日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

駒大苫小牧野球部事件 ♪わてほんまによういわんわ

2005-08-31 17:28:53 | Weblog
駒苫野球部長を解任、監督は続投 (読売新聞) - goo ニュース

結局『何発』殴ったのかわれわれには知らされないまま『暴力問題』ということで駒大苫小牧は校長、部長、監督の処分を決めてしまった。

部長は20日間の出勤停止の処分を受けたそうである。もちろんその間の給料は支払われないのだろうから、仮に1日1万円とすると20万円の罰金ということになる。殴ったのが4発だったら1発5万円、40発なら1発5千円、いずれにしても高い殴り賃である。

罰金20万円というと私の払った最高罰金額、スペード違反の12000円に較べてかなり高額である。部長はそれほどの重罪を犯したのだろうか。スピード違反なら不服があれば裁判に持ち込むことが出来るが、そのような再審の途が部長には開かれているのだろうか。なんだか軍事法廷の即決裁判を思い出してしまった。

和解という名の『談合』の存在がこの世界の『隠蔽体質』をますます鮮やかに浮き上がらせてしまったのは皮肉である。

たかが高校野球、

♪何がなんだか さっぱりわからず
 どれがどれやら さっぱりわからず
 ・・・・・
 わてほんまに よういわんわ
 わてほんまに よういわんわ
 あーしんど♪ (買物ブギから)

で幕引きと致しましょう。

駒大苫小牧野球部事件 結局『何発』?

2005-08-30 10:32:15 | Weblog
隠されるとますます知りたくなるのが凡人の性(さが)、駒大苫小牧の野球部部長がくだんの部員を『何発』、それもどのように殴ったのか、こうであったと説明されて私は早くスッキリしたい。それが未だにはっきりしないからストレスが溜まってくる。校長が高野連に提出した書類にはその辺りのことが詳しく述べられているであろうから一刻も早く公表して欲しい。

このような報道があった。

《被害生徒の父親、学校説明に反論 駒大苫小牧暴力問題
2005年08月23日20時17分

 暴力を受けた駒大苫小牧の野球部員の父親は22日夜、学校側の会見を受けて「学校の説明は事実とあまりにも違い、がっかりした」として次のように反論した。
 ●6月の暴力行為
 平手で3、4発たたいたというのは、まったく違う。朝の練習のノックでエラーをした際に、白い歯を見せたところ、「たるんでいる」として、ノックをしていた部長がバットのヘッドで胸をこづき、さらに顔やみぞおち、腰を40回くらい殴るけるなどした。
 ●8月の暴力行為
 部長から「何杯、めしを食べたのか」と聞かれて、「3杯です」というと、「うそをつくな。おれはちゃんと見てたんだ。2杯しか食べてないべ」と言われて、正座させられた上、スリッパで頭を殴られた。ほかの部員が出たミーティングに、ただ1人参加させてらえなかった。》(Asahi.comから)

またこのような報道もあった。

《「10回はやった」と訂正 駒大苫小牧教頭が会見
[ 08月24日 22時16分 ]

 駒大苫小牧高校(北海道苫小牧市)の野球部長(27)による3年生部員への暴力問題で、同校の原正教頭は24日記者会見し、部長が事情聴取に対して「バットで押したり、手で押したことを含めると10回くらいはやったかもしれない」と、これまで「平手で3、4発たたいた」としてきた暴力行為の状況を訂正したことを明らかにした。
 また原教頭は会見後、23日に被害部員の事情聴取をした際、「(たたかれた回数を)3、4発にすれば、(新チームが)秋の大会に出られるかもしれないが、それは真実を曲げることになるよな」と圧力ととられかねない発言をしていたことを認めた。
 同校は、訂正した部長の説明でも「20回以上殴られた」という部員の証言とは依然大きく食い違っているため、24日付で弁護士とPTA役員、同校の生徒生活指導部長の3人で構成する調査委員会を設置。調査委は同日、暴力の現場を目撃した部員7、8人から事情を聴いた。》(共同通信から)

そうして最後はAsahi.comから事実関係のみを抜粋すると

《駒大苫小牧の全国優勝変わらず、部長は謹慎 高野連結論
2005年08月27日22時19分

 駒大苫小牧高の篠原勝昌校長は27日午後、日本高野連に報告書を持参し、事情聴取を受けた。野球部長は6月2日、早朝練習の態度をめぐって部員の顔を殴り、選手権大会開幕後の8月7日には滞在先のホテルで、食事のルールを守らなかったとして、スリッパで頭を1回たたいたとされる。部員は選手権大会のベンチ入りメンバーには含まれていなかった。》

いったいこれは何んだ。泰山鳴動、ねずみ一匹も出てこないのか。

私の知るのはここまで。その後はマスメディアも急に歯切れがが悪くなったような気がする。『事実の確認』こそものごとの始まりを心得ている私にとってどうも居心地が良くない。

「読者・視聴者の知る権利」に応えることが最大使命であるマスメディアにこう云う時にこそ一働きを期待したいものである。

駒大苫小牧野球部事件 高野連は『暴力』を定義できますか?

2005-08-28 08:58:55 | Weblog
駒大苫小牧の全国優勝変わらず、部長は謹慎 高野連結論 (朝日新聞) - goo ニュース

『駒大苫小牧野球部事件』も野球部部長の謹慎処分という常識的な結末になりよかった。しかし高野連の主催する高校野球の管理・運営について私のような一般人には不可解な問題が露呈したままになっている。今回は『暴力』ということを取り上げる。

今回の事件で私は《軽々しく『暴力』と云う言葉を使うな》と先ず論じた。それは何をもって『暴力』と断じるのかその定義が曖昧なまま『暴力』という言葉が勝手に一人歩きしていたからである。

今回の事件に伴い高野連会長通達が出された。その全文を掲載している朝日新聞に「暴力許す体質断とう」と大きな文字が踊っている。しかしその『通達』をよく読んでみても、高野連が何をもって『暴力』とみなしているのかさっぱり分からない。ただ『暴力』と云う言葉が動き回っているだけなのである。となれば私は『暴力』を社会に広く行き渡っている意味合いで受け取らざるを得ない。

一般社会で『暴力事件』を目撃したり身の回りで発生したときにわれわれは先ず警察に通報する。『暴力事件』は『警察沙汰』なのである。たとえばある会社で社員が上役に殴られて怪我をしたとする。これは『警察沙汰』なのである。それをこんなことが世間に洩れると会社の信用にかかわるということで『内部処理』をしたとするとこれは間違いなく『隠蔽工作』になる。

高野連は『私機関』で上の例で云う会社のようなものである。高校野球の現場で生じた『暴力事件』への対応として『警察に通報』することを加盟高校に徹底させればいいのである。ただそれだけのこと。高野連はその事後報告を受けるだけでよい。活動報告に今年は加盟校の警察沙汰が何件ありました、と記載すればそれで終わりなのである。『警察に通報』に先だってかりに高野連への報告を求めているとするなら、これこそ『隠蔽工作』に繋がる処置である。

私機関がである高野連が『暴力』『暴力事件』に口を出すことはサラサラ無用である。無意味なのである。私の住んでいる兵庫県には広域暴力団「山口組」の本拠がある。兵庫県の県警本部長が警察庁から赴任すると記者会見で抱負を問われては「暴力団山口組を壊滅に追い込む」なんていうのが恒例のようになっている。しかし山口組はますます隆盛を誇り県警本部長は次の赴任地に去っていく。警察という公権力さえいくらお題目を唱えても『暴力』を排除することはできない。高野連あたりが『暴力排除』を徹底できるはずがない。それよりも『暴力』を一度キチンと定義してみたらどうだろう。『高野連は往復ビンタ以上の行為を暴力とみなす』とでもしたらはっきりする。でもこのような定義では『何だかおかしい』とふつうの大人なら思うに違いない。

私は『暴力』を定義できない高野連の体質が今回の事件が生み出したと断定する。口を出すべきでないことに口を出すものだから余計な問題を抱え込む。繰り返す。『暴力』は『警察沙汰』なのである。高野連が口を出すべきものではない。何が『暴力』なのかも云わずに「『暴力』のない高校野球をめざして」といわれて誰が言うことを聞けますか?

駒大苫小牧野球部事件 何かがおかしいと『げすの勘ぐり』

2005-08-26 10:09:52 | Weblog
野球部長が部員に謝罪 「誠意伝わった」と父親 (共同通信) - goo ニュース

いわゆる駒大苫小牧野球部事件で『暴力』を振るったとされる野球部長と校長が相手の部員とその父親に謝罪したそうである。父親は「誠意伝わった」とのことらしいが、私にはこの謝罪の真意が伝わってこない。報道の仕方によるのだろうがなかなか状況が伝わってこない。だからこそ、と云えるのであろうが、どうもこの事件には『いかがわしさ』がつきまとっている。

報道の仕方によるのかもしれないが、学校側が謝罪したというのだから悪いのは学校側ということになる。では何が悪かったから謝ったのだ、と学校側が説明するか、それともマスメディアが解説するかして貰わないと、私には物事の本質が見えてこない。

いわゆる『暴力』と報じられた出来事がどのようなものであったのか、事実調査の委員会を作ったものの正式の報告がまだ出ていない段階で学校側が謝罪したのだから、「どの点が悪かった」と明示することが世間に対する説明責任というものである。それなしに「本当に申し訳ありませんでした」では本当の謝罪にはなっていない。単なる口先で取り繕っているだけと云われても仕方あるまい。(注1)

私の習性とする『げすの勘ぐり』を働かすと、野球部長も校長も謝罪する気なんてこれっぽちもないと思う。それどころか『事件』の切っ掛けを作った部員に怒り恨み辛みをぶっつけたい筈である。私がその立場なら、57年ぶりという高校野球夏の大会二連覇という破天荒の偉業に『ケチ』をつける引き金となった『歯みだし部員』を父親共々簀巻きにして苫小牧港の沖合に沈めて・・・、いやいや、こんなこと思っていても口に出したらいけない。

この父親の関与が私には解せない。高校三年といえば昔なら最年少ながら特攻隊員として出陣できた年齢である。それより少し時代が下がるが私の高校生時代では自分に関わりのある揉め事は自分で、又は仲間同士で解決するものだった。自主独立が高校生の『誇り』であった。自らの揉め事に親を巻き込むようなことは人間としての恥と心得たものである。どのような経緯でこの部員の父親が舞台に登場してきたのか分からないが、「恥ずかしげもなく」としか云いようがない。そしてこの父親が訳の分からない『誠意』という言葉を持ち出す。

私には世間の常識しかないのでこの父親には通じないかも知れないが、自分の息子を世間様に頭を下げさすのが先ず最初ではないのか。いわゆる『暴力』を引きおこす切っ掛けを作ったのはこの部員なのである。「不調法をいたしました」と頭を下げるべきなのは部員の方なのである。それがたまたま『暴力』を振るわれたということを錦の御旗として学校側に謝罪を迫るとは本末転倒も甚だしい。

駒大苫小牧野球部の部員はおそらく何十人もいるのであろう。これも『げすの勘ぐり』であるが、私はこの部員以外にもビンタ二三発を部長から受けた部員が何人もいると思う。何十人もいる部員のなかで、ただ一人だけが目の敵のような仕打ちを受けていたとするとそれは『異常』である。ひっぱたかれこづかれ蹴っ飛ばされ部員が大勢いると思う。その多くは殴られても「わっ、やられた」で済ませているのではなかろうか。

学校側に肩を持つような意見を先ず述べたが、私は『暴力』を賛美するものでもなければ無条件に認めるものではない。ただ数発程度のビンタを『暴力』とは思わない。ところが昨日の新聞広告に出ているある週刊誌の記事見出しでは《駒大苫小牧「父親の告発手記」「拳が骨折」するまで野球部長は「40発」も息子を殴り続けた!》そうである。もしこれが事実だとするとちょっとやり過ぎである。野球部長は生まれた時代を間違えているのであって、現代の若者を指導する資質を欠いていると云わざるを得ない。

それと同時にあらたな疑問が生じる。私は野球部長と監督のどちらが偉いのかも知らない門外漢であるが、グラウンドでもう一人の大人である監督がこの『暴力事件』を目撃しているのかしていないのか、監督の存在が今までのところ杳としているのが不可解である。
さらにこの『暴力事件』が起こったのは6月の筈である。何故今頃になってこの問題が表面化したのだろう。

このようにこの事件は何かがおかしい。事件そのものにある種の『いかがわしさ』を感じる。しかしそれを突き詰めていくと私の直感では高野連の体質に辿り着きそうである。この事件に関する『報告書』と高野連の対応が明らかになった時点でその辺りを論じることになりそうである。

注1 その後の報道によるとこの『謝罪』には高野連の指示があったとか。私に事態が見えてこなかったのは当たり前、これも『いかがわしさ』の一つである。

佐野眞一著「阿片王 満州の夜と霧」をどう読んだか

2005-08-24 18:03:08 | 読書

440ページになんなんとする本であるがほぼ一気に読み上げた。面白かった。

「阿片王」という刺激的な命名にもかかわらず、主人公の里見甫という人物をこの本を読むまでは私はまったく知らなかった。この本によると里見氏は《関東軍最大の闇の資金源となる阿片》(129ページ)を通じて「満州の夜の帝王」と呼ばれた甘粕正彦と固く結びついていったそうである。この二人が関東軍の闇の資金源を支える二本柱と描かれているが、甘粕氏の知名度と較ぶべきもない。

里見氏は《「魔都」上海を根城にアヘン密売に関わり、「阿片王」の名をほしいままにした》とのことであるが、それほど有名な人を今頃になって知らされるという知識の空白を撞かれたことが私の読書スピードを加速したような気がする。しかしこの「阿片王」なる称号はその当時からあったのだろうか。著者の記述からはそうとも受け取られが、『アヘンの取引による関東軍の裏金作り』がその当時から大っぴらに行われていたとは思えない。『機密事項』なのではなかったのか。そうだとすると「阿片王」なる称号はフィクションとして著者が主人公に献じたことになる。

このような理屈をこねるのは「阿片王」という称号から私が勝手に期待する破天荒な人物とか豪奢な生活ぶりがこの書では不在なのである。もちろん著者があの佐野眞一氏だからノンフィクション仕立ては当然のことであるが、それならそれでタイトルに「阿片王」は不要、「満州の夜と霧」で十分ではなかったか。「阿片王」はフィクション仕立てにして欲しいと思った。

「故里見甫先生 遺児里見泰啓君後援会 奨学基金御寄付御願いの件」という二枚綴りの『芳名録』には岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、佐藤栄作と云った錚々たる顔ぶれが発起人に名を連ねており、その総数は百七十六名になる。いわばこれが「舞踏会の手帳」で著者はリストの中で身元の判明した人物をインタビューして里見甫という人物の実像に迫ろうと試みたのである。

その取材の過程そのものがこのノンフィクションの主要な内容なのである。次から次へと人と人との繋がりが展開していく。佐野氏の筆致は冴え渡る。歴史上の人物も「モグラ叩き」のように出没する。同時代を生きてきた私に身近だった人物が思いもかけない形で舞台に登場してくる。そのようなことで私はゴシップを楽しむ読み方に徹した。

たとえば里見甫氏と東条英機元首相の繋がりが面白い。

《(里見甫は)大連では、東条英機さんともお付き合いがあって、満州に渡ってきた東条さんの息子さんを家であずかっていたこともあるそうです》(302ページ)。著者の考察ではこの息子が《長男の英隆であることはほぼ間違いない》そうである。英隆氏といえば時々テレビに出られる東条由布子氏のご父君である。

そしてこのような行がある。《里見の甥の里見嘉一氏によれば、里見と親しかった日本画家の父親は、里見本人から直接聞いた話として、「戦時中、東条には小遣いを随分やっていた」という話をよくしていたという。》
さらに細川護貞日記にも《(前略)里見某なるアヘン密売者が、東条に屡々金品を送りたるを知り居るも(後略)》とあるらしい。(174ページ)

要するにアヘン取引の上がりが東条元首相に流れている、というのである。

ところが後段で里見氏へのインタビュー記事が引用されている。
《[問]東条元首相に、多額な金額を贈与したという話もあるが。
 [答]アヘンの金は興亜院が直接管理していたので私はその行方については何も知らない。個人で贈ったことは全くない。》(251ページ)

著者は里見氏を一貫して正直で包み隠すというところがない人物として評価している。だから『伝聞』ではないこの里見氏の直接の発言が真実なのであろうか。

この東条元首相の私設秘書であった若松華瑤氏も『芳名録』に名を連ねる一人であるが、彼の娘さんがかって私の大好きだったタイガース土井垣武氏の夫人だった、なんて話に人の繋がりの不思議を覚えた。

人様ざまの読みようがあるが、関東軍とアヘンの故郷であった満州帝国を敗戦後10年足らずして起こった日本の高度経済成長のグランド・デザインと見なす著者にとって、「阿片王」は本題「満州の夜と霧」の下敷きなのであろう。


駒大苫小牧野球部事件 軽々しく『暴力』という言葉を使うな

2005-08-23 10:24:24 | Weblog
駒大苫小牧野球部長、6月と8月に部員に暴力 謹慎処分 (朝日新聞) - goo ニュース

「駒大苫小牧野球部長、6月と8月に部員に暴力」と報じられたその『暴力』とは記事によると次の通りである。

《会見した篠原勝昌校長によると、3年生の部員の保護者から8月8日に「子どもが暴力をふるわれた」と学校に通報があった。翌日に同部長に確認したところ、6月2日に練習態度が不まじめだとして素手で数回、8月7日にスリッパで頭をたたいたと認めたという。この部員は甲子園では登録外で、ベンチ入りしていなかった。》

この強調した部分が『暴力』と言うことらしいが、この程度のことを『暴力』とマスメディアが騒ぎ立てると、全国の真性『暴力団』が看板を傷つけられたと抗議に立ち上がるだろう。

この度の夏の大会開会の直前にも高知県代表の明徳義塾が野球部員の喫煙や部内暴力が判明したとかで出場を辞退するハプニングがあった。

このニュースに接したときにダン・ブラウン大好きの私は高校野球をビジネスに利用出来そうだと思った。手強い相手、嫌な相手に『スキャンダル』を起こさせて出場辞退に追い込むことが出来るのである。その手立てはいくらでもある。でも無料では公開しない。

今回の駒大苫小牧の場合も明徳義塾の場合も『事件』を高野連に報告しなかったとかどうとか報じられている。何故そのようなことを一々報告しないといけないのだろう。そういうことは各野球部・高校にまかせておけばいい。

私は高校野球部、その部員に『模範優等生』のイメージを被せるようなことはしない。少々の悪(わる)ぐらいどういうことではない。それよりも今回の駒大苫小牧事件で、3年部員とあろうものが自分自身で問題を解決すべきであるのに、そこに保護者が登場することの方に不健全さを覚える。

もちろんいかなる部活動において暴力を容認してはいけない。しかし暴力を禁じたからといっていわゆる『暴力行為』が消え去るものではない。各部の運営・監督責任者は真剣に部活動の実情に目を配り不祥事の発生を抑えるべきである。いったん不祥事が発生した際には先ず「部活日誌」などに記録を正しく残し、その処理を迅速に行う。必要とあれば当該者の処分を行う。それらをすべて記録に留めておけばよい。後日のために。ただそれだけのことである。高野連に報告しなかったとか報告が遅れたとか、これらは謂われなき『被害者』を作るための悪しき取り決めでしかありえない。

日本の近代化は『世襲議員』の廃止から

2005-08-21 17:23:57 | 社会・政治
9月11日に予定されている総選挙は現在の選挙制度に一石を投じるものとして私は注目している。それは『郵政民営化』反対派の前議員の選挙区に賛成候補者を口約通り律儀に立てた自民党本部の手法が、従来の『地元代表』型議員を駆逐する意味を持っているからである。

代表的な例が広島第六区で亀井静香前議員に挑む『ホリエモン』こと堀江貴文氏の場合である。形式的には『ホリエモン』氏は無所属であるが私は実質的な自民党候補と見ている。その『ホリエモン』氏を迎え撃つ亀井静香前議員の『ぼやき節』がますます冴えわたってきたが、あまりにも情念的な発言しかマスメディアからは伝わってこないので論評を控える。とどのつまり亀井静香氏の頼みの綱は人情厚い地元支持者の票で、「地元の人は有難い」と云った類の発言だけが目立つ。そこに地縁・血縁皆無の『ホリエモン』氏が乗り込む。従来の自民党型選挙のまさにアンチテーゼである。

国政の担い手である国会議員は『地元代表』であってはならない。国政は地元の利害を争う場ではないからである。しかし亀井静香氏が頼りとするのは地元支持者、ひたすらその『義理人情』に縋っている。国政に『義理人情』は百害あって一利無し、その点小泉首相の『非情』が遙かに理にかなっている。今回の総選挙は『義理人情』対『非情』の対決とも云える。もちろん私は『非情』を支持する。

『地方選挙区廃止』が近い将来への私の主張であるが、小泉さんをもってしてもこの変革は至難の技のように思う。そこで次善の策として、『地元代表』的性格が最も濃厚な『世襲議員』をまず廃止を訴えたい。

封建時代でもあるまいにこの近代日本の政治の担い手として『世襲議員』が存在すること自体、およそ時代離れしている。その『世襲議員』に『後援会』が不即不離の関係にあることが日本の政治を不透明なものにしていると思うからである。

先日のブログで自民党の橋本龍太郎元首相の後援会が橋本氏の後継として、次男で三菱総合研究所社員の岳氏の擁立を全会一致で決めたとのニュースを引用した。必ずと言っていいほど後援会が後継者を推挙するパターンとなっている。

小渕恵三元首相の場合も小渕氏の急逝を承けて次女の小渕優子氏が後援会から推されて立候補して2000年6月の総選挙で典型的な『世襲議員』となった。小渕優子氏の場合は新聞紙上で後援会との関わりが以下のように報じられていた。

《代議士だった父や兄の死去、引退で跡をつぎ、今年(2000年)6月の総選挙で初当選した「世襲議員」たち。(12月)4日付で公開された資産報告書などから、議席ばかりでなく資産や政治資金も継承している様子が浮かび上がった。政界の世襲が批判されながらも、地盤、看板とともに「カバン」を受け継いだ議員たちの懐具合は華やかだ。

5月に死去した小渕恵三前首相の次女、小渕優子氏(26)は預貯金が約1200万円。事務所の説明では、昨年まで3年間勤めていたTBSでの給与をためたものがほとんどだという。同社の株式も1000株所有する。

前首相の東京・王子の私邸などの相続手続きはまだ済んでいないが、政治資金の引き継ぎはすでに始めている。事務所によると、前首相の政治資金管理団体には残務整理を終えたとき、預貯金など1億円以上が残されていた。全額が最終的に、新たに設立された優子氏の団体に寄付されるという。政治団体間の寄付なので課税はされない。いわば相続税のかからない「相続」だ。》(朝日新聞より)

後援会が前議員の後継者を総選挙の立候補者として推し後継者が出馬する、というのがパターンとなっている。後援会に祭り上げられた候補者、この両者間にどのような腐れ縁が新たに生じるか容易に想像がつくというものである。ここに国政を蝕む『利権構造』が生まれてくる素地がある。

後援会がこのような『資産家』であることを私は知らなかった。実は上の記事に引き続いて梶山静六元議員の後援会にも2億3000万円の預貯金が、竹下登元議員の後援会には6億3000万円の資産があったなどとと報じられているのである。後援会は政治資金規正法の対象で収支報告書の提出が義務付けられているから、どのように資産が作られたのかある程度調べはつくと思うが、それよりなによりこのような資産を持った政治団体が『生命維持』の本能に駆られるのは当然で、その維持のために世襲後継者を選ぶとさえ云えそうである。資産と効率的な集票マシンである後援会は莫大な財産的価値があるにも拘わらず、それを相続税も払わずに引き継ぐ『世襲議員』は『門地』に胡座をかく不当利益を得たのであって、社会的に不公正である。

私は『世襲議員』と後援会の不即不離の関係を完全に絶つことを焦眉の急と考える。

ここでお断りしないといけないが、私は『世襲議員』の立候補の自由を制限するような発想は採らない。子供は国会議員やその縁者を親として選んで生まれたのではない。自分に責任のないことで基本的人権の制約を受けることがあってはならない。それと同時に国会議員やその縁者を親として生まれたことを他の立候補者に対して不公正な利点として用いることがあってもならない。

では『世襲議員』と後援会の不即不離の関係を絶つにはどうすればよいか
先日のブログでの提言をあらためて記す。

①後援会を一代限りとする。未処理の資産があればすべて国に納める。
②引退・死去した議員の血縁者(その範囲は適切に定めるとして)は同じ選挙区はもちろん同じブロックからの立候補を認めてはならない。

民主党がかって国会議員の世襲禁止を提案しかけたがその後どうなったのであろう。お得意マニフェストに掲げられない事情でも生じたのだろうか。この点でも不言実行の片鱗を覗かせた小泉自民党がより進んでいるように見える。

高校野球と総選挙を較べてみたら ― 『地方選挙区廃止』こそ究極の小泉構造改革

2005-08-18 16:16:03 | 社会・政治
試合そのものをテレビで見ることは少なくなったが、今、甲子園で繰り広げられている高校野球の結果だけは必ずニュースで見る。そして久しぶりに心がわくわくするチームに出会った。長崎代表の県立清峰高校である。春夏通じて初陣の県立高校ながら春の選抜大会優勝の愛工大名電を第一回戦で破り、第二回戦では昨夏準優勝の済美も一蹴、第三回戦では優勝候補の一つ大阪桐蔭に敗れたものの、最後の九回で一打逆転もありえた一死満塁まで攻め立てた清峰に心から拍手を送った。

清峰は長崎県佐々町にある県立高校だそうである。そして出場選手全員が地元出身、正に『地元代表』に相応しいと云えよう。そこでふと思った。間もなく行われる総選挙でも地方選挙区選出の衆議院議員はいわば『地元代表』のようなもの、となると高校野球の後は同じ感覚で総選挙を楽しめばよい。高校野球には応援団が、総選挙には後援会が『試合』を盛り上げてくれるだろう。

ところが、である。高校野球と総選挙について少し実情が分かってくると『地元代表』を両者の共通項と見たのはどうも私の思い違いだったようである、高校野球についても総選挙についても。

まず高校野球について。

この夏の大会出場49校のうち他の都道府県の中学出身者がいないのは19校に止まり、今や地元の選手だけの出場校は少数派になっている。多数派は強い選手を地域外から集めてきているらしい。野球留学といえば聞こえが良いが、野球で名前を高めようとする学校とそれを足場としてあわよくばプロの道に進もうとする生徒との利害関係が一致して、能力のある生徒は出身地に関係なく野球有名校に進学するのが当たり前になっているのである。

夏の甲子園が始まったのはかれこれ90年前、その頃の出場校は名実共間違いなく『地元代表』であっただろう。しかし選手の出自にグローバル化の進んでしまった現在、各都道府県で行われるトーナメントは『大会出場校』を選ぶ単なる『便法』と化しているにすぎないのであって、地元の人々にとっても出場校は『傭兵チーム』なのである。しかしせいぜい高校野球のことゆえ『地元代表』の要件にあまり目くじらを立てるのもどうかという気がする。

次は総選挙である。

私には『地方選挙区』選出の国会議員がこの高校野球の『地元代表』に重なってみえたのだか、これも早合点であった。と云うのは『郵政民営化』に反対票を投じた東京第十区選出の小林興起前議員の対抗馬として小池百合子環境大臣が候補者に擁されることになったニュースを思い出したからである。小池氏といえば比例区近畿ブロックで選出された前議員、なぜ近畿出身の小池さんが東京から出馬できるのだろう、と政治音痴の私に疑問が生じたのである。そう言えば『郵政民営化』反対前議員への対抗馬として取りざたされている方々は、問題の選挙区とは無関係な住所に、極端にはアメリカにさえ住んでいるのである。不思議だな、と思った。でもそれは私の無知に由来する疑問に過ぎず、国会議員の被選挙権は満25才以上の日本国民に認められそれ以上の条件例えば住所規定などはない。その区域に3ヶ月以上住所をおいていること、と条件が加わるのは地方公共団体の議員の場合に限られるのであった。

国会議員になりたければ日本のどの選挙区からでも自由に立候補してよかったのだ。それなのに何故私が総選挙では『地元代表』を選ぶもの、と思いこんでいたのだろう。それには『世襲議員』の存在が大きかったのである。『世襲議員』こそ正に『地元代表』ではないか。

ここに2003年11月の総選挙で選ばれた480人の衆議院議員のうち185名が二世三世などの『世襲議員』であるとの調査結果がある。実に全議員のほぼ四割が『世襲議員』、やっぱり多い。しかしいったん疑問にぶつかると現行の選挙制度で選ばれた『世襲議員』は憲法違反の存在のように私には思われてきた。

『世襲議員』は『後援会』不即不離の関係にある。最近の例では《小選挙区からは立候補しない意向を表明している自民党の橋本龍太郎元首相(衆院岡山4区)の後援会は(8月)13日、地元の岡山県倉敷市で幹部会を開き、橋本氏の後継として、次男で三菱総合研究所社員の岳(がく)氏(31)の擁立を全会一致で決めた。自民党県連は近く、岳氏の公認を党本部に申請する。》とのこと。

この後援会は岳氏の前には龍太郎氏の久美子夫人に立候補要請をしたらしい。久美子夫人が断ったものだから岳氏に話を廻す。何が何でも『世襲議員』を作りたいらしい。候補の国政に携わる経綸の才をどのように見極めたのか曖昧だが、ここに厳然と『門地』が選挙を支配している事実がある。

日本国憲法《第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない》が空しく響く。

国政を『後援会』支配から解放するために『後援会』は一代限りにしなくてはいけない。その実効を挙げるためには、引退・死去した議員の血縁者(その範囲は適切に定めるとして)は同じ選挙区はもちろん同じブロックからの立候補を認めてはならない。

そもそも『地方選挙区』はどのような目的のために設けられているのだろうか。私には『世襲議員』擁護のためとしか思えない。国政は今や政党政治に依って動かされている。有権者が選ぶのは政党であって一個人ではない。高校野球と同じく『地方選挙区』を議員選出の便法として暫定的に利用するとしても、ゆくゆくは『地方選挙区』を完全に廃止して総選挙は政党別比例代表制一本槍にすればよい。そうすれば一票の格差は解消するし、衆議院の議員総数も大幅に削減して200議席ぐらいにしてしまえばいい。

政党別比例代表制の最大の難点は候補者選びである。それは衆知に期待すればよい。

旧い自民党をぶっ壊した小泉首相の構造改革の総仕上げは地方選挙区の廃止がもっとも相応しいような気がしてきた。

朝鮮江原道鉄原で迎えた60年前の8月15日

2005-08-15 13:20:31 | 在朝日本人
♪ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 今日も見渡すかぎりに
 みどりの波がうねる
 夏の陽ざしのなかで

寺島尚彦作詞作曲のこの「さとうきび畑」を聴いて私が思い出すのが自分の背よりも高いトウモロコシがぎっしりと植わった畑である。その中に友達と入っていくとジャングルを進軍する皇軍兵士のような気分になるのだった。もぎ取ったトウモロコシを湯がいてかぶりつくと黄金の粒から甘い汁が飛び出す。とても幸せだった。疎開先、鉄原での思い出である。

昭和20年の春、朝鮮京城府の三坂国民学校に在学していた私は疎開することになり、父を京城に残して母と四人の子供だけが江原道鉄原に引っ越しした。四月から五年生として通い出したのが鉄原国民学校であった。

学校では一学年に何人いたのだろう、もちろん一教室にゆったりと納まっていた。授業で飛行機雲のことを知っている人と先生に聞かれ、少年雑誌で仕入れたばかりの知識を披露したら「さすが都会の子供だ」と云われた覚えがある。面白かったのは畑仕事、草を刈って山積みにし、それに肥たごから小便をぶっかけて天日に曝しているうちに肥料に変わっていく。手で触るように云われて塊に手を突っ込むととても熱くなっているのに驚いた。

疎開してから間もなく京城に残っていた父に赤紙がやってきて竜山の連隊に入営することになった。母は幼い弟妹を三人抱えて動けないので、私が父の入営を見送り私物を受け取って来ることになった。一人での汽車の旅、初めてのことであったが京元線で鉄原から京城駅を経て以前住んでいた永登浦まで行ったことと思う。片道3時間ぐらいかかったのであろうか、途中の議政府という駅の名前を未だに記憶している。無事に大役を果たした帰ってきた。

鉄原には景勝の地金剛山を訪れる人が利用する金剛山電気鉄道の始発駅があった。『電車』が珍しく、駅にはよく出かけて電車の発着を見るのが楽しみであった。車両の屋根につけられた前照灯に精悍なイメージを感じた。でも乗ることは一度もなかった。
勉強をした記憶は殆どない。時間があれば外を飛び回っていた。探検するところが山ほどあった。工場の警備に配置された兵隊さんもよく相手になってくれた。疎開者には狭い寮の一室しか住まうところがなかったが、もともと工場に勤務している社員たちは一戸建ての社宅に住んでおり、そのうちの一軒、出征軍人の家に隊長さんが入り込んでいるのをよく目にした。

夏休みに入っていたある日、ソ連軍が朝鮮国境から攻め込んできたとのニュースが伝わってきた。羅津とか清津の地名を新聞で見たような気がするが、だからと云って日々の生活が変わったような記憶はない。そして国民学校の校庭に集合するよう連絡があった。8月15日である。お昼、玉音放送を聴いた(これを書いている今ちょうど正午になった。一分間黙祷)。校長先生が指揮台から何かを話された。私は全校生が整列した前から二列目に立っていたが、すこし離れた左側に目をやると当時2年生であった妹がしゃくり上げているのが目に入った。私は涙が出るどころか何が起こったのかすらはっきりと掴めていなかった。

今から思うと『神国日本の降伏』は『軍国少年』の私にとって理解不能の出来事であったのだろう。

小泉純一郎首相の『郵政民営化』は織田信長の桶狭間

2005-08-14 15:13:51 | 社会・政治
私には敗戦必至と思われた小泉首相が参議院本会議での「郵政民営化関連六法案」否決を承けて乾坤一擲の勝負に打って出た。衆議院を解散してしまったのである。この法案に反対したため来る総選挙で公認を受ける見込みがなくなり立候補を断念した能勢前衆議院議員の発言が素直で分かりやすかった。

「すさまじい政治の世界を感じた。うーん、すごいな。そういうことであります」

彼女はまさか衆議院解散はないと思っていたそうである。
その経歴から云へば政治家としてはまだ駆け出し、見通しが甘かったとしても仕方がない。

これに反して彼女の所属する亀井派の頭領亀井静香氏が前議員になってからの数々の発言は頂けない。泣き言としか思えないからである。衆議院で法案が僅差で可決され、第二ラウンド(参議院)ではノックアウトだと意気軒昂であった頃、参議院で否決された先のことをどう読んでいたのだろう。小泉さんははやばやと『参議院で否決なら衆議院を解散』を打ち出していたのに、亀井氏ほどのベテランの政治家でもこのような事態を予想だにしていなかったのだろうか。

『郵政民営化法案反対三十七士』の多くは『自民党の本流』を標榜しておられるようである。ところがその『本流』とは『馴れ合い・なあなあ主義』を主な政治手法とする旧態依然な単なる『政権亡者』のように私には映るのである。

旧態依然の『自民党の本流』を象徴する一つの出来事があった。政界引退を表明した橋本竜太郎元首相の後援会が橋本氏の次男を後継者として擁立、それを承けて岡山県の自民党県連が彼を公認候補として近々党本部に申請するとの報道があった。『地盤の世襲』に私は北朝鮮の金正日氏を連想してしまうが、それはともかくこの世襲者を一も二もなく公認候補とする自民党県連のどこに国政を見据えた見識があるのだろう。

この『自民党の本流』をぶっ壊すために小泉首相が立ち上がった。ついでに同じくこの法案に反対した民主党をも串刺しにしかねない勢いである。『郵政』を主な争点とした選挙戦に臨む小泉首相に、私は桶狭間にまっしぐらに突っ込む織田信長を思った。