昨日(9月29日)日経夕刊に、ここに示した見出し記事があった。
《東京大学は来年度から、大学院博士課程に在籍する学生(翌六千人)の授業料負担を実質ゼロにする方針を固めた。》そして
《背景には「海外の有力大学は生活費も含めて援助しており、研究に専念できる環境を整えないと競争にならない」(平尾公彦副学長)との危機感がある。》がその報道の骨子である。
奨学金の支給形態はこれから詰めていくそうであるが、大学も思い切ったことがやれるようになったものである。国立大学独立行政法人化の一つのメリットだと思うが、私はこのやり方に基本的には賛成である。
大学院生(博士課程の、以下同じ)が研究に専念できる環境を整えるのは当たり前のこととはいえ大いに結構、頭脳獲得への効果はともかく、私が東大方式に賛成するのは博士課程大学院の淘汰につながるかも知れない、と思うからである。私は以前に大学院はモラトリアム人間の棲息地でも述べたことであるが、日本は博士を作りすぎていると思う。
私が在籍していた昭和35年の博士課程在学者が7429人、それが46年後の平成18年には75365人とほぼ10倍になっている。その増えた分、それにふさわしい活躍の舞台があればいうことがないが、平成18年で博士課程修了者の就職率は57.4%と6割を切っている。さらに就職先をよく調べると、曖昧な表現になるがすべてが「博士にふさわしい」職業についているとは限らないだろう。最近地方自治体で問題が浮上したように、4年制大学卒業生が学歴を隠し高校卒として就職していた実例を思い起こせばよい。だから博士の実質的な就職率は57.4%よりもまだ低いというのが実態であろう。現在の博士課程定員を少なくとも半分、よく検討すれば三分の一にまで減らしても創造的研究者を毎年確保するのに差し障りはあるまい。
大学院生が減って困るのは、大学院生を労働力として当てにする一部の心無き人々であろうが、他に困る人はいないだろうし、また居ってはならないのである。
大学院生を減らすには定員削減をすればよいが、数字を機械的に減らすのではなくて、大学院が自然に淘汰されるようにすればよい。大学院の体質強化につながるというものだ。優秀な研究者の卵が東大一極集中を加速するとの可能性も指摘されているが、他大学も同じような制度を、または独自の新規な制度を導入すれば三極集中にも七極集中にも十二極集中にもなるだろう。私の思うところこれ以上は不要である。そして淘汰の結果生き残った大学院には現在の二倍、五倍、十倍の予算を集中させる。これこそ私のあらまほしきCOE作りである。
《東京大学は来年度から、大学院博士課程に在籍する学生(翌六千人)の授業料負担を実質ゼロにする方針を固めた。》そして
《背景には「海外の有力大学は生活費も含めて援助しており、研究に専念できる環境を整えないと競争にならない」(平尾公彦副学長)との危機感がある。》がその報道の骨子である。
奨学金の支給形態はこれから詰めていくそうであるが、大学も思い切ったことがやれるようになったものである。国立大学独立行政法人化の一つのメリットだと思うが、私はこのやり方に基本的には賛成である。
大学院生(博士課程の、以下同じ)が研究に専念できる環境を整えるのは当たり前のこととはいえ大いに結構、頭脳獲得への効果はともかく、私が東大方式に賛成するのは博士課程大学院の淘汰につながるかも知れない、と思うからである。私は以前に大学院はモラトリアム人間の棲息地でも述べたことであるが、日本は博士を作りすぎていると思う。
私が在籍していた昭和35年の博士課程在学者が7429人、それが46年後の平成18年には75365人とほぼ10倍になっている。その増えた分、それにふさわしい活躍の舞台があればいうことがないが、平成18年で博士課程修了者の就職率は57.4%と6割を切っている。さらに就職先をよく調べると、曖昧な表現になるがすべてが「博士にふさわしい」職業についているとは限らないだろう。最近地方自治体で問題が浮上したように、4年制大学卒業生が学歴を隠し高校卒として就職していた実例を思い起こせばよい。だから博士の実質的な就職率は57.4%よりもまだ低いというのが実態であろう。現在の博士課程定員を少なくとも半分、よく検討すれば三分の一にまで減らしても創造的研究者を毎年確保するのに差し障りはあるまい。
大学院生が減って困るのは、大学院生を労働力として当てにする一部の心無き人々であろうが、他に困る人はいないだろうし、また居ってはならないのである。
大学院生を減らすには定員削減をすればよいが、数字を機械的に減らすのではなくて、大学院が自然に淘汰されるようにすればよい。大学院の体質強化につながるというものだ。優秀な研究者の卵が東大一極集中を加速するとの可能性も指摘されているが、他大学も同じような制度を、または独自の新規な制度を導入すれば三極集中にも七極集中にも十二極集中にもなるだろう。私の思うところこれ以上は不要である。そして淘汰の結果生き残った大学院には現在の二倍、五倍、十倍の予算を集中させる。これこそ私のあらまほしきCOE作りである。