ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

奄美新民謡に触れる・1

2008-01-14 03:24:25 | 奄美の音楽


 奄美話が続いて恐縮ですが。まあ、奄美の音楽に興味を持ち始めて、その関係のレコード店の通販サイトなど覗きだした頃ですよ。当初の目的である民謡のコーナーの下に、なにやら面妖な”新民謡・奄美歌謡”なんてコーナーがあるわけです。こりゃなんだ?と。

 そちらをクリックしてみると、「奄美の女」「名瀬セレナーデ」「アダン花」「奄美エアポート」「徳之島小唄」などなど、奄美のエキゾティックな側面を強調した作風の、まあ言ってみりゃベタな観光ソングか?とも思われるタイトルの曲が収められたアルバムが並んでいる。

 その中に私なんかの世代には”子供の頃に三沢あけみの歌で聞き覚えのある曲”である「島育ち」なんて曲も混じっているのを見つけ、ああ、バタやんこと田端義夫が盛んにレパートリーに入れていた”奄美の島歌”とは、この辺のもののことだったんだな、と知る訳です。

 アルバムを取り寄せて聴いてみると、特に奄美の伝統音楽色は濃厚に感じられない、古いタイプの歌謡曲といった佇まいです。

 この辺がちょっと面白いなあと私の嗅覚が反応した次第で。”奄美ローカルの大衆歌謡”が2重に存在しているようだ。しかも、どちらもある意味、偏った存在の仕方で。
 片や純民謡(?)は、なにやら万葉の時代まで遡ろうかと言うアルカイックな様式美の中に立てこもり、もう一方の新民謡なるものは逆に妙に愛想良く、”そてつの実”やら”奄美ハブまつり”やらとご当地名産品を差し出し、物見高い観光客の欲求に応えてくれる。曲も歌いぶりも非常にベタに歌謡曲、歌詞も標準語であったりする。

 通販サイトに記されていた解説には、

 ”新民謡とは、大正末期から昭和の初めにかけて全国的なブームを呼んだご当地ソングの総称である。奄美の新民謡は、1.戦前期  2.戦後のアメリカ支配期 3.奄美ブーム期 三つの時代があった”

 とあります。

 この文章によると新民謡なるもの、特に奄美特有のものでもないようで。戦前のある時期、”新民謡”は日本各地に普遍的に存在したもののようだ。
 こいつは調べて見る価値ありかと思えます。今の耳で聴けば古いタイプの歌謡曲と聴こえちゃうんだけど、当時は日本の民衆の心を時代の先端の表現で語ろうとした斬新な試みだったんじゃないのか。本土では、どのような新民謡が作られていたんだろう。

 問題はその後、記されている部分で言えば2と3、”2.戦後のアメリカ支配期 3.奄美ブーム期”なのでしょう。本土ではそのまま忘れ去られてしまった新民謡だけど、奄美においては2度目、3度目の波が来ている。それゆえにリアルな手触りを持って新民謡は奄美の大衆文化の中に生き続けたのではないか。
 もちろんその後、奄美にも本土と同じく欧米化されたポップスも流入しているのでしょうから今日の新民謡、微妙な立場であるかと思われるんですが。

 ともあれ結果的に奄美の新民謡、非常にユニークな形で東アジア大衆歌謡連続帯の一隅にユニークなポジションを占めてしまっていると思われ、私としては、追いかけてみようかななどと考えたりもしている次第なのであります。

長雲ぬ坂よ

2008-01-11 04:17:22 | 奄美の音楽

 シンクロニシティとかって言うの?その種の神秘ネタってなにも信じていないんだけど、なにごとかに興味を持ったとたんに、その関係のものに妙にぶち当たる、なんてことは時に、ありうる。
 今回も。なんとなくつけていたテレビの、真夜中の名も知らない音楽番組で奄美の小特集など今あったばかりなんでちょっと驚いてしまった。

 まあ、番組の内容と言っても、”東京で夢を抱いて頑張る奄美出身のミュージシャンの卵たち”なんて、ありがちな青春群像ものであって、特に見るべき部分もなかったのだけれど。それでも、中村瑞希が地元の民謡酒場のような場所で三線を弾いて歌う姿をほんの数秒だけど見ることが出来たのは見つけものだった。

 で、先日、ここに書いた話の続きになる。これはなあ・・・後々、奄美の音楽についてもっと知識を持てたら「なんてピントはずれなことを書いちゃったんだろう」と反省すること必至の文章になるんだろうが・・・
 まず、オノレの書いた文章を引用するけど。

 >想像していたよりも”南島”の感触はない。むしろ、どこだっけなあ、
 >奄美島歌の歌詞に関していろいろ検索しているうちに出会った”万葉”って
 >言葉がふさわしい、なにやら柳田国男の民俗学本とか引っ張り出したくなってしまう、
 >古代日本に通ずる感触を受け取った。つまり南へ向う横の移動感覚よりも過去に
 >向うタイムマシン感覚。

 >歌詞について、もっと知りたいと思った。能なんかに通ずる幼形成熟的美学で
 >出来上がっているようで、こいつは突っ込めばかなり面白い世界が見えてくる
 >のではないか。
 >なんとなく以前より曲名だけ知っていた” 上がれ世ぬはる加那”をはじめ、
 >歌詞の意味が今では良く分からなくなってしまっている歌も多い、などと知ると
 >ますますムズムズするものを覚え。

 手探り状態で、届いた若干のCDを聴き進んでいるのだが、上に述べたような想いがますます膨れ上がっている状態だ。

 まず気になったのが歌詞のありようだった。急峻な坂道は彼岸へと至る渡し舟であり、船の艫に留る白鷺は神の化身である。そんな世界が、アルカイックというのか、シンと澄んだ余情を持って歌われる。

 例の”梁塵秘抄”などを想起させる、中世歌謡などまでも遡っていってしまうようなモノクロームの幻想を孕んで、時の流れにはむしろ竿差し、森羅万象に宿りたもう神々の隣に歌は存在している。
 歌を歌うという行為が、それらの神々とともに暮らしていた上代の人々との魂の交流を目的としているかのようだ。

 どうしても比べたくなってしまうが、沖縄の音楽などに見受けられる現在進行形の現実との関わりよう、あのようなものとは別の方向に歌が存在している。

 ひょっとしてそれは、あの”新民謡”なるものの存在が大きく作用しているかも、などと恥のかきついでに書いてみる。
 本土の普通の歌謡曲のようなフォームを持ち、標準語で歌われる、ある意味、外向きの奄美の歌。古くからの民謡ではなく、奄美における、より”今日的”な歌謡の創造として(それは、もはやアナクロの影が差しつつありはするのだが)世に送り込まれた大衆音楽。

 奄美における”世につれる歌”の役割は、あの”新民謡”が負い、何か別の祭祀を、純正民謡(?)は受け持っているのかもなあ、などと右も左も分からないうちにとりあえず想像してみる。あとで「なんてピント外れを言ってしまったんだ」と頭を抱えるかもしれないが、その時はその時である。

 とりあえず、本土においても沖縄においても事実上失われた音楽たるド歌謡曲たる”新民謡”が、そのハザマの奄美で不思議な形で息ついている、そのことだけでも十分面白い。あの音楽、当初想像したような”民謡のサイド・メニュー”以上の存在であるのは確かなようだ。
 なんて事を書いても、ほとんどの人には何の話やら分からないだろうなあ。意味不明の思い付きを書いてみただけです、お許しを。

この手のひらのミシシッピィ

2008-01-10 03:48:02 | 北アメリカ


 ”We'll Never Turn Back”by Mavis Staples

 ゴスペル・ファミリーコーラスのステイプル・シンガースといえば、かなり激渋の物件であり、私も熱心なファンであったとは言いがたいが、年に何度か父親の奏でる味わい深いギターの爪弾きに導かれて響き渡る娘たちのソウルフルな歌声を、ある種の渇望といった勢いで聴きたくなる夜などはあった。

 その一家の長姉、メイヴィスが昨年の春にソロアルバムを出していて、これはなかなかに感動ものなのだった。

 歌われているのは、彼女も音楽家として活動する上で深く関わっていた1960年代の黒人たちの公民権運動の中から生まれてきた歌ばかり。どれも彼女の自家薬籠中の、というべきか強力にゴスペル臭ただようものである。当時、黒人たちがそのような社会運動に関わるにあたり、黒人教会が果して来た役割を偲ばせるものがある。

 もう70歳に手の届こうかと言うメイヴィスの歌声は、若い頃のパワーは失われたものの、より懐の深い滋味に満ちたものとなっており、その時代の黒人たちの思いを包み込み、ダイレクトに今に伝えるが如くである。
 実に味わい深い歌声なのだが、しかしなぜ彼女は今、40年も前の歌を引っ張り出さねばならなかったのか?老境に至って抱いたノスタルジーから?いやいや・・・

 「私たちは二度と引き返さない」とあえて歌われねばならないのは、時のうねりの底で彼女らを昔と同じ状況に押し返そうとする力が台頭しているのを、彼女の芸術家としての感性が無意識に嗅ぎ取っているからだ。

 それは、ロック・ミュージシャンが何かというと「ロックンロールは決して死なない」と叫び歌う理由が、ロックンロールが死ぬ恐れがある、あるいはすでに死んでしまっているからであるのと同じこと。

 メイヴィスの音楽家としての感性は、やって来ている昔と変わらぬ辛い時と、それに飲み込まれぬために再び戦わねばならぬ戦い、そんな時代の到来の予感を魂の深いところで受け止めた。
 だから彼女は、これらの歌を歌わずに入られなかった。「我々はそんな暗い流れに決して敗れはしない。恐れることは無い」と人々に伝えるために。

 私にはこのアルバムがそう聴こえる。

 おりしも、増税に喘ぐ我が日本国民の上にこれから、諸物価値上げの大嵐が吹き荒れると、ラジオで経済評論家が語っていた。耐えられるのか、私たちの背骨は?
 さて。ゆるんだ靴紐を結び直して、冷戦下、ベルリンであの男が言った言葉でも真似て呟やき、立ち上がろうか。「自分もまた一人の、ミシシッピィで綿摘む農夫である」と。



ナイジェリア盤再発に乾杯!

2008-01-09 01:32:46 | アフリカ


 下は、”2007年にリリースされた再発盤(リイシュー盤)の中から、 「これはスゴかった」「この再発には泣けたゼ」と思われるアルバムを 10枚選らんで下さい”とのアンケートに対する回答です。
 ちとルールから外れた回答だけど、こんな表現しか思いつかなかった。AYINLA OMOWURAって、我が最愛の歌手なんだよな~。
 それにしてもナイジェリア盤、ともかく手に入りにくいんだよ~。現地に行った人にも難しいってんだから弱ったものです。なんとかならんかの~。

 ~~~~~

☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ CHALLENGE CUP 1974
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ OMI TUNTUN TIRU
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ ABODE MECCO
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ OWO TUTUN
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ AWA KISE OLODI WON
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / EGBE PARKERS
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / OGUN LONILE ARO
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / PALUDA
☆ YUSUFU OLATUNJI & HIS GROUP / BOLOWO BATE
☆ YUSUFU OLATUNJI & HIS GROUP / O'WOLE OLONGO


 かっては実現の可能性もなさそうな、単なるジョークにしかならなかった、アフリカはナイジェリアのイスラム系ポップス、”アパラ”や”フジ”や”サカラ”の70~80年代(全盛期!)のアルバムのCD再発が、なんと現地において着々と進んでいた!これは嬉しいニュースでした。
 もっとも、はるか彼方の、なおかつかなりワイルドな(?)リリース事情の国の事とて、現物の入手も困難を極めるのだけれど。
 そんな訳で上に挙げたのはあくまでも順不同。入ってきたリリース情報をコピーしただけで、入手出来なかった盤もいくつか混じっています。日本のレコード会社は出して・・・くれるわけ無いかぁ。

 ~~~~~

今年もNYロックフェスは

2008-01-07 23:48:43 | その他の日本の音楽


 見ても不愉快になるに決まっているんだからよせばいいのに、今年も見てしまったユーヤさんプロデュースのニューイヤーズ・ロックフェスのテレビ中継。
 いやいや今年は”ニューイヤーズワールドロックフェスティバル35”なる名称が正しいんですな、これは失礼。

 始まった頃にはそれなりの意義を感じ取れなくも無かったんだけど、いまや漂うは腐臭のみですな。やってる音楽はどれも空疎な十年一日の繰り返しだけ。新しい発見なんかかけらも見つからない。それどころかシーナ&ロケッツなんかは「進化を拒否する」なんてコメント発していたんで呆れてしまう。ロックってそんなもんでしたか。

 などと毎年、文句ばっかり言っているんだからテレビで中継なんか見なけりゃいいのに、何で見てしまうんですかねえ。
 まあ、癖のものなんでしょう。第1回の中継から毎年、見続けてきたんだから我ながら呆れますわ。

 今年は”地球温暖化を考える”とかがテーマとなっているらしい。とはいえ、何か格別な動きがあるでもなし。ミュージシャンが出番前のインタビューで「このままじゃいけないんで、俺たちの力で小さなことからやって行きたい。それじゃ行くぜ!イェ~ッ」とか言うだけで、まあ、確かに小さなことですわ。

 つまりそんな看板を掲げてみることで箔を付ける、ユーヤさん一流の権威主義なんでしょ。海外からの中継を組み込み、”国際化”を謳うのも同じことで。

 そして昨年(一昨年だったっけ?毎年、同じような感じなんで区別がつかないよ)見ていて腹が立った件、つまり中国や韓国のミュージシャンに対しては勝手に”兄貴分”の位置に居座り”指導”してやったり”お褒めの言葉”を偉そうに下す、そんな日本側の姿勢は相変らず。

 かと思えば出演バンドの一つがアメリカのマスコミに取り上げられたと言っては、はしゃぐ。同じアジア人に対しては居丈高に振舞うが、白人に頭を撫でられればシッポ振って大喜びかい?

 絵に描いたようなアジア蔑視と欧米追従。
 なんだよなんだよ。ロックンロールは教えてくれたんじゃなかったのか、そんな薄汚いものの見方には唾を吐きかけてやろうと。
 なんか強力に空しくなってきたんで、この辺で。まあ、来年もきっと悪口書く事であろうし、ね。いいや今年はこのくらいで。それでは、腐り果てた日本の”ロック”よ、それまでグッバイ。

 ~~~~~

 ロックンローラー・内田裕也が中心となる恒例の年越しイベント「ニューイヤーロックフェスティバル」=写真はパンフレット=の模様が、1月8日深夜にフジテレビで放送される。

 今年で33回目。31日から1日にかけ、東京・浅草ロック座、韓国・ソウル、中国・上海で同時開催される。上海は2年連続で、内田は「今年は反日デモがあったけど、ロックは国境を超える文化。こういう時こそ交流が必要だ」と語る。

 上海ではジョー山中、ソウルでは白竜らが参加。東京会場には、内田のほか、シーナ&ロケッツや若手バンドがそろう。

(2005年12月20日 読売新聞)

奄美島歌中間報告

2008-01-06 05:10:46 | 奄美の音楽


 ”Kafu ”by 中村瑞希

 奄美島歌関係のその後なのだが。

 奄美のレコード店から第2弾の商品送付が昨年の29日になされているようなのだが、それがまだ届かず。大丈夫だろうな。と言う気分になってきた今日この頃。まあ、発送告知メールには「年末年始が挟まるので一週間ほどかかるかも」とあったので、もう少し待ってみようか。とは言え、昨日がその一週間目だったのだが。
 びっくりしたのは奄美関係の書籍を注文したアマゾンだ。昨日注文したら今日届いた。逆にアマゾンは暇なのか?あるいは奄美ものも年が明けてから頼んだ方が早かった?なにやら分からんです、流通業界。

 奄美のレコード店通販サイトの試聴コーナーで音楽の断片を試し食いするうち、かの地特有の音楽として”民謡”と”新民謡”とがあるらしいことが分かってきた。(まあ、それ以外にもあれこれあるのだろうけれど)いわゆる”民謡”と、いわゆる”本土”の歌謡曲の奄美版みたいな”新民謡”なるものと。
 で、文頭に第2弾の注文などと書いてあるのがそのあたりの事情に絡んでいるのだった。

 つまり試聴コーナーを聴いているうち、学究的音楽ファンは無視しそうな(つまり、いわゆる歌謡曲風で奄美の民族色薄いように感ぜられる)新民謡の数々が、私の本来の興味の対象であるアジアの裏町歌謡の体系に連なるものではないかとの予測が出て来たのだ。

 そんな訳で、注文済みの奄美民謡中心にセレクトした荷が届くのも待てず、慌てて新民謡中心の追加注文を行なったのだが、その第2弾目の注文品が先に述べたとおり宙ぶらりんの状態となっていて、非常に中途半端な気分だ。

 まあ、まだ奄美の音楽に興味を惹かれてから一月も経っていない、こんなジタバタする事はないんだけどね。とは言いつつも、聴きたい知りたいとなったら一刻も早く、となるのがマニア気質と言うもので。おそらくは正気の沙汰で無い文章になっているかと思うがお許し願いたい。

 ともあれ。まだ何枚も聴いていない奄美ものだが、”日本の伝承音楽”として民謡を聴き、”アジアポップス連続体に連なるもの”として新民謡を聴くと言う二本立てになって行くのではないか?という予感がしている。

 そんな次第で、今は第1弾の注文によって届いている”Kafu / 中村瑞希”なるアルバムを繰り返し聞いている現状である。
 奄美島歌を紹介するオムニバス盤にも中村瑞希の歌は何曲も収められていたり、とりあえずのとっかかりとして彼女あたりが適当だろうと見当をつけたのだ。

 パワフルで鋭い歌声である。期待を裏切らない好ましい響きで、彼女のほかの作品もいずれ買っておかねばと思う。
 沖縄のものより乾いていて細く高音域で鳴っている感じの三線。その繰り出すフレーズと歌声を聴いているうち、アメリカ南部の黒人たちのバンジョー音楽を想起した。
 あの、”アコースティックなファンク”みたいなバネを秘めつつ跳ね上がり絡み合う楽器の爪弾きと歌声。共通するものがある。この盤はほぼ三線の弾き語りで出来上がっているようだが、音楽的にはこれで十分、他の楽器の介入は必要ないのではないか。

 想像していたよりも”南島”の感触はない。むしろ、どこだっけなあ、奄美島歌の歌詞に関していろいろ検索しているうちに出会った”万葉”って言葉がふさわしい、なにやら柳田国男の民俗学本とか引っ張り出したくなってしまう、古代日本に通ずる感触を受け取った。つまり南へ向う横の移動感覚よりも過去に向うタイムマシン感覚。

 歌詞について、もっと知りたいと思った。能なんかに通ずる幼形成熟的美学で出来上がっているようで、こいつは突っ込めばかなり面白い世界が見えてくるのではないか。
 なんとなく以前より曲名だけ知っていた” 上がれ世ぬはる加那”をはじめ、歌詞の意味が今では良く分からなくなってしまっている歌も多い、などと知るとますますムズムズするものを覚え。

 あーもう、早く第2次注文分が届かないかな。そいつを聴いた結果では、即、第3次注文も出ようというものを。え、購入予算はどうするのかって?いや、生活費はケチっても、音楽に使う金はケチケチしたくないと思ってるんで。家庭?もう10数年前に崩壊してますが、なにか?

 ・・・などとバタバタしている神話時代が、音楽ファンとしては一番幸せな時期かもしれないんですがね。まあそれは、あとで振り返ってそう思うことで。とかなんとか歌謡曲の歌詞みたいな事を言いつつ、中間報告を終わります。

懐かしの台湾

2008-01-04 01:35:20 | アジア


 ”淑樺的台湾歌”by 陳淑樺

 別に新年を寿ぐ意味でリリースされた作品でもないのに、妙に新春の空気に触れると聴きたくなってしまう音楽と言うのがあって、このアルバムなどもその一つ。もはや本当にアルバムを引っ張り出す事もなくなってしまっていたが、正月の街を歩いているとふと思い出す音楽ではあり続けている。

 歌われているのは台湾の古い歌謡曲、懐メロ、とでも解釈すればいいのだろうか。楽曲の持つレトロな雰囲気とややジャズっぽい香りを漂わせた瀟洒なアレンジの、そのブレンドの妙が当方の正月気分に個人的にシンクロして感じられる、というそれだけの話で恐縮なのだが。
 ついでに言えば、アジアのポップスに興味を持って聴いてきた人ならとうに馴染みの作品で”何をいまさら”と思われるであろう、そいつも申し訳ない。いつか文章にしておきたかったんで、お付き合い願いたい。

 第2次大戦終了後、台湾を支配することとなった中華民国・国民党政権によってワンランク下の存在であるかのように位置付けられて行った台湾固有の文化だった。
 大衆音楽家の間でその見直し、名誉回復の機運が盛り上がり、台湾語のラップを発表したグループ、黒名単工作室や大物シンガー・ソングライターである陳明章などが意欲的な創作活動を行なった、その運動に呼応するかのように世に出たのが、このアルバムだった。

 彼女は、もともとはフォーク調の歌謡曲を歌って人気を博したというのが良く分かる清純な美声の持ち主で、その陳淑樺が下品で泥臭いとのイメージで見られていた台湾の懐メロ系歌謡曲を歌ったことに意味があった。

 ちょっぴりジャズの香りを漂わせたシンプルで上品なアレンジ、爽やかな陳淑樺の歌声が、さりげなくベタつかない郷愁を含みつつ流れて行く。ここでは台湾の懐メロはむしろきわめてオシャレな音楽として存在している。我々日本人にもその”懐かしさ”は共有可能とまで感じさせられてしまう。
 押し付けがましいシュプレヒコールではなく、一輪の花として讃え祝福を与える、そんな形で祖先から受け継いだ文化の名誉回復の運動となす。美しい志の作品として支持したい。

 アルバムの静かな音の流れの中で、さまざまな運命に翻弄されてきた台湾の地への思いを、破れた魚網を繕う漁民の姿に託して歌った”補破網”などがひときわ胸にしみる。
 このアルバムがリリースされた時、淑樺の祖母は「はじめて私の分かる言葉で歌を歌ったねえ」と相好を崩したと聞いた。

 このアルバムを手に入れた際、歌い手の陳淑樺なる歌手は、台湾の”知的でオシャレな女性”を目指す人たちに一つの目標とされている、なんて話を聞いたものだった。生き方やらファッションやら。彼女が髪を短くすれば、台湾の女性の間でショートカットが流行る・・・
 今でも彼女はそのような存在なのかなあ?と思いつつジャケを検めてみると、製作年度・1992年。うわあ、このアルバムを初めて聴いてから、もうそんな歳月が流れていたのか。その後の彼女はどんな人生を歩んでいたのだろう?と、ふと思いついてWikipediaなど紐解いてみたら以下のような記述に出会い、なんだそりゃ?と。

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”1958年5月14日台湾台北市生まれ。1979年に歌手デビュー。1997年、聞くところによると陳淑樺はアンフェタミン入りのダイエット食品を誤って食べてしまい、歌手人生を中断する。1998年にある理由で台湾芸能界からフェード・アウトして、後に復帰することを言い伝えるが、いまだに復帰していない。”

 ~~~~~

 人は知らないところでいろいろな目に遭っているのですねえ。このアルバム後、私の台湾音楽への興味はより泥臭い演歌などに向ってしまい、陳淑樺への興味はひとまずこっちへおいといて、という状態で放って置いたままだったのだが。彼女が良い方向へ人生を取り戻される事を祈っておきましょう。

 ”走馬燈”(作詞・呉景中)

 是幸福 是不幸 環境来造成
 恩恩怨怨分不清 何必抱不平
 星光月光転無停 人生牙人生
 冷暖世情多演変 人生宛如走馬燈

上がる日ぬはる加那に向いて

2008-01-01 23:57:52 | 奄美の音楽

 明けましておめでとうございます。今年もヨロシク。

 昨夜は久しぶりに本気で酒を飲んでしまった。脂肪肝の件、ドロドロ血の件などから医師に酒をひかえるように言われ、ほぼ(ほぼ)そのように暮らしてきたこの4年ほどだったのだが、まあ、正月くらい良いでしょ。3が日明けたら、また酒ご法度の修道院生活を再開するから許しておくんなさい。てことで。このところずっと血液検査の結果も良好だしね。

 朝目覚めたが、予想した二日酔いはなかった。やはり飲んでいなかった分だけ体が回復力を取り戻していたのだろうか。
 その代り、なんとなくあまずっぱいような感傷が心の隅にあった。それはたとえば気になっていた女の子と上手く行きそうな予感とか、そんな胸騒ぎ。現実にはそのような兆候は私の生活にはかけらもない、そんなものとはまるで無縁の日々を長いこと送っているのだが。

 ”怒れる大家”としての私の昨年の仕事納めは、我がアパートの貸借人の一人(いろいろ問題あり)への説教だった。「一人前の社会人としての常識を知れ」などなど、自分でも信じていないような事を切々と説いた。小一時間。いや、そんなに長時間ではないがね。そんなの、こちらの根気が続かないよ。

 それはともかく。ともかく、「何を考えてるんだよ」と相手の非常識を責め、「しまいにゃアパート追い出すぞ」と説いた。ちなみに相手は私よりずーーーっと年長者である。相手は、「ハア、申し訳ありません」と頭を下げてはいたが、分かっているやらいないやら。
 もう情けなくてね。説教されてる相手も、している自分も。もう少しマシな事をするために我々は生まれてきたんじゃないのか。いやなにも「より意識の高い生活を」とかスカした話をしたいわけじゃない。ただ、「俺たちの人生って、ゴミみたいなものだなあ」とか実感しながら生きていたくないってそれだけの話なんだが。

 昨年の夏は、ブログで相互リンクを結んでくれているNAKAさんが突然、奄美の島歌を取り付かれたように聞き始め、驚かされたものだった。NAKAさんは同じワールドミュージック系の音楽のファンでおられるのだが、「この音楽を聴いてみたいが、自分の今聴いているのがこれだから、まずこの辺を聞いてからその次に」とかトライする音楽の段取りを考えたりして、万事アバウトな私から見ると几帳面過ぎるほどの音楽へのアプローチをされる方なのだ。

 そんな定規で測ったような(?)音楽ファン道を歩むNAKAさんにしてからが、突然、レコード店頭における何の気なしの試聴により、それまで興味もなかった奄美島歌の強力なファンとなり、それ以外の音楽を聴かなくなってしまったりするのだから人生、そりゃ何が起こるか分かりません。
 ともかく一時、NAKAさんのブログは奄美民謡に関する記事で一杯になり、「どうしちゃったの、これ?」とか呆れてそいつを読んでいるうち、ついには自分も奄美の音楽を聴いてみたくなり、現地のレコード店にオーダーを出してしまった私なのだった。

 それまでに奄美方面の音楽に興味を持ったことはない。強いて言えばバタヤン、田端義夫氏が奄美ネタの歌謡曲(現地奄美ではその種のものが”新民謡”と呼ばれていると、今回、知った)を歌っているので、その背景を知りたいと思ったことがある、その程度のものだった。

 いずれにせよ、かっては奄美も沖縄も区別のついていなかった当方であり、左翼の人が何かというと「沖縄の音楽こそ最高!」みたいな、音楽そのものとは別のところに価値基準を置いた上での無条件の持ち上げ方をしたり、また沖縄のミュージシャンも、あまりにも沖縄の人と風土に撞着し過ぎているような感触があり、沖縄方面の音楽は、照屋林助氏とかの一部の例外を除いて、あんまり聴いてみたいとも思わなかった。

 だからそれと区別のつかなかった奄美の音楽も積極的に聴く気など起こしはしなかったのだが、NAKAさんの記事を読むうち、奄美の音楽が沖縄とは異質の個性ある世界を形成している事実を知りジワジワと興味が湧いて来た次第で。
 よしと思い立ち奄美のレコード会社に若干のCDを注文する頃には「これはずっと以前に聴いておくべき音楽だったのだ」なんて気持ちになっていて、一刻も早く聴きたいなんて焦燥感で一杯になっていたのだから、私と言う人間もなんて奴だろうか。

 注文した奄美島歌のCDは昨年の暮れの30日にギリギリで届いた。そして”年末年始特赦”で自分に酒解禁をしたハレの日の夜は、小包みから出て来た奄美発の音盤群を相手に過ぎて行ったのだった。

 まだ聴き始めたばかりの奄美島歌についてあれこれ語る事はまだ出来ないのだが、南国の島歌というよりは、昔良く聞いたアメリカ南部のデルタ・ブルースあたりを想起させる硬質でモノクロな叙情が三線の響きと独特の裏声に乗って一幕の物語を提示する、その世界にまあ、まだ分かっていない部分も大半だろうが、とりあえずスッと入って行け、聴いて楽しめたのが幸運と思えた。

 そういえば。冒頭に書いた、心の底に漂っていた正体不明の甘酸っぱい幸福感て、「これから奄美の音楽でしばらく、楽しめそうだな」って期待感だったと今、分かった。想いが女性絡みだったのは、今回購入したCDが若い女性歌手のものばかりだったせいなんじゃないか。
 なんつーか、くだらないというか寂しい話だろうなあ、傍目には。いいのさ、音楽ファンとしてはこれで十分。以上、年頭の所感でした。今年はまず、奄美で行く。それでは今年もヨロシク。と言うことで。