日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

君が代訴訟に隠された「良心」の大切さ

2011-05-31 18:22:58 | 社会・政治
卒業式で君が代斉唱時の起立を命じた校長の職務命令が、「思想・良心の自由」を保証した憲法19条に違反しないかどうかで争われていた裁判で、30日の最高裁第二小法廷が「憲法に違反しない」という判断を示した。東京都都立高校の元教諭が卒業式で校長から「国歌斉唱の際は、国旗の日の丸に向かって起立するように」と命じられたのに起立せず、戒告処分を受けたこと、さらに定年退職する前に「嘱託員」としての再雇用を申請したが不採用とされたために、都に損害賠償などを求めて提訴したのが事の発端のようである。私は最高裁で常識的な判断がくだされたと思う。

「君が代」と「日章旗」のことは以前に「君が代」は天ちゃんのうた・・・(改訂版)に書いている。このタイトルだけでは「なんと不真面目な」とお叱りを受けそうなどで、ぜひ本文にお目通しをいただき、真意を汲み取っていただけたらと思う。だからここでは繰り返さない。それよりも私が興味を持ったのは、この元教諭が最高裁まで裁判を持ち込んだ思いの深さとは何であろう、ということであった。

元教諭が64歳と報じられているので、戦争の経験世代ではない。それなのになぜ「君が代」と「日章旗」を忌避する気持ちが生まれたのだろうというのが私の抱いた疑問であった。この方の受けたその時代の「民主主義教育」による「刷り込み」のせいだとすると、さもありなん、と思ったりもした。しかし、その「刷り込み」というか、実体験に根差さない単なる洗脳だけで、最高裁まで個人で争うエネルギーが沸いてくるとはこれまた凄いなと私なりに感心したのである。

ところが新聞記事をよくみると、朝日は《「日本の侵略戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人や在日中国人の生徒に日の丸・君が代を強制するのは良心が許さない」などと訴えた》と報じ、中日は《不起立は「戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人、中国人の生徒に対し、教師としての良心が許さない」という意思だった》と報じている。なぜ在日朝鮮人や在日中国人が出てくるのだろうと意外に思って他紙を調べてみると、時事ドットコムの《さまざまな事情を抱えた生徒がいる定時制高校で約30年間勤務した。今は日本在住の外国人らに日本語を教えているといい、「卒業生や保護者が裁判を支えてくれた。これを励みにして、まだまだ頑張っていきたい」と意欲を示した》との記事が見つかり、目が洗われる思いがしたのである。

元教諭は(おそらく在日朝鮮人や在日中国人も通う)定時制高校に勤務し、かって日章旗を掲げた皇軍に制圧され、また植民地にされてしまった国々の出身者を生徒として教える立場の方だったのである。この方にとって、自らの歴史認識の上からも、どうしても生徒である在日朝鮮人・在日中国人の目線で日の丸を見てしまい、その彼らの心情を無視して、ただ一日本人としての振る舞いに徹することができなかったのではなかろうかと勝手に想像してしまった。そうだとするとこの方の行動を駆り立てたのは、生徒に誠実な教師としての良心であったといえよう。

このようなケースのあることを考えると、目下大阪府議会で審議されている、入学式などの君が代斉唱時に教職員に起立・斉唱を義務付ける条例案では罰則規定がないものの、橋本大阪府知事は免職を含む教職員への処分基準に関する条例案を別途作成するとのことである。これでは余りにも力づくでこれで「教師の良心」を押しつぶすのはファシズムと言われても仕方があるまい。私も高く評価する橋下知事に、罰則規定の撤回を強く訴えたい。とことんまで話し合えば、どこかで折り合いがつくものである。現実主義者の私に言わせると、元教諭の場合でも、生徒には彼らの心情を理解できることを誠実に話しかけ、その上で一日本人として国旗・国歌に敬意を払うことをよく説明して起立すればよかったのではないかと思う。

私は外国で日の丸の旗になんども目頭を熱くしたし、また藍川由美さんの歌う原曲「君が代」の素晴らしさと述べたように、「君が代」は世界に誇れる国歌であると思っている。ともに大事にしたいものである。



梅雨のさなかの台風2号のせいで

2011-05-30 17:30:38 | Weblog
台風2号の影響で昨日は雨と風に見舞われた。気象台の発表では午後3時ごろの風速は30メートルを少し上回っていたようである。その風雨のおかげでバラの花びらがほとんど散ってしまい、なかには鉢ごとひっくり返ったのもあった。避難させる場所もないので成り行きまかせである。先日紹介したコリアンダーの花も茎ごと倒れてしまった。ミニトマト、きゅうり、万願寺唐辛子など、苗をしっかりと立て直した。そして、まだ熟しきっていないジューンベリーの実も下に落ちていた。でもまだ沢山枝に残っている。今年こそ鳥にやられない前に摘み取るつもりである。


原子炉海水注入問題 東京電力記者会見のYouTubeを見て

2011-05-28 21:26:03 | 社会・政治
時間のあるのは良し悪しで、もう東京電力には拘わるまいと思っているのに、「海水注入の中断はなかった」とする東京電力記者会見の1時間以上に亘る模様を、YouTubeで見てしまった。

東京電力記者会見「吉田所長の判断で注水は継続していた」2011.05.26-1
東京電力記者会見「吉田所長の判断で注水は継続していた」2011.05.26-2
東京電力記者会見「吉田所長の判断で注水は継続していた」2011.05.26-3
東京電力記者会見「吉田所長の判断で注水は継続していた」2011.05.26-4
東京電力記者会見「吉田所長の判断で注水は継続していた」2011.05.26-5
東京電力記者会見「吉田所長の判断で注水は継続していた」2011.05.26-6

東京電力の武藤栄副社長と松本純一原子力・立地本部長代理が、記者からの質問にもかなり丁寧に答えていた。しかし発言を裏付ける資料がメモとか記憶とかで、内容の信憑性に関しては不満が大きく残る。会議記録一つにしてもどの程度のものがあるのかすら分からない。取り調べの可視化ではないが、会議の発言はすべて録音し、またテレビ会議もすべて録画して記録の万全を期すべきであると思った。

海水注入に関して、YouTubeにも出てくる東京電力がまとめた時系列を、電気新聞が次のように要領よく纏めている。

東電が公表した当日の時系列によると、3月12日の午後2時50分ごろに清水正孝社長が海水注入の実施について確認、実施を了解した。東電では「淡水が無くなれば海水を入れなければならないという判断が早い段階からあった」(武藤副社長)ため、午後3時18分ごろ、準備が整い次第、海水を注入する予定である旨を経済産業省原子力安全・保安院に通報。その後、午後3時36分に1号機の原子炉建屋が水素爆発したが、午後6時5分には国から海水注入に関する指示を受け、午後7時4分に海水注入を開始。同6分に注入開始を保安院に連絡した。

しかし、東電の官邸派遣者から「官邸では海水注入について首相の了解が得られていない」との連絡が本店本部と発電所側に対してあったため、テレビ会議での協議の結果、一旦海水注入を停止することが合意された。ただ、発電所側としては原子炉への注水継続が重要であると、吉田所長が判断。注水を継続していた。
(2011/05/27)

ここで私が注目したのは午後6時5分には国から海水注入に関する指示を受けの部分で、私にとって新しい事実であったからである。と同時に、昨日のブログで次のように述べた推測(強調部分)が覆されることにもなるからである。

《25日午前の記者会見で、東日本大震災翌日の3月12日午後3時20分ごろ、保安院に「準備が整い次第、炉内に海水を注入する予定である」と記したファクスを送っていたことを明らかにした》との報道は注目に値する。これだと単なる事前通知で、首相の了解を待っているとのニュアンスは0である。すなわちこれからは東電の判断で海水注入に踏ん切ったことがうかがわれる

海水注入にやはり国の指示が必要であったのだろうか。そこでこの経緯をYouTubeでのやりとりから私なりに調べたが、「海水を注入すること」という国からの指示は「あらずもがなの口出し」に過ぎないというのが私の結論であった。なぜか、を述べる。

YouTube(2011.05.26-2)で記者が18:05に国から海水注入に関する指示というのが検討の指示なのか注入の指示なのか具体的に、と問うたのに、「国からの海水注入の指示は、そのあと正式に命令書という形で出しているが、海水を注入することという指示と理解」(松本 1:30)と答えている。さらに(後刻出されたはずの)命令書の内容を「原子炉等規制法64条第3項の規定にもとづき、福島第一原子力発電所第1号機について、たとえばその原子炉容器内を海水で満たすなど適切な方法を検討したうえ、その原子炉容器の健全性を確保することを命じる」であったと武藤副社長は説明している。

原子炉等規制法とは正しくは「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」であって、第64条は危険時の措置に関するものである。長々とした条文であるが、要は主務大臣は「原子炉による災害を防止するために必要な措置を講ずることを命ずることができる」のであって、原子力事業者(東電)は「主務省令(第三項各号に掲げる原子力事業者等の区分に応じ、当該各号に定める大臣の発する命令をいう。)で定めるところにより、応急の措置を講じなければならない」ことになっている。

しかしこの原子炉等規制法の規定と昨日紹介した原子力災害対策特別措置法の規定とはどのような関係があるのだろうか。素人の私には分からない。しかし「海水注入」をわざわざ原子炉等規制法の規定で命令するのであれば、東電が「原子力災害の発生又は拡大を防止するために必要な業務を行う」(原子力災害対策特別措置法)そのすべてについて、原子炉等規制法にもとづく命令が出されなければならないのではと思うが、そうではなかったようである。経済産業省の「報道発表」では、3月15日に出された「第4号機の使用済み燃料プールへの注水を可及的速やかに行うことを命じる」との「原子炉等規制法に基づく命令について」は見ることが出来るが、海水注入その他の記録はなぜか残されていないのである。

一般人の常識で考えると、異なった法律による屋上屋を重ねるような指示・命令はまったく無意味であるし、現場が錯綜するだけである。そして東電現場でも重く見られていなかったことがYouTubeでのやり取りからも浮かび上がってくるのが面白い。その姿勢が官邸派遣者からの連絡のことについて、武藤副社長の次の説明にありありと現れている。

3月12日午後7時25分頃官邸派遣者から連絡があり、「海水注入という具体的なことをやるに当たって、首相が判断するという感じがある。責任者である首相の判断のない中で、実施は出来ないという雰囲気というか、空気を伝えてきた」と説明した(従来は19:00前後、東電元副社長の武黒フェローが「再臨界の可能性などを官邸で検討している」と東電に連絡、19:25に海水の試験注入を停止とされていた。実はこの食い違いも問題である)。そしてこのようにも言っている。「首相の了解を得ないと海水の注入は行えないということがこの時点(~17:25)でハッキリした。了解が得られるまでいったん中止をしようと合意」。これですでに出されていた原子炉等規制法にもとづく経済産業大臣の正式命令がいかに軽くあしらわれたかがよく分かる。なんせ正式命令が雰囲気・空気で吹っ飛んだのであるから。この命令、「あらずもがなの口出し」であったのだから当然といえば当然の成り行きであった。

いやはや、また気分が悪くなってしまった。それにしてもここで東電側の話していることが、またどう変わることやら。



海水注入独断継続の吉田所長? 原子力災害対策特別措置法についての素人談義

2011-05-27 18:30:41 | 社会・政治
福島第一原発1号機への海水注入継続の経緯は今のところ(と断らないとまたどうひっくり返るか分からないので)次のようである。

 二転三転した情報の混乱は、なぜ起きたのか。海水注入継続の事実は、24~25日に東電本店が実施した吉田昌郎・福島第1原発所長らへの聞き取りから明らかになったという。

 東電によると、3月12日午後7時4分ごろから原子炉を冷やすための海水注入が始まったが、午後7時25分ごろに本店と現場とのテレビ会議で、「首相の了解が得られていない」との情報について協議。注水停止で合意したが当時、吉田所長は反論しなかった。ところが、吉田所長は注水をやめていなかった。その理由を「冷却が最優先でどうしても受け入れられなかった」と話しているという。
(毎日新聞 2011年5月27日 7時44分)

この記事で私が引っかかるのは「首相の了解が得られていない」の部分である。裏返しすると海水注入は首相の了解がないと行えないのか、ということになるが、信頼度0の東電ではあるにせよ《25日午前の記者会見で、東日本大震災翌日の3月12日午後3時20分ごろ、保安院に「準備が整い次第、炉内に海水を注入する予定である」と記したファクスを送っていたことを明らかにした》との報道は注目に値する。これだと単なる事前通知で、首相の了解を待っているとのニュアンスは0である。すなわちこれからは東電の判断で海水注入に踏ん切ったことがうかがわれる。

ここからが法律の素人談義なのであるが、私なりに原子力災害対策特別措置法を繙いてみた。その「第二章 原子力災害の予防に関する原子力事業者の義務等」から原子力防災管理者に関わる第九条から関連部分のみを引用する。

第九条  原子力事業者は、その原子力事業所ごとに、原子力防災管理者を選任し、原子力防災組織を統括させなければならない。
 2  原子力防災管理者は、当該原子力事業所においてその事業の実施を統括管理する者をもって充てなければならない。
 3  原子力事業者は、当該原子力事業所における原子力災害の発生又は拡大の防止に関する業務を適切に遂行することができる管理的又は監督的地位にある者のうちから、副原子力防災管理者を選任し、原子力防災組織の統括について、原子力防災管理者を補佐させなければならない。
 4  原子力事業者は、原子力防災管理者が当該原子力事業所内にいないときは、副原子力防災管理者に原子力防災組織を統括させなければならない。(5以下略)

原子力防災組織とは第八条に次のように定められている。

第八条  原子力事業者は、その原子力事業所ごとに、原子力防災組織を設置しなければならない。
 2  原子力防災組織は、前条第一項の原子力事業者防災業務計画に従い、同項に規定する原子力災害の発生又は拡大を防止するために必要な業務を行う
 3  原子力事業者は、その原子力防災組織に、主務省令で定めるところにより、前項に規定する業務に従事する原子力防災要員を置かなければならない。(4以下略)

さらに前条第一項の原子力事業者防災業務計画とは次のとおりである。

第七条  原子力事業者は、その原子力事業所ごとに、主務省令で定めるところにより、当該原子力事業所における原子力災害予防対策、緊急事態応急対策及び原子力災害事後対策その他の原子力災害の発生及び拡大を防止し、並びに原子力災害の復旧を図るために必要な業務に関し、原子力事業者防災業務計画を作成し、及び毎年原子力事業者防災業務計画に検討を加え、必要があると認めるときは、これを修正しなければならない。(以下略)

これを福島第一原発に対象を絞って私なりに解釈してみる。

まず原子力防災管理者であるが、《原子力防災管理者は、当該原子力事業所においてその事業の実施を統括管理する者をもって充てなければならない》と言うからには吉田所長こそ原子力防災管理者の最適任者である。東電資料にも《原子力防災管理者は、発電所長があたり、原子力防災組織を統括管理する》と記されているから間違いなかろう。したがって政府が原子力緊急事態宣言を発して、首相を長とする原子力災害対策本部を設置した「緊急事態」においても、あらかじめ作成されている原子力事業者防災業務計画に従い、原子力災害の拡大を防止し、復旧を図るための業務を遂行しなければならないことになる。

これで見る限り、吉田所長が海水注入を決断し実行したことは、原子力防災管理者としての職務を忠実に遂行したことになる。

一方、首相を長とする原子力災害対策本部の組織や所掌事務もこの法律で定められているが、原子力緊急事態では住民の避難とか自衛隊の出動とかの指示が強調されており、第二十条第6項《6  原子力災害対策本部長は、当該原子力災害対策本部の緊急事態応急対策実施区域における緊急事態応急対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、原子力安全委員会に対し、緊急事態応急対策の実施に関する技術的事項について必要な助言を求めることができる》も、原子力発電所での事態もさることながら、「地域・住民対策」実施に重点が置かれていると見るべきであろう。たまたま菅首相が理系だということでその言動が取りざたされているが、仮に原子力への素養の乏しい文系首相なら、安全委員会に助言を求めることさえままならなかった筈である。

さらに原子力災害対策本部長と原発所長である原子力防災管理者との指揮命令系統がどのようなものなのか、この法律から私は読み取ることができなかったので専門家の意見を仰ぎたいが、仮に指揮命令系統が存在するとしても原子力防災管理者にすべてを委嘱することのほうが現実的である。その意味では上の新聞記事のように「首相の了解が得られていない」なんて情報をもたらした東電の官邸派遣者の意図が何であったのか理解に苦しむ。私に言わせるとお茶坊主のような言動で、またそれに振り回されて海水注水停止に合意したとされる東電関係者も情けない。吉田所長が海水注入を続行したことは私は理解できるが、そのことを正しく東電本部に伝えておくべきであった。

私は3月16日のブログ、福島原発の現場で作業している人たちを信じて応援しようで次のように述べている。この考えは今でも変わらない。東京電力の関係者は現場の働きを阻害したことや「記録」が疎かになったことは返す返すも残念である。

「想定内」であれば日ごろ訓練に用いられたマニャルに従い定められた対応をすれば十分であろう。しかし「想定外」の事態ではそれが効かないからこそ、現場にいる原子炉を熟知して経験豊かで判断を的確に下すことの出来るリーダーの臨機応変の采配と、現場の作業員のチームプレイが底力を発揮する。これ以外の対処はないと言ってよかろう。東京電力の関係者は現場の働きを阻害する一切の動きを全力を挙げて排除すべきなのである。それと同時に未曾有の事態であるだけに、すべての出来事は詳細に記録されなければならないと思う。そのための記録班を編成するぐらいの重要性を東京電力の責任者は認識して行動に移すべきであろう。これほど大がかりでかつ貴重なデータをもたらす実験は計画して行えるものではない。


原子炉海水注入問題 産経も踊らされていたとはお気の毒だが

2011-05-26 17:42:06 | 放言
原子炉海水注入問題 新聞報道に踊らされまいと思うものので産経ニュースの記事を次のように引用した。

震災翌日の原子炉海水注入 首相の一言で1時間中断

 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発1号機に関し、3月12日に東電は原子炉への海水注入を開始したにもかかわらず菅直人首相が「聞いていない」と激怒したとの情報が入り、約1時間中断したことが20日、政界関係者らの話で分かった。

 最近になって1号機は12日午前には全炉心溶融(メルトダウン)していたとみられているが、首相の一言が被害を拡大させたとの見方が出ている

 政府発表では3月12日午後6時、炉心冷却に向け真水に代え海水を注入するとの「首相指示」が出た。だが、政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送った

 ところが、東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が激怒したとの情報が入った。東電側は首相の意向を受けてから判断すべきだとして、同7時25分に海水注入を停止した。その後海水注入でも再臨界の問題がないことが分かった。同8時20分に再臨界を防ぐホウ酸を混ぜたうえでの注水が再開されたという。
(2011.5.21 00:42 )

その上で、《この55分間の海水注水停止がいったいどのような被害を拡大させたというのだろう。その意味で上の記事には裏付けが欠けていると言わざるをえない》と論じた。そして先程のニュースである。

海水注入「中断してなかった」 東電が発表

 東京電力は26日、福島第一原子力発電所1号機への海水注入を一時中断していた問題について、実際には発電所長の判断で中断していなかった、と発表した。本社内では「海水注入については首相の了解が得られていない」として、いったん注入を停止することを決めた。しかし、実際には発電所長が「事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何よりも重要だ」として、注水を継続していたという。
(asahi.com 2011年5月26日15時24分)

あいた口がふさがらないとはまさにこのこと。振り回された産経も気の毒であるが、この事実をこの期に及んで後だしする東電の関係者、全員ピンタである。

「安全基準」と「制限速度」

2011-05-26 12:53:16 | 放言
昨日朝日朝刊に掲載された水俣病で著名な原田正純さんへのインタビュー記事、「教訓生きなかった福島原発の事故 専門家とは誰か」はなかなか示唆に富んでいた。「実学」に裏打ちされているだけに、原田さんの語る言葉は常識ある人の心に素直に染み込み、そして説得力がある。私も共感を抱く「安全基準」についてのことだけを取り上げてみる。

――放射性物質の安全基準が問題になっています。どこで線を引き、住民にどう説明するべきでしょう。

 「注意してほしいのですが、安全基準とはあくまでも仮説に基づく暫定的な数値であって、絶対的なものではありません。そもそも『安全基準』という言葉がよくない。どこまでなら我慢できるか、『我慢基準』と呼ぶべきだという人もいます

 ――それでは安心できません。

 「そう。それはものすごく気になっている。住民にしてみたら、自分たちは安全なのかそうでないのか。なぜ避難しなければいけないのか。なぜまだ戻れないのか。その根拠は何なのよ。そういう疑問はまったく当然です」

 「テレビの報道でも『政府は根拠を示せ』と言っているでしょ。ところが、実際には絶対的な根拠なんてない。それなのに(政治もメディアも)あるはずだと決めてかかるからおかしなことになる」

 「ただし、根拠を示せないからといって政府が口をつぐんだらだめ。『現時点では十分な科学的根拠はありません。でも今後こういう危険が考えられるので、政治的な判断で実施します』ということを、ていねいにていねいに説明することです。もちろん住民の不安をあおったらいけないけれど、放射線の影響には未知の部分があることもしっかり押さえておかないといけない」
(2011年5月25日03時00分)

「安全基準」に絶対的な根拠なんてないことは全くそのとおりだと思う。したがって「放射線に安全なレベルはない」ことも論理的な帰結として納得できる。かっては許容線量という用語も用いられたが、「許容」が絶対安全の意味に誤解されやすいので、「線量限度」という概念が用いられるようになった経緯(岩波理化学時点)でも明らかなように、囚われるべきでない「安全」とか「許容」という言葉の催眠術にかかってしまうと、根拠があるわけではないただの数値に操られることになってしまう。その傾向は数値が「法律・通知」で規定されるととくに顕著になるし、その代表的な例が「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」で、非常事態収束後の基準である1~20mSv/年の適用で問題ないとか、いや、それでは甘すぎるという意見である。

余計な放射能に曝されないことが良いのに決まっているが、現実に放射能が増加した環境下で、20mSv/年であれば運動場でいつものように遊んでも良いし、プールで泳ぐことも可能だけれど、1mSv/年にすれば外に出ることも一切まかりならぬとなったときに、その選択に現場の関係者の判断が入っても良いのではなかろうか。いささか乱暴な比較かもしれないが、たとえばよく整備された道路を走っている時に、制限速度が60キロであっても状況に応じてそれを上回る速度で走ることは大勢が経験していると思うが、それは自分独自の判断が法律をうわまわったからなのである。この辺の事情は以前に制限速度の怪 ― 出鱈目な制限速度設定遅すぎた高速道の速度制限緩和 でも歓迎で記しているので、お目通しいたたければと思う。

こういうことが言えるのも、制限速度の設定に人を納得させる根拠がないからであって、放射線量の基準値の設定とて同じようなものである。となれば通常より高い放射能を帯びた農作物なり漁獲物を受け入れるかどうかが、自分が我慢できるかどうかで決まることがあってもそれは自然の流れである。商品に放射線量の正しい表示さえあれば、あとは消費者が決めれば良いのである。さあこの理屈、世間に通用するだろうか。





原子炉海水注入問題 その続き

2011-05-24 18:27:17 | Weblog
原子炉海水注入問題 新聞報道に踊らされまいと思うもののの中で、《少し考えると産経の記事は裏が取れていないことぐらいは分かるが、谷垣自民党総裁までそれに踊らされて国会で菅首相の介入を徹底的に追求すると意気込んでいる》と述べて谷垣総裁の自重を期待した。そして23日の衆院復興特別委員会での谷垣総裁の質疑応答をニコニコ動画で聞いてみると、「首相の激怒」が海水注入を停止させた云々を衝くより、政府文書がコロリコロリ変わったことを追求する方に軸足を移したようであった。信憑性の低い情報に踊らされる愚は辛うじて避けたようであるが、それにしても彌縫に追われる政府を叩くより、惻隠の情を示したほうが大人の振る舞いではなかったのかと思ったりする。

文書がコロリコロリ変わったというのは、朝日の記事では次のようなことである。

発言訂正、記憶頼み 海水注入の中断経緯

「原子力の常識として、真水から海水にかえて再臨界の可能性が高まると、私から言うはずがない」

 東電が海水注入を中断した発端とされてきた発言をめぐって、原子力安全委員会の班目春樹委員長は23日記者会見し、政府の対応を改めて批判した。

 騒ぎの発端は21日午後4時半からの共同会見で配られた「3月12日の福島第一原子力発電所1号機への海水注入に関する事実関係」と題した資料だ。

 資料によると、班目氏が「(海水を注入すると)再臨界の危険性がある」との意見を出したため、同日午後6時ごろ、原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院などが菅直人首相の指示で、海水注入の実施の是非を検討することになったという。

 会見の直前、打ち合わせの席で安全委事務局の加藤重治・内閣府審議官が、不在の班目氏に代わって発言内容が違うと抗議した。だが、細野豪志首相補佐官から「その場にいた多くの人から確認した結果だから」と押し切られたという。その後会見に臨んだ細野補佐官は資料を記者らに配布し、「相当しっかり確認してお示ししている」と自信たっぷりに説明した。

 班目氏はその後、細野補佐官に発言の訂正を申し入れ、22日夕、細野補佐官と福山哲郎官房副長官と面会した。班目氏は「これまでの自分の発言では、科学者として『可能性はゼロではない』という表現をよく使っており、その場でもそのような表現をしたと思う」と主張した。

 当時の発言記録は残っておらず、班目氏によると、少しずつ異なる3人の記憶を総合した結果、発言内容は「臨界の可能性はゼロではない」だったことで合意。まもなく訂正版が公表された。
(2011年5月24日03時00分)

要は「(海水を注入すると)再臨界の危険性がある」と原子力安全委員会の班目春樹委員長が語ったとされる部分が、「可能性はゼロでない」と訂正されたことを指す。実を申せば私が最初に引っかかったのがこの箇所で、上のブログ記事で次のように述べている。

政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送ったも、この記事だけでは海水注入がどのように再臨界に繋がるのか、素直に理解出来ないので内容的には無意味である。

産経の記事の引用部分を紫文字で示したが、海水注入で再臨界が起きる可能性なんて、科学的にすんなりと理解できる事柄ではないのである。だからその後で班目委員長が「専門家としてそんな指摘をするわけがない。怒り心頭だ」と全面否定した方を私はさもありなんと素直に受け取った。

では何故そのような不完全な内容を含む文書が公表されてしまったかというと、朝日の記事では《会見の直前、打ち合わせの席で安全委事務局の加藤重治・内閣府審議官が、不在の班目氏に代わって発言内容が違うと抗議した。だが、細野豪志首相補佐官から「その場にいた多くの人から確認した結果だから」と押し切られたという。その後会見に臨んだ細野補佐官は資料を記者らに配布し、「相当しっかり確認してお示ししている」と自信たっぷりに説明した》となっている。これだと混乱を引き起こした元凶は細野豪志首相補佐官ということになる。しかし押し切られる方も押し切られる方で、原子力安全委員会から政府・東京電力統合対策室の一員として加わっている加藤重治・内閣府審議官がどのような背景の方なのか分からないが、「おかしいことはおかしい」と頑張らないことには職務をまともに遂行したことにはならないではないか。

それはともかく、政府・東京電力統合対策室が2ヶ月以上も前の出来事を公表した文書が一日経てば訂正される、またその内容の正否を確認しようにも、発言記録は残っておらず記憶だけが頼りとは、信じられないほど杜撰な意思決定の進め方で、これでは何を発表しても国民がすんなりと耳を傾ける気にはなれない。その一方、21日午後4時半からの共同会見で配られたとされる資料「3月12日の福島第一原子力発電所1号機への海水注入に関する事実関係」を見ようとしたが、まだ見つけることが出来ないままである。これなども是非ネットで公表して、関心があれば誰でもアクセスできる状況にして欲しいものである。そうすると新聞などマスメディアの変なバイアスのかからない判断を、国民が自ら下すことが出来るというものである。


原子炉海水注入問題 新聞報道に踊らされまいと思うものの

2011-05-21 23:05:01 | Weblog
産経ニュースの記事である。

震災翌日の原子炉海水注入 首相の一言で1時間中断

 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発1号機に関し、3月12日に東電は原子炉への海水注入を開始したにもかかわらず菅直人首相が「聞いていない」と激怒したとの情報が入り、約1時間中断したことが20日、政界関係者らの話で分かった。

 最近になって1号機は12日午前には全炉心溶融(メルトダウン)していたとみられているが、首相の一言が被害を拡大させたとの見方が出ている

 政府発表では3月12日午後6時、炉心冷却に向け真水に代え海水を注入するとの「首相指示」が出た。だが、政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送った

 ところが、東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が激怒したとの情報が入った。東電側は首相の意向を受けてから判断すべきだとして、同7時25分に海水注入を停止した。その後海水注入でも再臨界の問題がないことが分かった。同8時20分に再臨界を防ぐホウ酸を混ぜたうえでの注水が再開されたという。
(2011.5.21 00:42 )

この記事で首を傾げるところがいくつかあるが、たとえば首相の一言が被害を拡大させたとの見方が出ているとはどういうことなのか。1号機では3月12日の午前6時50分には、核燃料の大半が原子炉圧力容器底部に崩落したいわゆる炉心溶融の生じたことがすでに分かっている。さらに同日午後3時36分に原子炉建屋で水素爆発が起こった。1号機に注水が始まったのは東電の公表した福島第一原子力発電所プラントデータ集の「7 各種操作実績取り纏め」にあるように午前5時46分から淡水注水を開始、午後2時53分まで断続的に80トン注水したが、いずれにせよ炉心溶融がその間に起こっているのだから、この注水が「焼け石に水」であったことがわかる。この段階で起こるべき異変はほとんど起こってしまったことになる。


炉心溶融が生じてウラン燃料が放射性金属の塊となってしまった。万が一にも再臨界状態になれば大ごとである。その状態が少々発生したのかも知れないが、今のところ正式な発表はない。いずれにせよ淡水注水が停止してから5時間11分後の午後7時4分の海水注水開始まで、注水が止まっていたにも拘わらず再臨界は生じていなかったようである。ところがこの海水注水が21分後の午後7時25分には停止している。これが上の記事で「首相の激怒」によるものとされている。そして55分後の午後8時20分に今度は海水にホウ酸を加えたものの注水が再開され、ある報道によればホウ酸は8時45分から加えられたとか。12日中には21トンの海水注水で終わっている。この55分間の海水注水停止がいったいどのような被害を拡大させたというのだろう。その意味で上の記事には裏付けが欠けていると言わざるをえない。

また政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送ったも、この記事だけでは海水注入がどのように再臨界に繋がるのか、素直に理解出来ないので内容的には無意味である。また東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が激怒したとの情報が入った。東電側は首相の意向を受けてから判断すべきだとして、同7時25分に海水注入を停止したでも、どのようにして首相に海水注水の情報が伝わり、「首相の激怒」の情報が東電に伝わったのかも分からない。もともと指揮・命令系統が確立していなかったことがこの事態を引き起こしたことぐらいは見当がつく。「菅首相憎し」の産経だから論うのはよいとしても、事実関係が納得がいかないと思っていたら、さきほど朝日新聞の次ぎの記事が現れた。

海水注入情報、政府と東電共有せず 3月12日の開始時

 政府と東京電力は21日、福島第一原子力発電所1号機で3月12日、官邸にいた東電幹部から、国が原子炉への海水注入について安全性を検討するとの連絡を受け、いったん始めた注入を自主的に中断していた、と明らかにした。注入開始や中断の情報は当時、政府に伝わっておらず、連携の悪さが改めて示された。

 東電は午後3時36分に1号機の建屋が水素爆発した後、原子炉を冷やすため、発電所長の判断で午後7時4分、海水の試験注入を開始。ところが当時、官邸にいた武黒一郎・東電フェローから午後7時前後、国の検討について電話連絡を受け、東電は同25分、注入をいったん止めた。武黒フェローが電話連絡をしたのは、だれかの指示を受けたものではなく、自主的判断という

 菅直人首相が午後6時からの20分間に、経済産業省原子力安全・保安院などに海水注入の安全性検討を指示していた。班目春樹・原子力安全委員長に核分裂が連鎖的に起きる再臨界が起こる可能性を尋ね、「ある」と聞いたのが理由だ

 保安院などが午後7時40分、検討の結果、問題ないことを首相に説明。同55分の首相指示などを受け、東電は午後8時20分、海水注入を再開。同45分に再臨界を防ぐホウ酸も加えた。

 東電は当時、再臨界の可能性はないとみており、幹部の連絡がなかった場合、「そのまま注入を続けた」と説明した。海水注入は、所長判断で行う決まりになっている。東電は最初の海水注入開始と停止について、保安院に口頭連絡したが、保安院側は「記録はない」と説明している。細野豪志首相補佐官も会見で「総理もずっと後になってから知った」と話した

 海水注入は午後7時25分から約1時間中断したが、1号機は水素爆発した後で、東電が今月15日に公表した炉内の解析でも、すでに炉心溶融が起きた後になる。東電は中断による事故悪化の影響はなかった、と主張している。(小堀龍之)
(2011年5月21日21時52分)

産経に記事で感じた疑問は朝日記事のとくに強調部分で解き明かされたように思う。少し考えると産経の記事は裏が取れていないことぐらいは分かるが、谷垣自民党総裁までそれに踊らされて国会で菅首相の介入を徹底的に追求すると意気込んでいるとの読売報道を見ると、ほんと、新聞こそ魑魅魍魎の世界だと思ってしまう。

コリアンダーの花盛り

2011-05-20 20:01:59 | Weblog
風に吹かれて飛んでくるのか鳥が運んでくるのか、裏庭には蒔いた覚えのない種から草花が結構大きく育ってくる。ところが今年、花壇を埋め尽くすような勢いで大きくなったのがコリアンダーなのである。中には私の背丈を超えるものもあって、ジューンベリーを思わせる可憐な白い花を咲かせている。



もともと菜園の方に種を蒔いていたのに、摘み取る時期を逃したものが花を咲かせ、種を蒔き散らかしたらしい。今年の花壇をどうしようかと考えているうちにもどんどん大きくなるものだから、その勢いに圧倒されてただ眺めているうちにこうなってしまった。あとは種を採るまでと、気長に待つことにした。

コリアンダーは香菜(シャンツァイ)とも呼ぶが、私が始めてお目にかかったのはもう何十年も前のことで、中華料理店で中華粥を注文した際に、お粥の丼と一緒に運ばれてきた小皿の中に生魚の切り身や油条と一緒にコリアンダーを刻んだものが盛られていた。これを全部お粥の中にぶち開けて掻き回して食べる。コリアンダーの癖のある香りがとてもエキゾチックで、私の好物になった。神戸元町の南京街にでかけると八百屋さんで何時でも手に入れることが出来たので買うのが当たり前になっていたが、菜園を作ったのを機に自分で栽培を始めたのである。ピータン粥にピータン豆腐を始め、いくらでも使い道がある。春蒔きの種の育つのが待ち遠しい。

わが家では妻も雑食系なのでコリアンダーがすっかり定着しているが、この匂いに拒絶反応を示す人もいる。かって大学院生を連れてこの店に行き、仕上げに中華粥を注文して小皿が運ばれてくると、「先生、これ絶対に駄目なんです」と日ごろ小憎らしい口をたたく彼が小さな声で言うのである。そうか、彼を黙らすには理屈よりコリアンダーか、と思って愉快になった覚えがある。後年、私が退官する頃、大学は違ったがすでに国立大学の教授になっていた彼に、使って貰えそうな実験装置や実験書・専門書など、正式な移管手続きをしてを引き取って貰ったことを、ふと思い出した。


児玉清さん 逝く

2011-05-19 12:08:26 | 
テレビの画面に、児玉清さんが体調不良で司会を休むという旨のテロップが流れた。これを見たときに、もう駄目なのかもしれないと思った。長年続いてきたクイズ番組の司会を休むなんて、背筋のシャキッとした児玉さんだけに、とことん頑張って来た末の決断だとするとかなり重篤なんだと直感したからである。不幸にも当たってしまった。

私が児玉さんに親近感を抱いた理由が二つある。一つは本が大好きということ、そしてもう一つは同じ昭和9年生まれであるということである。と思っていたのに、念のために今、児玉さんの生年月日を調べたところ、なんと本当は1933年12月26日生まれであることが分かった。当時は数え年で年齢を数えていたので、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が出生日を1934年1月1日として届けた、とあった(ウイキペディア)。当時はそのようなことが可能であったのである。同い年の方の訃報を目にするとついわが身を思ってしまうが、この分だとまだもう少し行けそうで、思いがけぬ贈り物を頂いたような気分になった。

それはともかく、読書家と言うことについては今朝の朝日「天声人語」で《蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ》と紹介されているし、「産経抄」ではもう少し詳しく述べられている。

 「もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」。こんなかっこ良すぎるセリフも、児玉清さんなら許される。16日に、胃がんで77年の生涯を終えた二枚目俳優は、物心ついた頃から本を読まなかった日はないという、芸能界きっての読書家だった。

  ▼母親の急死で、ドイツ文学の研究者への道をあきらめた。就職先を探していたら、偶然東宝映画ニューフェースに合格する。それから二十数年、40代半ばの児玉さんは俳優として大きな曲がり角にいた。台本を読んでからでないとテレビドラマに出演しない。そんな原則を守っていたら、依頼がほとんど来なくなった。

 ▼鬱々とした気持ちを紛らせてくれたのも読書だった。とりわけお気に入りの英米ミステリーの翻訳を読み尽くしてしまい、仕方なく原書のハードカバーを入手する。ところが存外楽に読め、翻訳本より喜びが深いことに気づいたという。

 ▼以来、ひたすら面白い本を追い求め、人に魅力を語っているうちに、翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務めるようになった。平成16年からは、小紙にも海外ミステリーの書評を寄稿している。

  ▼1回目に取り上げたのが、米国で発売されたばかりの『ダ・ヴィンチ・コード』だった。「予断を許さぬ激しい場面転換に読者の心は●(つか)まれたまま、ジェットコースターライドの切迫感で巻末へと放りこまれる」。日本でもブームに火が付いたのは、薦め上手の児玉さんの力が大きかったはずだ。

 ▼36年にわたり司会を務めてきたクイズ番組『アタック25』で、最近本に関する問題の正答率が低いことを憂えていた。本離れと電子書籍の普及という激震にあえぐ出版界は、偉大な応援団長を失った。
(2011.5.19 03:20)

 「もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」とはやっぱり格好がよい。私もたまに本屋で翻訳が出る前の原書を見つけて読むことがあるが(たとえばKEN FOLLETTの「WORLD WITHOUT END」)、ほとんどの場合は翻訳の出たのを書店で見つけては、安く挙げるためにペーパーバックスを買うのが常だからである。《翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務める》とは立派な「職業的」読書人であるから、本を渉猟する姿勢に根本的な違いがあるのは当然としても、同年配の本好き仲間を失った寂寥感が大きい。