日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ポイントカードあれこれ

2009-10-30 13:43:59 | Weblog
ポイントカードなるものが溢れかえっている。何か買い物をすると、お持ちですかとかお作りしましょうかとか聞かれるが、私は断ることにしている。めったに買い物をしないところで作っても意味が無いからだ。よく使うのはヨドバシカメラのポイントカードである。販売価格の10%分のポイントが普通つくので、品物を買うときに一割値引きの割安感を味わい、次ぎに現金を使わずに溜まったポイントでパソコン関係の小物などを手にすると、また得をしたような気になる。値引きして商品を売るだけなら、買う方も満足感は一度限りだし、売る方も値引き分をみすみす失うわけだから、その意味ではポイント方式はうまい売り方のように思われる。

クレジットカードにも使用分に応じてポイントがついてくる、しかしカード会社によってポイントに有効期限が有ったり無かったりする。とここまで書いて気になたものだから調べてみると、一つのカードでこの10月末、11月末、12月末と連続してポイントの無くなることが分かった。品物カタログを見ると、今のうちだと観劇用に使える望遠鏡が貰えそうである。ということで早速注文してやれやれ、これもブログ書きの効用の一つである。これまでポイント残高をわざわざ調べたことは無かったのでかなりのポイントを失っているように思う。失効するポイントの確認にわざわざインターネットの新しいページを開かないといけないので不親切である。ところが何時になったらポイントが無くなりますよ、とわざわざ葉書で知らせてくれた親切な店があった。Brooks Brothersである。

昨日、天気も良かったのでそのBrooks Brothers神戸店に出かけた。お客さまのポイント有効期限は11月2日まででございます、とわざわざ知らせてくれたので、ちょっとまとまった金額になるポイントを失うのは勿体ないと思ったからである。ただその通知に一つ分かりにくいところがあった。お客さまは現在○○○○ポイント、5000ポイントごとに5000円分としてお使いいただけます、とある。では○○○○ポイントから5000ポイントを引いた残りがどうなるのかが分からない。無効になる恐れもある。そこで電話をしたところ、カード最終使用日より2年間は有効期限が延長されることが分かった。その間にまた買い物をすれば残りポイントがふくらんで5000ポイントを超えるようになるかも知れない。5000ポイント単位で使わせることが購買意欲を刺激すると考えているようだ。さすが商売人である。

店で2625円(本体価格 2500円)の値札のついた品物を二点購入した。5000円分はポイントが使えるとして、消費税分の250円は別途支払うつもりでいたところ、なんと、余計な支払はなくて5000ポイントだけでその二点を手にすることが出来た。品物をポイントと交換した形になっている、だから消費税を支払う必要はないのだな、と一人合点した。しかし同時に新しい疑問が生じた。ヨドバシで価格の一部をポイントで支払ったことが何回かある。たとえば5000円の商品に対して3000ポイントを使ったとすると、消費税はその差額の2000円分について払うのだろうか。手元にそのような買い物をしたときの領収書がないのでなんとも言えないが、今度注意して見ることにする。

私が本当に欲しいのは書店のポイントカードである。本屋にやる気があれば出来るはずだが、何故しないのだろう。以前ジュンク堂で1万円以上の買い物をすればで紹介したようなサービスが、ある条件下ではあるが現在でも続いている(サービスのDrink ticketは300円分に下がっているが、コーヒが一杯飲めることには変わりがない)。これまでも時々あったが、さる10月27日に数点本を買ったらレシートがピンクだった。秋の読書キャンペーンとかで11月9日までにピンクレシートを集めて、1万円ごとにQuoカード500円分と引き替え、5千円ごとにオリジナルバッグ、2千円ごとにポケットティッシュカバーと交換するというサービスである。期間限定であれこのようなことが出来るのだから、ポイントカード発行にぜひ踏み切って欲しいものである。それなれば本にポイントのつかないAmazonではなくてジュンク堂を贔屓にするつもりである。

迷走鳩山内閣 沖縄基地問題 日本郵政人事 はりぼて護衛艦

2009-10-28 16:20:19 | 社会・政治
「政治が面白くなった」を今朝Googleで検索すると271万件のトップに私の過去記事、政治が面白くなった そして最先端研究開発支援プログラムの2700億円はが出てくる。9月19日の記事である。ところがここでも取り上げた最先端研究開発支援プログラムの扱いがあまりにも場当たり的であったので、一昨日最先端研究開発支援プログラムを凍結出来なかった民主党でも述べたように、民主党政権への期待が早くもしぼんでしまった。そう思ってみると、鳩山政権発足から一ヶ月であれやこれやの問題が表面化し始めて、「政治が面白くなった」なんて喜んでおられなくなってしまった。

昨日の朝日新聞の記事である。制御の働いていない内閣の現状を象徴している出来事だと思うので、長くなるがそのまま引用する。

首相らの「答弁資料」作成指示 内閣総務官室、すぐ回収

 鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官の臨時国会での答弁について、首相官邸の内閣総務官室が22日付で各省の事務方に対し、「答弁資料」を作成するように文書で指示していたことがわかった。ただ、27日になって同室は「政治サイドの意向と異なっていた」として、指示文書の回収を始めた。

 指示文書は、冒頭、「国会答弁資料について、これまで同様、各省庁のご協力をお願いします」との表現で資料づくりを要請。さらに「国会答弁資料についての留意点」として、「総理答弁にふさわしい格調高い表現にしてください」「質問の趣旨を踏まえた簡潔な内容に」「『~に資する』『適切に対応する』など役人にしかわからない表現は使わないで」「両論併記は認めない」など、書きぶりに至るまで具体的に注意喚起する内容になっている。

 関係者によると、指示文書は、自公政権時代に国会開会前に出されていた内容とほぼ同じという。ある省の担当者は「目新しい内容ではない」としている。首相官邸の高官は27日、記者団に「答弁は官僚が書けばいい。官僚から上がってきたものに(政治家が)手を入れればいい」と述べ、政権交代後も各省による答弁資料づくりを事実上認める考えを示した。

 一方、平野氏は同日の記者会見で、「(指示文書が)出されたことを初めて知った。私から指示したわけでは全くないし、首相からも指示していない。私どもが求めている政治主導からみれば、逆行していると認識している。(指示文書の)撤回を含めて考える」と述べた。また、首相は27日朝、東京都内で記者団から「官邸から官僚に答弁作りを指示したのか」との問いかけに対し、「指示はしていない」と語った。

この伝えられる指示の中身はともかく、この指示を出した首相官邸の内閣総務官室の責任者は当然この書類に名前が出ているだろうから分かっているはずである。さらに強調部分の首相官邸の高官も記者団に語った当人だから新聞社にその人物は分かっているはずだ。ニュースソースをこのように恣意にぼかす報道姿勢こそが国民の知る権利を抑圧していることを、いいかげん新聞社などマスメディアは覚るべきである。と、まず一言。

それにしても官房長官、首相の意に反してこのような指示が内閣総務官室から出される事実が、事務ラインすら制御できない民主党政権の無秩序ぶりをあらわしている。首相おひざ元でのこの有様を鳩山首相はどう言い繕うのだろう。そう言えばテレビで観る限り鳩山首相は未だに私邸から首相官邸にご出勤のようである。当然警備の問題など余計な面倒を周辺にかけていることになる。何をどう考えているのか分からないが、即刻公邸に移り、それでもって一身を国に捧げて政治に邁進するとの姿勢ぐらいは見せてどうなんだろう(と書いてから、今日28日に公邸へ引っ越しとのニュースを見たが、文章はそのまま残しておく)。

事務ラインすら制御できないのだから、閣僚の発言に手綱を引き締めるなんて出来ないのは当然なのかも知れない。しかし沖縄基地問題について、総理大臣、外務大臣、防衛大臣、それに加えて消費者・少子化担当大臣までが何を考えてか思い思いのことを喋っているのでは内閣の体をなしていないではないか。沖縄基地問題は日本だけで決められることではなく、米国の合意を必要とする。自・公民政権時代に出来た合意事項を、日本側の政権が変わったからと言ってそう簡単に変えられるよは常識的には考えられない。素人目ではあるが米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)をキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市)に移設するという自・公民政権下の日米両政府の合意を結局は踏襲することになるだろうと思う。その意味では北沢防衛大臣は仲井真沖縄県知事から「基地問題をレトリック・ことばの言いかえで処理しようというのは、やはり軽い。内容的にポイントを押さえるべきところは押さえて、関係者とよく相談して決めてほしい」と批判されながらも、現実路線への露払いをしたことになる。防衛省官僚からグーのねも出ないほどの素晴らしいレクチャーを受けたのだろうか。そうなればもちろん社民党は鳩山政権から離脱、福島党首は座り心地の良い野党席から思いっきり黄色い声を張り上げることが出来る。

亀井静香郵政・金融担当相も早く閣外に出て欲しいが、今日の日本郵政臨時株主総会における役員人事の決め方を見ていると、彼こそ平成ご一新の担い手としてツボを心得ている大臣だと感じた。人事の内容はともかく、取締役選任の透明化のために置かれたとされる「指名委員会」を素通りして、100%株主の政府が人選をまったく政治主導で行った。この果敢さこそご一新に必要だったのである。総合科学技術会議の扱いとは対照的で、それを断行した亀井大臣のセンスを私は素直に評価したい。毀誉褒貶が終生ついて回ることを彼は恐れなかった。後は成り行きを見守るだけである。

昨夜関門海峡で韓国のコンテナ船「カリナスター」と衝突した護衛艦「くらま」の艦首のぐしゃぐしゃになった哀れな姿を映像で見て、元軍国少年は絶句した。「軍艦」がぐしゃぐしゃになっているのに、民間のコンテナ船は船首右側が欠け炎上のあとはあったが原形はうかがい知れる程度であった。当たり所が悪かったなんて言わせない、民間船にも歯が立たなかった「はりぼて」護衛艦を造った責任者出てこい!税金返せ! である。

少々品が悪くなりだしたので、今日はこの辺りでやめておく。





最先端研究開発支援プログラムを凍結出来なかった民主党

2009-10-26 17:32:55 | 学問・教育・研究
かずかずの物議を醸した最先端研究開発支援プログラムの補正予算額は当初2700億円であったが、最終的には1500億円に縮小され、このうち1000億円は麻生内閣によりすでに交付が決定された30人の先端研究の研究者に、500億円は新に公募する若手・女性研究者に振り分けられることなった。元々の先端研究への予算規模が三分の一強に減ってしまったことになる。そしてこの30人の研究者に対しては新しい運用方法が適用されることを10月23日の毎日新聞(東京朝刊)を次のように伝えている(一部抜粋、以下同じ)。

最先端研究開発支援プログラム:科学技術会議、新たな運用方法
 30人の研究者に大型の研究資金を配分する「最先端研究開発支援プログラム」について、総合科学技術会議有識者会合は22日、研究資金の上限を50億円とした新たな研究計画案の提出を30人に求めるなど、新しい運用方法をまとめた。30人については従来、他の研究資金を返上し、このプログラムに専念、海外在住者は帰国するという義務が課せられていた。今回、専念義務は解除し、帰国義務も「弾力的に運用する」と方針変更した。【奥野敦史】

私に言わせると最悪の決定である。同じ毎日新聞は9月5日に次のように伝えていた。

最先端研究開発支援:2700億円基金、対象に山中教授ら 民主「凍結も」
 ◇「拙速」に批判
 プログラムは、緊急経済対策を主眼とした09年度補正予算に盛り込まれた施策で、565件の応募があった。日本経団連の産業技術委員会が4月にまとめた提言がベースになったとされる。麻生太郎首相は当初から「(配分先は)自分が決める」と在任中の選定に意欲を見せ、約1カ月半の間に10回も会議が開かれるなど急ピッチで審査が進んだ。審査した委員からは「金額が大きいだけに、もっと時間をかけるべきだ」との意見も出たが、事務局の内閣府は「選定に時間をかければ、研究をする期間が短くなる」と押し切った。

 落選した基礎科学系のある研究者は「ヒアリングは説明10分、質疑10分。これで何が判断できるのか。今決める必要はなく、拙速に過ぎる」と疑問を呈した。

 一方、民主党は補正予算の執行を一部停止する方針を打ち出している。岡田克也幹事長は4日の記者会見で「この時期に決まることに違和感を覚えないわけではない。場合によっては凍結することは当然ある」と含みを持たせた。

そして9月28日の朝日朝刊社説も「拙速」を次のように取り上げている。

先端研究支援―視野を広げて見直しを

 鳩山新政権の発足を前にした今月初め、麻生前政権がまさに駆け込みで、対象の研究者30人を決めた。

 これに対し、当時、民主党幹事長だった岡田克也氏は「政権発足後に精査の対象にする」と述べた。新政権はいま補正予算見直しを進めており、文部科学省はその執行を止めている。

 独創的な科学技術は、日本の将来にとってきわめて重要だ。ましてや、巨額の予算を振り分けるのだから、公正で、かつ効果的でなくてはならない。

 だが、今回の選考はあまりに拙速ではなかったか、という声が学界などからわき上がっている。

 公募期間は3週間で、構想を練る時間は少なかった。600件近い応募に対して、選考期間はわずか1カ月しかなく、専門家の意見を十分に聞くだけの余裕も少なかった。

 この計画はもともと緊急経済対策の一環として提案されたが、法案審議のなかで、先端研究の推進は決して臨時の措置ではないとクギを刺したうえで民主党も賛成し、可決された。

民主党は「拙速」を問題視し、また先端研究が補正予算が第一に目指した緊急経済政策に埋没せずに、本来の科学技術政策の一環として推し進められることを主張したものと思われる。きわめて常識的な判断でその点では私も同感であった。そして民主党政権(三党連立であるが、思うところありなので民主党で通すことにする)になり、ここで抜本的な見直しが当然あるもとの思った。緊急経済対策の枠外とするなら、今の今、先端研究に慌てて予算を投入することはない。さらに採択課題の決定が拙速であるとするのなら、すべての計画を振り出しに戻すべきなのである。私はそうなることを期待したが、採択課題はすべて残し、研究費の金額のみを減額のうえ組み直させるという「拙速」を上回るまさに無原則の愚行をしでかそうというのだから、開いた口がふさがらない。

研究者のなかからも次のような問題点が指摘されたと、民主党科学技術政策ワーキングチームの一員である参議院議員藤末健三氏が次のように紹介している。

 採択プロジェクトが決定した後、本制度には直接関係がない私のところにも数多くの研究者や関係者から問題を指摘するメールが入りました。直接私の事務所まで来られた方も何人もいらっしゃいます。

 こうした話をまとめると、

(1)すでに十分な研究費をもった研究者に研究費が集中しすぎ。若手研究者に研究費を回すべき。著名な研究者に数十億円の研究費が集まると、その研究者に多くの若手研究者が集まらざるを得ず、若い研究者が新しいテーマに挑戦する機会を逆に奪ってしまう
(2)巨額の研究費の配分を決めるにしては審査手続きが不十分。実際、相当な労力を使い申請書を書いたのに数十分くらいの審査で終わった。審査委員が研究分野の専門家ではないことも問題
(3)研究費が大きすぎて、研究費がずさんな使われ方をするのではないか。例えば、研究評価は総合科学技術会議が実施することになっているが、これでいいのか疑問。プロジェクトを選択した組織が、自分自身が選択したプロジェクトを失敗だと評価するはずがない
の3点に問題点はまとめられるように思います。

私は「最先端研究助成」よりましな2700億円の使い方があるのでは  追記有りと、この研究プログラムに真っ向から反対意見を述べたが、民主党政権になって良識の復権を期待しただけに、バナナのたたき売りよろしく予算額だけを下げてよしとする事なかれ主義には恐れ入ってしまった。

自民党がひどすぎるあまりに民主党に投票しただけで、もともと民主党に魅力があっわけではないので、自業自得だと言われればそれまでだが、それでも平成ご一新は若い世代でと期待して投票したのである。民主党に人材不足は以前から囁かれていたが、やっぱりその通りだったようである。「バナナのたたき売り」を臆面もなく行った科学技術会議のメンバーは次の通りである。

内閣総理大臣が議長を務め、関係閣僚や有識者の14人の議員から構成されている。
議長 鳩山由紀夫 内閣総理大臣
議員 平野 博文 内閣官房長官
同 菅 直人 科学技術政策担当大臣
同 原口 一博 総務大臣
同 藤井 裕久 財務大臣
同 川端 達夫 文部科学大臣
同 直嶋 正行 経済産業大臣
同 金澤 一郎 日本学術会議会長(関係機関の長)
同 相澤 益男 前東京工業大学学長
同 本庶 佑 京都大学客員教授
同 奥村 直樹 前新日本製鐵株式会社代表取締役副社長
同 白石  前元政策研究大学院大学教授・副学長
同 榊原 定征 東レ株式会社代表取締役社長
同 今榮東洋子 名古屋大学名誉教授
同 青木 玲子 一橋大学経済研究所教授

首相・閣僚7人は入れ替わったが、残りのメンバーは麻生内閣時代からの生き残りで、先端研究を決定した当事者である。科学技術界の権威?に敬意を表したのか、本物の(学者)先生を前にして代議士先生がひるんでしまったのかは知らないが、これでは民主党にご一新などやれそうもない。その一方、共同通信が10月1日付けで伝えていることであるが、前政権下での科学技術予算方針を白紙撤回しているのである。

科学技術予算方針も白紙撤回 総合科学技術会議で決定
 国の科学技術政策の司令塔である総合科学技術会議(議長・鳩山由紀夫首相)の有識者議員による会合が1日開かれ、来年度の科学技術分野の予算配分方針を白紙撤回することを決めた。現在の方針は麻生前政権の6月に同会議で決まっていた。

 記者会見した津村啓介・内閣府政務官は「温室効果ガス削減の中期目標を達成する低炭素社会の実現、環境と経済成長の両立など、鳩山内閣が重視するテーマを優先させる新しい配分方針を、15日の概算要求提出までに作り直す」と述べた。

あちらでやれたことが何故こちらでやれないのか。白紙撤回を受け入れる代わりに先端研究は続行という取引がおこなわれたのでは、とげすは勘ぐる。民主党はこれからも自民党政権の残した総合科学技術会議を相手に独自の科学技術政策の立案・実施を行うつもりなのだろうか。何を考えているのやら分からないが、最先端研究開発支援プログラムを凍結出来なかった民主党に期待の持ちようがないではないか。


秋の珍事? 報道特集NEXT「大学教授はなぜ解雇された」の波紋

2009-10-25 09:51:40 | Weblog
昨日(10月24日)私のブログへの訪問者が異常に増えた。午後6時台に1816名に突如増えたかと思うと1時間ごとに532、208、202,208、156(午後11時台)と続いて、総数が3428名となって記録更新、秋の珍事である。調べてみると、私は外出していたので観ていないが、午後5時半からTBS系列で放映された報道特集NEXT「大学教授はなぜ解雇された」が、筑波大学で起こった教授解雇問題を扱ったのが引き金となったようである。というのこの問題に関連してかって私がいくつかの記事を発表していたからで、とくに最初の記事へのアクセスが集中したのである。

筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析について
2008-03-13 16:44:13 | 学問・教育・研究


これでは核融合研究より農業再生を
2008-12-18 22:24:34 | 放言


「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?
2008-12-20 00:16:08 | 学問・教育・研究


しかし最初の記事をご覧になった方は、よほど実験データの収集・処理に経験をお持ちでない限り、何が書かれていることやらおそらくお分かりにならなかったと思う。筑波大学が公表した資料4 研究公正委員会調査委員会調査結果に含まれる実験データを見て、「よくぞこんなデータを解析する気になるものだ」と思ったものだからこれを「豆まきデータ」と名付けて、次のような意見を述べたのである。

総勢27名の研究者もいるのに測定を繰り返してデータ精度を上げる手間を惜しみ、一発データを「カレイダ」なる市販のソフトに丸投げして処理をさせる。プラズマ研究の世界がそれほど安直なものだとは思えないだけに、この調査報告書では不適切なデータ解析は指摘されているが、そもそもデータ収集の妥当性について何一つ触れられていないのが不可解である。そのあたりの事情の説明があった上でデータ解析手法の是非が論じられていると、このよくまとめられた調査報告の客観的具体性がより高まったのではなかろうかと思った。

同じことをさらに三番目の記事で

私が問題にしているのはデータの解析方法ではなくて、あくまでもデータ収集の手段なのである。同じ測定を繰り返し積算してデータの精度を上げる、これが実験科学者の鉄則であるからだ。

と強調した。誰もがアクセス出来る公表された資料のみが手がかりなので、私の関心事はこれにとどまる。関係者の懲戒処分が妥当なのかどうかは部外者の私には分からない。それよりなにより、今頃になってなぜテレビ番組がこの問題を取り上げたのだろう。なぜなら懲戒処分そのことよりも、この番組出演者の髪形が圧倒的に視聴者の関心を集めたことがブログ検索でうかがわれるからである。まさかそのウケを狙ったわけではあるまいと思うが・・・。

「不毛地帯」第二話 そして因縁話の続き

2009-10-23 11:08:15 | Weblog
テレビドラマ「不毛地帯」第二話を昨夜観た。なかなかテンポが速くダイナミックな展開で、私の観ている韓国ドラマ、「イ・サン」や「朱蒙(チュモン)」にも劣らない迫力があった。近畿商事に入った壹岐正は第二次防で次期戦闘機が競争相手商社の扱うグラントにほとんど決まっていたのに巻き返しを計る。近畿商事が売り込もうとしているラッキード社のF104が、性能においても生産実績でも対抗機種に優っているとの大義名分さえあれば元軍人は強い、勝つためには手段をえらばない。情報収集、敵の搦め手攻略や政治家籠絡に魚が水を得たように活躍をする。土壇場から盛り返し、ラッキード社のF104が優勢になりかけた矢先に、アメリカでテスト飛行中のF104が墜落する。そのニュースに頽勢に追い込まれていたライバルが呵々大笑する。さて、いかがありなりまするや、でドラマ第二話は終わった。

ところでこの「不毛地帯」にまつわる因縁話を前回に紹介したばかりであるが、その話に続きが出来たのである。昨日は三週間ぶりにヴォイストレーニングがあり、レッスンの相棒さんともども2時間みっちり絞られたが、その相棒さんの話である。ヴォイストレーニングではエネルギーを使い果たすので、終わった後はいつも喫茶店でおぜんざいを男同士差し向かいで頂くわけだが、その時に飛び出した。現役時代、伊藤忠の商社マンであった相棒さんが、なんと壹岐正のモデルとなった元大本営参謀瀬島龍三氏と直接話を交わしていたとのことで、それにはまた驚いてしまった。相棒さんは海外勤務の経験が豊富な方で、伊藤忠の海外拠点に赴くに際して、当時海外担当役員の瀬島氏から直接にいろいろと指示を受けていたというのである。

それにしても偶然とは重なるものである。


鯖街道熊川宿で そしてある因縁話

2009-10-20 19:57:20 | Weblog

承前、1000円ドライブで303号線を通り小浜に向かう途中で、「若狭 熊川宿」なる道の駅の標識が目に入ったので休憩がてら立ち寄ることにした。


ところが駐車場が満車である。珍しいこともあるものだとしばらく待っていたら、運良く一台が出て行ったので駐めることが出来た。それにしては人出が目立つし、周りを見渡すと道路沿いを始め車の駐められそうな所はみな車で埋められている。何か特別の催しでもあるのかな、と思ったら、やはりそうであった。道の駅が昔の宿場町熊川宿の町並みにつながっていて、そこで年に一回の「お祭り」が開かれていたのである。



まず小浜藩熊川番所があった。その昔、「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まっていたところである。その前を堂々と通り抜けるていかにも鄙びた趣のある宿場町に入る。かずかずの催しが行われていたが、餅つきのところでは、つき上がったお餅に砂糖入りきな粉をまぶしたのがいかにも美味しそうで、つい手を出してしまった。





元村役場が資料館になっており無料開放されていたので入ってみた。そこで偶然にもある人物に出会った。伊藤竹之助氏である。


説明によるとこの熊川の逸見勘兵衛家(地図の河内川にかかっている中条橋のたもと)に生まれた竹之助は、明治33年滋賀県立商業学校に進み、卒業と同時に、大阪市伊藤本店(現在の伊藤忠商事の前身)に就職し、やがて初代社長伊藤忠兵衛にその人格才量を認められ、娘と結婚し伊藤忠商事二代目社長となったとのことである。偶然にも、というのは、先週、私も観るのを楽しみにしている山崎豊子原作「不毛地帯」のテレビドラマが始まったばかりで、その主人公の壹岐正が大本営参謀であった瀬島龍三をモデルにしたことはよく知られており、したがって壹岐正が就職した近畿商事は伊藤忠商事ということになることを思い出したからである。しかし因縁はそれだけではなかった。この竹之助が二男の結婚にあたり、兄嫁に宛てた結婚式の案内状が公開されていて、それによると二男とは阪大理学部で私も知っている物理の教授であった。念のために家に帰って調べてみるとその教授はこの1月に94才で亡くなっており、その喪主が阪大生物の後輩で同僚でもあった人物なのである。時には侃々諤々の議論をした相手でもあったので、これには驚いてしまった。と、私の好きな因縁話の一つとして書き記しておくことにする。


1000円ドライブのつもりが片道2450円とは そして渋滞

2009-10-19 14:25:17 | Weblog
昨日の日曜日はよいお天気だったので、久しぶりに1000円ドライブに出かけた。阪神高速北神戸線→(西宮山口Jct)中国自動車道→(吹田Jct)名神高速道路→(米原Jct)北陸自動車道(木之本IC)→8号線→(塩津)303号線→(野口)161号線→(海津)54号線の経路で琵琶湖湖畔の今津浜までが往路である。朝9時に家を出て、サービスステーションで休憩をしたり弁当を買ったりしながらのんびり?と車を走らせてちょうどお昼頃今津浜に辿り着いた。

ETCカードを利用すると休日特別割引制度で、地方の高速道路はどこまで走っても1000円であるが、東京、大阪など大都市周辺では別料金がかかるということは知っていた。しかし西宮山口Jct)中国自動車道→(吹田Jct)名神高速道路→(米原Jct)北陸自動車道(木之本IC)と走り、木之本で出る時に2450円と告げられたときは正直驚いた。帰宅後調べたところ、中国道・西宮北IC→中国吹田ICが650円、名神高速・吹田IC→大津ICが850円の別料金であることが分かった。したがって1000円プラス1500円で2500円になるはずであるが、実際に払ったのは2450円。この違いは今のところ分からない。

帰りは54号線→(いつのまにか)303号線→(三宅)27号線→(小浜西IC)舞鶴若狭自動車道→(吉川Jct)中国自動車道→(神戸三田IC)六甲北道路→阪神高速北神戸線を通ったが、(小浜西IC)舞鶴若狭自動車道→(吉川Jct)中国自動車道(神戸三田IC)区間は1000円と分かりやすかった。あらためて道路地図を見ると、中国道と九州道を乗り継いで鹿児島までは1000円で行けるようである。また1500円の別料金を払えば青森まで1000円で行けることになる。だいたい要領が飲み込めたので、1000円ドライブのいろんなプランを楽しんでみようと思う。

ところがこの休日特別割引を手放しで歓迎するわけにはいかないと思う出来事に遭遇した。帰りは小浜を午後4時10分に出たので早ければ6時半ぐらいまでに、遅くとも7時のニュースにはゆうゆう間に合うと思っていたのに、帰り着いたのは7時半であった。舞鶴若狭自動車道から吉川Jctで中国自動車道に入ってまもなく渋滞に巻き込まれてしまったのである。宝塚ICまで20キロの渋滞と標示が出ていたが、私は神戸三田ICで出ればよいのでそれまでの我慢と思っていた。ところが六甲北道路に入るまで、また入っても遅々と進まずかれこれ1時間ほど渋滞に引っかかってしまった。この経路でいまだかって渋滞に引っかかったことはなかったので、これは明らかに休日特別割引により引きおこされたものであろう。

鳩山政権が目指す高速無料化に私はもともと反対であるが、その悪い影響の一端をかいま見た思いがした。高速無料化により2.7兆円の経済効果が見込まれるというのが錦の御旗のようであるが、このような試算はどうせ絵に描いた餅である。渋滞を起こさせないような現実的な施策をたてるのが、道路行政の本来あるべき姿であろう。

ところでこのドライブでiPhone 3GSの性能をチェックしたが、奥琵琶湖や小浜市でもアンテナが5本立っているのには感心した。また地図も3Gで直ぐに呼び出せるし、居所が分からなくなった時にGPSの働きで現在地が地図の上に表示されたときには感激してしまった。奥琵琶湖よりもさらに辺鄙なところに私が出かける気遣いはまずないので、携帯をiPhoneに換えてしまっても問題なさそうである。

山崎豊子原作「不毛地帯」 栗原俊雄著「シベリア抑留」 山下静夫著「シベリア抑留1450日」 

2009-10-17 17:03:21 | 読書
木曜日(10月15日)の夜、テレビドラマ「不毛地帯」を観た。新に始まる連続ドラマで初回のことゆえ9時から2時間を超える番組であった。敗戦間際の関東軍、とくに高級将校たちの動きなどのシーンを観ていると、「元軍国少年」には郷愁が湧いてきた。軍服の襟章をちらっと見るだけで尉官、佐官、将官の違いはもちろん階級も分かるし、国民学校生に戻ったような気分だった。その目で見ると今の自衛官の階級の呼び方なんてまがいもの同然で、まるでよその国の兵隊さんである。それはともかく、その関東軍の将兵がシベリアに連れて行かれて強制労働させられる情景も描かれていたが、このソ連による理不尽が若い世代にはまるで絵空事のように映るのではないかと、少々気になった。

このドラマの原作である山崎豊子著「不毛地帯」をなぜか私は読んでいないので、白紙の状態でドラマに対面することになる。大本営参謀であった壹岐正を演じる唐沢寿明が、壹岐正の商社マンとしての成長に伴い役者としてどのように変貌していくかが楽しみであるが、人間としての重みをぜひ出していって欲しいものである。それにしてもなぜ今頃、このようなドラマを制作したのだろう。経済低迷期にあって意気の上がらない日本人に、昔の夢を甦らせてあげようとでもいうのだろうか。

「不毛地帯」は読んでいないけれど、最近、栗原俊雄著「シベリア抑留 ―未完の悲劇」(岩波新書)を読んだばかりであったので、このドラマを観て私の思いは「シベリア抑留」の方に移ってしまった。敗戦後、ソ連に抑留された日本人は関東軍兵士を中心に57万5000人(うち民間人3万9000人)で、死者は8万40人(43ページ)に及ぶ。さらに、満州にいた民間日本人およそ150万人のうち、18万人が死亡した(21ページ)とのこと。この死亡者数は沖縄戦での全戦没者20~24万人(ウイキペディア)に匹敵するものでありながら、日本人のどれほど多くがこのような事実をちゃんと認識しているだろうか。


「シベリア抑留」は直接には国際法を無視した当時のソ連により引きおこされたのであるが、煎じ詰めれば戦争のなせる技である。ソ連が日ソ中立条約を一方的に破り、1945年8月9日に満州に攻め入った歴史的事実はわれわれの脳裏にはっきりと刻まれている。しかし1941年6月22日にドイツがソ連領に侵攻して独ソ戦が始まったときには、天皇が臨席する7月2日の御前会議で「情勢の推移に伴ふ帝国国策要項」が決定され、独ソ戦が日本に有利に働いた場合にはソ連と戦うことを決めた(3ページ)、とあるのでどっちもどっち、戦争の流れがソ連侵攻に傾いただけで、ソ連の条約違反を一方的に責め立てても意味がない。戦争とはこのようなものなのである。

ソ連の満州侵攻により日ソ戦争が始まり日本の敗北で終わったが、今に至るも語り継がれるているのは、関東軍が民間人を置き去りにして逃げたということである。事実、開戦直後の8月11日、満州の首都新京から日本人を避難させたときに、南下する18本の列車に乗ったのはおよそ3万8000人であったが、うち2万人あまりが関東軍の軍人や家族で、満鉄関係者が1万6000人、大使館員と家族らが700人あまりで、民間人はただの300人程度であった(19ページ)。そして、関東軍はどうしたか。ドラマのなかでも出てきたが、天皇の命令に結局は従うという形でソ連軍に無条件降伏し、多くの日本人の安全が損なわれることを目にしながら助けに赴くことはなかった。なぜこのような行きがかりになったのか。

 関東軍参謀だった草地貞吾大佐の主張を見てみよう。
 「ソ連参戦にあたっては、関東軍は作戦第一主義であった。ということは、作戦の結果が間接的に居留民保護にはなるかもしれないが、居留民保護を直接目的とする作戦は行わなかったということである。
 軍の主とするところは戦闘である。戦闘に際しては、隣の戦友が負傷しても見向くことすら許されない。あの作戦時、なぜ関東軍は居留民保護の兵力をさし出さなかったか―あるいはまた、何故に居留民よりも速やかに後退したのか―とただされれば、それはただ一つ、作戦任務の要請であったと答えるばかりである」(『関東軍作戦参謀の証言』)(中略)
 では自国の軍隊が自分たちを守ってくれないその状況で、居留民はどうすべきだったのか。「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である。いかに暴戻残虐なるものも、無抵抗者に対しては手の下しようがないのである。
 僅少な武装警官に擁護されたり、自ら若干の自衛装備をもっていたばかりに、開拓民等の避難集団がソ連の重火器の餌食となり、あるいは戦車に蹂躙されたりしたのは、無用有害の微少抵抗の反作用ではなかったろうか」(同前)。
(22ページ)

戦前の日本軍隊の存在意義が国体の護持、すなわち天皇制の維持であったことを思えば、旧日本軍参謀のこの言葉を異とするに足りないが、無抵抗主義の主張は軍隊の存在を究極的に否定するものとして、注目に値するとも言える。私もかって元在朝日本人が読んだ「ある朝鮮総督府警察官僚の回想」のなかで、朝鮮での疎開先、江原道鉄原で敗戦時に経験したことを次のように書いたことがある。

疎開先の鐘紡鉄原工場の周辺を軍隊が警備していたが、戦争に負けたかと思うと早々と姿を消してしまい、取り残された民間人だけが列車に乗り込むべく早暁の田舎道を急いだのである。今の感覚で云えば、こういう非常事態においてこそ『皇国臣民』を保護すべき任にあたる朝鮮総督府に軍隊が、なんとなんと民間人より先に逃げ出したという芳しからざる噂がその後根強く流布した。

「天皇制」を否定した新憲法の下で国体(国民体育大会ではないよ)は大きく変わったが、戦争に負けた「軍隊」は昔も今も変わるものではなく、どのような行動をとるかは容易に想像がつく。ましてや「軍隊」でもない自衛隊に一体何が出来ることやら、また期待できることやら、答えははじめから定まっているようなものだ。

「シベリア抑留」は戦争に巻き込まれる愚を、そして悲惨さを、シベリア被抑留者に焦点を当てて論じたものといえる。そのシベリアに抑留された日本人が帰国する際に、ソ連は国際法に違反した長期抑留の実態を隠すためか、手帳や絵など、収容所の生活を記したものをすべて没収したとのことである(199ページ)。しかしソ連は予期しなかったかたちで裏をかかれたのである。ここに日本人あり、なのだ。それが2007年になって出版された山下静夫著「シベリア抑留1450日」である。著者は帰国して25年後の1974年の春、抑留の4年間を日記風にまとめ、その間、記憶力を頼りに挿画として描き上げた400枚あまりの抑留画がこの画文集の元になっているとのことである。「シベリア抑留」とともにぜひ目を通されることを、とくに若い世代に呼びかけたい。


ニュースソースに政府高官はいらない

2009-10-15 13:43:29 | Weblog

朝日朝刊一面の記事である。この政府高官とは誰のことだろう。三党連立政権になって事務次官を始めとする官僚が国民向けのメッセージを発信することが原則としてなくなった。政治主導という形の一つの現れであろう。各官庁では大臣、副大臣、政務官がいわば責任者で、外に向けてのメッセージもここから出ることになったと私は理解している。補正予算見直しのまとめ役が仙谷由人行政刷新相らとすると、自ずからニュース源は特定されるはずだし、またされなければならない。政府がメッセージの出所を明確にするために、受け取りようによっては官僚の発言を制限するところまで踏み込んでいるのに、それを国民に伝える側のマスメディアが依然として昔ながらの政府高官というような婉曲表現に留まっているようでは話にならない。誰の発言か、誰にも分かるような報道姿勢にあらためて欲しいものである。

iPhone 3GSを持って新・逸翁美術館へ

2009-10-14 18:20:33 | Weblog
池田市にある旧・逸翁美術館を訪れたのは閉鎖される直前であったが、その近くに新築された新・逸翁美術館が10月4日に開館したので、前の土曜日、iPhoneを片手に出かけた。買いたてのiPhone 3GSの通話・通信機能などのチェックを兼ねてである。

動き回った範囲でiPhoneのアンテナはほぼ5本が立っていたので、通話機能は従来の携帯と変わりがなさそうである。池田城址公園でマップを広げたところ、Wi-Fiマークの代わりに3Gの表示が現れこれでネットにつながっているのであろう、マップのスクロールや拡大・縮小が自在に出来た。GSPを作動させておくと現在位置がマップに表示されるので、迷い子になることもなかろう。コンパスも正常に働いた。

内蔵カメラによる写真の撮影も至極簡単、撮り終えると一瞬のうちに画像が保存されて次の撮影が可能になる。今使っている携帯だと、画像の保存に数秒はかかるので日常的に使う気にはなれないが、この内蔵カメラの使い勝手はデジカメなみである。動画の撮影も同じように簡単で、十分実用に耐えることが分かった。メモも使いやすい。日本語入力でテンキーを使う際に、たとえば「あ」を押し続けると(と言ってもほんの短い時間)あ行残りの「い」「う」「え」「お」が「あ」の左、上、右、下に同時に現れるので、指先を必要な文字にスライドさせるとそれで入力される。このような使い方は初めてなのでとても新鮮に感じた。さらに推測変換候補が一覧表示されるので目的候補をタップすると、瞬間に入力されるので操作性が抜群である。慣れるとかなりのスピードで文章を作れそうである。作成したメモをメールとしてデスクトップに送っておくと、自由に加工・編集できるのでブログ書きにも大いに利用できる。

池田城址公園から五月山公園に行くつもりであったが、その途中にある五月山児童文化センターが午後1時半からプラネタリウムを無料公開するとのことだったので、ゆっくりと夜空を眺めさせて貰うことにした。ドームの直径が5メートルで日本最小だそうである。太陽が沈み宵の明星が現れるころまではしっかりと目をあけていたが、いつのまにか寝込んでしまい、夜明けの明星をなんとか目にした時には40分間の投写がほとんど終わりかけていた。

思いがけず寄り道をしてしまったので、その足で逸翁美術館に直行した。現代洋風の造りで旧館を懐かしく感じたが、これはこれ、なかなか見やすい展示になっており、新・逸翁美術館 開館記念特別展として茶人逸翁の収集品をゆっくりと鑑賞した。明るい茶房でケーキセットを注文、iPhoneで記念撮影した。