先に、田端義夫氏のギターについて触れた際、ソウルマンという方に、その記事に関するコメントをいただき、ナショナルのギターについての話などが出たので思い出した話を。
今はもう店じまいしてしまって久しいのだが、かってよく通ったMという飲み屋をやっていたTさんは、昔々のロカビリーのブームだった頃、”ダイアナ”のヒットで有名な山下敬二郎のバックバンドのギイター弾きだった過去があった。それ以前にも進駐軍のキャンプ周りなどなど、終戦直後のバンドマンの典型とも言える生活をしていたようだ。
その後、私の街に流れてきて、ジャズ歌手だった奥さんと飲み屋を営む一方、時々ホテルのクラブなどでギターを弾いていたのだが。そんな次第なので飲み屋の客も昔上海のクラブでピアノを弾いていたなどという老年バンドマンなどが多く、なかなか面白い話が聞けるので、私もその店を贔屓にしていたのだ。
その店でTさん相手に世間話をしているうち、どんな経緯だったか、ナショナルのドブロの話になった。ドブロというのはかって、まだエレクトリック・ギターが開発される以前に、より大きくより持続する音を出すために作られた音量増幅器付きのギターのことだ。ボディにコーンと呼ばれる反響箱が組み込まれ、また、ボディそのものも金属製で、かなり異様な外見となっている。
これは多くはスチールギターの前身としてスチール・バーによるスライド演奏を行なう際に使用されたりしていたのだが、戦前のブルースマンたちが普通のギターのように横抱えにして弾き語りにしても使っていた。
これがなかなか風情のある響きを成していたので私も欲しいなあ、とは思うのだが今となっては安いものではない、なんて話をしてみたらTさんは、それなら昔、進駐軍回りをしていた頃、帰国するアメリカ兵から買い取って一時仕事に使っていた事がある、なんて意外な話を聞かせてくれた。
何しろ形が面白いので、当時在籍していたバンドで使ってみたが、そのバンドのアコーディオン弾きに「妙な音のするギターを使わないでくれ」と不評だったので使用を諦めたと。その後、私の町に流れてきた頃に、バンドマン仲間が喫茶店を開業した際、店のインテリアに使ってくれと寄贈してしまったそうな。
その店の名を聞き驚いてしまったのだが、私の家から200メートル足らずの場所にある「喫茶K」だった。店が開店され、その壁にドブロが飾られたのは、どうやら私が中学生の頃らしい。
へえ。そんなに身近かにドブロが存在していたのに、知らずに生活していたのか。何かの拍子にその店に入っていれば、壁に飾られたドブロに出会うことも可能だったのだ。まあ、中学生当時の私といえば、音楽ファンを始めたばかりの頃で、もちろんドブロの何たるかなど知りはしなかったのだが。
Tさんは、もしそのドブロが現存していたらあなたにあげてもいいと言ってくれたのだが、残念ながらとうの昔に店は経営者も変わり、店の改装の際、ドブロは破棄されてしまったようだ。まあ、なんともったいないと思ったのだが、Tさんによれば、その時点でもうネックも曲がってしまっていて使用には耐えない状態だったとのこと。
それにしても、帰国の際にTさんにドブロを売り渡して行ったアメリカ兵は、なんだってそのようなものを持ち歩いていたのか。実態は、なんとボディが金属製で丈夫だったから、戦場で持ち歩くのに都合が良かったからだそうで、戦前の日本軍に、あくまでも趣味でギター抱えて従軍した兵士など、まあ考えられないのであって、そりゃあアメリカ軍には勝てませんでしょう。
それにしてもねえ。ドブロがそんな形で目と鼻の先に転がっていたのに気がつかずに生活していたとは。権利者(?)のTさんが、もし見つかったらあなたにあげると言ってくれただけに、ますます惜しくてならなかったりするのだった。なんて言ってみてもしょうがないんだけどね。