。まるで巨大なバスタブと化したかのような幻想の中の大洋。浮かぶ島々は、人々がそれぞれに心に抱いた孤独の表彰だろうか。
終盤に歌われる、ハリー・ニルソン作の「パラダイス」の、”楽園としてのポップ・ミュージック”そのものを体現するかのような愛らしいメロディが切ない。ニルソンがこの世を去ってすでに久しい今となっては。