日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

牛丼の値引き合戦もほどほどに

2010-07-30 21:26:16 | Weblog
一昨日、外出した折りに「吉野家」の前を通りかかったら牛丼270円のビラが目に入った。また安売り合戦の始まり?と思ったら案の定、昨日の朝日朝刊に次のような記事が出ていた。


これを見ると牛丼並盛りが通常は「吉野家」380円、「すき家」280円、「松屋」320円ということになる。私はこれまで「吉野家」と「すき家」では食べたことがあるが、いずれもそれなりに美味しくて、食べるとしたら店の選り好みはせずに先に目に入った方に入ることだろうと思う。「松屋」は未体験ゾーンであるが同じようなものだろう。ただ私が「吉野家」や「すき家」を利用するのは年に数えるほどしかないので、店の特徴とか味に好みがあるわけでもなく、要は空腹を満たせば良いのである。

そういう立場で「牛丼バトル」を見ると、なんだか無駄をしているような気がする。吉野屋にしても値下げの期間は客足も増えるかもしれないが、それがある程度の利益を産むにせよ、通常の値段に戻るとまた元の売れ行きに戻るのではなかろうか。私もかなり前に「吉野家」が一時値下げした時にミーハーよろしく、わざわざ車で近くに店に出かけてテイクアウトを持って帰ったことがあったが、そういうことを経験すると、次の値下げサービスまで待とうという気になってしまう。

私は「吉野家」の380円が高いとは思わない。270円に一時的にせよ値下げが出来るなら、350円ぐらいにしていつも変わらないサービスを続けた方が逆に安堵感があって、リピーターをがっちりと確保出来るのではなかろうか。今回の値下げ合戦でも、後発二社が「吉野家」と同じく270円に値段を統一して売れ行きを競うのであれば、自ずと客筋の特徴が見えてきて面白いと思うのに、低価格が売り物で客足を引こうとするのはどうも低次元での争いに見える。新聞記事では『企業側は生き残りをかけた「体力勝負」』なんて嗾けているようだが、お互いがそれぞれの特徴を出してそれを好む客層をそれぞれ引き寄せ、共存共栄を図ったらいいのに、と思ってしまう。安値だけに釣られる消費者を相手にするのではなくて、この出来ならこれぐらいは払って当たり前、と思う顧客を引きつける努力を重ねるのが商売の本道ではなかろうか。納得のいく金額なら払うつもりでいる消費者にただ安値を押し付けることは、消費者の人格を軽く見ているような気さえする。

ところで先ほど、少しサイズの合わないTシャツを着ている妻が目に入った。不審そうな視線を感じたのか「安い出物があったので買ったの。いくらだと思う?」と「上手な買い物をしたのよ」と誇らんばかりの口調で聞いてきた。思い知らせてやれとばかり「200円」と声をかけるとなんと「すごい、当たり!」と拍手が戻ってきた。ああ、やんぬるかな!


厚労省崩壊を食い止めるために政務三役と職員の公開討論を

2010-07-28 23:47:20 | 社会・政治
気になるニュースが相次いで飛び込んできた。asahi.comの記事を時間順に並べると次のようになる。

残業、厚労省ダントツ 大臣の指示細かい…との声も

 中央省庁で昨年度、最も残業時間が長かったのは厚生労働省という調査結果を、霞が関国家公務員労働組合共闘会議(霞国公)がまとめた。月平均の残業時間は旧厚生省系、旧労働省系ともに70時間を超えた。自由記述では厚労省職員から「大臣の指示が細かく多くなった」と、政権交代の影響を指摘する声も上がったという。

 全体の平均残業時間は、前年度より3.5時間減の月32.8時間だった。最も長かったのが旧労働省系の73.4時間(前年度比7.1時間増)で、旧厚生省系は71.7時間(同0.5時間増)。経済産業省の45.9時間、国土交通省の旧運輸省系の39.7時間と続いた。
(2010年7月28日21時18分)

中央省庁で最も残業時間が長かったのがわが国の労働行政を統括する厚労省とは、その原因としていかなる理由があろうとも何とも様にならない話である。これは霞が関国家公務員労働組合共闘会議(霞国公)がまとめた結果であるが、この情況を別の形で裏付けるような調査結果が引き続き現れた。

「政務三役の指示に納得」1% 厚労省職員調査

 厚生労働省政務三役の指示に納得している職員は1%――。厚労省の本省職員を対象にしたアンケートで、政務三役に対する不信感が浮き彫りになった。政務三役の「おごり」を感じる職員も半数近く。長妻昭厚労相は省の目標で「おごりの一掃」を掲げるが、皮肉な結果が出た。 (中略)

 上司の評価は、課長級、局長級以上、政務三役など役職別に調べた。「現実的なスケジュール感の観点から、納得のいく指示が示されている」という評価は、課長級38%、局長級以上29%に対し、政務三役は1%。「厚生労働行政に対する思いやビジョンが伝わってくる」では、課長級が29%、局長級以上が31%で、政務三役は15%だった。一方、「おごりを感じる」のは、課長級、局長級以上ともに6%だったが、政務三役は48%に上った。
(2010年7月28日23時24分)

こちらは長妻厚労省大臣が厚労省改革のため省内公募した若手職員によるプロジェクトチームが6月に実施した調査結果である。長妻大臣としてはこの結果に従い厚労省改革に踏み切らねばならない立場に置かれているが、厚生労働省政務三役の指示に納得している職員は1%であるから、政務三役、すなわち大臣、副大臣、政務官が「厚労省改革」の名の下にいかなる指示を下そうと厚労省職員の心からの支持を当てにすることはできないのである。政治主導の実行当事者である政務三役が、いわばその部下である実行部隊に総スカンを食わされたのであって、この事実は厚労省が容易ならざる事態に陥っていることを示している。

ただ調査結果の数値のみでは国民の目に実態が見えてこない。事業仕分けのように政務三役と職員(代表)が国民の前で向かい合って、まず職員がなぜ指示が納得出来ないのかを具体的に述べ、それに政務三役がどう応えるのか、すくなくとも私はそれを自分の目で見極めたいと思う。もしこのような公開討論開催を政務三役が主導すれば、それ自体をまず国民は高く評価することだろう。国民に今厚労省で生じている政務三役と職員の乖離の実態を詳らかにすることが、問題解決の第一歩になること私は期待したいのである。



一般読者の視点を意識しない文学賞選考委員なんて 追記あり

2010-07-27 23:20:13 | Weblog
このたびの直木賞、芥川賞の受賞作品を読んで、それぞれの読後感を中島京子著「小さなおうち」が与える静かな感動赤染晶子著「乙女の密告」は私には合わなかったで述べたところ、Google検索で早くも次のように出ていることが分かった。Amazonや出版社のページより上位に出てくるとは、どういう仕組みでそうなるのか摩訶不思議である。人目に触れるチャンスがそれだけ多いことになるのだろうが、そう思うと芥川賞の受賞作品は「私には合わなかった」と、取りようによっては否定的な表現になっているので、何となく申し訳ないような気がする。しかし一方では、芥川賞の選考にいちゃもんをつけているようなものだから、何が気に入らなくてそうなのか、少しだけ補足しようと思う。。



MSN産経ニュースで、もう少し詳しい選評の出ているのにその後気がついた。そこには赤染さんの作品について次のように述べられている。

『乙女の密告』は、『アンネ・フランクを密告したのは誰か』という、歴史的にも大きな問題を小説の中に取り入れつつ、個人のアイデンティティーを主題にするという小説の作り方が非常に巧妙。自分は自分であるということはどういうことかという文学的な問題や、忘れた後にもう一回思いだすとはどういうことかといったユニークな問題に着目し、アンネの日記という題材に生かし切って小説に書いたところが評価された。

いずれはもっと詳しい内容が文藝春秋誌に掲載されるだろうが、それを待っていると頭は他所の方に向いてしまいそうだから、拙速をかえりみず今の時点でこれにコメントを付けることで私の思いを披瀝する。

私が解せないのはその選評に、読者の存在を決して忘れていないと思わせる顧慮が見当たらないことなのである。ここで言う読者とはわれわれのような一般の読者、すなわちその作品を買ってまで読もうとする読者のことで、選考委員や献本を読む人は含まれていない。もし選考委員に一般読者がどう受け取るであろうかという顧慮がひとかけらでもあれば、選考委員同士の間では通じるかも知れない仲間内の言葉や概念を、一般読者にも分かって貰おうとする姿勢が自然と出てくることだろうと私は思う。ところがそれがどうも見当たらないのである。

改めて上の選評を眺めてみる。『乙女の密告』は、『アンネ・フランクを密告したのは誰か』という、歴史的にも大きな問題を小説の中に取り入れつつ、個人のアイデンティティーを主題にするという小説の作り方が非常に巧妙。の部分、もちろん新聞記者の手を経ての引用であるから選考委員の言葉そのものではないにせよ、歴史的にも大きな問題を小説の中に取り入れつつ、個人のアイデンティティーを主題にするという小説の作り方が非常に巧妙とはこれいかに? と問い返さざるを得ない。なぜなら私はすでに著者が「アンネの身に起きたこと」と「大学の教室の中で乙女と呼ばれる生徒たちの間の出来事」の辻褄合わせに一生懸命のところだけが目についたという私の感じたことをすでにブログに書いており、小説の作り方が非常に巧妙とは真っ向からぶつかっているのである。そこで選考委員に求められるのは小説の作り方が非常に巧妙を一般読者に分かりやすく具体例を引きながら説明することである。その姿勢が果たしてあるのだろうか。

自分は自分であるということはどういうことかという文学的な問題や、忘れた後にもう一回思いだすとはどういうことかといったユニークな問題に着目のところにしてもそうである。文学的な問題とは言葉をかえれば選考委員だけにしか通じない問題であろう。一般読者が求めるのは文学的な問題に矮小化されない人間の存在についての問いである。そういう意味で文学的な問題ユニークな問題も、選考委員の仲間内という狭い世界での一つの視点に過ぎず、一般読者の存在がその世界から完全に排除されている。

一般読者の視点を欠いたというか、意識しないお山の大将的な選考委員が選ぶ文学作品が、一般読者に広く支持されることは到底期待出来ない。ひょっとしたら芥川賞はもはや消え去るべき運命にあるのだろうか。その点、直木賞は残るような気がする。

追記(7月28日朝)
この記事に次のようなコメントを頂いた。

このコメントは公開されなくて結構です)
瑣末なことかもしれないので恐縮ですが、タイトルは「小さなおうち」ではなくて「小さいおうち」です。Googleで上位に出たのも「小さな・・・」で検索なさったせいかと。
(もしかすると著者はバージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」にならったのかなと想像したりしております)

ドキッとした。確かにとんでもない間違いを犯していた。中島京子さんの受賞作のタイトルを私は最初から「小さなおうち」としていたのである。正しくは「小さいおうち」であるからGoogle検索でトップに出てくるのはご指摘の通り当然のことである。ご指摘を心から感謝するとともに、まさに自作自演の狂騒劇でお騒がせしたことを反省してお詫びする。ちなみに今『中島京子著「小さいおうち」』で検索すると私の記事がそれでも約74900件中15位に出ていた。やっぱり摩訶不思議である。

実を申し上げると、現在の記事の主題である赤染晶子著「乙女の密告」も、著者の名前を赤染子としていったんアップロードしたが、この間違いは直ぐに気がついて訂正したのである。「うっかり?ミス」ご用心!を肝に銘じることにする。なおこちらの現時点での検索結果は約35200件中の第2位で、現在の記事の趣旨に影響を与えるものではないことをあらためてお断りする。







赤染晶子著「乙女の密告」は私には合わなかった

2010-07-26 14:45:22 | 読書

書店で中島京子著「小さなおうち」に並んでこの本があった。手に取ると持ち重りのしない感触がいい。厚さが15ミリでページを開くと上下のマージンが大きくて、行間の空いているのがいい。活字がもう少し大きかったら歌集か詩集のような感じになったことだろう。やっぱり紙の本は捨てがたい。この人、赤染衛門の血を引いているなんてことになったら面白いなと思いながら手を出した。


京都の外国語大学での教室シーンから始まる。日本人教授が講義しているはずなのに、そこへドイツ人教授が乱入してきて、勝手なことを喋り始める。私が日本人教授ならチョークを投げつけるところだと思った途端、読むべきか読まざるべきかと迷いが生じた。情況が作り物めいている。他の教授の講義を妨害するのは刑法に触れる行為であろう。こんなことが「今月はもう二回目だ」と書かれている。このような犯罪的行為が是正されることもなくまかり通っている大学なんて、と思ったらわざとらしさが感じられて素直についていけなくなった。生真面目人間(私のこと!)とは困ったものなのである。

でも1200円出して買ったことだし、と、とにかく読み進んで終わりまで来た。朝日新聞には

◆芥川賞「乙女の密告」 巧みさ評価、圧倒的支持

 芥川賞に決まった赤染さんは、アンネ・フランクが昨年生誕80年を迎えたことをきっかけに『アンネの日記』を再び手に取った。受賞作は、その『日記』の本質を、外国語大学の女学生である「乙女」が理解していく物語。「日本人の女の子たちの世界を乙女という作り物にして描くことで、アンネの日記の世界のリアリティーを強調したかった」

 自らの問題意識のもとで歴史をユーモラスに再検証する作風について選考委員の小川洋子さんは「ある区切られた空間の中にある人数の人が集まると、理不尽なことが起きる。大学の教室の中で乙女と呼ばれる生徒たちが二つの派閥に分かれて争い、密告が起こるというのは、アンネ・フランクの身に起きたことに重なる。二つの世界が結びつく巧みな小説」と評価した。
(asahi.com 2010年7月17日)

と選評が紹介されているが、私は残念ながら最初に変なことで引っかかったものだから、著者が「アンネの身に起きたこと」と「大学の教室の中で乙女と呼ばれる生徒たちの間の出来事」の辻褄合わせに一生懸命のところだけが目についた。感動することがなかったので、著者の目指すものが何か、理解出来ないままであった。この著者の作品にふたたびお目にかかることがあるだろうか。

中島京子著「小さいおうち」が与える静かな感動

2010-07-25 17:19:11 | 読書
第143回直木賞の受賞作品、中島京子さんの「小さなおうち」が朝日新聞に『戦前から戦争下へと向かう時代の中産家庭の暮らしぶりを、戦後の視点から「暗くて悲惨」に描くのではなく、その時代に生きた人間の感覚で「軽やかでリアルに」描いたことが高く評価された。その背景には、膨大な資料の読み込みと咀嚼(そしゃく)があり、直木賞の選考経過を発表した林真理子さんは「なめらかに表現されている」と評価した。』と取り上げられていた。まさに私の好みの題材なので、本屋の店頭にこの本が並ぶのを待ちかねて購入した。


東北の一県からタキが女中奉公で東京に出たのが昭和5年の春で、最初は小説家の家に勤めたが、その翌年、小説家の知り合いの娘さんに幼い子どもがいて手がかかるのでと乞われてそこの女中となった。しかしこの時子奥様、旦那様の不慮の事故死で男の子一人とともにとり残されるが、やがて二度目の結婚話が持ち上がり、見合の席で赤い瓦屋根の洋館を直ぐにも建てます、とアピールした男性に子連れ女中連れで嫁ぐことになる。それが昭和7年のことで、約束の赤甍を載せた二階建ての洋館が建ったのはその3年後である。このように当時としてもお洒落な洋館を新築することが出来、また女中を一人ぐらいは置くような平井家の家庭とその周辺の日々の営みが、タキによって書き連ねられる。この時代は私が生まれて成長した幼少年時代と重なっているので、素直に物語を追うことが出来て、自然と湧き起こるノスタルジアが快かった。

そして戦争が始まり、昭和19年ともなると世情も騒然としてくる。ついにタキも平井家を出て故郷の山形に戻るが、疎開児童の帰京に同行して東京に出て時子に再会する。近況を話し合ったあと、次のような会話に移る。

「ねえ、タキちゃん、いま、何が食べたい?」とおっしゃった。
「え? いまですか? さっき、上野でお昼を食べましたから」
「そうじゃないのよ、そうじゃなくて、もし、いま、何でも好きなものを食べられるって聞いたら、どこの何を食べたいかって話なの。恭一(息子)といっしょに、これを始めると、旦那様、すごく怒るのよ。いやしいことを言うって、おっしゃるの。でも、いいじゃないの、ねえ? 思い出して、楽しんでるだけなんですもの、たとえば、そうねえ、コロンバンのショートケーキが食べたいわ」
 私はびっくりして奥様のお顔を見つめ、奥様はぷっと噴き出された。
「どうしたの、タキちゃん。だから言ったでしょ。楽しんでるだけよ。これから食べようって、話じゃないのよ」

急に涙腺が緩んでしまった。恥ずかしくて口には出せなかったけれど、頭の中でそういう自問自答していた昔を思い出したからである。母の婦人雑誌にある料理やケーキのカラーグラビアを眺めては楽しんでいた。

第一章から始まり話はすでに第七章まで進んでいる。昔を思い出すエピソードが適当に出てくるが、ここに至るまで物語はどちらかと言えば淡々と進められるものだから、一体どこがよくてこれが直木賞?との思いがちらちらと頭を掠めるようになった。それが最終章にいたって思いがけなく急激に展開し、上手に仕掛けられていた伏線に思い当たるようになる。そう思ってみると物語構成が結構論理的でよく計算されていることに納得がいく。ただそれにしては最終章がそれまでのテンポに比べて急ぎすぎのようにも感じたが、読み終わると、あれほど物語の中で生き生きとしていた人がもはやこの世にいないんだなと思い当たるにつれて、心地よい静かな感動が全身を浸していた。間もなく敗戦の日を迎えるこの季節、蝉の声に耳を傾けながら楽しむのにもってこいの小説のようである。


白鵬46連勝! そして新田一郎著「相撲の歴史」が講談社学術文庫に

2010-07-24 23:15:19 | 読書
大相撲名古屋場所14日目、横綱白鵬が大関日馬富士を倒して連勝記録を46に伸ばし、あの大横綱大鵬の45連勝を超えて昭和以降双葉山69連勝、千代の富士53連勝に次ぐ3位の座を占めた。ネットでニュースが伝えられるのを追うなどして、大相撲久しぶりの大記録の樹立に私も興奮した。連勝記録がどこまで伸びることやら、双葉山を超えて欲しくなる。

私がかって通っていた京城府公立三坂国民学校にはプールのほとりに相撲の土俵があり、大関名寄岩の一行が立ち寄って取り組みを行ったのを、当時3年生か4年生であった私が土俵際で見たことがある。最近の近畿三坂会で、その時褌を巻いて土俵に上がり、名寄岩と取り組んだという上級生にお目にかかり話しが弾んだ。相撲取りを目の当たりにしたことが切っ掛けとなって、相撲紙人形をこしらえて遊んだり、弟たち相手に相撲を取るぐらいではあったが相撲好きになってしまった。高校一年生の時、担任は体育大学を出た体操の教師であったが、体育の時間に相撲を取ることになり、私は足取りに徹することを決めてその教師に立ち向かい、見事勝利を収めた誇らしい?記憶がある。今にいたるも大相撲が始まると、ニュースでその日の取り組み結果を見ないことには落ち着かないのである。

名古屋場所が異例ずくめの経緯を辿っているが、それはそれなりに理由があってのこと。その一部は大相撲が変に国技に祭り上げられてしまったことにも由来すると思うが、私は日本相撲協会を「相撲特区」にすべしで持(暴?)論を展開しているので興味のある方はご覧いただきたい。

この記事の中で私は新田一郎著「相撲の歴史」(山川出版社)の一文を孫引きさせていただいたのであるが、その本が最近講談社学術文庫と装を改めて出版されたので手にすることが出来た。


先ず驚いたのが著者新田一郎氏の経歴である。こういう類の本を書かれるのだからかなり年配の方かと思ったら、なんとなんと、1960年生まれの方なのである。そして現在、東京大学大学院法学政治学研究科教授、日本法制史専攻、東京大学相撲部部長、日本学生相撲連盟理事とある。へぇ、と思うには当たらない。なんせこの著者は学生時代にはマワシを締めて蔵前国技館の土俵にも登っているのだから。巻尾の『二十一世紀の相撲―「学術文庫版あとがき」にかえて』にもあるが、この本はその著者をして次のように言わしめているまことに力のこもった作品なのである。。

 本書の原型は、一九九四年六月に山川出版社から刊行された。私の最初の著書であり(それゆえ、「相撲と法制史と、いったいどちらが本業なのか」という、立場上正直には答えづらい質問を受けることも多い)、相撲史の全体にわたる記述としては今もって他に代替品なし、との自負をもつ。

「あとがきにかえて」には次のような意見がすらっと出てくる。

「品格」を論ずるならば、昔日の(たとえば明治時代の)力士の無頼豪放ぶりは到底朝青龍などの比ではなく、だからこそ、まっとうな技芸としての社会的地位を獲得するためにことさら「品格」めいたものが唱えられなければならなかったのである。

その昔日の頃、人はいかにして「力士」となるのか。

 大相撲社会は、本格的な相撲経験のない生の素材を大量に仕入れ、不適格者を次々に淘汰することによって少数の適格者を析出し、上位にゆくほど細かくなる人口ビラミッドの形状を維持してきた。他のプロスポーツとは異なり、アマチュアの有力選手という既製品をスカウトするのではなく、未経験者から時間をかけてたたき上げることによってこそ、「ちゃんこの味が染みた」と形容される「力士らしい力士」が出来上がる。

これをまた学問的?に言い直している。

 力士養成員たちは大相撲社会への「正統的周辺参加 legitimate peripheral participation」 によって修業を始め、生活のすべてにわたり先達に倣いつつ「状況的学習 situated learning」を深め、やがて「十全参加 full participation」へと歩を進める。相撲が強くなることと大相撲社会への適応とかがほぼ同期することが、予定調和として想定されている点に、この仕組みの特徴があり、そこでは、長い時間をかけて受け継がれてきた「伝統」をより深く体得した先輩が常に優位に立ち、未熟な下積みに課せられる厳しい修業が正当化されることになる。

この昔日の「力士養成法」が、すでに何かの技を身につけた外国人はやって来るし、また「アマチュア相撲経験者」も入ってくるという現在といかにぶつかり合い、その結果どのような変貌が生じるかをすでに我々は目にするようになっている。そして一方、

 丁髷・化粧マワシ・土俵入り・行司・呼び出し等々の演出装置を欠いた、いささか単純な(?)挌闘競技としてのアマチュア相撲は、相撲人気の蚊帳の外におかれており、国技館で開催される学生相撲の大会でさえ、世間の話題になることはあまりない。(「はじめに」から)

そしてこの問題は「相撲の国際化」とともに深刻さを増していく。

日本文化の伝統に根付いた大相撲の行方がはたしてありうるのかどうか、相撲ファンがじっくり考え直すに当たって、まずこの本が熟読玩味されるべきである。

Natureになぜか韓国哨戒艦沈没の記事が (II)

2010-07-22 20:49:03 | Weblog

(I)より続く。

Chemical and structural properties of the following three samples of“adsorbed material” (AM) were investigated using Electron-Dispersive Spectroscopy (EDS) and x-ray diffraction: (i) the first sample, here referred to as AM-I, was extracted from the surface of the bow, stern, stack of the CheonAn ship; (ii) the second sample, AM-II, was extracted from the surface of the propeller of the torpedo; (iii) the third sample, AM-III, was from the inner surface of the Al plate used to cover the top of the metal tank that housed enough ocean water where a small scale explosion was tested.

そしてこう述べる。

It has presented two pieces of evidence to support its claim: that white compounds – “adsorbed materials” in the JIG's report (we analyzed the Korean-language JIG report) – found on the torpedo match those found on the surfaces of the Cheonan ship; and that the compounds resulted from an explosion.

Lee氏はAM-IAM-IIが一致することは認めるが、それが爆発に由来する化合物であることを次のようなEDSデータに基づいて否定する。

But the intensity ratio of the oxygen peak and the aluminum peak in their EDS data of the AM-1 and AM-2 is very different from that of the alumina, Al2O3, that the JIG argues is formed during the explosion. This means that the AM-1 and AM-2 samples have nothing to do with any explosion, but are most likely aluminum that has rusted after exposure to moisture or water for a long time. An independent scientist, Dr. Yang Panseok, a member of the University of Manitoba’s department of geological sciences, has found that the EDS intensity ratio of hydrogen and aluminum in the compounds is not even close to that of the Al2O3 that the JIG claims constitutes the compounds. Rather, it matches that of an aluminum hydroxide, Al(OH)3.This alone clearly tells us that the AM-1 and AM-2 are not associated with any explosion.

EDSデータの解析についての問題点に加えて、x-ray diffractionデータにも問題のあることを次のように指摘する。

Furthermore, the x-ray diffraction pattern of the AM-3 third sample that was extracted from the JIG's test explosion is completely different from the x-ray patterns of the AM-1 and AM-2. The main difference is that in AM-3 sharp peaks are present indicating (1) only a fraction of the Al (aluminum) oxidized during the explosion, and (2) the un-oxidized Al remains in its crystalline form, while in AM-1 and AM-2 no signal related to any Al-related compounds was observed.

そして

In fact, the JIG x-ray data of the AM-3 sample (the JIG's test experiment data) shows strong crystalline Al signals and weak crystalline Al2O3, consistent with the Lee experimental results. However, when the media reported our experimental results and the inconsistencies between the AM-3 and the other two samples, the ROK ministry of defense responded that the crystalline Al signal found in the AM-3 sample was due to an experimental mistake, which we believe is a plain lie. To summarize, our scientific analysis and experiment lead us to conclude that (1) JIG's AM-1 and AM-2 samples did not result from an explosion and (2) some of JIG's data, most likely the AM-3 EDS data, may have been fabricated.

この強調部分で「our scientific analysis and experiment」とあるのはLee氏らが行った独自の加熱実験のことで、Were the “Critical Evidence” presented in the South Korean Official Cheonan Report fabricated?に次のように述べられている。

we have performed SEM, EDS and XRD measurements on the following two samples: (1) Al powder without heat treatment and (2) an Al powder that was heated at 1100 ℃ for 40 min and quenched in water in less than 2 sec.

この(2)は火薬が爆発するとAlが結晶状になるということの証明としてなされたのである。JIGで行った爆発実験が民間では出来ないからとアルミ粉末を1100 ℃ で40 分間加熱し、水中での冷却の模してであろう2秒以内に水で冷却したのは苦心の作としても、私にはにはこれがどうして爆発実験の代わりになるのかが理解出来ない。爆発は一瞬に起こるもの、それがどうして1100 ℃の40分間加熱に相当することになるのだろう。そう思ってみるとこのような疑問とは無縁のLee氏が急にアマチュア実験家のように見えてきた。JIGのデータに矛盾のあることの指摘はもっともであるだけに、このギャップが気になる。その意味ではLee氏らが提案する国際社会による客観的かつより包括的な調査の重要性が大きく浮かび上がったと言えよう。

ここで最初の疑問に戻るが、なぜNatureが韓国哨戒艦沈没事件を二度に亘って取り上げたのか理解に苦しむ。Lee氏らの物理実験と言えば私の知る限りネット上での記事に過ぎない。また批判の対象となったJIG報告書の中のデータも誰もがアクセス出来る科学論文のような形で公表されたものでもない。そういう異例ずくめの情況であえてこの政治問題を取り上げるNatureの真意が不可解である。もしかしてNature-Political Sciencesでも近々発刊するつもりかな、とげすの勘ぐりが始まったところで筆をおくことにしよう。

Natureになぜか韓国哨戒艦沈没の記事が (I)

2010-07-22 20:42:55 | Weblog
今朝の産経ニュースが『北朝鮮による3月の韓国海軍哨戒艦撃沈事件で、米情報当局が、「魚雷は2年前に北朝鮮の价川(ケチョン)市で製造された」と分析し、日本や韓国など関係国に伝達していることが21日、分かった。』と伝えた。そして記事の最後に韓国海軍哨戒艦撃沈事件を次のように解説していた。

 韓国海軍哨戒艦撃沈事件 3月26日午後9時20分ごろ、黄海上の北朝鮮との北方限界線付近の韓国領海で、警備活動中の韓国海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」(1200トン級、全長88メートル)が沈没し、46人が犠牲になった。韓国軍と米英豪などの専門家による合同調査団は5月20日、「北朝鮮の小型潜水艦から発射された魚雷の水中爆発」が原因と発表したが、北側は関与を否定している。国連安全保障理事会は今月9日、撃沈事件についての議長声明を採択したが、北の名指し非難は回避し、制裁措置も含まれなかった。
(産経ニュース 2010.7.22 01:30)

この中途半端な「議長説明」でもちろん韓国側が大人しく引き下がれるはずもなく、昨日(21日)ソウルで行われた韓国と米国の初の外務・国防相会談(2プラス2)終了後の記者会見で、クリントン米国務長官が北朝鮮への新たな追加制裁の実施を明らかにしている。ところがこのような政治的な動きとは別に?この「議長声明」が出された頃、科学雑誌のNatureがなぜだか二週連続でこの問題を報じている。Natureの東京通信員David Cyranoskiの記事で、その内容は以下の通り、22日現在で誰でもアクセス出来る。

Controversy over South Korea's sunken ship Physicists' research casts doubt on idea that North Korean torpedo downed vessel.

この記事の要点はともかく、私が興味を抱いたのは次の二点である。まず韓国生まれの物理学者で現在University of Virginia in Charlottesvilleで働いているSeung-Hun Lee氏によるThe Joint Civil-Military Investigation Group (JIG)の報告書の分析結果についての批判を紹介していることである。Lee氏が目にした分析結果はReferencesにあるLee, S.-H. & Yang, P. preprint at http://arxiv.org/abs/1006.0680 (2010)から辿って出てくるhttp://arxiv.org/vc/arxiv/papers/1006/1006.0680v1.pdfに引用されている。このことは後に触れることにするが、興味のもう一つは次の一文である。

Experiments carried out independently by Panseok Yang, a technician specializing in mass spectrometry at the geological sciences department of the University of Manitoba in Winnipeg, found that the ratio of oxygen to aluminium in the rapidly cooling aluminium would be much lower than suggested by the JIG. Yang's data, which were added to Lee's online report on 28 June, suggest that the samples analyzed by the JIG could have been from old, corroded aluminium.

JIGはアルミの化合物を魚雷の爆発物としたいのに、古い腐食したアルミと言っているのである。見事に錆びついた「魚雷の部品」の怪でそれらしきことをすでに述べている私には見逃せない記述である。

また二番目のNature記事がQuestions raised over Korean torpedo claims Researchers challenge view of Cheonan sinking.である。7月9日に発表された国連安全保障理事会の議長声明が北朝鮮を目立って非難しなかったと紹介しているのと、その同じ日に東京で開かれた記者会見でのSeung-Hun Lee氏の発言を紹介していることは新しいが、それ以外は最初の記事の繰り返しになっている。もっとも二回目だけに最初の記事より読みやすく書き改めているところもある。しかし分析結果の説明はNatureの記事よりLee氏とJohns Hopkins Universityで働いている政治科学者Jae-Jung Suh氏の次の共著論文の方が分かりやすい。Rush to Judgment: Inconsistencies in South Korea’s Cheonan Report (The Global Realm)であるが、ここに収められている分析結果はLee氏のComments on the Section “Adsorbed Material Analysis” of the CheonAn Report made by the South Korean Civil and Military Joint Investigation Group (CIV-MIL JIG)からの再録である。この報告の次の記述からJIG報告書の出所は自ずと明らかであろう。

Acknowlegement
We thank Representative MunSoon Choi, and a few brave Korean people whose
names I cannot reveal for their safety, for providing the information and for
discussion.

References
[1] The Cheon-An report by the Korean CIV-MIL JIG (Min-Goon Joint Investigation team) that was partially released very recently to the members of the Congressional Cheon-An committee. The office of Representative Choi, MunSoon, provided us the report.

分析に関して私は門外漢であるが、私なりに理解した問題点は次のようなものである。まずJIGの調べた分析試料は3点であるが、Lee氏はそれを次のようにまとめている。(IIに続く)



充電式ドライバドリルを購入

2010-07-21 23:15:35 | Weblog
もう30年間は確実に使っていたナショナルの充電式ドライバドリルがついにダウンしたものだから、荒ゴミで処分してしまったのがつい最近のことである。もう必要とすることはあるまいと思っていたが、住む家も10年が経つと模様替えをしたり手直しをしたくなるもので、そうなるとコード式のドリルはあるものの穴開け専用なのでどうしてもねじ締めの出来る道具が欲しくなる。よく訪れるホームセンターにBLACK & DECKERの製品を沢山見かけるものだから、あらかじめネットで調べて候補品を2点ほどに絞って買いに出かけた。ところがBLACK & DECKERの製品がみごとに全部消えてしまっている。仕方がないので別のホームセンターに行ったが、ここにはBLACK & DECKERが数点あったが私の望みのものが見当たらない。ところがRYOBIの製品が沢山並んでいて、その一つ、RYOBI 充電式ドライバドリル BD-122が性能的に私の希望の条件を満たしている。価格も小売希望価格の4割引で、ネットで調べておいたBLACK & DECKER製品の価格よりも安い。それでこれを購入することにした。


ねじ締めも穴開けも出来る製品をどう呼ぶのか、実はそういうことも知らなかったが、BLACK & DECKERでは「コードレスドリルドライバー」と名付けられていたものが、RYOBIでは「充電式ドライバドリル」となる。いずれにせよ操作が便利になっていて、その最たるものが手だけでドリル刃などを脱着出来る仕組みで、確かに便利である。手元を照らすLEDライトがついているのもいいし、予備のバッテリーが最初から付いているのも心丈夫である。

さっそく始めたのがキッチンの小物架け。5センチ四方のメッシュからなる網板とそれを両脇から挟むコの字型アルミ枠をホームセンタで購入し、バンドソーでアルミ枠を必要な長さに切った。精を出したお陰でお昼前から映画見物に出かけていた妻が帰ってくるまでに完成した。ところが使い方を妻に任せたら、私の意に反してゴロゴロしたものをぶら下げてしまった。Alas! 写真では傾いて見えるが、実際は垂直に立っている。蛇足ながらお断りまで。



IKEAに行ったら「イズミヤ神戸ポートアイランド店」が忽然と消えていた

2010-07-19 20:22:21 | Weblog
IKEAにちょっとした買い物で出かけた。三連休の最後の日なので人出が気になったが、駐車場に入る車が連なっていたもののスムーズに入れた。ところが店内は私にとってはまれに見る盛況で、レストランではまだお昼前だというのに行列が出来ていた。子ども連れの家族の多いこと、40年以上も昔の自分の姿を見るようで心が和んだ。

ふと窓の外に目をやるとなんだか様子がおかしい。そうだ、道を隔てて向かい側にあったイズミヤを始めとする店舗が全部消えてなくなり更地になっているのである。


以前IKEAに来たのは4月のこと、iPhone 3GS ロングマン英和辞典 IKEA-KOBEと記録に残しているので間違い無い。この頃はまだ建物は残っていたと思う。それが忽然と消えてしまったものだから驚いてしまった。

調べてみると「イズミヤ神戸ポートアイランド店」が出来たのは2006年3月4日で、閉店が2010年2月28日だからわずか4年の命であった。この時のホームページを見ると、年商予定が7,150百万円[直営6,000百万円、テナント1,150百万円]と張り切っていたのに、なんと年間5億円の赤字が出ていたとか。民間企業でこの大見込み違いである。つくづく予想は難しいものだと思った。跡地の総面積は47,282平米というから総面積が約38,500平米の甲子園球場を上回る広さである。綺麗に整地したことはこれから売りに出すのか、それとも次の新しい建物が間もなく着工されるということなのだろうか。

IKEAは依然として結構な人出なのに道一つ隔てたイズミヤは消えてしまう。何がこの明暗を分けたのか、私には分からないがこの現実の厳しさに無情を覚えてしまった。