報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
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 実際のものとは異なります。

他人の不幸は蜜の味

2014-09-14 11:20:09 | 日記
 セロリさんが顕正会で壮年部長をやっておられた方の体験発表を紹介しておられる。
 体験発表というか、壮年部長時代の告白手記といった方が良いか。
 大幹部の立場として見た顕正会の実態が暴露されているが、私も知っている内容だ。
 特に長年やってきた人ほど、顕正会の間違いに気づいたら、無気力になるのだという。
「俺の○○年は何だったのだろうか」
 と。
 私は足掛け10年、顕正会で信仰してきた。
 結構長い方なのではないだろうか。
 無論、その中には化石化していた時期も含まれている。
 10年もバリバリ活動していたわけではない。
 だが、それでもどうして10年も続けることができたのか。
 法華講員の折伏に掛からなかったからというのは表向きの理由で、少しでも疑問があったら、ネットで調べるくらいのことはできたはず。
 だから御受誡とまでは行かなくても、自主脱会くらいはできたはずだ。
 しかし、私の場合は脱会と御受誡は同時である。厳密に言えば宗門発行の脱会届は、後日、内容証明で送った。

 いや、疑問が全く無かったわけではない。
 それには私の嫌な性格が大きく関わっている。
 元顕正会員でブログをやっているくらいの人なら知っているが、本来なら功徳に満ち溢れているはずの幹部が何故か不幸になり、いつの間にか組織内から消え失せて行くという現象。
 1人や2人くらいなら、もしくは忘れた頃にまた1人……というくらいなら、そういうこともある程度で済んだだろう。
 また、他の幹部もそれで下の会員を誤魔化すこともできる。
「幹部とはいえ、そこは凡夫だから、たまにはそういうこともあるんだ」
 と。
 しかし、そうではない。1人また1人と、次々と幹部が消えて行く。
 そして長年やっていると、いくら組長止まりの私でも顔見知りは増えて行くから、それなりの情報ネットワークが構築されている(というのは表向きで、実は私の所属した組織が【自主規制致します】)。
 だから、どうしてあの幹部が消えたのかという真実も耳にする機会はあるのだ。
 だったらどうして、自分も嫌になって辞めようとしなかったのか。
 それが、私の性格だ。
 この記事のタイトル、『他人の不幸は蜜の味』これだ。
 空威張りしていた幹部が自滅して行く中、それを薄笑いを浮かべて見ていたのは事実。
 法華講がつまらないと愚痴をこぼしているのは、法華講では一部の例外はあれ、基本的に自滅する人物はいないからだ。
 周りが幸せなので、私自身は……という現実を突き付けられるのが法華講という組織だ。
 だから私のような人物は、顕正会が相応しい。
 他人の不幸を蜜の味として味わえる人間は、そのまま顕正会にいればよろしい。

 ……あれ?今、誰か別の顕正会員を思い浮かべたぞ?
 同じく他人の不幸を喜ぶ、年齢的には婦人部にいてもいいオバちゃん。
 バブルの名残を忘れられない、イタいオバちゃん。
 とあるアイドルの襲撃事件の被害者を謗り、覚せい剤の加害者を擁護する、あのオバちゃんだ。
 少なくとも、あの人の方が私より先に自滅する自信があるぞ。
 というか、私は自滅しない。
 大石寺参詣を続け、御開扉を賜っている限り、それは有り得ないと思っている。
 最近は、他人の不幸が蜜の味に思えなくなってきた。
 どちらかというと、
「他人の振り見て、我が振り直せ」
 とか、
「明日は我が身」
 みたいな感じだな。

 まあ、それだけでも正しい信仰をしている証と言えるのではないだろうか。
コメント (8)
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