今日の朝日朝刊によると08年度に大分県で採用された教員のうち、得点のかさ上げによる不正合格者と特定された21名を近く採用取り消しにするそうである。不正は過去数十年にわたって行われてきているのに、すでに07年度採用者についてすら不正解明が不可能と判断し不採用の処分は見送ったとのことである。不正合格者が過去大勢いるはずなのに、たまたま判断材料の残っていた08年度採用者のみに処分を行うとはご都合主義もいいところである。この不真面目な姿勢には開いた口がふさがらない。無責任さと機能不全を露呈した教育委員会の総入れ替えからまず始めるべきである。
採用取消処分を受ける教員の全てが、自分が採用されたのは試験成績の不正操作をして貰ったからであると知っていたのだろうか。勝手に親が手加減を依頼したことを得々と自分の子供に喋るのだろうか。処分予定者がまったくあずかり知らないところで行われた不正行為に一体どのような罪があるというのだろう。私にはこの辺りの事情がわからないだけに、余計にこの処分に釈然としないものを感じる。本人が一切関知しないところで不正行為が行われ、その処分を本人に科すのは社会正義に反すると私は思うからだ。
確かに教員採用試験での不正はよくない。教員縁故者の採用にはなにか裏があるようだと(教員縁故者を除く?)国民のほとんどがそう思っていても、実際に不正が行われることを認めるものではない。金品のやりとりはもってのほかである。これは厳しく糾弾されるべきであるが、一方、私は教員縁故者に一定の優先枠を与えたらどうなのだろうと考えたりもする。
親子二代に始まり三代、四代教員を続けている家はかなり多いと思う。世襲議員よりも遙かに多いだろう。教育一家として世間に認められるのはこのような家系であろう。すでに文化的存在になっているのである。両親が教員の子弟が時々新聞種になるような事件を引き起こすが、きわめて稀少な例であるからこそ新聞種になるのだと思えば、稀少例を除くほとんど全ての教育一家はまともであると云える。そういう教育一家では、教員採用試験では測り知り得ない天職意識とでも云うモーティベーションが子弟をして教職に駆り立てるのではなかろうか。これこそ教員に求められる基本的な資質であると私は思う。かって日本中がバブルに浮き足立って猫も杓子も企業へ流れ教員不足が憂慮された時期に、踏ん張りを見せたのが教育一家の子弟ではなかったのか。
教師の子弟に教員採用の優先枠を設けると云っても、もちろん無条件で希望者を全員入れるのではない。縁故者には独自の選抜方法を適用するのもよいし、また受験生全員同じところからスタートしてある段階で一定の優先的配点を行うとか、よい方法を考え出していけばよい。そして優先枠で採用されたらそれと分かるバッジを着用させるとかすればよい。周りの見る目を意識して本人はますます職務に精励することだろう。特別扱いが嫌ならもちろんその他の受験者と同じように試験を受ければよい。
私は今回の事件で現場の混乱を最小限に止めることに関係者は全力を尽くすべきだと思う。今更過去に遡って「不正」採用者を洗い出しにかかっても、本人が関知しない場合が続出するであろうと私は推測する。贈賄・収賄の直接の当事者のみを罰すればよいのであって、累をすでに採用された教員に及ぼすのは筋違いというものである。本人が自らの判断で進退を決するのであれば、その意志を尊重すればよいのである。そして、繰り返すが、教育委員会を総入れ替えするのである。