日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

制限速度の怪 ― 出鱈目な制限速度設定

2005-07-22 22:48:05 | 社会・政治
かれこれ40年前にアメリカで生活していた頃、土日となると必ず車で何処かに出かけていたし、その後3、4ヶ月の帯米生活を繰り返したときも休みになると車を走らせていた。運転が快適なのである。その間、スピードオーバーとか駐車違反とかで警察のお世話になることは一切なかった。友人が買ったばかりの新車でニューヨーク市にでかけ、街角にちょっと停めて用足しをして戻ってきたところ車が見当たらず、駐車違反でレッカー車で牽引されてしまったことが私の知る唯一の駐車違反の実例であった。一方スピード違反で警察に捕まった話は私の周辺では見聞きしなかった。

私の限られた経験であるが、アメリカではスピード違反が出来にくいようになっているのである。道路だけが走っているような人家のないところから町にさしかかると制限速度が段階的に下がって町中では25マイル以下になる。町中ではたとえ何時人が道を横切ろうと、制限速度を守っている限り直ぐにブレーキを踏むとちゃんとその手前で止まってくれる。また森の中、山の中に入っていくと15マイルに制限速度が低くなることがままあるが、その速度で走っている限りハンドル操作に不安を感じることはない。すなわちアメリカでは制限速度が極めて合理的に設定されていて、制限速度を守っている限りストレスなしの安全運転が出来るのである。従ってアメリカでは日本人が不思議に思うほど皆制限速度を几帳面に守っている。

Toll道路でも事情は変わらない。制限速度の車を追い越していく車はほとんど見当たらない。皆同じように制限速度で淡々と車を走らせているのである。ある時バックミラーで確認した後続車は2時間経っても同じように後ろを走っていた。3時間ぐらい経っただろうかクラクションが聞こえる。横をを見ると後ろにいた車が併走して私に合図を送っているのだった。私が見たことを確かめたのだろう、ドライバーが大きく手を振ってやがて側道に逸れていった。直接の言葉のやりとりはないけれど、同じ方面を向いて走っていく者同士、旅は道連れなのである。お互いが相手の存在を確認し合いながら車を走らせていく間に連帯感が生まれてきてそれがまた運転マナーに反映される、とでも云ったらいいのだろうか。

ひるがえって日本での制限速度設定の出鱈目ぶりは犯罪的でもある。

私は神戸のやや山側に住んでいるので京都に出かけるときでも海沿いの阪神高速3号線から名神に入るのではなく、阪神高速7号線(北神戸線7)から中国縦貫、名神と乗り継ぐ。裏日本に抜けるのも先ずは阪神高速7号線に乗る。問題はこの7号線で全線60キロ制限、ところがこの速度を守っている車は皆無と云っても過言ではない。片道2車線の立派な自動車道路、80キロぐらいが普通、100キロ前後の車も珍しくはない。制限速度と現実の運転速度が乖離している典型的な例と云えよう。時にはパトカーに停められている車を見かける。多分速度違反容疑であろうが、その原因といえば恣意的に極めて低く設定した制限速度にあると云って良い。速度違反を犯罪というのであればそれを引きおこしたのが合理性を欠く出鱈目な制限速度、だからその設定が犯罪的であると私は断じるのである。

私はこの制限速度の設定一つを取り上げても、ここに管理者・行政の怠慢を見る。道路は利用者のためのものである。利用者が安全にかつストレスを感じることなく快適に車を走らせることの出来る速度設定を元来は設定すべきである。しかし現実には管理者側が制限速度を低くすれば安全運転になるであろうとの安易な思い込みだけ惰性的に決めているに過ぎない、と私は思う。視点がまったく逆転している。

規制と現実の乖離が規則に対する利用者の不信感を呼び起こし、気がつけば全員がそれを無視する結果になるなど、法の軽視を引き起こす大きな原因ともなっている。日本全国で制限速度を誰もがそれを守ることで安心感を持って運転できる基準に改めるべきである。

阪神高速7号線の延長道路でネズミ取りに引っかかり、心ならずも12000円かの罰金を払わされただけに私の提言は真剣である

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