26日のベルリン・マラソンで渋井陽子選手が高橋尚子選手の記録を5秒上まわる日本新の記録で優勝した。アテネ五輪で優勝の野口みずき選手に続く快挙で、大和撫子世界に冠たるものがある。ウンター・デン・リンデンからブランデンブルグ門をくぐり抜けてのゴールインに三ヶ月前の記憶が鮮明に甦った。渋井選手に先駆けて思いがけなくウンター・デン・リンデンを走ったのである。
フランクフルトから列車でベルリンに到着した二日目、ホテルにあるパンフレットで知った「歩いて廻るベルリンの旅」なるプランに参加することにした。英語で説明するガイドがベルリンの主なところを30カ所以上案内してくれることになっている。移動にはU-バーン、S-バーンを使うので、このほかバス、トラムを含めて3日間乗り放題のベルリン・ウエルカムカードをベット購入しておくと、ツアー料金も一人当たり3ユーロ安くなって9ユーロであった。所要時間は4時間前後。ベルリンへの玄関口となっているツォー駅のタクシー乗り場辺りが集合場所でわれわれが一番乗りであった。なかなか人がやって来ないのでちょっと不安だったが、やがて少しずつ参加者が増えてきて最終的には30人は超えた。
S-バーンで残りの参加者との第二の集合場所であるハッケシャー・マルクト駅まで移動、合流してペルガモン博物館、旧ナショナル・ギャラリー、新博物館などが集中する博物館島からいよいよツアーが始まった。女性ガイドはポイントポイントを達者な英語で要領よく説明してくれる。私はいつもの癖で説明をちょっと耳にするだけで、あとはグループを目の端に捉えながら気ままに自分の見たいものを丹念に見てまわるのであった。石造の建物に刻まれたベルリン攻防戦の激しさを物語る無数の弾痕など、ヒットラー・ユーゲントと同じ時代を過ごした私には特別の感慨をある。そしてベルリンを代表する通りとして著名なウンター・デン・リンデンの標識を目にするとそれをカメラに納めるのに集中していた。
と、急にグループに動きがあって一カ所に人が集まっていく。何事かと思って私も近づいていくとなんと妻が倒れていて顔を押さえた両手の隙間から血がしたたり落ちている。右眉毛の上あたりに出来た傷から血が噴き出している。親切な人たちが次から次へと差し出してくれるティッシュをあてても直ぐに血でびしょびしょになる。ティッシュを取り替えるのに追われている傍らで、早速今日は何日かなどと問いかけてくれる人がいる。それに対して妻が英語で正確に受け答えをしていたから、意識大丈夫と胸をなで下ろしたけれど、これはバンドエイドを当てたままツアーを続けられる状態ではないという気がした。その矢先にガイドさんが救急車を呼ぼうかと聞いてくれたのでお願いした。携帯で呼んでくれたが救急車が到着するのに10~15分はかかったと思う。妻は敷石のでこぼこに足を取られて転倒し頭が敷石を直撃したのであった。
応急処置を受け、包帯で頭をぐるぐる巻きにされた。30分前後はツアーグループの皆さんの足を止めていたことになる。いろいろと声をかけて頂き親切が身にしみていただけに参加者の貴重な時間を無駄にしてしまったことまことに申し訳ないことである。その旨をお詫びして全員の見送りを受けながら病院に向かうことになった。車が走り出すと安堵感からか、ウンター・デン・リンデンから救急車で運ばれるなんて滅多にないこと、ヒットラーも経験したことではあるまい、と思う心の余裕が生まれた。
続く
フランクフルトから列車でベルリンに到着した二日目、ホテルにあるパンフレットで知った「歩いて廻るベルリンの旅」なるプランに参加することにした。英語で説明するガイドがベルリンの主なところを30カ所以上案内してくれることになっている。移動にはU-バーン、S-バーンを使うので、このほかバス、トラムを含めて3日間乗り放題のベルリン・ウエルカムカードをベット購入しておくと、ツアー料金も一人当たり3ユーロ安くなって9ユーロであった。所要時間は4時間前後。ベルリンへの玄関口となっているツォー駅のタクシー乗り場辺りが集合場所でわれわれが一番乗りであった。なかなか人がやって来ないのでちょっと不安だったが、やがて少しずつ参加者が増えてきて最終的には30人は超えた。
S-バーンで残りの参加者との第二の集合場所であるハッケシャー・マルクト駅まで移動、合流してペルガモン博物館、旧ナショナル・ギャラリー、新博物館などが集中する博物館島からいよいよツアーが始まった。女性ガイドはポイントポイントを達者な英語で要領よく説明してくれる。私はいつもの癖で説明をちょっと耳にするだけで、あとはグループを目の端に捉えながら気ままに自分の見たいものを丹念に見てまわるのであった。石造の建物に刻まれたベルリン攻防戦の激しさを物語る無数の弾痕など、ヒットラー・ユーゲントと同じ時代を過ごした私には特別の感慨をある。そしてベルリンを代表する通りとして著名なウンター・デン・リンデンの標識を目にするとそれをカメラに納めるのに集中していた。
と、急にグループに動きがあって一カ所に人が集まっていく。何事かと思って私も近づいていくとなんと妻が倒れていて顔を押さえた両手の隙間から血がしたたり落ちている。右眉毛の上あたりに出来た傷から血が噴き出している。親切な人たちが次から次へと差し出してくれるティッシュをあてても直ぐに血でびしょびしょになる。ティッシュを取り替えるのに追われている傍らで、早速今日は何日かなどと問いかけてくれる人がいる。それに対して妻が英語で正確に受け答えをしていたから、意識大丈夫と胸をなで下ろしたけれど、これはバンドエイドを当てたままツアーを続けられる状態ではないという気がした。その矢先にガイドさんが救急車を呼ぼうかと聞いてくれたのでお願いした。携帯で呼んでくれたが救急車が到着するのに10~15分はかかったと思う。妻は敷石のでこぼこに足を取られて転倒し頭が敷石を直撃したのであった。
応急処置を受け、包帯で頭をぐるぐる巻きにされた。30分前後はツアーグループの皆さんの足を止めていたことになる。いろいろと声をかけて頂き親切が身にしみていただけに参加者の貴重な時間を無駄にしてしまったことまことに申し訳ないことである。その旨をお詫びして全員の見送りを受けながら病院に向かうことになった。車が走り出すと安堵感からか、ウンター・デン・リンデンから救急車で運ばれるなんて滅多にないこと、ヒットラーも経験したことではあるまい、と思う心の余裕が生まれた。
続く