日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

牡丹が花開いてまたまた一弦琴「牡丹」を

2011-04-28 21:04:09 | 一弦琴
昨年は牡丹のつぼみの状態で一弦琴「牡丹」を披露したが、今年は大輪の花がたくさん開いた。といってもたった一株、もう少し増やしてやろうと思っていたのに機を逸してしまった。のんびりと構えていると季節がせっせと私を追い越していく。何事もタイミングが大切だと言うのに。


そしてまた一弦琴「牡丹」を奏でた。演奏て、永遠に進化するものとみえる。いや、退化があるのかも知れない。



久しぶりに一弦琴「住江」を

2011-04-15 10:35:48 | 一弦琴
去る3月、東日本大震災の数日前に甥が結婚式を挙げた。妹はすでに中学生、小学生の母親なのに跡取り息子(古いか!)の彼は四十路の半ばにしてまだ独り身で両親をやきもきさせていた。ところが昨年の敬老の日にかくかくしかじかと両親に打ち明けたそうである。友人の紹介で知り合ったまだ三十路の彼女と二年ほど付き合っていたとか。華々しくすることもあるまいと、親類縁者だけのこぢんまりとしたしかし心温まる結婚式と披露の集いとなった。

私も「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ・・」と、国民学校で暗記させられて七十年近く経っても滑らかに口をついて出る教育勅語の一節を祝いの言葉とした。彼の家系は明治の元勲に繋がりがあるので、ついそういう流れになってしまった。若い人にはチンプンカンプンだったかもしれないが、翁にでもなった心地がしたところで、謡曲「高砂」から詞をとった一弦琴「住江」を献じた。こういう席での私の一弦琴初デビューである。



清虚洞一絃琴宗家四代目の生演奏を鞍馬寺にて聴く

2010-09-12 20:23:54 | 一弦琴
昨日の鞍馬山は暑かった。いや、行くまでが暑かった。ケーブルを降り、鞍馬寺金堂前の四明閣にたどり着くのに坂道と階段を登っている間に、頭から水を浴びたように汗をびっしょりかいてしまった。その汗をどう処理したかはさておいて、そこまでして何故わざわざ鞍馬寺までやって来たかというと、「義経祭奉賛の催し 清虚洞一絃琴 奉納演奏」なる催しがあって、そこで演奏される清虚洞一絃琴宗家四代目峯岸一水さんの一弦琴を聴くためなのである。

清虚洞一絃琴についてはホームページがあるのでそちらをご覧いただければよいが、私も細い糸ながら清虚洞一絃琴につながりがある。というのも私が以前師事していた師匠が清虚洞一絃琴宗家三代目から名を頂いているし、また私自身、国立国会図書館にてPhotoshopとIllustratorで「清虚洞一絃琴譜」のお手入れなどに記したことであるが、今も流祖・徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」を教本として日々一弦琴を奏でているからである。その宗家の演奏がわざわざ東京まで行かずとも鞍馬寺で聴けるのだから、炎天下をものともせずにやって来たのである。

宗家の演奏は斉藤一蓉 詞・曲の「偲義経(しのぶよしつね)」と、ご自身の曾祖父、徳弘太 詞・曲「泊仙操」の春・夏の部であった。始めて聴いた「偲義経」は鞍馬寺の義経祭奉賛のために作られたのであろうか、聴いていると軍記物の世界に引きずり込まれる思いがした。めり張りのあるダイナミックな演奏がとても流麗で、一弦琴の新しいジャンルの出現を感じた。「泊仙操」は全部を演奏すると20分ほどかかる大曲で、私も一応師匠に教えていただき一弦琴「泊仙操」からで少し触れたことがあるが、今回は四季のうち春・夏の部が演奏された。

演奏が行われた屋根付き舞台は屋外にあって、前・左右の三方は露天に広がり、前の広場に張られた天幕下に並べられたベンチが観客席であった。このような開放的な場所で演奏するのに拡声装置を使う様子もなかったので大丈夫かな、と思ったが、いざ演奏が始まるとこの野趣味がなかなかよかった。観客は数十人いたが、周りは参詣客が自由に動き回っているので話し声に足音が結構耳に入る。しかし琴の音はよく通るし峯岸さんの歌声もちゃんと聞こえてくる。CDなどで下手な音響加工をされると人工的になって、特に一弦琴の演奏では本来の持ち味が失われてしまうが、拡声装置も使わない生の演奏を直接聴けたのがとてもよかった。

峯岸さんの歌声は素直で落ち着きがあり、いわゆる邦楽らしさから自由なのがいい。長唄とか十三弦などで喉を鍛えている方が一弦琴に転じて歌うとそれはそれで趣があってよいが、「ちょっと簡単にここまではこれないよ」と突き放された気になってなんだかよそよそしさを感じてしまう。峰岸さんの歌にはそういう「邦楽臭」を感じさせず、それでいて自分の感情やイメージをちゃんと表現出来る声が出来上がっているので、あのオープン・エアをものともしないのがとても印象的だった。お腹が声をよく支えているせいだろう。歌に耳を傾けていると、「あなたでも気持ちよく歌えるようになりますよ」というもう一つのメッセージも伝わって来た。

本音を申すと、私はお稽古ごとにのめり込んだご婦人方が無闇にあがめ奉る?家元とか宗家とかいう存在にとくに関心はない。しかしプロとしての家元を周りが育て盛り立てていくための制度としてみると、それなりに納得できるところもある。一方、プロである家元・宗家は、たとえば一弦琴を奏でることを喜びとするアマを育てるのが責務であり、その意味ではプロトアマの間には、囲碁・将棋の世界で明らかなように、判然とした力の違いがあってしかるべきである。一弦琴のアマを自認する私にとって、何かを学び取ることの出来るプロの存在は精進に欠かすことの出来ないものだと思う。その意味で清虚洞一絃琴宗家四代目峯岸一水さんの演奏に触れることができたのは大きな収穫で、同時に周りの方々の支えを多とする思いに駆られた。

演奏に参詣者が撞くのだろうか鐘の音がかぶさってくるのもこういう場ならではの風情で、ほぼ80分に及ぶ一弦琴の演奏と話を心から楽しんでいる間、心地よい涼風がすっかり汗を吹き払い去っていた。

おことわり
この文章で「一弦琴」と「一絃琴」を混用しているが、私は従来から「一弦琴」を用いているのでそのまま使っている。しかし「一絃琴」が使われている場合には「一弦琴」に書き直すことをせずそのまま用いた。考証の材料になりそうである。現時点でGoogle検索を行うと「一弦琴」では約49000件が、「一絃琴」では約18000件が引っかかってきた。

一弦琴「漁火」の演奏をiPhone 3GSで録画

2010-07-12 11:49:52 | 一弦琴
iPhone 3GSでビデオ撮影をする時に、iPhoneをミニ三脚で保持してその傾きの角度などを自由に変えることが出来ればいいなと思いAmazonで調べたところ、次のような適当な商品が見つかったので注文した。送られてきたのは「上海問屋アマゾン店」からである。


携帯電話用三脚固定ホルダーでiPhoneを固定してミニ三脚に取り付け、一弦琴を俯瞰出来るように高さを本でかさ上げした。後ろに置いた手鏡でスクリーンを見ながら角度を調節した。


演奏したのは久しぶりの「漁火」で、その様子を記録しているという意識があるとやはり無心になれない。そのくせその録画を人目にさらしながらも恬として恥じるところのないのが素人の強みであろうか。前回はトリミングに失敗したので評判のビデオ加工のソフト「iMove」を購入しようとしたところ、「このアプリケーションはこのiPhoneとは互換性がありません。このアプリケーションはフロントカメラ機能を必要とします」とのメッセージが現れたので購入を断念した。iPhone4用ということだろう。でも今回は何とか上手く行ったと思う。




一弦琴「須磨」の演奏をiPhone 3GSで録画

2010-06-22 18:57:04 | 一弦琴
昨日、茶色の水道水の流れ出るところをiPhone 3GSでビデオ撮影し、編集の上YouTubeに投稿したが、一連の操作が簡単だったので、今度は一弦琴の演奏を録画してYouTubeに投稿してみることにした。

iPhoneのレンズがこちらを向くように出窓の縁に立てかけ、私の顔を撮さないよう位置を調整した。後はその前で演奏するまでで、日常姿でご免遊ばせ、である。日ごろこのように一弦琴を気楽に奏でて楽しんでいる。編集ではトリミングの位置を正確に定めるのが難しくて、最後のところが少し切れてしまった。YouTubeに以前投稿した「須磨」は弦の張り方が適切でなかったので、これを機会に削除した。





一弦琴 新しい糸を本来の意図で使う

2010-05-21 16:47:21 | 一弦琴
5月15日にYouTubeにアップロードした一弦琴「夜開花」は琴糸屋さんで特別に作って頂いた糸を張ったものだった。特別に、との思いがあったものだから落ち着いた音色をそれなりに気に入っていた。ところがあることから、新しい糸を本来の意図とは異なる使い方をしていたことに気付いたのである。

一弦琴を習い始めた頃、開放弦の音を調子笛の「D」に合わせていた。音程が低くて私には唄いにくかったけれど、お師匠さんに訓練すれば低い声が出るようになります、と言われて少しは努力したが、しんどいだけであった。何年かたつうちに、「D#」で合わせることは認めていただいたが、私が唄いやすいのは「F]、歌によっは「F#]である。いつかは自分の声に合わせた調弦をしたいと思っていたが、お師匠さんから離れてそのチャンスがやって来たのである。

これまでの糸でたとえば「F」に合わせると、糸が細いだけにキンキンした音になってしまう。そこでもう少し太めの糸を使えば張りを少々強くしても余韻のある音が出るだろうと考えたのである。まず少し太めの三味線の糸を試してみたが、低音の魅力に惹かれとことと、太い糸を強く張ることへの抵抗感から、調弦の基準音は上げたものの現実には1オクターブ下の音を出すように調弦したのである。

このようなことがあったので、これまで長年使ってきた糸よりも太い糸をせっかく作ってもらったのに、張りを強くしてより高い音域の音を出すべきところ、かえって張りを弱くして目指す音域より1オクターブ低い音を出していたのである。そして声域は1オクターブ上げていた。ところが張りを弱くしたせいで、従来の糸で合わせた徽の位置とかなり異なるところに勘所が移ってしまう。何かがおかしいと思うようになったが、最初の意図をころりと忘れていたのである。ところがつい最近、これまでの糸に張り替えて演奏する機会があって、その糸の張り具合が新しい糸の張り具合と余りにも違うことに気がついたのである。肌の弾力にたとえると乙女と媼以上の違いがある。その瞬間、そうだ、張りを強くして高い音でもきれいに出せるように太めの糸を作ってもらったのだとの本来の意図を思い出したのである。下は新しい張りでの演奏である。以前の演奏もしばらくは比較のために残しておくことにした。ゆくゆくは、曲に合わせて糸の種類、張り方を選んでいくのもいいなと思いはじめている。





一弦琴「夜開花」を新しい糸で

2010-05-15 13:29:35 | 一弦琴
少し前に、琴糸を作っている「丸三ハシモト」さんの工場を訪れたことを紹介した。その時に買い求めた一弦琴用の太口糸で「須磨」を演奏してみたが、同じ音域でももう少し糸を強く張れれば響きがよりよくなるのではないかと思い、やや細めの糸を作っていただくことにした。ある程度まとまった量を購入するという条件で快く引き受けていただき出来上がりを楽しみにしていたところ、数日前宅急便で届いた。

新しい糸で山田一紫さんの作詞・作曲になる「夜開花」を弾いてみた。私の声の音域に合わせた調弦で、確かに弦の響きに味わいが出てきたような気がする。実は糸の太さを少し変えるだけで、弦の弾き方など工夫が必要だなと思うようになりいろいろと試しているところである。一弦琴自体のサイズを変えない限り、この新しい糸はまさに私向けに作られたように感じるので、よい音を出せるように精進を重ねていくつもりである。



一弦琴の糸をもとめて そして「須磨」を演奏

2010-04-25 18:45:55 | 一弦琴

「絹の調べ 湖国にあり 琴糸(滋賀県長浜市)」の見出しが目に飛び込んできた。次のように始まるasahi.com(2010年4月10日)の記事である。

 滋賀県・琵琶湖の北に位置する長浜市木之本町。江戸時代に北国街道の宿場町として栄え、本陣跡や古い商家が面影を残す。

 3月半ば。初春の冷気に包まれたこの旧宿場町の一角で、琴糸づくりが進められた。

 和楽器糸製造の「丸三ハシモト」。工場1階の板張りの部屋に400本の糸が張り巡らされている。極細の生糸から撚(よ)りあげた絹の糸が、窓から差し込む陽光を受け、つややかに輝く。

 白が琴、黄色が三味線の糸。三味線の糸はウコンの染色だ。糊(のり)で煮込んだ糸を、余熱のあるうちに張っていく。さらしで糸を挟んで引っ張り、余分な糊を取り除き乾燥させる。「糸張り」で仕上げにさしかかった。琴糸づくりの工程は計12。ほとんどが手仕事だ。

ネットで調べてみると一弦琴の糸も製造している。かなり以前に太さのことなる糸を張り替えて演奏を試みたことがあったが、それは三味線用の糸であった。もし一弦琴用に太い糸があればいいなと思い、「丸三ハシモト」に電話をした。娘さんと名乗る女性が私の数々の問いかけに親切に答えて下さったが、百聞は一見にしかず、ということで約束を交わした上、昨日工場に車で出向いたのである。

かってのお師匠さんも「丸三ハシモト」さんから糸を入手しておられたようである。話をしているうちに分かってきた。その糸に加えてさらに太い糸が一弦琴用として作られていたことも分かり、とりあえずそれを五巻分けていただくことにした。ほかにも三味線用の糸を数巻、遠いところからわざわざ来ていただいたので、とサンプルとして下さった。


せっかくだからと工場内を案内していただき、製造工程もくわしく説明していただいた。物づくりの現場をゆっくりと拝見できて、それが珍しいことばかりなので興奮のしっぱなしであった。全ての工程がすんなりと頭の中に納まったわけではないが、実に繊細で根気の要る仕事であるはよく分かった。まゆは一年の間に何回かとれるが、春まゆだけを糸の製造につかっていること、また出来上がった糸を餅糊で煮込んだり、また表面をコーティングするが、その餅も一年分を作っては保存しておくとか、自然の素材が昔ながらの伝統技術で琴糸に加工されていく現場に深い感動を覚えた。ちなみに上の写真で糸を束ねている色つきのものであるが、これは撚りに強い和紙でこれも伝統技術品だそうである。色とその組み合わせにより太さなど糸の規格が分かるようになっているとのことで、そういう先人の智慧に嬉しくなる。

帰宅後、まずは一弦琴用の太口糸を張り、ためしに弾いてみた。以前の一弦琴「秋の御幸」男性版と同じような条件である。糸の太さを変えただけで徽(つぼ)の位置が微妙に変わるし、また弾き方によって音色も変わりやすいのでいろいろと奏法に工夫が必要になるが、私の唄いやすい音程に調節できるのが嬉しい。しかし欲も出てきた。私の思うような糸を作っていただけると、より美しい音色が期待できるような気がしてきたのである。無理を承知でお願いをしてみよう。



自宅を出たのが朝の9時15分で帰宅が午後6時45分。往きは東行きのいつものコースで阪神高速7号線から中国道、名神高速、北陸道を通り木之本インターチェンジで出た。家を出てから2時間半ほどで、高速料金が2450円。車をJR木之本駅の無料駐車場に駐め、木之本一?の料亭で食事してから工場を訪問した。そのあと、街の中を散策したが北国街道あとが「うだつのある街並み」になっており、山内一豊が馬を買い求めた馬市がここにあったようである。

帰りは以前も通ったがいったん小浜に出て舞鶴若狭道に入った。渋滞もなく高速料金は1000円で済んだ。往復がほぼ420キロメートル。高速では瞬間時速が140キロメートルは出さないように心がけたが、思ったより早く帰りついた。




なに事も古き世のみぞしたはしき 一弦琴「土佐海」

2010-04-13 18:48:42 | 一弦琴
なに事も、古き世のみぞしたはしき。今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

「徒然草」の第二十二段の冒頭である。西洋流にいえば、古代ギリシャ・ローマの作品を規範として、それにあくまでも近づくことによって自分の作品をよくするとの考えに通じるのであろうが、これこそ古典主義である。兼好にとっては平安時代が規範であった。この古典主義への反発からロマン主義が生まれたのであろうが、いずれも人の鑑賞に耐えうるものを造り出そうとする前向きの姿勢では共通のものがあるように思う。

その古典主義を新しい視点でとらえたT.S.エリオット ―二十世紀の新しい詩を打ちたてたといわれる― の意見が実によい。

「現在は過去を自身の中に生かすとき、はじめて真の現在でありうるし、過去は現在意識でとらえられるとき、はじめて過去そのものでありうる。それが伝統(tradition)の意味だ」

これはいずれ明かすがある種本からの引用で、私はこの卓見にひれ伏すばかりである。そして、一弦琴の演奏も同じだな、と直感したものだから、その思いでふたたび一弦琴「土佐海」を演奏した。考える私が演奏から姿を消してしまったとき、伝統が真に甦るのであろう。




山田一紫(Isshi Yamada)さんのCD

2010-04-12 13:02:32 | 一弦琴
山田一紫(Isshi Yamada)さんの一弦琴で述べていたように、アマゾンに注文していた一紫さんのCDが届いた。


ケースの左側に「Smithsonian Folkways Archival」とあるのは、「Music of the People, By the People, For the People」を標榜する非営利団体「Smithsonian Folkways Archival」が、世界中から収集した民族音楽などのなかから求めに応じて複製したことを示すもので、このCDは「Smithsonian Folkways Recordings」のラベルで発売されている。

収められている曲は山田一紫(Isshi Yamada)さんの一弦琴で紹介した5曲のみで、もしかしてと期待した「夜開花」はやはりなかった。その代わりというか、解説書がpdfファイルとして収められていた。「Smithsonian Folkways」のホームページからもダウンロードできるので、関心をお持ちの方にはどうか御覧あれ。

解説者はJames Yamadaさん、一紫さんのお連れあいだろうか。これによると一紫さんは6歳から長唄を習い始められたとのこと、そして長唄以外に河東節、荻江節でもそれぞれ芸名をお持ちだったそうである。私の目をひいたのは、九代目海老蔵が十一代目團十郎を襲名したさいに演じた歌舞伎十八番の一つ「助六」に同じ舞台に上がったということである。「助六」には河東節がふんだんに出てくるが、一紫さんがその河東節を指導してみずからも演じたとのことである。「助六所縁江戸桜」は河東の「助六」か、「助六」の河東かといわれるくらい河東節の代表となっているとのことであるが、面白いのはこの河東節を専門にする人が昔も今もきわめて少ないために、内緒裕福な旦那衆をはじめとする愛好会に属する素人が語りを務めていたといわれるので、一紫さんにもそのような形でお声がかかったのだろうか。素人といっても歌舞伎十八番の舞台に上がるくらいだから、腕前は玄人はだしであったのだろう。そういう豊かな素地をお持ちの一紫さんだからこそであろう、1958年に一弦琴を始めて早くも5年後の1963年に一紫の名を師匠の山城一水さんから頂いておられる。その演奏がこういう形で残されていることが実に有難く嬉しく思う。