日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「眠り椅子」

2011-10-22 19:50:05 | Weblog
最近ブログの更新をてんで怠っている。カダフィ大佐が殺害され、ユーロ圏ではデモに揺れるギリシャを破綻から救うためにの対策に躍起になっているし、タイでは国の7、8割が冠水し、首都バンコックでもこれから冠水の度合いが高まったいくとか、世界には大きなニュースが行き交っている。もちろん国内でも多岐多様のニュースが報じられる。ところがこれらがすぐさまわが身に引っかかってくるわけでもなし、「それがどうした」割り切ってしまえばそれまでで、それ以上今のわが身は平穏そのものである。そして自分では無気力になったものだなと反省するが、何故そうなのかは私なりに分かっているつもりでそれは「眠り椅子」のせいなのである。

家庭でも椅子生活に長年親しんできたこともあって、私には椅子に対する注文がかなり厳しい。要点はただ一つ、そこで快適に過ごせることである。そこで新居を構えるに当たって、家具展示展に出向いていろいろと吟味することにした。目に飛び込んできたのがソファー、安楽椅子、スツールのセットで、すべての作りが大らかで安楽椅子に坐ると身体を優しく抱擁してくれる。ソファーも幅が2メートルを超えるのでゆっくりと横たわることが出来る。総皮製ということで皮がたっぷりと使われており、それを止める金鋲の並びが美しい。すっかり気に入ってしまい、手に入れたくなった。問題は価格で私にとっては破格なので場所を離れずにしばし考え込んでいた。それを動かしたのが「ここの会社の製品がホワイトハウスに沢山収められています」という店員の一言で、それに引っかかってしまったのである。


母が存命の頃、階段を這うように上がって来てソファーに横たわると間もなくすやすやと寝息が聞こえてきたものである。孫達がやって来るとその上で飛んだり跳ねたりしていたが、それもやがて安らか眠りに陥った。何かこのソファーには眠りに引き込むような魔力でもあるのだろうか。今その虜になったのがこの私である。ソファーに腰をかけテレビを見たり本を読んだり、新聞を読んでいるつもりがいつの間にか横たわって寝入っているのである。それもかなり深い眠りに。どうすればこの呪縛から解き放されるのか、ある意味では今の私の最大の課題なのである。

秋篠宮悠仁親王の帝王教育こそ

2011-10-04 20:31:42 | Weblog
ここ三四日ほど私の雅子妃て皇后に相応しいお方?へのアクセスが目立った。雅子妃についての関心の高さがうかがわせる。

私は以前にも現皇太子について別居・離婚・廃太子?で、『皇太子も雅子妃の心強きよき伴侶としての一面は印象づけられているものの、その印象が強すぎてか、天つ日嗣の皇子なる皇太子として仰ぎ奉るにはなんとなくためらいがある』と、少々踏みこんだ意見まで述べている。

昨日、ハングルを作ったとされる「大王世宗」の韓国歴史ドラマをテレビで観ていた。元来は第三子であった世宗(忠寧大君)が紆余曲折を経て世子(わが国では皇太子)になる経緯の今が真っ最中であるのだか、王としての素質を最終的には父王が判断するにせよ、いつの間にか広まった情報により忠寧大君に集まった国民の支持の力が大きかったようである。ついわが国の皇室事情を考えてしまった。

私は『男系男子』は見て分かる 女系では要DNA鑑定をご覧いただければお分かりのように、女帝を容認しない立場ををとっている。その立場で今最も重要なことと考えるのは、現在第三位の皇位継承資格者秋篠宮悠仁親王の帝王教育である。今のままであると現皇太子が天皇におなりになると、弟君の秋篠宮が皇太子を継がれることになり、皇室の流れが秋篠宮に移って行くことが明白である。帝王教育の開始は早ければ早いほど良いと私は考えるが、現状に関してはなんの情報も持ち合わせていない。マスメディアが雅子妃を追っかけ回すのも良いが、皇室の将来をも左右する秋篠宮悠仁親王の帝王教育への国民の関心を大いにかきたてて欲しいものである。

過去ログ 生物学者・昭和天皇とY染色体



雅子妃て皇后に相応しいお方?

2011-09-29 22:25:43 | Weblog
今日の朝刊に「週刊文春」と「週刊新潮」の広告が並んでいて、それぞれが雅子妃のことを大きく打ち出していた。「週刊文春」は『雅子さま愛子さまに宮内記者が「税金泥棒」「異様な親子」』とあり、「週刊新潮」には『「学習院」を打ちのめした「雅子妃」の月曜日事件」』とどうも過激である。国民の敬愛の対象であるべき皇室としては、宮内記者によるひどい叩かれようで、少なくとも雅子妃は宮内記者を完全に敵に回したようである。何がどうだったのか、好奇心はむずむずするが、まだ店頭で立ち読みするまでは体力が回復していないので、記事の中身は分からない。分からないままに、これまで私の考えてきたことを含めて、皇室のあり方というか行く末について少し触れることにする。

皇室に入る女性に最も期待されることは『皇統に属する嫡出の男系男子の皇族』の出産である。これが現在皇室典範に定められる皇位継承者の資格であるからだ。その意味では現時点で雅子妃は皇太子妃としては失格である。現在進行中のNHK大河ドラマでは、やがて二代将軍となる徳川秀忠の正室お江の方に生まれるのが女子ばかり。もう四五人は生まれたが、まだ男子に恵まれない。秀忠の乳母大姥局には「男子を男子を」とプレッシャのかけられ続け、やがて三代将軍となる家光を産むことになっている。側室制度が確立していた時代にも正室の嫡子の重みはあったのである。そのプレッシャに相当するのが雅子妃にとって皇室典範であった、と私は思うのであるが、雅子妃が実際にどう受け取られたのかは知るよしがない。というのもまともに考えれば皇室典範の『皇統に属する嫡出の男系男子の皇族』を皇位継承者とする取り決めは、きわめて身勝手なものだからである。男子が産まれるのか女子が産まれるのか、それはまさに自然の摂理である。嫡系男子にこだわる限り、嫡系男子が産まれなければお家断絶となる。だからこそ男系社会の皇室や武家では昔から賢明にも側室制度を設けて、非嫡出男系男子の皇位継承をも可能にしていた。この辺の事情を以前に女帝か後宮制度かで述べているので、関心をお持ちの方はどうかお目通し頂きたい。

雅子妃に嫡系男子がお生まれにならない。私は後宮制度を復活させるのも伝統を甦らせる意味において賛成(現実的には天皇家のみ)であるが、今のご時世では同調者はほとんど居ないであろう。となると皇太子が嫡系男子を儲けるまで離婚・結婚を繰り返すのが次の選択肢として考えられるが、そこに至るまでに秋篠宮殿下に平成18年9月6日に皇室としては41年目に男子として悠仁親王がが誕生、皇位継承者を得たことから皇統についての論議が沈静化してしまった。しかし問題の本質が解決しているわけではないので、それこそ時間をかけて皇室典範の改正案を作製していくべきである。

嫡系男子をお産みになれなかったことと、世間が取り沙汰するゴッシップめいた雅子妃のお振る舞いに何か関係があるのかどうか、それは私には分からない。しかしさらに分からないのが「お病気」のことである。「お病気」の実態がどうなのか、またその発症の経緯がどうなのか、宮内庁からある程度は国民に情報がもたらされているのであろうが、私自身はほとんど知らないと言わざるを得ない。それは国民のほとんどについてもそうなのではなかろうか。その「お病気」が関係しているのかどうか、それも私には分からないが、一つはっきりとしていることは皇室の公務というか公の行事に、雅子妃のお姿を見ることがかなり以前から少なくなっていて、その意味でも雅子妃は皇太子妃としては失格だなと思っていた。このような状態を何時までもダラダラ続けているのは、国民の心が外れていくばかりであろう。この思いがあってこそ皇太子さま どうか親孝行をを認めたとも言える。

雅子妃が皇后に相応しいお方なのかどうか、私の今の心情では否定的である。ただ実情については小沢一郎問題よりも不透明で、現状では宮内庁の国民に対する情報開示がほとんど無きに等しいと言わざるを得ない。まずは情報開示に対する現状の打破を期待したいところである。


野田内閣の緊急課題は福島第一原発周辺の高濃度放射能汚染地域を国有化すること

2011-09-15 15:24:03 | Weblog
今日の朝日朝刊に、放射能汚染物質の除染対象になる可能性のある地域の規模について、次のような大きな見出しが一面と二面に見られた。

除染 福島全土の14%

1億立方メートル ドーム80杯分試算

地域絞り込みも

汚染土 行き場見えず

福島 仮置きに苦慮

中間貯蔵 あやふや

こういう問題が緊急課題であるのに、何一つ政府の打つ手が見えてこないので、私は原発被災住民が逃げ出しやすいように政府は一刻も早く住民撤退地域を設定すべしと提言し、次のようなことを述べた。これで汚染土を含めて汚染物質の行き先は一挙に解決するではないか。

住民撤退地域の利用法は時間をかけてじっくり考えれば良い。まず放射能汚染物は全部ここに持ち込めばよい。使用済み核燃料のための高レベル放射性廃棄物処理場も遠慮無く建設出来るし、永遠の墓場とすることも出来よう。その意味では未来への新しい展望が開ける。

戦時中に強制疎開というものがあった。ウイキペディアで一部を抜粋する。

日本において当時の人の多くは家屋疎開とも呼んでいた。空襲により火災が発生した際に重要施設への延焼を防ぐ目的で、防火地帯(防空緑地・防空空地)を設ける為に、計画した防火帯にかかる建築物を撤去する事である。(中略)

建物疎開にあたっては、行政機関がその候補を選定し、選ばれた家屋はほぼ強制的に破壊が行なわれたため、当時は「強制疎開」とよばれた。疎開対象の選定に当たっては地域の有力者などからの「政治的助言」が大きく影響し、被差別に対する偏見や、個人的感情から対象に含められたと考えられるものも存在する。(中略)

建物疎開は終戦直前まで行われており、本土決戦に備えて人口2万人以上の小都市でも実施され、全国で約61万戸の建物が除却された。また、建物の除却には移転補償の給付がなされたが、敷地に関しては買収形態のものと借地形態のものの両方が存在した。

建物疎開の後は戦後そのまま道路になった場合が多く、代表的な例では(中略)京都市の御池通の左京区川端御池から中京区堀川御池間などがある。特に横浜のそれらと大阪市道豊里矢田線は地元住民から「疎開道路」と呼ばれている。

今野田内閣の行うことは、これと定めた汚染の激しい地区をすべて国有にすることである。それには特別立法も必要であろうし、国有化の範囲をそれなりに定めなければならないが、日本国中の核使用済み燃料を含めて、放射能汚染物質の中間貯蔵とさらには最終処分場を設置可能な面積を確保するぐらい大きなことを考えてはいかがであろう。

いくら除染を行ったとしても、原発から数キロ以内の住民が、果たして同じ場所に住みたいと思うだろうか。それ以上に離れたところでも同じ問題が起こるのは必定である。このようなところでは数々の問題があるだろうが、国・自治体と住民が根気よく話し合いを進めて、住民撤退地域と(再)居住地域をの設定を一刻も早く行い、住民撤退地域での除染作業は居住地域の整備に集中すべきであろう。

野田内閣成立後まだ間がないが、少しも覇気が伝わってこない。朝日朝刊の二面である。

 住民が元の暮らしを取り戻すのに不可欠なのが除染だ。ただ、汚染された土壌などを取り除いても、それを集約して安全に保管する「中間貯蔵施設」を早急に整備しなければ、除染作業自体が進まない。

 「中間貯蔵施設は福島県内のどこかにお願いせざるを得ないが、最終処分の場所にはすべきではない」

 細野豪志原発相は8日に福島県を訪れた際、そう訴えた。中間貯蔵施設は県内に設けるけれども、いずれは最終処分場を県外に設置して運び出す――。細野氏はそんな論理で地元の理解を得るしかないと判断している。


強調の部分、沖縄普天間基地問題での鳩山元首相の遁辞と同じである。最初から誰しもそう思うように(と私は思いたいが)、福島第一原発を中心とした今や日本最大の放射能汚染地域を日本の放射能汚染廃棄物の墓場と今こそ決定すべきではなかろうか。野田内閣の中でも最年少の、そしなんとか期待出来そうな細野豪志原発相にリーダーシップを大いに発揮して頂きたいものである。

原発被災住民が逃げ出しやすいように政府は一刻も早く住民撤退地域を設定すべし

2011-09-11 11:55:57 | Weblog
福島第一原発事故が発生してほぼ1週間後の3月17日に、私は被災者の「疎開」を一刻も早く組織的にと主張した。「避難所」の生活がいつまで続くのか目途はたてがたく長期化が予想されたからである。そして現在にいたるまでいろいろなドラマがあったであろうが、9月9日付けの朝日朝刊は、岩手・宮城・福島の3県から県外に住民票を移した人が約8万3千人と報じている。転出から転入を差し引いた「転出超過」が最も多いのは福島県で2万2391人とのことである。また次は昨9月10日の朝日朝刊に掲載された世論調査の抜粋である。

原発事故による放射性物質への不安では「あなたや家族に与える影響について、どの程度不安を感じているか」と4択で尋ねた。
「大いに感じている」は岩手32%、宮城県34%に対して福島は54%に上る。
 福島県民だけに「放射性物質絵による被害を避けるため、県外や放射線量の少ない地域へ、出来れば移り住みたいか」と聞くと、34%が「移り住みたい」と回答。中学生以下の子供がいる家庭では51%に及ぶ。

正体が分からないだけに先行きへの不安が大きいのだろうか、現在居住している地域への執着が思いの外薄いのが私には目新しく感じられた。

こういう住民の思いとは裏腹に、現地では一刻も早い復旧・復興を旗印に除染作業なるものが推し進められている。校庭の表土などを削り取りあちらこちらの集積場に集めているようであるが、最終的にその処理をどうするのか決まったとは私には聞こえてこない。聞こえるのは作業に当たる土木業者の「ウハウハ」だけである。

原発被災地の復興計画で政府・自治体が早急になすべきことは、住民撤退地域を設定することである。汚染度の激しいところは一義的に決定してもよいだろうが、そうでないところは住民との話し合いが大切になるであろう。いずれにせよ住民撤退地域が設定出来れば一切の復旧工事などを即刻凍結して、移住に至る住民への土地・家屋買い上げなどの補償、さらに生活再建のための万全の援助に政府・東電は全力を傾注すべきである。

住民撤退地域の利用法は時間をかけてじっくり考えれば良い。まず放射能汚染物は全部ここに持ち込めばよい。使用済み核燃料のための高レベル放射性廃棄物処理場も遠慮無く建設出来るし、永遠の墓場とすることも出来よう。その意味では未来への新しい展望が開ける。



「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」と思いたいが

2011-09-10 21:37:09 | Weblog
のろのろ台風12号がもたらした和歌山県と奈良県での未曾有の台風被害で、私が反射的に思い出したのが万葉集巻第一の二番目にある舒明天皇の歌である。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は (後略)

「ほんとうに結構な国だ」と天皇自らうっとりとなさっている。私もつい引き込まれる。その延長に小学唱歌「故郷」が、さらには仲間も多いと思うが源田俊一郎編曲「唱歌メドレーふるさとの四季」があり、この日本に生まれた幸せをしみじみと味わう。

しかしこの歌はわが国のある一面を歌ったに過ぎない。その証拠がこのたびの台風災害である。ただ舒明天皇はこの「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」が、時には自然災害で壊滅的打撃を受けることもあることをご存じの上で、この歌を詠まれたのだろうかと疑問が生じた。歌の深みがそれで大きく変わると思ったからである。自然災害は昔からあった筈である。しかし私には万葉集に自然災害を詠んだ歌があるような気がしないので、調べてみることにした。自然災害ではないがまず思い出したのが山上憶良の「貧窮物語」(巻第五 八九二)で、このように始まる。

風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我を除きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 有りのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る

風、雨、雪と自然現象は出てくるが、それは「風に交じって 雨が降る晩 雨に交じって 雪の降る晩 やる方もなく寒いので」と、貧乏人が寒さにいかに耐えるかの話に繋がって行くもので、家の中に雨が降り込んできたとか、ましてや風雨の猛威を取り上げたものではない。ではそのような歌が万葉集にあるのだろうかと、万葉集検索Ver 2.2.0で、雨、風の含まれる歌を検索してみた。

雨で引っかかってくるのは125首、でもそのどれも日常の中の雨で変異をもたらすものではない。また風では191首があり、その風の強くなった状況を歌っているのに次のようなものがある。でも白波止まりである。

風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ 03/0294

住吉の沖つ白波風吹けば来寄する浜を見れば清しも 07/1158

海の底沈く白玉風吹きて海は荒るとも取らずはやまじ 07/1317

ちなみに「日本国語大辞典」(小学館)に次のような項目(引用は抜粋)がある。

たいふう 【大風】はげしく吹く風。強い風。おおかぜ。*続日本紀━大宝元年八月甲寅「播磨、淡路、紀伊三国言 大風潮漲。田園損傷」

台風とか颱風という文字は使っていないが、言葉として「たいふう」はすでにあったのだろう。大宝元年は701年だから、万葉集が成立したと伝えられる延暦2年(783年)頃よりも古い。しかし万葉集検索にこの言葉は引っかかってこない。それよりも注目すべきなのは、続日本紀という公の記録には台風12号と同じような台風被害がはっきりと記載されていることである。自然災害は今も昔も同じ、ただそれが万葉集からは排除されていただけのことなのである。しかしよく考えてみると、排除されていたのではなく、その様な自然災害を詠んだ歌などが入り込む状況ではなかったというのが正しいのかも知れない。

今なら居間で居ながらにヘリコプターが伝えてくれる台風被害の状況を目にすることができる。しかし万葉の時代では細い山道一本が土砂崩れで塞がるだけで、もうその先には進めない。個人の見聞できる範囲はそこ止まりでで、これではよほどの何かがなければ感情の発露としての歌なんぞは生まれないだろう。この時代の人にとって自然災害は、あくまでも怖れそのものであったのである。これが私なりの推論である。

もし万葉の時代に土砂崩れで崩壊された家でもあれば、住民にできることはこのような恐ろしいところからとにかく逃げ出すことであろう。家を復旧してまで住もうという考えが出てくるなんておよそ想像しがたい。ここから私の想像が大きく広がるのであるが、そのキーポイントがのろのろ台風12号のもたらした災害で思うことの最後に次のように述べたことである。折りを見て舞い戻ってくることとする。

地震・台風・津波による自然災害の、日本は宝庫?とも言える。近年は原子力災害がそれに加わった。住みやすい日本にすると政治家は折に触れて口にするが、自然災害対策一つを取り上げても、ただ自然の猛威に振り回されているだけで、被害が生じたらそれを修復するを繰り返しているだけのように私の目には映る。破壊されればそのままにして人間が逃げ出せば良いだけのこと、そんな対応をまともに考えるような人がいないものだろうかとふと思った。


のろのろ台風12号のもたらした災害で思うこと

2011-09-08 23:06:28 | Weblog
私が中学生から大学生の間、海に比較的近い木造二階建てに住んでいた。父の勤務する会社の社宅で、大正時代に建てられたものではなかっただろうか。秋の台風シーズンには何回も直撃に見舞われた。台風の進路に状況はラジオが便りの綱。でもその頃は少し強い風が吹くとよく停電するので、電池で動く携帯ラジオが必須であった。

その頃の雨戸は板戸で、不断は戸袋に収められていた。いざ台風がやって来ると海側の雨戸がにもろに強風が当たり弓なりになる。それを父や弟たちと一生懸命抑えるのである。雨が強いときはもろに部屋に飛び込んでくる。とにかく全力を振り絞っての闘いであった。やがて台風の目の中に入ると音が止む。急に静かになって一休みの時間である。しかし目が通り過ぎると今度は山側からの強風で、そちら側の雨戸とまた挌闘である。ようやく切り抜けたときは自然の猛威に真正面から立ち向かい、それをなんとか切り抜けたという誇らしげな気分に浸ったものである。その程度の台風だったからであろうが。しかし都会の真ん中であったにも拘わらず、どこから上がって来たのだろうか水が家の中に侵入することがあった。幸い床上浸水の経験はなかったが、この問題も次第に対策がとられて、いつの間にか浸水の怖れは無くなってしまった。

のろのろ台風12号がやって来たときは、確か女子サッカーの試合を観ていたと思う。ペアーガラス入りのアルミサッシの窓を、出窓を除いてはすべてシャッターで塞ぎ、風雨への対策は万全を期した。風はあまり感じられなかったが雨が激しく、天窓二つへ降りかかる雨音の凄まじさには驚いたがとくに不安を感じることもなく、観戦を楽しんでいた。昔からの様変わりが嘘のようである。しかしこの同じ頃、和歌山県と奈良県では未曾有の台風被害が発生していたのである。そしてこののろのろ台風の規模を産経新聞は、《台風12号は異例の低速移動で大雨を降らせ続けた。台風の運動エネルギーは強大だ。マグニチュード8クラスの地震の10~100倍の値に達するとされる》と伝えた。地震の大きさとの比較が直ぐにはピンと来ないが、その巨大な運動エネルギーが大規模な深層崩壊を引き起こしたと考えれば良いのだろうか。

地震・台風・津波による自然災害の、日本は宝庫?とも言える。近年は原子力災害がそれに加わった。住みやすい日本にすると政治家は折に触れて口にするが、自然災害対策一つを取り上げても、ただ自然の猛威に振り回されているだけで、被害が生じたらそれを修復するを繰り返しているだけのように私の目には映る。破壊されればそのままにして人間が逃げ出せば良いだけのこと、そんな対応をまともに考えるような人がいないものだろうかとふと思った。

野田ごった煮内閣 もしかして美味しいかも

2011-09-02 17:28:49 | Weblog
内閣の要である官房長官に藤村修氏が紆余曲折を経て決定すると、今朝の9時過ぎ頃から新閣僚の名前がテレビのテロップに次から次へと流れるようになった。その閣僚名簿を見るとまるで自民党時代に舞い戻ったようで、いわゆる派閥均衡人事と私の目には映った。而もマスメディアの下馬評にも上らなかった人々が結構多く、参議院からは計5名も入閣しているのも以外であったし、過半数が60歳代を上回っていることからも、滞貨一掃かと意地悪く思ったりもした。

それよりも私が一つ面白いと思うことがあった。閣僚の個々の能力とか実績とか、私がほとんど知らないから言えることなのだろうが、案外皆さんがそれぞれ秘められた能力を持っておられて、その知名度ゆえ国民から過度の期待を抱かれないことが、思い切った行動に踏ん切る跳躍版になり得そうな気もする。そう考えると、この閣僚はそれぞれが素朴な味わいのあるごった煮の素材のようにも見えてきて、料理奉行の采配一つで案外美味しい「ごった煮」が出来上がりそうな気もする。民主党政権になって落胆することばかりだったので、私は衆議院解散・総選挙ばかりを叫んでいるけれど、もう少し時間を置いてみようという気になり掛かった。

輿石東新民主党幹事長が党内融和の象徴?

2011-08-30 19:16:34 | Weblog
最後の最後まで菅首相による衆議院解散・総選挙を期待していたが、呆気ない結果に終わった。いわゆる小沢グループに丸乗りの海江田氏が民主党代表選で決選投票を経て葬られたことに、小沢氏の影響力を排除しようとする民主党の良識が辛うじて働いたように私は感じた。今日の午後、衆参両議院で民主党の野田佳彦代表が第95代の日本国内閣総理大臣に指名され、ここに新首相が誕生した。となると次の関心事は党の役員時人事でとくに注目されるのが幹事長である。テレビをつけっぱなしにしているのに、なかなかニュースが流れてこない。やっと4時過ぎのNHK上方落語会の時に、輿石氏幹事長に内定のテロップが流れた。訳の分からん話やな、と私は思った。

小沢グループは党内最大の勢力と言われてきた。グループを構成する国会議員の数が最大ということなのだろう。しかしその最大勢力に乗った筈の海江田氏が、結果的にはその最大勢力を是としない反小沢グループ連合の前に屈した。以前から分かっていたことであるが、その最大勢力といわれる小沢グループには、小沢氏自身が党代表になったとき以外は自前の党代表候補が不在なのである。一口にいえば小沢グループは烏合の衆同然である。このグループが「数」以外に民主党において、どのような政権担当能力に寄与してきたのか、少なくとも私にはさっぱり見えない。島田紳助事件以上に暗闇が深い。

この小沢グループが中心となりその「数」を見せつけた例が、野党が提出した菅内閣不信任案に相乗りをまさにしようとしたときである。この辺の事情を狐と狸の化かし合いは狐の勝ちだったが・・・で述べたが、小沢グループのこの動きは党内融和にはほど遠い行為であったと思う。そのようなグループを依然として党内融和のために民主党内に残さないといけないのだろうか。国民にはさっぱり分かりかねる党内融和を口実に、小沢氏の党員資格停止の解除を公言する輿石氏を幹事長に選んだ野田氏を新代表に選んだ国会議員は、どのような反応を示すのであろうか。

政調会長に前原氏をとのニュースが今流れてきた。結果がものを言う。成り行きをしばらく眺めることにしよう。

島田紳助事件のもやもや

2011-08-28 19:57:22 | Weblog
売れっ子のタレント島田紳助さんが突如芸能界からの引退を宣言して、マスメディアは大騒ぎである。すでに報道されているが、あらためて紳助所属事務所が報道陣に配布した引退に関する文書のなかに、次の文章がある。

 弊社の調査によれば、島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さを伺わせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明いたしました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビ等のメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。

この強調部分を紳助さんも指摘して自ら引退へと踏ん切ったのであるが、私には紳助さんがどれほどの「悪」なのか自分で判断出来る情報を持ち合わせていなので、ことの軽重がすんなりとは飲み込めなかった。それよりも「ヤーサン」があたかも不可触民のように扱われていることの方が気になった。不可触民とは、「ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり「触れると穢れる人間」として扱われてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞くことさえいけないとされた(ウイキペディア)」。

事の起こりは10年以上も前のことである。asahi.comによるとこういうことがあったらしい。

 関係者によると、十数年前、関西テレビ(大阪市)制作のバラエティー番組「紳助の人間マンダラ」での島田さんの発言をめぐり、同局に街宣車が来てトラブルになった。芸能界を辞めようとまで悩んだ島田さんは、渡辺被告に相談。渡辺被告が組長に話をつなぎ、トラブルは解決したという。

これは仕事の上のトラブルである。普通なら所属事務所(吉本興業?)に相談して何とか対策を練り、それでもうまくいかなかれば警察に相談して、と市井人の私は思うが、おそらく紳助さんは所属事務所も警察も頼りないならないと思ったのであろう。個人的に信頼する友人に相談した。私はそう推測する。

昔からの友人に相談したら、その友人がいつのまにか「ヤーサン」になっていたと受け取られる報道があったが、「ヤーサン」が身近にいたのが良かったのか悪かったのかである。私は山口組の本拠とされる神戸に住んでいるが、少々とろいせいか街を歩いていて「ヤーサン」とすれ違ったとかいう経験はない。その「ヤーサン」とバッチリ出合ったのが大阪・動物園前一番街の中であった。古着屋に袴を買いに出かけたときのことである。明らかに挙措の目立つ人たちが何人かずつかたまって歩いている。「ヤーサン」だと直感してしばらくその動きを追った。キビキビしていて男っぽくてなんだか引きつけられそうになる。やがて商店街の中にある建物、それがおそらく彼らの事務所なのであろう、その中に入って行った。たまたま何か集会の折りに出合ったようである。もうかれこれ10年ぐらい前のことであったが、あの事務所、今でも残っているだろうか。私は残っているような気がする。なぜなら事務所も含めて「ヤーサン」があの商店街の人々に溶け込んで生活をしているような印象を抱いたからである。もともと昔から日本ではそうであったように。

別の「ヤーサン」と出合ったのも大阪であった。心斎橋で大阪では老舗のコーヒ・チェーン店を見つけた。レトロっぽくって感じが良さそうなので扉を開いた瞬間、もうもうと押し寄せる煙草の煙にたじろいでしまった。禁煙が声高に叫ばれているこのご時世に、これは凄い喫茶店だと思い逃げだそうとしたが、ある好奇心に誘われて入ることにした。なんだか客筋がおかしいのであるが、謎は直ぐに解けた。一人の人物が入ってくると客がそれぞれ丁寧に挨拶を交わすのである。それを聞いて間違いなく「ヤーサン」と判明した。これは面白いと私も徹底的に観察することにしたが、おそらく私が座り込んでいる間に入ってきた客に「素人」は居なかったような気がする。この喫茶店、「ヤーサン」のオアシスなのであろう。そういえば女性もその筋に人らしいのである。いわゆる「あねさん」で、私の直ぐ横の席で煙草をぷかぷか吹かしているのも「あねさん」の風格がある。「煙草を遠慮してくれ」と言って反応を見たい気もあったが、もちろん大人しくしていた。

たったこれだけの経験に過ぎないが、神戸より歴史の古い大阪では、地元の人と「ヤーサン」が折り合いをつけながら共存していく術を自然と身につけてきているのではないかと思った。過去何十年にわたり法律まで次から次と作って警察は「ヤーサン」を反社会的勢力とまで呼んで撲滅する姿勢を示しているが、現実には「ヤーサン」は大きく減少することもなく、現在でもおよそ8万人足らずの「ヤーサン」が健在であるという。東日本大震災で現在の避難者が8万人前後と言われるが、それに相当する「ヤーサン」が生き残っていることは、日本の社会がどこかで彼らを受け入れているからこそ可能なんだと思う。共存が成り立っているのである。その「庶民社会」での生活感覚で「ヤーサン」が反社会的勢力にすんなりと繋がっては行かない。なぜなら反社会的勢力なんて「警察用語」に過ぎないからである。

もう何十年も前から兵庫県に新任の県警本部長が赴任してくると、必ず「山口組撲滅」を誓った。でも実績を残すこともなく去ると、また新しい県警本部長が同じ新任挨拶を繰り返すのがならいとなっていた。そして実績も残さずまた去っていく。さすが気恥ずかしくなったのだろう、最近では「山口組撲滅」を口にしなくなったようである。なぜ警察が反社会的勢力を撲滅出来ないかと言えば理由は簡単で、警察なんてサラリーマンの集まりで、仕事が出来なかったからと言って給料が召し上げられることはない。それに反して「ヤーサン」は仕事が取り上げられてしまうと食べていくことができない。生死がかかっている。要するに仕事に対する真剣度が「ヤーサン」の方が格段に上で、警察が新しい手を考え出しても衆知を集めて必ずそれを上回る対抗策を編み出すのである。これはアメリカのある経済学者の理論を私なりに敷衍したもので、ほとんどの方に納得いただけるのではないかと思う。

まともには勝てない警察がきわめて卑怯な手を編み出した。それが「ヤーサン」の差別化であると私は思う。今回の紳助事件で芸能事務所が出した声明に、私は「ヤーサン」があたかも不可触民のように扱われていることの方が気になった、と述べたが、これは一芸能事務所だけの判断で出来ることではない。いわゆる警察の指導を受けてこのような決まりを作りあげたのであろう。もちろん犯罪を犯せばそれなりの処罰を受けないといけない。しかし社会となんとか共存している「ヤーサン」を、警察が己の面子のために棄民として排除しようとしているのは不条理にように私には思える。「ヤーサン」でない生活の途を社会が与えられない限り、この問題が永遠に解決しないように思う。