最近庭づくりに励みだした。クロガネモチなどの樹木を西隣のお隣さんとの境界沿いに移植したので、今度は東隣のの境界沿いに花壇を作ることにし、近所のホームセンターからアンティーク風のブロックを買ってきてまず囲いを作った。と書けば簡単なようだけれど、それがなかなか大変なのである。
車のトランクからブロックを家の前に降ろす。コーナー2個分を含めて全部で14個になったが、それをすべて自分の手で動かすのである。次に一階分の石段を登りさらに10数メートル歩いて裏庭まで運ぶ。一度に2個運ぶのがせいぜいなので、7回も往復した。ホームセンターが有料で運んでくれるけれど、門前までとの条件付きなので役に立たない。
あらかじめ均しておいた地面に水準器を使いながらブロックを水平に並べて内のりが110cm×410cmの囲いを作り、モルタルで固定して一晩おいた。囲いの中のの土をスコップで30cmほど掘り下げる。震災後更地となっていたところなので瓦礫で覆われていたが、大きなものはパワーシャベルで掘り出して取り除いて貰った。しかし瓦礫の片割れや石ころそれに土塊が結構多い。剣スコップの縁に片足をかけ、全体重を載せても先端が石ころに当たるとびくとも動かない。少しづつ場所を変えて掘り下げられるまでこの動作を繰り返すが、石ころなどによくぶつかるものだからなかなか仕事がはかどらなかった。
掘り返した土に腐葉土と牛糞堆肥を加えてよく混合し、ついでにレーキでかき集めた石ころなどを取り除く。篩で小石より大きいものをきれいに除きたかったが、ホームセンターを軒並みに探してもなぜか見つからなかった。これだけでは花壇に土が足りないので、テラスにする場所の敷石分の土を掘り下げ、出来るだけ石ころなどを取り除いた土をスコップで花壇に投げ入れる。昔蒸気機関車の機関助手がやっていた釜たきの要領である。狙ったところに投げ入れた土がパッと広がると俄然楽しくなる。あとは赤玉土と腐葉土、牛糞堆肥を足してよく混ぜ合わせたら花壇の完成であるがこれは来週の仕事になりそうである。表面から50cmほど下まで土作りをすることになるが、食糧難の時代になれば菜園に転換することを考えてのことである。
ふだん5時前に仕事を始めるが、2時間ぐらいはすぐに経ってしまう。息が激しくなってきたと思ったら座って小休止である。真っ青の空を見上げ涼風に汗の引くのを感じては至福を味わう。しかし考えてみたらすべてを人力に頼るとは古代人と変わらない肉体労働である。たとえばテラスの広さを180cm×270cmと考えているが、その部分を覆う敷石一つの大きさが60cm×30cmなので27個要ることになる。一個10キロ以上あるの敷石を一つ一つ抱きかかえて運ばないといけないことになる。仁徳天皇陵つくりに駆り出された古代人でも二人でもっこをかつぐとか、もう少し気の利いたやり方をしていたことだろうなんて考えると、原始人に戻ったような気になる。
戦時中でもないしそれに核爆弾の時代だから、庭に防空壕作りを考えることはない。元軍国少年の頭をそのような考えが素直に横切るのである。それよりは一坪菜園を作ることにしたが、どこにどう作るのかこれから決めることになる。全体の構想は一応考えていたが、実際に作業を始めると予想と違ってくるので、結局その時その時でデザインが変わるのである。花壇を作ったものの何をどう植えるのか、それはこれからのことである。私が独力で作り上げる庭だから、少しは発言権を確保できるものと期待している。
慣れない力仕事であるが体が動いてくれるのが有難い。この体を与えてくれた父母に感謝である。夜も熟睡できるし良い事ずくめのようであるが一つ困ったことが出来た。指が太くなって一弦琴の蘆管に中指が少ししか入らなくなったのである。蘆管の穴を削って大きくすればよいものの、また指が細くなったときに緩くて不便しそうである。折り合いをどうつけるか、しばらく考えることにする。
車のトランクからブロックを家の前に降ろす。コーナー2個分を含めて全部で14個になったが、それをすべて自分の手で動かすのである。次に一階分の石段を登りさらに10数メートル歩いて裏庭まで運ぶ。一度に2個運ぶのがせいぜいなので、7回も往復した。ホームセンターが有料で運んでくれるけれど、門前までとの条件付きなので役に立たない。
あらかじめ均しておいた地面に水準器を使いながらブロックを水平に並べて内のりが110cm×410cmの囲いを作り、モルタルで固定して一晩おいた。囲いの中のの土をスコップで30cmほど掘り下げる。震災後更地となっていたところなので瓦礫で覆われていたが、大きなものはパワーシャベルで掘り出して取り除いて貰った。しかし瓦礫の片割れや石ころそれに土塊が結構多い。剣スコップの縁に片足をかけ、全体重を載せても先端が石ころに当たるとびくとも動かない。少しづつ場所を変えて掘り下げられるまでこの動作を繰り返すが、石ころなどによくぶつかるものだからなかなか仕事がはかどらなかった。
掘り返した土に腐葉土と牛糞堆肥を加えてよく混合し、ついでにレーキでかき集めた石ころなどを取り除く。篩で小石より大きいものをきれいに除きたかったが、ホームセンターを軒並みに探してもなぜか見つからなかった。これだけでは花壇に土が足りないので、テラスにする場所の敷石分の土を掘り下げ、出来るだけ石ころなどを取り除いた土をスコップで花壇に投げ入れる。昔蒸気機関車の機関助手がやっていた釜たきの要領である。狙ったところに投げ入れた土がパッと広がると俄然楽しくなる。あとは赤玉土と腐葉土、牛糞堆肥を足してよく混ぜ合わせたら花壇の完成であるがこれは来週の仕事になりそうである。表面から50cmほど下まで土作りをすることになるが、食糧難の時代になれば菜園に転換することを考えてのことである。
ふだん5時前に仕事を始めるが、2時間ぐらいはすぐに経ってしまう。息が激しくなってきたと思ったら座って小休止である。真っ青の空を見上げ涼風に汗の引くのを感じては至福を味わう。しかし考えてみたらすべてを人力に頼るとは古代人と変わらない肉体労働である。たとえばテラスの広さを180cm×270cmと考えているが、その部分を覆う敷石一つの大きさが60cm×30cmなので27個要ることになる。一個10キロ以上あるの敷石を一つ一つ抱きかかえて運ばないといけないことになる。仁徳天皇陵つくりに駆り出された古代人でも二人でもっこをかつぐとか、もう少し気の利いたやり方をしていたことだろうなんて考えると、原始人に戻ったような気になる。
戦時中でもないしそれに核爆弾の時代だから、庭に防空壕作りを考えることはない。元軍国少年の頭をそのような考えが素直に横切るのである。それよりは一坪菜園を作ることにしたが、どこにどう作るのかこれから決めることになる。全体の構想は一応考えていたが、実際に作業を始めると予想と違ってくるので、結局その時その時でデザインが変わるのである。花壇を作ったものの何をどう植えるのか、それはこれからのことである。私が独力で作り上げる庭だから、少しは発言権を確保できるものと期待している。
慣れない力仕事であるが体が動いてくれるのが有難い。この体を与えてくれた父母に感謝である。夜も熟睡できるし良い事ずくめのようであるが一つ困ったことが出来た。指が太くなって一弦琴の蘆管に中指が少ししか入らなくなったのである。蘆管の穴を削って大きくすればよいものの、また指が細くなったときに緩くて不便しそうである。折り合いをどうつけるか、しばらく考えることにする。