日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴 「牡丹」の復活

2010-03-31 22:39:40 | 一弦琴
3月31日も余すところ2時間を切った。明日から新年度、新学期である。先ほどから雨音がしている。一弦琴「牡丹」に触発されて昨年植えた牡丹が葉をふき花のつぼみも大きくなり始めた。雨が降るたびにふくらむようである。間もなく花が開いてくれることだろう。


一弦琴「牡丹」の3年前の演奏をYouTubeにアップロードしてみた。自分で言うのもなんであるが、山田一紫さんに刺戟されてお稽古を再開した最近の「牡丹」より出来がよいのである。一紫さんの演奏を聴かずに無心で弾いていたせいかな、と思ったりもする。




「サンデープロジェクト」の田原総一郎さん お疲れ様でした

2010-03-30 18:35:12 | Weblog
テレビで亀井静香郵政改革担当相と菅直人副総理兼財務相が郵政改革法案をめぐり、言ったとか言わなかったとか言い合っている。前向きに論議をすすめるのならともかく、こういう愚にもつかぬやりとりを国民の目の前で臆面もなく繰り広げる光景に、これ、本物の大臣?と疑ってしまった。これは3月28日(日)の「サンデープロジェクト」で収録されたもののようであるが、そういえばその日の朝日朝刊に司会の田原総一郎さんのインタビュー記事が出ていたのを思い出した。21年間続いたこの番組が28日で最終回を迎えるのである。

「毎日が日曜日」の身分になって、土曜日は竹村健一さん、日曜日は田原さんの出てくるいわゆる政治討論番組を観るのが楽しみだった。全くの別世界であった政治が身近に感じられる気がしたのと、政治家のいろんなキャラクターをかいま見るのも面白かった。テレビ写りを気にしている人からは芝居気を感じたり、恬淡としている人には誠実みを覚えたりした。田原さんの番組に出た政治家で私が一番印象づけられたのは中曽根康弘元総理で、真正面からものを言う姿勢と見識の高さがまさに政治家らしくてよかった。だからこそ「政界の風見鶏」たり得たのだと思うようになった。

ここ二三年は熱心な視聴者ではなくなった。政治家の粒が小さくなって、薄っぺらくなって、話を聞いてよかったと感じることがなくなってしまったからである。私が5年前に政治家を積極的に評価したことがあるが、その世耕弘成参議院議員の「郵政民営化関連六法案」に対する賛成討論は名演説なるブログを偶然にも昨日わざわざ訪れて下さった方がいた。今読み返してまさに隔世の感であるが、この時のように政治家の演説の鮮烈さを味わうことはその後なくなってしまった。

竹村さんが「報道2001」から姿を消し、筑紫哲也さんも亡くなり、残るは田原さんの「サンデープロジェクト」になってしまったものの、いったん足が遠のくと戻るのが億劫になり、28日の最後の番組も申し訳ないことに結局観ずじまいであった。田原さんはやる気十分なのに、どうも局の都合で打ち切られたように伝わって来て、私のような聴視者が増えてきたせいかとも思ったりした。でもそれは田原さんのせいではなくて、政治家が小さくなってしまったからで、早い話が亀井大臣と菅副総理のようなやり取りのどこに聴視者を引きつける力があると言えよう。残るは政治家がタレント化したバライアティ番組ぐらいであろう。これとてもいずれは飽きられてしまうこと疑いなしである。

インタビュー記事を見て田原さんが私と同年であることを再認識した。次のような言葉である。


『敗戦』と戸惑い無く言い切れる世代なのである。私もまったく同じ、疑うことが業となり、科学者を卒業した今でも好奇心は衰えることなく疑い続けている。『天皇陛下万歳!』をたたき込まれ、そしてひっくり返されたのがよかった。そして田原さんはこうも言う。


これぐらい、言わして貰ってもいいじゃないの、と私も同調する。次の世代、その次の世代への檄なのである。もって「サンデープロジェクト」の田原さんも瞑すべし、と申し上げよう。


洋食屋がどんぶりや屋に でも味噌屋は味噌屋

2010-03-29 18:33:54 | 旅行・ぶらぶら歩き
先日梅田のヨドバシに出かけたとき、いつものことながらお昼を梅田地下の洋食屋で摂ろうとした。以前犬も歩けばオムライス 大阪のおっちゃんでふれた洋食屋である。とことが、あるべきところにこの店がない。あるのはどんぶり屋である。梅田に出たのは久しぶりなのでひょっとして場所を見間違えたのかなと思い、しばらくその周辺を歩いてみたが場所は間違っていない。洋食屋がどんぶり屋に変わったのである。主なメニューが500円なのでいわゆるファースト・フッドの店なのだろう。仕方がないのでこの店に入りカツ丼を注文した。味は少しきついがまあまあである。出がけにレジでいつから始めたのかと聞いたところ3月17日からとの答えが返ってきた。それにしても前の洋食屋さん、どうして無くなってしまったのだろう。お昼時しか知らないが、結構お客さんが入っていたと思うのに経営が難しかったのだろうか。オムライスを楽しみに行ったのに残念至極であった。それにしても大阪の人、洋食はハイカラすぎるのだろうか。

そしてこれからが私の好きな因縁話なのである。私は時々ある秘密の用事で大阪天満宮近くの秘密の場所に出かける。以前は阪急電車で梅田まで出て、地下鉄谷町線に乗り換え南森町で降りていた。ところが去年その顛末を野崎参りで思いがけないご利益で記したことであるが、JR東西線に乗ると三宮から大阪天満宮まで普通電車だと乗り換えなしに行けることが分かって以来、もっぱらJRを利用している。梅田ともちょっと縁遠くなったのは、これが与っていると言える。この大阪天満宮の近くに「とりゐ味噌」という老舗のお味噌屋さんがあって、いつぞや立ち寄って美味しいとの評判の柚子味噌を買おうとしたが、夕方時でもう売り切れてしまい、かわりに金山時味噌を買ったことがある。その時に谷崎潤一郎夫人の谷崎松子さんからの礼状のコピーを店内に展示しているのに気がついた。美食家と知られる谷崎潤一郎の朝食の食膳にこのお店の味噌が上がっていたのだろうか。というのもこの「とりゐ味噌」店はなんと創業が300年以上も前の元禄時代と言うから半端じゃない。その店で今でも遅く行くと売り切れ間違いなしという大勢の人に支えられた商品を作り続けているのだから凄いの一言に尽きる。洋食屋が太刀打ちするのも大変というのが分かるような気がする。

そこで因縁話というのはこうなのである。後で知ることになった梅田のどんぶり屋が開店したその日、秘密の場所に赴く途中この「とりゐ味噌」店に差し掛かり、なにげなく店を覗き込んでいたのである。そして店先に張り出していた下のビラに目が行ったときにあれっと思った。


なんと私の従兄弟の文章なのである。発酵工学を出ているので味噌とは関係大ありなのであるが、それにしてもこんなところでお目にかかるとはその偶然に驚いた。文章に目を通したが、「とりゐ味噌」を取り上げているわけではないので、谷崎松子さんの礼状とは趣が異なる。もしかして仕事の上で何かの関わりがあったのか、それともただ単に味噌が取り持つだけの縁なのか、この時は確かめる時間が無かったが、今度通りがかった時にもしこのビラが残っていたらその謂われを聞くのも面白かろうと思った。従兄弟にはまだ話していない。

左下のビラがそうである。



ラジオサーバーポケット Olympus PJ-10で語学講座の録音を 追記有り

2010-03-28 12:05:43 | Weblog
土曜日曜は朝起きる時間を気にせずに眠っておられるのが嬉しい。毎日が日曜日ではないのか、と言われそうであるがさにあらず、月曜から金曜までは午前7時にiPhoneのアラームで起こされてしまう。7時15分から始まるNHKの「まいにちハングル講座」を聴くためである。もちろん再放送が同じ日の午後2時半と11時15分から2回もあるので、そのいずれかを聴いてもよいのであるが、何かしていることが多いのでつい聞き逃してしまうことになる。起きがけだとその心配がない。明3月29日からまた新学期が始まるが、今度こそズルを決め込むことにした。録音をすればよいのである。予約録音機能のついたラジオのあることは前から知っていたが、タイミングよく「テレビでハングル講座」4月号の裏表紙で広告を見かけた。製品の性能を調べるとなかなか便利そうなので、昨日、久しぶりのお天気に誘われ梅田のヨドバシまでふらふらと出かけた。

本体はいわゆるポケットサイズで2ギガのフラッシュメモリーが内蔵されており、予約録音が可能でMP3形式の標準音質では64時間録音が出来る。パソコン接続も可能である。これだけ分かっておれば十分なので即買い求めた。19800円也で10%分のポイントがついた。


本機にはアンテナステーションが付属していて、家庭用電源から電源を供給できるようになっているし、付属のAMループアンテナにFMケーブルアンテナや同軸ケーブルをステーションに接続できるようになっている。本機には内蔵スピーカーもあるが、私はイヤフォンジャックからパソコン用スピーカーに接続して音を大きく聞けるようにした。このスピーカーは入力用に2チャンネルの端子があり、PCとラジオの切り替えが簡単にできるようになっている。

本機はPCともUSBでの接続が可能で、録音したファイルをPCに転送することが出来る。またPJ-10用予約設定ツールをホームページからダウンロードしてインストールすれば、PC上で予約録音の設定が可能になる。入力がとても簡単で、設定のあと確定ボタンをクリックすれば本機にデータが送られる。PJ-10には時刻自動補正機能がついていて、電源が切れている時にNHK第一放送の0時、6時、12時、18時の時報を利用して時刻合わせをするとのことなので、この点安心できる。これで明日から始まる「まいにちハングル講座」を気にせずに朝寝を楽しめそうである。ついでに午前6時45分から始まる「まいにちドイツ語」も予約録音することにした。なんでもこいである。


追記(3月29日) 

いつものように朝7時、アラームで目が覚めた。もう要らなくなったのに消し忘れていたのである。これ幸い?とOlympus PJ-10の動きを眺めることにした。7時15分の1分前になると自動的に電源が入って、液晶パネルに「間もなく予約開始時刻です」のメッセージが現れた。15分ちょうどに画面が変わり録音表示ランプが赤くなったので録音が始まったのだろう。そして7時30分で録音は終了した。

本機の電源が切れた状態でPCへUSB接続すると、「PCと接続中です」の表示が現れ、PC上で本機に録音したファイルが間違い無く存在することを確認できた。それをPCの適当なフォルダーにコピーしたのでWindows Media Playerなどで再生可能となった。さあ、これで安心、いよいよ目覚ましのアラームを消すことにする。



「子ども手当法」の成立 ああ、日本共産党が賛成するとは

2010-03-26 18:13:43 | 社会・政治
子ども手当法が成立=民主主要施策で初、6月から支給

 中学卒業までの子ども1人当たり月1万3000円を支給する子ども手当法は、26日の参院本会議で民主、社民、国民新の与党3党と野党の公明、共産両党などの賛成多数で可決、成立した。民主党が、衆院選マニフェスト(政権公約)で掲げた、主要施策の関連法の成立は初めて。
 今回成立の子ども手当法は、2010年度の支給に限った内容。2、6、10月の年3回に分けて、原則的に4カ月分をまとめて支給するが、初回となる6月は4、5月分を支給する。所得制限は設けない。10年度の給付総額は2兆2554億円。
(時事ドットコム 2010/03/26-11:48)

ということである。昨年8月24日、間近に迫った総選挙で民主党の優勢が伝えられる中、私は、民主党に300議席は多すぎる 歯止めをかけるにはで、子ども手当案に反対の意見を次のように述べた。

子ども手当案も危なっかしい。中学卒業まで1人当たり年31万2000円を支給するとのこと、子どもが3人おればこの家族にとっては年間100万円の不労所得である。必ずや親の欲望の充足に使われることが目に見えている。自助努力の精神がこれで押しつぶされてしまう。「家貧しくして孝子顕わる」とも「家貧しくして親老ゆれば禄を撰ばずして仕う」とも、かっては「貧」すら人生に対するチャレンジの原動力となり人間が育ってきたのである。見せかけでない、真のハングリー精神が生きていた。民主党がマニフェストにうたうように、すべての子どもたちに教育のチャンスを作る気があるのなら、個人にお金を渡さずに、その目的にかなった税金の使い方をアピールすべきなのである。これでは子どものある家庭の票をお金で釣り上げるようなものである。

今もまったくこの考えは変わらない。民主党の無理押しでこの「子ども手当法」が通るようなことがあってはならないと思い、日本共産党の進出に次のように期待をかけ、そして実行した。

来週の今頃はすでに総選挙の大勢は決まっているだろうが、単独過半数を取った民主党が上に述べたような愚策に公約だからと一挙に走って欲しくはない。それを防ぐにはどうすればよいのか。民主党に単独過半数を許さず、民主、自民、公明以外の党にキャスチングボートを握らすことである。そして現実にわれわれが出来ることは、小選挙区では民主党に入れても、比例代表では三党以外に投票することである。民主党と明らかに連立を組みそうな党を除外するなら、残るのは日本共産党だけである。建設的野党とか気取っているようであるが、現実にキャスチングボートを握る立場におかれて、共産党がどのように行動するのか、それをとくと見極めたいという意地悪な気持ちもないではない。地方は民主党に投票する人が、比例は共産党にすれば日本の政治が大きく変わることだけは間違い無い。その夢に賭けてみたいと思う。

その共産党が何を血迷ったか、財源確保の見通しもままならない情況なのに「子ども手当法」に公明党ともども賛成する愚行を犯した。しかもその裏付けとなる平成22年度予算案に反対とは余りにも事なかれ主義である。バッカみたい。今度は「みんなの党」に入れようかな。


林望さんの「謹訳 源氏物語」に目を通して

2010-03-25 23:19:59 | 読書

このタイトルを書くのに迷った。林望謹訳「源氏物語」とすべきなのかとも思ったが、中表紙に「謹訳 源氏物語」と印刷されていたのでこのタイトルにしたわけである。ところが今度は「謹訳」の意味が引っかかった。新明解、広辞苑、大辞泉、大辞林、小学館国語大辞典、大言海、字通のいずれにも「謹訳」という言葉が出ていない。「謹呈」という言葉は論文の別刷りを人にさし上げるときに習慣的に使っていたので、それから類推すると謹訳はつつしんで現代訳を仕りましたの意味ではないかと思うが、要するに一般的に使われる言葉ではない。書誌学者である林望さんならではの言葉遣いなのだろうが、出来ればうんちくを傾けての説明が欲しかった。

と、最初から引っかかったが、この本を書店で手にしたときからドキッとさせられたのである。本を静かに開いたつもりなのに、その背を折ったかのようにパクッと開いてしまったからである。雑な造本だなと思ってそれだけで興味を失いかけたが、どこを開けてもパクッと折れる。不思議に思ってパラパラとめくっていると次のような説明が目についた。

これで納得。でも人騒がせな本である。しかしこのページをスキャナーで取りこむ時も、このページがガラス面にピタリと密着するのでなかなか具合がよい。本のカバーを外してみると背表紙のないのがもの新しく、安藤忠雄さんの打ち放しコンクリート造りを連想した。


確かに「どのページもきれいに開いて読みやす」いのであるが、ところどころ際まで開かないところがある。この装訂では紙を四枚重ねて二つ折れにして何カ所か糸で綴じて小冊子を作り、小冊子をさらに積み重ねて接着剤でつなぎ合わせて一冊の本に仕上げているが、この接着剤が小冊子間に少々はみ出して紙同士をくっつけているようなのである。これをはがしてみようと少々試みたが、何か悪いことが起こりそうな気がしたので無理は止めにした。接着剤を上手に使っている点では、以前に写真で示したペーパーバックスの造本と共通しているのであろう。ただしペーパーバックスではページを完全に開ききるようにはなっていない。それにしても林望さん、ほんとうはどのような意図でこの造本にしたのだろう。なんだか勿体をつけながら、安上がりを狙ったのだろうか。

家に帰ってよく見ると、「謹訳 源氏物語」は全十巻完結の予定で、全十巻というところは瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」と同じである。巻編成を比べてみると巻七と巻八以外は両者まったく変わらない。林望源氏の巻七は寂聴源氏より三帖少なく、その分が巻八に回っている。と言っても寂聴源氏の三帖の中には「雲隠」が含まれており、「雲隠」とのみ印刷したページが存在しているが、林望源氏ではその帖が完全に雲隠れしていて「雲隠」の文字すら見当たらない。書誌学者としての一家言あってのことだろうか、仕上げではどう料理されているだろうか。

あれやこれや周辺のことに気が取られたものだから、本文はなにはともあれと「桐壷」を読んだだけである。帯に檀ふみさんの、これはどう考えても「小説」なのです、との評が紹介されているが、なるほど言い得て妙であると私も思った。そういう意味では確かに読みやすい。まずのっけから、

 女御ならば皇族または大臣家の娘、更衣ならば大納言以下の貴族の娘と決まったものゆえ、その並々ならぬ家柄の女御のかたがたからみれば、我をさしおいて桐壷の更衣ごときがご寵愛をほしいままにするなど、本来まことにけしからぬ話、とんでもない成り上がり者と、あしざまにののしらずにはおられない。

と、いうように、女御、更衣の説明をちゃっかりと本文にいれてしまっているのである。ある程度の素養があれば、いちいち注釈などに頼らずに気楽に読んでいけるのがよい。まさに小説を読む感覚である。

ただ一方ではこれ、ほんとかな、と引っかかるところもあった。たとえばこういうところである。

 この頃、明け暮れにご覧になる『長恨歌』の絵巻物があって、その絵は宇多天皇のご宸筆、また絵に合わせて伊勢の御や紀貫之らに詠ませた和歌や、また漢詩もとりどり書かれているのだが、帝は、そのいずれをご覧になっても、ただ玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋のことばかりを、口癖のように仰せになる、そんな日々が続いている。
(28ページ)

宇多天皇のご宸筆とは宇多天皇ご自身の直筆ということだから、ここは『長恨歌』の絵巻物を宇多天皇がお描きになったことになる。ほんとかな、と思ったものだから原文をあたってみると次のようになっている。

 このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢 貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。

なるほど「亭子院の描かせたまひて」の「せ」は、尊敬とも使役とも受け取られるが、ここは使役、すなわち絵師に命じて描かせた、とするほうが素直ではなかろうか。宇多天皇が彩管をふるわれたとは世に伝わっていないからである。私の見た限りの現代訳では使役になっている。それどころか林望さんご自身、このあとの31ページで

 絵巻物に描かれている楊貴妃の姿は、どんなに上手な絵師が描いたとしても、しょせん筆には限りがあるから、生きている人間のような色香には乏しい。

と、この絵巻物が絵師により描かれたことを前提とした書き方になっている。原文がもちろんそうなのであるが、林望さんの「宇多天皇のご宸筆」では矛盾をきたすことになる。ついでに言えば林望さんは宇多天皇と書かれたが、原文の亭子院とは明らかに上皇の御所なのであるから、宇多上皇とかせめて宇多院とすべきであろう。これもちぐはぐである。

書誌学者の林望先生の現代訳ではあるが、素人の私が突っ込みを入れたくなるようなところが、全巻完結までこれからもちょくちょく出てきそうなのが楽しみである。



生方民主副幹事長の解任を撤回 次は鳩山民主党代表が小沢幹事長解任を

2010-03-24 09:21:51 | 放言
ことの起こりは産経ニュースの3月17日に現れた次のインタビュー記事のようである。

【単刀直言】生方幸夫民主副幹事長「党の“中央集権”、首相は小沢氏を呼び注意を」
2010.3.17 00:40

 与党に政策部門がないのは絶対におかしい。民主党に元気がなくなったのは、自由に議論する場がなくなったからです。政策調査会と、その下の部会を再び作って、みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけません。

 衆院選マニフェスト(政権公約)の実行が思うようにできていません。それに対する十分な説明を民主党がしきれていないのは、党に政策責任者がいないからです。説明を一つ一つしていれば、民主党への信頼が今のように落ちることはなかった。

 鳩山さん(由紀夫首相)は約10年前に「1人1政策作ろう」と、仲間たちに呼びかけたはずです。政権交代で、それを実現しようと思ったら、議員立法も制限されてしまった。政治主導にはほど遠い。

 われわれは自民党政権がやってきた中央集権はダメだと言ってきた。地方分権にしようといってきたのに、民主党の運営はまさに中央集権です。今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている。下に権限と財源が与えられていない状況はおかしいでしょ。党の代表である鳩山さんは、小沢さん(一郎幹事長)を呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意してほしい。

 1年生議員は民主党に入ったときから、強度の管理体制下に置かれているから、しゃべっていいものかどうかすら分からないんじゃないでしょうか。

 民主党への信頼が低下している要因には「政治とカネ」の問題もあります。小沢さんに関して、今までの説明に納得していない人が圧倒的に多数で、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多い。小沢さんがしかるべき場所できちんと説明するのが第一。それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないです。

 国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロだとは思っていないんですよ。おそらく説明できないんでしょうね。小沢さんは前よりだいぶ権威づけられてきたというか、権力者になってきましたね。

 北海道教職員組合の問題は、これも一番上は(出身母体が日本教職員組合の)輿石さん(東・参院議員会長)ですからね…。(民主党議員は)組合からあまりお金をもらっちゃいけない。組織内候補といわれる方の献金額は常識的な額ではない。参院選への影響は、政治ですから何があるか分かりませんけど、要するに言い訳から入る選挙は勝てませんよ。

 公明党とどうするかは党の方針の問題です。議員の意見を聞かないといけません。国会運営をうまくするためにとか、味方が一人でも多けりゃいいと思って連携するなら大間違い。誰かの思いつきでやっていいことではない。選挙で公明党がイヤだから応援してくれた人だっていっぱいいたわけですから。(坂井広志)

    ◇

 うぶかた・ゆきお 衆院千葉6区選出。当選4回。横路孝弘衆院議長のグループに所属。昭和22年、東京都生まれ。47年、早大卒。読売新聞記者を経て経済評論家に。平成8年の衆院選で初当選。今年3月、民主党有志でつくる「政策調査会の設置を目指す会」世話人に就任。

この強調部分(私)など、ほとんどの国民が同感するのではなかろうか。ところが民主党の高嶋良充筆頭副幹事長が生方氏に対して「執行部を批判した」として、副幹事長職の辞表提出を求めたことからことが広まった。産経ニュースの記事の見出しを連ねてみる。

* 生方副幹事長、辞任拒否 「小沢氏は元秘書ら3人逮捕されているのに…」3.18 15:08
* 民主、生方副幹事長を解任 辞任拒否で“粛清” 「動き出てくる」?3.18 20:42
* 生方氏解任「残念だ」 首相3.19 08:37
* 「生方氏解任」余震続く政府・民主 小沢氏は沈黙 閣僚は賛否3.19 20:43
* 生方氏解任で賛否応酬続く 執行部からは「反省」も3.20 19:32
* 「自由なき民主党だ」 小沢氏の地元で大島氏3.21 00:26
* 全体的にダメージ-細野氏 生方氏の解任問題3.21 12:02
* 民主・渡部氏「国民が辞めてほしい人は辞めよ」「世論大事にしないと民主党亡ぶ」3.23 13:14
* 小沢氏、生方民主副幹事長の解任を撤回 「もう一度補佐してほしい」3.23 13:46

世間ではこの高嶋筆頭副幹事長のような人を「茶坊主」と呼ぶが、その本来の意味は『権力者にへつらうものをののしって言う語』なのである。ご本人の小沢幹事長が一言も発しないのに、あたかもその意を汲んだかのような発言をすることで自ずとその正体を明らかにする。しかし所詮茶坊主は茶坊主、主(権力者)の器量とは比べるべくもない才覚でなすことであるから、大局の見通しがきくはずもない。そこで主がおもむろに声を発することでさらにその存在感を誇示する。それがこのたびのドタバタ劇なのである。

しかし国民の多くはそんな茶番をとっくにお見通しである。民主党がとことん国民に愛想を尽かされるまえの起死回生は鳩山代表による小沢幹事長解任があるのみ、としか思えないが、できれば4月1日までに朗報を期待したいものである。



邦楽の集いで一弦琴を弾いたこと

2010-03-22 20:23:51 | 一弦琴
最近、久しぶりに人前で一弦琴を演奏した。十三弦、十七弦、三弦、尺八など仲間同士で勉強をしている邦楽グループがあって、年に一度の演奏会に一弦琴を、と声をかけていただいたのである。生まれて初めての経験で、いうも烏滸がましいが、芸人にでもなったような気分を味わった。

舞台がよかった。ふつうの家での演奏会で、二間続きの和室の一つを舞台にして、カーテンで仕切ったもう一方が観客席なのである。花街のお茶屋で芸を披露しているようなものである。違うのは幕が開くとお座敷一杯にお客さんが満ちあふれていたことである。この家はかなりの坂を登った高台にあるのに、この大勢の人はなにごと、とまずそれに圧倒された。今年は2回目とのことであるが、企画・世話係の方たちがパブリシティに力を注がれたのだろうか、都会の片隅の思いがけないところでさりげなく開かれていいるこの集いに、かくも大勢の好き者同士が寄り集まってくるというのがとても印象的であった。

演奏者は尺八のみが男性であった。こんな間近で箏曲の演奏を聴いたのははじめてだったので、その迫力にまずは圧倒された。とくに十七弦の弦の太さは中途半端ではない。これを音楽的に弾きこなすにはかなりの体力が必要だろうなと思った。間近であればこそ演奏に力業的な一面のあることを実感できたのも収穫であった。その点、一弦琴はもの静かである。その繊細さを生かす演奏に到達するには精進に切りはなさそうである。私が演奏したのは「四季の山」で、目の前に聴いていただく方が居ることで緊張したが、あとでいくつか好意的なコメントを頂いたのが嬉しかった。

演奏が終わって全員におぜんざいが振る舞われたのもまたユニークで、いろいろと話し合えたのもまた面白かった。書店で林望さんの本を立ち読みしていたら、お稽古ごとには出費がつきもので、能舞台に立たせて貰おうと(素人?が)思ったら200万円とかという話に度肝を抜かれたが、それに比べて邦楽を愛する人たちがそれぞれのものを持ち寄って営んだこの演奏会の暖かみに心が満たされる思いがした。このようなところで演奏の場を与えていただき感謝あるのみである。

その際に演奏した曲とは違うが、昨日今日と、私の一弦琴をYouTubeで公開しようとあれこれ試みて一応アップロードは出来るようになったので、一弦琴「土佐海」を最後に紹介させていただく。




追記(4月13日) 演奏を差し替えた。


黄砂襲来

2010-03-21 09:14:49 | Weblog
昨日の夕方、裏六甲の道を車で走っていると周りの山々がもやにかすんでいる。夕もやかと思ったが市街地を見渡せるようになってもいぜんとしてかすんでおり、何となく色を感じたのでもしかして黄砂かもしれないと思った。夜の天気予報が黄砂襲来を告げていたので、その前触れだったのだろうか。

夜には雨も降り風の音もかなり大きかったが明け方には治まった。一夜明けて窓の外を見ると全体がどんよりとしている。黄砂の中に沈んでいる。2キロメートルしか離れていない標高300メートルほどの山の輪郭がかすかに感じられるぐらいで、日常見慣れた山の姿はない。めったにないことなので写真に残した。

3月21日の朝

3月22日の朝

今日は寺での彼岸法要に参列して、そのあと車で1時間ほどかけてお墓参りの予定であるが、ほんとうは家に居りたい気持ちである。


追記(3月22日) 黄砂の去った今朝の山の様子を追加した。

山田一紫(Isshi Yamada)さんの一弦琴

2010-03-18 18:36:20 | 一弦琴
山田一紫さんの一弦琴「夜開花」(やかいか)は私の好きな曲である。「一九六八年十月 ハワイにて作詞作譜」とあるのがまたよい。

山田さんは清虚洞一絃琴流祖徳弘太さんの次女で二代目、山城一水さんの門人で後にハワイに移られた。長唄に堪能な方だと私が師事した大西一叡先生にかってお聞きしたことがある。「夜開花」のご本人による演奏の生テープが残されているともお聞きしたのでネットで調べたが、残念ながら見当たらなかった。ところが「夜開花」ではないがこの山田一紫さんの演奏がYouTubeで聴くことができますよ、と教えてくださったのが年来の一弦琴仲間のお一人である。「Isshi Yamada - Haru No Shirabe (Spring Song) - Track 05」。なるほど、ハワイに住んでおられたので「山田一紫」ではなく「Isshi Yamada」で検索すべきであったのである。参った!これを手がかりに調べたところ次の五曲がYouTubeに登録されていたので、ここにまとめさせていただいた。


Suga No Kyoku (須賀)



Isaribi (漁火)



Oshi (鴛鴦)



Botan (牡丹)



Haru No Shirabe (春の調)


この演奏、とくに唄。圧倒される、の一言である。

この五曲が収められているCDを目下品切れとのことであるがアマゾンから取り寄せることにした。オリジナルは1967年に発行されているから、翌1968年に発表された「夜開花」は含まれていないのだろう。どこかではやくお目にかかりたいものである。

ところでこのようなことを調べている間に、「一絃琴 Ichigenkin.com」なるホームページのあることに気がついた。山田一紫さんはハワイの大学ででも教えておられたのだろうか、その山田さんが亡くなられる数ヶ月前に一絃琴の講義を聴いた聴講生が山田さんと交わした議論の内容を「Philosophy」としてまとめているのである。もちろん英語で。いや、恐れ入った。今日は啓発されっぱなしである。