日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

にわか庭師

2008-05-31 12:50:49 | Weblog
最近庭づくりに励みだした。クロガネモチなどの樹木を西隣のお隣さんとの境界沿いに移植したので、今度は東隣のの境界沿いに花壇を作ることにし、近所のホームセンターからアンティーク風のブロックを買ってきてまず囲いを作った。と書けば簡単なようだけれど、それがなかなか大変なのである。

車のトランクからブロックを家の前に降ろす。コーナー2個分を含めて全部で14個になったが、それをすべて自分の手で動かすのである。次に一階分の石段を登りさらに10数メートル歩いて裏庭まで運ぶ。一度に2個運ぶのがせいぜいなので、7回も往復した。ホームセンターが有料で運んでくれるけれど、門前までとの条件付きなので役に立たない。

あらかじめ均しておいた地面に水準器を使いながらブロックを水平に並べて内のりが110cm×410cmの囲いを作り、モルタルで固定して一晩おいた。囲いの中のの土をスコップで30cmほど掘り下げる。震災後更地となっていたところなので瓦礫で覆われていたが、大きなものはパワーシャベルで掘り出して取り除いて貰った。しかし瓦礫の片割れや石ころそれに土塊が結構多い。剣スコップの縁に片足をかけ、全体重を載せても先端が石ころに当たるとびくとも動かない。少しづつ場所を変えて掘り下げられるまでこの動作を繰り返すが、石ころなどによくぶつかるものだからなかなか仕事がはかどらなかった。

掘り返した土に腐葉土と牛糞堆肥を加えてよく混合し、ついでにレーキでかき集めた石ころなどを取り除く。篩で小石より大きいものをきれいに除きたかったが、ホームセンターを軒並みに探してもなぜか見つからなかった。これだけでは花壇に土が足りないので、テラスにする場所の敷石分の土を掘り下げ、出来るだけ石ころなどを取り除いた土をスコップで花壇に投げ入れる。昔蒸気機関車の機関助手がやっていた釜たきの要領である。狙ったところに投げ入れた土がパッと広がると俄然楽しくなる。あとは赤玉土と腐葉土、牛糞堆肥を足してよく混ぜ合わせたら花壇の完成であるがこれは来週の仕事になりそうである。表面から50cmほど下まで土作りをすることになるが、食糧難の時代になれば菜園に転換することを考えてのことである。



ふだん5時前に仕事を始めるが、2時間ぐらいはすぐに経ってしまう。息が激しくなってきたと思ったら座って小休止である。真っ青の空を見上げ涼風に汗の引くのを感じては至福を味わう。しかし考えてみたらすべてを人力に頼るとは古代人と変わらない肉体労働である。たとえばテラスの広さを180cm×270cmと考えているが、その部分を覆う敷石一つの大きさが60cm×30cmなので27個要ることになる。一個10キロ以上あるの敷石を一つ一つ抱きかかえて運ばないといけないことになる。仁徳天皇陵つくりに駆り出された古代人でも二人でもっこをかつぐとか、もう少し気の利いたやり方をしていたことだろうなんて考えると、原始人に戻ったような気になる。

戦時中でもないしそれに核爆弾の時代だから、庭に防空壕作りを考えることはない。元軍国少年の頭をそのような考えが素直に横切るのである。それよりは一坪菜園を作ることにしたが、どこにどう作るのかこれから決めることになる。全体の構想は一応考えていたが、実際に作業を始めると予想と違ってくるので、結局その時その時でデザインが変わるのである。花壇を作ったものの何をどう植えるのか、それはこれからのことである。私が独力で作り上げる庭だから、少しは発言権を確保できるものと期待している。

慣れない力仕事であるが体が動いてくれるのが有難い。この体を与えてくれた父母に感謝である。夜も熟睡できるし良い事ずくめのようであるが一つ困ったことが出来た。指が太くなって一弦琴の蘆管に中指が少ししか入らなくなったのである。蘆管の穴を削って大きくすればよいものの、また指が細くなったときに緩くて不便しそうである。折り合いをどうつけるか、しばらく考えることにする。



制服の着崩しに断固立ち向かったメーカー

2008-05-29 23:27:30 | Weblog

変化の激しいご時世だからもう旧聞に属するが、5月25日朝日の朝刊に「制服の着崩しが広がっているね」で始まる記事が載っていた。そして短いスカート姿の女子高生の写真も。電車の中でもよく見かけるので近頃は女子校も進んできたのかなと思っていたら、調査によるとわざわざスカートの丈を短くしたようなのである。私が進んでいるせいか短いスカートに不快感がないどころが、自分で丈を約めたのなら裁縫の腕を褒めてあげたいくらいである。しかし無様な着こなしを目にすることが確かに多い。

私がこれまでもっとも不快に感じたのは、今にもずり落ちそうにスカートを纏っている姿だった。横のチャックが開いているのに途中で止まっている、なぜ下まで落ちてしまわないのかそれが分からないだけ余計に不快感が増す。男子生徒のパンツ半だしズボンずり落ちルックの女子版である。これらの行為は公衆にけん悪の情を催させることから明らかに軽犯罪法に触れると思うのだがいかがなものだろうか。

戦時中、われわれはこんな歌を歌っていた。

  パーマネントに火がついて みるみるうちに禿あたま
  禿げたあたまに毛が三本 ああ恥ずかしや恥ずかしや
  パーマネントは止めましょう

パーマネントと言っても電髪(でんぱつ)の時代だから電気ごてでウエーブをかける。温度を上げすぎると髪の毛が燃え上がるというわけである。「贅沢は敵だ」の時代でパーマネントも贅沢の象徴であった。街でパーマネント姿の女性を見かけると、愛国少年が取り囲んでこの歌を歌ってはやし立てる光景もあったというが、私にはその勇気がなかった。しかし今やこのパーマネントの替え歌でも作って、無様なずり落ちスカート姿の女子高生を見つけたら、こそっと小声で歌ってやろうかなんて思う。

この制服の着崩しについて、胸がすくような話を聞いたので紹介する。実は私にも少しかかわりのある神戸の名門女子校のことであるが、その生徒の間にも制服の着崩しが流行ったので、その制服のメーカーが学校に制服を正しく着用するよう指導して欲しいと申し出たそうである。ところが着崩しはなかなか改まらない。ついに制服メーカーが業を煮やして、心を込めて作った制服をそんな着方をされたくない、と制服の取引を断ったというのである。その制服メーカーとは神戸に本社のある子供服で有名なF社であると聞いたように思う。この気概、一服の清涼剤である。ここの服を買ってやれる孫娘のいなかったのが残念だ。

追記 「パーマネントの歌」とはこんな歌。


著作物利用拡大へ著作権法改正を歓迎

2008-05-27 14:52:01 | Weblog

著作権法といっても国によりその規定が異なることを今回の新聞報道(朝日朝刊、5月27日)で始めて知った。

米国では「批評、解説、報道、研究などを目的とする、著作物のフェアユース(公正な利用)は著作権の侵害とならない」という規定があり、利用面での制約がかなり緩い印象を受ける。これに対して日本では他人の著作物を勝手に複製したり、ネット配信したりすることを原則として禁止した上で、「家庭内での私的な複製はできる」とか「学校の授業のためにはコピーできる」と例外規定で一定の利用を認めるというように、利用者には厳しい規定になっている。今回政府が検討する方針では、米国の規定日本版を創設することになっており、公正な利用をその形態にかかわらず広く認める方針であるというから、一般の利用者としても有難い。

米国の著作権法のいう「公正な利用」とは、利用の目的が商業性を持つか、利用することで著作物の市場に影響があるかなどで決まるようである。きわめて分かりやすい規定だと思う。

最近も私が感じる著作権による制約について述べたばかりであるが、新たな法改正でこの制約がなくなりそうなのが嬉しい。私はこれまでも楽しみの一つとして自分で買ったCDの歌手と歌を一緒に歌ってそれをサイトで公表してきた。私がこのような歌をサイト上で歌ったとして、オリジナルのCDの存在を知らせることにはなっても、このCDの売れ行きが落ちることは常識的に考えて起こりえないことである。すなわち上の定義で公正な利用に徹していることになるが、そのCDの版権が制作会社にあるからという理由で、サイトの運営業者に私の歌の削除を求められたことがあった。私にいわせると業者の過剰反応であるが、いずれにせよ利用者の公正な利用が大手を振ってまかり通るのは嬉しいことで、法改正に諸手を挙げて賛成する。

もちろん利用に当たっては商業性からの判断のみならず、著作権者の創造性を尊重することが前提になることはいうまでもないが、それはたとえば歌なら作詞、作曲が誰によるもので、また誰が歌っているのかを明らかにすれば済むことである。実は私は商業性と創造性の両面で私の行為が著作権者の正当な権利を侵害するものではないというきわめて常識的な判断で、五郎部俊朗さん塩田美奈子さんと一緒に歌ってサイトに公開することをまた始めているのである。法改正の先取りとしてお許しいただけるものと思う。

私は米国の著作権法に準じて日本でも著作権者の死後70年にその権利が延長されることには以前から反対しているが、その米国で利用者の公正な利用については日本と異なり常識的な配慮がちゃんとなされていることには感銘を覚えたこともここに記しておきたい。

朝青龍がダメ押し? テレビ映像のトリックだと思う

2008-05-27 11:32:02 | Weblog

朝青龍の「ダメ押し」問題で、相撲協会の北の湖理事長は「故意のダメ押しではない」として朝青龍を不問にする一方、白鵬に師匠を通じて注意を与えたのに対して、横綱審議委員会は最終的には両者が土俵上でにらみ合う事態になったことから、両横綱に注意を与えるように相撲協会に求めたとのことである。

問題の場面は今日の朝日朝刊16面の記事の「問題の取組」が説明している。ところがこの記事全体を通じて私には「ダメ押し」のことがもう一つよく分からない。そこで新解さんで調べた。

《【駄目押し】①まちがいないと分かっていても、相手に後で言いのがれなどされぬように、なお念を入れ(て確かめ)ること。》(新明解国語辞典 第五版)

なるほど、「ダメ押し」自体、ものごとを確かなものにするための行為だから決して悪いことではない。ところが相撲の世界では「問題の取組」を見る限り、よいこととはとらえられていないようなのである。これが私に分かりにくいことの原因であった。

そのうえさらに分かりにくかったのは「土俵中央で両手をついた白鵬に朝青龍が体をぶつけ、最後に両手でダメを押した」行為がなぜ「ダメ押し」なのか、である。試合そのものをテレビで観た限り朝青龍の動きは自然の流れで、交通安全の標語「車は急に止まれない」と同じで、あの巨体同士のぶつかり合い、白鵬が倒れたその瞬間に朝青龍がその動きをフリーズさせることはいかに抜群の反射神経の持ち主でも不可能である、と私は見た。この新聞記事の解説で《今回の朝青龍のダメ押しについて、理事長は横審で「あれは相撲の一つの流れ」との持論を貫いた》とあるが、私もまったく同感である。

この理事長の見解に対して上の解説は《石橋義夫委員は「だれが見ても朝青龍はダメを押している。理事長の説明ではファンは納得できないだろう」と述べた。》とも伝えている。北の湖理事長にも私の目にも「ダメ押し」とは映らなかったのに、なぜ「だれが見てもダメ押し」と大きく見方が変わるのか、これまた不思議なのであるが、この問題を取り上げるテレビ番組を今朝も眺めていて「あっ、これだ」と私なりに疑問が氷解した。

白鵬が手を土俵についた瞬間に映像が静止するのである。白鵬が負けたことを十分見せた上で映像が動き出し朝青龍が白鵬の体に手をつけるところを強調する。この場面を何回も繰り返す。さらにはこの一連の流れをスローモーションで映し出す。これが繰り返して放映されると見ている方はいやおうなしに白鵬が手をついて勝負が決まったのに朝青龍が意地悪く手をかけたように思い込まされるのは必定である。しかし、実際の動きは「車は急に止まれない」のであった。

朝日新聞の30面の記事によると《横審では、ダメ押しは故意ではないと了承したものの、その後のにらみ合いまで白鵬だけが悪いとした判断に強い不信感が出され、出席した12委員全員が理事長に翻意を求めた。》とある。「ダメ押しは故意ではないと了承した」ということは北の湖理事長の「あれは相撲の一つの流れ」が正しかったことを意味する。となると悪いのはその後だれがみても故意に肩を朝青龍にぶつけた白鵬になるではないか。私はテレビの映像トリックによる「やらせ」が今回の「ダメ押し」問題をゆがめて広げたのだと思う。あの横綱対決をその場で観戦した観客の反応こそ知りたいものである。

でも最後のにらみ合いの品のないことには私も同調する。それにつけても日本人力士のふがいのなさよ、Alas!

おめでとう! 柳本ジャパンに琴欧洲

2008-05-24 21:40:25 | Weblog
柳本ジャパンが北京五輪最終予選で韓国を破り、5戦連勝で北京オリンピック出場権を得た。今回のトーナメントでなぜか柳本ジャパンを安心して見られる。カザフスタン戦の第2セットでシーソーゲームを33-31でものにした印象がとても強かったので、昨日の韓国戦でも負ける気がしなかった。

団体競技だから選手全員の名前を挙げるべきなのであろうが、私がもっとも引きつけられたのはリベロの佐野優子選手である。とにかく球をを拾う、驚異的なレシーブ率を記録しているのではなかろうか。そして攻撃へとつなげる。攻撃のチャンスが多ければ多いほど勝利の可能性が高くなる。これが柳本ジャパンの強さの根源なのだろう。そして荒木絵里香選手のブロック、もちろんアタックも。そうなると栗原恵、木村沙織、高橋みゆき、杉山祥子各選手の日替わり強烈アタッカーぶりに触れざるをえないし、ひいてはアタックの舞台回しの要、セッター竹下佳江選手の技の冴えを強調したくなる。もちろん控えの選手も・・・、やっぱり全員バレーなのである。ただ北京でどうだろう、と思うと楽観はできない。女の姿をした鬼、「鬼女」にでもなって東洋の魔女」を上回る力を発揮して欲しいものである。今のメンバー全員、女の美しさが芬々としている。人間業で止まっているからではなかろうか。

昨日琴欧洲が安美錦に敗れるまでは初日から12連勝、柳本ジャパンは開幕4連勝だし松阪も開幕8連勝と、勝ってなんぼの勝負の世界で胸のすく勝ちっぷりが気持ちよかった。琴欧洲の連勝がストップしたものの、その負けを引きずることなく今日は安馬に圧勝して千秋楽を待たずに初優勝を決めた。カド番脱出が出来るだろうかと案じていたのに、朝青龍、白鵬の二横綱を破っての優勝だから文句なし。優勝を決めた後の笑顔が実によかった。女性フアンがまた増えそうな気がする。それにつけても日本力士の不甲斐なさよ、である。この「飽食の時代」、ハングリー精神の欠如のせいでなんだろうか。

ウルトラ160Mが速度制限?

2008-05-23 11:05:37 | Weblog
今朝の新聞にインターネットを流れるデータ量の急増で通信速度が下がる「ネット渋滞」の緩和対策のことが報じられていた。asahi.comによると《渋滞の主因は、ネットを通じて不特定多数のコンピューターの間で音楽などのファイルを交換・共有する「ウィニー」などのソフトの利用者。ネット利用者の1%がファイル交換ソフトの利用で通信量の半分を占めているとの調査結果もある。動画投稿サイト「ユーチューブ」なども、通信量を急増させている》とのことである。

一部の大量利用者のせいで他の利用者の通信に支障が生じる場合に、大量利用者に対して通信速度制限を行うことで「ネット渋滞」を和らげようというのがこの緩和対策の骨子の一つとなるらしい。このような状況を放置すれば一般利用者が不便を被ることはもちろん、高速の接続速度を売り物にするネット接続業者の「商品不当表示」にもなりかねないので、実効のある対策をしてほしいものである。

この記事のなかで一つ気になることがあった。《総務省の昨年11月の調べでは、約4割のネット接続業者が速度制限を実施済み。NTTぷららやニフティは、ファイル交換ソフトによる一定以上の通信を制限対象にしている。》と言うところである。後半の部分は文字通り受け取ることが出来る。問題はその前半の「約4割のネット接続業者が速度制限を実施済み」の箇所である。既に実施済みなら今更速度制限をします、と強調することはないではないか。しかしひねくれ者の私は別の取り方をしてしまった、大量利用者、一般利用者を問わずおしなべて速度制限をしているのではないかと。

私はほぼ毎朝、J:COM NETウルトラ160Mコース回線速度をRadish Network Speed Testingという通信速度測定システムで測定している。下の表は5月に入ってからの測定結果である。19日、7日、6日のデータは測り忘れたので入っていない。



一番調子のよいのは8日のデータで、上り下りとも以前にやっと落ち着いたJ:COM NETウルトラ160M回線のデータと同じかやや上回る。
ところが全体を見渡すと上り速度が5Mbpsに満たない日が20日間で6日もある。そしてこの一つのデータは最大8回測定の平均値であろうが、品質の値を100を基準にしてそれぞれ99を上回る値なので、複数回測定してもデータが大きく振れていないことを示している。すなわち安定して遅い回線速度になっているのである。そこで私はJ:COMがひょっとしておしなべて速度制限をしているのではないかとつい疑ってしまったのである。

これから160Mコースの加入を考えておられる方は速度制限の実態についてあらかじめ確かめられた方がいいように思う。速度制限には利用者への十分な情報開示が前提となっているそうなのである。


平井康三郎の「白き瞳」?

2008-05-22 22:06:19 | 音楽・美術
平井康三郎は私の好きな歌曲を沢山作った作曲家である。音楽之友社から平井康三郎名歌曲集が四巻出版されている。しかしこのなかに「白き瞳」は出てこない。インターネットで探しても出てこないだろう。それはこういう次第なのである。

今日はヴォイストレーニングの日で、いつものように準備体操と発声練習の後、サルバトーレ マルケージのItalian MarchesiからScala diatonica(全音階)を歌う。音程がしっかり取れてレガート、クレッセント、ディクレッセントがちゃんと歌えると気持ちがよい。そのためにも言葉を覚えることに集中した。

歌曲に移って私の歌ったのは平井康三郎作曲の三曲、「ふるさとの」、「平城山」と「ゆりかご」である。「ふるさと」の歌詞は石川啄木の歌である。

  ふるさとの山に向ひて
  言ふことなし
  ふるさとの山はありがたきかな

  やわらかに柳あをめる
  北上の岸辺目に見ゆ
  泣けとごとくに

かれこれ50年前の大学院生だった頃、啄木の歌碑を探し求めて盛岡を訪れてその周辺を歩き回ったことがある。二番目の歌の歌碑が北上川の堤上に建っていたのをカメラに収めたが、その写真は今や行方不明である。アメリカに留学していた頃、よく歌ったものである。

「平城山」は北見志保子の歌に作曲したもの。これも多感なりし青年の頃の愛唱歌であった。マルケージで習ったポルタメントを早速応用、先生のすすめで和風ポルタメントとしたところ、一弦琴の歌に似た趣となったのが面白い。

そして「ゆりかご」。平井康三郎の作詞作曲である。

  ゆりかごに ゆれて
  しづかに ねむれ
  風は そよそよと
  白き腕(かいな)に 吹くよ

  ゆりかごに ゆれて
  しづかに ねむれ
  風は夢をさまし
  黒き瞳に 吹くよ

世の中が食糧難だった中学生の頃、夏休みになると南北のガラス戸を開きっぱなしにしている二階の部屋を海風が通り抜けてとても涼しい。畳にごろっと横たわると平和な昼寝の時間となる。ふと目覚めて風の動きを感じる。そうしたときに自然とこの歌が口をついて出た。

「白きかいな」とは何ですか、と歌う前に先生に聞かれた。「かいな」のことかいなと「腕のことです」と答えた。そのやりとりが頭に残っていたせいであろう、二番の最後を思い入れたっぷりと「白き瞳に 吹くよ」と歌ってしまったようである、余韻もさめやらぬ間、先生に「白き瞳でなくて、黒き瞳ですよ。白き瞳だと死人みたい」と言われて思わず吹き出してしまった。涙の出るまで大笑いして一巻の終わり。だから「白き瞳」は平井康三郎の歌曲集にも出てこない。

そういえば黒木瞳という女優さんがいたけれど、この歌を知っていて「失楽園」を演じたのだろうか、とふと思った。


今年も京城府立三坂小学校の同窓会

2008-05-20 23:42:26 | 在朝日本人

今年も関西三坂会が京都駅近くのホテルで昨日開かれて49名が参集した。昨年の31名にくらべると大幅増である。いつものように「運動会のうた」の斉唱で会が始まった。私が三坂会の存在を知って始めて出た集まりでこの歌が歌われた時は、半世紀以上も歌うことはもちろん思い出すこともなかった歌なのに、歌い始めると節がすらすらと出てきたのに驚いたものである。開会と閉会の時にそれぞれ二番まで歌うが、開会の一番と閉会の二番をは次のような歌詞である。

  鉄石のごと 身もかたく
  心も強き 国たみは
  とよさかのぼる 日の御旗
  かがやく国の 宝なり
  我等は 日本男児なり
  われらは御くにの おみななり
  日ごろ鍛えし このからだ
  きょうぞ試さん いざやいざ

  学ばん時も かくのごと
  遊ばん時も かくのごと
  元気はわれらの いのちなり
  心やすかれ ちちははよ
  家をも興し 身をもたて
  国をまもるは このからだ
  鉄石よりも いやかたく
  鍛え鍛えん たゆみなく

一番の「我等は 日本男児なり」は男子のみが、「われらは御(み)くにの おみななり」は女子のみが歌う。男女対等のようだが考えてみればこの時代は女性に参政権が無かったのだな、とあらためて時の経過を実感する。二番の歌詞などもどれほど実感をもって歌っていたのか今となっては思い出せないが、われわれ全員がそれを励みとする純真無垢な少国民であったことは間違いなかろう。今の子供に歌ってきかせたらどのような反応が戻ってくるのか試してみたくなる。2005年10月に東京で開かれた最後の全国大会では東フィルのブラスメンバーによる演奏でこの歌を歌ったが、その時に録音しておかなかったことが今でも悔やまれる。どなたか録音テープをお持ちではないだろうか。

ブログを書いておられるのでは、と一人の方に声をかけられた。その方の弟さんが昨年の関西三坂会のブログ記事のコピーを送ってこられたそうである。在五の出席者は私一人なのですぐに分かったとのことである。去年旧三坂小学校周辺を訪れた際の写真をいろいろと見せていただいた。その中には校舎の横に建てられた大きな体育館があった。上の記事に掲載したGoogle写真にも写っていた大きな青い屋根の正体である。ここは木造の便所があったところで、厳冬ともなると排泄物が凍りその上にまた堆くなって石筍のように便器から頭をもたげ上げるようになる。自分では使ったこともないので何故そのようなことを知っているかと言えば、その片付けにクラスが多分動員されたからだと思う。錫杖のような鉄棒でコツンコツンと山を打ち砕き、ショベルですくい上げて肥たごに移したのだろう。そんなこをとふと思い出してつい興奮気味にとくとくと話しをしたものだから、「お食事中ですのに」と同じテーブルの女性にたしなめられてやっと我に返る始末であった。私のテーブルには四年上の女性が四人に男性が一人、二年上の男性が二人で皆さんが私のかっての上級生だったのでつい羽目を外してしまった。でも頷いてくださる女性もいたので、私の記憶の肝心なところは間違っていなかったようである。

隣には昭和20年卒業の方がおられた。龍山中学に入学したものの勤労奉仕で明け暮れしている間に敗戦を迎えたとのことだった。顔の色つやのよい健康的な方で、ウイスキーの水割りを次から次へとお変わりをされる。数えた訳じゃないけれど10杯ではきかないと思う。まさに日本男児ここにありである。とても洒脱な方で、年長者ならではの記憶のはっきりとしたお話をいろいろと聞かせていただいた。引き揚船で11月21日に博多に戻ってきたと仰る。アレッと思って船名を尋ねるとこがね丸との返事が戻ってきた。在朝日本人の回想 引き揚げ船「こがね丸」でにかって書いたように、私の引き揚げ船もこがね丸だったのである。11月下旬に博多に辿り着いたとの記憶はかすかにあったが日にちまでは覚えていなかった。釜山で一週間は乗船待機したので一ヶ月にこがね丸が運航された回数はそれほど多くは無かったと思うと、この先輩とは同じ船で引き揚げてきた可能性がきわめて高い。そこでこの日を私の博多港への帰還日とすることに決めた。

来年もまた新しい発見があるかも知れない。


今こそ参議院廃止を声高に唱えよう!

2008-05-16 20:36:41 | Weblog

いわゆる「ねじれ国会」で政治の停滞が国民の大きな関心事になっているが、この折りに自民党の衆参両院の有志議員が、「衆参両院を統合し、一院制の新『国民議会』を創設する議員連盟」を結成することになったとのニュースが流れた。私はかねてから参議院は不要と思っているので、その立場からこの動きを歓迎したい。そのための憲法改正こそ急いで欲しいものである。

2007年7月の参議院選挙で与野党が逆転したのがことの起こりで、とくに民主党は小沢党首をはじめとしてそれが直近の民意の反映だと意気軒昂であった。政治のプロらしからぬはしゃぎようである。なぜかというと参議院はその発足からして民意を反映させる機関ではなかったからである。参議院不要論を私は3年前のブログ、総選挙雑感(2) 『風見鶏のヤス』の子は不肖の子および『ずっこけ風見鶏』は参議院廃止論に拍車をかけるなどで述べたが、参議院の性格について次のようにまとめた。

《両院制をもつ国家では第二院の設置の目的として以下のようなことが考えられている。

①特権的少数者の利益保護を目的とする貴族院型
②社会の職能的集団を代表させようとする職能代表型
③高い知性・専門知識の会議体として構成しようとするブレーン・トラスト型
④他院のコントロールを目的とする期間内統制型
⑤連邦を構成する各邦を代表する連邦型
(世界大百科事典、平凡社)

現行の参議院は②に加えて③④の役割を果たすことが期待されていた。
しかし現状はどうか、誰が考えても同じ結論しか出ない。何一つ当初の期待に応えていないのである。》

参議院が直近の民意を反映すべき性格のものなら、議員の任期6年は長すぎるし、そのうえ議員の半数を3年ごとに選び直すことはその趣旨を曲げるだけである。民意を反映すべきものなら衆議院のコピー化しかあり得ないが、それでは衆議院に屋上屋を重ねるだけのことで、頭でっかちになれば独りでに転んでしまうのが落ちである。いよいよその時期が到来したと見るべきだろう。二院が同じ結論をだすのなら衆議院一つでよいし、異なった結論をだすのなら現在見られているように政治が機能不全になるだけだから衆議院一つでよい。

無用の長物であればまだしも、金食い虫の上政治を衰退させた参議院を一刻も早く廃止するために、たとえ自民党の党利党略から出たにせよ今回の動きを大いに歓迎したい。


一弦琴サイトに2年足らずで2万アクセス

2008-05-14 23:26:01 | 一弦琴
昨日、著作権関連の本を紹介した際に、私の歌サイト「恥ずかしながら・・・」について触れたが、そのサイトへの開設以来のアクセス数が2万近くになっていることに先ほど気がついた。午後6時過ぎで19993なので、今日中に多分2万を突破するだろう。2006年7月15日に三浦環さんと「埴生の宿」を一緒に歌ったのが最初なのでほぼ22ヶ月で2万アクセスということになる。



現在登録している66件の四分の三、49件が一弦琴である。だから単純に一弦琴だけのアクセス数を考えると1万5千で1年当たりだと8千ということになる。このブログへのアクセス数自体としては決して多くはないが、一弦琴を聴いたいただいた延べ人数が年間8千人となるとこれは凄い数と言うことになる。たとえば私の属している一弦琴の会で毎年10月に開かれる演奏会に来てくださる方は多くても200人足らずではなかろうか。私の師匠は積極的に演奏活動をなさる方であるが、その演奏を聴きに足を運ばれる方は一年を通じて千人を超えることはないのではなかろうか。そう考えると年間8千人という数字の大きさに改めて感動を覚える。

アクセス数とは一日のアクセス人数で普通は重複を排除している。Aさんが午前中に1回、午後に1回アクセスしてもアクセス人数は1人である。アクセスしても新しい曲が登録されていないとそのまま出て行く人もいるだろうし、一日に何回もアクセスしてはその度ごとに歌を一曲ずつ、また時には数曲も聴く人でも勘定はそれぞれ1人である。だからアクセス数は歌に耳を傾けてくださる人数の概数にほかならないが、それにしても年間8千人とは大きな数である。リピーターもおれば始めてこのサイトを訪れてくださった方もかなりいることだろうから、期せずして一弦琴なるものをを知っていただく手がかりになっていると思いたい。

一弦琴の演奏を上記のサイトで公開することにしたのは別に深い意味があってのことではない。何事であれ新しいものが好きで、面白そうなら自分でもやってみる、ただそれだけのことで始めた。とは言うものの、こんな面白くて楽しいものがありますよ、と吹聴する気持ちが根底にあったことは間違いない。いったん一弦琴を公開すると決めた以上、素人の強みを発揮することにした。一弦琴の先生ともなればなかにはCDを出しておられる方もいる。となるとその先生方がネットで演奏を無料で公開するとすれば、CDを買った方に申し訳ないことになる。また先生ともなれば人にとやかく言われそうな演奏はできない、と気構える方もおいでであろう。ネットて何?と仰る方もおられるかも知れない。

素人の私にはネットで自分の演奏を公開する気恥ずかしさだけを克服すれば済む。それも馬齢を重ねたおかげで苦もなく乗り越えられた。ただ一つ、気になることと言えばお師匠さんをはじめ、稽古仲間にも内緒で始めたことである。お稽古ごとの世界にはうるさい決まり事もあるようだが、私が入門した際に勝手に演奏してはいけないと申し渡されたわけではないので、それは気にしないことにした。ただ仁義としてお師匠さんそっくりの演奏をすることは避けることにした。しかし心配しなくても、お稽古中一生懸命に真似をしているつもりでも家に帰ったらもう細かいことを忘れてしまうものだから、真似するにもしようがない。だからこれもことさら気にするまでもなかった。それにお稽古仲間は研究熱心な方ばかりなので、私がブログで唄っていることはすぐにばれてしまった。ひょっとしたらお師匠さんもとっくにご存じなのかも知れない。

私は出来る限りシンプルな唄い方を心がけている。チャラチャラ唄うようなものではないとの思いがあるからだ。チャラチャラとは装飾過多のことで、その意味では抑揚もことさら抑えた。遊び心が自然と備わってきたら唄い方にも彩りを添えられようが、それは先の先のことになるだろう。今のところは心を開いた古人(いにしえびと)から何か言葉が返ってこないかとただただ敬虔に語りかけるのみなのである。

思うがままに一弦琴の演奏をアップロードしていたら、いつの間にか一弦琴曲のコレクションの唯一のサイトに成長してしまった。大げさに言えば世界唯一のサイトであろう。演奏曲を増やしていく一方、すでにアップロードしている曲もまたお浚いを繰り返し、少しでも納得のいく演奏を集めたサイトに仕上げていきたいと思う。訪れてくださる方の存在が大きなはげみであるが、ご厚意に甘えついでに、唄い方などにもコメントを寄せていただければ望外の喜びである。ゆくゆくはネット上でもいいから、一弦琴を楽しむもの同士が演奏を通じて交流できればと思う。

午後10時現在、ついに2万アクセスを突破した。感謝!