日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

小沢氏「起訴相当」報道に思うこと

2010-04-28 17:55:28 | 社会・政治
朝日朝刊一面であるが上の見出しに続いての記事である。


私は小沢さんをかねてから胡乱臭い政治家だと思っているので、東京第五検察審査会のこのような決定には素直に賛成したいが、世間のはしゃぎように少々天の邪鬼が頭をもたげてきた。皆が誉めそやすこの検察審査会ていったい何だろうと思ってみると、実は私は何も知らないのである。もちろん最近、明石の歩道橋事故やJR福知山線脱線事故では検察審査会の議決により関係者が強制起訴されたが、私の知るのはその事実のみである。それでいて検察審査会の議決を変に有り難がるのは、考えようでは今日も報じられた詐欺事件の被害者と同じだなと思ったからである。

振り込め詐欺 指示役の男逮捕 兵庫県警
 架空の法曹団体を名乗るグループによる振り込め詐欺事件で、兵庫県警捜査2課は28日、詐欺容疑で佐賀県基山町小倉の無職、○○○○容疑者(30)を逮捕したと発表した。グループの指示役とみられ、県警は組織の全容解明を進める。

 逮捕容疑は、昨年11月19日、「東京管財事務局」と名乗り、同県加古川市の女性(53)に民事訴訟を起こされたと偽った内容のはがきを送りつけ、裁判費用などとして60万円をだまし取ったとしている。容疑を否認しているという。
(2010年4月28日 13:38  産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)

被害者が「東京管財事務局」というのをそのまま信じたのがいけなかったのである。だから私も検察審査会に距離を置くことにして、まず検察審査会とは何なのかを調べようと思ったが、朝日朝刊第二面に解説記事が出ていたので、その要点を引用する。


「くじで選ばれた11人の市民」がそのメンバーだそうであるが、検察審査会という厳めしい名称の会にしてはあまりにもあんちょこな選び方のような印象を持った。東京検察審査会と地名がついているからには、主な地方自治体にはそれぞれ検察審査会があって、その地域の有権者からくじで選ばれるのだろう。くじの具体的なやり方が公開されているのかどうか、ちょっと調べただけでは分からなかった。

そういうことが気になるのも、審査員の質を想像したからである。くじで選ばれた人の中からさらに何かの基準や条件で選抜をしているのだろうか。そうだとすると恣意的な選択が入ってくる可能性は高くなることだろう。モンスター・ペアレンツが加わってきたら大変だと思うし、正義感溢れる大学生ばかりならまた面白いかなと、と見こう見するにはよいとしても、少なくとも起訴という法律的手続きを巡ってその是非を問うかなり高度に専門的な問題に、いったいどのような立場で審査員が関与できるのかと思うと、私は不安を感じてしまった。素人談義に過ぎないのではないかと思ったからである。それに審査員が素人という前提に立てば、その判断を市民、国民の目線とするには11人では少なすぎる。サンプル数が多いだけにこれではマスメディアのアンケート調査の方がまだましであろう。

ところが読売新聞に掲載された今回の議決要旨を見ると、素人が書いたような文章ではない。それもそのはず「議決書の作成を補助した審査補助員 弁護士 米沢敏雄」とあるように、弁護士の文章なのである。審議内容は一切公開されないから、われわれの目に触れるのはただこれだけ。審査員がどのような素人談義を交わしたのか分からないが、それをまとめたのがこれです、と弁護士に示されたら素人はそのまま頷かざるをえないでああろう。議決要旨はこのようなものであると私は理解した。ところが、である。朝日朝刊は第一面には『幹事長辞任 否定』と大きく見出しを掲げ、素人判断の「起訴相当」に過ぎないのに、それで幹事長辞任を取り沙汰しないといけないかのような大仰なとらえ方をするし、また社説でも『「起訴相当」 小沢氏はまだ居直るのか』と極めで高飛車であるが、その拠り所が素人集団の判断に過ぎないとはこれまた単純である。素人談義に花を添えるようなことでお茶を濁すのは『ガス抜き』に手を貸すだけのことである。そんなことよりは政治家の責任逃れを許さない抜本的な対策の確立を訴えるべきであろう。議決要旨にもあるように、「秘書に任せていた」と言えば、政治家本人の責任は問われなく逃れ道を一切認めない法改正を行うことがその一つであることは間違い無い。マスメディアがその他大勢と同じようにはしゃいでいては話にならない。



民主党が参議院廃止を唱えれば人気は一挙に回復疑いなし

2010-04-26 21:12:55 | 社会・政治
私はかねてから参議院廃止論を唱えている。その理由は過去ログで述べているのでここでは繰り返さない。ご覧いただければ有難い。

総選挙雑感(2) 『風見鶏のヤス』の子は不肖の子(2005-09-14 11:26:56 | 社会・政治)
『ずっこけ風見鶏』は参議院廃止論に拍車をかける(2005-10-15 10:11:03 | 社会・政治)
今こそ参議院廃止を声高に唱えよう!(2008-05-16 20:36:41 | Weblog)

民主党は前回の衆議院総選挙で「子ども手当」とか「高速道路無料化」など、財源もないまま「ばらまき」をマニフェストで高言したが、そのいずれにも私はそれぞれの理由で反対であった。残念ながら「子ども手当法」は日本共産党まで賛成して成立してしまったが、その結果を見よ!「子ども手当法」成立後も鳩山内閣、民主党への支持率は低下する一方である。これこそ国民の健全な良識の反映なのである。国民は自民党政権への失望からとにかく政権交代を切望して民主党に第一党を取らせただけのことであって、この支持率の低下が「ばらまき」を容認しているわけではないことを如実に物語っている。

私は日本国民は政治的にも十分成熟していると思う。だから今こそ国民にも相手にされない「ばらまき」で人気取りを狙うのではなくて、国民の良識に訴えるべく誰の目にも無駄遣いと映る参議院の廃止を来る選挙での公約とすることを勧めたい。国民の心をがっちりと捉えること間違いなしである。参議院廃止にはいかなる財政負担を伴わないどころかその軽減にもつながる。民主党にとってもこれが起死回生の策となることであろう。その上、これなら小沢幹事長がいなくても選挙は戦える。それよりなにより参議院選で参議院廃止を訴えるなんて、事業仕分けより格好がいいではないか。


一弦琴の糸をもとめて そして「須磨」を演奏

2010-04-25 18:45:55 | 一弦琴

「絹の調べ 湖国にあり 琴糸(滋賀県長浜市)」の見出しが目に飛び込んできた。次のように始まるasahi.com(2010年4月10日)の記事である。

 滋賀県・琵琶湖の北に位置する長浜市木之本町。江戸時代に北国街道の宿場町として栄え、本陣跡や古い商家が面影を残す。

 3月半ば。初春の冷気に包まれたこの旧宿場町の一角で、琴糸づくりが進められた。

 和楽器糸製造の「丸三ハシモト」。工場1階の板張りの部屋に400本の糸が張り巡らされている。極細の生糸から撚(よ)りあげた絹の糸が、窓から差し込む陽光を受け、つややかに輝く。

 白が琴、黄色が三味線の糸。三味線の糸はウコンの染色だ。糊(のり)で煮込んだ糸を、余熱のあるうちに張っていく。さらしで糸を挟んで引っ張り、余分な糊を取り除き乾燥させる。「糸張り」で仕上げにさしかかった。琴糸づくりの工程は計12。ほとんどが手仕事だ。

ネットで調べてみると一弦琴の糸も製造している。かなり以前に太さのことなる糸を張り替えて演奏を試みたことがあったが、それは三味線用の糸であった。もし一弦琴用に太い糸があればいいなと思い、「丸三ハシモト」に電話をした。娘さんと名乗る女性が私の数々の問いかけに親切に答えて下さったが、百聞は一見にしかず、ということで約束を交わした上、昨日工場に車で出向いたのである。

かってのお師匠さんも「丸三ハシモト」さんから糸を入手しておられたようである。話をしているうちに分かってきた。その糸に加えてさらに太い糸が一弦琴用として作られていたことも分かり、とりあえずそれを五巻分けていただくことにした。ほかにも三味線用の糸を数巻、遠いところからわざわざ来ていただいたので、とサンプルとして下さった。


せっかくだからと工場内を案内していただき、製造工程もくわしく説明していただいた。物づくりの現場をゆっくりと拝見できて、それが珍しいことばかりなので興奮のしっぱなしであった。全ての工程がすんなりと頭の中に納まったわけではないが、実に繊細で根気の要る仕事であるはよく分かった。まゆは一年の間に何回かとれるが、春まゆだけを糸の製造につかっていること、また出来上がった糸を餅糊で煮込んだり、また表面をコーティングするが、その餅も一年分を作っては保存しておくとか、自然の素材が昔ながらの伝統技術で琴糸に加工されていく現場に深い感動を覚えた。ちなみに上の写真で糸を束ねている色つきのものであるが、これは撚りに強い和紙でこれも伝統技術品だそうである。色とその組み合わせにより太さなど糸の規格が分かるようになっているとのことで、そういう先人の智慧に嬉しくなる。

帰宅後、まずは一弦琴用の太口糸を張り、ためしに弾いてみた。以前の一弦琴「秋の御幸」男性版と同じような条件である。糸の太さを変えただけで徽(つぼ)の位置が微妙に変わるし、また弾き方によって音色も変わりやすいのでいろいろと奏法に工夫が必要になるが、私の唄いやすい音程に調節できるのが嬉しい。しかし欲も出てきた。私の思うような糸を作っていただけると、より美しい音色が期待できるような気がしてきたのである。無理を承知でお願いをしてみよう。



自宅を出たのが朝の9時15分で帰宅が午後6時45分。往きは東行きのいつものコースで阪神高速7号線から中国道、名神高速、北陸道を通り木之本インターチェンジで出た。家を出てから2時間半ほどで、高速料金が2450円。車をJR木之本駅の無料駐車場に駐め、木之本一?の料亭で食事してから工場を訪問した。そのあと、街の中を散策したが北国街道あとが「うだつのある街並み」になっており、山内一豊が馬を買い求めた馬市がここにあったようである。

帰りは以前も通ったがいったん小浜に出て舞鶴若狭道に入った。渋滞もなく高速料金は1000円で済んだ。往復がほぼ420キロメートル。高速では瞬間時速が140キロメートルは出さないように心がけたが、思ったより早く帰りついた。




車谷長吉著「世界一周恐怖航海記」を読んだばかりに

2010-04-23 14:28:24 | 読書

船に心惹かれる私ゆえ、表紙を見ただけで買ってしまった。「恐怖」も面白そうだし。

知らなかったがこの著者は直木賞作家なのである。そういえば受賞作「赤目四十八滝心中未遂」のタイトルはどこかで目にしたように思うが、これまでこの作者の作品は一つも読んでいない。ご縁がなかったのだろう。ところがこの航海記、風変わりで読み始めたら面白い。この作家がそうなのか、書いていることがそうなのか、要するにはちゃめちゃなのである。だから一気に読み上げた。

「嫁はん」の高橋順子さん、詩人の新藤涼子さんを引き連れて?三万一千五百トンのトパーズ号で横浜港を出港し、100日間世界一周航海に出かけて戻ってくるまでの話であるが、まずこの夫婦が変わっている。

新婚旅行の帰りに嫁はんに「東京へ帰ったら、本郷に家を買ってね」と言われたからといって、5年はかかったものの家を買ってしまう。すると今度は「いずれ船で世界一周旅行に連れて行ってね」と言われて乗り出したのがこの航海なのである。この浮世離れぶりにふと鳩山由紀夫さんを連想する。さらにふつうの大人なら隠しておくのが当たり前のような、いわゆる私生活の中身をあれこれとさらけ出してくるので、横浜に戻ってくるまでにこの二人がどのような夫婦なのか、自然と分かってしまった。

 順子さんは、洗面所の洗面台でパンティ、ブラジャー、靴下をいっしょに洗っている。(中略)
 ゆうべ、順子さんが洗っていたパンティ、ブラジャーが、シャワー室の天上に吊してある。嫁はんは「いまが極楽。」なのだそうである。

その順子さん、

 晩飯に鮪丼の二段重ねを喰い、興奮して、ベッドの上で脚をばたばたさせている。いますぐにもまぐわいをして欲しい、という所作。

船で世界一周とはなんと優雅なことと思っている読者には、まあその通りなんであろうがこれは、これはなのである。でもこれは序の口で、私ですら紹介するのを躊躇するような話ばかりなので、つい引用が限られてくる。

順子さんに躯を拭いてもらうとか足を洗ってもらう、とは随所に出てくる。車谷さんは風呂嫌いで臭くなるものだから順子さんが耐えかねての自衛手段のようである。それだけではない、

 昼食、帆立クリーム・コロッケ。午後、雨。朝から便秘。ところが突然、下痢。ズボンの中で出してしまう。汚れた下着を、順子さんが洗って下さる。

こういう所にしか目の行かない私も私であるが、作家のこの幼児性がなんとなく可愛い。順子さんにしたらそこがたまらなく愛おしいのだろうな、と想像するが、なんとこのお二人、並みのお人ではない。順子さんが詩人であることは分かってきたが、その順子さんがかっては東京大学女子寮にいたとか話がでてきて、東大出であることが分かる。また車谷さんも、私が慶應義塾独文科にいた頃は、主任教授は相良守峯氏であったと話に出てくるので、こちらも慶応出なのである。二人ともれっきとした高等遊民、しかし俗物であることも隠さない。とくに車谷さんは芥川賞、直木賞が死ぬほど欲しかったようである。その執念が実り、直木賞に加えて三島由紀夫賞、芸術選奨文部大臣新人賞、平林たい子文学賞、川端康成文学賞などで、その身を北朝鮮の将軍の軍服を覆い隠すワッペンよろしく飾り立てている。

この周航三人組、とくに車谷さん夫婦の有り様に興味を引かれて本を読み進んだものだから、肝腎の紀行の内容はほとんど頭に残っていない。それよりも車谷さんが今時珍しい私小説作家であることが分かってきて、まともな?作品に目を通してみたくなった。そこで昨日外出ついでに近くの本屋で買ったのが「飆風(ひょうふう)」(文春文庫)である。数編収められているが、確かに私小説。それもゴシップ大好きの私を満足させる質の高い話を出し惜しみしないのがよい。

車谷さんが心臓発作に襲われて日本医科大学付属病院高度救命救急センターにタクシーで赴いた時の話である。

 一週間の全身検査の結果、私の心臓の差し込みは、心臓の臓器そのものに障碍のある内因性の痛みではなく、さまざまな内力(ストレス)による心因性のものだという診断が下された。医者の話では、あなたは文章を書く人です、しかもあなたの小説を読んで見たら、読む人が読むだけで自分が人間であることが厭になるような内容です、そんなものをあなたは書いているのだから、心臓に差し込みが来る内力が溜まるのは当然でしょう。(「飆風」)

なぜそこまでやるのかがここに収められている「私の小説論」に出てくるが、私に言わせると私小説作家が「小説論」を発表すること自体、言い訳がましくて見苦しい。そう思ってみると、この作家、なんとなく中途半端でもある。過去三度の姦通事件が「赤目四十八滝心中未遂」の下地になり、女を「芸のこやし」にしたことが心の「棘」となったともっともらしく書いているが、戦前、姦通罪があった頃の北原白秋に比べると底が浅く感じてしまう。「もっとどでかいことをさらせ」とハッパをかけたくなるが、そうは言いながらも他の作品を読んでみたくなるのが不思議である。「読む人が読むだけで自分が人間であることが厭になる」ことをもっと経験したがっているのだろうか。これが「世界一周恐怖航海記」に隠された「恐怖」なのかも知れない。だからこそ、これまで車谷長吉を知らなかった人、とくに前途遼遠の若い方は「世界一周恐怖航海記」から遠ざかった方が無難である。

それにしても「世界一周恐怖航海記」の印税でその費用が賄えただろうと思うと、羨ましくなる。私小説作家ならたとえ後書きにでもその内訳を書き残すべきである。


「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴で思うこと

2010-04-21 10:22:42 | 学問・教育・研究
一昨日、①筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてへのアクセスが増えたのは時事ドットコムの次のニュースによるもののようである。

「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴-水戸地裁支部
 筑波大大学院の長照二元教授(56)が、研究論文の実験データ改ざんを理由に懲戒解雇されたのは無効として、同大などに地位確認と2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、水戸地裁土浦支部であった。犬飼真二裁判長は「恣意(しい)的なデータ解析などの不正行為を指導、実行した」と述べ、長元教授の請求を棄却した。
 犬飼裁判長は「懲戒解雇は学外の専門家を含む調査委員会で検討し、慎重に判断された」と指摘。解雇権の乱用には当たらないと判断した。(2010/04/19-17:33)

審議内容の詳細は分からないが、長照二さんの請求を棄却とは踏み込んだ判断が下されたように感じた。長さんの行為がすくなくとも科学的にまともでないとの判断を第三者が下した意義は大きい。「恣意(しい)的なデータ解析などの不正行為を指導、実行した」が具体的にどのことを指すのかは分からないが、長さんが問題となったPhysical Review Letters掲載論文の筆頭著者である責を負ったものといえよう。

①で述べたことであるが、『分野外の、しかしデータ解析を仕事の一部としてきた私』が、『実験の中身は分からないが、どのようなデータなら解析に値するかぐらいかの判断なら私にも出来そうだ』とこの論文のデータの一つに注目したのがこの問題への関わりの発端で、次のように意見を述べてきた。私なりの好奇心から出たことである。

これでは核融合研究より農業再生を
「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?
秋の珍事? 報道特集NEXT「大学教授はなぜ解雇された」の波紋

私が問題としたのは②で述べた次の一点に尽きる。

要するに解析に値しないデータをいくらいじり廻してもそんなものは無意味であると言っているのである。ここで私のいう「豆まき」データをもう一度筑波大学が公開した資料2説明資料からここに引用しておく。



よく目をこらすとこの点の分布が来年の干支のうしのようにも見える。左側が頭で角もあるようだ。人によってかたつむりに見えたとしても何の不思議もない。無限の想像力がかき立てられる。「豆まき」データとはそのような状態のもので、いわば水晶の玉の中に煙がもうろうと立ちこめているようなものである。練達の占い師ならこの先に待ち受けている素晴らしい人生をこれで予言してくれるかもしれないが、この「豆まき」データを科学的解析の対象にしたこと自体私には「驚き桃の木山椒の木」なのである。

専門家の間では解析法を問題にしていたようであるが、データそのものが科学的解析の対象となりうるものではないことを強調したのである。

私は当初、このような杜撰なデータをなぜPhysical Review Lettersの査読者が見逃したのかが不審であったが、この論文そのものを目にして謎が解けた。査読者が生の「豆まきデータ」を目にはしていなかったのである。筑波大学が公開した資料2説明資料にのみに「豆まきデータ」から論文に掲載された図が導かれる経緯が出ていたのである。これでは査読者が不審を抱きようがない。

実はこの記事を書くに先立って、④の報道特集の映像がYoutubeで公開されていることを知ったのでそれを見てみた。長さんの言い分を全面に後押しせんばかりの一方的な報道姿勢で、科学のゆがめられたワイドショー化の現状がよく分かる映像である。そのなかで長さんを支持する世界の名だたる?核融合研究者の長さんに好意的なコメントばかりが紹介されていたが、私ならその一人ひとりに「豆まきデータ」を直接示して、あなたならこのデータをどのように扱いますか、と問いただす。彼らがほんとうに世界の名だたる核融合研究者であるなら、言葉を詰まらせるはずだ。それでも長さんを全面的に支持するとの返答が戻ってきたら、私は②で述べた次の思いをますます深めるだけである。

ひょっとして核融合研究なるものはある種の「ぺてん」かも、というとんでもない疑惑を抱くようになったのである。

それにしても長さんのグループは長年にわたって私のいう「豆まきデータ」をグループ内でルーティン化された手法で論文にのっけるきれいな図に仕上げていたのではなかろうか。そう考えると私が①で述べた次の強調部分が素直に理解できる。

件の論文には筆頭著者の教授以下全員27名の著者が名前を連ねているが、データ改ざんに関与しているとされたのは筆頭著者の教授と共同研究者のうちの大学講師3人の計4人である。一応専門家集団と呼ぶことにするが、この4人の間ではルーチン化していたデータ解析の手法が大学院生にはどうも異様に映ったようである。すなわち専門家集団では日常化していて当たり前のやり方が大学院生に「ノー」と言われたのである。ここで注目すべきなのは、もしこの専門家集団に不正を働いているとの意識があれば、その手口をわざわざ大学院生に指導と称して教え込むだろうか、ということである。その後の研究公正委員会調査委員会の調査で「改ざん」と断定されたデータ解析手法が、専門家集団の常識であったのだとすると、同じく東京新聞の記事《一方、教授らは改ざんの事実を認めていないという。》こととは矛盾しない。これがまず気になったことである。(強調は私)

ここで浮かび上がるのは、少なくともこの専門家集団は実験データの収集からその解析に至るまで、科学的に間違ったことをしているとの意識がなかったということである。それでいて科学研究のためにと言い張って国から研究費を引きずり出していたのなら、これは国を、そして国民を偽るようなものではないか。裁判所の判決にこのようなことまで考えてしまった。




辰濃和男著「ぼんやりの時間」を読んで

2010-04-19 11:54:03 | 読書


私はぼんやりというか、ぼけーっとしているのが大好きである。現役を離れて隠居の身となった今、なんの気兼ねもなくぼけーっとしまくっている。だから私のハンドル名も自然とlazybonesになった。lazybonesとは怠け者、そう、もともとぼんやりとしているのが好きなのである。私にとってぼんやりは無為に通じる。ところが著者の辰濃さんは「ぼんやりの時間」だけで、なんと新書本を一冊書き上げてしまっている。こんな勤勉な「ぼんやりの時間」てあるものか、とだまされたような気がしたが、著者の経歴を奥付きで見て納得した。辰濃さんは1975年から88年にかけて、朝日新聞の「天声人語」を担当された方なのである。歴代の天声人語子はそれこそ万巻の書を渉猟しつくした博識の権化のようなものとの思い込みが私にはある。となると答えは出たようなもの、「ぼんやりの時間」にまつわるアンソロジー、または私の大好きなゴシップ集なのでもある。迷わず買い求めたが期待は裏切られなかった。そのほんの一部だけを紹介する。

私の好きなぶらぶら歩き、すなわち散歩の名人として朝永振一郎博士の話が出てくる。

 教授時代、大学へ行く途中、ふつうは御茶ノ水駅で地下鉄に乗り換えるのだが、ふと気を変えて御茶ノ水駅から千葉行きの電車に乗ってしまうことがあった。房総の海辺をぶらぶらしたうえ、千葉の町に引き返し、名物「焼きはまぐり」をさかなに一杯やるという具合で、一日を気ままに過ごす。学校をさぼってふらふら歩きをして一日を送るというのが朝永の「心の鬱屈を解消する術」だったのだろう。(49ページ)

 たとえばまた、京都に学会があって、神戸の親戚の家に泊めてもらうことがあった。朝、出かけてから、ふと気が変わり、学会をさぼって、京都とは逆の方向の明石に出てしまう。船に乗り、淡路島に渡る。そして一日中、島のあちこちをぶらぶらして、夕方帰ってくる。ということもあったそうだ。(49ページ)

湯川秀樹博士のこれに似たような行動を以前、小沼通二編「湯川秀樹日記」を読んでで紹介したが、お二人とも専門が理論物理というところを割り引いたとしても、昔の大学の先生はこのようにして上手に気分転換をはかり、仕事への活力を養ったのである。そういえば実験家の私ですら、時間を見つけては自転車で京都ロイヤルホテルにかけつけ、地下の理容室で懶惰なひとときをエンジョイしたものである。このような自由があってこその大学だと思うが、現状はどうなんだろう。

アメリカの絵本作家ターシャ・テューダの次のような言葉も出てくる。

 「急ぐことがいいとは思いません。
 わたしは何でもマイペース。
 仕事も、スケジュールを決めず、
 納得するまで時間をかけます」(119ページ)

世間でいう仕事とは少し違うだろうが、私が本を読もうとぶらぶら歩きしようと、庭仕事をしようと歌を歌おうと、一弦琴を奏でようとブログ書きをしようと、その他もろもろ、何事もまさに彼女の言葉通りではないか。私はすでに達人の域に達しているらしい。

谷崎潤一郎の『懶惰の説』という随筆も出てくる。

 谷崎は、西洋の人びとがいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対して、東洋の人びとがいかにものぐさで、面倒くさがり屋であるかを対照的に書いている。懶惰な日本人の代表はだれか。物語の中の人物ではあるが、谷崎は物臭太郎(三年寝太郎)の名をあげている。

なんと、私のことをいってくれているので嬉しくなった。その「懶」とは心の余白との説明までついて。

「常に時間に追われ、効率を追い求める行き方が、現代人の心を破壊しつつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのではないか」の問いかけに心が少しでもゆれ動く方がた、ぜひこの本に目を通して、自分に合った活力の源泉を見つけて頂きたい。


速水淳子さんの提言「能を授業に取り入れよう」に大賛成

2010-04-17 11:16:43 | 学問・教育・研究
今日の朝日朝刊「私の視点」に高校教員の速水淳子さんが「能を授業に取り入れよう」との意見を寄せられていた。速水さんのかっての教え子が能楽師であることを知り、高校の国語の授業で教えて貰ったそうである。

生徒にまずは目の前で能楽師の声の迫力を体感させる。圧倒された生徒もおうむ返しで口まねをしているうちに、能楽師に声の力に引っ張られてどんどんと声が開かれている、という体験から話をすすめ、次のように要点を主張されている。


私もまったく同意見である。「若者が力強い豊かな声で日本語を話すこと、それが若い人たちの幸せにつながると信じている」の「若者」を「日本人」と置き換えてもよい。とくに最近、政治家の空虚な力のない言葉ばかりを耳にしているものだから、この思いが一層深まる。

若い頃から嗜んでいた父の謡曲が私たち兄弟の子守歌だったそうで、それこそ小さい頃から父の口まねをしていた覚えがある。どういう物語か折に触れて父が語ってくれたことが、私の歴史好きを掻きたててくれたようなものである。大学に入って本格的に習い始めたが、残念ながら長続きしなかった。私が忙しすぎた?のである。父の謡曲を日ごろ耳にしてきた妻は私がちゃんと習っていたらよかったのに、と今でも時々託つ。

狂言の「附子(ぶす)」を授業で習った記憶がある。主人がこれは附子といって、そちらから吹いてくる風に当たっただけでやられてしまう毒だと脅かして秘蔵している砂糖を、その留守中に太郎冠者と次郎冠者が二人で食べてしまい主人を怒らせる話である。最後に何やかやと言い抜けて逃げ出す二人を主人が「やるまいぞやるまいぞ」と追いかけていくが、その口調が面白くて仲間同士で「やるまいぞやるまいぞ」といいながら追っかけごっこをした覚えがある。

つい最近もお久しぶり 竹本住大夫さんで、「お腹がすいてもひもじうない」といういつの間にか私のなかに住み着いたこのせりふと記したが、これは元来が浄瑠璃・歌舞伎でのせりふである。古典に小さい頃から触れていることが日本人としての存在を自然と自覚することにもなる。この速水さんの提言の趣旨はきわめて明快で現実的である。まずは地方自治体の教育委員会が先頭に立てば直ぐにでも実現することであろう。関係者の真剣な取り組みを期待したい。

生野コリアンタウンのあたりをぶらぶら 牡蠣キムチ

2010-04-16 17:31:30 | 旅行・ぶらぶら歩き
朝鮮語教室の仲間に桃谷が面白いですよといわれた。JRで一駅北隣の鶴橋はよく出かけるが、いつもその周辺で満足してさらに足を延ばすことはしなかった。この辺りが昔は猪飼野と呼ばれていたことは知っていたが、それ以上のことは何も知らない。それで急に行ってみたくなったのである。

JR大阪環状線の桃谷駅で下車しておおよその見当をつけて桃谷商店街を歩き出した。天神橋筋商店街のミニチュアのようも見えるが長さもかなりあり、探訪するのも面白そうである。歩いていても先がなかなか見えてこないものだから、すたすたと歩いてく男性に声をかけてコリアンタウンへの行き方を尋ねたところ、まっすぐ歩いて行って広い通りに出たら左に曲がり、やがて神社が見えてくるからそこの信号で右に曲がりなさいとのことだった。とても分かりやすい教え方に感謝する。

この神社が御幸森天神宮(みゆきもりてんじんぐう)である。境内に「御幸森」なる地名の由来の説明板があった。

この辺りは、百済野(くだらの)といい、三韓(百済、新羅、高句麗) とくに、百済の人たちが多く住み、優れた文化の華をさかせていた。
又、この地は水鳥の群棲する景勝地であり、仁徳天皇は鷹狩りの為にしばしば行幸したり、この地の人々の状態を見聞するための道すがら度々当地の森に休憩したことから、この所を「御幸の森」と称するようになったと言われている。

天皇崩御の後、この地に社殿を建立して仁徳天皇を主祭神として祀り、御幸の宮と称したとのことである。

国史大辞典に次のような項目がある。


『日本書紀』にある「猪甘津に橋をつくる。この処を小橋と名付く」の猪甘津(いかいのつ)とは猪甘の港の意味で、猪甘は猪飼、猪養と同じく、朝廷に献ずるための猪(完全に家畜化した豚ではなく、半野生の猪といわれる)を飼うことを意味する。津、すなわち入り江が後には陸地化して「猪飼野」となったと言われているが、ここに猪飼部の民が多く居住していたのである。この由緒ある地名が1973年(昭和48年)2月の住居表示制度導入により生野区の町名から消えたとのことである。

『日本書紀』に出てきた小橋、または『古事記』の「難波の堀江を掘って河水を海に通し、また難波に小椅江(おばしのえ)を堀り」にある小椅は、いずれがいずれかはともかく、現在天王寺区小橋町と東成区東小橋にその地名を残している。小橋町と東小橋は地図を見るとJRと近鉄の鶴橋駅のそれぞれ北西と北東にあるが、では鶴橋と小橋の関係はとなると、神社の説明板によると、鶴橋のもともとの呼び名は「つるのはし」。歴史上の小橋には水辺のことゆえ鶴がよく飛んできて群れ集まったことからいつの間にか鶴橋と呼ばれるようになったとあった。長い年月の間に川の流れも変わり、橋も架け替えられ、歴史上の小橋の位置は分かっていない。

境内に歌を日本語とハングルで記した歌碑が建っていた。


「難波津に咲くやこの花冬籠もり今は春べと咲くやこの花」という歌は、約千六百年前、百済からの渡来人・王仁博士が、当神社の祭神である仁徳天皇のご即位を、春の到来になぞらえて祝い、難波津の歌を詠んだと伝えられている。2009年(平成二十一年)十月吉日「王仁博士「難波津の歌」和文・ハングル歌碑建立委員会とその説明板にあったが、歌碑はつい最近建てられたようである。ハングルは歌を朝鮮語に訳したものかと思ったがそうではなくて、日本語の読みをハングルで表したものである。江戸時代、対馬藩の元通訳官雲明の手によるものである。ハングルの縦書きははじめて目にしたが、なかなか味がある。毛筆で書くのも面白そうである。

そして目指す生野コリアンタウンである。入り口の門が三宮の南京街を思い出させたが、それよりも鄙びた感じでまた鶴橋よりも通り抜けやすい。食材やお総菜の店が目についたが、鶴橋と違って焼き肉屋など料理店はきわめて少ない。お昼を過ぎていたので入った店ではしばらく待つことになった。注文したのは1000円のスンドゥブチゲ定食。毎週朝鮮語教室の後何人か連れだって韓国料理の店でお昼を一緒にするので、いろんなメニューは経験済みであるが、スンドゥブチゲはメニューにないのではじめての試みとなった。まあこんなものか、という感じであった。寒い日だったが発汗覿面、頭皮から汗が噴き出るのが分かった。


店先に何十種類のお惣菜の瓶を並べている店に差し掛かった。ここまで来ないとお目にかかれないような珍しいものばかりである。たまたま店の人が牡蠣のキムチをお杓文字ですくって持ち帰りの容器に小分けしているのを見たらよだれが出そうになって、1パックを500円で買った。後で思ったことであるが、お杓文字で適当にすくうだけで、重さを量るわけではない。まったくの目分量であろう。それならそれで「三つ四つ、おまけに入れてよ」と言うべきであったのだが後の祭りである。ここで朝鮮語を使わなければせっかく勉強が無駄になる。返す返すも残念であった。

昨日は妻が出かけていないので私はひとり、さっそく牡蠣キムチを味わうことにした。大根、白ネギ、鶏肉、冷凍シーフーヅなど、それぞれ適当な大きさに切り、味覇(ウェイパァー)スープでやや煮込む。白飯を加えて雑炊とし、仕上げに溶き卵を垂らす。器に移しその上に牡蠣キムチを三粒置いて出来上がりである。


ひゃー、美味しい。牡蠣の味がなんとも濃厚で、凝縮した旨味がスープでほどほどに薄まると甘味がやや強まり、まろやかで豊饒の味となる。牡蠣をもう二粒足してしまった。


村木厚子さんの矜恃 井上ひさしさんの気概 橋下徹大阪府知事の明快

2010-04-15 11:23:33 | Weblog
今日の朝刊からの三題である(引用は朝日朝刊から)。

昨14日、郵便不正事件の第17回公判が大阪地裁で開かれた。そのせいであろうかGoogle検索「郵便不正 藪の中」で一位と二位に現れた私の以前の記事①まだ「藪の中」の郵便不正事件と②郵便不正事件の行方 村木厚子元雇用均等・児童家庭局長が無罪であれかしへの訪問者があった。

繰り返しになるが①では次のように述べた。

逮捕された村木厚子前雇用均等・児童家庭局長が虚偽有印公文書作成・同行使容疑を全面否定しているということなので、今のところマスメディアの伝える話ではつじつまが合わない。最初は全面否認でもやがては全面降伏という事態も考えられるが、私としては全面否認が真実であってほしいという気がある。私なりに高級官僚に対するイメージなるものがあって、このような程度の低い事案でそのイメージを崩されたくないからである。

本省の課長・局長と言えばエリート官僚の最たるもので、刻苦精励のみで手に出来るポストではなかろう。村木前局長にしても見識ある女性キャリアー官僚としての自覚は当然あったはずで、「議員案件」がどれほどのものなのか知らないが、たとえ元部長からの指示があったにせよ、理に合わぬ指示に唯々諾々と従ったとは到底考えられない、と私は常識的に思ってしまう。女性のかたくなさに信を置きたいとの私の願望なのかも知れないが・・・。(強調は私)

そして②では「無罪であれかし」と強調した。次は朝日朝刊の記事であるが『「公務員30年の信用」譲らず』との村木さんの主張にわが意を得た思いをした。全国津津浦浦の公務員の方々に国民が寄せる信頼と期待の大きさを重く受け止めて頂きたいとあらためて呼びかけたい。それにしても同じ公務員といいながら、自らの証人が次から次へとその証言を覆していくようなずさんな取り調べを恥とも思わない検察官のちゃらんぽらんな仕事ぶりには怒すら覚える。真相が一刻も早く明らかにされることを願いたい。


井上ひさしさんの最後の模様を朝日朝刊が伝えた。


食糧難の時代をくぐり抜けてきた仲間である。まったく同感。それにしてもその気概がすごい、そこまで出来た井上ひさしさんはほんとうに幸せ者である。


これまた分かりやすい橋下知事の考えである。『料金(改定に)は府の同意が必要なのに、国が一方的にプランを出すのは理解不能。民主党の地域主権は虚像』と物事の本質をすぱっと言い切れる知事を選んだ大阪府民はほんとうにご立派である。そういうことに目が向くスタッフが育ってきたのだろう。指をくわえて隣の県から眺めている。


なに事も古き世のみぞしたはしき 一弦琴「土佐海」

2010-04-13 18:48:42 | 一弦琴
なに事も、古き世のみぞしたはしき。今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

「徒然草」の第二十二段の冒頭である。西洋流にいえば、古代ギリシャ・ローマの作品を規範として、それにあくまでも近づくことによって自分の作品をよくするとの考えに通じるのであろうが、これこそ古典主義である。兼好にとっては平安時代が規範であった。この古典主義への反発からロマン主義が生まれたのであろうが、いずれも人の鑑賞に耐えうるものを造り出そうとする前向きの姿勢では共通のものがあるように思う。

その古典主義を新しい視点でとらえたT.S.エリオット ―二十世紀の新しい詩を打ちたてたといわれる― の意見が実によい。

「現在は過去を自身の中に生かすとき、はじめて真の現在でありうるし、過去は現在意識でとらえられるとき、はじめて過去そのものでありうる。それが伝統(tradition)の意味だ」

これはいずれ明かすがある種本からの引用で、私はこの卓見にひれ伏すばかりである。そして、一弦琴の演奏も同じだな、と直感したものだから、その思いでふたたび一弦琴「土佐海」を演奏した。考える私が演奏から姿を消してしまったとき、伝統が真に甦るのであろう。