日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

病後に歌う武満徹作詞・作曲「小さな空」

2011-08-20 11:49:13 | My Song
ここしばらくブログの更新をご無沙汰してしまった。元気が出なかったのである。

この間、7月15日に手術を終えて8月1日にいったん退院した。1週間自宅で休養してから8月8日に再入院し、抗がん剤の点滴と服用を始めて副作用などを見極めるのが目的であった。そして状況が落ち着いたところで退院したのが8月16日である。あとは3週間に一度、抗がん剤の点滴に通院すればよいことになった。

問題はやはり抗がん剤である。私の場合は食欲不振が副作用のようで、病院で出される食事を見るだけで身体が拒否反応を起こしてしまう。食事がとれないと当たり前のことだけれど元気が出てこない。それで逃げ帰るようにわが家に戻ってきた。たとえば朝食。今はオートミールに果物を以前と同じように美味しく頂いている。

食べられるようになったら嬉しくて歌が歌いたくなった。と言って声が出るはずがない。息も途切れ途切れである。でも歌いたい。病室の東向きの窓が空を四辺で囲っていたので武満徹の「小さな空」をいつも思い浮かべていた。YouTubeの「武満徹/小さな空-Small Sky- ピアノ独奏(http://youtu.be/JWqqlx8-vgo)」を伴奏に使わしていただいた。




野口雨情作詞・藤井清水作曲「河原柳」をスコアメーカーFX5 Proで

2011-02-02 18:44:19 | My Song
スコアメーカーのことは以前に楽譜作成ソフト「Finale2010」に熱中で書いたことがある。要するに楽譜をスキャナーで読み込んで、それをPCの音源で演奏可能な楽譜に変換してくれるソフトなのである。昨年9月頃にバージョンアップの案内が来ていたが「Finale2010」もあることだし、とバージョンアップを決めかねていた。それが1月31日の申し込み締め切り直前になって、半ば衝動的に12000円を送金してしまったのである。音符をいちいち手で入力する手間が省けるのが何よりも便利で、その上今回は繰り返して演奏する際に、演奏回数ごとに、指定した音符や記号、発想標語などの演奏条件の設定が出来るというのである。私はピアノ演奏を歌の伴奏に使うのが主な目的なので、これまで1番と2番で強弱やフェルマータの有無の違いがあれば、1番と2番の楽譜をつなぎ合わせて、異なる指定をしていた。予想通りなら手間が省けて有難い。それに新にVSTi音源に対応するようになったので、伴奏にいろんな楽器を組み合わせることも楽しめそうなのである。

新しいパッケージが昨日届いたのでさっそくインストールして、今勉強している「河原柳」を取り込むことにした。複雑な楽譜であるが認識の精度が上がっているようで、手直しの手間が少なくなっていることを実感した。出来上がりの1ページ目が次の通りである。


この「河原柳」という曲はVictorの出している「我らのテナー 藤原義江 全集」で聴くことができるが、野口雨情の詩に藤井清水(きよみ、1989-1944)が作曲したもので、なんだか不思議な風情がある。河原柳とは猫柳の異名で、早春に川辺で穂の出る姿を歌っているのであろうか。今日は久しぶりにすこし暖かさが戻り春の気配を感じたので、嬉しさついでについ歌ってしまった。





「同心草」をオーケストラで歌う

2009-06-01 10:44:22 | My Song
以前から歌っている韓国の歌동심초(同心草)をオーケストラ演奏しているサイトを見つけ、嬉しくなって一緒に歌ってしまった。気持ちよくオーケストラにのるにはまだまだ時間がかかりそうである。

      동심초

꽃잎은 하염없이 바람에 지고
만날 날은 아득타 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고

바람에 꽃이 지니 세월 덧없어
만날 길은 뜬구름 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고



一人で歌うDong-shim-cho (同心草)とその由来

2009-04-03 18:28:47 | My Song
私の大好きな朝鮮の歌、동심초の元はなんと唐の芸妓、薛涛が作った詩であった。

中央日報に次のような記事がある。

《名前そのものは聞き慣れないが、私たちに親しまれている歌謡「同心草」の原作詞者だ。「花びらは止めどなく風に散り、会う日はかなた約束もなく…」という内容は40代以上の人なら一時静かに吟じたことがある大衆歌謡だ。

薛涛が書いた「春望詞」という詩を金素月(キム・ソウォル)の師である詩人、金億(キム・オク)が飜案して付けた。全体の詩の内容をそのまま生かすことはできなかったが、一段落を移して書いた歌詞は哀切な曲調とともに解放直後、慌しかった人々の心に大きく響いた。

歌に出る「心を心を結ぶことができず、むなしくも草の葉ばかり結ぼうとするのか」という内容は薛涛の詩「心をひとつにしようとする人とは結ばれず、ただ同心草のみを編む(不結同心人、空結同心草)」という有名な句節を意訳したのだ。》

また「杉篁庵日乗」さんの「薛濤の春望詞」にはこの詩の詳しい解説がある。

《今日は薛濤(せつとう)の「春望詞」です。
「漢詩百人一首」や「漢詩百選・人生の哀歓」は「春望詞」の「其三」を載せています。しかし、四首まとめて読みたい詩です。》

とあって、「其三」とは次の詩である。

風花日將老 佳期猶渺渺
不結同心人 空結同心草

これを読み下せば

風花 日に将に老いんとするに、
佳期 猶ほ渺渺(べうべう)たり。
同心の人を結ばずして、
空しく同心の草を結ぶ。

薛濤は次のように紹介されている。

《薛濤(字・洪度、768年-831年)は中唐の伎女・詩人。魚玄機とならび詩妓の双璧と称されます。韓愈や白居易と同年輩です。もと長安の良家の娘でしたが、父について蜀(四川省)へ行き、のち妓女となりました。彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(原稿用紙・色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされました。また、王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたといいます。》

いやはや、なんとも凄い女性である。

この詩の朝鮮語訳が次の通りである。

風花日將老 (풍화일장노) 꽃잎은 하염없이 바람에 지고
佳期猶渺渺 (가기유묘묘) 만날 날은 아득타 기약이 없네
不結同心人 (불결동심인) 무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
空結同心草 (공결동심초) 한갓되이 풀잎만 맺으랴는고 (문제의 구절)

漢詩の後の括弧の中は漢字の朝鮮語読みで、それに続くのが翻訳であろう。翻訳者がもしかすると複数いるのではなかろうか。歌の二番の出所が今のところ不明である。

一方、作曲者は1910年生まれ(奇しくも亡母と同年の生まれ)金聖泰(김성태)さんで、間違いなく朝鮮の方であろう。まだ原譜にはお目にかかっていないが、その画像をたまたま手にしたので スコアメーカーで復元してみた。Sumi Joさんはもちろん原調で歌っているが、私は短二度下げて歌うことにした。まずは一人でお稽古始めである。





やっぱり歌ってしまったDong-shim-cho(とん・しむ・ちょ)

2009-03-31 11:22:02 | My Song
昨日はこの동심초(とん・しむ・ちょ)について、《やはり発音だけではなくて、歌の意味が分かってこそ本当の歌になる。もう少し勉強してから原語で歌うことにする。》なんて見得を切ったが、やはり意味はもう一つでも、せっかくの韓国・朝鮮語入門コースの終了記念でもあるので、Sumi Joさんと一緒に原語で歌ってしまった。教科書的には正しい発音のつもりだが、おかしいことに気づいたらまた直していくことにする。Sumi Joさんとはあきらかに発音の違うところが何カ所かあるが、もしかすると元の歌詞が違うのではないかと思う。意味が理解できるようになってから違いを検討してみる。それにしてもこの歌、何語で歌っているのか自分で聴いてもさっぱり分からないとは・・・。(^^;)

동심초

꽃잎은 하염없이 바람에 지고
만날 날은 아득타 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고

바람에 꽃이 지니 세월 덧없어
만날 길은 뜬구름 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고

追記(4月1日) 一部分だけ異なる歌詞をネットで見つけたので、それに変更した。しかしSumi Joさんの歌っている歌詞とはところどころ違うように感じるが、もしかすると私の聞き取り能力のせいかもしれない。いずれにせよもう一度歌い直した。発音には出来るだけ気をつけたつもりである。

寒中に歌う「The Last Rose of Summer」

2009-01-26 18:26:32 | My Song
アイルランド民謡「庭の千草」は母の愛唱歌であった。なにかあると歌っているものだから私も子供の頃から歌っていた。英語を習い始めてとにかく原語で歌いたかったのがこの歌である。原題は「The Last Rose of Summer」でアイルランドの詩人Thomas Mooreの作詞である。

Tis the last rose of Summer,
Left blooming alone;
All her lovely companions
Are faded and gone;
No flower of her kindred,
No rosebud is nigh,
To reflect back her blushes,
Or give sigh for sigh!

I'll not leave thee, thou lone one,
To pine on the stem;
Since the lovely are sleeping,
Go sleep thou with them.
Thus kindly I scatter
Thy leaves o'er the bed
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.

これが明治18年6月刊行の小学唱歌集第三編には里見義作詞として、あの人口に膾炙されることとなった「庭の千草」に姿を変えている。「夏の名残のバラ」が季節をずらして「初冬の残菊」となったのである。読売新聞文化部「愛唱かものがたり」によるとThomas Mooreはこの詩の冒頭に「旋律は(ブラーニー森)を用いる」との注釈があり、すでにこのメロディーが存在していたことになる。

ところでこのブラーニーは十五世紀に築かれた石造りの城が今でも残っており、高さ二十五メートルの城壁の上から身を乗り出し、その先にある石にキスすると、雄弁家になれるとの言い伝えがあるそうだ。今では女性を口説こうとする男ども、政治家を目指す野心家たちが次々と訪れて、この不思議なご利益を授かっているとのこと。ひょっとしたらオバマ大統領も石にキスをしてきたのかも知れない。

「The Last Rose of Summer」は私が英語で歌う歌第二弾。つくずく英語は難しいと思いながらも母を偲んで歌った。

FosterのBeautiful Dreamerを

2009-01-24 17:00:06 | My Song
私の歌った「ドン・ジョヴァンニ」でドン・ジョヴァンニとツェルリーナの歌う二重唱「手をとり合って うちへ行こう」の歌い出しの文句「la ci darem la mano」をGoogleで検索すると、上位二位がYouTubeのサイトで三番目に私の歌が出てくると1月9日に記したが、いつの間にかトップに躍り出ていることを昨日に知った。今朝の検索結果である。



Googleではそれなりの理由があって私の歌を世界の三大テノールよりも、さらに言えばプロのあらゆる歌手よりも高く評価してくれているのである。良い気分になったところで(だからイチャモンは一切お断り)今度は英語の歌にチャレンジしてみた。おなじみ、フォスターの「夢見る人」である。昔からよく知っている歌だけれどちゃんと歌ったのは初めてで、私の苦手とする9/8拍子であることに気がついた。それに録音を聴いてみると私の英語が思っていたよりはるかに下手であることを発見した。これではヨーロッパ生まれ(非英語圏)のプロ歌手の英語と変わりがないではないか!??

おかげで努力目標が出来たというものだ。目指すはAndy Williamsである。

ドン・ファンになるのも難しい

2008-11-15 22:20:35 | My Song
ヴォイストレーニングを感心なことに続けているので、年末恒例の発表会も今度で四回目になる。今年は少し欲張ってモーツアルトのDON GIOVANNIに挑戦することにした。一曲目はドン・ジョバンニがマゼッタとの結婚式に行く途中のツエルリーナを誘惑して小屋に連れ込もうとするとこまではうまく行ったが・・・、という場面で歌われる小二重唱「手を取り合って」である。

歌い出しの「La ci darem la mano」をGoogleで検索するとYouTubeで何組もの歌手の演奏が観られるのには驚いた。ここではS. Keenlyside と C.Schafer を先生役に歌った。本番ではとても美しい声のチャーミングなソプラノ歌手に相手役をしていただくことになっている。

二曲目はカンツォネッタ「窓辺に来ておくれ」で、今度はドン・ジョバンニを追っかけ廻しているドンナ・エルヴィーラの小間使いを窓辺に引き寄せようと甘ったるく歌うセレナードである。いずれにせよ実生活で経験を積んでいると歌の雰囲気を上手に作り上げられるのだろうが、いかんせん未熟者の私ゆえ歌が硬い。ドン・ファンになるのも修業がいるとはこれまた大変である。あと1ヶ月足らず、特訓に明け暮れることにしよう。

あの人も歌っている「津軽のふるさと」をもう一度

2008-03-07 16:17:47 | My Song
「恥ずかしながら・・・」とは口先だけのこと、臆面もなく素人芸を披露していると、嬉しいことに時にはコメントを寄せてくださる方もいる。そのお一人に「津軽のふるさと、よかったですよ、あなたの声がちゃんと聞こえるのがいい」と言われたので、表に引っ張り出した塩田美奈子さんにまた少し後ろへ下がっていただいて歌い直した。嬉しがり屋丸出しである。こうすると自分なりに直すべきところがよく分かるのがいい。「またウララが始まった、ウララ ウララ ウラウララ(なぜか山本リンダ調)」と家人の揶揄にもめげず、ひたすら精進に駆り立てられると言うものだ。

「千の風になって」の秋川雅史さんが歌っている、と教えてくださった方もいた。日本人の琴線に触れる「津軽のふるさと」は、ジャンルを超えてクラシックの歌手をも魅了するのだろう。しかし私の好みで言えばやはり塩田美奈子さんである。秋川さんの「津軽のふるさと」は「千の風になって」のように聞こえてきたからである。


塩田美奈子さんと歌う「津軽のふるさと」

2008-03-04 13:19:12 | My Song
6月下旬に西宮の芸文センターで佐渡裕プロデュースの「メリー・ウィドウ」が上演される。オペレッタは大好きなので先行予約受付の初日にチケットを予約しようとしたが、相変わらずインターネットは止まるし電話は繋がらない。10時から電話をかけ始めて午後1時前にようやく繋がった。私が狙っていた佐藤しのぶ・森麻季が出るほうのチケットは早くも完売だったが、ダブルキャストで塩田美奈子がハンナ役を演じる方のチケットは確保できた。もっとも私が購入したのはC席なので、それより高い席はあったのかも知れない。

実は塩田美奈子さんも私の好きな歌手の一人でCDはほとんど買っている。それにもう何年も前になるが兵庫県の確か社町にあるホールでのリサイタルには車で駆けつけたこともある。田園の中にあるホールで長靴をはいた野良着姿の観客が印象的だった。軽トラックでやってくる、そういうとてもアットホーム的な雰囲気がよかった。塩田美奈子さんのトークも面白く、カルメン役だかで踊りを習っていたスペイン人ダンサーと出来てしまった、なんて話に一挙に親近感を抱いてしまった。今度「メリー・ウィドウ」役をするのに旦那と別れたりするんだろうか。

その彼女の歌で絶品なのが「津軽のふるさと」である。その味を壊して申し訳ないが、ついつい一緒に歌ってしまった。