日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ぐるっぽユーモア風オペレッタ「天国と地獄」あれこれ

2009-11-30 16:04:27 | 音楽・美術
ぐるっぽユーモアの定期公演も第14回をむかえて、今年も昨29日、西宮芸文センター阪急中ホールで催された。いつもながら満員の盛況で、補助椅子まで出ていた。今年の出し物はオッフェンバックの「天国と地獄」(原題「地獄のオルフェ」)で、私にとって舞台では見始めのオペレッタである。もっともこの中に出てくる「地獄のギャロップ」こと「フレンチ・カンカン」はこれだけでも演奏されるお馴染みの曲で、去年は佐渡裕プロデュース「メリー・ウイドウ」で大いに楽しませていただいたものであるが、肝心の物語はこれがギリシャ神話の「オルフェウスとエウリディーチェ物語」のパロディぐらいとしか知らなかった。

このギリシャ神話はわが国のイザナギの黄泉の国訪問神話とそっくりなので知る人も多いと思うが、竪琴の名手オルフェウスの妻エウリディーチェが、散歩の途中牧人アリスタイオスに追われて逃げる間に毒蛇に噛まれてあの世に逝ってしまう。オルフェウスは愛する妻を取り戻すべく冥界に下り、竪琴で地獄のあらゆる住人を魅了してしまう。そこで冥界の神ハデスはオルフェウスが妻を地上に連れ戻すことを許すが、地上に出るまでは決してエウリディーチェの顔を見ないという約束をさせた。ところが地上に出る一歩手前でオルフェウスが誘惑に負けて後ろをふり返ったために彼女は再び地獄へ落とされた、と言うのである。

「天国と地獄」の物語は表面的には単純なので、パンフレットの解説でよく分かる。音楽院の院長オルフェとその妻エウリディーチェはもう倦怠期でお互いに浮気相手がいる始末。エウリディーチェが浮気相手実は地獄の大王プルトンに飲まされた地獄ワインで死んでしまうと、オルフェが嬉しい嬉しいの本心を隠しきれなく浮かれ出す、というようなところでそのパロディぶりが分かると言うものである。となるとあとは難しいことはいらない、舞台を楽しむだけである。

脚本・演出・指揮の岡崎よしこさんとピアノの橋爪由美子さんが登場、序曲が終わって幕が上がった。そして地上編、天国編、地獄編と話が進むのであるが、20分の休憩時間を含めて2時間半ほどの舞台があっという間に終わってしまったのである。テンポがよくて舞台が弾んでいたからであろう。全体を通して何に印象づけられたかと言うと、まず舞台への登場人間が多かったこと。八百万の神々ではないが、神様の多い方が舞台が映えていい。だから合唱で声のふくらみが実に豊であった。とくにソプラノの迫力は心打つ。出演者にコーラスメンバーの名前がずらずらと並んでいるのが伊達ではないことを証明したと言える。それに舞台装置とその転換が見事だった。解説では第一、第二、第三幕となっていたが、実際は第一幕一場二場、第二幕一場二場の仕立てで、一場は舞台の前面を使い二場で前面の背景を取り除いて行うダイナミックな舞台変換が鮮やかであった。第一幕では現世から天国へ一挙に移り、第二幕ではエウリディーチェが閉じ込められた小部屋から地獄の大広間へと移ったのである。また第二幕第一場で小部屋に一人座っているエウリディーチェの衣裳の空色と背景中央を左右に仕切る柱の赤の対比が美しく、私の好きなホッパーの絵画を連想させた。こういうオシャレな舞台装置を自前で作っていく意気込みに感動した。

この「天国と地獄」はぐるっぽユーモアの出し物として、うってつけのものではないかと私は思う。メンバーに音楽大学卒業生も仲間に入り、と紹介されているように、音大卒業生が主要な役で舞台を引き締める牽引車となるのは大いに結構なのであるが、全員がそれではぐるっぽユーモアの存在意義は消えてしまう。やはり歌うことが大好きな上に、人に聴いて貰う以上はそれなりの努力を惜しまない素人上がり全員が主役であることが大切で、そのためには一人ひとりに出番が欲しい。その出番作りをオッフェンバックは「天国と地獄」で準備してくれたとも言えるからである。

ナポレオン三世の第二帝政時代、オッフェンバックが当初持っていたライセンスでは登場人物は4人までの一幕ものオペラしか上演できなかった。しかし政府と交渉してようやく登場人物を増やしコーラスも加えたオペラが出来るようになり、そこで意気揚々作り上げたのが「天国と地獄」であった。その当時もてはやされていたのはオペラ・ガルニエに代表される豪華絢爛な建物(パリオペラ座が実際に完成した時は第三共和制に替わっていた)や、いかにもクラシックの代表とばかり君臨していたグルックのオペラなどであったが、オッフェンバックはこのような新古典派の流行にイチャモンをつけることで新しいライセンス獲得記念にしようとしたのである。そこで主な登場人物を一挙に14人に増やしてそれぞれの出番を作った。その一人、Public Opinion(世論)を神々と争わせることで第二帝政による社会的抑圧に対する批判としたのであるが、岡崎演出ではこの批判色を和らげた「世論」の役作りになっているように感じた、ぐるっぽユーモアの主要な登場人物は13人なので一人消えてしまっているが、多分そのことが合わせて物語を分かりやすくしているのかも知れない。いずれにせよ「天国と地獄」こそ、多数の登場人物にそれぞれの出番を与えているという意味で、ぐるっぽユーモアにぴったしと言えそうである。

ぐるっぽユーモア風のお遊びもよかった。今はプルトンの召使いが昔はハムレット王子様というのがそうで、もともとはアルカイダ、いやアルカディアの王子であった筈である。ドイツ民謡「乾杯の歌」が飛び出た時はお遊びと覚るまではすこし時間がかかってしまった。だからオルフェウスが「われエウリディーチェを失えり」をリリックに歌い出したときもまたお遊びかと思ったが、これこそオッフェンバックがあざけりの対象としているグルックをからかって、彼のオペラ「オルフェオーとエウリディーチェ」のアリアを歌わせるという仕掛けに出たのであろう。著作権法がなかったから出来たことなのだろうが、思い切ったことをしたものである。元来はバリトンかバスであるはずなのに、ソプラノのアリステ/プルトンが登場したときは、オッ、タカラヅカ!と思ったが、女性優位の団員構成を生かす術とはさすが岡崎マジックである。好色なジュピターが蠅に変身して地獄のエウリディーチェと戯れる場面など、蠅がエウリディーチェのどこかに入り込み彼女がエクスタシーに達するなんて演出があるそうなので、もうすこし羽目を外して稀少男性の存在を誇示して欲しい気がしたがこれは欲張りというものか。フィナーレの「地獄のギャロップ」の実に優美なカンカン踊りを観て、余計なことは言わずもがなの思いを強くした。上品なエロティシズムがなかなかのものであったからである。

「地獄のギャロップ」の踊りに入ると観客の手拍子が自然にわき起こって、観客が心の底から楽しんでいるとの思いで一緒になれたのがよかった。それに応えてアンコールが二度三度。このノリで行くと来年公演予定のオペレッタ、カールマンの「チャールダッシュの女王」では出演者の足腰が立たなくなるまでのアンコールが期待できそうである。楽しみ!


次世代スーパーコンピュータはそれでも必要?

2009-11-27 22:21:54 | 学問・教育・研究
「事業仕分け」で次世代スーパーコンピュータが「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」と結論された(11月13日)が、20日には菅副総理の復活を示唆する言葉が報じられた。

 菅直人副総理・国家戦略担当相は20日の衆院内閣委員会で、行政刷新会議のワーキンググループ(WG)による事業仕分けで「凍結」と判定された次世代スーパーコンピューター開発について「スパコンは極めて重要であり、もう一度考えなければならない」と述べた。WGの判定を覆し、平成22年度予算の概算要求額(約267億円)に沿った予算措置を前向きに検討する考えを表明したものとみられる。
(産経新聞 11月20日18時23分配信)

また仙谷由人行政刷新担当相の似たような発言も報じられた。

 仙谷由人行政刷新担当相は23日、政府の行政刷新会議による「事業仕分け」で「予算縮減」と判定された次世代スーパーコンピューター(スパコン)の開発予算について「そうなるかどうかはこれからの検討次第だ」と述べ、政治的判断による復活があり得るとの見方を示した。視察先の島根県隠岐の島町で記者団に語った。
(毎日新聞 2009年11月24日 東京朝刊)

私はスーパーコンピュータについては門外漢であるが、「事業仕分け」での論議で浮かび上がった問題点を自分なりに整理して、行政刷新会議「事業仕分け」雑感 「次世代スーパーコンピューティング技術の推進」の場合では、

科学者仕分け人が主計官の手先と言われたくないのであれば、この仕分け会議において予算の削減に手を貸すのではなく、立ち止まり考えるための時間を与えるべくまずは凍結の意思表示をすべきなのではなかろうか。結果的には、来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減となった。

と意見を述べた。そして専門家から数々の疑問に答える説明を期待したが、計算基礎科学コンソーシアムが出した緊急声明なるものにまったく失望したものだから、「次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明」に目を通して問題点(私)のいくつかを指摘した。ところが疑問に答えるようなご意見(by 能澤 徹氏)計算基礎科学コンソーシアムの声明はお門違いで見出したので、それを紹介する。少々煩雑かも知れないが、お目通しいただけると幸甚である。引用は能澤 徹氏の論旨展開の順に行った。

なぜ当初このプロジェクトに参加していた日本の三大コンピュータメーカーのNEC、日立、富士通のうち,NECと日立の2社が今年の5月になって逃げ出したのだろう。

 国家基幹科学技術に指定された次世代スパコンのヴェクタ・スカラ両輪論が民間企業の撤退で片輪になってしまっても、「影響は無い」などといってプロジェクトを継続しているほど、メロメロな日本のスパコン戦略である。このいい加減な戦略に基づいて作られる次世代スパコンの完成が1年遅れたからといって、日本の科学技術にインパクトがあるなどということはありえないことである。

ここで当初の計画からNECと日立の2社が逃げ出したことの軽い対応が糾弾されている。さらに具体的な指摘が続く。

財務省の論点は、文科省が国家基幹科学技術に指定した次世代スパコンのグランドデザインであるヴェクタ・スララ両輪論の、片方の車輪であるヴェクタ部が途中で脱落・消滅してしまったにも関わらず、影響はほとんど無いと主張し、ヴェクタ部を無視して、スカラ片輪でプランを強行するといった「いい加減な点」にあるのである。

この「いい加減な点」に包括される具体的な内訳は、

第1に、無くなっても影響が無いようなヴェクタ部の設計に何故大金を支払わねばならなかったのかという「グランドデザインのいい加減さ」に対する技術的なクレデビィリティの問題、

第2に、そのいい加減な設計のために数百億円もの多額な税金が浪費されてしまったのに、何のペナルティも責任追及もなされないと言う無責任体制の問題、

第3に、その無責任体制による杜撰な片肺の計画のまま、来年以降も総額約700億円という巨額な税金が要求され、完成後も年間80億円超といわれている巨額な維持経費が要求されるといった、費用対効果無視のバブル・プロジェクト運営に対するクレディビリティの問題
などである。

なるほど、 私もまったく同感する。次世代スーパーコンピュータ問題の本質をこのような形で明らかにした上で、次のような話が続く。

声明の始めの部分に、今回の事業仕分けの結論が「我が国の科学技術の進歩を著しく阻害し、国益を大きく損なうものである」との主張があるが、「無くなっても影響が無いようなヴェクタ部を国家基幹科学技術などに指定し、その意味の無いヴェクタ部の設計に巨額な税金を投入した事が」が「我が国の科学技術の<進歩を著しく推進し>、<国益を大きく増進した>」などとは到底思えないし、事実は全くその逆で、NECの撤退で、結局、税金投入が無駄になってしまったわけで、「国民に多大な損害を与えた」事は明白であろう。

これは私が次のように「なるほど」としか反応できなかったことを、問題の本質を突く形で真正面から論破したのである。

『今回の事業仕分け作業における唐突な結論は、我が国の科学技術の進歩を著しく阻害し国益を大きく損なうものであり、不適切であると言わざるを得ない。我々、計算基礎科学コンソーシアムは、次世代スーパーコンピュータプロジェクトの遅延無き継続を強く求める』とアピールしている。しかしこの強調部分(私、以下同じ)にしても具体的な指摘が無いものだから、「なるほど」としか反応できない。

そしてスーパーコンピュータ発の最先端技術が数年後に広く社会に応用されるという「緊急声明」の説明に関連して、私は次のような問題点を指摘した。

世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力も確かにそうなんだろうが、それよりもインテルを凌駕する一大ITメーカーが生まれること疑いなし、と言って方がパソコンに馴染んだ国民には遙かに説得力がある。スーパーコンピュータどころかパソコンも無い時代に昔の人は東大寺大仏殿や姫路城を築造してきた。この歴史的事実を一つ取り上げるだけでも、スーパーコンピュータが世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力とはなんと烏滸がましい決めつけなのだろうと思ってしまう。

この点でも半導体のテクノロジーの流れは「スパコンから民生」ではなく、「民生からスパコンへ」であることをきわめて具体的な例で示している。

その後、この高額なCrayのVector方式の後継に対し、廉価な民生で対抗したのが、今日のスカラ・クラスタ型スパコンで、1994年頃にNASAの研究員が作ったBeowulfが始まりである。UNIXの走るパソコンをTCP/IPのLANで結合し、並列計算を可能にしたものである。つまり、スカラ型スパコンは、廉価な既存の民生テクノロジを使って組み立てるという哲学で始まったものであり、その思想は今日でも連綿と受け継がれている。

OpteronやXeonはパソコン用のCPUからのものであり、PowerXcellもゲーム機用のCellからのものである。計算科学に関係の深いBlue Geneの源流は、コロンビア大学のQCDSPで、この機械は廉価な民生用のDSPを演算器として並列に並べて作ったスパコンであり、次のQCDOCとBG/LはIBMの産業組み込み用CPUであるPPC440を用いたものである。どれをとっても、「民生からスパコンへ」の流れである。

そして

 従って、声明文中の「その基盤にあるのがスーパーコンピュータなどで用いられる最先端の技術であり、それは数年後に広く社会で応用される」などというのは認識不足もはなはだしく、この声明のいい加減さを全国民に示す明確な証明なのである。

と述べている。これで私のモヤモヤは雲散霧消である。そしてこの能澤 徹氏のご意見を裏付けるビッグニュースが実にタイミングよく飛び込んできた。

<スパコン>長崎大の浜田助教、3800万円で日本一の速度達成 安くても作れ、事業仕分けにも一石?

 東京・秋葉原でも売っている安価な材料を使ってスーパーコンピューター(スパコン)を製作、演算速度日本一を達成した長崎大学の浜田剛(つよし)助教(35)らが、米国電気電子学会の「ゴードン・ベル賞」を受賞した。政府の「事業仕分け」で次世代スパコンの事実上凍結方針が物議を醸しているが、受賞は安い予算でもスパコンを作れることを示した形で、議論に一石を投じそうだ。

【関連記事】事業仕分け:スパコン「事実上凍結」…世界一でなくていい

 同賞は、コンピューターについて世界で最も優れた性能を記録した研究者に与えられ「スパコンのノーベル賞」とも呼ばれる。浜田助教は、横田理央・英ブリストル大研究員、似鳥(にたどり)啓吾・理化学研究所特別研究員との共同研究で受賞。日本の研究機関の受賞は06年の理化学研究所以来3年ぶりという快挙だ。

 浜田助教らは「スパコンは高額をかけて構築するのが主流。全く逆の発想で挑戦しよう」と、ゲーム機などに使われ、秋葉原の電気街でも売られている、コンピューターグラフィックス向け中央演算処理装置(GPU)を組み合わせたスパコン製作に挑戦した。

 「何度もあきらめかけた」というが、3年かけてGPU380基を並列に作動させることに成功。メーカーからの購入分だけでは足りず、実際に秋葉原でGPUを調達した。開発費は約3800万円。一般的には10億~100億円ほどかかるというから、破格の安さだ。そしてこのスパコンで、毎秒158兆回の計算ができる「演算速度日本一」を達成した。

 26日の記者会見で事業仕分けについて問われた浜田助教は「計算機資源は科学技術の生命線。スパコンをたくさん持っているかどうかは国力にもつながる」と指摘。一方「高額をかける現在のやり方がいいとは言えない。このスパコンなら、同じ金額で10~100倍の計算機資源を得られる」と胸を張った。【錦織祐一】
(11月27日10時50分配信 毎日新聞)

菅副総理、仙谷行政刷新担当相が次世代スーパーコンピュータ問題に政治的介入を云々されるのもよいが、それよりもこのプロジェクト推進者からの国民も納得させる本質に立ち入った説明があるべきだと思う。

追加 次のような記事に気付いた。
■元麻布春男の週刊PCホットライン■NECがスパコンでIntelを選んだ理由



鳩山由紀夫首相偽装献金問題 日本の頭脳抗議の結集? iPSの特許

2009-11-26 11:40:19 | 放言
鳩山首相の偽装献金問題では、反民主を標榜?している産経ニュースの記事が面白い。

実母から首相に十数億円 実母の参考人聴取も検討

 鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題で、同会の会計事務担当だった元公設第1秘書が東京地検特捜部の任意の事情聴取に対し、鳩山氏の実母(87)から資金提供があったことを認めた上で、「10年以上前から始まり、鳩山氏の政治活動費などに充てていた」と供述していることが25日、関係者への取材で分かった。総額は十数億円に上り、一部は偽装献金の原資になったという。特捜部は資金提供の経緯などについて、実母への参考人聴取について慎重に検討しているもようだ。

 鳩山氏側が実母の潤沢な資金を個人献金と偽り、長期にわたって政治資金収支報告書の虚偽記載を繰り返していた疑いが浮上した。()中略)

 関係者によると、元秘書は特捜部の聴取に対し、10年以上前から、資金が不足すると実母側に相談して資金提供を受けてきたと説明。「鳩山氏個人の支出についても六幸商会が管理する実母の資金を充てていた」と話しているという。平成14年から資金提供が本格化し、毎月1500万円の提供を受け、16年から20年までの5年間で約9億円、総額では十数億円に上るという。
(2009.11.26 01:45)

実母からの巨額の資金が鳩山氏への個人的な貸付金だったとすると、政治資金規正法にかかわる違法行為とはならないそうである。元秘書はそのように説明しているとのことであるが、常識のある人なら誰一人そんなことを信じるまい。また貸付金云々で法の規正から免れるというのが事実であれば、抜け穴を認める法律が間違っているのであって、直ちに改正しなければならない。亡くなった人や献金をした覚えのない人までが鳩山氏への献金者とされてきたことに、なぜそこまでしなければならないのか理解しかねたが、実母からの資金の流れを隠すためだとするとすんなりと話が通る。

そこまでして集めた鳩山氏の政治資金が誰にどのように流れたのか、これも知りたいところであるが、いずれにせよ政権を親がかりの潤沢な金で買ったとのイメージからは逃れようがあるまい。国会で野党側の手厳しい実態解明を期待する。鳩山氏には政権の座から滑り落ちようと、友愛精神に基づき潤沢な資金で社会奉仕する道は確保されているので遠慮することはあるい。

話は変わって昨日の「事業仕分け」で「国立大学運営費交付金」や「大学の先端的取り組み支援」などが取り上げられたが、残念ながらその実況は見ていないし動画サイトにもまだ登録されていないようなので、新聞で報道される結果しか分かっていない。科学技術予算が軒並みに縮減されていく現状に科学者が異議を唱え始めたが、どうも説得力の弱い声明止まりなのが口惜しい。朝日朝刊の一面に日本の頭脳抗議の結集とノーベル賞やフィールズ賞受賞者の写真が大きく出ていた。昨夜のテレビニュースでその一部が報道されていたが、私の印象に残ったのは利根川進博士のスーパーコンピュータについての発言で、「一位にはなれないと思うけれど、一位を目指さなければ二位にも三位にもはいれない」という含みのある言葉だった。別にノーベル賞学者に言われなくても研究者なら誰でも心得ていることであるから、利根川さんの真意はスーパーコンピュータの必要性を世界一とか、そう言う稚拙な言葉でしか言い表せ得なかった説明者への厳しい批判であると私は受け取った。そう思うとこれは東京新聞の報道であるが

 野依氏も「科学技術予算を減らすのは論外。むしろ倍増しなければならない。優れた研究者も優れたインフラがなければ力を発揮できない」と険しい表情で強調した。
(2009年11月26日)

と出ている。野依良治博士のどのような発言からこの報道になったのかは分からないが、少なくとも東京新聞の記者にはこれが博士の強調点と伝わったのであろう。とするとこのご時世に科学技術予算をむしろ倍増とは、いかにも学者の世間知らずを吹聴しているようで私はいい気がしなかった。そういえば野依博士はスーパーコンピュータ推進のお膝元である理化学研究所の理事長である。この理事長にしてあの「事業仕分け」での説明者なのかな、とふと思った。

私がさすがだと思ったのは江崎玲於奈博士の「(事業仕分けで)大変だというが、日本に科学を根付かせるために我々が考え直すチャンスだ」との言葉である。朝日朝刊が伝えている。基礎研究を日本に根付かせるために若手研究者をどのように育てるべきかが今問われていることなのである。私の考えの一端をやはり目をつけられたか グローバルCOEプログラムなどでご覧頂けると有難い。

同じ朝日朝刊に「iPS 京大新たに2特許」の見出しで山中伸弥教授らの近況が報じられていた。その記事の最後が山中教授の言葉で括られている。

山中教授は会見で「再生医療などで最終的にiPS細胞を使うときには何十、何百の特許が必要になり、一つの研究機関ですべてカバーできないが、重要な特許を押さえることが出来た」と話した。

人間の医療技術のひとつに何十、何百の特許が絡んでくる。これが現実であろうが、人間の細胞を扱うのにそこまで特許が絡んでくるとは考えただけでぞーっとする。これも私の過去ログ大学人、とくに生命科学研究者は特許申請に超然たれをご覧頂ければ幸いである。山中教授も実は特許申請に超然とありたいと心の底から思っておられる科学者であると私は確信している。このように真の科学者を特許申請に駆り立てる今の研究環境は是非とも改めないといけないのに、ますますその反対の方向に走らせようとしているのが今の間違った大学行政・科学行政である。

この「事業仕分け」は考えようによれば、江崎玲於奈博士の言葉のように、日本に科学を根付かせるために我々が考え直すチャンスだと言える。日本の頭脳とも言われる人たちが一部といえ「取り返しのつかない事態」とか「国家存亡にかかわる」なんて、かりそめにも「東条英機」が国民を煽ったような言葉をもてあそび、自らを貶めていただきたくはないものである。妄言多謝。

兵庫県立芸術文化センターで歌のお稽古 ホールの驚異的稼働率

2009-11-25 23:39:28 | 音楽・美術
この12月、日頃レッスンを受けているヴォイストレーニングの成果発表会があるので、歌の練習に時間を割くことが多くなった。この三連休にも21日、23日の両日、西宮芸文センターのリハーサル室・スタジオで練習をした。23日などは午後6時から10時ギリギリまで声を張り上げて帰宅したのは午後11時前、なんとも健全な夜遊びである。

今年はヴェルディのオペラ「椿姫」に挑戦、と言ってもさわりのアリアとか二重唱を歌うだけであるが、素人の恐いもの知らずだからこそやれることなのである。と一応しおらしく言い訳を述べたが、本心は少し違う。昨年、モーツアルトのDON GIOVANNIからドン・ジョバンニがマゼッタとの結婚式に行く途中のツエルリーナを誘惑、小屋に連れ込もうとして歌う小二重唱「手を取り合って」を私は歌ったが、練習時の録音をお遊びの感覚で音楽サイトにアップロードしたところ、かなりのアクセスを頂いたのである。この歌い出しの「La ci darem la mano」をGoogleで検索すると、プロの歌うYouTube動画に引き続いて私の歌が未だにランクされているのである。となれば本気で歌うと検索マシンの気まぐれで、私がプロ歌手を抑えてトップに躍り出ることも夢ではない、と熱に浮かされているのである。

パリの高級娼婦ヴィオレッタを田舎からぽっと出の純情な若者アルフレードが見初め、二人はやがてパリ郊外の家で暮らすようになるが、二人を別れさせようとアルフレードの留守に父親ジェルモンが乗り込んで来る。しかしヴィオレッタが財産を処分してまで生活費を工面していることを知った。でもアルフレードの妹の結婚話に差し障りがあるからぜひ別れてくれとヴィオレッタに頼む。その場面でジェルモンの歌うのが「天使のように清らかな娘」で、「Pur siccome un angelo ・・・」で始まる。ヴィオレッタとの掛け合いに入り、きりの良いところまで10分あまりの二重唱となる。「椿姫」の聴かせどころの一つで、ヴィオレッタはジェルモンにお嬢様のために私は犠牲となって死にます、と言うのに、ジェルモンは思いっきりお泣きなさい、とPiangi Piangiを何遍も繰り返す。

DVDを観たりCDで聴いたりすると実に美しいメロディーと歌声にうっとりとするのだが、これを自分で楽譜を見て歌おうとすると大変で、まず耳から入った音楽が楽譜となかなかマッチしてくれないのである。イタリア語の音符への割り付けは言うにおよばず、リズムの刻み方や調が変わることを楽譜を見るだけでは素人の私にはなかなか追えないのである。それでもヴィオレッタの映像を相手に、なんとか掛け合いが出来るようになったかと思ったのに、いざヴィオレッタ役の先生を相手に歌い出すと、そのような歌い方では相手役が入って来れないよ、と駄目を出された。映像が相手だといくら呼びかけても答えてくれず、心を通わすには至らないが、生身の人間が相手だとシグナルのやり取りをすることで心が通い出すのである。素人談義を始めればきりがないが、一方では、「Pur siccome un angelo ・・・」がある程度納得のいくように歌うことが出来るようになれば、タダの素人とは言わせないぞ、と密かに心に期することがあるので、練習に励んでいるのである。

ところでこの西宮芸文センターのリハーサル室・スタジオの使用料金がきわめて低いのは特筆ものである。ホームページの料金表にでているが、たとえばレハーサル室2は88平米の広さがあり、もちろん鏡、机、椅子、譜面台などすべて揃っていて13時から17時までの4時間使用で土日祝が2800円、平日だと2200円なのである。もっともピアノの使用料は700円余分にかかるが、それにしてもきわめてリーズナブルな料金設定になっている。22平米のスタジオでは午前中9時から12時までだとわずか1000円なのである。どうも補助金が使われているのでこのような料金設定が可能のような気がする。補助金行政に対して私は日頃批判的であるのだが、住民を音楽で幸せにすることに大いに力を貸しているのは確かだから、これなら許せると身勝手ながら思ってしまう。ちなみに平成20年度の年間稼働日数と施設稼働率が計算の仕方はともかく、KOBELCO大ホールで321日/98%、阪急 中ホールで312日/96%、神戸女学院 小ホールで/99%と言うから素晴らしいの一言に尽きる。おそらくこの経営努力は全国的にも注目されていることだろうと思う。これなら「事業仕分け」の対象になることはあるまい。

年賀葉書45円の謎が解けたが、亀井大臣はご存知?

2009-11-22 11:53:21 | Weblog
ある人と話していたら年賀はがきを金券ショップで45円で買ったと言う。へぇ~と思ったが数日前三宮で年賀はがき45円の張り紙をこの目で見て、はてなと考え込んでしまった。一体どのような経路で年賀はがきがこの金券ショップへ流れてきたのだろう。まず考えられるのは盗賊団が大量に盗み出してそれを売り捌いたと言うことであるが、そのような大量盗難のニュースを見た覚えがない。金券ショップで時々利用させて貰うのが電車の切符であるが、これは株主から流れてくるのが多いとか。しかし日本郵政の株主は100%日本国政府だから、50円で売れるものを一方ではそれよりも安値で売るような馬鹿げたことをするはずはあるまい、と思ってしまう。ところが昨日5号館のつぶやきさんのサイトで「私の親戚は最近郵便配達員」というコメントが目に止まり、それを読んで謎が一挙に解決した。なんと郵便局(員)に年賀状の販売ノルマが課せられていて、それが金券シップの年賀はがきを生んでいると言うのである。さらに驚いたことは、この問題がすでに2年前に取り上げられていたのである。

11月21日と11日に寄せられたコメントによると、要するに郵便局株式会社・郵便事業株式会社の従業員に常勤非常勤を問わず年賀はがきのノルマが課せられているのである。田舎での話として取り上げられているのは、非常勤が2500枚~4000枚で社員は1万2千枚というノルマである。一方では3万枚ノルマという話もある。ノルマを達成しなければ反省文を書かされたりするそうである。このようなプレッシャがあれば自腹を切ってノルマ分を購入する従業員が出てくるのも頷けるし、少しでも被害を軽減するために金券ショップで現金化しようとするのは自然の流れであろう。店頭で45円と言うことは実際の買い取り価格はこれよりもかなり低いはずで、自己負担はかなりの額になることだろう。これを自爆営業と言うようであるが、このような従業員の弱みに付け込む前近代的な商売が未だに横行しているとは恐れ入った。これが西川善文前社長を始めとする旧役員の経営感覚の一つの現れと受け取れば、旧態依然たる感覚の前経営陣の退陣は歓迎すべきなのかも知れない。

しかし問題は今の今、年賀はがきノルマが前経営陣時代と同じように従業員に課せられていると言うことである。こうなれば頼みの綱は日本郵政社長の生殺与奪を握っている亀井静香郵政改革担当相である。日頃絶えず口にされている田舎の疲弊を立て直すにしてもも、郵便局従業員の疲弊を放置したままでは様にならない。自爆営業を引き起こさざるを得ないような年賀はがきノルマの禁止を即刻指示いただきたいものである。

「次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明」に目を通して

2009-11-20 11:03:42 | 学問・教育・研究
次世代スーパーコンピュータプロジェクトが、今回の「事業仕分け」で、「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」と結論された。それをうけて、計算基礎科学コンソーシアムがタイトルのような声明を出して、『今回の事業仕分け作業における唐突な結論は、我が国の科学技術の進歩を著しく阻害し国益を大きく損なうものであり、不適切であると言わざるを得ない。我々、計算基礎科学コンソーシアムは、次世代スーパーコンピュータプロジェクトの遅延無き継続を強く求める』とアピールしている。しかしこの強調部分(私、以下同じ)にしても具体的な指摘が無いものだから、「なるほど」としか反応できない。そう思ってこの緊急声明に目を通すと、きわめて限られた仲間内で交わされる符牒のような言葉が世間にも通用すると思い込んでいる科学者の夜郎自大ぶりが浮かび上がってくる。たとえば次のような所である。

基礎科学の研究においても、スーパーコンピュータの重要性はますます拡大しつつある。なかでも自然界に対する人類の知識を深める物理学においては、20世紀を通じて明らかになってきた素粒子の基本法則に基づいて、宇宙の誕生から物質の創生、そして銀河や星の形成にいたる宇宙の歴史全体をも理解することが可能になりつつある。 特に、実験や観測で調べることのできない領域を探索するための唯一の方法はスーパーコンピュータを使ったシミュレーションであり、国際的にもこのような認識のもとでスーパーコンピュータの整備強化が進められている。

宇宙の歴史全体をも理解することが可能になりつつあるとは大きく出たものである。でも私の動物的直感はこれが全くの絵空事であると告げている。そんなことよりスーパーコンピュータを使うと日本全国で天気予報を百発百中当てることが出来るようになる、とでも言ってくれた方が遙かに分かりやすい。現状では天気予報はよほど出来の悪いコンピュータを使っているせいなのか、結構外れてくれる。天気予報のはずれは誰の目にも直ぐに分かるから誤魔化しようがない。だからこそスーパーコンピュータを使ったシミュレーションが百発百中の天気予報を可能にしますと見えを切ることが(できれば)、説得力をいや増すというものだ。それがこともあろうに検証不可能であることをいいことにして、宇宙の歴史全体をも理解することが可能とは吹きも吹いたな、としか言いようがない。かりに今回のスーパーコンピュータシステムが完成したとしても、たちまち世界最高性能の座を他に譲らざるを得ないだろう。その時にまた世界最高性能のスーパーコンピュータの必要な理由として宇宙の歴史全体をも理解することが可能といううたい文句が再登場すること間違いなしである。未来永劫使用可能なうたい文句としては秀逸としか言いようがない。

これまで理化学研究所が進めてきた次世代スーパーコンピュータ開発は、世界最高性能をもつ汎用スーパーコンピュータの実現を大きな目標の一つとしてきた。世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力であり、そこから幅広い科学と技術における世界をリードする成果が出てくることが期待される。さらに、この次世代スーパーコンピュータ施設は、関連する国内の大学・研究機関・企業等の相互交流や、将来を担う研究者や技術者の人材育成など、ソフト面の強化を通じて科学技術の進歩をさらに加速する拠点としての役割も期待されている。

これほど輝かしい展望が広がっているのに、なぜ当初このプロジェクトに参加していた日本の三大コンピュータメーカーのNEC、日立、富士通のうち,NECと日立の2社が今年の5月になって逃げ出したのだろう。どういう言葉で言い繕うと、NECと日立の2社が脱落した事実は誰の目からも隠すことは出来ない。この厳然たる事実を目の前にすると国内の大学・研究機関・企業等の相互交流や、将来を担う研究者や技術者の人材育成のくだりの空々しさがこの声明の白々さを印象づける。世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力も確かにそうなんだろうが、それよりもインテルを凌駕する一大ITメーカーが生まれること疑いなし、と言って方がパソコンに馴染んだ国民には遙かに説得力がある。スーパーコンピュータどころかパソコンも無い時代に昔の人は東大寺大仏殿や姫路城を築造してきた。この歴史的事実を一つ取り上げるだけでも、スーパーコンピュータが世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力とはなんと烏滸がましい決めつけなのだろうと思ってしまう。

ところでこのような私の批判と一見矛盾するようであるが、国民の誰もが分かるようなことにしか国家予算を注ぎ込むべきでないとしたら、基礎科学研究などにお金が廻ってくることはまず無いだろうし、また時代を大きく先取りした巨大事業が生まれることもなかろうと私は思う。だからこそ何事であれ専門家の目線で戦略的決断を下すことの重要性を私は一方では否定しない。その場合に決断を下した側に説明責任が生じることは当然である。その意味では「次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明」に私は説明責任を期待したのであるが、それがあまりにも期待はずれであったのでつい突っ込みを入れてしまった。この緊急声明に名を連ねた科学者の方々の紋切り型でない胸の思いを披瀝して国民の理解を得る一層の努力を期待したいのであるがいかがなものだろう。


文科省での日本学術振興会と科学技術振興機構の共存が基礎科学の発展を邪魔する

2009-11-18 14:42:46 | 学問・教育・研究
行政刷新会議「事業仕分け」三日目(11月13日)、第三WG競争的資金(先端研究)の録音記録を3回も聞いてしまった。何遍聞いても何が問題の焦点なのか分かりにくいが「事業仕分け」の評決結果が次のように下された。

 競争的資金(先端研究) [予算] 科学技術振興調整費 予算は整理して縮減
             [制度] 一元化も含めてシンプル化

仕分け人の評決結果は[予算]については見送りが3、縮減(10~50%)が5、要求通りが5、[制度]は一元化が7に対してシンプル化は4をまとめたものである。[制度]ではなぜかまとめ役の蓮舫議員がシンプル化に軸足を置いた結論に持っていってしまった。私は科学者仕分け人が財務省主計官の手先のようなことはして欲しくないな、とその動きが気になっていたが、少なくともこの競争的資金の制度について、一元化・シンプル化に積極的な役割を果たしたように思うので、その点では胸をなで下ろした。私は現行の競争的資金制度こそ基礎科学の発展を妨げる諸悪の根源であると思うので、それにメスを入れることが焦眉の急であると思っていたからである。

「事業仕分け」の冒頭でまず競争的資金について文科省の局長から説明があった。それによると、国や法人などの研究資金の配分主体が広く研究課題を集めて、提案されたものを専門家を含めた複数の評価・審査委員が科学的・技術的観点を中心とした評価に基づいて審査をして、その中から実施すべき課題を採択して研究者等に配分する、と言うのである。ただ現実には競争的資金は文科省関係だけで24もあり、政府全体では47もあって、そのすべてが「広く研究課題を集めて」から出発するものではないことを銘記しておく必要がある。そこで24もある文科省の管轄下にある競争的資金制度のなかから必要な部分を抜粋してみる。


このなかで私に馴染みがあるのは一番上の科学研究費補助金である。私が大学院を修了して学位を取得した昭和38年の直後、昭和40年度に始まったと言うから、その恩恵を全研究生活を通じて受けてきたことになる。これを科研費と呼び習わしているが、平成21年度予算額は1970億円で文部科学省・日本学術振興会が所管している。科研費こそ「研究者の自由な発想に基づく研究を支援」するもので、いわゆるボトムアップで研究課題が決定される。個人の独創性を十二分に生かすには欠かすことの出来ない制度である。創設以来歴史的にも練り上げられてきた制度であり、文科省の競争的資金は科研費一つで十分であるのに、いつの間にか雨後の竹の子のようにいろんな制度が生まれて現在は24も出来上がっているのである。ただ抜粋を見ても分かることであるが制度名などはただの作文に過ぎず、科研費以外の23制度は特定の政策目的のために作られたものと言ってよい。そしてその担い手として科学技術振興機構という独立行政法人が顔を出していて、平成21年度では498億円もの競争的資金を扱っている。なぜ文科省内で研究費の出所を一つに絞らないのだろう、とは誰しも抱く疑問であるが、答えは簡単、かって科学技術行政全般を所掌していた科学技術庁が2001年に文科省に統合された時に、科学技術庁独自の補助金配布制度が文科省に持ち込まれ、日本学術振興会と共存し続けているのである。

11月13日の「事業仕分け」で配布された資料には、科学技術振興機構の役割が「特定の政策目的のため基礎から応用に至る研究を推進」と記されている。戦略的創造研究推進事業と名付けられた「国が示す研究開発目標のもと、新たな可能性を拓く技術の創出に資する研究」事業が、ひいては鉱工業、運輸・建設業、医業・医薬業、農林水産業、電気通信業、情報業と多岐にわたる領域で技術を創出していく、と訴えている。これこそトップダウンの政策目的に従うものであるから、技術の創出という目標がどの程度達成されたのかの評価は行いやす。この技術の創出と基礎科学研究が科学技術研究と一括りに文部科学省の活動として仕分け人の前に出されたことが、非科学者の一部の仕分け人をまごつかせて、昭和40年度に始まった科学研究費補助金からいったい何が得られてきたのか、というような質問をさせたように私は思った。居直るわけではないがつい最近、「役に立たない科学」で私は役に立たないことが基礎科学の本質であると強調したばかりである。研究費を注ぎ込んだ効果を役に立つとか立たないかで評価出来ないのが基礎科学であることが国民に理解していただけるようになると、基礎科学研究に関して「どのような効果が」なんて聞かれることはなくなるであろう。

私の結論としては競争的資金制度に24もいらない。科学研究費補助金だけでよい。これが一元化である。「グローバルCOEプログラム」も「世界トップレベル研究拠点(WPI)プログラム」など、トップダウンのプロジェクトは要らない。科学技術振興機構の498億円は科学研究費補助金に入れてしまえばよい。もちろん科学技術振興機構なんて独立行政法人も不要になってしまう。必要とあれば最小限の職員を日本学術振興会に移してもよいが理事長など役員は不要、行政改革のさきがけとすればよい。では技術の創出はどうなるのかと聞かれそうであるが、技術創出に活かせそうな情報を外に向かってどんどん発信すればよい。お金の流れを情報の流れに切り替えるのである。それを必要とする現場でこそ真に役立つ技術が生まれてくることであろう。




化けの皮がはがれ始めた行政刷新会議「事業仕分け」

2009-11-17 23:39:42 | 社会・政治
行政刷新会議「事業仕分け」なんて鳩山内閣のマッチポンプのようなもので、私は次のように述べた。

それにしても鳩山内閣の閣僚もいいかげんなものである。要求大臣ではなく査定大臣になれと言われたはずなのに馬耳東風、無駄があるとか何とか批判しまくった前自民・公明政権の平成21年度予算88兆5千億円を大きく上回る95兆円の概算要求を財源に頬がむりして臆面もなく出してくるのだから。行政刷新会議に仕事を与えるためにわざわざ概算要求をふくらましたとしか思えないではないか。まさにマッチポンプである。そう思ってみると今日の「事業仕分け」の生中継も茶番劇のように見えてくるのが忌まわしい。唯一評価出来るのは審議過程をすべて公開したことに尽きるようだ。

また行政刷新会議「事業仕分け」雑感 「次世代スーパーコンピューティング技術の推進」の場合では、

例年なら概算要求が出てから各省庁担当者と財務省主計官が折衝して削減案が練られていくのだろうが、この事業仕分けでは主計官が黒子役に退き仕分け人が表に出た形になっている。見方によれば仕分け人一同が主計官の仕事を分担したと言える。

今日になって時事ドットコムが私の見方を裏付けるニュースを流した。

事業仕分けで極秘マニュアル=財務省の視点を指南-政治主導に逆行・行政刷新会議

 政府の行政刷新会議が2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」で、事務局が極秘の査定マニュアルを作成し、民間有識者など仕分け人に配布していたことが17日、明らかになった。財務省の視点に基づき、仕分け対象事業の問題点を列挙、各担当省庁の主張に対する反論方法まで具体的に指南する内容。政治主導を掲げた事業仕分けが、財務省主導で進んでいる実態が明らかになった格好だ。
(2009/11/17-15:09)

政治主導なんてもうとっくの昔に吹っ飛んでしまっている。なんせ「事業仕分け」で省庁の局長クラスの官僚が説明と答弁に続々と登場しているのだから。この仕事は元来その省庁の副大臣なり政務官がやるべきなのである。それが部会によっては政務官が評価者に廻っているのだからわけが分からない。概算要求を各省庁が出す前にやっておくべき仕事であった筈である。同じ猿芝居、やるならこの猿に負けるな、である。

猿回し





行政刷新会議「事業仕分け」雑感 「次世代スーパーコンピューティング技術の推進」の場合

2009-11-16 14:32:27 | 学問・教育・研究
11月13日の金曜日は映画館に「沈まぬ太陽」を観に行ったので、文科省関係の事業仕分け作業の様子をニコニコ動画 行政刷新会議 事業仕分けにアップロードされた音声記録でいくつか聴いてみた。

私は行政刷新会議「事業仕分け」なんて鳩山内閣のマッチポンプのようなものと思っているので、予算を削る作業をセレモニー化するだけに終わるのではないかと想像したが、これまでのところ予想通りの展開のようである。私が関心を持った科学技術関連予算は文部科学省の管轄なので、まず文科省の担当者が事業の要点を説明し、引き続いてなぜか財務省主計官が意見を述べてから仕分け人と呼ばれる評価者がいろいろと質問したり議論をするかたちで作業が進む。そして最後に仕分け人が評決内容を評価シートに記入し、取りまとめ役がその結果を集計して評価を定める手順となっている。例年なら概算要求が出てから各省庁担当者と財務省主計官が折衝して削減案が練られていくのだろうが、この事業仕分けでは主計官が黒子役に退き仕分け人が表に出た形になっている。見方によれば仕分け人一同が主計官の仕事を分担したと言える。

マッチポンプという意識がつい頭にあるものだから、説明者と仕分け人のやりとりも聞き流すという感じであったが、噛み合わないやり取りが多すぎたように思った。お互いに話し方が下手なのである。その一つとして「次世代スーパーコンピューティング技術の推進((独)理化学研究所)」を取り上げると、多分説明者の一人だと思うが、仕分け人に何を聞かれても「世界一」、「世界最先端」、「最高性能」を繰り返すだけのように私は感じてしまった。世界一速いスーパーコンピューターがとにかく欲しいと強調すればするほど、子どもが玩具が欲しいと駄々をこねているのと同じように聞こえてくるのである。そして国民に夢を与えるなんて宣う。この説明者は研究者を自称していたようであるが、こういう説明者しかこの場に連れてこられない文科省・理研は相当の世間音痴だなと思った。これまでもおそらく中身が空疎な言葉を並べるたてるだけで大型予算を獲得してきたものだから、そのノリでこの仕分けに臨んだのであろう、とはげすの勘ぐりである。

下手すると予算を取り上げられてしまうかも知れないという事態の認識が説明する側にあったのか無かったのか、もう少し説得力のある説明を練ってくるべきであったのに、説明者は防戦一方であったように感じた。しかも世界一を目指して当初はNEC、日立、富士通とわが国のコンピューター製造大手三社が共同開発することになっていたのに、経営状況の悪化を理由にNECと日立がこの5月に脱落してしまったというのである。その結果、当初のベクトル・スカラー複合型からスカラー単独システムへの基本システムの変換を余儀なくされたので、脱落したNECには損害賠償の請求を準備中という。このような大きな状況の変化、なかんずく基本的枠組みが大きく変更されたのであれば、いったん立ち止まって計画全体を見直すべきではないかと素人(国民)はつい考えてしまう。しかしこれまで設計段階ですでに546億円を投入しており、完成までには更に700億円近くかかるが、いよいよ製造段階の契約に入るのでさしずめ来年度には268億円が必要だと強調するのみである。もう動き出したから止まれないだけでは八ッ場ダムに道路建設と同じである。

なぜ世界最高速のスーパーコンピューターが必要なのかについて、説明者の一人がスーパーコンピューターの能力を最大限引き出すソフトを開発するとして、ライフサイエンスでナノレベルのシミュレーションを挙げていたが、私には違和感があった。普通ならある実験をするためにこのような装置が必要であるからと装置開発を申請するのに、最高速コンピューターが出来たからその能力を最大限発揮するソフトを開発するというのだから、これは本末転倒ではないのかと思った。なにはともあれ世界最高速ありきなのである。

文科省が説明に科学者を連れてきて、これが科学にとって重要なのでこの事業をやりますと説明するのがお決まりの手法である、と仕分け人の一人が説明の矛盾を突いていた。それは大いに結構、このような意見がひいては科学技術研究への予算の出し方の基本理念に今後の民主党の科学技術政策立案の過程でまとまっていって欲しいものである。ところがその先行きが不透明な現状では、行政刷新会議が事業仕分け場に連れてきた科学者が説明者に意見を述べること自体、意識するしないにかかわらず財務省主計官の代弁者というか手先のように見えてきたのが奇妙であった。これでは文科相の連れてきた科学者と行政刷新会議の連れてきた科学者による両省庁の代理戦争ではないか。

科学者仕分け人が主計官の手先と言われたくないのであれば、この仕分け会議において予算の削減に手を貸すのではなく、立ち止まり考えるための時間を与えるべくまずは凍結の意思表示をすべきなのではなかろうか。結果的には、来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減となった。

科学研究費補助金制度についても同じ思いをしたが、機会があれば述べようと思う。



行政刷新会議「事業仕分け」で浮かび上がった事業起こしの真の動機

2009-11-14 16:32:25 | 社会・政治
建て替えの決まっている東京東銀座の歌舞伎座ではさよなら公演が催されているが、この3月に東京ぶらぶらに出かけたときのお目当ての一つが「元禄忠臣蔵」で、夜の部を楽しんで来た。その3月一杯で歌舞伎座が閉館されるものと思っていたので急いだのに、知り合いがつい最近さよなら公演を観てきたという。その3月とは来年の3月であったようだ。

それはさておき、「元禄忠臣蔵」は言うまでもなく大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、主君浅野内匠頭の仇、吉良上野介の首級をあげる話がメインテーマである。赤穂浪士こそ元禄太平の世の中にあって、初一念を見事貫き通し武士道を全うした義士であると当時の世間も褒めそやしたそうである。しかし赤穂浪士は最初から仇討ち一辺倒に傾いていたのではなく、家老の大石内蔵助などは浅野家再興を第一に考えていた。ところが次々と下される幕府の処分からお家再興が叶わぬ望みとなったので、やむを得ず討ち入りに踏ん切ったとされる。私もそうなのかと思っている一人であるが、異説が無いわけではなく、次のような「トンデモ説」もある。

仇討ちの企みを世間の目から隠すために、大石内蔵助が京都のお茶屋遊びに精を出した話が伝わっている。「仮名手本忠臣蔵」で有名になった祇園一力茶屋での遊興もその流れであろうか。ところが内蔵助がお茶屋遊びに呆けてしまって、気がついてみると元来は浪士のものである遺留金をほとんど使い果たしてしまった。そのことを強硬派に知られると血祭りに上げらるので、それを隠すために討ち入りしてしまったと言うのである。信じる信じないは人の勝手であるが、この「トンデモ説」は一面の真理の反映であるように私には思える。一面の真理とは、主君の仇討ちのように掲げる旗印がまともであれば、本当の動機というか目的を、それが信じがたければ信じがたいほど、うまい具合に覆い隠せるということなのである。

さてこれからが本論である。行政刷新会議「事業仕分け」の実況の一部をさる11日にインターネットで眺めてその感想を「全般的に受けた印象はお役人とはペラペラとよく口の廻るうえに、そのノリでなんとお金をばらまきたがる人種だろうと言うことであった」などと記した。それを今述べた「トンデモ説」的見方をすることで、驚くべき真実が私の目の前に浮かび上がったのである。国の補助金制度は元来高級官僚を始めとする一部の特権階級に合法的に税金を横流しする仕組みに他ならないと言うことなのである。

実況中継は観なかったが、そのあとテレビでも報道されたので世間の人もよくご承知の独立行政法人国立女性教育会館を一例に取り上げる。配付資料によるとその設立経緯や目的は次のようなものである。


こんな作文なんて、実はどうでもよい。一方asahi.comは次のように報じていた。

 行政刷新会議が実施した「事業仕分け」にからみ、教員研修センターの理事長(文部科学省元高等教育局長)が1849万円、各地の青少年自然の家などを運営する国立青少年教育振興機構の理事長(元文科審議官)が1790万円の年間報酬を受け取っていたことがわかった。

 いずれも文科省所管の独立行政法人で、11日の刷新会議では、委員からは「並外れている」「報酬に見合った仕事をしているのか」と批判が続出。両法人とも、現在の実施事業は国としては廃止し、地方や民間への移管を検討すべきだと判断された。

 文科省によると、教員研修センターの役員は常勤3人のうち理事長を含む2人が官僚OB。非常勤の1人も含めた計4人の年間報酬は約4740万円だという。

 事業仕分けでは国立女性教育会館の運営についても議論になり、民間登用の理事長の年間報酬が1446万円であることがわかった。事業自体は国のものとして続けると判断されたが、委員からは「コストと人件費を減らして自己収入を拡大すべきだ」と注文がついた。(見市紀世子)
(2009年11月12日16時1分)

この記事に出てくる国立女性教育会館の民間登用の理事長とは産経新聞によると神田道子(74)氏で次のように紹介されている。

 神田氏は民間出身で、「天下り」ではない。新潟県出身で、お茶の水女子大を卒業後、財団法人の研究員や大学の講師をするなかで、女子学生の職業意識などを研究。2000年には東洋大学初の女性学長に就任し、01年には政府の男女共同参画会議の議員も務めた。

 著書には「現代における婦人の地位と役割」など女性の社会参画にかかわるものが多数あり、「働く女性」の先駆者的存在だ。

 神田氏はかつて「政策決定に女性が関与できなければ、共同参画ではなく、社会参加」と語ったこともある。いま、その言葉を体現している蓮舫氏とのバトルは、皮肉といえば皮肉。

第何番目の人生なのか分からないが、すでに要職を歴任してきた神田氏は74才。その経歴から察するに年金暮らしで悠々自適の生活が可能な方である。社会奉仕をやっていただくのはもちろん大歓迎、でもボランティアでおやりになることである。それが1446万円の年間報酬をなんの衒いもなく受け取っておられたとすると、世間常識から言っても貪欲としか言いようがない。民間出身の神田氏においてすらこうであるから、天下りの高級官僚においておや、である。

国の補助事業の大多数がこういう金銭欲にまみれた一部特権階級の税金収奪手段として作られたなんて言うと、まさかそこまで人間が墜ちるものではないと世間が思うのがまさに狙い目なのである。老若男女を問わず国民はそのダシに使われたに過ぎない。となると「事業仕分け」で国民にこれまでの補助金制度の実態をあぶり出すだけあぶり出して、原則としてすべてを無くしてしまえばよいのである。すべてでないにしても、せめて管理者に天下り的人が一人でも居る事業体は即廃止とすればよい。

ところで「事業仕分け」第3WG 評価結果ととりまとめコメントは

国立女性教育会館
予算要求の縮減

とりまとめコメント
国立青少年教育振興機構、教員研修センターについては、自治体・民間へ移管、特に青少年交流の家、自然の家については、国の事業としては廃止すべき、国立女性教育会館は、コスト削減、人件費の削減および自己収入の拡大努力をすべきとして大幅に予算を削減する、というのが第三ワーキンググループの総論である。

と、いかにも甘い。わが大和撫子は国立女性教育会館がないと成長できないほどのアカンタレではないのであるのに。