日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「作家の家 創作の現場を訪ねて 」にマーク・トゥエインの旧居訪問の頃を思い出す

2009-07-30 16:01:35 | 海外旅行・海外生活
本屋で一冊の本が目を引いた。西村書店発行の「作家の家 創作の現場を訪ねて」である。本のタイトルは日本語になっているでおやっと思ったが、表紙の写真には見覚えがある。その昔、まだ京都河原町の丸善が健在であった頃、美術書売り場で見つけた買った本の翻訳らしい。もともとはフランス語の本で英語版が1995年に25ポンドで発売され、それを購入したのである。それに比べると今年2009年2月に発売された西村書店版は2940円なので割安感がある。ビニールで密封されていたので残念ながら中身を見ることは出来なかったが、多分同じであろう。しかしサイズ28 x 22.8 x 2.4 cmで、英語版の31.6 x 25.6 x 2.2 cmに比べると小さ目である。西村書店版は鹿島茂 監訳/博多かおる 訳となっているので、おそらくフランス語版からの翻訳であろう。


私は本が好きなものだから、他の人がどのように本と向かい合っているかが気になる、というより興味津々なのである。作家ともなれば当然本に囲まれているだろうから、まず収納の仕方が気になる。家の中で本を読む時の決まり場所があるのだろうかとか、また読書用に座る椅子の好みとか、寝転がるとしたらどのようなソファーなんだろうかと、とにかく好奇心旺盛なのである。そして作家の創作現場、原稿を書くときの机周りもしっかりと目に入れたい。だからこの本を見つけた時は中身も確かめずに手を出したのである。


英語版でほぼ20人の作家の住んでいた家が紹介されている。しかし名前を知っているのは半分少し、でもマーク・トゥエインの家が出てくるのは嬉しかった。その昔、訪れたことがあるからだ。1966年に家族と渡米してコネチカット州New Havenに最初の居を構えたが、その時に親しくなったMさんご一家とある日、コネチカット州の州都であるHartfordまでMさんのVWと私のFord Futuraを連ねてドライブをしたのである。目的場所はマーク・トゥエインの旧居。何かで「トム・ソーヤの冒険」や「ハックルベリィ・フィンの冒険」を書いたマーク・トウェインの住んでいた家がそこにあることを知ったのだろう。その時の写真があった筈だと昨日からさんざん探し回って、やっと見つけ出した。


雪がうっすら積もっているから1966年から67年にかけての冬である。お互いに男女一人ずつ二人の子持ち、子供も幼く私たちも未来への希望に胸を大きく膨らませていた頃である。それから40年以上の星霜が流れ、トロント名誉市民となられたMさんご夫婦は今もトロントにお住まいである。奥様と妻は気が合うというのか、手紙をまめにやりとりしてしているものだから、ご健在の近況が伝わってくるのが嬉しい。

The Mark Twain House & Museumのホームページを見ると、このマーク・トウェイン・ハウスの修復工事が1960年代半ばから始まったとあるから、多分その直後だろうか。工事中のせいだったのかどうかほかに人影がなく、建物の中に入った記憶もない。修復工事は1974年の築100周年を記念する式典のために本格化したとのことであるので、この本でその内部を始めて見たことになる。

このような切っ掛けで昔を思い出すのはまた楽しいものである。


「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」

2009-07-28 22:55:28 | 学問・教育・研究
鳩山由紀夫民主党代表が最近の講演で「総理大臣終えた後は政界引退を」と語ったことが話題になっている。余計なお節介と仰る総理大臣経験者もいるだろう。細川護熙元首相のように還暦を機に政界を引退した先達もいることだから、鳩山代表がそう思っているのなら不言実行をすればよいのに、なぜ早々とこのような話を持ち出したのか、私にはもうひとつピンと来ない。しかしこの話の対比で、定年を迎えた大学教授の身の処し方が念頭に浮かんだ。

大学にも定年がある。私の所属していた大学では事務職の定年が60歳で教育職は63歳であった。まあ標準的と言えよう。ところが昨今の63歳はまだまだ元気で、研究者ならなんとかして研究を続けていきたいと思うようである。そのための理由付けに、一例として昨年(平成20年)理論化学の研究で学士院賞・恩賜賞を受賞された諸熊奎治博士の「定年研究者のための研究費制度を」と題された提言がある。「化学と工業」(2007年11月号)に論説として掲載されている。

 日本では定年の直前まで世界の第一線で活躍していた研究者も、多くの場合定年とともに研究が全面的に停止する、いや停止せざるを得ない。昨日まで学会で目の覚めるような講演をしていたA 先生も突然学会から消えてしまった。世界のトップの引用数で知られていたB 先生も突然論文が出なくなった。本当にもったいないなと思う一流の研究者が突然研究の世界から立ち去っていく姿を沢山見てきた。あの頭脳はどこへ行ってしまったのか? それまで築き上げた研究のノウハウはどこに消えてしまったのか? 世界に誇ったあの実験設備はどうなってしまったのか?

その通りである。口幅ったい言いぐさながら、世界で何人かは私をそう思って下さったのではなかろうか。「世界に誇ったあの実験設備」もちゃんと嫁ぎ先に送り出したきたのである。この出出しにはじまり、諸熊博士は次のような具体的な提言をなさっている。

 定年研究者に特定した研究費の制度を作ることを提案したい。研究テーマは自由とするが、研究のレベルを世界的に一流に保つために審査は厳しくていい。期限は3~5 年として継続性を維持する。中間評価も厳密に行い、成果が上がっているものについては再応募を認める。研究費の額は希望のレベルによっていろいろあっていいと思うが、ポストドクを何人か雇え(定年前には研究の主力だった人件費不要の大学院学生がいないので、ポストドクが重要な役割を果たす)、必要な機器を購入できるのに充分な額とする。この研究費で大学等は研究代表者を有期限職員などとして雇うこととし、独立した自主性のある研究を保証するとともに間接経費によって研究場所や施設等を提供する。
(強調は筆者、以下同じ)

他の研究者との競合についてはこのように考えておられる。

 私がCREST に応募したとき、“定年に達した研究者は研究費の申請はしないのが常識だ”とか、“あなたが採用されたおかげで若い研究者の誰かが採用されなかったのだ”というような声を耳にした。この批判は的を射ていない。3 次にわたる科学技術基本計画などのおかげで、日本の研究費は充分とは言えないまでもかなり世界的水準に近くなっており、定年研究者のうちの少数に配分する研究費がないとは思えない。本来なら誰でも自由に競争できることが理想であろうが、現実の日本の問題としては、いろいろ条件の違う研究者を競合させない方がいいのではないか。

私が現役の最も脂ののっていた頃なら、ほぼ諸手を挙げてこの提言に賛成したことだろう。しかし諸熊博士も指摘されているように、現役時代の延長で定年後の研究環境を確保するのが不可能と覚った私は、潔く研究生活を離れて人生の方向転換をしようと心を定め、その通りの途を歩んできた。そして定年後10年は過ぎた今になって、私の判断は実に正しかったと思うし、その体験を通して諸熊博士の提言を見ると、自立できない定年研究者が大勢を占める日本で、このような制度がかりに出来たとしても、結局年寄りが若者を食い散らすだけのことになるのではないか、と思うのである。

ここで言う自立できない定年研究者とは、これまで以下のブログで折に触れて取り上げてきた『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』のなれの果てを指す。

論文に名を連ねる資格のない教授とは
実験をしない教授に論文書きをまかせることが諸悪を生む
ノーベル医学生理学賞が日本に来ないのはなぜ?

『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』が若い研究者を使って論文作りをすることは、せめて現役教授でいるうちに留めるべきである。諸熊博士は最初の引用に続いてこのようにも言われている。

 長年外国にいてこのような例を何回も見ていると、日本は大変大きな損失をしているように見える。学会などで世界の研究者が集まるといつもこれが話題になり、“Japan is crazy.”という意見で一致する。団塊の世代の大量定年が始まった今、これだけ沢山の研究能力を無駄にしていたのでは、国家としての大損失である。定年後の意欲のある世界一流の研究者が活発な研究を継続できるメカニズムを国として早急に作る必要があると思う。

そうかも知れない。しかしこうした世界に少し距離を置いて外から眺めると、これは官僚の天下りを正当化するのと似た理屈にも受け取れる。官僚の古手も教授の古手も長年の体験で蓄積したノウハウの価値は計り知れないものがあるかもしれない。しかし本当に価値のあるノウハウなら後に続く現役世代がほったらかしにするはずがない。必ずや三顧の礼をもって教えを乞うであろう。その時はまさに恩返し、惜しみなくボランティアとして協力をすればよいのであって、定年者がリーダーなんかになる必要はさらさらないのである。

現役時代の研究システムを可能な限りそのまま定年後も維持したいというのは、考えようによれば節度なき人生態度である。定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。不治の病で余命何ヶ月を宣告されてどう生きるかと言うようなドラマに人気があるようだが、このようなドラマに目を奪われるより前に、自分が定年までどのように全力投球するか真剣に考えて自らが人生ドラマの主人公になればよいのである。

上に述べたボランティアではないが、定年後の研究者の能力を社会に役立たせる途はほかにいくらでもある。諸熊博士も述べておられるように政府や学界のいろいろな委員会で活躍するのも選択肢の一つである。科学の発展のために必要な人材を養成を始めとして、科学立国を目指しての必要な施策の立案など、要求されるのは現役時代の論文作りとはまた違った能力ではあるが、これこそ知識と経験の豊富な定年者に期待されるところであろうと思う。

もちろん自立したシニア研究者として歩む道も残しておいた方がよいかもしれない。その自立したシニア研究者として私が挙げる一例が1997年ノーベル化学賞をJ.Walker博士、J.Skou博士と共に受賞したP.Boyer博士である。ATP合成酵素の働きの本質である結合変換機構(回転説)の提唱がその対象となったが、1918年生まれのBoyer博士が1993年、75歳で専門誌に単独名で発表した論文が決め手となったのである。なんと立派なこと!大学の諸々の雑用から解放されてまさに自分の知的好奇心の赴くところの研究に没頭できるシニア研究者に研究環境が整備されるのなら、それは私も歓迎する。その研究環境ではシニア研究者一人に、もし希望があれば二、三人の研究補助員(テクニシャンとして訓練を受けた技術者が元来は一つの職業として成り立たなければならないと私は考える)がつく程度でよい。

上の引用の強調部分で明らかなように、諸熊博士さえポストドクを人件費不要の大学院生代わりとの発想をお持ちのように見受けられる。自立した定年研究者にポストドクの手助けは不要であるが、一人で淋しいのなら百歩譲って二、三人のポストドクとグループを組むことも、現実問題としてはあり得るかと思う。しかし実験の多くをポストドクに依存するようではシニア研究者の資格は無しである。ましてや研究室を始終留守にして外で油の行商に精を出すようなシニアは論外である。

「総理大臣終えた後は政界引退を」から話が飛んでしまったが、「末は博士か大臣か」とかっては人の口にもあがったように、学者も政治家も「乃公出でずんば」と気負うところでは共通点があるのかも知れない。「教授終えた後は・・・」の結論も、自ずから出てきそうである。



韓国ドラマ「白夜」を楽しむ

2009-07-27 18:26:49 | Weblog

今のところ私が観ているテレビドラマは時代物の韓国ドラマ「朱蒙(チュモン)」とNHKの大河ドラマ「天地人」の二作だけである。どちらが面白いかといえば断然「朱蒙」の方で、毎回手に汗を握るシーンが次から次へと出てくる。以前に観ていた「宮廷女官チャングムの誓」で韓国ドラマに開眼したのであるが、見始めの頃は、盗み聞きしている人物が見え隠れしているところで秘密のはかりごとをしているような不自然さが目についたり、また人を陥れるのにそこまでやるのかとそのえげつなさに嫌悪感を覚えたりして、すんなりとドラマの中に入っていけなかった。それが気がついてみると、いつの間にか違和感が消えてしまって、そういう些末なことよりもダイナミックなストーリーの展開にすっかり魅せられてしまったのである。それに比べると「天地人」は意外性が乏しく、その分ちんまりしていて、役者の存在感が軽いものだから、もうひとつ乗れない。

とは言っても現代物の韓国ドラマはまだ観たことがないし、また観る気もなかった。だから前の韓国・朝鮮語クラスの仲間の女性から、「これ、面白いですよ」と、辞退しているのに「白夜」を無理矢理押しつけられた時には、「時間がなくて観られなかった」と断って返却するつもりでいた。実際、「白夜」は20話の長い物語で、DVDでも10枚組のセットになる。だから20時間近くをそれに費やす覚悟が定まらなければ、おいそれと気軽に手をだせない。「いつまででもいいですよ」と言われていたものの、もう3ヶ月もほったらかしであった。いくら何でも長くなるのでもう返却しようと思ったが、てんで目を通さないままでは申し訳ないような気がして、土曜日の午後、第一話をとりあえず観ることにした。ところが大変、あっという間に惹きつけられてしまい、日曜日にかけてDVD5枚を一挙に観てしまう羽目となったのである。

1968年1月、というと私は米国の西海岸にあるサンタ・バーバラに家族と暮らしていたときであるが、北朝鮮人民軍が韓国に侵入し、地元の警察隊と激しい銃撃戦を交わし、人民軍の隊長も警察署署長も戦死する。それぞれに残された男の子が成長してこの物語の主人公になるのである。韓国側のミン・ギョンビンは空軍パイロットとなるが、副操縦士を務めたテスト飛行の戦闘機が墜落したことで機体の安全性に疑問を抱き、操縦士のミスを事故原因としたい軍上層部と対立して軍を退役、情報員としての途を歩むようになる。北朝鮮側のクォン・テッヒョンは幼なじみで北朝鮮核物理学者を父に持つアナスターシャ・チャンの脱北を手助けしたことが切っ掛けで、テロリストとして歩まざるを得なくなる。これに行動的かつ目を見張る美貌の女性のみならず、むくつけき男性部下の股間へのタッチを挨拶代わりにする女性上司まで登場する。それどころか北朝鮮の指導者様、KGB、チェチェン・マフィアにアゼルバイジャン・マフィアや、ミサイルにプルトニウムまで横流しするソ連軍司令官に偽ドル作りありで、現代活劇が派手に繰り広げられる。冒険小説大好きな私にぴったりのストーリーなのである。

第10話まで見終わったが、もっぱら舞台がソ連(現在はロシア)になっているのがいい。私がモスクワにサンクトペテルブルグを初めて訪れたのは1995年であるが、この物語が終わるのがその前年の1994年という設定、その意味でもすごく親近感が湧いてくる。闇市でモルヒネの箱入りが取引される場面があったが、それに近い情景を実際に見聞きしたことなどを思い出す。ソ連軍とか大勢のロシア人が出てくるがこれらは実際にロシアでロケをしたのだろうか。とにかく大した力の入れようで、制作者のパワーと情熱が直に伝わってくる思いであった。まだ10話残っているがどういう展開になるのかが楽しみで、この一週間がそれで潰れそうである。それと、一昨日のブログで紹介した「鋼鉄の騎士」を並行して読んでいると、両方の物語がごっちゃになってくるのがこれまた不思議である。


藤田宜永著「鋼鉄の騎士」(下)がamazonから1日で届いたが・・・

2009-07-25 11:15:39 | 読書
「鋼鉄の騎士」が「新潮社ミステリー倶楽部」の一冊として刊行されたのは1994年というからまだ私が現役の頃である。その当時、本屋で目を通してその内容に惹かれたものの、かなりの大冊で読む時間があるようには思えなかったので買うのを控えた覚えがある。先日大阪の書店で双葉文庫の日本推理作家協会賞受賞作全集として再版されているこの本にお目にかかった。上下二巻に分かれていて、文庫本といっても一冊が750ページほどもありかさばっている。そこでとりあえず上巻だけを買い求めた。

静岡県伊東のはずれ、さる男爵がパリから連れて帰ったフランス人妻を喜ばせようと建てたスパニッシュ様式の洋館も、建造後20年も経つ間に夫人はフランス人船員と本国に駆け落ちしたし、放蕩児の男爵も昭和初期の世界大恐慌の煽りをくらって自殺してしまう。そして1932年9月、人手に渡ったこの洋館で官憲側のスパイと発覚した男が非合法活動家たちに凄惨な拷問を受けてピストルで射殺される。これがプロローグである。

主人公の青年は子爵家の次男で共産党のシンパ。しかしリンチ事件とのかかわりで心に深い傷を負い、フランス駐在武官ななった父親に伴われてパリにやってくる。1936年からの数年、ヨーロッパで繰り広げられる世界歴史の大きな転換期に、この主人公はスパイ合戦に巻き込まれる一方、たまたま観戦したグランプリレースに触発されて、プロレーサーとしての途を切り開いてゆく。多彩な登場人物の中にはもちろん主人公に関わりの深い女性も何人か出てくる。間を空けて読んでいると、登場人物がどう繋がっているのか分からなくなるので、急ピッチで読み進んでいるうちに、上巻も終わり近くなった。

下巻を買わなくちゃと思いわざわざ街に出かけたが、なんとジュンク堂を始めとして三宮あたりのどの書店にも下巻が見つからない。6月14日発行だから一ヶ月あまりで早くも売り切れ続出ということなのだろうか。大阪まで出かける元気はなかったのでamazonで注文することにした。合計金額が1500円を超えると送料が無料になるので、そのためにもう一冊新書本を注文した。発注が23日の午前8時前、すると翌24日の9時ごろに早くも配送されてきた。最速記録である。おかげで中断することなく下巻に取りかかっている。この週末、大雨が降るかも知れないので家でゆっくり楽しむことにする。



ところが、である。このamazonの特急サービスは有難かったが、一方、注文してもう五ヶ月近くなるのに、まだ届かない本があるのでこのこともついでに述べておく。以下の例をご覧いただきたい。本を一冊今年の3月6日に発注したが、待っているうちに次のようなメールが5月5日に送られてきた。

このたびは、Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

2009-03-06 (注文番号:250-9078●●●-9120●●●)にご注文いただいた商品の配送予定日がまだ確定しておりません。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder
at Road Hill House"
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0747582157

継続して商品の調達に努めてまいりますが、調達不能な場合または入荷数の関係上
キャンセルをさせていただくこともございます。

そして6月30日。

このたびは、Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

2009-03-06 (注文番号:250-9078●●●-9120●●●) にご注文された商品の配送予定日が確認できましたのでお知らせします。ご注文いただきました商品と配送予定日は以下のとおりです。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder at Road Hill House"
配送予定日: 2009-07-13 - 2009-07-19

ところが7月17日には次のメールである。

このたびは、Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

先日ご注文いただきました下記の商品につきまして、予定しておりました発送予定日に変更がございます。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder
at Road Hill House"

上記商品につきましては、ご注文時にご案内しておりました発送予定日までに商品を
発送するよう努めてまいりましたが、現時点では、上記商品の確保が出来ておりません。
現時点での最新の発送予定日は下記になります。
お待たせして申し訳ありませんが、継続して商品の調達に努めてまいりますので、
商品の発送まで今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder
at Road Hill House" [ハードカバー]
発送予定日: 2009-07-29 - 2009-08-02

一日と五ヶ月、このギャップは大きすぎる。システム上の欠陥があるような気がする。巨人amazonにも弁慶の泣き所か。




「医学部定員5割増」 versus 「票田医師会 自民離れ」

2009-07-23 16:46:33 | Weblog
朝日朝刊に二つを比べるとなんだかしっくりこない記事が載っていた。まず最初は次の見出しで始まる第五面の記事である。


 民主党は医師不足解消策の一環として、衆院選マニフェスト(政権公約)に、大学医学部の定員を5割増やす目標を明記する方針を決めた。医師不足が特に深刻な救急や産科、小児科、外科の充実に向け、地域の医療機関の連携強化や、国公立病院の医師定数増員も明記する。(中略)

 当面の目標として医師数を人口1千人あたり現行の2.1人から、主に先進国が加盟する経済協力開発機構(OECD)の平均である3.1人まで増やす方針を掲げる。ただ、目標達成年次はあいまいで、具体的な道筋ははっきりしていない。

よくぞこんな駄法螺を吹いたものである。医師を増やすというのはよい。しかし医学部定員を5割も増やすには、それなりの教育・卒後研修機関の拡充が先決である。その見通しがあるというのなら、ぜひ聞かせていただこう。その見通しもなく、目標達成年次はあいまいで、具体的な道筋ははっきりしていない、となれば、口から出任せの与太話に過ぎない、と私はあえていう。

さらに問題なのは次の第二面の記事との関わりである。


 茨城は自民党が強固な地盤を持ち、厚労族の大物、丹羽雄哉元厚生相のおひざ元でもある。医師やその家族らの党員は3400人を超え、支持組織の中でも医師会は有数の党員数を誇ってきた。それが反旗を翻し、県内全選挙区で民主推薦に転じた衝撃は大きい。
平成19年12月1日現在の日本医師会会員数調査によると茨城県での会員総数は2346人であるから、医師全員が自民党員だったとしても3400人には不足するので、家族もそれに加わっているのだろう。いずれにせよ、茨城県の医師会会員のほぼ全員が政権政党の自民党党員になっていたという事実、そして今回は全員が民主推薦に変わったということが、この医師会の政治団体的側面を端的に示している。

平成18年12月31日現在における全国の届け出医師数は277 927人で、医育機関附属の病院に44 688人、病院(医育機関附属の病院を除く)に123 639人、診療所に95 213人となっている。一方、日本医師会会員数(平成19年12月1日現在)は全国で165 086人になる。調査時期に1年のずれがあるが、医師会の組織率はおよそ60%で、医育機関附属の病院を除くと75%になる。この医師会が茨城県の例でも明らかなような政治的な動きをする際に、その目指すところは医師の権益の擁護であると見てまず間違いなかろう。一口に言えば収入の確保・拡大である。それも医師一人当たりの収入である。その権益を守るために日本医師会が医学部定員問題にどのような態度をとったかは、以前に麻生首相の「医師、社会常識欠落した人多い」発言に思うことで取り上げたことである。この医師会の性格が急に変わったとは思えないから、いったん支持を決めた民主党ではあるが、その民主党が「医学部定員5割増」をマニフェストで政治公約にすることが決定的になれば、医師会が黙っているとは到底考えられない。医師会対民主党の駆け引きがどのように展開するのか、注目されるところである。医師会が民主党に期待するのは医療費削減をしないこと、さらには社会保障費の拡大で、まさか「医学部定員5割増」にまで同意するはずはなかろう。ある一つのメリットを除いては、である。

「医学部定員5割増」も見方を変えて医師会会員にも評価されるところがあるかも知れない。家業を継ぐ医師の子弟の医学部へ入学のチャンスが今よりは増えるだろうという期待を持てるからである。しかし、である。私立大学医学部学費ランキングによると、最高では卒業まで6年間の学費総額が4920万円で、初年度には1420万円もかかる。どういう人たちがこのような高額の授業料を払えるというのだ。これは医師志望の若者にとっては「非関税障壁」のようなものであり、社会的不正義を助長するだけのものである。この「非関税障壁」をくぐり抜けられるのが開業医の子弟に集中するようなことがあれば、医療の質の低下を招くのが必然である。世襲政治家がわが国の政治を疲弊させたがゆえに、金の力を背景にした世襲医師の跳梁を私は警戒する。

民主党の「医学部定員5割増」案、とにかくじっくりと話を聞かせて欲しいものである。



政治家の「字は体を表す」か?

2009-07-22 17:45:44 | Weblog
衆議院が解散し、いよいよ選挙戦が始まる。世襲議員に国民がノーを突きつけ、自民党が一度下野することになればまずは御の字である。次の政権の中核は民主党になりそうな雲行きであるが、民主党も玉子の白身を泡立てたメレンゲのようなもので、空気だけで膨らんでいるような気がする。自民党、民主党と言わず、国民の信託に応えられそうな政治家を既成政党の中から誰一人として思い出せないのが悲しい。昨夜、NHK7時のニュースのあとで行われた6党代表者による生討論の番組を観て、その思いをさらに深めた。

出席者は自民党細田幹事長、民主党岡田幹事長、公明党北側幹事長、共産党市田書記局長、社民党重野幹事長、国民新党亀井幹事長の6人で、NHKアナウンサーと政治記者?が司会をしていた。各党代表者はそれぞれテレビ中継で画面に顔を出し、司会者の問いかけに応じて一人ひとりが意見を述べる。司会者に力量があればAの意見に対して、B、Cがどう答えまた反論するかを上手に導くことで議論がかみ合い、聴視者があまりフラストレーションを感じなくて済む。よく見かけるテレビ討論会などで全員が一堂に会していると、お互いがてんで勝手に発言することが多くて、聞いている人のことが念頭にないような姿勢に嫌気がさすものである。だからこのNHK生討論の形式をこれからも積極的に取り上げてほしいと思ったが、昨夜は各党代表者のあることに失望してしまった。

司会者の問いかけに、一人ひとりがその考えを色紙のようなものに書いて示していたが、その字がどうもいただけないのである。お一人だけは上手とは言えないまでも味のある字を書いていたが、なかには稚拙としか言いようのない文字を臆面もなく国民の目に曝している人もいた。

「名は体を表す」とも「字は体を表す」とも言う。さらに書家は「書は人なり」と説き、マルキストの福本和夫は「書は人なりで、書でもって人柄がよくわかるが、私はさらに書は体格なりで、書でもって体格さえ察せられるようにおもっている」と述べている。戦前の日本と異なり、今や政治家の揮毫が珍重されるような時代でもないが、政治家ならせめて気迫の籠もった字を書いて欲しいものだと思った。いつでも消しまっせ、と言わんばかりのくしゃくしゃとした字で、見かけだけはもっともらしいことをいくら書いても、見る方に本当らしさがこれっぽちもが伝わってこない。これだけで政治家失格である。

誠実さの伝わる、そしてできたら雄渾な文字を書く政治家に天下を取らせたいものである。

第21回宝塚混声合唱団音楽会を聴いて

2009-07-21 11:23:32 | 音楽・美術
上手な合唱団と友人に勧められて、そしてチケットまで貰ったものだから7月18日の午後、会場のいたみホールまで出かけた。開場が午後2時で私が到着したのが10分過ぎ、それなのにまだ長い行列が続いている。大ホールに入って少し前の方ではあるが見やすく聴きやすい席に腰を下ろすことが出来た。

団員が舞台の左右から登場、後列、中列、前列と三段に分かれて踏み段を埋めてゆき、左右ほぼ同時にならび終える。女性が50人ほど、男性がほぼ30人、合わせて80人のなめらかでなんとなくリズミカルな動きが気持ちよい。演奏への期待が高まる。

プログラムは四部に分かれていて、一部は谷川俊太郎作詞、松下耕作曲の「信じる」、二部はJ.G.Rheinberger作曲の「Requiem in d Op.194」、休憩を挟んで三部はJ.Brahmsの「Vier Quartette Op.92」に四部はRobert Ray作曲の「Gospel Mass」。どの曲もみな長い。だから皆さんが楽譜を手にしているのに安心した。これを暗譜でなんて言われたら私なんか卒倒してしまう。

私には初めての曲ばかりなので最初は少々身構えてていたようであるが、80人の醸し出す大人数ならではのハーモニーはやはり快い。女声男声のバランスもよく、歌の終わりの、意図的にそうしているのだろうか、和音が時間をかけてすーっと消えていくところが何回かあり、とても美しくて印象的であった。

面白かったのはピアノにベースギターとドラムも加わった「Gospel Mass」である。なかなかのりがいい。音楽はこうでなくちゃ、と身体もなんとなく揺らいでくる。女声と男声のソロが入るが、臆せずにマイクを使ったのがよかった。とくに女声高音の張りと艶やかさ。あんな声を聞かされたらついふらふらとついていって、気がついたら信者にされてしまっている。まさにSIREN、おそろしやおそろしやである。その後の誠実そうな男声ソロで、はやる心が鎮められたのがよかった。

それにしてもこの「Gospel Mass」といい、「Requiem in d Op.194」といい、日本の合唱団が宗教曲を多く取り上げるのはどういうことだろう。教会の合唱団から始まったので、と言うのならそれはそれなりに分かるが、こいう歌を歌い続けている間に自然と宗教心が厚くなるのだろうか。プログラムの半分が宗教曲なので、世俗曲大好きの私はついそんなことを考えた。

世俗曲と言えばBrahmsの曲、同じことなら「Liebeslieder」のようなポピュラーな歌を取り入れてほしかった。知っている曲が一つもないというのは寂しいものであるからだ。だからというわけではないが、「Vier Quartette Op.92」に限って、緊張感が薄らいでいるように感じた。と言うのも歌詞がドイツ語のせいか、「信じる」の日本語と違って言葉が、従って曲がボヤーんと耳に入ってくるのである。私の席の位置のせいでコーラスの右端と左端から声の届く時間がずれているせいか、と思ったぐらいであった。日本人がドイツ語の発音を大人数で合わせるのは難しすぎるのでは無かろうか。

と勝手な感想を述べたが、私が驚いたのはプログラムパンフレットの立派な出来である。B5サイズで表・裏表紙を合わせると12ページにもなり、プログラム、曲の解説、歌詞のすべて(外国語の場合は対訳が附せられている)に出演者の紹介などが過不足無く収められている。おかげさまで開演までに一通り目を通すことで、歌詞などもおおまかに掴むことができた。


紹介されて初めて知ったこの宝塚混声合唱団の合唱にかける意気込みとレベルの高さには感銘を受けた。団員一人ひとりがそれぞれの人生ドラマを演じながら、意気投合した仲間同士寄り集い、日々の精進を積み重ねて聴衆を感動させるコーラスを作り上げていく。こういう創造の動きが私たちの周辺にさりげなく繰り広げられていることをあらためて実感し、日本人の心の豊かさを共有し合えたのが嬉しかった。

来るなら来てみろ 蟻っこよ  追記有り

2009-07-20 09:56:39 | Weblog

この季節になると蟻が私の机の上を忙しげに走り回る。部屋は2階で北東を向き、二面の窓はアルミサッシで、一見蟻が侵入しそうな穴は見あたらないがどこか秘密の侵入ルートがあるに違いない。むずむずすると思ったら腕や脚を這い回っている。ある朝、ティッシューを取り出そうとしてぎょっとした。蟻の大群がティッシューに群がっているのである。このティッシュー、すこし甘い匂いがするのでそれに釣られてやって来たのだろうか。これまでも再々あったのだが、今回に限ってなんだか頭が働いて、ティッシューに蟻が行き着けないように工夫した。と言ってもガラス製のペーパーウエイトにティッシュー箱を載せただけである。つるつるするガラスを登り切ったとしても、今度は背面走行をかなりしなければティッシューに辿り着けないから、蟻も意欲減退するだろうと思ったのである。それ以来もう一週間にはなるが、ティッシューにまで到達した蟻はまだ一匹もいない。実験成功である\(^^@)/。それにしてもこのティッシューのメーカー、芳香剤が蟻を誘引することに気付いているのだろうか。

話は一転するが、子供の頃よく歌った軍歌に「荒鷲の歌」というのがある。一番の歌詞は次の通り、赤蜻蛉とは敵の飛行機をさげすんだ表現で、これに対して日本軍の航空機が荒鷲なのである。

♪見たか銀翼 この勇姿
 日本男児が 精こめて
 つくって育てた わが愛機
 空の護りは 引き受けた
 来るなら来てみろ 赤蜻蛉
 ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

タイトルは「♪来るなら来てみろ 赤蜻蛉」のもじりである。こういうのがスッと出てくるのがわれながら凄いと思う。

追記(7月21日) 友人から面白い話を聞いた。別のメーカーであるが、20年も前のこと、同じようにティッシューに蟻が群がっていたので、そのティッシューをビニール袋に入れて、メーカーに送りつけたというのである。変な添加剤を加えてはいないので原因は分からないとの返事が新しいティッシュー5箱とともに戻ってきたとのことであった。そこであらためてティッシューの匂いをたっぷり嗅いだが、確かに甘いと思った匂いはしていない。どうも私の先入観による幻臭であった可能性が高い。では、何が原因なのだろう。ティッシュー・メーカーに直接聞いてもよいが、物欲しげに受け取られるのは本意でないので止めることにした。何方か、代わりにやっていただいてもいいのであるが・・・。
 

70歳以上の医療費は14兆8千億円 どこまでほんまかいな?

2009-07-19 16:46:31 | Weblog
asahi.com(2009年7月17日22時2分)の伝えるニュースである。

 08年度の医療費34兆1千億円 過去最高を更新

 08年度の医療費は前年度比1.9%増の34兆1千億円で、過去最高を更新したことが17日、厚生労働省の集計でわかった。増加は6年連続。このうち70歳以上の医療費は14兆8千億円(前年度比2.1%増)と全体の43.5%を占めており、03年度からの5年間で2.5兆円増えている。

 この日公表されたのは概算医療費で、公的医療保険と公費から支払われた医療費。1人あたりの医療費は26万7千円(同1.9%増)。70歳以上は75万7千円で、70歳未満の16万4千円の4.6倍に上った。

 08年度から始まった75歳以上が対象の後期高齢者医療制度分の医療費は11兆4千億円で全体の33.5%だった。

34兆1千億円といえば、防衛省の平成21年度概算要求が5兆円足らずであるから約7倍になる。国防費を遙かに上回る医療費とはまさに平和のしるし、めでたしめでたしと言いたいところであるが、高齢者対象の医療費が高額と強調されているような書きぶりが気になった。そこで一言呈上、70歳以上の医療費は14兆8千億円、これ、どの程度ほんまかいな、である。

最近、こんなニュースがあった。奈良県大和郡山市の医療法人雄山会「山本病院」が、生活保護受給者に対し、手術や検査をしたように装って診療報酬を不正請求していたと言うのである。この詐欺事件では生活保護受給者がダシに使われたが、同じようなことが高齢者を相手に行われていると私は断じるのである。高齢者相手に「振り込め詐欺」を始めとするいろんな騙しのテクニックが報じられているが、私に言わせると、健康不安を抱えた高齢者ががいちばん狙われているのは医療の現場であろうと思う。その実態とは私があれこれ言うよりも、病院がよいの高齢者を身近に抱えている国民の多くが、「あれはおかしい」とか「あれはやり過ぎ」とか、日常感じていることを口に出して頂くだけでよい。

上の記事に70歳以上一人当たりの年間医療費が75万7千円と出ているが、これは統計データで現実ではない。厚生労働省「国民生活基礎調査」(平成16年)の「65歳以上の高齢者の健康についての意識」によると、「よい」、「まあよい」、「ふつう」をあわせると、男性では68.1%、女性では64.1%になる。従って現実には残りの三分の一が医者にかかっているとすると、病人一人当たりの医療費は75万円の三倍、すなわち225万円にも達する。真面目な医療従事者には申し訳ない言い方になるが、高齢者が一人医者を訪れることは、225万円をしょってきていることになる。まさに葱をしょった鴨である。手放すわけにはいかない。いったいどのように料理されるのだろう。

私は後期高齢者入りを目前にしているが、現役時代も含めて過去20年ほど、医者にかかった記憶はほとんどない。理学部の出身者でありながら縁あって医学部に奉職(なんと懐かしいこの言葉の響き!)して20年余り過ごしたこともあって、自分の健康は自分で守ることの重要さを学び、そして実践してきたからであると思っている。五感を研ぎ澄ませて絶えず身体の発する言葉に耳を傾けるるようにしていると、自分の身体の状態を自得できるようになるものである。健康診断のあれやこれやの検査数値などはお呼びでない。実験屋の業であろうか、どうして出てきたか分からない数値を簡単には信用しないからでもある。だから職場での定期健康診断も在職期間の後半は受けていない。時々の不調は常のこと、有難いことにいまだ健在な復元力を頼りに今日に至っている。

高齢者だから医療費が嵩むのは当然と世間の人は思うのかも知れない。ところが私はそうとは思わない。自分のことで言えば若い時にこそ医療費がかかっていた。甲状腺機能亢進症になったせいと、足繁く歯医者通いをしたためである。しかし四十代後半からは医者いらずになった。そして現在に至る、だから、高齢者医療費には一切寄与していない。高齢者になれば身体機能が衰えてくるのは当たり前のこと、だから衰えるままに任せておけばよいのである。身体は機械と同じようなもので、動かさなければさびついてしまうから、ラジオ体操を欠かさないとか、庭仕事や散歩を日課にして自分で身体を動かすのは大いに結構である。今まで長年文字通り手足となって自分を支えてきてくれた手足であり、そして身体のいろいろな臓器である。長年のお付き合いで自分の具合は自分でこそよく分かる。また分かるように日頃から努めるべきなのである。病的な異常を感じたらそれこそ医者に直行すればよい。

健康診断はもちろんのこと、簡単にできるからとて血液検査なんて一切不要である。高齢者こそ数値で自分の身体の具合を評価されるなんて、非礼な行為から一切解放されるべきなのである。余計なことを知らされないからこそ、心の平安が保たれ、日々の生活が喜びと感謝に満たされる。数値に踊らされる馬鹿さ加減を余計なお節介のメタボ特定健診メタボ特定健診という愚行などで述べたが、メタボ特定健診を拒否することこそ知性人の証である。人生経験を積んだ高齢者こそ自分の身体をよく知っている。分からないと思えば今からでも知るべく努力を重ねればよい。そして検査数値を頼りにしかものの言えない医療従事者を一笑に付するればよい。要は医者に行くべきかどうかの判断を自分で下せる力を身につけることである。高齢者すべてがそういう判断をするようになれば、かりに病院に行ったとしても余計な検査を拒絶するし、過剰医療にストップをかけることも出来る。

そう思って70歳以上の医療費は14兆8千億円にあらためて目を向けると、この半分は不要の医療行為によるもののように私の目には映ってきた。「不要の医療行為」とは控えめの表現で、厳しく言えば医療費詐取行為にもなろう。民主党あたりが医療費の歳出カットに本腰を入れれば、70歳以下の医療費並みとまでは行かないまでも、高齢者医療費が劇的に減少すること間違いなしと思う。高齢者が医療費を大食いするとのイメージはこれで払拭されることであろう。

宵宵山の京都をぶらぶら

2009-07-16 10:51:00 | Weblog

八坂神社で催される恒例の祇園祭伝統芸能大会に出かけた。かって私も所属していた一弦琴の会の演奏がお目当てである。自分が演奏しなくてもよいからとても気楽で、久しぶりに懐かしい味わいのある演奏に耳を傾けた。やはり独特のスタイルがあることにあらためて感じ入る。お師匠さんにもお目にかかり久闊を叙す。そのお師匠さんを支えるかっての仲間がまぶしかった。ぜひとも流れを引き継いで下さるようにと心に念じた。

鴨川に沿って四条から三条まで歩く。三条では懐かしくて明治屋に入った。京都に住んでいた頃は月に何回か通ったものである。もう10年以上経つのに品揃えとその配置が昔と変わらないのに驚く。京都にはこのような店を支えるハイカラさんの層が厚いんだなあとあらためて思った。0.125グラムのサフラン袋が3包みセットで600円あまり、これだと使いやすいので買い物かごに入れたところ、その横の棚にはサフラン1.3グラム入りの小瓶が1300円余りで並んでいた。ところがラベルの「中国製」の文字が目についたものだからこちらは敬遠して、元通りイタリア原産の袋入りを選んでしまった。文字の力は偉大なり、である。メープルシロップが3割引ぐらいの値段になっていたので、これにも手を出してしまった。ワッフル用である。

河原町通りに出ると、かってちょこちょこ顔を出していたアサヒビヤレストランに立ち寄ってみようという気になった。外観がなんだか変わってしまって名前も、以前はどうだったのか覚えてはいないが、「スーパードライ・京都」になっている。3組ほど待っていたが暑い盛りに歩き回るよりは、と待ち行列に加わり、半時間ほどで席に案内された。水曜日はレディースデイだとかで、ピルスナーのビールが一杯無料になると聞いて妻の顔がほころぶ。月曜日には男性にも同じサービスがあるからひがむことはない。1時間以上腰を据え、たっぷりと夕闇が立ちこめてから街歩きに出発、三条通りからまず烏丸通りに抜けることにした。

さすが烏丸通りに出ると人が多い。それでもぶつかり合うことなしに歩ける。それよりもこの通りの両側にびっしりと並んだ屋台の数に驚いた。昔からこうだったのか、ちょっと思い出せない。どのような仕組みですべての屋台に場所を割り当てているのか、その見事さに敬服した。京都では八坂神社の前の交差点内に駐車していても、車がドイツのさるメーカーのものだと警察も手を出さないという伝説があるほど、隠然とした力を誇示する団体が存在するとか。こういう人たちが仕切っているのかな、と想像を巡らした。

四条通りに出て長刀鉾を始めいくつかの鉾の祇園囃子に耳を傾け、私に関わりのあるすべての人の無病息災を念じ、阪急四条河原町駅に向かった。