日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ハンセン病訴訟判決に参審制をおもう

2005-10-28 13:34:19 | 社会・政治
「苦しみ同じなぜ差別」ハンセン病訴訟 (産経新聞) - goo ニュース

朝鮮、台湾はかって大日本帝国の植民地だった。そのころ日本内地と同じく朝鮮、台湾でもハンセン病患者が隔離政策のもと療養所に強制収容されて過酷な生活を強いられた。かっての入所者が平成十三年に出来たハンセン病補償法で救済されることになったが、《国は「戦後の国内における隔離政策の救済を念頭にしたもので、戦後、主権が及ばなくなった外国の施設入所者は対象でない」としていた》そうである(毎日新聞)。

旧植民地、朝鮮と台湾の被害者がその補償を要求して起こした訴訟に関して東京地裁でそれぞれの判決が同じ日に相次いで下された。台湾側原告は勝訴それに対して韓国側原告は敗訴したというのである。

同じ状況に置かれた被害者なのになぜ判決が相反したのか、各メディアがそれぞれ解説を加えているが、『法の前に平等』とは下手すると絵空事になりやすい典型的な実例であると私は思った。

日本の裁判官は『優秀』だと聞く。忠実に職責を果たした結果が異なる結論になったということは、裁判官が判断の拠とする『法律』に問題があったのかなと私は考えてしまう。『法律』は国会で定められるが直接の利害をもたない者には事柄の本質がなかなか見えにくいもの、不備な法案がそのまま通ってしまうことは十分にあり得ることだろう。

たとえ法律に不備があっても、というより不備のある場合にこそ裁判官にその裁量を期待したいのであるが、現実はどうなのだろうか。日本の裁判官は『優秀』とわざわざカギ括弧をつけたのは、テクノクラートとしてということを強調したかったからである。法律の文言解釈には人並み優れた能力はお持ちだろうが、その分、人生の機微に目をつぶらざるをえなくなっているのではと怖れる。

今回の相反する判決は『世間の常識』とは相容れない。何かがおかしい。では『世間の常識』を裁判に手っ取り早く持ち込むにはどうすればいいのか。それは市民の裁判への積極的参加であると思う。職業裁判官の思考に市民感覚を反映させる『参審制』こそ裁判を硬直化から回避させる最も有効な現実的方策ではなかろうか。




東京赤ゲット4 三井記念美術館

2005-10-19 15:16:58 | Weblog

十月八日日本橋の三井本館に開館した美術館。三井家伝世の名宝を所蔵、展示している。定家筆の「熊野御幸記」を目にして定家と隣り合わせて座っているかのような錯覚を覚えた。間に八百年もあいているのに。


東京赤ゲット3

2005-10-18 23:53:05 | Weblog

「フ-テンの寅さん」は映画を観ているぶんには楽しいが、いつ破裂するか分からない腫れ物のようなので親しく付き合う気にはならない。でもあの風来坊的生き方には惹かれているものだからこの強い雨のなか寅さんが産湯をつかったあの葛飾柴又の地までやって来た。「実家」のお隣りで天丼を平らげたが客は私一人、なんだかいい風情である。
横殴りの雨にズボンをぐしょぐしょにしながら矢切の渡しを目指したが雨で舟は欠航、決して結構ではない。
仕方がないので引き戻しお三時には早かったけれど「実家」で草だんごを美味しく頂いた。


東京赤ゲット2

2005-10-18 09:31:12 | Weblog

昨日の朝は丸ノ内の丸善本店わ先ず訪れた。九時開店とは早い。周りに合わせたのだろう。早速文具売り場でお目当てのROLODEXを探したけれどなかなか見つからない。三人目に聞いた店員さんが「あります」と言ってその場所まで案内してくれた。棚の片隅にひっそりと鎮座している。補充用のカ-ドが二組、私を待ってくれているようだった。


東京赤ゲット1

2005-10-16 20:55:40 | Weblog

ほぼ半年ぶりの東京である。東京駅に着き荷物をロッカーに預けて吉祥寺のかばん屋さんに直行した。カタログでは見ていたが手に取って実物を確かめたかったからである。幸い気にいったのがあり注文してから店主と並んで記念写真を撮った。その時に急にグラグラと地震の揺れが・・、ご亭主がさっと店の入口の引き戸をさっと開けたが印象的だった。

中央線は幸い地震で乱れることがなく一旦大井町のホテルに落ち着いてから、アトレ品川に出て食事を摂った。おなじみつばめキッチンのサラダにロ-ルキャベツのポトフそしてビール、歩いたあとなので美味しかった。


『ずっこけ風見鶏』は参議院廃止論に拍車をかける

2005-10-15 10:11:03 | 社会・政治
郵政民営化関連法が14日の参議院本会議で成立した。賛成134票に対して反対は100票で、前回に反対・棄権・欠席した30人のうち27人が賛成に転じたとのことである。名前を記するに値する反対議員は長谷川憲正と荒井広幸の両氏の二名にとどまった。

この両氏こそが参議院議員として本来期待された主張・行動を貫いたことになる。これに反して賛成に転じた27人は『ずっこけ風見鶏』を演じることで自ら参議院議員としての品格を貶めひいては参議院不要論に大きな弾みを与えたと云える。

『ずっこけ風見鶏』は先ほどの衆議院の総選挙で示された国民の意思を評価するとかどうとか歯切れの悪い言い抜けをする。「ちょっと待て」である。それなら衆議院とまったく同じではないか。付和雷同で一方に流れやすい国民大衆に《高い知性・専門知識》でもってその愚を説き、理性ある行動に押し戻すのが参議院の役割であったはずである。国民の大勢に逆らってでも自分の信念に従いその流れを逆に向けるのがその役目である。現に郵政民営化関連法の否決に際してはそのような言行を華々しく喧伝したではないか。

もちろん参議院はそのような機能はとっくの昔に放棄してしまっている。だから私も『レトリック』として上記の説を展開するに過ぎない。今回の大量の『ずっこけ風見鶏』の顕在化はあらためて参議院廃止論に拍車をかけるものとして注目されよう。

郵便局のお金が北朝鮮へ?

2005-10-09 09:38:34 | 社会・政治

朝刊を見てアレアレと思った。郵政公社がバッジシステムを導入するという。職員34万人をその接客力で星なしから星三つまでの四段階に格付けして星印のバッジを胸に付けさせるのだという。

バッジの写真を見てなぜか最初に連想したのは北朝鮮である。このバッジを胸に付けている人にお金を預けたらそのまま北朝鮮に流れていくような気になりそうだ。間違いなく預ける人が減る。郵便貯金の限度額を引き下げるという民主党案の先取りなのかも知れない。

かっての『軍国少年』が次に連想したのはいうまでもなく日本帝国陸軍の階級章である。よく言われたことだが『一銭五厘の赤紙』で兵隊に徴集されて星一つの二等兵、それから星二つの一等兵、三つ星の上等兵と上がっていく。まさか『一銭五厘の赤紙』を配達して回った昔への郷愁からの星復活とは思わないが・・・。

野間宏著の「真空地帯」に描かれたかっての帝国陸軍の内務班での『リンチ』、これは『星』のなせるわざとも云える。この『星バッジ』を導入してご覧じろ、必ずや郵便局の中で『いじめ』に姿を変えた『リンチ』が横行することは間違いない。星の数で格付けをするといつの間にかその趣旨が忘れられて『階級章』だけが一人歩きする必然の結果なのである。

職員の接客力の向上はどのサービス企業でも心がけていることでその精神を職員ひとりひとりが自分の胸に刻み込めばいいことである。客に『星バッジ』を誇示するようなことではあるまい。

『民』とは相容れない『星バッジ』という『階級章』の導入は民営化に対する最後の抵抗なのだろうか。

Tito Schipaの歌った「ラ・クンパルシータ」

2005-10-08 18:15:20 | 音楽・美術

「TANGO EN JAPON」の付録小冊子に収められている蟹江丈夫氏の解説に《ティト・スキーパの向こうを張った柴田睦陸の素晴らしいテノール》のくだりがあった。幸いなことにこのティト・スキーパのレコードに今年巡り会えた。

神戸・サンチカの一角の催し場で旧いレコードなどの即売会に珍しくも大量のLPが出品されていた。一枚一枚めくっていくのは結構手間であるがそのなかに埋もれていたのである。RCA GOLD SEALの一枚、'My Favorite Songs/Tito Schipa'で、第一曲目に1931年録音の「ラ・クンパルシータ」が収められていた。

柴田睦陸の場合は前奏のバイオリンが情緒纏綿というか思い入れたっぷりに鳴りわたるのに対して、スキーパの場合はオルケスタ・ティピカ・ビクトルの演奏が淡々と流れて歌に入る。スキーパは感情を高ぶらせることなく美しい声で端正に歌っている。これも心に心地よくしみこんでくる。両者は同じキーなので録音に少し細工を加えて交互に歌わせても面白いと思った。

柴田氏の歌詞はいわば明るい浮き浮きする『魅惑の夜』なのである。その意味ではバイオリンの前奏に違和感がある。一方スキーパ氏の歌詞は次のようにはじまる。

♪La cumparsa de miserias
 sin fin desfila
 en torno de aquel ser enfermo
 que pronto ha de morir de pena.
 Por eso es que en su lecho
 solloza acongojado
 recordando el pasado
 que lo hace padecer♪

これはヒナマリア・イダルゴの歌った歌詞と同じ、細かいことを云えば最後の二行が異なっているが要するに『重苦しい歌』なのである。この後にも歌が続くがその歌詞は多分同類なのであろうがイダルゴの歌詞とも異なる。いずれにせよスキーパとイダルゴは『重苦しい歌』を歌っていて♪麗し夢の夜のひととき あこがれの君と踊る♪だけが浮き上がっているのである。どこかにこの歌詞の原詩があるのだろうか、とインターネットで調べてみた。以下の話はhttp://totango.net/cumpar.html に基づいている。

La Cumparsitaはその当時モンテヴィデオで建築学を学んでいた17歳のGerardo Matos RodriguezがRoberto Firpoのオーケストラのために書き上げたタンゴの曲で、この楽団がウルグアイのモンテヴィデオのカフェー'La Giralda'で初演したのだそうである。どうした経緯かはっきりしないがRodriguezはこの曲の著作権を'The Breyer Publishing House'に20ペソで売り渡してしまい、当初はしばらく演奏されたこの曲もやがて忘れ去られてしまった。

7年後の1924年にRodriguezがパリでオーケストラを率いてやってきたFrancisco Canaroに会ったときにLa Cumparsitaが大ヒット曲となっていることを知った。ところがこのときにはタンゴの詩人Enrique MaroniとPascual Contursiがこの曲に新らしい歌詞を付けてその歌い出しから'Si Supieras'(知っているだろうか)と曲名まで変えていたのである。折からのローリング20年代の波に乗りこの曲がパリを席捲しそこから世界中に広まりLa Cumparusitaがタンゴの同意語にまでなった。

ここにおいてRodriguezは著作権を取り戻すべく訴訟を起こし20年に及ぶ裁判闘争が始まった。まずは出版社に対してである。すでに著作権は'The Breyer Publishing House'から'Ricordi'に移っていたが長い争いの後まず'Ricordi'が著作権料をRodriguezに支払うことを認めた。そういえば私の手元にあるピアノ譜はRicordiの出版になっている。



次は'Si Supiera'の作詞者のEnrique MaroniとPascual Contursiに対してである。この曲に対して勝手に歌詞をつけたことを問題にしてこれも条件付きではあったがRodriguezの主張が通った。しかしMaroniとContursiの未亡人が既に世界に流布している歌詞についての権利を主張しての争いが生じた。

最終的に決着がついたのは1948年9月10日である。RodriguezのみならずMaroniとContursiの跡継ぎにそれぞれの権利が認められた。細かいことは省略するが重要なことは今後この曲を楽譜として出版する際にはRodriguezの歌詞と、実は何の関係もないMaroniとContursiの歌詞を一緒に印刷するように定められたというのである。そう決着がついてしまえば現実的な解決であったと思うが、呉越同舟とは云わないまでも同床異夢のハイブリッド歌詞になってしまったのである。イダルゴの歌ではまさにそうなっており最後にRodriguezの歌詞で締めくくっている。

現実にはフランス版、アメリカ版をはじめ各国のバージョンがあるそうである。これほどポピュラーになってしまえば仕方のない運命とも云えよう。となると柴田睦陸氏の場合はその日本版なのであろう。私の憶測であるが訳詞と格好は付けたもののその実は原一介氏の創作なのかも知れない。

私はお嬢さんたちの前では『魅惑の夜』を、老人ホームでは『重苦しい歌』を歌うことになりそうである。いや、その逆がいいのかな。

柴田睦陸氏の歌った「ラ・クンパルシータ」

2005-10-07 09:32:08 | 音楽・美術

10月5日ソプラノ柴田喜代子氏の訃報に接し、思い出したのが夫君のテノール柴田睦陸氏の歌った 「ラ・クンパルシータ」である。もう何十年も前の「題名のない音楽会」だったと思う。柴田睦陸氏が出演しておられて最後に歌われた「ラ・クンパルシータ」が私をドキドキさせたのである。近頃ではクラシックの歌手がポピュラーを歌い、またポピュラーの歌手がクラシックを歌うことが珍しくなくなったが、その頃日本を代表するテナーの第一人者がポピュラーを歌ったことに驚きを覚え、またそれを高らかに歌い上げる声の伸びに魅了された。

下手の横好きながら私は何とかこの歌をものにしたいと思った。ところが楽譜が簡単に手にはいるわけでもなし、今のように簡単にCDが手にはいるわけでもない。LPを探したがすべてが楽団演奏で歌が入っているのはない。楽器屋でラテンのLPの新譜を丹念に探しているうちにようやく歌の入った「ラ・クンパルシータ」に出会った。ヒナマリア・イダルゴ(Ginamaria Hidalgo)のLPである。

彼女は語りかけるように歌い出す。あたかも回想を物語っているようである。淡々と語りがしばらく続いてからあの聞き慣れたメロディーが流れ出す。

♪La cumparsa de miserias
 sin fin desfila
 en torono de aquel ser enfermo
 que pronto ha de morir de pena
 Por eso es que en su lecho
 solloza acongohado
 volviendo a tu pasado
 te acordaras de mi♪

LPの対訳をみると、なんと重苦しい内容なのである。

「悲惨な仮装行列が
 はてしなく続いてゆく、もうすぐ悩みに死んでゆく
 あの病人のまわりを。
 だからベッドのなかで
 男は苦しげに泣く、
 『おまえの過去をふりかえれば
 おまえも私を想いおこしてくれよう』」

死に直面した男の最後の執念ともいえるはかなき願いを歌っている。

「知っているだろうか
 私はまだ心の中に
 おまえに寄せた
 あの愛情を抱きつづけていることを
 ・・・・・・・・・・・」

が歌い始めの語り、それを受けての締めくくりなのである(と思っていたが実は後日談がある)。「へぇ~、暗いんだなぁ」と思いながらも彼女の口まねに励んだ。

昨年秋、神田を歩いていると旧いレコードを扱っている店が目に入った。ビルのほとんどがそのような店で占められている。名前を思い出せばまた書き加えるが最上階にある店で主人に「柴田睦陸さんの歌っているラ・クンパルシータのレコード、もしかしてありますか」と尋ねた。なんと嬉しいことにこのご亭主、柴田睦陸氏がラ・クンパルシータを歌っているということをご存じなのである。そしてレコードは無いけれどと持ち出してきたのが「TANGO EN JAPON 1940-1964」(ビクターエンタテインメント株式会社)というCDの9枚セットでその一枚目に柴田睦陸氏の歌が収められていたのである。

「題名のない音楽会」で柴田氏の歌声を耳にしてから3、40年は経っただろうか、幻の歌声が現実のものとなった。哀切を帯びたバイオリンのイントロに続いて甘い歌声が流れる。しかし人生の辛酸を舐め尽くした深みは感じられない。それはそうなのかも知れない。記録では1940年10月発売となっているから1913年生まれの柴田氏はまだ30前なのである。それより何よりあれっと思ったのはその歌詞である。

♪月かげ淡く冴え
 木の葉をもれる風かぐわし
 春の宵たえなる楽の音にむれをなす
 風に木立は今 楽しこの夢を
 踊り狂う

 ・・・・・
 ・・・・・

 ときめくこの胸 すべてを忘れて
 腕(かいな)に抱くは うるわし眺め
 こよなき姿のあで人
 ああ・・
 麗し夢の夜のひととき
 あこがれの君と踊る♪

訳詞 原一介とあるが上のスペイン語の歌詞とは縁もゆかりもない。
なるほど柴田氏が甘く歌っているはずである。私のレパートリーも気分に応じてヒナマリア・イダルゴと柴田睦陸の間を往き来した。

しかし疑問は残る。訳詞とあるからには原詩がどこかにあるはずである。そこで原詩を訪ねてみることにしたところこの曲には思いがけないドラマがあった。

つづく

DELL3000の基盤交換

2005-10-05 15:41:57 | Weblog
朝早く宅急便が届く。「DELL殿緊急パーツ時間内指定厳守」のラベルに9時までの指定が書かれていた。マザーボードであろう。お昼過ぎにオムロンのMr.Kが到着、早速マザーボードの交換が始まった。

DELL3000の筐体はDELL4500のとは異なりメタルであることに気がついた。またPCIボードの取り付けもネジでしっかり留めるようになっており安心感がある。交換は手際よく進められ、交換後は機能チェックのソフトを走らせて異常の無いことが確認された。

問題であったUSB接続のスキャナーを電源ONのままDELLの電源を入れたもちゃんとWindowsが起動した。何回か起動を繰り返して動作に異常のないこと確認して作業は完了、約1時間の所要時間であった。しばらくは様子を見ることにするがこれで一件落着であって欲しい。