ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アララテの山発、ダマスカス行き

2012-05-09 04:06:08 | イスラム世界

 ”Hal Asmar Ellon”by Lena Chamamyan

 今、一番気になっている盤といえようか。彼女はシリアの歌手で、この盤でもシリアの古謡を今日風にアレンジしたものを歌っているとのことなのだが、どうも”シャマミアン”という苗字の響きが怪しい気がする。ジャケ写真の顔立ちなど見るにつけても、純粋にアラブ人である、とも考えにくいのだ。
 で、You-tubeを覗いてみれば、彼女の名の後に(アルメニア人)と断っているものがあったりする。

 ははあ、アルメニア人なのかとジャケの解説を見直すが、彼女の経歴に関してはシリアのダマスカスに生まれて幼い頃から歌い始めた、なんて記されているだけ。アルバム全体の解説を見ても、伝統音楽に関する簡単なコメントがあるだけで、このへんの疑問に答えてはくれない。わずかに一言、「彼女はアラブの伝統音楽の他にジャズやアルメニア音楽、その他のオリエント音楽に関心がある」とあるだけ。
 ダマスカスの生まれということであるならば、親の代にアルメニアからシリアに移住してきて今日に至る、ということなんだろうか?「アルメニアから来た」というエキゾチシズムで売っているとか?
 まあ、アルメニアもシリアも、いろいろ困難を抱えた国ではある。掘り返されたくない事情もありなのかなあ?と、ここは疑問符で終わっておくが。

 収められている曲も、相当に想像力を刺激するものばかりで、冒頭の曲にしても使われている音階は日本民謡に極似、サビのあたりはほとんど日本の歌謡曲である。それがシャンソン風味のアコーディオンの伴奏で歌われるのだから。
 その他、不思議な曲調の連発となっているが、標的をシリアやらアラブやらに限ったわけではなく、広くオリエント世界の古謡を題材にとった訳で、古代オリエント世界の未知の展開図が透けて見えてくるような幻想が広がる。

 伴奏陣はシンプルな中にジャズ色を漂わせ、カーヌーンなどが鳴り響いてもあまり濃厚にならない民族色、というかたちでミステリアスな楽曲の個性を生かし、好感が持てる。何より軽いのが良い。
 Lena Chamamyan女史の歌唱も、やはり濃厚さを排し、それこそ中央アジア高原を吹き抜ける風みたいな、透明感の中に一筋の哀愁が過ぎる、そんなさりげなさがまた、異郷の旅を行く切なさを、物静かに伝えてくるのだ。
 なにか今後も、折りに触れて聞き返したくなる盤になりそうな気配がある、心に残る一枚である。



ハリージー湾岸最前線

2012-05-04 01:54:35 | イスラム世界

 ”Benet Ousoul”by Diana Haddad

 レバノンのベテラン女性による、アラブ世界最新流行のハリージー・サウンドに挑戦盤!という感じなんでしょうか。なんて言ったら怒られるかもしれない、堂々の真打ち登場!みたいな貫禄の出来上がりです。

 ところでですね、辛味というのは実は味ではない、なんて話を昔、聞きました。あれは甘味や苦味なんかと同じ舌の味蕾で感じる”味”ではなく、痛みの一種なんだそうで。そうすると、このようなサウンドの中でビシバシ鳴っているのも実はリズムではなく、別の何かなのかもなあ。
 などと滅茶苦茶なことを言い出したくなってしまったのも、アラブ湾岸民俗リズムがグラグラと煮込まれ揺れ動く窯をドスドスと拍ごとに、もうそれこそドイツ民族の得意とするハンマービートの如き容赦のなさで置いて行くような身も蓋もなさに、うわ凄えな!と嬉しくなっちゃったから。

 なんて、誰にも意味が取れないようなことを書いてみてもしょうがないんですが、頭に浮かんだことをそのまま書いたらこうなっちゃいました。まあ、ノリで読んじゃってください。
 こんな訳の分からないことを言い出したくなったのも、この身も蓋もないリズム処理と、それに動ぜず、むしろノリノリでハスキーな声を張り上げコブシを廻し倒す歌手Dianaの姿に、遠世界未来世界のサド・マゾ・ショーを見る、みたいな気分になってきてしまったから。いかん、書けば書くほど意味不明になって行く。

 それにしても、どの曲もさんざん盛り上がった末に、エンディングは「以上、時間となりましたので終了します」みたいな感じでパタッと終わるのが面白い。このあっけなさがまた、コンピューター支配のイスラム社会を幻視させてくれたりしてね。いやあ、刺激的だこと。
 ところでこのCD、ジャケが左右逆になってますね。なんというか、プラケースを開けようとすると、ジャケ写真の歌手を逆立ちさせるようにしなければならない。左利きの人には、これでちょうどいいんだろうか?この処置、何か特別の意味があるとして、その真相をご存知の方、ご教示いただけたら幸いです。



コーランを聴いてみる

2012-04-13 04:12:48 | イスラム世界

 ”Le Coran”by Cheikh Abdelbasset Abdelssamad

 そして私は、コーランのCDを聴いているのだった。
 何しろイスラム圏の音楽を好んで聴いている私である訳で、あの、預言者を讃え、その教えを説いたイスラムの聖典の詠唱も、CDなどきっちり手に入れて聴いておかねばと、以前より気になっていたのだ。

 というか、これまでも機会あるごとに聴こうとはしてきたのだが、たとえばそれは民族音楽研究のためのセットのうちの一巻だったりして、なんか名演かもしれないが地味で地味で仕方のない代物。おかしいなあ、テレビのドキュメンタリーのバックに流れていたコーランの詠唱は、もっとパワフルだったんだが。
 こんなことを言うのは申し訳ないが、CDに収められた名演のはずのそれらはどうにも退屈で、三分で挫折とかを繰り返してきた。が、ここにきて、それなりに快感、と受け止めつつ聴いていられる演者のCDが手に入り、やっと対面がかなったのだ。

 それがこの、アブデルバセット・アブデルサマッド氏の”Le Coran”のシリーズである。氏は1920年代に生まれ80年代に亡くなったエジプト出身の吟朗者。これは彼がコーランの全録音にトライしたシリーズの一枚だそうな。
 ともかくこの人の聖典詠み上げはある種の生々しさというのか、現世に生きるものの”ブルース”をどこかに引きずりつつ尊い教えを問いている感じで、異教徒の自分ではあるがそれなりに詠唱の響きに共鳴しつつ、向き合っていられるのだ。
 というか、心が折れそうなある夜に聴いていたら、ごく自然にイスラム教徒の人々の祈りの真似して、その場にひれ伏したくなったりもした。

 とはいえここでうっかり、やれ名朗者だなんだと誉めそやすのも、やめておきたい。イスラムの何たるかも、ろくに分かっちゃいないこちらなんだし、そもそもそんな快楽を追求するような聴き方をしてはいけないのかも知れないのだからね、コーランとは。

 コーランの全録音というと、何枚組のCDとなるのだろうか。この2枚組のCDの一枚目と二枚目でも、ずいぶん表情の違った”音楽”となっている。
 一枚目は、シンプルなフレーズの組み合わせを淡々と積み上げて行くもので、ある種、蒼古的というのか、遺跡の壁に書かれた教えが読み上げられるのをじっと聴いている気分になってくる。
 二枚目に収められているのは、こちらがいつも聴いているイスラム系のポップスでお馴染みの”イスラミックなコブシ”の世界に通ずるもので、詠唱が悠然とうねりながら続いて行くのは、なかなかの貫禄だなあと伏し拝みたくなっちゃうのだ、軽薄な反応だろうけど。



ハリージの予感

2012-04-12 04:51:14 | イスラム世界


 ”LINA KALAM BAADEN”by MAI SALIM

 いまや、アラブ全世界を席巻せんばかりの勢いで燃え広がっているという、”ハリージ”なる新しいリズム&サウンドの最前線からの一枚、ということで。
 あ、私にハリージに関する定義とか訊いても無駄だよ。私もその詳細、まださっぱり分かっていないんだから。教えて欲しいくらいだ。

 螺旋系に破裂し回転しつつハードに打ち込まれる機械のリズムは、砂漠の蛇の跳躍か、それとも湾岸で原油を飲み干そうと咆哮を挙げる採油菅の雄叫びか。この機械による情け容赦もないリズムの炸裂が、ハリージの真骨頂か。
 それに乗って流れ来るは、ハードな響きのサウンドには不釣合にも思える、甘ったるく儚げなサリム嬢の唄声であります。いやいや、こんなウブそうな歌声の女に限って、その正体、実は毒婦なんてのもよくある話で。心を許しちゃなりませんよ、旦那。

 面白いのは4曲目の”バラードもの”でありまして。ここlではハードなリズムは一休み、深くエコーのかかったギターの爪弾きはグループ・サウンズ的趣き、いやが上にも盛り上がり、青春の象徴のごときエイトビートと循環コードによる切ないメロディは、「見上げてごらんよ、夜の星を」と囁き交わす昔ながらの恋人たちのナイショのひと時を描き出しても見せる。
 一聴、メカニカルな印象も受ける、この打ち込みリズムの氾濫の奥底で、こんな青春のR&Bな血潮の騒ぎにダイレクトにつながれる辺りが嬉しいじゃないか。

 以上、意味不明の浮かれ文章で申し訳ない。なにしろアラブよりの、この新しい音、どの盤を聴いても面白い出来上がりのものばかりで、これはすごい衝撃がやってくるのかなと、胸をドキドキさせている次第でありまして、ワールド者としては。



トルコ歌曲集

2012-04-05 04:56:46 | イスラム世界

 ”Düşlerimin Toprağı ”by Selva Erdener

 トルコのクラシック音楽のアルバム。
 ややこしいが、”トルコ音楽のクラシック”ではなくて、西欧で言うところのクラシック音楽を修めた女性声楽家が、トルコの作曲家による歌曲を歌った作品集ということで。
 完全に西欧クラシック声楽のテクニックを駆使して歌い上げる女性ボーカルと、それを完全にサポートする、これも西欧クラシックのテクニックを身に付けたピアノの息のあった共演により、興味深い”トルコのクラシック歌曲”の世界が展開されて行く。

 これは不思議な気分で、表現は西欧音楽だが、その音楽のフォームも、内に息ずく音楽の魂も、聴きなれたトルコ音楽のそれなのだ。見慣れた人の肖像画を見る気分というか、住み慣れた街の航空写真を見るような、というべきか。
 そんな次第で戸惑いもあったが、5曲目あたりからこちらの内にも熱いものがこみ上げてきて、あとは一気に”クラシックの視点からのトルコ音楽”の世界に、ただ魅入られて行くばかり。ときにバルトークのピアノ曲集など連想させられたりする。

 よく聴いて行くと各作曲家の個性もあり、民族色豊かで素朴な作品が収められた前半部と、やや現代音楽的な手法の目立つ後半部、となる。この構成のおかげで、通して聴いて行くと1930年代のトルコの街角から未来都市の混沌にジワジワと帰還する感じになって、そのイメージの広がりにドキドキさせられる。
 やあ、面白いものを聴かせてもらいました。それにしても、普通のトルコ人にはこれ、どのように聴かれてるんだろうか。



イスタンブール、歌謡曲の小道

2012-03-06 02:15:23 | イスラム世界

 ”Neveser Kokdes Sarkilari” by Aslıhan Erkişi

 ドイツに生まれ、長じて故国トルコに帰り古典音楽など学んだ美しきお嬢様の麗しき一枚。20世紀前半のトルコで人気だったという伝説的女性シンガー・ソングライターの作品のカバー集とのこと。
 そのような歴史上の人物の作品となれば、”アラブ大衆音楽の一角としてのトルコ・ポップス”が濃厚に香る作品群なのだろうなと思いきや。むしろ民族色は淡いもので、腹にもたれない瀟洒な仕上がりの曲が続く。黒人ブルースの古典をさかのぼって聴いて行くと、どんどん黒っぽくなるかと思いきや、むしろ白人との垣根があやふやとなる白っぽさを感じる、あれと同じことなんだろか?

 アラブ的旋律というよりヨーロッパ音楽で言うところの”短調”の音階をたどるメロディが目に付く。我が日本人にも非常に親しみやすいマイナー・キイの、いわゆる”ベタな歌謡曲”のメロディが展開されているのである。我が国の古き歌謡曲にも聴かれるような、節度を保った表現のうちにそっとすすり泣く歌謡曲の魂が、部屋の隅に佇み、竹久夢二のイラスト入りのハンカチを銜えている。
 ある曲のメロディなどには一瞬、”モンテンルパの夜は更けて”が始まったのかと驚かされたのであって、日本の歌謡曲との近似点も多く、実際、聴き通すうちに何度も不思議な懐かしさが胸をよぎったのであって。
 あるいは、シャンソンを思わせる装飾音を散りばめるアコーディオンが切なくすすり泣く曲などもあり、その控えめな国際色の現れも嬉しい。

 そしてAslıhan Erkişi嬢の歌いぶりも美しく、そして非常に抑制の効いた上品なもので、この遠い過去からやって来た花束に新しい生命を宿らせるに十分な秘めたる情熱の血潮を注いでいるのである。
 ユーラシア大陸を裏町伝いにそっと横断する長大な歌謡曲ベルトの流れなどに思いをはせるも良し、イスタンブールは涙を信じないことはない、いくらでも飲んでいってくれたまえ。



イスタンブールの万華鏡

2012-01-21 03:08:23 | イスラム世界

 ”Hazine”by Zara

 例の大震災や原発事故などに関わるニュースなどに接し、抱えてしまったやりきれない気持ちが、トルコのポップスを聴くことによっていくぶんか和らげられる事実があり、おかげでそれまではさほど強力な興味の対象ではなかった筈のトルコのポップスの盤がジワジワと我がコレクションの中で増えていった、なんて小事件があったのだが。
 その後もトルコの音楽は聴き続けてはいるのだが、忸怩たる思い、というのか、こんな聴き方をしていていいのかと、何か間違ったことをしているような、またこれでいいような、落ち着かない気持ちが常につきまとう部分があるのである。

 なんか変だな、という気持ちの一部には、トルコの歌姫諸嬢におかれましては、やはり聴きごたえのあるCDをリリースするくらいの実力派ともなるとそれなりの年齢を重ねた向きも多く、その種の盤のジャケを並べてみると、自分が熟女好きの趣味がある、みたいな感じになってくる事への納得のゆかなさ、というのもある。それは違う、私はむしろ若いね~ちゃんが好きなよくいるオッサンなのだ、と

 その件のみで言えば、今回取り上げるこの盤は、なかなか典雅な”おね~ちゃんの歌声”の楽しめるありがたい盤となっている。ジャケ写真も聞こえてくる歌声も、若い女のそれなのである。
 そうは言ってもトルコの盤、やはり基本はテンション高い張り詰めた歌声なんだが、ときに、フッと終わりのフレーズを飲み込むように収め憂い顔を伏せる、みたいな”引き”の技など使うのだな、Zaraは。

 長い、意味有りげな前振りの文章の帰着するのがこんな話で、まったく申し訳ないのだが。
 今回のこのアルバムのタイトルは、”宝物”という意味なんだそうな。そういえばジャケのあちこちに黄金色が使われているし、歌詞カードの文字もページのフチの飾りも全て金色が使われていて、豪奢な体裁となっている。
 演じられる音楽も、繊細な細工を施された伝統的工芸品のような優雅な輝きを放っている。浅学ゆえ、取り上げられている歌のバックグラウンドがどんなものなのか、知識がないのが残念なのだが、特別な曰くのある楽曲を集めたものなのだろうか。

 アコースティック主体のバッキングはピタリとZaraの歌声に寄り添い、漆黒の闇の中を黄金色の流線型が走り抜ける、みたいなシャープな切れ味を見せ、主役とタメを張る煌きを見せてくれる。
 良いです。上品な作りの万華鏡を覗く感じの素敵な美しさだ。
 



花咲くハビィビィの影に

2011-12-14 04:12:07 | イスラム世界

 ”Habiby Dah”by Soma

 資料が何もないんで、どこの国の人かもわかりません。レバノン?エジプト?意外にサウジアラビア?You-tubeを覗くと、似たような映像がいくつも上がっていて、結構アラブ世界でヒットした曲なのではないかなんて思われるんですが。
 まあ、こちらとしては毎度お馴染み、色っぽい姉ちゃんが写っているからと単なるジャケ買いで、なんの事情も知りません。

 パワフルな、勇壮なリズムがドスドスと打ち込まれ、アラブ名物、ユニゾンのストリングスが妖しくうねります。そして、Soma女史の扇情的ボーカルが濃厚に挑みかかってきます。歌舞音曲における性愛表現の長く深い歴史、なんて言葉が浮かんで来たりします。
 が、その音楽全体としては決して乱雑にはならず、歌も演奏もきちんと統制のとれた良質のアラブ・ポップスを奏でています。一見、歌も演奏も熱い、みたいに思えますが、その底には見事な洗練がある。シンと沈んだクールな視線がある。

 それに気がついたとき、そんな視線がなんだか怖い、みたいに思えました、私には。よくある、彼らと私たちとの間に横たわる文化的深淵みたいな話で、まあ、私の考えすぎなのかも知れないですけどね。
 そういや、タイトルにある”ハビィビィ”って言葉、アラブの歌にはやたらよく出てくる単語だったんで、よほど効力のある呪文かなにかと思っていたんだけど、訊いてみたら単に「恋人よ」って意味らしいですね。まあ、そんなものです。




砂塵と令嬢

2011-11-27 02:21:22 | イスラム世界

 ”Bent Aboi”by Mashael

 ジャケ写真をご覧のとおり、歌手はなかなか清楚と言いますか気品ある美女でありまして、これはもう、あえて付け加えるほどのこともなくジャケ買いでありますな。彼女、サウジアラビアの人だそうです。が、中身はスケベ心を満たしてくれるどころではない、音楽的にも非常に聴きごたえのある一枚であった次第で。

 サウジの歌手と聞くと、例のユニゾンのストリングスが妖艶なメロディを奏でる、ゴージャスな湾岸サウンドなど想像してしまいますが、CDを廻してまず耳に飛び込んでくるのは、民族楽器と打ち込み混交でハードに打ち鳴らされるリズム群です。
 ガシガシと絡み合い地を這うそのリズム世界からは、湾岸というよりはむしろモロッコとかのマグレブ世界、あの北アフリカの乾ききったトランスサウンド吹き荒れるサハラ砂漠の砂塵舞う風景が浮かんでくる。ハードボイルドな男臭いサウンド・プロダクションと申せましょう。。

 そんな音に囲まれて、Mashael嬢が清楚な声を懸命に張り上げ、グリグリと曲がりくねった民俗色濃い、時に呪文に近いようなメロディを歌い上げてゆくさまには独特の迫力があり、何とも聴く者の血を騒がせるものがあります。
 実際、ここに貼り付けたものとは別に、彼女には遊牧民の生活をそのままバックにしたPVもあるわけでして。

 彼らアラブの民にとっての魂の故郷というべき遊牧民の生活とそこから直送のメロディを、むしろ都会的な美女であるMashael嬢に歌わせてしまう事の、ある種倒錯的でもあるスリルを現地の人々は楽しんでいるのではないかなあ・・・などというのはもちろん、無知な部外者の勝手な妄想でありますが。




トルコの真ん中でサイケを叫んだ男

2011-11-11 03:51:33 | イスラム世界

 ”Mechul: Singles & Rarities”by Erkin Koray

 トルコ・ロック界の開拓者、Erkinの、70年代初期から中期にかけてのレア・トラック集。まあ、Erkinの初期の裏ベストと考えてもいいんではないでしょうか。華麗なる、といいますか素っ頓狂な中近東風サイケ・ロックのてんこ盛りで、そのスジの好き者にはたまりませんね。
 などといってる私にしても軽く噂のみ聞いたことがあるだけで、実は彼の音の現物を聴くのはこれが初めてだったりするんです。が、冒頭に収められている何曲かには別の意味で驚かされた次第。音の手触りがGSなんですな。

 60年代末、ブームも末期となっていた頃の日本のグループサウンズが持っていた、湿った熱気みたいなものが、その頃のErkinのサウンドの核にじっとりと篭っているんだ。はじめ、事情を知らずに聴いててっきり、最近よくある日本のマイナー文化かぶれの西欧の若者による日本GSへのトリビュートものかと思ったくらい。
 でも実際は、まったく互いの存在など知らぬまま、ほぼ同時進行で、日本とトルこの若者は握り締めていたんだ、この正体不明の物悲しい湿り気を。もしかしたらそれを、サイケロックの魂と信じて。どこからやってきたんだろう、この暗い情熱は?

 その後、自国の伝統音楽になぜか目覚めたErkinは、その湿り気を捨て去り、むしろカラッとした感触の、サイケデリックサウンドと中東音楽が不思議な融合をした、独自のトルコ・ロックの路線を突き進むこととなる。その音楽志向はやがてさらに周辺諸国の音楽までに広がり、汎アラブ、汎地中海サウンドと呼ぶしかないサウンドへと展開して行く。
 とはいえ、一貫してB級っぽいと言うか底の浅い音楽表現に終始する人で、地中海志向となったからと言って、それではマウロ・パガーニあたりと競演は、となるとそれは考えられない。やはり彼はおどろおどろしいサイケギターと映画の書割みたいな極彩色でこけおどしの音楽世界展開に生きた人だ。

 もちろんそこが良い、そこが良いんだけどね。いかにも大衆音楽のヒーロー、くそくらえ芸術!って感じでさ。