日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

大分県教育委員会の処分は社会正義に反するのでは

2008-08-30 23:50:26 | 学問・教育・研究

今日の朝日朝刊によると08年度に大分県で採用された教員のうち、得点のかさ上げによる不正合格者と特定された21名を近く採用取り消しにするそうである。不正は過去数十年にわたって行われてきているのに、すでに07年度採用者についてすら不正解明が不可能と判断し不採用の処分は見送ったとのことである。不正合格者が過去大勢いるはずなのに、たまたま判断材料の残っていた08年度採用者のみに処分を行うとはご都合主義もいいところである。この不真面目な姿勢には開いた口がふさがらない。無責任さと機能不全を露呈した教育委員会の総入れ替えからまず始めるべきである。

採用取消処分を受ける教員の全てが、自分が採用されたのは試験成績の不正操作をして貰ったからであると知っていたのだろうか。勝手に親が手加減を依頼したことを得々と自分の子供に喋るのだろうか。処分予定者がまったくあずかり知らないところで行われた不正行為に一体どのような罪があるというのだろう。私にはこの辺りの事情がわからないだけに、余計にこの処分に釈然としないものを感じる。本人が一切関知しないところで不正行為が行われ、その処分を本人に科すのは社会正義に反すると私は思うからだ。

確かに教員採用試験での不正はよくない。教員縁故者の採用にはなにか裏があるようだと(教員縁故者を除く?)国民のほとんどがそう思っていても、実際に不正が行われることを認めるものではない。金品のやりとりはもってのほかである。これは厳しく糾弾されるべきであるが、一方、私は教員縁故者に一定の優先枠を与えたらどうなのだろうと考えたりもする。

親子二代に始まり三代、四代教員を続けている家はかなり多いと思う。世襲議員よりも遙かに多いだろう。教育一家として世間に認められるのはこのような家系であろう。すでに文化的存在になっているのである。両親が教員の子弟が時々新聞種になるような事件を引き起こすが、きわめて稀少な例であるからこそ新聞種になるのだと思えば、稀少例を除くほとんど全ての教育一家はまともであると云える。そういう教育一家では、教員採用試験では測り知り得ない天職意識とでも云うモーティベーションが子弟をして教職に駆り立てるのではなかろうか。これこそ教員に求められる基本的な資質であると私は思う。かって日本中がバブルに浮き足立って猫も杓子も企業へ流れ教員不足が憂慮された時期に、踏ん張りを見せたのが教育一家の子弟ではなかったのか。

教師の子弟に教員採用の優先枠を設けると云っても、もちろん無条件で希望者を全員入れるのではない。縁故者には独自の選抜方法を適用するのもよいし、また受験生全員同じところからスタートしてある段階で一定の優先的配点を行うとか、よい方法を考え出していけばよい。そして優先枠で採用されたらそれと分かるバッジを着用させるとかすればよい。周りの見る目を意識して本人はますます職務に精励することだろう。特別扱いが嫌ならもちろんその他の受験者と同じように試験を受ければよい。

私は今回の事件で現場の混乱を最小限に止めることに関係者は全力を尽くすべきだと思う。今更過去に遡って「不正」採用者を洗い出しにかかっても、本人が関知しない場合が続出するであろうと私は推測する。贈賄・収賄の直接の当事者のみを罰すればよいのであって、累をすでに採用された教員に及ぼすのは筋違いというものである。本人が自らの判断で進退を決するのであれば、その意志を尊重すればよいのである。そして、繰り返すが、教育委員会を総入れ替えするのである。

今日も一弦琴 録音中につき 

2008-08-29 20:45:10 | 一弦琴

今日も朝から書斎のドアに「録音中!!」のラベルを貼り付けて一弦琴を鳴らしていた。のっているぞと思いながら気持ちよく演奏しているのに、そういう時に限ってドアがノックされたり、ノックなしの闖入者も現れたりして録音がパーになるのを防ぐためである。時には外し忘れて知らせがないままに食事が遅くなることもある。

二年ぶりに一弦琴「夜開花」を演奏してブログにアップロードしたのが8月17日で、それ以来毎日のように演奏を繰り返しては録音して、少しは出来がよくなったと思ったら前の演奏と差し替えてきた。しかし今朝の演奏で一応この曲の更新を中断することにした。私なりに形が定まったからである。その間記録に残したmp3録音ファイルは12を数える。一曲の大きさが7.5MBぐらいなので12ファイルでは90MBになるが、ハードディスクの容量が500GBを超えているので保存が苦にならない。

演奏を録音してはそれを聴き、弾き方と唄い方を自分の考えで修正して形を作っていくのが私のやり方である。従って前後の録音を聴きくらべて変化したところでは、私なりの理由を説明することが出来る。その意味では人まねではない自分の演奏になったと云ってもよいだろう。進化の様子が録音ファイルに残されているのでこの主張には説得力があるだろう。

録音ファイル更新の中断は「夜開花」の演奏が完成の域に達したからではない。譜に忠実な唄い方、すなわち範唱としてはこの程度かなと思ったからである。一弦琴を始めようとされる方の手本にしていただけるのではなかろうか。そうなれば望外の喜びである。


ブログの衣替え

2008-08-28 18:13:59 | Weblog
私がこのブログを始めたのが2004年9月15日で、最初の記事は「A Happy Wife」というタイトルであった。9月には7編、10月には10編投稿したものの11月には1日に1編で投稿しただけで12月は0、そして翌年1月25日から再び投稿を始めるまで三ヶ月近くの中断があった。何を書くのかイメージがもう一つ浮かんでこなかったからである。30日に「遺骨DNA鑑定で知りたいこと」はかって現役時代の職業とも関わりのある文章だったので、このようなことなら時々書けそうだと思ったのが、その後書き続けて来たきっかけだったと思う。それが昨日までで796編に達した。

その日の気分次第の雑駁な雑文にもかかわらず、過去3週間の例では毎日平均して262人、277人、293人の方がこのサイトにお立ち寄りくださっている。100人以上の学生を相手に講義をした経験がほとんどない私には過ぎた人数で、ただただ有難く感謝している。Google検索で来ていただく方も結構多いので、そういう方のご期待にも添うことを考えながら続けていこうと思う。ちなみに最近1週間でGoogle検索のトップに出ていたものの一部をご覧に入れる。







次は自分で検索したのであるが、その時点で引っかかったのは予想通り私の記事だけだった。こういうお遊びの楽しみもある。



足かけ5年間ブログを書き続けている間、一貫して同じデザインのスタイルを通してきた。ところがバックナンバーの月表示欄がその分長くなり、どう見ても不細工なので表示形式を変えることにした。ついでに適当なフォントサイズを選んでいただけるようにした。


教員にも通信簿というご時世? 自己評価制度を作る阿呆に乗る阿呆

2008-08-26 17:37:54 | 学問・教育・研究
今朝、目覚めた時、ほのぼのとした思いに心がふわふわしていた。現役を引退したはずなのに私の家に若い男女の学生が何人かやって来て、私も中に入ってワイワイいいあっている。一人は勝手に私のパソコンをいじくっているので何をしているのだろうと見ると、一生懸命データ解析をやっていろんな図形をディスプレイしている。あれ、そんなソフトをパソコンに入れていたかな、と思って確かめようとしたら目が覚めた。昔の仲間の出てくる夢を見た時は目覚めがいつも心地よい。しかしこのような夢を見た時には何かきっかけが見つかるのである。今朝の夢はどうも昨日の朝日朝刊の次のような見出しで始まる記事のせいだと思った。



岡山大学の例が紹介されていた。個人評価制度と呼ぶ制度で、教授から助教まで全専任教員約1300人が対象となり、教育、研究、社会貢献、管理・運営の領域で、まず教員一人ひとりが自己評価をするらしい。膨大な項目があって評価を点数で表すようである。教授の一人によると、一年分記入するだけで一日かかり、印刷すると100ページ以上になるとのことである。ほんとご苦労なことである。ここの学長さんは「個人評価は店の領収証と同じ。クライアントである学生の授業料と税金で成り立っている以上、活動を目に見える形で示す義務がある。プロ意識を高め、国際的な競争の中で大学全体が信用を得るためにも、必須だ」と仰っている。でも「個人評価は店の領収書と同じ」だなんて、云っている意味が私には分からない。

岡山大学が発足したのは昭和24(1954)年4月で、この制度が始まったのはつい最近の2002年である。この学長さんは岡山大学のホームページで「岡山大学は、全国有数を誇る広大なキャンパスに11学部と、人文社会学系、自然科学系、環境学系、生命(医療)学系、ならびに教育学系の充実した大学院を擁し、学部生と大学院生合わせて約14,000人に加え、世界各地から集まった約500人の留学生、ならびに約2,700人の教職員が在籍する全国屈指の総合大学です」というようなことを述べておられる。これを見る限り、今問題にする個人評価制度がなかった過去50年間に、岡山大学が全国有数を誇る・・、全国屈指の総合大学に成長しているではないか、今さら何を余計なことを、と突っ込みを入れたくなってしまう。

私は単純だから大学に余計な仕事を持ち込むとか増やすということを悪と見なすことにしている。この見方から云うとこの個人評価制度は悪である。教員に余計な仕事を増やすからだ。(ここで私は岡山大学にも学長さんにも個人的に含むことは何もないことをお断りしておく、たまたま新聞記事にでてきたから取り上げたまでのことである。)

個人評価制度が今年1月の調査では国立大学の87%で実施されているという。現時点で個人評価制度が人事・給与査定に使われているわけではなさそうであるが、いずれ取りざたされるようになるような気がする。人間には評価がついて回るものであるから、無いに越したことはないが評価自体を否定するものではない。まずは紹介されているような煩雑な手続きを要する制度を批難しているのである。どうしても評価が必要なら教育、研究、社会貢献、管理・運営の領域で自分自身を5段階で評価すれば済む話である。たとえば現役時代の私なら教育は時間をかけて準備をしまじめにやっている自信があるから5点、研究はもちろん5点、社会貢献は教育・研究職に就いていること自体大きく評価出来るのだろうが、そこは謙虚に3点、管理・運営は苦手だし嫌いなので1点、これで終わりである。

少し考えれば分かることである。裁判であれやこれや多くの証言、証拠をもとに長時間の審理をしても、導かれる結論は有罪か無罪なのである。ここに云う自己評価はこの裁判での結論のようなものである。裁判では自分以外の他人に納得させねばならない。しかし個人評価は自分で自分を判断するわけだから、必要なのは自分を判断する智恵だけなのであって、膨大な項目を数えたて一々配点するなど不必要なのである。さて、そこで上に述べた私流の評価が何かお役に立ちましたかと聞いてみたい。「あほなことを聞くな」とどやされるのがオチであろう。

この自己評価制度、これも文部官僚の入れ知恵と断言してまず間違いなかろう。複雑な記入を求められる調査書類を作成するような管理者的発想に長けている大学教員がいるとは思えないからである。もしいたとすれば間違いなくもぐりの教員である。簡単に素性をあばくことが出来るはずだ。官僚は仕事を増やすのが仕事だから、まじめに自己評価制度を作ることを無下には批難しない。いくら文部官僚が新しい制度を考えついても採用しなければそれまでである。だから問題はこの制度の取り入れを決定したところにある。

新聞によると岡山大学が長崎大学と共に国立大学では最も早くこの制度を導入したとのことである。こういう「おっちょこちょい」がどの世界にも必ずいる。自己の存在理由に確信を持てないと、他の存在の意を迎えることで自己の存在を際だたせようとするのである。ここで「他の存在」とは文部官僚のことと受け取っていただこう。ではここに述べたことはどういうことなのか、少し説明する。

旧帝国大学(旧帝大)とは私も時々口にする言葉であるが、これはかってわが国の帝国大学令により設立された大学のことである。東京帝国大学、京都帝国大学、東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、大阪帝国大学と名古屋帝国大学、これに加えて戦前は朝鮮に京城帝国大学と台湾に台北帝国大学の計九つの帝国大学が存在していた。これから私が旧帝大という場合には、日本国内に現存する七つの前身が帝国大学を云うのであって、現在は上記の名称から「帝国」を消したものが通用している。この七つの大学だけがかっては国立大学の全てであった。

わが国に七つの国立大学しかなかった頃、大学生は同い年で百人に一人の選良であった。大学生は人口比でたったそれだけの存在だったのに、歴史的事実を述べると、戦前の日本の繁栄の礎となり、米国、英国をはじめとする世界の列強を相手として闘いを挑むところまで国力を培ったそのリーダー格であった。この規模の大学卒業生でも近代国家を作り上げるには十分であったということを云いたいのである。国立大学が急増したのは戦後のことで、現在は86の国立大学がある。国立大学が7の時代に比べて12倍強の増加ぶりである。旧帝大の大学の質を基準に考えれば、他のほとんどの国立大学は局所的には例外があるだろうが、一般的には大学としての質が大きく劣っていることは常識的に考えれば分かることである。「自己の存在理由に確信を持てない」大学とはこのような新興大学を指す。例に挙げた岡山大学、長崎大学がそれである。

私は国立大学の大規模な統廃合が避けられない時期が必ずやってくると見ている。最終的には旧帝大を核としてその倍ぐらいは残るかも知れない。道州制の先行きとも密接に関連してくるだろう。その生き残りを可能にするには教員、学生とも優秀な人材を集めてこなければならない。試みにノーベル賞を狙えるような学者を招聘する際に、当大学では自己評価制度というのがありまして、授業一齣が1点、論文指導は修士が1点、会議に出たら5点等々、正確な評価のために何百という項目を設けておりますので、一つ一つ間違いのないように正しく記入して提出していただくことになっています、と説明したとしよう。それでも喜んで行かしていただきますと返事するような学者は間違いなく「天一坊」である。それぐらいのことは誰が考えても分かるではないか。

私が懸念するのは「おっちょこちょい」大学に引っ張られて、旧帝大までがそのような馬鹿な制度を導入することである。幸い現時点で導入済みの国立大学が87%というから、11大学はまだ導入していないことになるので、この中に旧帝大の全部が入っているものと信じたい。個人評価制度を導入するのは自己の存在理由に確信を持てない大学をふるい落とすためのものであったのなら、そろそろゲームオーバーを宣言したらどうだろう。潮時である。ふるい落としのために個人評価制度を導入しようとしたというのなら、私は文部官僚を逆に評価するが、それはまずあるまい。だから自己評価制度を作る阿呆に乗る阿呆を糾弾せざるを得ない。こういう阿呆をのさばらせないような大学人の勇気と行動を期待したいものである。

北京五輪日本選手団団長のお言葉ですが

2008-08-25 13:49:25 | Weblog

朝日朝刊一面に北京五輪日本選手団団長の苦言が報じられていた。矛先の向けられたのは不振に終わったマラソンや野球で、《五輪選手は選手村に入らないとだめだ。野球にしてもマラソンにしても特別扱いをしているところは大いに問題がある》というのがその要点である。

選手村に入ったからといって野球チームが強くなるとは思わないが、マラソン選手の欠場や途中棄権に関して《調子が悪くても情報が入ってこないため、補欠の手続きも間に合わない》というのは一理あるかも知れない。しかし重要な情報が選手団本部に伝わらなかったというのがもし事実なら、それは選手団の組織に問題があるのであって、あとになって云うのはおかしい。昔で云えば指揮系統も決めず、そして通信網も持たずに数だけかき集めて戦地に出かけた軍隊のようで、旧日本陸軍よりたちが悪い。574人の選手団の4割強を占める235人の役員(7月18日のデータ)はやっぱり有象無象だったのだろうか。

それはともかく野球やサッカー男子が惨敗したことについて、《直前に集めてちょっと練習して勝てるような甘いもんじゃない》と素人の私ですら思っていたことが、オリンピックも終わった今頃に語られるとは摩訶不思議である。だから私は反町ジャパンを一試合だけは観たが、星野ジャパンの試合は一試合も観ていない。案の定、銅メダルすら取れなかった。星野ジャパンの欠陥を知り尽くしているはずのマスメディアが、金メダルを煽り立てたのはいつもながらの無節操ぶりである。

男子400メートルリレーでの銅メダル、日本陸上にとってまさに「金」と「同」じメダルだと思うが、バトンの受け渡しの技を磨き上げたことが今回のメダルに繋がった。参加16チームのうち6チームがバトンミスで失格したと聞くからその技の重みはたいそうなものである。練り上げたチームプレーの極致であろう。もちろんリレーと野球とはチームプレーの内容は異なるだろうが、チームの一体感がチームプレーである野球の微妙な局面を大きく左右することは十分想像される。その一体感が生まれるまでの時間的余裕が最初から見込まれていなかったというのはおかしい。

日本でまだプロ野球のシーズン中なのに、各チームから有力選手を引き抜いてオリンピックチームに入れる。これ自体がすでにおかしい。選ばれた選手は所属チームでのプレーへの思いを封じて参加せざるを得なかったのだろう。一方有力選手を引き抜かれるチーム関係者の複雑な思いもあっただろうし、有力選手を欠いたチームのプレーに釈然としないプロ野球ファンも多かったのではなかろうか。そのうえ時間不足でチームプレーを練り上げきれないまま、中途半端な状況で出場することになる。勝負を賭けるオリンピックをよほど甘く見たのだろう。元はといえばアマチュアの祭典であるはずのオリンピックに、プロ野球の選手が出場すること自体がもともとおかしいのである。引っ張り出された選手にはご苦労様と云おう。

ついでにもう一言。ふるわない成績だったのに「頑張った結果の成績なので悔いはありません」と宣う選手が目立った。いつの間にナルシスト選手が増えてしまったのだろう。このような選手は以後、出場お断りである。「悔しい」と云った選手が新鮮であった。


一弦琴「夜開花」に風の音 そしてお稽古談義

2008-08-22 14:50:59 | 一弦琴
昨日(8月21日)の朝、私の部屋の温度が24度だった。これだとエアコンは要らない。出窓の両サイドを開けるととても涼しい風が吹き抜ける。いつものように一弦琴の稽古を始めた。まあまあかな、と思いつつ録音を聞くとドロドロと遠雷のような音が入っている。弾いている時に音は聞こえなかったので、今鳴っているのかなと思ったが、そうではなさそうである。おかしいなと思ってふと気がついた。風の音なのである。耳には聞こえなかったがマイクが拾っていたのである。面白いのでこの風の音入り「夜開花」をアップロードした。

この曲を二年ぶりに弾いたのであるが、先日久しぶりに京都に出かけて「夜開花」のお浚いをお師匠さんにみていただいた。いろいろと手直しをしていただき、より洗練された演奏ができるようになればと思ったのであるが、そのお稽古が思いがけない成り行きとなった。

いつものように差し向かいで弾き始める。私も一応は宙で弾けるように稽古を積んだつもりなので、少々は自信を持って弾き始めた。出出しはよかったのであるが、唄のところでは俄然合わなくなってきた。琴のみの演奏のところでも微妙に食い違う。原因はすぐに分かった。私は先生から頂いた琴譜に従って弾いているのだが、先生は琴譜と明らかに異なる弾き方をされるのである。その琴譜の一部をお見せしよう。



●が一拍を表すとする。数字は勘所の位置を表すが音名だと思えばよい。数字とか●で示された行は一弦琴用で、歌詞はその右側にある。西洋音楽だとピアノと歌の拍の頭を必ず合わせるが、一弦琴では拍の頭をわざと揃えずにタイミングをずらして音を出すことが多い。たとえば二行目の「やみのしじまに」とその左側にある拍が完全にずれて書かれている。また一行目の「いのち」と左側の拍は合わせて書かれているが、実際にはずらして唄っている。まず弦を「一の位置」で弾いてから「い」と声を出す。だから譜を見ただけでは実際にどう唄えばいいのか、初心者にはわからない。その唄い方を師匠が実際に唄ってみせて教えるのである。しかし断言してよいが、十人師匠がおれば少なくとも十通りの唄い方を耳にすることになるだろう。実際には一人の師匠がいつも同じ唄い方をするとは限らないから、唄い方としてはもっと種類が増えるはずである。

簡単に譜の説明をしたところで本題に戻り、先生が譜と異なる弾き方をされる一例を挙げると、「ひと」の左斜め下に「三三」とあるが先生の弾き方では「三」が一つなのである。他の場所では●を省いたり逆に付け加えたところがある。これでは二人の演奏が合うはずがない。先生は暗譜で弾かれるから食い違いが起こっても不思議ではない。しかも先生は何遍弾いても同じ弾き方をされる。本当に身についてしまっているのである。そうなると弟子としては取るべき道が自ずと定まってくる。一つは先生の演奏を忠実に再現できるように、譜を変えてしまうことである。元々「三」が二つあっても先生が一つならそのように変えるのである。そうなれば余計な疑問を持ってはいけない。伝統芸能はこのようにして守り伝えられるのだ、とただただ先生の演奏を拳々服膺する。

もう一つは譜に忠実な道を選ぶことである。私が「夜開花」を習ったのは二年前で、自分なりの演奏を録音に残してはいるものの、この時でも習ったままの弾き方を再現していない。家に帰ったらもう弾き方の細かいことには忘れてしまっているからである。そこで譜を頼りに辛うじて残っている記憶をたどりながら演奏したのである。先生の演奏の録音でもあれば細かいところまで真似ができるだろうが、それが無い以上、自分のあやふやな記憶より譜面の方が遙かに頼りになるのである。

ところで譜があれば誰でも同じ演奏が出来るかというと、そうは行かない。上にも述べたように一弦琴では琴と唄の頭をずらすのが普通であるが、時には合わすこともある。その辺りが変化自在のようであるが、唄―言葉を主体に考えるとそう勝手な唄い方は出来ない。たとえば「お箸」を「お―はし」と唄ったら何のことだか分からない。「お・は・し」である。「花」も「はな」だと分かりやすいが「は―な」では花屋さんの呼び声になってしまう。一方、「夜開花」の最後の「月」を私は「つ―き―」と唄ったが、「つき――」では収まりが悪い。しかし言葉に対する感覚が人によって違っていても不思議ではないので、これがそれぞれ違った唄い方を生むことになりそうである。

「夜開花」の原作者の演奏テープが残っているそうである。それを聴けば譜との対応がはっきりすると思うが、今のところは教わったことを基本に据えながらも譜をもとに演奏を工夫するしかなさそうである。この旨を先生に申し上げ、ことさら先生の演奏を鵜呑みにしないことにした。江戸時代、明治時代に作られた曲についても、原作者に夢の中で出会った時に「おぬし、やるな」と云っていただけるような演奏を目指したいと思っている。



メタボ特定健診という愚行

2008-08-20 15:42:45 | Weblog
今朝の毎日新聞は「クローズアップ2008:メタボ、国際基準統一へ おなか優先、日本だけに」の見出しで、《腹囲測定をメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)診断の第一条件として、今年4月から始まった特定健診・保健指導(メタボ健診)。「男性85センチ、女性90センチ」という腹囲基準の分かりやすさが注目を集めたが、肝心の腹囲が国際的な統一基準の必須条件から外されることになった。世界とは異なる基準で、公的健診を続けることは妥当なのだろうか。》と報じた。付表では国際糖尿病連合の腹囲基準が男90センチ以上女80センチ以上が、日本の基準では男85センチ以上女90センチ以上となり、条件が逆転しているのが目につく。今や何事であれ社会的には女性の顔色をうかがうのが習わしと化した日本ならではの現象なのだろうか。(ウィキペディア、メタボリックシンドロームの項では、科学的観点で問題が指摘されている。)



それはともかく、このウィキペディアの記事によると、《混乱する腹囲の診断基準に関して、2007年、アメリカ体重管理肥満予防協会、北米肥満学会、アメリカ栄養学会、アメリカ糖尿病学会は共同声明を発表し、その中で、腹囲の科学的な測定方法も腹部肥満を診断するための腹囲の科学的な基準値も確立していないので、現時点では、臨床現場で腹囲を測定することは特殊な場合を除いて有用ではなく、科学的な腹囲の測定方法と基準値を確立するための研究が必要であり、将来の腹囲基準値は、人種別、性別のみならず、年齢別、BMI別の複雑なものとなるであろうと指摘した。》(強調は引用者)とのことである。このような状況が背景にあって、今回、国際糖尿病連合の腹囲基準が必須条件から落とされることになったのであろうか。

この問題の概要は毎日新聞の記事で見ていただくこととして、腹囲を測ることの無意味さを英グラスゴー大学ナビード・サッター教授の言葉として《「日本が腹囲をメタボ健診に使っていると聞いて驚いた。この基準で心血管疾患の危険性の高い人を見つけようという方法は医学的に意味がなく、貧弱な医療としかいいようがない」とあきれている。》と伝えている。

ペナルティを科してまで推し進めたいこの企てであるが、一つ知りたいことがある。日本相撲協会に属する40歳以上の一部の力士・親方全員のメタボ特定健診の結果はどうだったのだろう。またメタボと診断された親方たちの腹囲を85センチ以下に抑えるためにどのような保健指導がされているのだろうか。興味津々である。

私は余計なお節介のメタボ特定健診でメタボ特定健診に関して次のような意見を述べた。

《太っておろうが痩せておろうがそれは本人の問題、人にとやかく言われることではない。それに「メタボリックシンドローム」が生活習慣病に繋がるなんて、誰が言い出したのか知れないが、生きている以上誰でも病気になる可能性があることを言い直しただけのことではないか。それがどうした、である。》

《要は、自分のお腹周りのことまで赤の他人にとやかく言われたくないわ、なのである。》

また長野県泰阜(やすおか)村村長松島貞治氏を応援では、《メタボ特定健診は費用対効果を無視している点では、補助金を餌に自治体に無益な大型施設などの建設を強いて、結果的に住民に莫大な赤字を負担させるに至ったこれまでの箱物行政の医療版であると言ってよい。松島氏のように現場を識る自治体首長が多く現れて国に立ち向かい、いやがる人間(とくに女性?)の腰の周りを測りまわるような愚行を骨抜きにしていただきたいものである。》と述べ、改めてメタボ特定健診のいかがわしさを指摘した。今回の国際状況の変化を機に、メタボ特定健診見直しの気運が高まって欲しいものである。




国旗掲揚・国歌演奏なし 金メダルだけのオリンピックにしてみたら?

2008-08-18 15:16:48 | Weblog
敗戦の日の15日、銀メダルを獲得した柔道女子78キロ超級の塚田真希選手と日本柔道男子唯一の金メダルを獲得した100キロ超級石井慧選手の表彰式を観た。女子の金メダリストは中国人で、国旗が掲揚される間、国歌の演奏に合わせて口を大きく開き、明るい表情で国歌を歌っていた。それにひきかえ男子の表彰式では君が代が流れる間、会場からはかすかな斉唱の声が聞かれたが、石井選手は口を一文字に結んだままであった。この時が表彰式の見はじめだったが、その後でも日本人選手は口を閉じたままであった。他国の選手は、たとえば男子競泳の優勝者は国歌演奏の時はちゃんと口を動かしていた。これは躾の問題だと思った。日本では子供の時から家で、学校でしかるべき時に国歌を歌うなんてことを教えてこなかったのだろう。国歌についての私の考えは以前に伴奏拒否の女性教諭に聴いて欲しい「君が代」でその一端を述べているので、興味をお持ちの方にお目通し頂ければ幸いである。

しかし、である。オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」にある六つの項目を眺めてみると、オリンピック競技は当然のことであるが個人や団体により行われるものであることは明記しているが、国家を意味する言葉は出てこない。それどころか第五章「オリンピック競技大会」の「60 入賞者名簿」には国が表に顔を出すことを積極的に次のように禁止している。

《IOC とOCOG は、いかなる国別の世界ランキング表も作成してはならない。各種目でメダルを獲得した選手および賞状を授与された選手の名前を記載した入賞者名簿を、OCOG が作成する。またメダル獲得者の名前は、目立つような形でメイン・スタジアム内に常時展示されるものとする。》(強調は引用者)

私の単純な頭ではオリンピック憲章の精神と、表彰式での国旗掲揚・国歌演奏がどう結びつくのか理解できない。このようなセレモニーは止めたらすっきりする。選手は個人としてまたは団体の一員として競技しているにすぎないのだから。

止めたらどうか、といえば金・銀・銅のメダルもそうである。どうしても、というなら金メダルだけ残せばよい。昨日の女子プロレスの表彰式を観た時にその思いが高まった。格闘技のようなものは優勝者だけがはっきりしている。勝ち抜き戦で最終勝者のみが一番強いので、その勝者を金メダルで表彰するのならまあよいとしよう。銀・銅はいらない。というのは銀は敗者に対して、銅は勝者に対して与えられたメダルでではないかという釈然としない思いを私は抱いているからである。

昨日の女子レスリングで銅メダルの浜口京子選手の笑顔は本当に素晴らしかった。私が見た中の最高の笑顔である。準決勝戦では敗れて決勝戦には進めなかったけれど、3位決定戦で全力を出し切って勝ったという達成感、それがあの笑顔を生んだのであろう。それに引き替え銀は金に対する敗者なのである。銀で良かったと思う選手は一人もいなであろう。そう思ってみると金・銅は本当に嬉しそうに表情をほころばせているのに対して、銀は浮かぬ顔つきでいるか、心の底にある無念の思いが笑顔を強ばらせているようである。

記録でその優劣がはっきりしている競技でも、たとえば陸上男子100メートルの覇者ボルト選手は他を大きく引き離しての勝者であった。今朝の朝日「天声人語」は《メダルは3位にまで授与される。だが勝負の実質となると、1人の勝者とその他大勢の敗者である。ボルト選手のはしりは「1人の勝者」を強烈に印象づけた。》と記しているが、私もまったく同感である。表彰するしないにかかわらず、記録は記録として刻まれる。出場選手にはそれで十分である。表彰するのなら唯一人真の勝者を表彰すればよい。

国旗は掲揚しない、国歌も演奏しない、メダルは金だけ。
これこそオリンピック憲章に一番かなったオリンピックなのではなかろうか。これを石原東京都知事が推し進めたいと仰るのなら、応援してもいいなと思う。

追記(8月19日) 北島康介選手は国歌を歌っていたと教えてくださった方がいた。

追記(8月21日) 女子ソフトボール金メダル、おめでとう!感動の一言。表彰台で君が代を斉唱していたのが印象的だった。



「恋のからさわぎ」に登場したウイリアム・ハズリットとの不思議なご縁

2008-08-17 21:13:54 | 海外旅行・海外生活
夕べ(8月16日)もさんまの「恋のからさわぎ」を観ていた。この番組とは長いお付き合いで、その経緯を以前ブログに書いたことがあるが、要するに私は亜流ではあるが(男という意味で)みいはあ族なのである。番組はいつも世界的文化人の箴言を奇妙きてれつなコントで演じることから始まるが、夕べはウイリアム・ハズリットの言葉が引用されていた。私は彼の書いたものをかって目にしたことはないが、脳中にインプットされていたその名前がにわかに甦り、昔のことをあれこれ思い出してしまった。というのも私はかって彼の住んでいた家に滞在したことがあったからである。

ウイリアム・ハズリットとは研究社の新英和大辞典(第六版)に《Hazlitt, William(1778-1830) 英国の批評家・随筆家》と出ているくらいだから、かなり著名な人物なのだろう。その彼が住んでいた家を「The Time Out London Guide」は次のように紹介している。



そう、かって彼が住んでいた築300年の家がB&Bタイプのホテルになっていたのである。1990年10月、私が英国で開かれる会議に招待されたのを機に、妻をロンドンに伴うことになり、その時に少し変わったB&Bのほうが面白かろうと選んだのがこのホテルであった。会議が開かれる場所はロンドンから列車で3時間ほど離れたところにあり、そこで3泊ほどする予定になっていた。その間、妻はロンドンに残って美術館巡りをしたいと云っていたので、Sohoの中にあり、動き回るのにも便利だし周辺には各国料理のレストランが多いこのホテルを拠点とすることにして9泊10日の予約を入れた。



タクシーで辿り着きチェックインを済ませて部屋に案内された。まず驚いたのが狭い周り階段を上っていく時に身体が倒れかけるような錯覚を覚えたことである。階段のステップが水平でなかったせいである。さらに部屋のドアが明らかに傾いているのに隙間が見えない。隙間を丁寧に木切れで埋めているのである。三百年の重みで建物の中身がかなり傾いていたが、それなりの手入れが行き届いているようであった。部屋にはベッドルームに居間、それに浴室・洗面所があり、心地よく落ち着ける感じだった。ドアには部屋名のプレートがあって私のはPrussian Blueの間だったように思う。浴室の様子は上の写真とは違っているが、浴槽の設えは同じようである。



到着した夜、荷物の片付けもそこそこに食事を摂りに外出した。ところが部屋に戻ってくるとなんだか様子がおかしい。散らかして出たはずなのに部屋が綺麗に片付き、スーツケースなども納まるべき場所に納まっている。あれっと思ってスーツケースを開くとなんと空っぽなのである。泥棒がこんなに綺麗に後始末するとは思えないので、時代物のタンスの引き出しを開けてみると、下着に着替えから小物に至までものの見事にびしっと整理されている。これにはびっくり仰天した。さすが鍵をかけたままのバッグ類には手をつけていなかった。

私はそれまでにもロンドンには何度も来ており、B&Bはもちろん一般のホテルも利用している。しかしこのような経験は初めてだった。なんだか由緒ありげなホテルと云うことで選んだのであるが、まさかこのようなサーヴィスまで含まれているとは思いも寄らなかった。しかし一方では考えた。これはサーヴィスのように泊まり客に思わせて、メイドが自分の好奇心を満たすために、お遊びでこのようなことをしたのだろうか。いやいや、そう疑った客がマネージャーに文句を云ったとすると、このような行為はすぐにばれてしまう。そのようなことをメイドがするはずがない、やっぱりサーヴィスなんだろうか、とあれやこれや考えた末、結局黙ることにした。

それにしてもわが身が丸裸にされた感じだった。そういえば日本でも殿様とかお姫様とか高貴なお方は湯殿でも前を隠すなど品格を貶めるようなまねはせずに、なにごともオープンに堂々とお付きの者に世話をさせたという話を思い出した。そのお殿様お姫様扱いをして貰っているんだ、と思うことにしたのである。あれがサーヴィスだったのかからかわれたのか、いまだに分からない。

ホテルのパンとコーヒが美味しかった。地下の調理場で焼き上げたパンと熱いコーヒを毎朝メイドが三階の部屋までコトコトと足音を立てながら持ってきてくれる。肉厚のコーヒカップがよかった。私が家で愛用している砥部焼とその頑丈な実用性が共通していたからである。底を見ると「APILCO FRANCE」と記されていた。英国製ではなくてフランス製だった。



Shaftesbury Avenueだったと思うが、偶然APILCOの製品を山積みにしていた厨房器具店で同じカップを見つけたので何点か買った帰った。気に入ったのでその後、別の機会に一式を買い求めて別送したことである。面白いことに先日佐渡裕プロデュースのメリーウイドウが西宮の芸文センターで公演された時に、テレビで佐渡さんの日常生活が紹介されて、そのなかにパリのカフェでコーヒを飲んでいるシーンがあった。よく見るとカップがこのAPILCOなのである。それにつられてわが家でもAPILCOにコーヒを入れた。



私が三、四日ロンドンを離れて会議に出席していた間、妻はこのホテルを根城に美術館を中心にあちらこちら行き廻ったようである。食事、とくに夕食をどうしたのか、聞いたような気がするがまったく覚えていない。考えてみるともう18年前の話である。今でもHazlitt’s Hotelは健在なのだろうか。また訪れたい気がする。

一弦琴「夜開花」久しぶりの演奏

2008-08-17 12:13:42 | 一弦琴
              山田一紫作詞作譜

  夕やみの むらさき 重き 垣づたい
  あやしく白き 花ひらく
  一夜のいのち 闇のしじまに 誰をまつらん
  見あぐれば なかぞら高く 夏の月

「夜開花」を習い始めたのは二年前のことである。その時には期間限定ネット演奏なんて勿体をつけて公開したが、今から振り返ってみると、この時が一弦琴演奏の最初のネット上公開だったので、それなりの躊躇があったのだろう。

この曲は季節は夏なので、すでに季節は盛りは過ぎたが久しぶりに唄ってみた。前回の録音は残っているのでそれを参考にしたが、自分なりの工夫を加えてみた。お師匠さんにもお浚いをみていただき、さらに磨きをかけたいと思っている。

原譜には一九六八年ハワイにて、とあるのでこの月はハワイの月なのだろうが、一弦琴に素直に納まっているのがよい。私の好きな曲である。