日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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さくら丸で渡米(1) 出発まで

2005-03-30 16:49:10 | 海外旅行・海外生活
1966年の夏、アメリカ東海岸にあるエール大学に留学することが決まり、渡米することになった。その当時私の所属する大学の研究室では、最初の1年は現職扱いで、2年目は休職扱いで海外留学2年が慣例的に認められていたのである。留学と云っても受け入れ先の教授の科学研究費に認められている人件費で雇用されるのであって、Research Associateなる職種で研究に従事するのであった。森鴎外のように国費で留学させて貰うのではなく、自前の出稼ぎ的側面があった。

太平洋を船で渡りアメリカ大陸を汽車で横断するという夢をかねてから暖めていた私は、またとないチャンスとばかりに船の便を探して商船三井の『さくら丸』を見つけたのである。アメリカでの契約は9月からだったので確か7月の終わり頃に神戸を出帆するさくら丸は時期的に最適であった。

私の記憶では、その頃のアメリカ航路の客船として有名だったのは、アメリカの船会社「アメリカン・プレジデント・ラインズ」 のプレジデント・クリーブランド号やプレジデント・ウィルソン号であった。そして大阪商船の「ぶらじる丸」に「あるぜんちな丸」は南米移民船として建造されたが、もちろんアメリカ航路にも使われていた。

一方1962年に見本市船として建造されたのが「さくら丸」で、輸出振興目的で世界各国に出かけて産業巡行見本市の動く展示場となっていた。



いろいろな日本製品を陳列して諸外国に寄港しては、各国の人達に見ていただくのである。要するにメイド・イン・ジャパン製品の売り込み船、日本はまだそのような時代だったのである。

見本市船として使われていない間は、商船三井が移民船として南米まで運航していた。この「さくら丸」が時期的にはちょうど都合がいいのである。神戸の海岸通りにある商船三井のビルに出向き、いろいろと説明を聞いた上乗船予約をした。

何をどう考えてそうなったのか、今では記憶が定かでない。BRIDGE DECK、すなわち船橋楼甲板にある一等船客室を海側と内側の二部屋を続きで予約した。夫婦に子供二人で一部屋は窮屈だろうとその時思ってのであろうが、考えてみたら贅沢な話ではあった。デッキプランが手元に残っているが、117号室(海)と127号室(内)に斜線を入れているのでこの二部屋を占めたのであろう。右舷にあった。

それぞれの部屋にベッドが二台にソファー、洗面台にクローゼットがあり、シャワー室が二部屋を繋ぐ形で設けられていた。それぞれの部屋から入れるように扉は2カ所にあるが、一方が使っているときは他方をロックするようになっていた。もちろんわが家族にとってはこれが通路になった。

私は日記をつける習性もなく、記録をとり続けるほど几帳面でもないので日時のことは分からない。手元に残した品々が当時の記憶を甦らせる手助けになるのであるが、この品々もかなりの部分がさる阪神大震災以来未だに行方不明である。従って神戸を出帆した日も不明であるが、航行中に娘の8月8日の誕生日を船で祝っていただいたことははっきりと覚えているので、だいたい7月末かな、と見当をつけたのである。ところが私と同じ「さくら丸」に乗船された方のウエブサイトを探し当てることが出来た(http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=122)。

そこに《1966年9月サントス着のさくら丸120名以上の移住者を乗せて来たさくら丸の40年目の同船者会を計画 『さくら丸 私達の40年』を計画したい》との一文があった。同じ船でジアデマ市に渡りそこで定住された方が、さくら丸の同船者会の計画を呼びかけられているのである。呼びかけた方の写真が掲載されているが、40年の歳月の重みがあった。

1966年の前半に大きな航空事故が相次いだ。2月4日には全日空ボーイング727型機が羽田空港着陸直前に東京湾に墜落して、133人死亡という当時として世界航空史上最大の遭難を引き起こした。3月4日にはカナダ航空DC8型機が濃霧で羽田空港防潮堤に激突炎上して、64人の死者を出した。さらに翌3月5日にはBOACボーイング707型機が富士山付近で空中分解し、124人が全員死亡したのである。

このように航空事故が相次いだものだから、私が船で渡米するというとその慎重さを変に感心されたり、『こわがり』を揶揄する友人もいた。しかし私の動機は航空機事故とは一切関係なく、敗戦後引き揚げ船こがね丸で朝鮮から博多の港に戻ってきたときの思い出にあったのである。  続く


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アメリカ生活(2) 美味しかったアメリカの牛肉

2005-03-28 12:19:06 | 海外旅行・海外生活

1966年の夏の終わりに一家で渡米して東海岸のNew Havenの街に住むことになった。George Streetの家である。
右隣が大家さんの家で左隣はお婆さんが住んでいた。



裏庭の垣根越しにはじめてお目にかかり声を交わしたのがきっかけで、日中子供を抱えて家にいる妻にはあれこれとアドバイスしてくれたそうである。

落ち着いて間もない頃にハーロインの時期にさしかかって、子供が次から次と大勢押し寄せてくるから絶対にドアを開けないように、とお婆さんが教えてくれたそうである。もっともわれわれミーハー夫婦は何でも経験したい方だから、妻は逆に子供たちにどうすればいいのかと教えて貰い、キャンディーなどのお菓子を買ってきて袋に詰め、子供たちの襲来を待ち受けたことであった。このお婆さんはアイルランド出身、息子さんが日本軍相手の戦争で戦死したことを何かの折りに知ったが、われわれに対しては暖かであった人柄が記憶に残っている。

わが家は表側に居間がありそれに続いてダイニング、そして裏庭に面する台所があった。



トップの写真はその台所のテーブルに広げたある日の食料品スーパーでの買い物である。毎週土曜日が家族4人半分の食料仕入れデーであった。欲しいものが目につけば値段のことを気にせずにカートにボンボン放り込めばよかった。それでも一回の買い物で50ドルを超えることは滅多になかったように思う。

かれこれ40年ほど前の時代である。まだ日本での生活は貧しかった。アメリカから給料を出して貰ったお陰で一挙に『アメリカ映画』の生活に飛び込んだことになる。大きな肉の塊、ステーキ肉のパックにただただ圧倒された。ここぞとばかりあらゆる肉料理にチャレンジして『本場』の肉の美味しさを堪能したのである。

肉に突き刺す温度計で肉塊の温度をモニターしながらオーブンで焼き上げたローストビーフの芸術的な出来上がりに、われながらうっとりとした。塩とにんにくをすり込んだだけの分厚いステーキのジューシーなまさに『肉の味』にひとりでにほっぺたがほころびた。

その頃、アメリカのスーパーですき焼き用のスライス肉は置いていなかった。どうしたか。ほどほどの大きさの塊を一旦冷凍してから解凍して、包丁の刃が通るようになると薄くスライスしていくのである。それぞれの料理に合った肉を探し当てるのがまた楽しかった。

2年余りの滞米生活を終えて日本に帰ってきた。あれほど慣れ親しんできた牛肉のなんと高価なこと。わが家の肉料理はハンバーグオンリー、ステーキはもちろんすき焼きですら特別料理になってしまった。比較的安い輸入肉が市場に姿を現すようになってわが家にステーキが再登場する頃には、子供たちはもう家には居なかった。その償いでもないが、たまに息子たちが家に顔を見せるときには、必ず挽肉ではない肉料理でもてなすことになっている。
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宝くじにも当たらないのにvCJDになるはずがない

2005-03-26 11:26:43 | Weblog
今日は料理の話である。人さまざま、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)も牛海綿状脳症(BSE)もなんのその、牛肉を美味しく食べる話である。

たまたまある時期にイギリスに滞在しただけで献血不適格者にさせられたから、と居直ったわけでもない。日本では毎年交通事故の死者が1万人前後、自殺者が3万人前後発生している。それに比べるとvCJDによる死者はたった一人じゃないか、と自分なりの悟りようをしているのである。交通事故や自殺ではいくら死者が多くてもニュース性は乏しい。それに反して日本初のvCJDによる死者はニュース性は大、マスメディアが競って取り上げるのも不思議ではない。しかしその受け取り方は人さまざまであっていい。死者数で鼎の軽重を問うのであれば、交通事故死、自殺に比べてvCJDは取るに足らない小さなものである、と私は思っている。

日本における狂牛病問題は、それなりに行政が対応してくれると思えば、後はこの事態に自分がどう立ち向かうかだけが問題になる。

宝くじのようにまだ当たる可能性の保証されている『くじ』にすら、私のこれまでの人生で当たったのは残念賞だけである。それよりも遙かに遙かに遙かに・・・・・・・遙かに当たる確率の低いvCJDに私が出くわす『幸運』なんてあるはずがない。私にとって怖いのはvCJDそのものではなくて、それに過剰反応した形で市場から牛肉がなくなることである。

夕べの食事は牛すね肉のシチュー、わが家の定番である。決してまともな肉が買えないから、と、拗ねているわけではない。適当に脂がはいり筋も混じり、口にしたときの豊饒感はこの雑肉に勝るものはない。

しかるべき話し合いを片付けて一刻も早くアメリカから美味しくて安い牛肉の輸入を再開して欲しいものである。そうすれば今度は厚さ5cm以上もあるビーフステーキの写真をお目にかけることができよう。
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遺骨DNA鑑定の混乱を巡る『げすの勘ぐり』

2005-03-25 11:59:33 | 社会・政治
北朝鮮から提供された遺骨試料のDNA鑑定にまつわる私なりの疑念を、これまでブログで数回にわたり述べてきた。

遺骨DNA鑑定で知りたいこと
遺骨DNA鑑定と科学者の社会的責任
遺骨DNA鑑定の怪 何がどこでどうなったか
遺骨DNA鑑定の怪の続き 須藤信彦議員の発言を評価

①《帝京大はDNAを鑑定できた、科警研は出来なかった。これは科学的立証の一番基本的な条件である再現性が確認出来ていないことを示す。何故再現性が確認できないのかをつまびらかにするのは、科学者の責務である。》
②《DNAが検出されたのは事実として、このDNAを遺骨由来のものと断定した科学的根拠の明示が必要である。》

と云うことから私の疑念は始まったのである。

ところがネイチャー2月3日号の記事によると、帝京大の吉井講師が《「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」》と云ったらしいのである。

この記事を巡り衆議院の外務委員会で、町村外相の次のような発言があった。《横田めぐみさんの遺骨とされるものの一部から別人のDNAが検出されたとする鑑定結果について、本件のネイチャー誌から取材を受けた関係者にも事実関係を確認したところ、取材においては、焼かれた骨によるDNA鑑定の困難性について一般論を述べたものであって、鑑定結果が確定的でない旨や、あるいは汚染された可能性がある旨応答した事実はなかったという返事を受けているということだけちょっと申し添えさせていただきます》

これは前出ネイチャー記事の完全否定である。

私は帝京大の吉井富夫講師に自ら進んで事情の説明を求めると同時に、ネイチャー誌からも事情説明があるべきである、と思っていた。ところがこの時点で私は気づかなかったが、既にネーチャー誌が3月17日号の論説(新聞の社説に相当)でまさにその問題を論じていたのである。

私はまだ原文に接していないが、その翻訳がブログに公開されているのでその内容を知ることが出来た。その論説は2月3日号の記事に関して《鑑定を行った科学者へのネイチャーのインタビューは、遺骨が汚染されていて、当該DNA鑑定を結論の出せないものにしている可能性を提起したものである。》と述べて、件の記事の内容を追認しているのである。

私は科学的に判断できる部分について、この問題はすでに決着がついたものと考えている。

帝京大の吉井富夫講師がどういう鑑定書を出したのか、またネイチャー誌のライターにどう語ったかにかかわらず、『遺骨は横田めぐみさんのものではない』は科学的には立証されなかったのである。これまでに実験結果の再現性が確認できなかったし、試料が残っていない現状ではこれからも再現性を確認できないという状況から下される私の結論である。

日本政府はこのように科学的に立証されていないものを、『世界に冠たる日本の鑑定技術の誇るべき成果』とばかりに北朝鮮に突きつけ、それと同時に実は『科学音痴』の醜態を世界に曝したのである。その責任問題を明らかにすることが今後に残される。

ここで『鑑定書』の流れを想像してみよう。

『鑑定』を科警研、帝京大に依頼した主体を私は知らないが、それをAとしよう。もちろんAは個人ではなくて複数の係官の居るある部署であろう。このAに科警研、帝京大から鑑定結果が戻ってきた。DNAが検出できたのは帝京大だけである。

この結果にAはどう対処したのだろうか。

ここに一人でも科学的常識を備えた係官がおれば、「こんなことではダメだな」とは思いつつも、鑑定結果を報告書にとりまとめてより上部の部署に上げたのであろう。その際に『意見書』が添えられておれば上々である。

役所の中での文書の流れは必ず辿れるであろう。そして流れのどこかで、急に『遺骨は横田めぐみさんのものではない』との文言が結論として生まれ、一人歩きを始めたことは容易に推測がつく。その決断を下したのが誰か、が問題なのである。

私は実務に当たっての日本の官僚の優秀さに期待したい。多くはプロとしての誇りを持っていることを私は信じているからである。『鑑定書』が流れていく過程で、「こんなことではダメだな」が絶えずついて回ったであろうと思いたい。

となるとどうしても考えざるを得ないのが『政治家』の関与である。

ここで突然『ハマコーさん』に登場していただこう。今やテレビでのアイドル、かっては博奕大好きで名を売ったあの愛すべき元政治家『ハマコーさん』である。なぜ彼が登場するかと云えば、『ハマコーさん』のおかげで、私には『政治家』と『博奕』のイメージが結びついてしまったからである。

『選挙』はとどのつまりは一発勝負、土下座しようと何をしようと『選挙』に勝てば勝ち。負けたときとの落差の大きさが『政治家』の博打打ち的性質を否が応でも助長する。

宝くじであれ馬券であれ博奕は全て一発勝負。一発でも当たれば大金が転がり込む。2回3回と勝ちを重ねてでないと勝ったとは言えないなんて、そんなご託を並べるひねくれ者はいない。一発でも当たればそれが真実なのである。

このような『政治家』が今回の『遺骨DNA鑑定』事件にもどこかで口を挟んだのではないか、というのが私の『げすの勘ぐり』である。一発でも当たればそれが真実、その一発が帝京大からの『鑑定書』だったのである。『鑑定書』の扱いに現れる一発勝負的感覚は、『政治家』(現実にはその影響下の官僚が行ったことであっても)の体臭そのものである。

もちろんこの勘ぐりは『遺骨は横田めぐみさんのものではない』を世間に流布させる元となった『鑑定書』を提供した科学者の社会的責任を免罪するものではない。『げすの勘ぐり』が的中するような『悲劇』を避けるためにも、科学的に立証されなかったことを事実として扱った、日本政府の公文書の出来上がった経緯をつまびらかにする責務が、国民の知る権利を代行する国会にあるのではなかろうか。

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遺骨DNA鑑定の怪の続き 須藤信彦議員の発言を評価

2005-03-21 14:20:24 | 社会・政治
衆議院のホームページから会議録を選び、常任委員会の一つである外務委員会をクリックすると外務委員会の会議録議事詳報一覧が現れて、平成17年2月23日の第1号にその日の午前9時に始まった委員会での質疑記録を見ることが出来る。

その中に民主党の須藤信彦議員が町村外務大臣に《遺骨と称されるものの問題》について問いかけている部分がある。冗長にわたるがその一部分を以下に引用する。①、②と強調文字は後の説明のために私が付け加えたものである。

《そして、最後に残った大きなテーマは、遺骨と称されるものの問題なんですね。
 これに関しては、三カ所に調査を依頼した。A、Bは結果が出ない、要するにわからない。それからCで、これは帝京大学の吉井富夫、帝京大学講師の方ですか、この方が、ミトコンドリアの分析から、これは要するに全然他人のですよということを言われて、それ見たことかと日本国じゅうがわっとみんな怒っているわけですよね。
 しかし、それに対して、何と、①二月二十三日のネイチャー、ウエブで見ると二十二日に出ていますけれども、世界の中で最も権威のある科学雑誌の一つのネイチャーが、これは御存じのとおり、大臣も御存じのとおり、これはもう本当に権威がある雑誌で、アメリカのサイエンティフィックアメリカンとかイギリスのネイチャーというのは世界を代表するようなもので、特にDNA関係に関しては物すごくしつこくやっていて、御存じのとおり、すべての人類がアフリカから来たとか、そういうようなものはみんなこういうところへ載っているわけです。
 日本でも、我が国の南方熊楠なんという人は、無名の研究者がネイチャーに論文が一つ載ったということで世界から認められるようになって、やがて粘菌の研究者として大成していくわけです。
 そのネイチャーが、科学的に言うと、これは②そんなこと全然言えないよという論文を、二月二十二日のウエブサイト、そして二十三日に論文を中に出しました。
 これは大変なことで、世界では事実上日本の言ったこと、外務省が言ったことを否定したわけですよ。私も全く専門家でないのでよくわからないんですが、何の根拠があって外務省は、これは遺骨が本人のものでない、しかも刑事的にでもない、裁判的にでもない、外交的に、この不透明な、不明確な、科学的に立証されていないものを、逆に言えば国際的には拒否されたものをぶつけてきたのか、そういうことなんですよ。

《中略》

《常にやはりこのDNA鑑定に関しては、コンタミネーションという、要するにどこかで間違った形で遺伝子が入ってくるという可能性はあるわけですけれども、では果たして、A、B、Cであって、Cしか確証できなかった、要するに三分の一しかなかったものを、そして国際的にもチェックせずに、そのサンプルを国際的な機関、例えばイギリスの有名な機関とかあるいはアメリカの機関とか、あるいは学会に調査を依頼するとか、そういうクロスチェックをせずに、それを北朝鮮が不誠実なことの証拠として突きつけるのは、外交としてはいかがなものですか。
 私は、北朝鮮の外交というのは本当にひどくて、でたらめで、本当にテロの事件でも腹立たしい思いを何度もしていますが、しかしそれだからといって、我が国の外交が同じレベルにいてはいけないんではないですか。
 北朝鮮の外交は瀬戸際外交と言われますよ。しかし、こんな不確実なことで北朝鮮に対してぽんと突き返して、そして国際的には二月にネイチャーで否定されるようなことがあって、それに対して、例えば日本でサイエンティフィックアメリカンに論文を寄稿するとか、そういうことをすることもない。そんなのだったら、これは日本の方が瀬戸際外交じゃないですか。どうしてこのような外交を日本の外交として、外務大臣、展開されているのか。日本の外交の信頼性をまさに国際社会で危うくさせているんではないでしょうか。いかがですか。


ここで私の注釈を加える。
 ①二月二十三日のネイチャー、ウエブで見ると二十二日に出ています
の部分で、二十三日とあるのは三日、二十二日とあるのは二日ではないだろうか。
Yoshii氏をインタビューした記事が掲載されたのはネイチャー誌の二月三日号であるからだ。この委員会の開催日が二十三日であるので、時間的にも記録通りだと無理がある。

 ②そんなこと全然言えないよという論文
『遺骨は横田めぐみさんのものではない』とは全然言えない、との意であるが、《論文》は間違いで、この記事はニュース記事である。論文であれば内容に関して査読者の精査を受けることになるが、ニュースであればそこまでの厳しさはない。現にこの記事のいくつかに問題のあることは私が指摘している。

須藤氏の発言内容にはこのような思い違い以外に、科学的にも問題のある引用がある。またその記事を掲載しているネイチャー誌の権威付けを仰々しく行っているのも、あまり格好良いものではない。しかしそれはさておき、『ネイチャー記事』を是とする立場での私が緑色で強調した発言は、これこそまさに私が既に主張していることであり、わが意を得た思いがする。

野人の私の言葉遣いでは《北朝鮮側が日本の報告を「捏造」と決めつけるにたりる材料を与えたのは日本側である。そういう「口実」を与えうる杜撰な内容を含んだ公文書をほんとうに日本国政府が北朝鮮に手渡したのであろうか。もしそうだとしたら政治的にも大失態、手厳しく云えば国辱的行為である》となる。

ところが依然として残念なことに、町村外相の答弁の骨子はこのようである。

《警察が最も信頼するものとしての依頼をした帝京大学の結果ということなものですから、まあそれは正しいんであろうな、こう思いまして、直ちに先方に対する反論をしたということでございます》

すなわち、これまでの姿勢をそのまま貫いているに過ぎない。

須藤議員は続ける。

《(北朝鮮が)不誠実だったという根拠を私たちは見せなきゃいけない、示さなきゃいけないんですよ。(中略)私たちが外交できちっと突きつけるには、やはり我々は確証を持たなきゃいけないのに、それでは余りにも私たちの足元が弱いんではないですか》

この常識的な意見が今須藤議員からの国会発言として飛び出たことを私は大いに評価したい。

ところがここで町村外相は、次のような発言をしている。

《横田めぐみさんの遺骨とされるものの一部から別人のDNAが検出されたとする鑑定結果について、本件のネイチャー誌から取材を受けた関係者にも事実関係を確認したところ、取材においては、焼かれた骨によるDNA鑑定の困難性について一般論を述べたものであって、鑑定結果が確定的でない旨や、あるいは汚染された可能性がある旨応答した事実はなかったという返事を受けているということだけちょっと申し添えさせていただきます》

すなわち須藤議員の主張の前提となっている、そして私も論拠にしている、ネーチャー記事を完全否定しているのである。

となると、まずは帝京大の吉井富夫講師に自ら進んで事情の説明をしていただかねばならない。科学者としての社会的責任である。もちろんネイチャー誌からも事情説明があるべきである。そこから『鑑定書』が何処でどうなったかを尋ねる道がはじめて開かれるのである。
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牛海綿状脳症(BSE)の波紋で献血不適格者になってしまった私

2005-03-20 17:33:08 | 社会・政治
明治生まれの母は気丈であった。病床で血液検査の採血をされる時には、か細くなった腕の血管に一発で注射針が入るかどうか厳しく見守り、血液が注射器に吸い込まれだすと「ああ、もったいない、ああ、もったいない」と端に聞こえるように呟くのだった。

その血を引いている私だから、街角で献血車に出会うと、捕まらないように素知らぬ表情を装ったり、少し遠回りをしたりする。しかしなんとなく後ろめいた気がないわけではなかった。ところが、これからは大威張りで歩ける。私は献血不適格者になったのである。

厚生労働省が3月7日に、80年~96年に英仏に1日以上の滞在歴がある人からの献血を受け付けない方針を決めたからである。昨年12月に50歳代の日本男性が「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」(vCJD)で死亡したことを受けての処置である。90年に24日間イギリスに滞在したこの男性が、vCJDの病原性物質を含んでいる恐れのある牛の頭部や脊柱を含んだ挽肉を使った可能性のあるハンバーガーなどを食べていたことが分かったからだという。

血液を介して人がvCJDに感染した事例は世界的にも把握されていないそうであるが(後出)、薬害エイズ事件を拡大させた責任を負う厚生労働省としては、後手に回る危険を避けるための予防処置としてこの方針を打ち出したのであろう。「羮に懲りて膾を吹く」の感なきにしもあらずだが、指定されたその期限内に何回かイギリスを訪れた私は間違いなく献血不適格者になる。

特に1995年の12月、ちょうどクリスマス時期にロンドンに滞在した私は、見通しの甘さの報いを受けた。クリスマス時だから街のレストランなどは閉まっているだろうが、チャイナ・タウンの中華料理店は開いているだろうと予想して出かけたのである。中国人がキリスト生誕を祝って店を閉めるはずがない、と勝手に思いこんでいたのである。ところがほとんどのめぼしい中華料理店が休んでいる。まれに開いている店はかなり長い行列が出来ているので、仕方なしに飛び込んだのがファーストフッドの店。そして注文したのがハンバーガー、それを2、3回は繰り返した。

これまで既に同期間中イギリスに通算6ヶ月以上滞在した人は、献血を受け付けない処置を取っていたようであるが、私は気づかなかった。そのニュースを見たかも知れないが記憶には留まっていない。見ていたとしても、6ヶ月以上滞在の条件に当てはまらないことから、即刻記憶から脱落したのであろう。

厚生労働省のホームページで見ると、3月7日に開催された薬事・食品衛生審議会血液事業部会運営委員会において、当面の暫定措置として出された結論のようである。《本措置は安全技術調査会での検討後施行とするが、それまでの間、速やかに措置を実施できる体制を整備するよう、日本赤十字社に対して運営委員会の結果を速やかに伝達し、指導することとする。また、血液製剤の安定供給に関する調査を同時に行い、その影響を把握する》ということだから、施行までにはすこし時間がかかるようである。

ただこのニュースを報じるマスメディアは少し不親切である。私は仮に発症するとしても諦めのつく年齢であるが、若い方なら該当者は不安を感じるかも知れない。不必要におびえることのないようにコメントを付け加えるべきではなかったのか。そこで厚生労働省のホームページにある牛海綿状脳症(BSE)等に関するQ&A(平成17年2月4日に最終更新)の記事をここに転載しておく。

Q4:血液を介してvCJDに感染することはあるのですか?
A4
1.血液を介して人がvCJDに感染した事例は世界的にも把握されていません。しかし、現在の科学的な知見では、血液を介した感染の可能性について未知の部分が多いことから、予防的な措置として、これまで、日本では、献血時の問診において献血者の海外渡航歴を確認し、1980年から1996年までの間に英国に通算6ヶ月以上滞在した方については、献血をお断りしています。
 (なお、米国、カナダ、ドイツ、フランス、オーストラリア、ニュージーランド等において、同様の措置が取られています)。
2.(略)
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在朝日本人の回想 母の姫鏡台

2005-03-18 10:12:43 | 在朝日本人
朝鮮から引き揚げてきてから60年たった。全財産を朝鮮に残し、国民学校5年生を頭に3年生に幼稚園児、そして満2歳の4人の子供をなんとか日本に引き連れて逃げ帰った父と母は既にこの世にいない。

生前、父は朝鮮でのことを自分から口にすることは一切なかった。

母は嫁入り道具に着物、その全てを失った悔しさを、それを持たせてくれた両親に対する想いととともに語ることがままあったが、「朝鮮のことは話したくない。もう嫌なことは忘れる」と締めくくるのであった。そして、晩年、語ることは絶えてなかった。

母が息を引き取るまでベッドの傍らにあったのが、嫁入り道具唯一の生き残りの鏡であった。姫鏡台から鏡だけを外して背負い袋にいれ、朝鮮から持ち帰ったものである。朱塗りはすべてはげ落ちて金具は外れ、銀メッキも傷みが激しい。その鏡をか細くなった両腕で支えながらも自分の顔色を点検していたものであった。

入院して間もない頃は院長回診ともなると、その鏡に向かっていそいそと化粧にいそしみ宛然と一行を迎えるのであった。何回目かに「○○さん、お化粧をすると顔色がわからないのでしないでくださいね」と云われて、大いに落胆していた。しかし袋に入れたその鏡を決して手放しはしなかった。

私にとっては第二の故郷である朝鮮も、両親にとっては全財産と共に未来への希望も夢も奪い去った『恨み』の土地であったのではなかろうか。両親はただそれを忘れることを救いとしたのであろう。私としては朝鮮の生活の思い出で欠如しているところが多い。両親に問いただしてその欠けているところを埋めたいとの思いはあったが、結局聞かずじまいで終わってしまった。

「もう嫌なことはわすれる」との母の言葉が甦ったのは、3月1日の韓国盧武鉉大統領の演説に引き続き、昨日、韓国政府が、竹島や歴史教科書検定問題などで日本に「断固対処する」姿勢を対日政策の新原則として発表したからである。

「お互いに忘れましょう」と個人の世界では有効な『世間智』が、政治の世界で働きにくいことは重々承知の上で、しかし云ってみたいのである。「もういい加減忘れませんか」と。

続きは稿を改めて述べることにする。

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喋りすぎのスポーツ・アナ そして『ホリエモン』への期待

2005-03-14 09:08:25 | 社会・政治
あの渋井陽子選手が名古屋国際女子マラソンを走る。8月にヘルシンキで行われる世界選手権代表を目指して、そして記録への挑戦である。日本列島がすっぽり寒気団に覆われてしまった3月13日のお昼過ぎにスタートの号砲が鳴った。しかし勝負は冷酷なもの、終わってしまえば、期待の渋井陽子選手が7位という不本意な結果であった。しかしその一方では、マラソン初出場の新鋭、原裕美子選手が2時間24分19秒という好記録で優勝し、世界選手権代表に内定した。日本女子マラソン界の層の厚さをまざまざと見せつけられた素晴らしいレースであった。

日曜日のお昼過ぎ、昼食をゆっくり終えてレースの中継をテレビで観戦するのはとても楽しい。ウツラウツラしている間に選手の順位が変わったり、またレースが大きく動くのが面白い。

ところがところが、である。ウツラウツラするにしては、実況放送のアナウンサーが五月蠅いのである。喋りすぎ。ほとんど喋りっぱなしで休むことがない。なるほどアナウンサーは喋るのが仕事であるのかも知れない。しかし今は昔のラジオの時代ではない。テレビ映像の時代なのである。実況は画面を見れば分かる。テレビ画面の右端にゼッケン番号、選手名、これまでの記録などが表示されておれば、誰が何番を走っているのは画面を見れば分かる。テレビ時代であるのに映像が無かった頃の『実況中継』を昔ながらに繰り返しているのが今日のスポーツアナである。

「大島が逆転しました」とアナ氏が一人で興奮して喚いたかと思えば、「原が逆転しました」と一段うわずってヒステリックに叫ぶ。そんなの観てたらわかる、というものである。

それから気になったのがバイクに乗ってランナーと併走しては選手の状況を伝える女性レポーター。これもアナ並の余計なお喋りをする。喋りと云うより喋らされるのであるがこれが気になった。二人乗りのバイクの後ろに女性がまたがり、「なになに選手がサングラスの隙間からこちらを見て私が何を云っているのか気にしているよう、余裕ですね」とか、「江田選手の吐く息の音が一番大きくて、原選手も大きい。大島選手は音がしない」なんてことを得々と喋っている。馬が走っているわけじゃあるまいし、大和撫子の鼻息の品評なんて聞かせて欲しくない。

横に併走されるだけでも鬱陶しいだろうに、端でなにを喋られているのか、選手が気にしだしたらこれはもう競技妨害ではないか。マイクに向かって喋っている声が、選手にも届いているかもしれない、とも思った。なぜ静かに走らせて上げないのだろう。このレポーター個人には何の恨み辛みは無いけれど、今日のこの寒さ、堪えきれずに「おしっこ」とかドライバーに云って途中で離脱して欲しいと心から願ったのではあった。

要するにこのテレビ映像時代には『お喋り』はお節介なんである。アナウンサーが先に興奮してしまったら、こちらはかえって醒めて仕舞うではないか。落語家が「わての話、おもろいんやで。笑って笑って!」と中身なしに観客にわめいているようなものではないか。ここぞという時にアナウンサーが状況を過不足無く冷静に描写して、視聴者に興奮をじわっと伝える、それがプロの技ではないのか。

そこでハタと気づいた。『ホリエモン』が変えたいと思っているのは、このように『視聴者』不在で一人悦に入っているような脳天気スポーツアナ、その存在を疑問にも思わぬ旧態依然とした管理者の惰性的思考であろうかと。『ホリエモン』にテレビ界にも参入して貰って、『無駄な喋り』を必要且つ十分なデータ表示で置き換えるような情報伝達法の抜本的改革を期待したいものである。

注文ついでにもう一つ、あのペースメーカーは止めて欲しい。

ペースメーカーはいわば兎の目の前にぶら下げられたにんじん役であろう。ペースメーカーが引っ張るかたちでレースが展開していく。気がついてみるといつの間にか日本でのマラソンレースに『にんじん』が登場してしまった。私は気にくわない。マラソンこそ走る選手のまさに一人勝負ではないのか。だからこそ月桂冠が燦然と輝くのである。もちろんそれまでの練習は監督、コーチをはじめとする支援グループとの共同作業的性格があるだろう。しかし本番で走り出したらもう選手の独壇場である。ペースの配分も含め走りの組み立てるのは自分の体調をもっとも良く知る選手個人である。

選手のその自己完結性に水をさすのがこの『にんじん』である。走りの最初を『にんじん』に引っ張らせて、という発想が間違っている。もっとも肝心なペース作りを選手が『にんじん』に委ねる怠惰さは、マラソン競技の高貴さとは相容れない。日本で率先して使用禁止として、外国の範となるべきなのである。
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遺骨DNA鑑定の怪 何がどこでどうなった?

2005-03-12 09:58:50 | 社会・政治
横田めぐみさんの遺骨と伝えられるものが、本人のものであるのか他人のものであるのかを巡って、日本政府はこれが他人のものであるとの立場に立って北朝鮮を非難した。それにたいして北朝鮮政府は鑑定結果が日本側の捏造であると非難している。

これまで私が取り上げた問題点
①《帝京大はDNAを鑑定できた、科警研は出来なかった。これは科学的立証の一番基本的な条件である再現性が確認出来ていないことを示す。何故再現性が確認できないのかをつまびらかにするのは、科学者の責務である。》
②《DNAが検出されたのは事実として、このDNAを遺骨由来のものと断定した科学的根拠の明示が必要である。》と云うことになる。

この問題があるにせよ、「遺骨が横田めぐみさんのものではない」との鑑定報告書を鑑定者が作成・提出して、それを受けて政府側の発表になった、と私は思っていた。

ところが私がこのことをブログで述べた直後2月3日の英国の科学誌「ネイチャー」( Nature 433, 445 (03 February 2005))に、私の『思い込み』を否定するかのような記事が掲載されていたのである。その報道が一部に流れたが、このたび友人の協力を得てその記事の原文に接したところ、たしかに私の『思い込み』を覆す内容の報道だったのである。

以下が私の問題とする文章である。

《Nonetheless Yoshii, who has no previous experience with cremated specimens, admits his tests are not conclusive and that it is possible the samples were contaminated. The bones are like stiff sponges that can absorb anything. If sweat or oils of someone that was handling them soaked in, it would be impossible to get them out no matter how well they were prepared," he says.》

Nonethelessというのは前の文章を受けたものである。その文章の骨子は、「摂氏1200度の高温で処理された遺骨にDNAが生き残る可能性はほとんどあり得ないが、完全否定は出来ない。」ということである。そしてYoshii以下の文章で意外な事実が浮かび上がってくる。

まずYoshii氏はこれまで火葬で焼かれた試料のDNA分析の経験がないとのことである。

これまで一度も取り扱ったこともなく、また量に限りがあって繰り返しの効かない鑑定試料でDNA分析に着手されたYoshii氏は、なんて勇気のある方だろうと私は思った。もちろん最初から鑑定試料に手を着けられたわけではなかろう。分析の対象となるDNAを鑑定試料から抽出するにはまずその手法を確立しないといけないが、そのために人骨を種々の条件で高温処理を行い、それぞれの標品から標品特有のDNAが抽出されることを確認しているはずである。当然実験記録が残されていなければならない。

鑑定試料の実際の形状を私は知るよしもないが、一応骨片だとしよう。研究室に運ばれてくるまでどのように扱われてきたのか、その経緯の記録が欲しいところである。しかしその記録の有無に拘わらず、運ばれるまでの全過程で第三者のDNA試料が骨片に付着している可能性を想定するのは常識である。となるとどうすればもっとも効果的に混在したDNAを取り除くことが出来るのか、これまた鑑定試料をテストに使用できないので、あらかじめ類似試料での予備実験が必要になる。これも実験記録が残っているであろう。

貴重な鑑定試料の処理に入るまでにはこのように、かなりの予備実験で測定条件の詳細な検討を行わないことには、怖くて本実験に入ることができないのがふつうである。

そしていよいよ本実験。ところがその分析結果について、Yosii氏はいとも気安げに仰っているのである。「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」と。

ここで私は自分の思い違いにはたと気づいた。Yoshii氏は分析が出来るかどうか、とにかくちょっと様子を見てみましょう、という気軽な気持ちで分析を引き受けられたのではなかろうか、と。私の推理が正しいかどうかは、上に述べた予備実験の記録が残されているかどうかを調べればすぐに判る。多分残されていないだろう。

ここで、少し横道に逸れる。実はこの「ネイチャー」の記事で二カ所ばかり科学的には必ずしも正確でない記述がある。

《Teikyo University'sTomio Yoshii, one of Japan's leading forensics experts, says there are several reasons why he managed to extract DNA from all five of his samples. These include the fact that he used a highly sensitive process called the nested polymerase chain reaction (PCR), which amplified DNA twice instead of once as in conventional PCR,》

この文章では、nested PCRと呼ばれる非常に敏感な方法を用いたからこそ彼の5種類の標品からDNAをなんとか抽出できた、となる。しかしnested PCRはDNAの増幅手段で、抽出手段ではない。だから『抽出』に焦点を当てる限り、この文章全体は科学的に無意味である。鑑定結果を出すためのおおまかな実験の流れは『試料特有のDNAの抽出』→『そのDNAのPCR法による増幅』→『量が増えたのでし易くなったDNAの分析』となるのであって、『抽出』と『PCR法によるDNAの増幅』は明らかに異なる操作なのである。

さらにnested PCR自体についての説明も誤解を与えやすい。PCR法とはDNA断片を短時間に増殖させる方法で、例えば数時間で20万~50万倍に増幅できる。だから通常のPCR法では増幅が1回、nested PCR法では増幅が2回という記述は正しくない。(このライターがなぜこのような書き方をしたのか、ある程度推測は可能であるがここではこれ以上立ち入らない。)

科学的に細かいことに私がわざわざ立ち入ったのは、このライターとしての『資質』を問題にしたかったからである。

Yosii氏の発言引用も、まさかとは思うものの、このライターの思い込みがありはしないかと慎重にならざるをえない。しかしこの記事が現れて一ヶ月になるが、Yosii氏からこの記事に異議を唱えられたとのニュースも伝わってこない。となると、発言引用はそのまま受け取っていいのではないか、というのが現時点での私の立場である。

ここで本題に戻る。

「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」の発言引用は重大な意味を持ってくる。Yoshii氏は「遺骨は横田めぐみさんのものではない」と断定していないのである。ではどこで政府発表のように「遺骨は横田めぐみさんのものではない」になってしまったのだろう。

『鑑定書』の流れを時間的に追っていけば答えは自ずとでてくる。

どこかで誰かが『決定的ではない』→『決定的である』の『すり替え』を行っているはずである。

私が不思議に思うのは「ネイチャー」の記事に触発されて日本のマスメディアがどのように動いたのか、見えてこないことである。私が見逃している可能性は高いので、もしお気づきの方がおられればぜひご教示をいただきたい。

ただ日頃からマスメディアに不信感を抱いている私は、日本のマスメディアの沈黙は「ネイチャー」記事の確認が、北朝鮮の『捏造』批判に与することになると(特に政府関係者から)云われそうなので、それを怖れての自己規制か、と勘ぐっているのである。
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街角で唄う ストリート・ミュージシャンとしてデビュー

2005-03-11 10:43:54 | 音楽・美術
街を歩いていて歌声や演奏が聞こえてくると立ち止まって耳を傾ける。
でも長居はしない。ガチャガチャ、そして声を張り上げているだけ、またはギターをジャラジャラかき鳴らしなにか唸っているだけ、というような演奏が多いからである。

ところが外国の街角で出会うストリート・ミュージシャンの演奏には、時間の許す限りたっぷりとお付き合いをしてしまう。時には声をかけたりする。どこが違うかといえば、こちらはほとんど『クラシック』の演奏なのである。

ヴァイオリン(写真は昨年6月、プラハのカレル橋にて)、クラリネット、フルート、ホルンなどをソロで奏でるのもあれば弦楽合奏にブラスの合奏もある。音色が流れ出すといつの間にか人の群れが出来上がり、それぞれのポーズで表情豊かに演奏に聴き入る。終われば拍手を惜しまないし、立ち去り際にそこばくのグラチチュードを残していく。

街角の『クラシック』の演奏は器楽に止まらない。リートもあればアリアもある。音響効果を考えてであろうか、ウイーンでは建物の壁に適当な距離を置いて身を構え、大勢の観客を意識するような優雅な仕草で声を張り上げる美女に美男子に出くわした。知っているメロディがけっこう多いので、私も歌に合わせて口ずさんでしまう。

そうこうしているうちに、私もストリート・ミュージシャンになりたいとの思いが頭の中に住みついた。自分も楽しみ人にも楽しんで頂く。幸い毎日を何とか食いつなげているので、お鳥目を必ずしも当てにしなくていい。それだけ自由な演奏を楽しめるというものだ。

そして、嬉しいことに、4月10日に街角デビューすることになった。と云っても私一人ではなくて仲間と一緒、全員5人の男声コーラスである。30分の時間を与えられたのでこれからの練習にひとしお身が入りそうである。「ふるさとの四季」だけで演奏時間が17分程度であるからこれを主に、他に数曲を考えている。

問題は演奏方式。伴奏なしのアカペラはまだ自信がないので伴奏はどうしても欲しい。しかしキーボードを誰もいじくれない。練習でもそれが問題になったので、現在はDTM(Desk Top Music)を活用している。楽譜をスキャナーで取り入れて編集した上でMIDI音源、例えばピアノを鳴らすのである。文字通りコンピューターの正確さでテンポが刻まれる。実際の演奏ではそれでは『色』がないので、『色』をどのように付けていくのかが目下の課題である。

全員が還暦を過ぎてのお目見えに心を高ぶらせている。ストリート・ミュージシャンが若者だけというのも寂寞たるもの、私たちのデビューが大いなる『街角芸術』の活性化に繋がればもって瞑すべしであるが、その成り行きはいかなるものだろうか。

期日が迫ればまた詳細をお知らせします。
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