報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

小説の途中ですが、ここで普通の日記をお送りします。 0929

2014-09-29 21:44:16 | 日記
 三つ子の魂百までとは良く言うもので、私の生来の不器用さ、要領の悪さは子供の頃からである。
 そして今でも、それは変わらない。
 恐らく一生ものであろう。
 だからこそ、早くこの損な人生を終わらせたいのだが、なかなか事故死・病死できずにいる。
 自殺はしない。
 地獄界でキノのような獄卒に拷問されるのが目に見えている。
 私のような人間こそ、御嶽山にて火砕流に巻き込まれるべきだったのだろうが、こういう人間に限って何も無いものだ。
 実に余の中、理不尽にできているものである。

 さて、不器用さ、要領の悪さが露呈しているのは何も世法だけではない。
 仏法においても同じこと。
 よくよく考えたら、御指南の中に、
「社会的に信用される人間になりなさい」
 とある。
 それをよく考えず、
「普段着の折伏ならいいだろう」
 と、安易に仏法の話を周囲にしてしまったのが運の尽きだったようだ。
 私の今の立場は、はっきり言って悪過ぎる。
 そんな状態で仏法の話をしても信用されないばかりか、却って逆縁者を増やすだけだということに何故気づけなかったか。
 誓願という数字を目の前にぶら下げられたからと、宗門のせいにするのは簡単だが、それに安易に踊らされた私にも非はある。

 未だ社会的地位や信用を確立していない方、且つ器用性・要領性に自信の無い方におかれては、私を反面教師にして頂き、更なる立場の悪化を防いで頂きたい。
 それは顕正会にも言えること。
 顕正会は団体そのものが信用の無い状態であり、新規入信者を増やすことよりも、信用の回復を急ぎ、脱会者を防ぐ方を優先した方が良いと思う。

 取りあえず、今日はそれだけ訴えたい。

「折伏を しても仏罰 顕れる 罪障消滅 その名を借りて」
コメント (3)
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