ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

不可能なビートルズ

2007-08-05 02:23:13 | いわゆる日記


 ちょうど、ビートルズがヒット曲を連発している時期に洋楽ファンを始めました。それでそのままファンになってしまえばよかったんですが、そうは行かなかった。
 当時、いろいろなヒット曲を聴きたくて、あの頃では重要な情報源だったラジオの洋楽ベストテン関係の番組をあれこれ聴いてみるのですが、どの番組もベスト10内にビートルズの曲が何曲もランクインしていて、結局、聴けるのはビートルズの曲ばかりという始末。もっと他のバンドの音も聴きたいのになあ・・・
 辟易してしまいましてね。おかげですっかりビートルズに対しては”アンチ”の状態になってしまった。珍しいんじゃないですか、私の年代の洋楽ファンで、中学から高校にかけて、ビートルズのレコードを一枚も買わずに終わった、という者も。

 でもまあ、同じ事情があっても、それでますますビートルズ好きになる者もいただろうし、要するに私はビートルズとあんまりそりが合わなかったんでしょうね、「何が気に入らなかった?」と問われても答えようもないんですが。
 あえて答えを探してみれば、彼らのもてなしの良さが逆に居心地が悪かったと言えるのかも。良過ぎて良くない、というのか。

 当時、たとえばローリング・ストーンズを聴いてみると、何が面白いのかよく分からない部分も少なからずあった。そのあたりを耐えつつ聴くのが快かった、みたいな感覚があります。
 たとえば私は納豆が嫌いなんですが、寿司とか食べに行くと、一個だけ納豆巻きが食べたくなったりする。そのまずさが旨い、なんて妙な話ですが。そんな”不快な美味しさ”が、ビートルズには感じられなかったんですなあ。

 それでも大学に入り、仲間を見つけてバンドを作っては壊し、みたいな日々を送るうち、周囲の者の影響でビートルズの盤を物は試しと聴いてみて、なるほど、このあたりが面白かったのか、この辺が斬新だったのか、などと後追いで確認したりもしたのですが、それはやはり十代の頃の熱狂とは質の違うものですね。”観察者による冷静な鑑賞”に過ぎない。ついに私はビートルズへの偏愛とは無縁のまま洋楽ファン人生を送ってしまったと言えましょう。

 そんな私がこんな事を書くのもなんですが、映画「Let It Be」の話が出ていたので。

 あの映画で私が最も愛するのは、ジョージとリンゴがピアノを前に”オクトパス・ガーデン”を歌うシーンでした。なんか二人とも無邪気な子供に帰った感じで、こちらまであったかい気持ちになりました。
 が、そんな時間もひととき。いかにも”大物!”みたいな貫禄でスタジオのドアを開けてド~ンとポールが現われ、厳しいまなざしでスタジオを見回す。「さあ、お遊びの時間は終わりだ!」と言わんばかり。
 するとジョージとリンゴは、まるで悪戯が見つかってしまった子供みたいにすごすごと自らの持ち場に帰り、そしてセッションはまた始まるのでありました。

 あれを見て、「リバプールの不良少年だった頃の上下関係が、あそこまで行ってもまだ生きているのか」と驚いてしまったんだけど、それにしてもポールって嫌な奴だなあ、と私はしみじみ思ってしまったのです。こういうこと言ってると叱られますかね、やっぱり?すいません、ともかく上のような事情で、ビートルズにはシロウトですんで。