日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

iPhone 3GS(iOS 4)のWi-Fiへの接続性が抜群に向上

2010-06-28 11:40:02 | Weblog
わが家では無線LANを設置しているので、朝、ベッドの中でiPhone 3GSを操作してウエブページを開いたり、無料の産経新聞をダウンロードして見ることが多い。ところがこれまではWi-Fiへの接続が途中で切れることが多く、そうなると使うのを諦めて一寝入りするか、再起動して接続を回復させていた。ところがOSを「iOS 4」にアップデートした途端、このようなトラブルが一掃されたのには驚いた。アップデートしたのが6月23日だから今日で5日目であるが、その間、一度たりとも切断されることが無くなったのである。

さらに操作性もよくなった。ウエブページを開くときにURLを指先でタップするが、以前はその操作にちょっとしたコツが必要で一発必中が難しかった。ところが「iOS 4」になってからは、指先が間違い無くURLを選択する限り、軽く触れるだけでページが素早く開くようになった。このように操作性の向上が実感出来るのでまことに気持ちがよい。これだけWi-Fi接続の信頼性が高まれば、Skypeからの固定電話・携帯電話への通話を積極的に考えてもいいように思う。もっとも毎月500円払って400分も話す相手が出てくればの話ではあるが・・・。

梅雨で伸びた胡瓜 追記あり

2010-06-27 16:11:04 | Weblog
梅雨に入っているせいで朝の水やりをかなり楽している。それはいいのだけれど、薔薇の花弁が強い雨に打たれて下に散らばっているのが痛ましい。でも剪定のコツを少しは会得したようで、蕾が次から次へとふくらんで呉れるのが嬉しい。公園とか散歩の途中で薔薇に出合うと、どのように手入れされているのかつい見入ってしまうが、そういうことが生きてきているようである。上手に手入れしている人の話を聞きたいなと思っていた矢先、「薔薇の剪定と管理」の話が会費100円で聞けることを神戸市便りで知ったので、さっそく申し込んだ。

今朝は曇天だったが昨日は一日雨だったので水やりもいるまいと思いつつ裏に出た。菜園の胡瓜、茄子、トマトの背丈が一挙に伸びたような感じである。トマトの実はまだ青いが着実に大きくなっている。茄子もそろそろ取り入れ時。それよりも驚いたのは一日見ない間に見事に大きくなった胡瓜である。収穫したところ長さは325ミリ、最大直径は39ミリもあった。初生りはすでに終わっているので二番生りの第一弾で、これからしばらく攻勢が続きそうである。さあ、この立派な胡瓜が姿をどう変えるのかはあとのお楽しみである。



追記(午後7時半)
一本の胡瓜が中華風ピクルスに変貌、実に美味しいが量が多くて一度には食べ切れない。一夜冷蔵庫に入れておくとさらにまろやかな味になる。ここで使った「具入りラー油」も自家製で、これならわざわざ買ってくるまでもないと胸を張って言える絶品なのである。



「研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省」とはなんとまあ・・・

2010-06-26 17:18:43 | 学問・教育・研究
旧聞に属するが次は日本経済新聞電子版の記事(010/6/22 21:12)である。

研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省

 文部科学省は22日、1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者に、小中高校での理科の出前授業などを事実上義務付けることを決めた。来年度から実施し、「競争的資金」を受ける約2000人が対象になる。国の科学研究を発展させるには研究者自身が成果を説明して予算配分に理解を得るとともに、「未来の担い手」を育てる努力をする必要があると判断した。

 競争的資金制度はテーマを研究者から募り、有識者らが優れたものを選定して助成する。文科省の科学研究費補助金(科研費)が助成総額の約4割を占める。

 文科省の方針では3000万円以上の助成を受ける研究者は最低でも年1回、小中高校で自身の成果を分かりやすく説明する出前授業をする。または一般市民向けの公開講座を開く。多忙な場合は共同研究者や外部講師に依頼できるが、発生する費用には研究費の一部を充てる。

 対象となる助成制度では、研究期間の途中段階で助成を続けるかどうかを審査するのが一般的。その際に研究の成果同様に、出前授業や公開講座も評価対象とする。実施しないと評価が1段階下がるため、事実上の義務付けとなる。

 科学技術政策の司令塔である総合科学技術会議(議長・菅直人首相)が22日に「国民との科学・技術対話の推進について」の基本方針を公表。この中に出前授業や一般向け公開講演会など「国民との科学対話に積極的に取り組むよう(競争的資金の)応募要項に記載する」と明記した。

 川端達夫文科相も同日の閣議後会見で「文科省として対応していきたい」と述べ、基本方針に沿う方針を明らかにした。これを受けて文科省は来年度分から、科研費などの応募要項に「出前授業を積極的にするように」と明記する。総合科技会議が直轄し、京都大学の山中伸弥教授ら30人が助成を受ける「最先端研究開発支援プログラム」では今年度から出前事業などを義務付ける。

 昨年秋の事業仕分けでは、スーパーコンピューターや宇宙開発の予算縮減判定に科学界が反発。研究者も研究の意義や成果を十分に説明していないと批判を受けた。必ずしも早期の実用化が期待できない研究予算に理解を得るには、説明機会を増やす必要があるとの声は多い。

私はこの記事を見て今時の研究者に同情してしまった。自分自身の研究成果を話す出前授業や一般向け公開講演会など、また余計な仕事を強いられそうであるからだ。『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』なんて、そうざらにいるわけではない。限られた人たちである。その域に達するまでにどれほどの厳しい研究生活を積み重ねてきたことだろう。文字どおり寝食を忘れるほどの精進があってのことである。寸暇を惜しんで研究に没頭する働き盛りの研究者に対して、『最低でも年1回、小中高校で自身の成果を分かりやすく説明する出前授業をする。または一般市民向けの公開講座を開く』ことが、いかに過重な負担を強いることになるのか、文科省の関係者は考えたことは無いのだろうか。研究者が毎年提出する研究成果報告書と、ここで要求されている出前授業とか公開講座で話す内容が同じであってよいはずはなく、児童・生徒や社会人に理解して貰おうと真面目に考えれば、それをやれるような研究者は100人に1人もいないのではないかと私は思う。それかあらぬか、『多忙な場合は共同研究者や外部講師に依頼できる』と始めから抜け道を作っているではないか。文科省も無理を承知で言っていることをこのような形で認めているのだから、一片の通達で研究者からただでさえ貴重な時間を奪い取るような愚行は即時改めるべきだと思う。

私はかって科学者は謙虚、かつ毅然たれで、『歴史は科学が「無用の用」でもあることを証明しているといえる。科学が「無用の用」であることをいかにスポンサーである国民に理解して貰えるのか、これこそ謙虚に地道な努力を重ねるしか術はないように思う。』と述べたことがある。その意味では『国民との科学対話に積極的に取り組む』ことは決して悪いことではない、と言うより、適切なやり方で大いに推進すべきであると思う。しかしその役割は『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』に担わせるのではなく、国民と研究者の間に立つ科学コミュニケーターに委ねるべきで、そのために優れた科学コミュニケーターの育成にこそ文科省の組織を上げての取り組みがあってしかるべきである。研究の遂行と国民との対話とはそれぞれが異なった次元での能力を要求するものだからである。

「天災は忘れた頃に来る」の箴言で知られる物理学者寺田寅彦は、大学の教育について「ファラデーのような人間が最も必要である。大学が事柄を教える所ではなく、学問の仕方を教え、学問の興味を起こさせるところであればよい。本当の勉強は卒業後である。歩き方さえ教えてやれば卒業後銘々の行きたいところへ行く。歩くことを教えないで無闇に重荷ばかりを負わせて学生をおしつぶしてしまうのはよくない」と述べている。もちろん高校以下での教育についてもその精神は合い通じるところがある。

私は最新科学の現状を国民に知らせるのは科学コミュニケーターに委ねればよいと思うが、一方、科学研究の未来の担い手を育てる努力の一貫としてなら『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』の出番もあるような気がする。自身の研究成果ではなく、いや、あってもよいが、主眼は「自分はなぜこの道の研究者になったのか」に置いて、話せばよいのである。これなら準備にかける時間は研究内容を話すのに比べて大幅に節約出来る。

先ほどの寺田寅彦であるが、このような話が残っている。寅彦は高知一中(旧制)の出身で当時は東京帝大の教授であったが、帰省中のえらい先輩と言うことで中学校で『物理学の基礎としての感覚』について1時間話をしたそうである。その話を中学一年生が聞いて『「何も用意してこなかったから」と前置きして、草稿一つ手にせず卓上の玻璃製の水差しの水と光線の屈折に関係した物理を講演された。もう細かいことはまったく記憶にないが、とにかく型破りのオリジナルなもので、私に物理は面白いものだと思い込ましたことに間違いはない』と後世語っている。事実、この中学一年生は東京帝大の物理に進み、寅彦の弟子の1人になったのである。

寺田寅彦は『尺八の音響学的研究』で理学博士の学位を得たかと思うと、後年、鉱物結晶の粉末にX線を当てて出るラウエ斑点を簡単に撮影する方法を発明して学士院恩賜賞を受賞した、というまことに融通無碍の研究者で、「自分はこれまでただ面白いと思って自分の興味に任せて学問してきた。何になろうなんのと、始めから考えていなかった」とその研究に対する姿勢を語っている。『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』のほとんどの方もそうであろうと私は推測する。だからこそ、どうしても出前授業を引き受けざるを得なくなったら、ご自身のこれまで歩んだ道を児童・生徒に語り、研究することへの興味をぜひかき立てていただきたいのである。それにしてもあれやこれや、余計な口出しする文部官僚が多すぎるようで、5割ぐらい人員削減すれば少しはすっきるすることだろう。


対デンマーク戦、朝起きたら3-1で日本が勝っていた

2010-06-25 10:35:51 | Weblog
朝、PCを立ち上げると「日本、決勝Tへ デンマークに3―1 次はパラグアイと」のメッセージが飛び込んできた。デンマーク戦が25日にあることは知っていたが勝手に夜だろうと思い込んでいたので、試合がすでに丑三つ時に始まりそれが大勝利で終わっていたのに驚いた。あわててテレビのチャンネルをカチャカチャと切り替えて、運良く日本が3点、デンマークが1点入れるリプレイ・シーンを観ることが出来た。

前半の本田選手と遠藤選手の芸術的なFKでのボールの軌跡に目を見張った。文字どおり絵に描いたような素晴らしいFKを本舞台で放つこの二選手の鍛え抜かれた心技体に感動してしまった。その意味では後半戦で、最後は押し込まれてしまったものの、相手のPKをものの見事に跳ね返したGK川島選手の堅い守りについても同じことが言える。そして最後は岡崎選手の3点目で文句なしの勝利、朝食中も珍しくテレビに釘付けになっていた。

正直、ワールドカップ2010に出場は決まったもののその後の岡田ジャパンは負けてばかりなので、とっくの昔に本舞台での勝利は諦めていた。だからカメルーン相手の第一戦もテレビを観なかったが、なんと1-0で勝ってしまった。これはこれはと思いテレビ観戦したオランダ戦では負けたもののなかなか果敢な戦いぶりで、デンマーク戦への期待が高まっていた矢先の、私には思いがけないハプニングであった。

決勝トーナメントに残ってこそのワールドカップである。最初の相手は世界ランキング30位のパラグアイ、岡田ジャパンはチームプレイと個人技の絶妙なコンビネーションで今度も相手を圧倒して欲しい。朝、起き抜けに日本の勝利を知るのもなかなか気持ちのよいものであるが、さて29日はどうなることだろう。

「沖縄慰霊の日」にあたって

2010-06-23 16:17:11 | 社会・政治
今日23日、「沖縄全戦没者追悼式」が県主催で開かれ、菅直人首相も就任後初めて沖縄を訪れ式典に参加した。

昨22日朝日朝刊の「ひと」の欄は『平和授業を続ける沖縄戦司令官の孫 牛島貞満(うしじまさだみつ)さん(56)』として、65年前に沖縄戦に敗れ自決した牛島満陸軍中将のお孫さんの動静を紹介していた。この方は戦後の生まれなのに何か家族の思いが込められているのであろうか、名前に祖父の「満」を引き継いでおられる。次の新聞記事抜粋が示すように、貞満さんの運命に真っ正面から立ち向かう勇気に私は感銘を受けた。


「天皇のいる本土を守ることを優先した。満は結局、天皇しか見ていなかった」、そして「軍隊は住民を守らない。沖縄戦から学んだことです」とは、沖縄守備隊を率いた祖父を見据えた末の言葉であるだけに重みがある。最近の日米安保もいらないし、世界最強でない軍隊も要らない  追記有りでも触れたことであるが、「住民を守らなかった軍隊」への私の「驚き」に対して、納得のできる答えにもなっているのである。世間では武力に対しては武力を、の発想からなかなか脱却出来ないだろうから、米国に頼らずに国民と国土を守る自衛隊ではない軍隊の創設がこれから現実的な選択肢の一つにはなるだろうが、私はどうせ負ける軍隊なんてもともと要らないという考えなので、その規模、能力はきわめて限定したもので十分である。ゆくゆくは軍隊なんて無くなってしまえば一番良いのであるが・・・。

菅首相は仲井真沖縄県知事と、米海兵隊普天間基地問題で鳩山前政権が行った辺野古移転の日米合意についても話し合うのであろうが、沖縄の負担軽減は究極的には基地撤廃しかあり得ないしまたそうしなければならない。奇しくも50年前の今日、1960年6月23日に発効した「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の第十条にはこの条約終了について次のように記されている。

第十条:
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
 もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する

辺野古移転を名護市長が受け入れない限り日米合意は実行に移せない。これも条約終了を決意せざるを得ない合理的な理由になりうる。菅首相が日米安保条約終了を正面に押し出すことで、独立国家のあり方について国民の関心を喚起させれば、近い将来への展望が開けて沖縄県民もそれなりに納得出来るだろうが、菅さんも首相になるために変節してしまった。もうこの世代では駄目である。日本が真の独立を獲得するために何をすべきであるのか、日ごろ自ら確信を持って唱えている施策を首相になっても淡々と実行に移していく信念の政治家が、今三十代、四十代の中からぜひ生まれて欲しいものである。



iPhone 3GSのOSを「iOS 4」にアップデート

2010-06-23 15:24:26 | Weblog
今朝がた9.2にバージョンアップしたばかりのiTunesにiPhone 3GSを同期させ、iTunesの左側にあるソースリストの「デバイス」から私のiPhoneを選択し、「概要」タブで選択した画面の「バージョン」にある「更新ファイルを確認」タブを押すとiPhoneソフトウエアバージョンを利用出来る旨のメッセージが現れた。その下にある「ダウンロードとインストール」タブを押して現れる使用許諾契約書に同意するとダウンロードが始まり、その後インストール、再起動に至るまですべて自動的に更新が進行する。時間を計っていなかったけれど全部で10分前後だろうか、無事アップデートが完了した。バージョンを確認するとちゃんと「4.0(8A293)」になっている。新機能が100以上追加されているとのことで、使い勝手を調べていくのが楽しみである。私のiPhone 3GSはまだ7ヶ月しか使っていないので、少なくとも後17ヶ月はこれで頑張らないといけないのである。「iBooks」と「iBookstore」のiPhone版もぜひ試してみたいと思う。

一弦琴「須磨」の演奏をiPhone 3GSで録画

2010-06-22 18:57:04 | 一弦琴
昨日、茶色の水道水の流れ出るところをiPhone 3GSでビデオ撮影し、編集の上YouTubeに投稿したが、一連の操作が簡単だったので、今度は一弦琴の演奏を録画してYouTubeに投稿してみることにした。

iPhoneのレンズがこちらを向くように出窓の縁に立てかけ、私の顔を撮さないよう位置を調整した。後はその前で演奏するまでで、日常姿でご免遊ばせ、である。日ごろこのように一弦琴を気楽に奏でて楽しんでいる。編集ではトリミングの位置を正確に定めるのが難しくて、最後のところが少し切れてしまった。YouTubeに以前投稿した「須磨」は弦の張り方が適切でなかったので、これを機会に削除した。





茶色の水道水

2010-06-21 14:34:19 | Weblog
家の前の道路に神戸市水道局の車が3台停まってからかなり時間が経つ。見下ろすと消火栓から水を放出している。何をしているんだろうと近寄ってみると茶色い水が流れ出ている。わが家の水道水もこの水道管から供給されているはずなのに気がつかなかった。そこで庭水用の水道栓から水を白色の容器に集めたが色はない。しかし栓を開けっぱなしにしているうちに茶色の水が出始めた。道路より一階分高いところに水道栓があるので、茶色の水が上がってくるのに時間がかかったのだろう。今朝、いち早く異常に気がついたご近所さんが通報したらしい。すでに5トンほど放水したらしいが、それでも茶色が薄くなったり濃くなったり予測不可能な変動が続いている。水道管内部の錆のせいであろうとのことであった。

このあたりは阪神大震災で被害の大きかった地域なので、新しい水道管に取り替えられたと思っていたがさにあらず、昭和42(1967)年に敷設された水道管がそのまま使われているとのことで、すでに43年になる。積もり積もった錆がこのような結果をもたらしたようであるが、なかなか水が綺麗にはならない。夜間に高圧の水を通して水道管の内部を洗浄するとのことであった。昼食は汚れた水を使わずに用意出来たが、今夜は温泉気分を味わえそうである。茶色の水道水とは珍しいのでiPhoneでムービーに撮り、トリミングもiPhoneで行ったうえYouTubeに投稿した。




「東北大院生自殺で両親が東北大を提訴」をどう考えるか

2010-06-20 17:31:06 | 学問・教育・研究
私の以前の記事東北大院生自殺 「東北大学ハラスメント防止対策」がなぜ機能しなかったのか?へのアクセスが一昨日来急増した。この院生の両親が東北大に対して1億円の損害賠償を求めて岡山地裁へ提訴したことが報じられたからであろう。河北新報は次ぎのように伝えている。

東北大に1億円賠償請求 院生自殺で両親が岡山地裁へ提訴

 東北大大学院理学研究科の男子大学院生=当時(29)=が2008年8月に自殺したのは、指導教員だった元准教授男性(53)のアカデミックハラスメントが原因だとして、岡山県に住む両親が18日、東北大と元准教授に計約1億円の損害賠償を求める訴えを岡山地裁に起こした。
 訴状によると、①大学院生は07年、元准教授に博士号取得のための論文を提出したが受理されず、その後も添削や具体的な指導を受けられなかった。このため将来を悲観し、自殺したとしている。
 東北大は昨年5月に公表した内部調査結果の報告書で②「准教授の指導に過失があり、自殺の要因になった」と認定。大学院生が差し戻された論文は草稿や実験データから、博士号の審査を十分に受けられる内容だったとの判断を示した。
 大学の懲戒委員会は「停職に相当」と処分を決めたが、元准教授は処分決定に先立って辞職。③原告側弁護士は処分に関する報告書などの開示を求めたが、大学側は「プライバシーにかかわる内容のため公開できない」と拒否している。
 東北大は「訴状が届いておらず、提訴を承知していないのでコメントは差し控える」としている。
(2010年06月19日土曜日、①、②、③と強調は私)

この新聞記事で私がまず思ったのは、自殺の原因をそんな簡単に決めつけていいのだろうか、ということであった。①では将来を悲観し、自殺したとあるし、②でも准教授の指導に過失があり、自殺の要因になったとある。

遺書に自殺の理由が述べられていたとしても、それは自分を納得させるための言葉に過ぎない可能性もある。ましてや本人が口を閉ざしていたとすると、あるのは状況証拠に基づくと称する憶測のみである。そう考えると東北大学の内部調査結果の報告書での②「准教授の指導に過失があり、自殺の要因になった」と認定の部分は、あまりにも軽すぎる。本気で調査をした上でここに述べたような結論で人を納得させようと思えば岩波新書1冊分の文書でも足りないのではなかろうか。いずれにせよその報告書が③のような理由で原告側弁護士にも提示されていない以上、第三者がその結論の是非を判断することは出来ない。

同じことが原告の訴状についても言える。私は訴状を目にすることが出来ないから新聞記事のみが頼りであるが、それにしても①大学院生は07年、元准教授に博士号取得のための論文を提出したが受理されず、その後も添削や具体的な指導を受けられなかった。このため将来を悲観し、自殺したとは表面的な叙述である。真相(もし解き明かされるとすれば)をより少ない行数で表すだけ核心から遠ざかるような気がする。

これまでも大学院生をテクニシャンのように使いたがる教員がいる一方、「自由にさせるのが最良の指導法」をモットーにしている教員も結構いた。もちろん院生が議論をふっかけてきたらいくらでも相手をするし、助言も惜しまない。しかしそれは院生が求めてきたときには、である。教員にはそれぞれの指導スタイルがあるので、院生によって合う合わないが出てきても不思議ではない。合わなければ逃げ出せばいいのであって・・・、いや、逃げ出すべきなのである。それがお互いの為なのである。ここで指導者の准教授に「アカデミック・ハラスメント」と目される行為があったのかどうか、それは調査委員会がある程度は明らかにすることが出来ようが、これも限度がある。私が以前の記事で問題にしたのは、この大学院生に自分が「アカデミック・ハラスメント」を受けているとの認識があったのかどうかで、その認識があれば「部局相談窓口」なり「全学相談窓口」に本人から相談が寄せられたのでは、と期待するからである。それが機能していたようには見えなかったので東北大学の徹底した検証を期待したが、果たしてそれがなされたのかどうかは報告書が非公開なので分からない。

仮に「アカデミック・ハラスメント」の事実が認定されたとしても、それが自殺とどう関わるのかはまた別の問題である。その意味では東北大学の②「准教授の指導に過失があり、自殺の要因になった」と認定するのは性急ではなかろうか。東北大学ともなれば「自殺問題」の専門家も当然いるだろうが、そのような専門家の助力を仰いだ上での調査・結論とはとうてい思えない。というより、個々の自殺の理由がそれぞれ解き明かされうると思うほど私は楽観的ではない。自殺の「理由」なんて、デュルケームは信じない『自殺論』エミール・デュルケーム著に目を通して、私はその思いを強くした。

裁判の争点が何になるのか素人の私には判断しかねるが、もし本人が生存しておれば「アカデミック・ハラスメント」の有無を巡って決着をつけることは可能かも知れない。しかし本人が口を開くことが出来ない情況で、たとえ肉親といえども本人の自殺の理由を忖度して、それも原因が「アカデミック・ハラスメント」にあると断じて生命を購う意味での賠償請求をするのであれば、私には話が飛躍しすぎているように思われる。せいぜい「アカデミック・ハラスメント」の判定までではなかろうか。これは子の不慮の死を嘆く親の気持ちを慮るのとは別のことである。親を悲しませないためにも、どれほど研究がわが命であろうと、その行き詰まりとかで自らの命を絶つなんて「真理の探究者」に絶対あってはならないのである。

度肝を抜かれたザ・シンフォニーホールのトイレ行列

2010-06-18 18:04:49 | 音楽・美術
去る15日、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで催された「西本智美指揮 スミ・ジョー イン・コンサート (リトアニア国立交響楽団)」に行ってきた。三月頃だったかたまたま新聞紙上の広告が目に止まり、スミ・ジョーさんとは一緒に朝鮮の歌曲「同心草」を歌った?ことでもあり、是非生の歌声を聴きたくなってチケットを購入したのである。

一部はオペレッタ「こうもり」序曲で始まり、その後スミ・ジョーさんが登場してほぼ1時間、彼女お得意のコロラトゥーラをたっぷり聴かせて貰った。大人しい選曲でほとんど聴き慣れた歌だったのでつい一緒に口ずさみたくなった。コロラトゥーラの技法から自然にでてくるのだろうか、高音の柔らかい響きがとても快かった。彼女一人だけにスポットライトが当てられて無伴奏で歌ったアンコールの韓国の歌曲は実に素晴らしかったが、残念ながら「同心草」は出てこなかった。20分の休憩を挟んで二部はRimsky-Korsakovの交響組曲「シェラザード」とRavelの「ボレロ」であった。西本さんの指揮は身体の動きが優美でかつダイナミック、燕尾服の裾がひるがえると巣のひな鳥に餌を与えている親鳥のようであった。しかし身体の動きの大きな指揮を続けたせいなのか、終わったときは精根を使い果たしたようにも見えた。お疲れ様!

出かけるときはあいにくの大雨で歩くのに難渋し、そのうえ途中で軽く食事を摂ったりしたので会場に着いたのが7時開演の10分前であったので、そのまま2階正面の座席に直行した。一部が終わり休憩時間になってトイレに赴いたが、男性側とは対照的に女性側は3、40人の行列が出来ている。係員がこの2階のトイレは数が少ないのでお急ぎの方は1階のトイレをご利用下さいと声を張り上げている。私が用を済ませて出てきても妻は依然として同じところに並んでいるので男性側にエスコートしようかと声をかけたが、首を振ったのでそれではと1階のトイレに向かった。ところがこちらはまさに長蛇の列で、300人を超えているのではないだろうか。それも人目につくホワイエを延々と横切って並んでいるのだから私は度肝を抜かれてしまった。妻もこれには恐れをなして我慢すると言いだし、楽しみにしていたグラスワイン共々諦めたのである。20分間の休憩時間でこの行列が解消するとは私の目には映らなかった。

このような行列が出来るのは明らかにザ・シンフォニーホールの手落ちである。ホワイエでトイレ行列に並ぶ方はもちろん、それを目にする方も落ち着かない。トイレの設置場所と設置規模の両方に問題があると言えよう。規模について簡単な計算をしてみた。ザ・シンフォニーホールの座席数は1704であるが、1500詰まっていたとする。男女の比率を仮に1:2として女性の半数が休憩時間にトイレを使うとすると500人になる。トイレの利用時間(小用)は男性が30秒、女性がその3倍の90秒(これに近い調査結果がある)とすると女性の総利用時間は750分である。女性用のブースが幾つあるのか、ザ・シンフォニーホールに聞いてもすぐに返事が貰えるとは思えないので25箇所と仮定すると、750分を消化するのに30分かかることになるので、20分の休憩時間では短すぎることになる。ザ・シンフォニーホールが出来たのはほぼ30年前の1982年なので、その頃は女性の割合が今より低くてもしかするとブースの数も適正であったのかも知れない。そうだとすると社会のあらゆる面への女性進出がこの30年間にはるかに活発になったことがこの窮状を招いたと言えそうである。

ではこの問題を解決する術があるのだろうか。かってアメリカで女性の立ちションが歓迎された時代があったという。女性労働者の進出がなければ増産もままならなかった頃、というから戦時中がまたその直後か、従来の腰掛けトイレで費やす時間を少しでも短縮すべく、立ちション専用の便器が開発されたのである。所要時間が10秒ほど短縮されたというが、この程度では到底窮状を打破するには至らないので考慮の対象外である。また最近は保水能力に防臭効果の優れた紙おむつが開発されていると聞くが、これは最後の自衛手段として活用されることがあるとしても喧伝されるべきことではなかろう。となると一番現実的なのは観客が心置きなく用を足せるように休憩時間を十分長く取って、その旨を観客に周知させることである。そうと分かれば余裕のある人はまず飲み物・軽食でリフレッシュしてから用を足せばよいから早々と並ぶことはなく、トイレ行列はかなり解消されることは間違いなしだと思う。トイレ使用状況をシミュレートすれば、適切な対応策が自ずと出てくることだろう。

利休の教えを伝えているとされる『南方録』によると、「茶の湯せば、亭主に三つの馳走あり 酒・飯・雪隠 気をば付くべし」なのである。人をもてなすのに雪隠はそれほど大切な役割を果たすというのも、日本人の古来の美的感覚でもある。ところがザ・シンフォニーホールの雪隠すなわちトイレは、私の使った2階トイレは男子トイレと女子トイレの入り口が隣り合っていた。今や隣り合わせにならないように作るのが当たり前の筈なのにそれが出来ていない。さらに上に述べたようにトイレ行列がホワイエを長々と横切るようではこれまた失格である。ブース使用の順番を待つ待機場所を考慮した構造でないからそのようなことが起こるのであって、これではトイレが本来の機能を果たしているとは言えないのである。

話がコンサートそのものから大きく逸れてしまったが、それほど女子トイレ待ちの長蛇の行列が私には衝撃的だったのである。大阪中之島に現在建て替え中のフェスティバルホールのトイレ事情、ぜひ女性に配慮した造りであって欲しい。