4月25日朝JR福知山線で起きた脱線事故で、106人の方が亡くなった。ご家族の心中察するにあまりある。また負傷者は重傷150人、軽傷311人で、28日現在100人以上が入院中とのことである。安全を自明のものとして日頃気軽に利用していたJRのこの大惨事、起こるはずのないことが起こってしまったとの思いがある。
原因については専門家の報告を待ちたいが、今回の事故で私はJRの管理体制の不備を直感した。
私は『毎日が日曜日』の身分であるが、それでも週に一回は京都に地下鉄と阪急で、また一回は地下鉄とJRで大阪方面に定期的に通っている。それ以外にも不定期て週に二三回、ということは週の半分以上は電車を利用していることになる。
電車が入ってくるのを車両の停車位置を示す足元の印で待っている。少々のズレはあるが入ってくる電車はすべてと云っていいほど、その定位置で停車する。ズレがあったとしてもほとんどの場合数十センチ程度である。1メートルも離れたら「新米か」と心の中で呟くが、そのようなケースは年に1回もあるかどうか、といった感じである。それぐらい運転士の運転技量は素晴らしい、というのが私の実感である。
ところがこの事故を起こした電車は、事故直前の伊丹駅で40メートルほど停車位置を通り過ごしたという。私の日常感覚ではこれは極めて異常事態であるのに、JR側にはその認識がないようで、それが不思議で仕方がない。
運転士になるためにはさだめし厳しい訓練で技量を磨き、ある一定のレベルに達してはじめてその資格が与えられるのであろう。とすれば、私が日常経験しているように定位置に停車させることは運転士にとって『お茶の子さいさい』であろう。だからこそ40メートルも停車位置を通り過ぎることが極めて異常な事態と私は見るのである。
JRにも『異常事態』との認識があれば、当然それ相応の対策があっただろう。
車両に異常が生じたのか、運転士に異常があったのか、それを異常事態発生現場でチェックすべきなのである。そのために少々時間がかかるとしても、これはダイヤに乱れが生じても仕方がないほどの事態なのだから。事後報告で済ませていい問題ではない。何メートル以上のオーバーランを異常とするかは専門家の判断にまかせるとして、異常事態であるとの認識の上で、車両に異常が無いとしたら運転士に問題があったのであり、その時点で直ちに乗務を停止させるぐらいの用心深さが必要である。現時点ではどのようなマニュアルで事態が処理されるようになっているのか、知りたいものである。
事故を起こした電車は、脱線直前の速度が時速100キロを超していたそうである。現場のカーブは70キロに制限されていたというから、自家用車の運転なら免許停止ものである。下り勾配で電車が運転士の意思に反して加速していたのなら問題は別であるが、運転士が自分の意思でこの速度を出したのであれば言語道断、そもそも運転士の資質の無いものを運転士に仕立てたJR側の体制に欠陥があったことになる。
事故に巻き込まれた乗客の一人がテレビのインタビューに答えて「2車両分ほど行き過ぎた」と述べていたのに対して、JR側は車掌の報告に基づいたのであろうかオーバーランは8メートルと発表していた。蓋をあけてみれば、またもや『制服組』が嘘をついていた。この虚偽の報告もさることながら、この車掌は伊丹駅でのオーバーランの際、その異常さに「あれ、おかしいぞ」と思うことがなかったのだろうか。
仮に車掌が異常さを感じていたとしても、その場合に車掌の取るべき処置が運行マニュアルに定められていなかったら、異常と感じながらも辻褄合わせの対応しか取れなかったのかもしれない。現場の乗務員の『常識的な判断』を『安全運転』に生かせるような運行管理がなされていなかったのではないか、と私は思う。
今月の8日から1週間、尼崎駅では朝夕のラッシュ時に発着する列車の運転士が出発時間を1秒単位で自主報告した、との報道があった。確かに世界が認める日本の運転ダイヤの正確さが、このような厳しい訓練によって培われた面のあることは否定出来ない。しかしそのデータをどのように活用するつもりであったのだろうか。私には単なる『締め付け』のようにしか思えないのであるが、いかがであろう。
私の『常識』では考えられないような『運行状況』が現実であるとするなら、仮にJR側がいかに細緻にみえる『運行マニュアル』を作っていたとしてもたんなるお題目でしか過ぎない。現場の乗務員も納得する血の通った管理体制の確立こそ、事故再発防止にもっとも肝要であろう。
原因については専門家の報告を待ちたいが、今回の事故で私はJRの管理体制の不備を直感した。
私は『毎日が日曜日』の身分であるが、それでも週に一回は京都に地下鉄と阪急で、また一回は地下鉄とJRで大阪方面に定期的に通っている。それ以外にも不定期て週に二三回、ということは週の半分以上は電車を利用していることになる。
電車が入ってくるのを車両の停車位置を示す足元の印で待っている。少々のズレはあるが入ってくる電車はすべてと云っていいほど、その定位置で停車する。ズレがあったとしてもほとんどの場合数十センチ程度である。1メートルも離れたら「新米か」と心の中で呟くが、そのようなケースは年に1回もあるかどうか、といった感じである。それぐらい運転士の運転技量は素晴らしい、というのが私の実感である。
ところがこの事故を起こした電車は、事故直前の伊丹駅で40メートルほど停車位置を通り過ごしたという。私の日常感覚ではこれは極めて異常事態であるのに、JR側にはその認識がないようで、それが不思議で仕方がない。
運転士になるためにはさだめし厳しい訓練で技量を磨き、ある一定のレベルに達してはじめてその資格が与えられるのであろう。とすれば、私が日常経験しているように定位置に停車させることは運転士にとって『お茶の子さいさい』であろう。だからこそ40メートルも停車位置を通り過ぎることが極めて異常な事態と私は見るのである。
JRにも『異常事態』との認識があれば、当然それ相応の対策があっただろう。
車両に異常が生じたのか、運転士に異常があったのか、それを異常事態発生現場でチェックすべきなのである。そのために少々時間がかかるとしても、これはダイヤに乱れが生じても仕方がないほどの事態なのだから。事後報告で済ませていい問題ではない。何メートル以上のオーバーランを異常とするかは専門家の判断にまかせるとして、異常事態であるとの認識の上で、車両に異常が無いとしたら運転士に問題があったのであり、その時点で直ちに乗務を停止させるぐらいの用心深さが必要である。現時点ではどのようなマニュアルで事態が処理されるようになっているのか、知りたいものである。
事故を起こした電車は、脱線直前の速度が時速100キロを超していたそうである。現場のカーブは70キロに制限されていたというから、自家用車の運転なら免許停止ものである。下り勾配で電車が運転士の意思に反して加速していたのなら問題は別であるが、運転士が自分の意思でこの速度を出したのであれば言語道断、そもそも運転士の資質の無いものを運転士に仕立てたJR側の体制に欠陥があったことになる。
事故に巻き込まれた乗客の一人がテレビのインタビューに答えて「2車両分ほど行き過ぎた」と述べていたのに対して、JR側は車掌の報告に基づいたのであろうかオーバーランは8メートルと発表していた。蓋をあけてみれば、またもや『制服組』が嘘をついていた。この虚偽の報告もさることながら、この車掌は伊丹駅でのオーバーランの際、その異常さに「あれ、おかしいぞ」と思うことがなかったのだろうか。
仮に車掌が異常さを感じていたとしても、その場合に車掌の取るべき処置が運行マニュアルに定められていなかったら、異常と感じながらも辻褄合わせの対応しか取れなかったのかもしれない。現場の乗務員の『常識的な判断』を『安全運転』に生かせるような運行管理がなされていなかったのではないか、と私は思う。
今月の8日から1週間、尼崎駅では朝夕のラッシュ時に発着する列車の運転士が出発時間を1秒単位で自主報告した、との報道があった。確かに世界が認める日本の運転ダイヤの正確さが、このような厳しい訓練によって培われた面のあることは否定出来ない。しかしそのデータをどのように活用するつもりであったのだろうか。私には単なる『締め付け』のようにしか思えないのであるが、いかがであろう。
私の『常識』では考えられないような『運行状況』が現実であるとするなら、仮にJR側がいかに細緻にみえる『運行マニュアル』を作っていたとしてもたんなるお題目でしか過ぎない。現場の乗務員も納得する血の通った管理体制の確立こそ、事故再発防止にもっとも肝要であろう。