日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

歳末大掃除でピッカピカ

2008-12-31 18:34:42 | Weblog
  ♪朝だ夜明けだ 潮の息吹き
   ・・・・・  
   ・・・・・ 
   海の男の艦隊勤務
   月月火水木金金

仕事を始めると自然にこの歌が口をついて出る。昔、朝鮮京城で父に連れられて行った映画館で見た映画の主題歌である。映画の題名は覚えていないが、この歌は「月月火水木金金」、潜水艦乗りの映画だったと思う。一週間休みも無しに訓練に励む海の男の物語だった。もしかしてこれが私の未来の研究人生を暗示していたのかも知れない。ところが歌っているうちにこの歌が化ける。

  ♪朝だ四時半だ くず鉄拾い
   ・・・・・
   ・・・・・
   ルンペン生活 なかなか辛い
   けつけつかいかい のみしらみ

何とも言えない替え歌で、私はその時の気分であっちを歌ったりこっちを歌ったりする。今朝は正調、そして何が始まったかと言えば恒例歳末ハウス・クリーニングである。私の得意技はいかにひどい汚れであろうと洗剤を一切使わずに綺麗にすることである。たとえばガスレンジ、オーブンなど光沢のある金属面はピッカピカになる。論より証拠、どの程度に綺麗になったかお見せする。本当はクリーニング前の汚れきった状態をまずお見せできるといいのだが、それでは妻に悪いので省いた次第である。



そしてさらにほぼ20分後には



これで完了である。もうすでに10年を経たが古さを感じさせない。このガスレンジは私が仕事を辞めて、実験室実験を台所での料理に切り替えるつもりで奮発したセミプロ級のものである。ところがいざ私が単身赴任から家に引き揚げた時に、妻と台所を巡って覇権争いが勃発し私は敗れてしまった。それ以来掃除夫に甘んじているが、いろんなスープやテリーヌを作りたくなったので、来年こそ巻き返しを謀り、折り合いをつけたいと思っている。何をどこに置くかに始まって、自分の動きやすいように整備したいだけのことなのだから。

それはともかく、洗剤など一切使わずにどうして油でギトギトになったガスレンジや換気扇・レンジフードを綺麗に出来るのかと言えば、すでにお察しの通りスチームクリーナーを使うのである。私が愛用するのはケルヒャー1501というタイプのもので、やや大型だけになかなか強力である。



ボイラー温度が145度で作られる高温・高圧の蒸気をノズルから吹き付けると油汚れなどが浮き上がるので、それをぼろ切れなどでぬぐい取っていく、ただそれだけなのである。完全に焼き付いたような汚れ(めったにないが)以外は嘘のように綺麗になくなる。もちろんガラス、木材、じゅうたんなど、よほど熱に弱い材質のもの以外は何でもこいである。かくして私の今年のお勤めは先ほど無事終了した。

謎は謎を生む伊藤ハム「シアン問題」

2008-12-30 14:07:34 | 学問・教育・研究
伊藤ハム東京工場で発生した「シアン問題」とは何だったのだろう。

井戸原水と製品製造に用いた井戸処理水のシアンが基準値を最大で3.7倍上回る4件への対応がまずかったばかりに、世間を騒がせ自らの評判を落とし、おまけに安全性に問題のない製品を自己回収する羽目になり、かき入れ時の歳末商戦に参加すら出来ず、業績は一挙に落ちて赤字となり、社長をはじめとする関係者がそれなりの責任を取った形でひとまず落ち着いた。

今となっては後知恵のたぐいになるが、もしシアンの異常値が報告された段階で直ちに行動を起こして、これが水質検査に伴う人為的な混入であることを突き止め、同時にその時点での製品の安全性を確認しておれば、シアン異常値をわざわざ世間に公表することもなければ製品の自主回収もせずに済んだことであろう。

それにしてもなぜ自主回収したのだろう。

12月25日の調査対策委員会報告書が明らかにした新事実の一つが、伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会報告書のあれこれに引用したことであるが、今年の6月から9月にかけて、1,2,3号井戸処理水の全てで基準値(0.6mg-CL03/L)を上回る塩素酸(0.62~0.91mg-CL03/L)を検出していた。それにもかかわらず製造ラインを止めたとか製品の自主回収をした形跡はない。私に言わせると製品の安全性さえ確認されておればこれで何の問題もないのである。そう言う伏線のあったことを先ず念頭に置いておこう。

同じく報告書13~14ページには2号井戸原水に基準値を超える0.037 ㎎/L のシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されてからの対応として次の記述がある。

《東京工場長は、かかる報告を受け、基準値を超えるシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されている2号井戸及び3号井戸の処理水を、製品の製造において直接製品に混入する用途には使用しない方がよいと考える一方で、製品に直接混入しなければ、使用しても健康への影響がないとも考えた。
 また、東京工場長は、2号井戸処理水をすでに使用してしまった製品については、検出されたシアン化物イオン及び塩化シアンの数値が、WHOの水質基準7では問題のない範囲であり、その水を直接飲んでも人体への影響が考えられない値であること、当該処理水が東京工場内で生産された製品に混入する割合は原材料重量の10~20%程度であることから、健康被害は無いとして、出荷停止までは考えなかった。》(10月15日)

東京工場長のこの判断はきわめてまともであると私は思う。それがなぜ製品の自主回収までエスカレートしたのだろう。

10月22日になって社長は東京工場長からの報告、提案を受けて、《2号井戸の原水から、法令の基準値を超えるシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されたことは、伊藤ハム内部の問題に留まらず、柏市全体の環境の問題でもあると考え、柏市保健所に報告することを承認した。》(強調は引用者、以下同じ)

10月23日、《東京工場長は、柏市保健所との相談の結果を生産事業本部に報告し、この報告を受け、社長及び生産事業本部長は、製品の自主回収を実施することを決めた。

なぜ社長及び生産事業本部長がこの段階で自主回収の実施を決めたのか、私には不可解である。仮に柏市保健所から何らかの示唆があったにせよ、判断するのは伊藤ハムである。製造に用いた水が水質基準を満たしていなかったというのがその理由なら、なぜ塩素酸が基準値を超えた時にも自主回収をしなかったのか。塩素酸のことはこの時点で社長の耳に入っていなかったのかも知れない。とすると上の強調部分が一つの答えなのだろうか。ところが10月21日には再検査で2号井戸の原水から基準値を超えるシアン化物イオン及び塩化シアンは検出されず、その他の異常もなかったことが明らかにされたのである。これでは何のための再検査なのか、と言うことになる。この辺りの状況を公表することを躊躇う何らかの理由が調査対策委員会にあったのだろうか。

さらにこの報告書に私にはわからない記述がある。5ページ脚注の次の部分である。

《なお、本報告書では、伊藤ハムに、少なくとも、水道法20 条、4 条1 項2 号、2 項、水質基準に関する省令、食品衛生法50条2項、柏市食品衛生法施行条例別表1(7)ウの違反があったことを前提とする。》

食品の安全性に関して問題になるのはあくまでも食品衛生法である。では50条とはどのようなものか。

《第50条 厚生労働大臣は、食品又は添加物の製造又は加工の過程において有毒な又は有害な物質が当該食品又は添加物に混入することを防止するための措置に関し必要な基準を定めることができる。
2 都道府県は、営業(食鳥処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律第2条第5号に規定する食鳥処理の事業を除く。)の施設の内外の清潔保持、ねずみ、昆虫等の駆除その他公衆衛生上講ずべき措置に関し、条例で、必要な基準を定めることができる。
3 営業者(食烏処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律第6条第1項に規定する食鳥処理業者を除く。)は、前2項の基準が定められたときは、これを遵守しなければならない。》

上の強調部分が食品衛生法50条2項であるが、このどこにもシアンをはじめとする化学物質についての記述はない。これを見てさては伊藤ハムの工場ではねずみやゴキブリが走り回っていたのかとは想像しても、水のことなど頭の片隅をもかすめない。まさかねずみやゴキブリが自主回収の隠された理由ではあるまい。私が参照した食品衛生法はhttp://www.houko.com/00/01/S22/233.HTMであるが、私が何かを見間違えているのだろうか。もしそうでなければ何をもって食品衛生法50条2項の違反というのか説明が欲しいところである。

柏市食品衛生法施行条例別表1(7)ウは《ウ イの水質検査の結果, 飲用に適さないこととなったときは, 直ちに適切な措置を講じること。》は確かに水のことである。検査値を疑いまずは再検査を決定するというのも適切な措置になるであろう。

このように報告書はミステリー愛好者にはいろんな疑念を起こさせる格好の材料であるが、やはり最大の謎はシアンの異常値が果たして水質検査に伴う人為的な混入であると断言してよいのかどうなのかである。次に触れてみたいと思う。


新聞社の赤字転落 NHK教育テレビの放送時間短縮

2008-12-29 11:17:04 | Weblog
朝刊が軽くなった。今朝は24ページで折り込み広告もほんの数枚、それに夕刊は年末年始お休みだと言うからますますスリムでいい。不便も一切感じない。普段でも見出しに目を走らせる程度で、中身はほとんど素通りである。ブログ種にと触手が動いた時だけは丹念に読む。実を申せば本の広告さえ出ておればいいのである。

昨日テレビで損害保険会社大手6社の内、3社が統合に向けて動き出したとのニュースが流れた。年度内に基本合意を目指すとのことである。これが実現すれば6社が4社になり、となればさらに3社・・・と、業界再編の動きすら取り沙汰されていた。新聞業界でもこのような動きはないのだろうか。

二、三日前だったか、毎日新聞と産経新聞が今年の中間期の連結決算で共に赤字転落と報じられていたが、そのことを知人と話していたら朝日新聞も赤字転落だと教えられた。他の業種ならそれこそ統合を視野にいれての動きがあってもおかしくはないが、お互いにプライド高き新聞社だけに統合にはやはり抵抗があるのだろうか。「武士は食わねど高楊枝」を貫き通し、座して死をまつ姿勢も潔いかな、と心密かに思ったりもする。もし統合に動き出すのならそれはそれ、個人的には戦前から続いている新聞社同士が一つになる一方、戦後生まれの新聞社も一つになって二極に分かれるのもすっきりしていいのかなと思う。ニュースに対する需要がこれから大きく落ち込むとは考えにくい。問題は紙と言う媒体が唯一の強力な伝達手段でなくなったことに対する新しい取り組みなのであろうか。

そして朝刊のテレビ欄に異なる変化を見つけた。NHK教育テレビが今日は放送時間を午後0時30分から午後9時30分までの9時間に短縮すると言うのである。排出CO2削減に協力するのだそうである。かねてからテレビ放送は午前0時には全部終わった方がいいと思っているものだから、さすがNHKと思いかけたが、ちょっと待ての声が響いてきた。

民間テレビが放送時間を短縮するのなら諸手を挙げて賛成する。一文たりとも聴視料を払っていないからだ。ところがNHKだけは違う。われわれから強制的に聴視料を徴収しているのである。私がその聴視料を払うのも、このような放送時間でサービスを提供しておりますと言うことに対して長年培われた暗黙の了解があるからではないか。規定の料金を取っておりながら放送時間数なるサービスの内容を勝手に落とすのは理に合わない。

テレビの放送時間を減らすことに私は大賛成である。NHKがその先駆けとなるのも大いに賛成である。とっかかりとして放送時間を現在の半分にしたらどうだろう。しかし聴視料を半額にすることを忘れてはいけない。それと、「教育」テレビから削減を始めるのはいかがなるものか、と。

伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会報告書のあれこれ

2008-12-28 23:09:00 | 学問・教育・研究
伊藤ハム「シアン問題」の関係者から12月26日の夜メールが届いた。伊藤ハムの調査対策委員会報告書が伊藤ハムHPからダウンロード出来るとの知らせであったが、その報告書が60ページの」PDFファイルとして添付されていたので、なにはともあれ目を通すことにした。なるほどと思う結果も含まれているが、またそれなりに新しい疑問も生じてきた。しかしそれはかなり専門的な話にもなるので、井戸水そのものは大丈夫であったということで得心されれば、これ以上読み進んで頂くこともないかと思う。あえて、と仰る方のみお付き合いいただければ幸いである。

私が伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会の報告書は出たものの伊藤ハム「シアン問題」の謎についてで取り上げた問題は、井戸水処理水と原水で検出された4件のシアン異常値が分析過程での産物で、井戸水そのものは原水、処理水とも水質基準を満たしていたのではないかと言うことであった。したがって《異常値が出た時の状況を先ず徹底的に調べ上げるべきである》とも《異常値の出てきた状況を完璧に調べ上げなければならない》とも強調したのである。この調査結果が最終報告書で明らかにされることを期待したが、残念ながらこのような調査はなされていなかったようである。しかし最初の報告で不明であったことのいくつかは明らかになった。

水質分析はやはり外注であった。

9月18日に2号井戸処理水(3ヶ月定期点検)、1号ならびに3号井戸処理水(1ヶ月定期点検)を採水、登録水質検査機関Aは24日に2号井戸処理水に0.022 mg-CN/Lのシアンの含まれていることを報告。東京工場ES課担当者は自らの判断で2号井戸処理水の再検査を行うことを決め、登録水質検査機関Aは翌25日に再検査用の採水を行った。そして10月2日に再検査で2号井戸処理水に0.034 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された旨を報告している。

2号井戸処理水で検出された0.022 mg-CN/Lのシアン濃度が異常値であるとの認識が東京工場ES課担当者にあり、その結果が判明した時点で再検査に踏み切ったのはよい。しかし登録水質検査機関Aが異常値を検出した際に、これまでになかったことだけに検査値を疑わなかったのかどうか、さらに独自の判断で9月18日採水の残りで再検査を行うことを考えなかったのかどうか、その状況が不明のままである。さらに9月25日採水分の検査結果が異常事態にもかかわらずのんびりと7日後の10月2日に届けられた事情も分からないのが不満として残る。

10月3日に採水した3号井戸処理水(3ヶ月定期点検)、ならびに1号と2号井戸処理水(1ヶ月定期点検)についても、登録水質検査機関Aは6日後の10月9日に3号井戸処理水に0.014 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されたことを報告している。

依然としてのんびりムードである。それに加えて1号井戸ではっきりしているが、1ヶ月定期点検といいながら9月は18日に採水、10月は3日に採水している。これでは定期点検の意味をなさないのではないか。

さらに不可思議なことが報告書に記されている。

これまで基準値以上のシアンが検出されたのは井戸原水ではなく処理水であった。原水のシアンが基準値以下なら処理の過程でのシアンの混入が考えられるが、原水がすでに基準値以上のシアンを含んでおればこれは重大な事態である。そしてその事態が以下に記すようにまさに発生したのであるが、その後の伊藤ハムの対応が実に不可解なのである。

1年に1度の定期点検を請け負っている第2の登録水質検査機関Bが、10月7日に2号井戸原水を採水し、7日後の14日、その原水に0.037 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されたことを報告した。この事実は報告書の13ページに記載されているが、この記述からかなり後になる46ページに次の記述がある。

《本件(10月7日採水の2号井戸原水から基準値以上のシアンが検出されたこと。引用者注)において、原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された際の対応の問題点として、下記のことが考えられる。

① 登録水質検査機関Bから再検査の申し出を伊藤ハムが断った。
② 原水としてはあり得ない結果、すなわち、基準値以上の値を示すシアン化物イオン及び塩化シアンが原水に存在するという結果を、再検査を行わずに、登録水質検査機関Bが報告した。

 原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された当時、速やかに再検査を実施することが、伊藤ハム及び登録水質検査機関Bの適切な対応であったが、両者ともに再検査を実施していないことが、今回の問題を分かりにくくした理由といえる。》(強調は引用者)

この引用部分は調査対策委員会の見解で、強調部分は確かに的を射ている。それなら委員会は①について、再検査の申し出をなぜ伊藤ハムが断ったのか、その事情を調査の上公表してほしかった。また②についても異常値を得た登録水質検査機関Bが直ちに再検査を行わなかったことまでは把握しているのだから、なぜ再検査に踏み切らなかったのかその事情をも詳らかにしてほしかった。

結局調査対策委員会は実際に検査を担当した登録水質検査機関A、Bで、異常値の出た時の状況を徹底的に調べるどころが、それをブラックボックスとして封じてしまった。これは後で述べるが2号井戸原水で異常値の検出された原因解明を放棄したことにも繋がる。その点が残念であるが、その背景に調査対策委員会が再現実験(私はモデル実験と呼んでいる)などを通して到達した以下の結論があるように思う。

《[発生原因]
これまで述べたように、今回、東京工場の井戸水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された原因は、塩素酸の基準値オーバーを気にする余りに、塩素の注入量を絞って不十分な塩素処理となり、分析時の前処理操作として加えられる次亜塩素酸ナトリウム(0.05%)の添加によって有機物とシアン化物イオン及び塩化シアンが反応しやすい塩素添加量が起こり、水由来の有機物や分析時の緩衝液としての酒石酸と反応して、基準値を越えるシアン化物イオン及び塩化シアンが生成したものと思われる。》(報告書43ページ)

理解しにくい箇所があるが、今は不問とする。餅は餅屋というか水質分析専門家の指摘であろうか、井戸水由来の有機物や、さらには分析手順として添加する酒石酸緩衝液の成分が、原水処理に使う次亜塩素酸ナトリウム由来の結合塩素(クロロアミン?)と反応してシアン化物イオン及び塩化シアンが出来るというのである。しかもその生成量が酒石酸緩衝液の添加から分析完了までの時間が長いと増加する傾向がある。まさにシアン化物イオン及び塩化シアンが思っても見なかった分析過程での副産物であったのである。

しかし水由来の有機物や酒石酸緩衝液成分と反応する結合塩素の実体は分かっているのだろうか。次亜塩素酸ナトリウムとアンモニアの反応で生じるクロロアミンのことかな、と私は推測したが、クロロアミンは水溶液では容易に塩化アンモン、塩酸、窒素ガスに分解し、さらに塩酸により分解が促進されるとのことであるので、このクロロアミンが水由来の有機物や酒石酸緩衝液成分と反応して塩化シアンがどのように生じるのか、なんとも考えにくい。専門家のご意見を伺いたいところである。さらに酒石酸緩衝液成分が確かにシアン化物イオン及び塩化シアンにどのように変化していくのか、質量分析計などを用いた分析で全容が明らかにされているのだろうか、その辺りを知りたいものである。

さらに塩化シアンの定量法に関して専門家のご意見を伺いたいことがある。塩化シアン標準液(0.1mgCN/L) の調製は100mLメスフラスコに冷却した酒石酸-酒石酸ナトリウム混合緩衝液 40mL、次亜塩素酸ナトリウム溶液 (有効塩素0.05%) 0.2mL、シアン化物イオン標準液 (0.2mg/L) 50mLを加えて酒石酸-酒石酸ナトリウム混合緩衝液でメスアップすることになっているが、この標準液の取り扱いになにか定めがあるのだろうか。標準液を作成してから実際に標準列を作るまでにもしかなりの時間がかかっていたら、その間に次亜塩素酸ナトリウムと酒石酸緩衝液成分と反応して塩化シアンが生じることがないのか、また酒石酸緩衝液の存在そのものが塩化シアンを生じると考えられるシアン化物イオンと次亜塩素酸ナトリウムの反応を阻害することはないのだろうか。前者だと試料の実際の塩化シアンより低めの値が、また後者だと高めの値が出てくることになる。酒石酸緩衝液を用いる代わりにたとえばリン酸緩衝液を用いた実験で、この辺りのモヤモヤを払拭していただきたいものである。

ついでに、試料調製の際に次亜塩素酸ナトリウム溶液を添加すると現実に存在していたシアン化物イオンが塩化シアンに変化することが予想されるが、もしそうだとすると次亜塩素酸ナトリウム溶液を添加しなければシアン化物イオンの塩化シアンに対する量比が増加する筈である。実際はどうだったのだろう。存在するのがシアン化物イオンなのか塩化シアンなのか、そして量比がどうなのか、それにより起源に対する見方が変わるのではなかろうか。

ここで本筋に戻るが、異常値が分析法そのものにも原因があるのなら、これまでにもシアンの異常値が出てきてもおかしくない。それが40年間も現れずに(報道を信じるとして)なぜ今回初めて表沙汰になったのだろう。

今回の報告書は驚くべき事実を新たに報じている。

平成20年度から塩素酸の基準値が0.6mg-CL03/Lとなり、伊藤ハムで塩素酸量をモニターしていたところ、6月から9月にかけて1号、2号、3号井戸処理水で基準値を超える塩素酸が検出されるようになり、《このため、9 月以降の定期的な水質検査日には、前塩素処理としての次亜塩素酸ナトリウム注入量を、塩素酸の上昇を抑えるために、従前の半分低度まで減少させた。特に2 号井戸では、採水当日の2 時間(9 時から11 時)のみ減少させている。》(報告書39ページ)

なんとなんと、塩素酸の基準値をクリアーするために、定期検査に備えて次亜塩素酸ナトリウム注入量を通常の半分、もしくはそれ以下に減らしていたと言うのである。塩素酸量を減らさんがための小細工がシアン化物イオン及び塩化シアンの増加をもたらすという実に皮肉な結果になった可能性が大きくクローズアップされたのである。やはり異常値が出た時には変なことをやっていたのである。調査対策委員会がこの事実を見出したことはきわめて大きい。

しかし私は上記の「発生原因」はあくまでも一つの推論に止めておきたい。このメカニズムでは2号井戸原水の基準値を上回るシアン化物イオン及び塩化シアンを説明できないからである。繰り返しになるが2号井戸原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された当時、なぜ速やかに再検査を実施しなかったのか、私には不可解である。

ここでいったんペンを置くが、私がこの件でもっと声を大にしたいのは自主回収のことなのである。また折りがあれば触れたいと思う。


源氏物語千年紀と大塚ひかり全訳「源氏物語」

2008-12-25 22:49:48 | 読書
今年も残り一週間を切った。この一年、源氏物語が一千年を迎えたとかで京都を中心にいろんな行事が催されたようである。私が嗜んでいる一弦琴にも源氏物語にゆかりのある「明石」という曲があり、私の演奏を公開しているので、興味を持たれる方はお立ち寄りあれ。

真鍋豊平が箏曲から採譜して一弦琴の演奏に仕立てたのである。身辺に不穏な動きを感じて自ら須磨に身を逃れたものの、光源氏はわび住まいに落ち着くことも出来ず、母方の縁者である明石入道の誘いに従って移った明石で明石の君と契る。やがて懐妊した明石の君を残してひとり都に戻るが、その間の光源氏の心情をうたっている。

ところで源氏物語が一千年を迎えたと言われても、作品の成立時期すら分からないのにどのようにして年月を数えたのか疑問に思っていた。すると源氏物語千年紀委員会のホームページで《2008年(平成20年)は、源氏物語が記録のうえで確認されるときからちょうど一千年を迎えます。(紫式部日記の寛弘5年(1008年)11月1日の条には、「若紫」や「源氏」などの記述があり、この時点で源氏物語が読まれていたことが確認できます。)》と出ていたので、なるほど、とそれなりに納得した。

日本古典文学全集「和泉式部日記・紫式部日記・更級日記・讃岐典侍日記」(小学館刊)で調べてみると、確かに紫式部日記御五十日の祝い―十一月一日の項にその行がある。

   左衛門の督、「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」
   と、うかがひたまふ。源氏にかかるべき人も見えたまはぬに、かのうへは、
   まいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。(201ページ)

(訳)左衛門の督(かみ)が、「失礼ですが、このあたりに若紫はおいででしょうか」
   と、几帳の間からおのぞきになる。源氏物語にかかわりありそうなほどのお方も
   お見えにならないのに、ましてあの紫の上などがどうしてここにいらっしゃる
   ものですか、と思って、聞き流していた。

紫式部日記は寛弘5年(1008年)から三年間のことが記されており、初出の月日が七月十九日でその続きの十一月一日のことだから、この日(もちろん旧暦である)にすくなくとも源氏なる文言が出ていることは間違いなさそうである。それにしてもこのような記述を見つけて、それを源氏物語千年紀という発想につなげるなんて、知恵者はいるものである。

その千年紀にかこつけてであろうか源氏物語関連の出版物もよく目についた。書店によっては源氏物語コーナーを設けているところもある。そして最近私の目を引いたのが大塚ひかり全訳「源氏物語」(ちくま文庫)で、1桐壷~賢木、2花散里~少女の二冊がすでに刊行されていて、六冊で完結のようである。何が目を引いたかというとその帯の宣伝文句である。第一巻の帯は紛失してしまったが第二巻の帯の文言と似たようなものではなかったか。源氏物語は日本が世界に誇る文化遺産、古典文学であると奉っておけば波風は立たないが、一方ではエロ文学の極致との風評もあり、大塚ひかり訳はどうもこの路線にあるようなので好奇心がそそられたのである。



この文庫本では現代語訳が一区切りしたところで「ひかりナビ」と称する解説文の続くのが特徴になっている。たとえば桐壷の冒頭に続く「ひかりナビ」では、《女は、ミカドの「寵愛ゆえに」、他の女御・更衣ににらまれる。当然です。ミカドの子を生んでなんぼ、愛されてなんぼ、いわば「セックス政治」が行われていた当時、「性愛」のもつ意味はとてつもなく重いからです。》などの説明が出てくる。しかし現代訳はあからさまに表現しない原文の持ち味を生かしたものになっている。内容はエロいのかもしれないが、言葉に振り回されることはなかろう。

(原)源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、
   え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、我人に劣らむと思いたるやにはある。
   とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげ
   にて、せちに隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。

(訳)"源氏の君”は、ミカドのおそばを離れることはないので、ミカドがたまに
   お通いのお妃はもちろん、ましてしげしげとお通いになるお妃は、君に対し
   て恥じらってばかりもいられません。いずれのお方も、自分が人に劣ってい
   ようと思うはずはありません。それぞれにとてもお綺麗なのですが、いささか
   お年を召している中で、この藤壺はとても若くて愛らしく、一生懸命、
   源氏の君からかくれるものの、君はしぜんとお姿をかいま見てしまいます。

瀬戸内寂聴さんの現代訳をややくだいたような感じできわめて素直である。これなら「ひかりナビ」を楽しみながら一週間に一帖進めば、ほぼ一年間で全五十四帖を読み上げることが出来そうである。ちなみに大塚ひかりさんは女性である。

ところがクリスマスプレゼントではないが昨日届けられた源氏物語は一風変わっていた。上の部分を次のように訳しているのである。

   源氏の君が帝のまわりから離れないことを しょっ中 帝の寝所に通い
   Hしに行く女御・更衣はなおさら恥ずかしがってはいられない
   どの女御・更衣も 私は他の人に劣っているのでは などと思っている
   だろうか それはないだろう 女御・更衣それぞれに 大変すばらし
   かったが いい加減老けて大人になっているところに すごく若く
   かわいげで しきりと 素肌を見せないようにしているが 自然と
   漏れてくるものを見る(父と藤壺の性行為も自然と漏れてくるものを
   見る)

確かにその通りなのだろうが「Hしに行く」とまで書いては身も蓋もない。幼児が「うんこおしっこ」と大声をあげているようなものである。また源氏の君が桐壷帝から離れずに御簾のなかまで入っていくのだから、几帳のはずれや隙間からなにかが漏れ出ても不思議ではない。その気になれば「漏り見たてまつる」がああにもこうにも読み取れるのである。これはこれで面白いが、好みに合う人も合わない人もいるだろう。

実はこれはマンガ本で、必然的に絵が(私の感覚では)きわめて過激なのである。想像力の欠如した人間の増えている世相を反映してか、言葉がより直截かつ明確になる分、ますます想像力の出番を奪ってしまう、そういう作品である。あるマンガ作者が大塚ひかりさんと文庫本に付いてくる「源氏物語新聞」上で対談しており、それに触発されてこの作者のマンガ本を取り寄せたが、少々の想像力が残っておりそうな私にはそこまで描いていただかなくても、の代物であった。ふとこれを種本にした生徒に解釈のぜひを問われて立ち往生する国語の教師を想像してしまった。挑発の片棒を担ぎたくないので表紙の一部だけをお目にかけるが、ぜひにと仰る方は自力で見つけ出していただきたい。



お口直しには次の源氏物語絵詞がよい。




すっからちょっから とは なんのこっちゃ

2008-12-23 11:55:46 | Weblog
韓国・朝鮮語(=韓国語)の勉強で週一回教室に通い始めてかれこれ三ヶ月になる。月曜日は振替休日によく引っかかるので休みが多く、まだ8回目かが昨日で終わったら、次は来年一月十九日までほぼ一ヶ月の間が空く。何もしなければその頃にはせっかく覚えたことをすっかり忘れてしまいそうである。そこで読みかけて中断していた蓮池薫さんの書いた「蓮池流韓国語入門」(文春新書)を再び取り出した。韓国語を習い始めて間もなくこの本が出たので直ぐに買ったのであるが、普通の教科書のような書き方ではなく、蓮池さんなりに構成を考えて話を進めているのだろうが、全くの初心者には話題の選び方が散漫に感じられて、その時は集中できなかった本なのである。



久しぶりにこの本をあらためて読み返すと、なんとなんと、教室で先生の話を聞いていてわかりにくかった内容がちゃんと要領よく書かれていて、今度はとても読みやすいのである。この年末年始、蓮池さんの本でしっかりと勉強することにした。

私の韓国語の先生は在日韓国人で、子供の頃からずーっと日本語で育ち、大学で朝鮮語を習い始めた方である。そういう意味では日本人が韓国語を習い始めるときに遭遇する難しさや、また逆に漢字文化で育った日本人ならではの特徴を生かした学び方をよくご存じだと言える。韓国語への入り方として蓮池さんとも共通のところがあって、だから話の進め方がお二人で似通っているのかも知れない。それはともかく、一回九十分授業が八回として七百二十分、せいぜい十二時間の勉強でハングル文字の全てにお目にかかって、一応は読めるようになったのだから大したものであると、まずは自信を持つことにした。

授業が終わるのが正午、それからいつも先生を交えて五、六人で近くの韓国家庭料理の店に出かける。テール、たら、いわし、すじ、もつなど何種類ものスープ定食があって、どれもこれもみな美味しい。昨日はたまたまアワビ粥定食が一人前だけ残っていて、皆さんが私に譲って下さった。かってソウルの街を歩き回っていた時に、たまたま見つけて入ったお店でのアワビ粥の美味しかったこと、それを思い出して注文したのである。スープの味が控えめだったのでキムチをほどほど入れたらなかなかの味になり、身体の芯から温まった。

このお店の名前が「すっからちょっから」で、最初の頃はなかなか覚えられなかった。意味がわからないので、ただの呪文のように覚えるしかなかったからである。ところが授業がすすんで「すっから」とはスプーンのこと、「ちょっから」とはお箸のことと文字も一緒に習ってからは、もう迷わずに「すっからちょっから」と言えるようになった。携帯なのでピンぼけ写真になったが、アワビ粥の右側に見えるのがステンレス製の「すっから」と「ちょっから」である。これが店の名前の起こりであった。年が明けてから一夜、懇親会で昼間にはない料理を楽しむことになっている。



女性合唱団「遊」のviva! X’mas 2008

2008-12-22 20:30:46 | 音楽・美術
今年の「遊」の演奏会は去年より遅く、昨21日、松方ホールで催された。クリスマスシーズンに合わせてか、「viva! X’mas 2008」というタイムリーな企画だった。一昨日は義母の一周忌の法要を仏教の寺院で執り行い、その翌日はクリスマスソングを楽しむ。日本人ならではの大らかさである。休憩を含めて1時間半あまりの「遊」の演奏を今年もたっぷりと楽しませて貰った。

21名の団員が舞台の両脇から登場、赤のロングドレスがよく映える。そして現れた指揮者の岡崎よしこさんは黒の服装で団員の赤をバックに存在感が一段と浮かび上がる。第一部では「ジングルベル」に始まるポピュラーなクリスマスソングを7曲。柔らかくのびのある歌声が美しい。ソプラノのソロがまたよい。ソロの歌い手が曲によって変わるのだから層の厚さがうかがわれるというもの。ハーモニーを生み出す歌声には人生経験が美しく結実したかのような深みがある。声の色つやにアラフォーの母性を感じてしまった。心にしみ入るにつれてほのぼのとした気分になる。Hallelujah!

第二部はロッシーニーの女声三部合唱曲で、La Fede(信仰)、La Speranza(希望)、La Carita(愛)と続いた。プログラムには「三つの聖歌」と記されていたが、これらの曲の演奏を聴いて、これはsacredと言うよりはsecularな歌そのものではないかと改めて思った。技巧の難しさを感じさせない明るさと軽快さに充ち満ちた演奏なのである。ロッシーニーがオペラ作曲のペンを折り、ことのほか好んで即興風にまたコミカルなものとして作曲したサロン演奏向きの数多くの合唱曲の流れとでも言えようか。合唱では出しにくい装飾的な旋律をピアノが一手に引き受けて、それがコーラスとからみ合うのが実に快い。言葉がわからないだけにまったくsecularな音楽として楽しんでしまった。帰ってからEnsemble Vocal Michel Piquemalの演奏で聴いてみたが、「遊」21名の織りなすアンサンブルの深みが私の好みであった。



第三部はチャイコフスキーの合唱組曲「くるみ割り人形」で、メンバーが小学生かと見まがう衣裳で登場。そのせいか寸劇仕立てでの振る舞いのなんとキュートなこと、やはり女は化け物?m(__)mオペラ集団ぐるっぽユーモアの主催者でもある岡崎よしこさんの演出なのであろうか、変化のある流れがスムースで、その世界の中に入っていきたいような郷愁がわき起こり、あっという間に30分あまりが過ぎてしまった。

歌っている皆さんの表情の素晴らしいこと、好きなことに情熱を注ぎ込めるなんて本当に幸せな人たちだなと思うと、私もお裾分けを頂いたような気分になった。viva「遊」!

「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?

2008-12-20 00:16:08 | 学問・教育・研究
一昨日これでは核融合研究より農業再生をを投稿してから、この記事を書くきっかけとなったコメント主リバモアのロレンスさんのURLが判明した。コメント欄に公開した段階でURLが浮かび上がったのである。この中に「科学的事項説明、反論」という20ページのPDF文書があり、一読したところ思いがけない文章に遭遇した。その19ページを引用するが、その文章の中ほどにある《特に、左図は、「豆まきデータ」と債務者が揶揄するデータそのものであり》との行である。



確かに私は3月13日の記事筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてで、問題のショット番号196941とあるデータを《点の広がりは私の目には節分の豆まきのように見えるが》とも、《上の「豆まき」データを下の「曲線」に仕上げるとはこの専門家集団はよほど楽天的なんであろう。》とも書いた。

私以外にも「豆まきデータ」なる言葉を使った人がいるのかと思い、筑波大学が公表した「本学教員が発表した論文における不適切なデータ解析について」の資料を検索したが「豆まきデータ」なる言葉は出てこなかった。

上記「科学的事項説明、反論」がいつ作成されたのかは明記されていないが、文章中に「Physics of Plasmas 15, 056120(2008)」なる文献が引用されており、調べてみるとこの論文のタイトルは「Active control of internal transport barrier formation due to off-axis electron-cyclotron heating in GAMMA 10 experiments」で、その履歴は「Received 13 November 2007; accepted 17 March 2008; published 7 May 2008」となっている。その発行日から見るとこの文章が今年の5月以降に作成された可能性が考えられる。となるとこの著者は私の3月13日の記事を目にしているのかも知れない。さらにコメントの中には「債務者」という私には理解しにくい言葉が出ているが、同じ言葉が「科学的事項説明、反論」にも出ている。となるとこの「債務者」とは私のことか?と思わざるを得ない。

もしこの一文がリバモアのロレンスさんのお目にとまれば、この「債務者」というのが私のことなのかどうなのか、もし私のことならなぜ「債務者」と呼ばれているのか、その辺りの事情を説明していただけないだろうか。「債務」とは「借金を返さなければならない義務」と辞書にも出てくる。このままでは気持ちよく正月を迎えられないではないか。もし私のことでなければ忘れることにする。

そこで再び「科学的事項説明、反論」に戻るが、私が「豆まきデータ」と呼んだいわゆる生データが本当の生データなのかどうか、実は私には納得できていないのである。3月13日の記事で私は《一番上の図を見ると時刻:85.0-98.48msと記されている。想像するにプラズマが発生している間に横軸となっている電圧を掃引して縦軸の電流値を測定していくのだろうか、それが20msもかかっていないとすると、測定回数を増やしても苦にはならないのではないか。》と想像を述べた。生データということから私が描いたイメージでは、2チャンネルのデジタルレコーダーの一方(横軸として)に電圧を、もう一方(縦軸として)に電流を入れるとして、ある時間間隔でデータ取り込みトリガーのパルスを発生させる、そのような測定法なのであるが、果たして実際にはどうなのであろう。この仕組みが公表された文書からは読み取れない。私が問題にしているのはデータの解析方法ではなくて、あくまでもデータ収集の手段なのである。同じ測定を繰り返し積算してデータの精度を上げる、これが実験科学者の鉄則であるからだ。


追記(12月21日) 上記参考図 C の説明で《左図は、「豆まきデータ」と債務者が揶揄するデータそのものであり》とされているデータに「#196941(rc=11.9cm) 135.00-148.48ms」との書き込みがある。ところが私が「豆まき」データと最初に評したデータを12月18日の記事の中に再掲したが、そのデータには「ショット番号:196941、時刻:85.0-98.48ms、動径距離:rc=11.9cm」と記されている。両者はまったく同じデータの筈なのになぜか時刻が異なっている。どういうことだろう。

これでは核融合研究より農業再生を

2008-12-18 22:24:34 | 放言
私の3月13日の記事筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてに最近あるコメントが寄せられたが、内容的に公開するまでもあるまいと一旦は思った。私の記事に対する直接的なコメントではなくて、この方の一方的な主張で終わっていたからである。しかしこのコメントに何回か目を通しているうちに、ひょっとして核融合研究なるものはある種の「ぺてん」かも、というとんでもない疑惑を抱くようになったのである。なぜそのような疑惑をいだくようになったのか、そのコメントを一つの材料として話を進めるために公開することにした。関心のある方はその全文を上記記事のコメント欄でご覧いただきたい。

コメントのタイトルが「改ざんではありません」とあるように、この方は「不適切と疑われるデータ解析」と判定した筑波大学研究公正委員会調査委員会に反論されている。問題論文の著者の一人なのかどうかはわからないが、この問題の表に出ていない事情をご存じのようである。しかしそのように装っているだけなのかも知れない。コメントの冒頭に《改ざんと認定されたデータ解析方法ないしグラフ等について、詳しく解説がされておりその内容はCho-Teruji.Org(和文)ないし Cho-Teruji.net(英文)にて照覧することが出来ます。》とあるが、これだけでは私には「詳しい解説」を見ることが出来ない。ソースの所在とそれへのアクセスの仕方が明示されていないからである。従ってこの一文は私には何の意味をも持たない。(追記 http://www.cho-teruji.org/から参照できることをこの方のコメントを公開した段階で気づいた。投稿者のURLがこの時点で明らかになったからである。しかし明示されていなかったのは事実であるので、本文をあえて訂正せずにそのまま残したことをお断りする。23:27)  そしてコメントは《PRLへの論文Figure 1については、下記に抜粋で反論を述べます。》で始まり、Figure 1(a)に関するデータ解析の正当性の一方的な主張に終始する。

この問題に対して私の態度は明確で、私のブログ記事の主張点は次の通りである。

いくらデータ整理にそれなりの手法があるにせよ、上の「豆まき」データを下の「曲線」に仕上げるとはこの専門家集団はよほど楽天的なんであろう。「豆まき」データを前にして私ならどうするか。もしこれが意味のある実験結果であるとそれなりの確信と期待があれば、さらに解析に値するデータの収集に取り組むであろう。同じ測定を繰り返してデータを積算するのである。たとえば酸素化ミオグロビンの光解離と再結合の時間経過を観測するには、レーザーパルス照射で酸素分子とミオグロビンの結合を切断することで反応を開始するが、光解離の量子収率が低いのでシグナルの変化量がきわめて小さく、デジタルオッシロで記録したデータはまさに「豆まき」状態である。しかしレーザーパルス照射を繰り返して反応を反復開始させて、その度ごとにシグナルの時間変化を記録、積算していくと次第にどのような変化が起こっているのかが判断できるトレースが出来上がってくる。生体試料であるが100回ぐらいの積算ではびくともしない。そこで初めて統計的手法を取り入れてデーター解析を進めることになる。

要するに解析に値しないデータをいくらいじり廻してもそんなものは無意味であると言っているのである。ここで私のいう「豆まき」データをもう一度筑波大学が公開した資料2説明資料からここに引用しておく。



よく目をこらすとこの点の分布が来年の干支のうしのようにも見える。左側が頭で角もあるようだ。人によってかたつむりに見えたとしても何の不思議もない。無限の想像力がかき立てられる。「豆まき」データとはそのような状態のもので、いわば水晶の玉の中に煙がもうろうと立ちこめているようなものである。練達の占い師ならこの先に待ち受けている素晴らしい人生をこれで予言してくれるかもしれないが、この「豆まき」データを科学的解析の対象にしたこと自体私には「驚き桃の木山椒の木」なのである。

この「豆まき」データからは縦軸と横軸にどのような相関があるのか見当の付けようはないが、その相関をある関数で表すことが出来ると思い込めばあとは一気呵成、想定式にデータをフィットさせるという機械的なデータ処理で欲しいパラメーターを作りだし、それを使って論文に発表するような次の図が出来上がるのである。しかし科学的には一顧の価値もないただの図形である。極論すれば実体の裏付けのない想像力の産物に過ぎないといえる。



ところで筑波大学公開の資料1本事案の詳細についてには《プラズマの研究は、将来のエネルギー源として期待される核融合を地上で実現することを目指しています。核融合反応には1億度以上の温度が必要であり、このような高温では物質は電子とイオンに分離しており、これをプラズマと呼びます。核融合燃焼している高密度のプラズマを長時間安定に閉じ込め、制御することは容易ではなく、実用化に至までの研究段階でも巨額の開発費用を用いた実験装置が必要とされています。》と述べられている。

では将来のエネルギー源としていつ頃核融合反応が現実に利用されることになるのだろうか。岡野邦彦さんの「核融合とは」に次のような予定が示されている。



核融合炉実用化への準備が完了する予定が2050年、これはなんと昨日紹介した石川英輔氏の物語によるとこの頃日本は江戸時代に戻っているのである。行灯をともせばいいのに核融合発電とはこれいかに、である。結果が出てくるのが40年先だとすると後は野となれ山となれ、クリーンで永続性のあるエネルギー源を錦の御旗に、言いたい放題やりたい放題がまかり通っているのが核融合研究の世界のような気がし始めたのである。このたび筑波大学で問題になったような中途半端なデータ収集とそのJARGONめいた解析の現状が温厚篤実な紳士である私をしてここまで言わしめたのである。

日本の将来に必要なのはなにはともあれ食料の自給自足、そのために農業の再生こそ最重要課題であり、核融合発電よりこちらのほうに予算を割くのが賢明な選択であろう。F1からの撤退は今や自動車産業の潮流となった。核融合研究も後れをとるべきではない。


石川英輔著「2050年は江戸時代」をお勧め

2008-12-17 14:25:40 | 読書

12月5日の記事ビッグ3も日本の自動車産業もしょせんは虚業?で《これから数十年先、日本の総人口が6千500万人になった頃の車の使われ方を描いた物語が手元にあるある。『虚業』の行く末を暗示しているようでなかなか示唆に富んでいる。また折りがあれば紹介しようかと思う》と書いたまま忘れていたのを思い出してので、ここで紹介する。石川英輔著「2050年は江戸時代」である。この本の奥付には「1995年1月27日 第一版第一冊発行」とあるから出版はかれこれ14年前になる。その後1998年に講談社文庫から出ているが、もう多分書店では見つけられないだろうから、興味を持たれたとしても図書館か古本屋で見ていただくことになりそうである。

目次の最初が「税金のない村」で、何故税金がないのかが次の話で分かる。

《何万台あるのか、正確な数は今となっては誰にもわからないが、古い自動車とエンジンが、この涸谷(かれだに)の大部分を埋め尽くしている。金属、中でもアルミニウムは非常に貴重な資源なので、最近では、アルミ部分の多い古エンジンを月に二十個も売れば村の経費がまかなえるため、五年前から、この桃園村では村税がなくなった。また、古タイヤは石油の原料になるので、必要に応じて業者に渡して石油と交換している。》

何故このように古い自動車などが蓄えられていたのかは本を読めばわかるが、時代はすでに明治維新、昭和敗戦を遙か以前に通り越え大刷新に突入しているのである。「便利な生活、いのち取り・・・・・田畑を耕し、生き残れ」がこの時代に入りがけの頃の囃子言葉だったそうだが、昭和敗戦前に私たち世代が唱えていた「欲しがりません勝つまでは」のようなものであろう。

この時代の若者が大刷新に入る前の東京時代の生活を村の古老から教わるという仕掛けになっていて、今の時代の文明批判が次から次へと出てきて、それが面白い。その話を聞いた人の感想もまじわるが、私の気に入ったところを少々長くなるが引用させていただく。

《今と違って、新聞は毎日来たし、ケーブルテレビというものがあって、何時でも何十もの番組を放映していたから、断片的なことはいくらでもわかった。ところが、この当時、新聞やテレビ番組を作っていた人は、はじめから頭の中に結論を持っていて、それに合った社会現象だけを報道するという実に奇妙な性癖があったから、本当は何が起きていたのかよくわからないのだ。》(64ページ)

《東京時代の繁栄を支えたのは、みんなが揃って同じようにきちんと働ける均質の国民性だったが、工業が発展してある段階に達すると、今度は、その国民性が工業の進歩にブレーキをかけてしまったのだな。(中略)この世では、一方的に良いだけのことはない。あらゆることがあらゆることと複雑に関連し合っているから、その一部だけを取り出して、人間のつごうだけに合わせて突出させれば、いずれはどこかにしわ寄せがきてひどい目に遭うことがわかったのが、東京時代の大きな収穫だった。》(129ページ)

《東京時代の最盛期だった1980年代に、当時の農林水産省が発表したデータによれば、日本人一人に対する一日当たりの食料供給量は、約二、六00キロカロリーだったのに対して、食料摂取量は約二、一五0キロカロリーだった。その差四五0キロカロリー分は、どうやら残飯として捨てていたらしい。四五0キロカロリーを当時の人口の一億二千万倍し、さらに三六五倍すると、ざっと二0兆キロカロリーというとてつもない数字になる。この食品熱量を米に換算すれば、約五五0万トン。三千万人以上の人が一年間食べられる量を、毎年捨てていたことになる。》(143ページ)

《われわれ漢民族にとって、親孝行は絶対です。もちろん、誰でもちゃんと親孝行が出来るとは限らないけれど、その場合は自責の気持ちが強いし、少なくとも、誰かに親孝行の代わりをして貰うのが良いことだとは思いません。ところがアチラ病とクニガ病を併発すれば、親孝行は封建的で愚かな行為だ。子供は、親に頼んで産んでもらったわけではないから、権利義務の関係はなく、老人の面倒は国がみるべきだ、といい始めます。もちろん、それはそれで十分説得力はあります。ところが国家事業の経済効率はむちゃくちゃに悪いから、子供が親孝行をする代わりに、国が老人の世話をするようになれば、底なし沼に落ちたように、際限なしに国家予算が膨張します。いずれは・・・・・》(186ページ)

ここに出てくるアチラ病とは《自分の国に自信がなくなると見境無しに外国崇拝をして、外国の欠点までが長所に見えるようになる病気》、またクニガ病とは《何でも国がやれ、国がやるのが進歩だといっているうちに、行政がやたらと肥大して複雑になり、規制だらけになって、身動きが取れなくなってしま》う病のことである。

《官庁といっても、別に超能力があるわけじゃなくて、要するに、税金を集めて目的別にばらまく権限があるだけのことでしょう。ところが、十年も続けて税収ががた落ちで、予算の縮小が続いているし、今の落ち目の貧乏国の日本じゃ、国債なんて発行しても引き受けてはどこにまいないし、お金のないところに権限もない。予算をつけられない官庁なんて、こわくも何ともないから、誰もいうことをきかないというわかだよ。》(227ページ)

《みんなでせっせと働いて、良い品物を売って世界から金を集め、その金で石油を買って電気を起こし、世界中から資源や食べ物を買ってぬくぬくとやっていたのに、どこかの歯車が一つ狂えば、全部ががたがたになってしまうのだな。》(228ページ)

医者までがこういうことをいい始める。《私が医大で教育を受けた偉い先生たちが、次々に現れる新しい病気を相手に苦労しておられたのに、私の世代の医者なら、そういう病気の患者さんを診る機会があったのは、駆け出し医者だった頃だけで、最近では、次から次へと新種の病気が現れることはありません。今は、病気の種類がかなり減少傾向にあって、単純化しています。》(246ページ)

《工業社会では、いくら働いたところで会社は他人のもので、退職すればおしまいだ。大刷新後の農業社会では、大刷新の嵐の中で、東京時代のような西洋式の社会保障は消し飛んでしまったが、働けば収穫の九十%はじぶんのものになる。しかも、それだけではなくて、自分の田畑をせっせと手入れして土を肥やせば、結果として来年から収穫が増えるのだから、張り合いがまるで違う。》(250ページ)

政治も変わった。村の長老が決めるのである。《上から天下ってきた民主主義と、昔ながらの民主主義のどちらが村に合っているのかわからないが、とにかく、桃園村では、政府の締め付けがゆるむと、いつの間にか古いやり方に戻ってしまった。》(252ページ)

この古老とは昭和敗戦時には十代で私よりは数年上だろうか。そういえば著者の石川さんも昭和八年生まれで天皇さんと同い年である。石川さんは印刷会社で技術者として、また経営者として勤められる傍ら、江戸時代についての造詣が深くてその浩瀚な学識にもとづいた江戸時代の社会生活に関する著書も多い。私は小説「大江戸神仙伝」以来のお付き合いであるが、これが現代と江戸時代にそれぞれぞくっとするような女性を妻として時空を超えて往き来する製薬会社勤めの男の物語だから、これはこれでこたえられない。それはともかく、今から14前に今われわれが直面している世界の混乱の根源をすでに見抜かれていたとは恐れ入る。健全な常識の大切さを心得ておられる方にぜひ一読をお勧めする次第である。