日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

博士課程大学院生獲得へ仁義なき戦いのすすめ

2007-09-30 17:47:52 | 学問・教育・研究
昨日(9月29日)日経夕刊に、ここに示した見出し記事があった。

《東京大学は来年度から、大学院博士課程に在籍する学生(翌六千人)の授業料負担を実質ゼロにする方針を固めた。》そして

《背景には「海外の有力大学は生活費も含めて援助しており、研究に専念できる環境を整えないと競争にならない」(平尾公彦副学長)との危機感がある。》がその報道の骨子である。

奨学金の支給形態はこれから詰めていくそうであるが、大学も思い切ったことがやれるようになったものである。国立大学独立行政法人化の一つのメリットだと思うが、私はこのやり方に基本的には賛成である。

大学院生(博士課程の、以下同じ)が研究に専念できる環境を整えるのは当たり前のこととはいえ大いに結構、頭脳獲得への効果はともかく、私が東大方式に賛成するのは博士課程大学院の淘汰につながるかも知れない、と思うからである。私は以前に大学院はモラトリアム人間の棲息地でも述べたことであるが、日本は博士を作りすぎていると思う。

私が在籍していた昭和35年の博士課程在学者が7429人、それが46年後の平成18年には75365人とほぼ10倍になっている。その増えた分、それにふさわしい活躍の舞台があればいうことがないが、平成18年で博士課程修了者の就職率は57.4%と6割を切っている。さらに就職先をよく調べると、曖昧な表現になるがすべてが「博士にふさわしい」職業についているとは限らないだろう。最近地方自治体で問題が浮上したように、4年制大学卒業生が学歴を隠し高校卒として就職していた実例を思い起こせばよい。だから博士の実質的な就職率は57.4%よりもまだ低いというのが実態であろう。現在の博士課程定員を少なくとも半分、よく検討すれば三分の一にまで減らしても創造的研究者を毎年確保するのに差し障りはあるまい。

大学院生が減って困るのは、大学院生を労働力として当てにする一部の心無き人々であろうが、他に困る人はいないだろうし、また居ってはならないのである。

大学院生を減らすには定員削減をすればよいが、数字を機械的に減らすのではなくて、大学院が自然に淘汰されるようにすればよい。大学院の体質強化につながるというものだ。優秀な研究者の卵が東大一極集中を加速するとの可能性も指摘されているが、他大学も同じような制度を、または独自の新規な制度を導入すれば三極集中にも七極集中にも十二極集中にもなるだろう。私の思うところこれ以上は不要である。そして淘汰の結果生き残った大学院には現在の二倍、五倍、十倍の予算を集中させる。これこそ私のあらまほしきCOE作りである。

芸文センター One Coin Concert での「展覧会の絵」

2007-09-29 09:19:23 | 音楽・美術
昨日はじめて芸文センター(兵庫県立芸術文化センター)の大ホールで催されるワン・コイン・コンサートに出かけた。岸本雅美さんの「モーツアルトはお好き?」というピアノ演奏会である。

  モーツアルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545
  アウエルンハマー:オペラ「魔笛」より
      「おいらは鳥刺し」による6つの変奏曲
  モーツアルト:ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K.457
  ムソルグスキー:展覧会の絵

最初のピアノ・ソナタ第15番、子どもでも弾ける曲で、音が少ないから弾くのが難しいという演奏者の説明が妙によく分かる。確かに、思春期の乙女のような演奏がみずみずしく感じられた。

二番目の「おいらは鳥刺し」による6つの変奏曲、テナーの歌う、なんて説明だったが、パパゲーノはバリトンではなかったのか、ひょっとしてこのピアニスト、「魔笛」をご覧になったことがないのでは、と一瞬奇異に感じる(嫌われじいさんに変身!)。それはともかく演奏はまさにモーツアルト風。本当は鼻歌をピアノに合わせたかった。

三番目はモーツアルトにしては珍しい短調の曲との説明があった。そのせいだろう、映画「アマデウス」の暗い場面などを思い出してしまった。

演奏をしては解説をする、そして演奏に戻る。音楽の授業みたいでなかなか楽しい。2000人ほどはいる大ホールがほぼ満席で皆がシーンと聴き入る。いやいや、それはいいのだが、演奏の最中に激しく咳き込む人には参った。演奏が一区切りになるまでなんとか我慢して、演奏の合間に遠慮しつつ咳払いをするのがふつうであるが、演奏の最中に咳き込んでそれがなかなか止まらない。それを何回もくり返す。マナー違反であることに気づかない無神経さが気になった(またもや嫌われじいさん)。これからの季節で咳をする人も増えてくるだろうから「演奏中、咳が出る方はしばらく席をお外しください」とぐらい、前もってアナウンスしたほうがよいと思う。プログラムに「客席内のちょっとした音もとてもよく響いています。音の鳴るものを身につけていらっしゃる場合には、音がしないようにして、かばんの中に大切にしまってください・・・」なんてわざわざ印刷しているということは、マナー違反の客が増えているとの認識が芸文センター側にあるからだろう。「咳」にもぜひ対処していただきたいものである。

咳で私の気が散ったりしたが、次の「展覧会の絵」の演奏で私のモヤモヤは吹っ飛んでしまった。

ラヴェル編曲の管弦楽で「展覧会の絵」が有名になったそうであるが、もとはピアノ曲とのこと、私もピアノの生演奏は初めてだったので、曲のスケールの大きな展開に圧倒され、ピアニストが天地創造の神のようにすら感じた。大ホールの舞台に一台のピアノしかないのに、時にはフル編成のオーケストラも顔負けの音楽が響いてきたからである。緩急強弱上昇下降自由自在の演奏で、ピアニストを右斜め後ろから見下ろす席だったので、手の動きがすべて見える。距離があるものだから手の大きな動きは見えても指の細やかな動きは見えない。それなのに実に繊細な音が流れてくる。絵と絵の間をつなぐ馴染みの「プロムナード」が少しずつ姿を変えて演奏される内に曲が進んでいってその何曲目だったか、トレモロが長く長く旋律を奏でる。そのトレモロの素晴らしいこと、トレモロと感じさせないほどの滑らかに音が流れる。チェロの弦が震動しているのかとも思ってしまう。この精妙な技に目頭が熱くなった。

30分を超える「展覧会の絵」の演奏が終わって、拍手が出来ない、体が震えているのである。ピアニストも全精力を使い果たしたようである。拍手が涌き上がる。一度、二度、岸本さんを舞台に呼び戻す。しかし聴衆誰一人としてアンコールを求めているのではない。岸本さんを心から讃えているのである。すべてを音楽に捧げ尽くした彼女にそれ以上のものを求めるのがいかに愚かであるかをみなが分かっているのである。爽やかな幕切れであった。

ところでこのワン・コイン・コンサートのチケットを入手するのが容易ではない。3ヶ月ほど前から先行予約の受付が始まるが、その時をうっかり逃すと早々とチケットが売り切れになってしまう。私のようなものぐさ太郎(lazybones)には不向きである。でも手だてがないわけではない。大ホールは定員が2000人を少し上回るが、私が目の下の座席の埋まり具合を調べたところ、1列10人で10列分、すはわち100席のうち12席が空席で13席を男性が占めていた。8割以上が女性客とは相変わらずの女性優位世界であるが、この空席が気になった。

帰宅後、芸文センターに電話して確かめたところ、やはり各公演で予約チケットを開演までに受け取りにこない人が何人かはいるそうである。だから開演5分前に引き取り手がないチケットは当日窓口で販売するとのこと、いいことを聞いたのでものぐさ太郎仲間にもお知らせする次第である。

岸本雅美さんのリサイタルの場合、9月26日と28日の二日の公演で私が申し込んだときは26日はほとんど席が詰まっていたので28日を選んだ。だから二日間で4000人近い聴衆を集めたことになる。実力がある音楽家がその名前を売り出すのに絶好の機会であろう。私は岸本さんの名前を知っていたからではなく、芸文センターの One Coin Concert という「ブランド名」でチケットを申し込んだ。それが3ヶ月も前だったので会場に着くまで何のコンサートなのか思い出せなかったぐらいである。このワン・コイン・コンサートが素晴らしい未来の芸術家を発掘する場でもあって欲しいと思う。


石波茂第四代防衛大臣への期待

2007-09-27 10:51:57 | Weblog
福田内閣が発足した。町村さんが早々と官房長官に内定し外相のポストが空いたから、高村さんが横滑りして防衛省に石波さんが入ればいいな、と思っていたら、その通りになった。第二次安倍内閣の組閣前に私は次期防衛大臣は石波茂氏がいいと思っていたが、この時はひょっとして、の期待が実らなかった。しかし今回の福田内閣でその思いが叶った。それにしても今年2007年1月に防衛庁が防衛省に昇格して、早くも第四代目大臣というポストの軽さが気になることではある。

私は日本がふつうの軍隊を持つべきだと考えている。もちろん昔と違って、天皇が大元帥として陸海空全軍を統帥するような軍隊ではなく、文民統制下におかれる軍隊であることは云うまでもない。ただ軍隊と云わない自衛隊の存在を巡ってすら、日本国憲法違憲論を始めとして国論が分かれているのが現状である。このような自衛隊がふつうの軍隊ではありえない。なぜこのような状況が生まれているのか。

日本は依然としてアメリカの占領下にある、というのが私の基本的認識である。自衛隊がアメリカの傭兵となるのは必然的な成り行きで、そのアメリカにしてみると、この自衛隊が日本人にも正体が掴みかねる曖昧模糊としたもののほうが、遙かに自衛隊をコントロールしやすい。この現状にことさら目を背けての自衛隊合憲・違憲論はなにひとつ国益に適うことではない。まずは自衛隊の置かれている現状を、とくにアメリカとの関係において、日本国民が正しい認識を持つべきであり、それには可能な限りの情報が国民に伝えられなければならない。これなくして自衛隊の性格の見直しが進むはずがない。

現在問題になっているインド洋における自衛艦による給油活動はその恰好の事例である。それだけに止まらず自衛隊と在日米軍との係わりについても現状、問題点、その解決の方向について、石波防衛大臣に国民に向けて大いに語っていただきたいのである。石波大臣なら国務大臣として憲法遵守義務から逸脱することなく、自らの信念にもとづく独特の語り口をお持ちだと評価するからこその期待なのである。

ジュンク堂で1万円以上の買い物をすれば

2007-09-26 21:05:14 | 読書
夕べは久しぶりにほんとうに涼しい風が部屋を通り抜けて心身とも甦った。今朝も温度計が24度である。そして爽やか、となるとがぜん元気になってお昼前に家を出た。

インターネットバンキングで利用しているある銀行は、他行に振り込みをしようと思えば前もってその送金先を書類提出で登録しなければならない。その手続きに出かけたのである。国内送金登録書に送金先銀行口座などを書き込み、窓口に提出したところやがて書類が戻されてきた。送金先銀行に「東京三菱」と書いたのであるが、今は名前が「三菱東京UFJ」に変わっているので訂正して欲しいとのことである。いつの間にか合併で変わったらしい。それは銀行の事情だから仕方がないとして、客に沢山の文字を書かせるなんて、肝腎なところでサービス精神が欠けているように思った。

そのあとジュンク堂三宮店に行った。ここも久しぶりである。以前から心がけていることであるが、1万円以上まとめ買いをすることにしている。売り出されたからと云って、直ぐに読まないといけないような緊急性はないので、買うつもりの本が1万円以上ななるまで待つのである。私が目をつけた本がいざ買う時には書棚に見つからないこともままあるが、その時は二刷以降を慌てずに待てばよい。なぜそうまでするのか、1万円以上になるとおまけがつくのである。本をペラペラのビニール袋ではなくて、布製の袋に入れてくれる。底を補強して補助袋として持ち歩くのである。その上、350円分のDRINK TICKETをくれる。3階のカフェで利用できる。



今日も文庫本や新書本を中心に8冊買っただけで1万円をオーバーした。文庫本も高くなって岩波文庫が1冊900円もする。ちくま文庫で1200円したし、講談社文藝文庫に至っては400ページほどなのに1500円もする。本好きの弱みにつけ込んでコッソリと値上げしているのに間違いない。MICHAEL CRICHTONの新作が本棚に並んでいたのでこれも買ったが、前は1200円ほどだったペーパーバックが1500円を少し上回っていた。これは円安のせいなんだろう。

帰る頃には気温は30度に昇っていた。最寄りの地下鉄の駅から坂道を10分ほど上って帰るのだが、やっぱり汗をかいてしまった。しかし気分は爽快、これから外で十分時間を過ごせそうである。

中秋の名月に一弦琴「初秋の月」

2007-09-25 11:44:02 | 一弦琴
今年の暑さは飛びっきりで、残暑の頃なのに酷暑だった。ふうふう云っていたがいくら何でもお彼岸も過ぎたことゆえ秋の涼風を期待したいものの、今の今、どんよりしてむしむしする。でもエアコンをいれずに頑張れるだけましである。それに今夜は中秋の名月だとか、空も晴れて欲しい。その願をこめて一弦琴「初秋の月」を奏でた。


          詞 広瀬旭荘
          曲 真鍋豊平

   花は過ぎ 雪まだ遠き
   初秋の 空もさえゆく
   十六夜の 月にうかるる
   水の面に 残る暑さも いつしかに
   そよ吹く風の にくからで
   よそに聞こゆる 笛竹の
   いと しおらしき そのしらべ
   色に香さえに この曲の おもしろさにぞ
   もろともに 酌みかわしける さかずきの
   かたぶく月に 夜をあかし
   たのしみあかぬ 人ごころ
   唐も 大和も 昔も今も
   かはらでここに 遊ぶ山かげ


追記(25日夜)

願いが届いたのか、今も皓々たる中秋の名月が中天にかかっている。そして窓から入ってくる夜風のなんと心地よいこと。お団子はないけれど幸せ一杯である。

女声合唱団「遊」の演奏に寄せて 私の音楽の楽しみ方

2007-09-24 18:16:12 | 音楽・美術
私は歌が好きだから、聴きに行くとしたらほとんどが歌である。しかしいつの間にか自分で探してというよりは、人に勧められたり声をかけられたり、時にはお付き合いで顔をだすことが多くなった。そういう場ではついつい緊張感を欠くもので、こころよく歌声が耳元を流れていくうちに、うとうととし始める。これはこれで楽しいのであるが、それ以上でも以下でもない。ところが昨日(9月23日)聴いた女性コーラスのリサイタルはちょっと違っていた。プログラムに知った曲目がずらりと並んでいるな、と気楽な気持ちでいたところ、それがただの演奏ではなかったのである。「よかった、だけでは帰さないよ」という気迫が伝わってくるような演奏で、私も思わず引き込まれてしまった。女性合唱団「遊」の21人のメンバーによる松方ホールでのリサイタルである。

「花」「砂山」「村の鍛冶屋」「浜辺の歌」「鉾をおさめて」「赤とんぼ」「箱根八里」と日本のうたのメドレーから始まった。無伴奏演奏だから声の美しさがものを云う。「花」、私には馴染みのない編曲だけれど綺麗に歌が流れるから、まあいいじゃない、と思ったものの、自分の頭の中でメロディーを奏でていると、演奏がすいすいと身をかわしてあちらえ逃げていく。「砂山」も同じような感じで、すんなりとノスタルジーには浸れない。そして「村の鍛冶屋」ではノスタルジーが吹っ飛んでしまった。いくつかのグループに分かれてそれぞれが螺旋階段を駆け上るように目まぐるしく調子を変えて勝手に歌い出す。急に『前衛音楽』と化してしまった。そうそう、このメドレーは信長貴富編曲「無伴奏女声合唱による日本名歌集 ノスタルジア」なのである。

ところがこの「ハチャメチャ」(=前衛音楽風)を聴いているうちに、このグループはただものではないと思い始めた。ハーモニーがあるようなないような、けれども新しい調和を力強く作って、ついてこられるかな、と聴衆を挑発するようなところがある。かなり高度な技倆に支えられてこそ可能になる演奏だと私には思えたのである。そうするとますますノスタルジーに浸れない。さあ、どう展開するのだろう、どう収束するのだろう、とこちらが身構えるものだから歌が流れる間、わくわくしどおしで、「箱根八里」で終わったときは異様に興奮していた。「おぬし、やるな」である。

「遊」の指揮者は、私が毎年の公演を楽しみにしているあの「ぐるっぽユーモア」の主宰者である岡崎よしこさんであることを発見した。だから曲の選択にもチャレンジングなのかなと思った。団員にかなり厳しいことを要求されるのであろうが、それに応えられる団員が居ればこそ、いろいろと『実験』も出来るのかな、と想像してしまう。幸せな方である。

これは編曲者の問題なのであるが、上に取り上げた「村の鍛冶屋」は編曲が「うた」に合っていなかった。「うた」は詩を歌い上げるものと素直に考えると、その内容が音楽性とマッチして欲しいのに、「村の鍛冶屋」では編曲が気張りすぎである。その意味では私には違和感があった。「金比羅船船」のようなものならよかったかも知れない。

外国愛唱歌集のなかで歌われたコダーイの曲では女声の響きがとても心地よかった。濁りのないつややかな響きが管楽器の音色と紛うばかり、各部のバランスもよくまさに無伴奏女性合唱曲ならではの美しさであった。アメリカのセミクラシック作曲家とも云われているアンダーソンの「プリンク、プランク、プランク」は小道具を動員しての冗談音楽っぽい演奏が楽しかった。

意表をつかれたのはその次のステージでの服装である。「まざあ・ぐうす組曲」とプログラムに出ているのになんと法被にももひき姿(と私の目にはそう映った)で登場したものだから驚いた。それが気になって、だからなんとなく歌に集中できなかった。「お祭りマンボ変奏組曲」のようなものだと秋祭りも間近だし、大いに盛り上がったのに、とこれは口さがない男の独り言である。

最後が服部公一編曲、きた・ひろし作詞の「ウィーン便り」でポルカとワルツを四曲。今度は全員あでやかな深紅のドレス姿なので安心して音楽に浸ることが出来た。四曲ともピアノ伴奏で演奏されたが、ずーっと無伴奏演奏に耳を傾けてきただけに、ピアノ伴奏のない方がせっかくの日本語の歌詞をもっとはっきり聞き取れたのではないか、とも思った。

正味一時間少々の演奏だっただろうか、心が浮き浮きとしてしまった。刺激的なのがよかった。というのはその前夜(9月22日)NHKBSの「叙情歌特集」という番組で由紀さおり・安田祥子姉妹がうたった「花」を思い浮かべたからである。姉妹の歌はいわば定番だから安心して聴けるし楽しいけれど、面白くはないのである。それにくらべると「遊」の演奏はチャレンジングで時には挑発的であるから、私の心が掻きたてられて緊張する分、そこに面白さが生まれる。次はビートルズの数々の名曲の無伴奏演奏に挑戦して貰えればいいのにな、と思いつつ会場を後にした。

追記(9月25日)

感想を急ぐあまりに、女性合唱団「遊」の紹介を忘れていた。とは云うものの、私にも格別の知識はないので見たまま感じたままをお伝えする。

会場の松方ホールについたのは開演15分ほど前であったが、自由席だったので私の座れたのは一階席のかなり後方だった。始まる頃には700席ほどの会場がほぼ満席、入場券は有料なのにこの盛況で、演奏への期待感が湧いてきた。

出場メンバーは21人、私の席が後方だったせいもあって、皆さん美女に見えるものの年齢不詳素性不詳、でも中に「ぐるっぽユーモア」の秋の公演「ウインザーの陽気な女房たち」の出演者がいるので、それを地で出せる「女房族」が主体なのだろうか。そういえば帰るとき会場の出口で大勢の押し出しが立派な(年配の?)紳士がたの丁重なお見送りをいただいたので、ひょっとしたら旦那様方かもしれない。いずれにせよ私の見るところ、それを職業にはしないけれど、歌うことが大好きな実力派集団である。


「チャングムの誓い」にみる「医学は実学」

2007-09-21 14:12:43 | 学問・教育・研究
毎週金曜日の夜、NHKBSが「チャングムの誓い」を放送している。ある人に勧められて見始めたらやみつきになった。宮廷料理人のトップを目指した主人公チャングムが宮廷内の争いに巻き込まれて、彼女を可愛がる上司のハン尚宮とともにの身分に落とされて宮廷から追われる。流刑地の済州島に向かう途中、ハン尚宮は病で亡くなり、チャングムは復讐を誓う。やがてチャングムはかって宮中で医女を勤めたチャンドクに出会い、彼女から医術を修得し、自分も医女として宮中に戻ろうとする。成績優秀と医女としての能力が認められれば、その可能性がある。復讐のためにとチャングムは刻苦精励し、幾多の紆余曲折を経て、晴れて宮中の医局である内医院へ配属されることになった。正式な医女になるためにまずは見習いとしての修練が始まる。今晩はその後それぞれ出世した昔の仲間といよいよ再会することになる。

時代は16世紀の初頭の朝鮮王朝時代である。その時代背景で面白いのは医女の身分である。医女というのは女性医師のことなのだが、その存在理由がちゃんとある。当時、女性は男性医師に体を見せるのは恥ずかしいとされていたので、医師にかかることなく亡くなる女性が多かった。この事態を憂慮した太宗が15世紀の初め、女性を専門に診察する医師を養成したのが医女の始まりだそうである。

当時、人の体に触れる職業が卑しいものと見なされていたことから、医女が身分の低いの職業とされていた。だからこそチャングムはの身分に落とされたままで医女を目指すことが出来たのである。内医院で医女見習いとなったチャングムが、かっては自分がそうであった女官の下っ端に、無理難題をいわれながらも従う姿がその身分関係をはっきり表している。

この当時、とくに東洋では、医師は患者に医術を施す人であった。医術を「新明解」は《患者に適合した薬をあたえたり 手術したり して、病気や怪我を治す技術》と説明している。患者を詳しく診察して病名を定め、治療に適した薬草などを選ぶには、過去に蓄積された膨大な知識を自家薬籠のものにしないといけない。そのための修業がドラマでこれまで描かれてきたが、患者を診察しない医師は医師にあらず、が当然のこととされた。現在でもそうであるが、医学は実学、すなわち直ちに社会生活に役立つ学問で、それを修めて病人の診察・治療に当たるのが医師の本分なのである。

この視点に立つと、大学医学部はあくまでも医師の養成所なのである。大学院医学研究科も、さらにその技を磨き、また現場で生じた疑問を自分で解き明かそうとする研究心を持った医師の修練の場であるべきなのである。基礎医学分野に進む医学部卒業生が減ることを理由に、医師の免状を持たない他学部出身者を大学院に呼び込むのは、場当たり的な便法に過ぎないと私は思う。

厚生労働省の2004年データによると日本人の平均寿命は男性は78.64歳、女性は85.59歳で共に世界のトップである。昭和22年では男性が50歳、女性が54歳であったことを考えると、その長寿化は異常とも云える。栄養状態・衛生環境がよくなり、医学では新しい治療法が続々と開発され、外科手術の技法にも格段の進歩があり、医療制度の整備などを合わせた総体的な結果として寿命が伸びたのである。それだけ人々の健康状態がよくなったのだから、では皆はそれで満足しているかと云えばその反対で、ますます心配事を増やしているのが残念ながら現状のようである。年金問題もそうだし、医療問題に環境汚染、食糧問題に家族関係、そして心の健康問題など、枚挙にいとまがない。健康になった分、それだけ余計に健康問題が気になるという皮肉な結果になっている。

予防医学がさらに進み、われわれの健康状態がますますよくなって、誰もが病気にかからなくなったとする。しかし、人間は必ずいつかは死ぬ。病気にかからないということと、いつかは必ず死ぬということの折り合いを、一体どうつけるのだろう。これは医学の領域を超えた地球規模での大問題であるが、今のところ真剣に考えようという流れはない。そういえば思い出したが、もうかなりの昔、これからの医学教育について新聞記者のインタビューに答えて「死に方を研究させること」と述べたことがある。このインタビューは私の手元にはないが、他の方へのインタビューと一緒に本にまとめられている筈である。

前回のブログで「医学部出身者でなければ出来ない研究の進め方とはなにか、回を改めて述べたいと思う」と述べたこととは大きく離れた問題をまた提起してしまったが、この本題にはいずれまた舞い戻ることにする。。

見当違いな「自立した研究者育てます 京大医学研究科、大学院で」

2007-09-19 20:49:52 | 学問・教育・研究
昨日(9月18日)の京都新聞電子版は「自立した研究者育てます 京大医学研究科、大学院で」の見出しで、大学院(博士課程)で本年度内に始める予定の新たな共通教育プログラムのことを報じていた。その一部を取りだしてみる。

《今回の共通教育プログラムは、それぞれの研究室内で伝えられてきた、研究者に不可欠な技能と姿勢を、すべての大学院生に教育するのが目的。医学部外や他大学からの入学も増え、体系的な医学・生命科学教育が求められていることも背景にあるという。》

《導入コース(1年)では、実験ノートの書き方やデータ管理、実験計画法などの基本的な技能のほか、生化学実験や遺伝子解析などの手法を原理から学び、実験で失敗しても新たな手法を自ら考えることができる知識を習得する。》

さらに

《発展コース(2年以降)では、英語論文作成や国際学会での発表、研究計画の申請書の書き方などを学び、世界で自立して研究できる基礎を固める。》

とか。私にはマニュアル化がここまで及んでくるのか、との思いがある。

京大大学院医学研究科では基礎医学系に進む学部卒業生がごく限られたなかで、いかに基礎医学系の研究レベルを維持し、さらには発展させるかは従来からも重要課題であった。それが2004年に始まった臨床研修必修化で、学部卒業生の京都大学病院離れ、大学院離れがますます進み、関係者が危機感をつのらせての対策であろうか。腐心されている方々の顔が何人か個人的には思い浮かぶものの、私にはこの「共通教育プログラム」そのものが評価できない。医学教育・医学研究の原点が何であるのかの理念が見えてこないからである。

その「理念」に入る前に、いや、これも「理念」に密接に繋がることであるが、基礎医学系で何を研究すべきなのだろうかと問いかけてみたい。私にもあるていど分かる分子生物学の領域をイメージした場合、逆説的な云い方になるが、理学部、薬学部、農学部、時には工学部出身者でもやれるような研究をすべきではないのである。他学部出身者がやれることを、わざわざ医学部出身者に同じようにやらせようとすること自体が問題なのである。一つは医学部出身者がハンディを背負っているからだ。

ここで同じ医学研究科大学院生でありながら、医学部出身者と他学部出身者のメリット・デメリットを較べてみる。

医(歯)学部では卒業するのに前期(昔の教養課程)2年、後期(専門課程)4年の計6年かかる(平成18年度からは薬学部も6年制を採用)。他学部に較べて修学期間が2年間長く、その違いが大学院制度に及んでくる。他学部卒業生がそれぞれの大学院に進学すると、まず2年間の修士課程を経て、さらに3年間で博士課程を終了する。これに反して大学院医学研究科では修士課程がなく、博士課程(標準で4年間)のみである。したがって他学部出身者であっても修士の学位保持者(含取得予定者)は医学研究科への受験資格があるのが普通である。他学部出身者が修士課程でそれなりの実験室研究に取り組んでいる間に、医学部出身者は専門課程の勉学・臨床実習に勤しんでいることになる。

私が阪大理学部から京大医学部に移った際、修士課程在学中の院生が一人私についてきた。彼は修士実験を京大で継続してその学位は阪大から得たが、その後医学研究科博士課程に入り直した。受験したわけである。彼は医学教育をまったく受けていなかったにも拘わらず、出題を賢明に選択することで、私の懸念をよそに並み居る医学部出身者を抑えてトップの成績で合格した。大学院(博士課程)に入った時点で、彼は学部での卒業研究を皮切りに、2年間の修士課程をマンツーマンで私に徹底的にしごかれて、修士論文を英文でまとめ上げていたのである。

医学部学生は当然のことながら医学の修得に時間のほとんどを費やす。しかし院生が来なくなることを恐れ、医学部でも学生の研究志向を活性化するためにいろいろと手段が講じられてきた。たとえば自主研究(だったと思う)ということで、希望する学生を研究室に招き入れ、実験めいたことをさせるのである。指導者によりやり方は多岐にわたっただろうが、私の個人的体験でいえば「坊ちゃんのお遊び相手」であって、しごきの修士教育とは比べものにならなかった。しかし自主研究が契機で大学院生として進学してきた学生もいたから、それなりに意義はあった。大学院に入ってから本格的に鍛えればよかったのであるが、他学部出身者に較べて、研究のすすめかたや実験技術の習得にそれだけ時間の遅れがあることは事実である。これが臨床系の院生となると、医師として一定期間の現場経験を大学院の受験資格にする教室があったから、さらに時間差が大きくなる。

では医学部出身院生としてのメリットは何か。研究者としての訓練を受ける上でのメリットが私には見えてこなかった。分子生物学の分野を取り上げると、医師として臨床経験の乏しい院生に他学部出身者に誇れるものはゼロに等しい。それどころか実験の基礎技術などを組織的に訓練されていないというコンプレックスを持っていたかもしれない。格別なメリットがあるのなら、他学部出身者が入り込む余地はないはずである。強いてメリットを探すと、医師としてアルバイトが出来るぐらいではなかったか。最近の事情は知らないが、私の頃は教室によって違いはあるものの、一定時間のアルバイトは許されていた。一夜宿直をすると○万円になるからこれは大きい。

そうしてみると上の記事のように《実験ノートの書き方やデータ管理、実験計画法などの基本的な技能のほか、生化学実験や遺伝子解析などの手法を原理から学び》とることは、医学部出身者には必要かも知れないが、ちょっと待て、である。どうもこの書き方だとテクニシャン(実験補助技術者)養成専門学校の生徒募集のパンフレットのように見えてくるのである。まだ一人前の医者とはほど遠いが、医学部卒業生を高級テクニシャン紛いに育てるとは、なんとももったいないと私は思う。

医師免状を取らせるまでに、本人の精進・努力はさておいて、多額の国費が費やされている。医師として養成されたはずの医学部出身者が、医療の現場から離れて他学部出身者でもやれる道を選ぶことは、私に云わせると防衛大学校に入っておりながら任官拒否する自衛隊員と同じなのである。この医者不足が叫ばれている折になんとももったいない。そこまでしてノーベル医学生理学賞の一つでもとれるのならまだしも、日本人の医学生学賞受賞者は理学部出身の利根川進さん唯一人である。なぜ医学部出身者を素通りするのか、それは他学部出身者と競り合うような研究しかやってこなかったからであると私は思う。

では医学部出身者は医療にだけ専念すべきなのか。私の答えは否、である。医学部出身者でなければ出来ない研究の進め方があり、その世界こそ医学者の独壇場なのである。その方向性が共通教育プログラムでは等閑視されているから、私は医学教育・医学研究の原点が何であるのかの理念が見えてこないというのである。

医学部出身者でなければ出来ない研究の進め方とはなにか、回を改めて述べたいと思う。

自民党総裁選を待つ間に

2007-09-18 17:54:47 | Weblog
麻生さんと福田さん、もうテレビで見飽きた。すでに国会が開かれているのだから早々と総裁を決めてしまえばいいのに、なにを悠長に構えているのだろうと思う。

これまで長らく福田さんが喋っている姿を見たことがなかったので、よく喋るのに驚いた。メディアの取り上げ方一つで人間のイメージてどうでも変わるものだな、と改めて認識した。一つアレッと思ったことがある。何に対してであったか「身命を賭して」という言葉を使ったのである。安倍さんは「職を賭して」であった。そういえば麻生さんも福田さんと似たような言葉を使ったような気がする。新内閣が発足したらいよいよ命のやり取りが見られそうでわくわくする。夕べBSで「グラディエーター」(剣闘士)を観たばかりなので余計に興奮が掻きたてられる。

片山さつきさん、小泉前首相を担ぎ出す集会に出ていたと思ったら、次は福田さんの出陣式では福田さんの横にぴったり寄り添っていたので驚いた。どうせなりふりを構わないのなら、ついでに日の丸鉢巻きを締めていた方がもっと似合っていた。

日刊スポーツの伝える杉村太蔵衆院議員の動静が面白かった。《小泉チルドレンら1年生議員で作る「新しい風」(武部勤会長=66)の会合に出席。各派閥が雪崩をうって支持を表明した福田氏へと流れる同会の状況に「ついていけません」と反発。ただ1人、会合途中で中座した。》(日刊スポーツ 2007年9月17日7時22分 紙面から)

いや、気に入った。《05年の郵政解散選挙で小泉前首相に強く共感して公募に応募し、初当選》という積極性といい、たった一人でも筋を通してみせるという気概がよい。選挙区が私のところなら、それだけでも投票するのに。壁にぶつかり迷い悩みながらも初心を忘れずに頑張れ、とエールを送ることにする。


「敬老の日」に歌舞伎役者と大学教授をくらべると

2007-09-17 17:50:38 | 学問・教育・研究
五代目中村富十郎さんが新作歌舞伎「閻魔と政頼」に取り組む姿をNHK教育テレビが紹介していた。78歳でバリバリの現役、人間国宝は伊達ではない。役作りの過程などふだんお目にかかれない舞台裏の様子が面白かった。

富十郎さんは閻魔大王を演じるのだが、自分の役作りに台詞の言い回しを工夫するのはもちろんのこと、舞台の上での演技・動作を共演者と相談しつつ組み立てていく。自分で主役を演じながらこれだけのことをやるのだから、ただ口を出して指導するだけの演出家ではない。このように指導者が共演者と一体となって舞台を作り上げる姿を見て、大学の研究室も本来こうであってほしいと思ったのである。

かねがね思っていることであるが、分野を実験科学に限って、大学院学生を対象に教授(研究指導者という意味)の日々の行動についてアンケート調査をしてほしいのである。まず教授が日常的に研究室に出て来て実験をしているかどうかを問うてみる。私の推測では全体の三割もおればいい方だと思う。下手すると一割もいないかも知れない。私の見聞きした限られた範囲ではあるが、いわゆる『有名教授』ほど実験離れが進んでいるような気がする。『実験をしない教授』を私がどのように見ているかは過去ログで述べている。

捏造論文問題 疑わしきは罰せよ

論文に名を連ねる資格のない教授とは

実験をしない教授に論文書きをまかせることが諸悪を生む

世の中の人が研究者(実験科学)についてどのようなイメージを持っているだろうか。実験白衣をまとい試験管やビーカーなどの実験器具を操り(古いたとえをお許しあれ)、薬品瓶から薬を取りだし混ぜ合わせたり、熱したり冷やしたり、高価そうな装置で加工したり、そのように実験している人をまず思い浮かべるであろう。

ところが大学の多くの研究室ではもう実験をしない、または実験の出来ない教授が至極当たり前の顔をして照れることもなく研究者を名乗っているのである。研究論文に共著者、多くはコレスポンディング・オーサーとして名前を連ねていることがそれを物語っている。そしてその正当性をアイディアを出したとか、研究費を稼いできたとか、論文原稿に目を通して添削したとか、百万言費やして主張する。

これがどれほど世間の常識からかけ離れているかは歌舞伎の世界と較べてみるとよく分かる。富十郎さんのように共演者を指導もするが自らも主役を演じるからこそ、ポスターに役者としての名前が大きく出るのである。台本を書いたのなら作家、振り付けを工夫したのなら振付として名前が出るのであって、おのずと扱いが違ってくる。

富十郎さんの舞台姿はとても素晴らしい。台詞が口跡鮮やかなことは当たり前として、年齢を感じさせない力強さと充実感に圧倒される。役者というのは凄いもので、一人一人が自分の力で舞台に立っている。舞台で役を演じられないと覚ったら引退しかありえない。個人の能力が直に現れる実にすっきりした世界である。だから暦年齢は問題にならない。

それにくらべて科学研究者はどうだろうか。70歳代はもちろん80歳代でも活発に論文を発表しているアメリカの友人、知り合いがいる。自分で実験している人もおれば、とっくの昔に実験から退いた人もいるが、お金があればポスドクを掻き集められる利点をフルに活用している。それはそれとして、日本では国立大学の場合、たとえば私だと63歳で定年退職すれば研究生活はそれで終わりであったが、最近は状況が変わってきたようである。9月15日の朝日朝刊に元阪大総長の岸本忠三さんに聞く、とインタビュー記事が出ていて、その紹介に《元阪大総長で今も研究に携わる岸本忠三さん(68)》とあった。68歳の岸本さんは紛うことのない高齢者ということになるが、その高齢科学者である岸本忠三さんの『研究』の実態とはどのようなものだろうか。

68歳の岸本さんは従来なら阪大は定年退職の筈なのに、いまだに教授で、と世間の人は訝しく思われるかもしれない。私も最近の大学事情に疎くなったので聞きかじりの知識しかないが、近年、定年を迎えた教授でも何らかの手段で研究費を獲得出来れば研究を大学で継続することが可能になったらしい。ところで岸本さんは世間の人の見る研究者に当てはまるパリパリの実験科学者なのだろうか。もしそうならば新しい制度下で研究を進め新境地を開拓していただきたいと思うが、私には実態が見えてこない。

私はかって阪大の医学部長をされた方と親しくさせていただいたが、この方は実験好きで本物の実験科学者であった。現役時代は自分でなかなか実験できないことを託っておられたが、定年後、意気揚々と実験の現場に戻って行かれた。しかし今のような制度はなかったので、確か研究生の身分でお弟子さんたちに迷惑をかけることを気にされつつも、実験場所を求めて転々とされた。このような方なら他人を当てにせずとも、実験補助が一人でも二人でもおれば、思う存分研究三昧に耽られたことと思う。実は私もそのような制度を活用できたら70歳までは研究者としてチャレンジを続けたかったとの思いがある。

岸本さんをたまたま話のとっかかりにしたが、一般的な話として、すでに遙か昔に実験から離れた高名な学者が、高名であるがゆえに定年後もなんらかの名目で税金から研究費を得て、実は他人に丸投げの『研究』をしているような話も聞こえてくる。もしこれが事実なら税金の誤用である。指導という言葉を隠れ蓑に、若い人のエネルギーを『私欲』のために吸い上げているに過ぎないと私には思えるからである。たとえばこれは私のアイディアで始まった仕事だ、と高名な方は仰るかも知れない。しかしそのアイディアは天から降ってくるものではない。身近に実験する若手がおり、その若手から実験の進捗を聞き意見を交換するからこそ湧いてくるものであろう。実験している本人が遅かれ早かれ気づくことを、年の功で少し早く気づいただけなのである。いわば油揚げを掠う鳶なのである。それとは対極的に、若い人に惜しみなく自分の持てるものすべてを与え、若い人が思う存分仕事が出来るように助力を惜しまず、完成した論文では謝辞で満足するような人、そういう高齢科学者に若い人は出会って欲しいものである。

競争相手がいるような研究テーマからは高齢者はおさらばすべきである。年寄りの冷や水というではないか。競争者がいないがやがて多くの人の注目を集めるような可能性のある研究を目指す高齢科学者にこそ国はチャンスを与えるべきであろう。それでこそ高齢者パワーを科学の再生に役立たせることになる。