日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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柳沢伯夫厚生労働相を辞めさせるゼネラルストライキを!

2007-01-31 16:44:16 | 社会・政治
『女性は産む機械』発言で柳沢伯夫厚生労働相の大臣辞任を求める声が世間で高まっている。天の邪鬼を自認する私も、今回は柳沢氏に与する気にはなれない。

新聞などによると、問題発言は先週末、松江市で開かれた講演会で飛び出したそうである。柳沢厚労相は少子化問題に触れ、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」と語ったというのである。

この発言内容はきわめて低劣で、床屋談義ならともかく、一国の大臣が講演会という公の場で口にすることではない。発言後、「人口統計学の話でイメージを分かりやすくするために、こうした発言をした」と釈明したそうであるが、この釈明自体、何を云っているのやらさっぱり分からない。第一、柳沢氏が人口統計学の何をどれほどご存じだというのか。『産む機械、装置』のあとで出てくる「一人頭で頑張ってもらうしかない」の発言こそ『女性は産む機械』観そのものではないか。仮にこの言葉を「一人頭で頑張って貰うために、かくかくしかじかの政策を実現する」との提言に繋げるのなら、少しは情状酌量の余地もあっただろうが。

『女性は産む機械』観は柳沢氏の知能そのものであろう。前歴からも明らかである。

小泉内閣の金融担当相でもあった柳沢氏は、『増税による財政再建』を強力に主張することで時の竹中平蔵・経済財政政策担当大臣と対立し、小泉内閣の改造に対して更迭されたのは周知のことである。その大蔵省出身の柳沢氏が、今度は畑違いの厚生労働相として『残業代ゼロ法案』、すなわち「ホワイトカラーエグゼンプション」法案を推し進めたが、これもまた安倍首相の決断で審議見送りとなってしまった。

『増税による財政再建』と『残業代ゼロ法案』に共通するキーワードは何か。私に云わせると『勤労者は金を生む機械』観なのである。『金を生む機械』を動かせば動かすだけ税金で国は潤う。とことんまで働かせるために『残業代ゼロ法案』で尻を叩く。『女性は産む機械』観は『勤労者は金を生む機械』観と同質のものである。

繰り返す。『女性は産む機械』観は柳沢氏の知能そのものである。女性の尊厳を傷つけるこの女性観の持ち主を、有権者の一人として、大臣として受け入れることは出来ない。

こういう知能の大蔵省出身の柳沢氏が、場所違いの人口問題をも担当する厚生労働相に任命されたのはなぜか。自民党総裁選で安倍晋三応援隊の本部長を務めた論功行賞であることは衆目の一致するところであろう。

安倍首相はいまだに柳沢厚生労働相を庇っている。よほどの負い目があるのだろうか。ここで私は大臣就任以来妙に大人しい高市早苗・沖縄・北方・少子化相に奮起を期待したいのである。少子化問題の担当相として、また『機械視』された女性の一人として、政治的信念でもって『女性は産む機械』観の柳沢氏と対決すべきである。閣内不統一を鮮明にすることが、国民の間で高市大臣の声価を高めること疑い無しである。

鬼を追い出す節分までに柳沢氏が大臣を辞任しないときは、万国の女性諸氏よ、アリストパネースの「女の平和」にならい、女性ならではの戦法でゼネラルストライキに立ち上がるべきである。
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「テレビのやらせ」と日本学術会議の変な取り合わせ

2007-01-29 20:51:02 | Weblog
今話題になっている「発掘!あるある大事典II」を私は観たことがない。制作者には申し訳ないが、あのようなバライティー番組は『低俗』との思いこみがあって、触手が動かないからである。学術論文の『捏造』には敏感に反応する私も、このような番組の『捏造』には「何をいまさら」と思っただけであった。

ところが1月26日の朝日新聞が《テレビ番組の制作現場にも「科学者規範」を――。関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典2」のデータ捏造(ねつぞう)問題で、日本学術会議は26日、テレビ番組などで科学実験の計画や実施にかかわる人は同会議の「科学者の行動規範」を守るべきだ、とする金沢一郎会長の談話を発表した。》と伝えたものだから、驚いてしまった。日本学術会議が「科学者規範」の適用を云々するほど真面目な番組であったらしいのである。

しかし少し考えれば分かることであるが、論文が公表されるまで著者が全責任を負うことの出来る学術論文と異なり、テレビ番組では、たとえば実験のあるシーンをカメラマンが撮影したら、はい、それまでよ、なのであろう。撮影された映像記録が放映された番組にどのように使われたのか、その番組が放映されるまでは、実験をした本人にも知らされていないのが普通であろう。

ある製品開発を企業の研究所で行っていた私の息子が、テレビのビジネス番組で紹介されたことがある。実験している様子と息子のコメントも流される番組であったが、本人は番組を観るまではどのような内容になるのか知らなかったと云っていた。撮影には数時間をかけたらしいが、放映されたのはほんの数分であったとのことである。この数分の登場が全てであるテレビ番組の製作と、学術論文の作成は科学者の関わり方が全く異質なのである。

金沢一郎会長の談話のなかの強調した引用部分は、テレビのバライティー番組などで科学者の実験状況が放映されるようなことを、まったく想定したものではないと私は思う。

「科学者の行動規範」はPDFファイルで2頁にまとめられており、

科学者の責任  
科学者の行動  
自己の研鑽   
説明と公開   
研究活動    
研究環境の整備 
法令の遵守   
研究対象などへの配慮  
他者との関係  
差別の排除   
利益相反    

の11項目がある。テレビ番組に出演する科学者にかかわりのありそうなのは次の3項目である。

(科学者の責任)
1 科学者は、自らが生み出す専門知識や技術の質を担保する責任を有し、さらに自らの専門知識、技術、経験を活かして、人類の健康と福祉、社会の安全と安寧、そして地球環境の持続性に貢献するという責任を有する。
(科学者の行動)
2 科学者は、科学の自律性が社会からの信頼と負託の上に成り立つことを自覚し、常に正直、誠実に判断し、行動する。また、科学研究によって生み出される知の正確さや正当性を、科学的に示す最善の努力をすると共に、科学者コミュニティ、特に自らの専門領域における科学者相互の評価に積極的に参加する。
(説明と公開)
4 科学者は、自らが携わる研究の意義と役割を公開して積極的に説明し、その研究が人間、社会、環境に及ぼし得る影響や起こし得る変化を評価し、その結果を中立性・客観性をもって公表すると共に、社会との建設的な対話を築くように努める。

科学者がこの行動規範を拳々服膺したとしても、テレビ制作者が撮影映像を思いのまま操作できるような状況下では、科学者がその結果に責任と取りようのないことは一目瞭然である。

このように考えると金沢一郎氏の談話はお座なりで、日本学術会議会長としてきわめて軽率である。というのは、余計なことをするものだから、一般視聴者に対して、このようなバライティー番組でも科学的な内容は本当は正確なんだよ、との誤ったメッセージを与えかねないからである。黙殺すべきであった。

ここで話は本題に戻る。

「テレビ番組は絶対に正しい」と信じてる人と、「テレビ番組はいいかげん」と慎重な人と較べて、マスメディアはどちらの人が扱いやすいかといえば、疑いもなく前者であろう。マインドコントロールにかかりやすい人たちで、場合によっては危険な存在になりかねない。私は「テレビは必ずしも正しくない」と思う視聴者が多いほど、世の中は健全である。テレビ番組を鵜呑みせずに、視聴者が自分の常識に照らし合わせて受け入れる、この智恵を私は信じたい。

「テレビは必ずしも正しくない」を視聴者に分からせるには、今回のようにマスメディアが大騒ぎをすればよいのである。『テレビにやらせあり』が忘れられそうな頃に、また次の『やらせ』を発覚させればよい。そのためには『やらせ』を完全に止めて貰うと困ってしまう。

どのように発覚させるか、簡単である。実験を行った科学者には必ず自分の番組を観て『捏造』の確証を掴んでいただく。それを適当な間隔で何年か後に公表していただけばいい。ライバル局にぶっつければ間違いなく取り上げるだろう。「テレビはいいかげんなもの」が視聴者に常識として定着する、これが私の願である。

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「チームそのまんま」のあとを継ぐものは

2007-01-28 16:05:51 | 社会・政治
朝日新聞(1月28日)の見出し《「チームそのまんま」原動力 マニフェスト作り支える》が目を引いた。東国原英夫宮崎県知事が選挙戦で掲げた公約などをまとめた《マニフェストづくりを支えたのは知事自身が「チームそのまんま」と呼ぶ団塊ジュニア15人だった》というのである。

20~30代前半の団塊ジュニア十数人のチームは、東国原氏が県民に訴えたい重点的なテーマが「教育」や「観光」「行革」などであることを把握して、その具体案をマニフェストにまとめ上げていく作業に取り組んだ。

《マニフェストの土台となる宮崎の現状や課題をつかむため、県がインターネットで公表している報告書や統計を分析した。総合計画や雇用・産業再生指針、国が作成した県経済の現況報告……。「農業県のイメージが強いが、実はサービス業や製造業が成長を支えていた。観光業に力を入れ、かつ競争力のある企業を誘致するために何をすべきかを皆で考えた」》のである。

《会議は平日夜を中心に開かれ、東国原氏も必ず出席した。毎回5~6時間はざらで、議論した結果は電子メールで共有。それをたたき台に次回に臨んだ。一字一句、食い入るように資料を読んで議論し、質問も細部に及ぶ姿に「彼は本気だ」と思った》という。

東国原氏と「チームそのまんま」の真摯さを伝えるこの記事は、内容が具体的で分かりやすい。やるべき立場の人がやるべきことをやり通す、この当たり前のことをやってのけた人たちの存在に私の心が踊った。そして、その推進力が20~30代前半の団塊ジュニアであったということにまた感激した。シニア世代の私にとって、若い世代の活力がなによりも嬉しいのである。

マニフェストが完成して「チームそのまんま」の面々は、報酬代わりの東国原氏のサイン入り色紙を貰い、握手して別れたという。小泉さんではないが、私は『感動した!』。

「そのまんま東のマニフェスト」に目を通せば分かることであるが、政策、提言はきわめて具体的である。それをいよいよ実行に移す舞台の幕が上がった。

東国原知事が真骨頂を発揮するのにもっとも必要なことは何か。それは「チームそのまんま」のような団塊ジュニア世代中心の実行部隊を県庁職員の中に組織することである。マニフェストにも《優秀な県庁(各役所)職員の皆さんの中には、やる気に満ちた方々が沢山います》と述べられている。まさにその通り、東国原知事の熱意に感じ、出処進退を共にするぐらいの意気に燃えたやる気のある県庁職員で、従来の組織との摩擦を覚悟の上で『特命実行チーム』を編成するのである。

日々の活動、行動などをブログなどを通じて宮崎県民はもちろん日本国民全体に発信して、その活躍ぶりでわれわれの心を揺り動かしていただきたいと思う。


お断り 
《》内は新聞記事など引用元をそのまんまコピーしたものである。


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政治家(屋?)は政治資金を何につかうのだろう

2007-01-25 20:30:36 | 社会・政治

昨日(1月24日)の朝日新聞は《「スキャンダル国会」 あす開会》と報じている。政治とカネが焦点だそうである。しかし国政を論じる国会で取り上げる前に、何がどのようにして問題になるのか、問題点をマスメディアにまず整理して欲しいと思う。

あっという間に佐田前行革担当相が辞めてしまったから、一体どの点が悪いから大臣を辞めたのか実は私には分からない。佐田氏には申し訳ないが、よほど不都合があったのだろうという程度の受け取り方である。でも議員には留まっておられる。

佐田氏に続いて、伊吹文部科学相や松岡農林水産相、それに中川昭一自民党政調会長も政治資金をめぐる問題が発覚したそうである。これもどの点がどう悪いのか、マスメディアの報道からははっきりと伝わってこない。せめて大臣辞職した佐田氏の問題との違いぐらいははっきりと説明して欲しいものである。

民主党から参議院副議長に推し出された角田義一氏も、2001年参院選の自分の選挙組織で、献金の不正処理があったなどと、これまたマスメディアが取り上げたが、民主党幹部は問題はない、と云っているらしい。いつもながらのお座なりの発言であろう。

民主党の小沢代表の事務諸費4億1千5百万円に秘書用宿舎の建設費が含まれているとのことであるが、庶民感情としては「ヤメテクレ」と云いたくなる。しかし小沢氏の政治団体が土地を購入しようと建物を建てようと、政治資金規正法が認めている以上、法律的に悪いことをしたわけではないので、これがいけないのなら法律を変えるしかない。どのように変えればいいのか、世論をリードするマスメディアは現れないのだろうか。

ところで国会議員や地方自治体の議員などの政治家は一体何にお金を使っているのだろう。選挙期間は選挙運動に結構費用をかけているだろうが、選挙のない日常のお金の使い道はどうなっているのだろう。私はこれまで議員といわれるような方からハンカチ一枚も貰ったこともないし、お茶の一杯も頂いたことがない。政治資金は私の一切かかわりのないところで、ということはほとんどの国民とかかわりのないところで、使われていることになる。

それが知りたくなって、総務省が公開している政治資金収支報告書を覗いてみた。私の目についたのは青木幹雄後援会が平成18年9月8日に公表した平成17年分である。総務大臣届出分の政治団体で資金管理団体がアイウエオ順に整理されており、「ア」に分類された中で、議員名がたまたま特定できる最初の例であるから取り上げたまでで、他意はない。

平成17年度の収入額が94,750,016円で支出総額が92,345,741円である。

支出項目の一番目は経常経費で、(1)人件費 22,707,000円、(2)光熱水費 2,001,945円、(3)備品・消耗品費 9,342,945円、(4)事務所費 28,036,414円で、総計が62,088,304円になる。

支出項目の二番目は政治活動費で、(1)組織活動費 28,861,380円、(4)調査研究費 1,396,057円、その他の小項目は全て0円で、小計が30,257,437円、従って支出総額が92,345,741円になるのである。

経常経費で最近問題になった事務所費などは内訳が記載されていないが、法律上、これで問題がないようだ。

というのは、政治資金規正法第12条第1項第2号は次のように記されている。

《すべての支出について、その総額及び総務省令で定める項目別の金額並びに人件費、光熱水費その他の総務省令で定める経費以外の経費の支出(1件当たりの金額(数回にわたつてされたときは、その合計金額)が5万円以上のものに限る。)について、その支出を受けた者の氏名及び住所並びに当該支出の目的、金額及び年月日》

おそらく事務所費は人件費、光熱水費などに準じるのであろう。経費の内訳を求められてはいない。

これに反して、政治活動費のうち組織活動費(会合費)では、5万円以上の支出は全て個別に記載する形でその内訳が明らかにされているので、それを見てみよう。

組織活動費(会合費)28,861,380円のうち、タクシー・車代、航空券代、JR券代を合わせて9,969,053円になる。一方、飲食費 8,616,522円(65件)、お品代 2,415,264円(22件)、お花代 967,750円(10件)、交際費 128,310円(1件)、会合費 431,228円(1件)、それ以外に1件5万円以下の支出の合計が6,333,253円となっている。

政治活動費のうち調査研究費 1,396,057円の内訳は分からない。

ここで注目に値するのは、政治活動費という項目で、機関紙誌の発行その他の事業費への支出が0円であるのに反して、飲食費が少なくとも1千万円を下回らないという事実である。お品代にお花代、これは誰かに上げたものである。いずれにせよ3千万近い組織活動費の約三分の二近くが飲み食いと贈り物に使われているのである。

飲食費もどこで費やされたか、料亭などの名前は一応記されている。高級料亭なのだろうか、支出平均は一件あたり10万円を上回る。これを政治活動費とはよく云ったものだ。私の感覚ではこれは供応もしくは遊興費である。

政治活動費の残りの三分の一の約1千万円が交通費である。誰が何のためにどこを往き来したのか分からないが、このIT化の時代に、新しい通信手段を導入することで、このかなりの部分は節約できるの筈で、その用途が極めて不透明である。

たとえばこのような支出がある。航空券代として平成17年12月14日に近畿ツーリストへ895,300円、同日JTB国会内支店に323,800円、計1,219,100円を支払っている。これがどのように政治活動と関係があるのか、私の想像外である。航空券などを金券ショップに持っていけば何時でも換金できるできるご時世に、もしその様な抜け穴が現行の政治資金規正法で見つかるようなら、いくらでも裏金が作られることになりこの法律自体無意味になるが、今はこの問題に深入りしない。

名目だけであるにせよ、調査研究費1,396,057円だけが総額30,257,437円也の政治活動費に値するが、残りの28,861,380円はお金があるから使ったようなものだ、と私は云いたい。政治資金とは一体どうあるべきなのか、根本に遡って国民の間の共通認識に基づき、法律の抜本的改正がなされなければならない。現行の政治資金規正法は、政治家の勝手気ままな乱費にお墨付きを与えるだけのものでしかありえない。このような法律に則って政治資金が正しく使われているとかどうとか、論じること自体無意味である。

とはいえ、素人の私が、それもたった一件の収支報告書を眺めただけでも、このように政治資金の使われ方に疑問を抱くのである。マスメディアがその持てる力を存分に振るって、今問題の個人名の上がっている国会議員について、その収支報告書を、添付されているはずの領収書の写しなどを手がかりに徹底的に調べて、その問題点を簡潔明瞭に国民に伝えるべきではなかろうか。
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面白い宮崎県知事選挙の結果

2007-01-22 12:09:13 | 社会・政治
宮崎県知事選挙が面白い結果になった。お笑いタレント、そのまんま東さんが二位以下を大きく離して当選したというのである。自民・公明推薦候補者の得票数を二倍も上回っているのだから驚く。

私はこの方のお笑い藝を見た覚えはないし、しっかり者の奥さんに対するへなへな亭主のように、何かのスキャンダルがらみでかってテレビに出ていたな、という程度の認識しかない。しかし東京や大阪のような大都会の、いい意味での面白がり屋住民ではない、どちらかといえば朴訥なイメージのふさわしい宮崎県県民が彼を選択した意義は大きいと思う。

私は素人政治家大歓迎である。知事はただひたすら県民の幸せのために奉仕する。戦時中の言葉ではないが滅私奉公に徹する。初心を忘れず、驕らず高ぶらず、ただ一途に県民に尽くす。愚直なまでに理想政治を推し進めればよい。

そのついでに一つ実験をやっていただきたいのである。

私は地方自治体の今のような議会は不要であると思っている。もし住民に何か積極的な意向があれば、県庁とか市役所などに直接に申し入れをすればよい。とりまとめ役は必ず現れる。それもボランティアとして。私的な口利きと自分の選挙運動を除くと、現行の議員が生き生きとして働くような仕事が一体どこにあるのだろう。

県行政の是非をチェックする機能は、これは人間社会である以上必要である。議会の機能をチェックに一元化すればよい。議員は県民有権者のなかから、たとえば裁判員制度のように無作為に選んでもいいが、ボランティアのなかから選挙民が選んでもよい。ただし人数は現在の議員数の十分の一以下とする。いずれにせよ議員は無報酬で、交通費のような必要経費のみを実費支給すればよい。議会の開会は夜とか週末にする。

そのまんま東知事はいずれ県議会といろんな局面で対立することになるだろう。前知事の汚職をチェックできなかった県議会はいわば前知事と一つ穴の狢である。新知事と衝突するのは必然の成り行きだろう。この衝突を通じて、現行の地方議会が清新な政策の実行にいかに無用な存在であるかと云うことを全国民に知らしめる、そのような実験をお願いしたいのである。宮崎から地方議会の抜本的構造改革への烽火が大きく打ち上げられることを期待する。
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不二家叩きの阿呆さかげん

2007-01-21 12:36:18 | Weblog
確かに不二家は弛んでいた。

朝日新聞によると、2006年11月7日に、《消費期限の牛乳4ロット分を11月8日に使用した」との社内告発があった》とのことである。しかし不二家が公表問題を含めて適切かつ迅速な対応をしなかったことがこの告発者を刺激して、外部へのリークとなったのではなかろうか、と私は想像する。2007年1月11日の記者会見まで2ヶ月もかかっていたのだから。

内部告発後の社内対応一つを取り上げても、その無策ぶりは信じられない。このような状況で何をなすべきかも見極められず、ただ手を拱いていたとしかみられないこのような月給泥棒を、よくぞ消費者が長年養ってきたものだ。これもひとえにトップが現場主義から離れていたことに起因すると私は思う。

しかし不二家にかずかずの問題があったにせよ、それに対する社会の『過剰反応』と、それを挑発せんばかりのマスメディアの姿勢は異常である。それを私はここで問題にしたいのである。

報道姿勢について、たとえば1月19日の朝日新聞記事を取り上げてみる。

《シュークリームの細菌数「無限」 不二家札幌工場に記録

 不二家札幌工場の細菌検査記録を調べていた札幌市保健所は19日、同社が発表した6件のほかに、カスタードシュークリーム1件で細菌数が「無限」と記載された記録が見つかったと発表した。

 昨年6月8日の製造分。国の定めた検査方法では、シャーレに検体を載せて細菌数を数え、数が多すぎる場合、数えられるまで薄めて検査する。しかし、このシュークリームは2回薄めたところで検査を打ち切っていたという。 》

消費者が一番知りたいことは、この細菌数「無限」と記載されたカスタードシュークリームが廃棄されたのか、それとも出荷されて食中毒などの被害者が生じたのかどうか、ということである。この記事からは何も分からない。現在に至る経緯から、食中毒はなかったものと推測できるが、廃棄されたのか出荷されたのかはこの報道からは伝わってこない。

結局この報道は細菌数「無限」を強調することで、ただでさえマスメディアに弱い一部の消費者にとにかく恐怖感を植えつけるのである。

細菌数の検査には決められた手順がある。検体の細菌数が計測不可能なほど多ければ、測定可能なレベルまで検体を希釈することになっている。しかし日常行っている調製法で作った最初の検体の細菌数が測定不可能であるのなら、商品にならないのは自明のこと、そのカスタードシュークリームを廃棄すればそれで終わりである。どの段階で細菌の異常増殖が起こったのかは正確な細菌数が不明でも追跡可能である。もし細菌数「無限」を報道するのなら、ここまで踏み込んだ解説を補足すべきである。

ことほど左様に、取材能力欠如のこれも月給泥棒の記者にデスクが、いたずらに社会不安を煽り立てるのである。その結果スーパーやコンビニから不二家の全商品が姿を消してしまったというのである。洋菓子を念のために撤去したというのは分かる。しかしチョコレートやクッキー、キャンディーのような加工菓子まで撤去は明らかに過剰反応である。その撤去した加工菓子がかりにも廃棄されたとするなら、これはひるがえって自然資源の浪費に他ならない。

スーパーやコンビニの経営者に自主的な判断ができるシステムがないのだろうか。洋菓子や生もの以外なら別に問題はなかろう、と考える消費者はかねてからのペコちゃんファンも含めてかなり存在するだろうと私は思う。日本人はそれほど馬鹿ではない。マスメディアの煽動に乗らない人たちの自由選択にまかせよう、と判断して、他所にはない不二家の製品をうちでは置いてますよ、と喧伝する店があってもいいではないか。消費者の自由な判断を封じるような全商品撤去というのは、それこそ民主主義国家にあるまじき暴挙でもある。私などはナチスによるユダヤ人迫害をつい連想してしまう。

不二家チョコレート菓子の箱に、ガの幼虫が混入していた、とも報じられている。チョコレートそのものに混入していたのか、チョコレートを入れた箱に紛れ込んだのか、いずれかはこの報道では分からない。かりにチョコレートそのものに混入していたとしても、また石が混じっていたとしても、大量の製品の中にはその様なことがあっても仕方がない、と私などは思ってしまう。確かに異物の混入が明らかになればその経緯を調査して、同じ問題が再発しないように努めるのは製造者の義務である。しかしいかなる欠陥も許さないという硬直した姿勢は今の世にはそぐわない。そんなことを云っていたら、まともに使えるパソコンのソフトなんて何一つないじゃないか。

私が小さな店でも経営しているのなら、話題性の高い不二家のチョコレートやクッキー、キャンディーを店頭に山積みにしてやる。もちろん仕入れ値は値切ってタダ同然にする。そして大きな垂れ紙を吊す。「もしガの幼虫のような異物が混ざっている製品をお買い求めのお客様には、当店で10万円にて引き取らせていただきます。万が一石ころなどが入って居ればこれは大当たり、石ころの1万倍の重さの金と交換させていただきます」と大々的に宣伝してやる。千客万来疑うことなかれである。

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不二家の期限切れ牛乳の報道を巡って

2007-01-19 18:08:06 | Weblog
スーパーから不二家の製品が撤去され商品棚が空になっている。インタビューを受けた若い女性が「こわい。子供に食べさせられない」と力んで答えている。夕べ(1月18日)のテレビ報道である。消費者の健康を損ねたわけでもないのに、不二家の製品が全否定されてしまった。怖い話である。

①消費期限切れの牛乳をシュークリームの製造に使っていた。
②最長四日の賞味期限切れりんご加工品をアップルパイの製造に使用していた。
③プリンの消費期限を社内基準より一日長く表示。
④細菌検査で出荷基準に満たないシューロールを出荷。

などが今回の騒動の元と見てよかろう。

この中で私が気になるのは④ぐらいで、あとは大したことはないとは思う。消費者に実害が及んでいないからだ。しかし存在する以上、社内規定を守らなかったのはよくない。そのために①、②、③が世人の糾弾を浴びることになり、不二家は壊滅的な打撃を蒙ろうとしている。騙されたと消費者が感じるのも至極もっともなことで、その様な認識を欠いていた不二家が甘かった。

《期限切れの牛乳は、元社員でパートとして再雇用された六十代男性が使用していた。藤井社長らは「牛乳を余らせ廃棄物にすると、是正報告を求められるので捨てづらかったのではないか。古くからの職人なので、消費期限を自分で判断できるとの甘さがあったと思う」と説明。いつごろから期限切れ牛乳を使っていたかは分からないという。今回牛乳が余ってしまったことについては「(十一月の)連休の需要を読み損なったからではないか」としている。》と1月12日づけの埼玉新聞は伝えている。

社内規定を守らなかったこの元社員の肩を持つわけではないが、消費期限切れでも使えるではないか、と判断したことについては、心情的に同感してしまう。もったいない、と私でも思うからである。牛乳を消費期限切れにしたことは確かに在庫管理の失敗である。しかし社内規定をもう少しゆとりのあるものにしておけば良かったのではなかろうか。万が一原料が期限切れになった場合は、現場責任者が使用の是非を判断する、とのような例外規定を設けておけばよかったのではなかろうか。もちろん事実を隠すのではなく、その旨の記録はしっかりと残さないといけない。これで少なくとも社内規定を違反したとの非難は論拠を失うことになる。格好が良くても守られない規約では何の意味もない。

ところでここまでは新聞報道などに従って、私は『消費期限切れの牛乳』のように『消費期限』という言葉を使ってきた。しかし私はこの『消費期限切れの牛乳』という言葉には違和感がある。なぜなら牛乳のパックには『賞味期限』の表示はあっても『消費期限』の表示なないからである。業務用の牛乳は消費期限で表示されているのだろうか。このあたりの事実関係がマスメディアの報道からは伝わってこない。

少々味は落ちても腐っていなければ牛乳は飲める。20年間の単身赴任の間、私は自分で実証してきた。その意味では『賞味期限』は過ぎたがまだ『消費期限』は残っている、という生活常識的な受け取り方があってもよい。

しかし『賞味期限』と『消費期限』は共に法律で定められており、実は傷みやすい食品に『消費期限』を定めることになっている。たとえばコンビニのサンドイッチには比較的短い日時の『消費期限』が記されている。長くてもせいぜい2日間ぐらいだろうか。これに反して『賞味期限』は5日以上の比較的日保ちのする食品に適用されて、牛乳などもそれにあたる。そしてその期限が過ぎたからと云って、直ちに食用不適格になるわけではない。

今回の事件で不二家の使った期限切れの牛乳が事実は『賞味期限』切れなのか、それとも『消費期限』切れなのかで、私はマスメディアの報道姿勢が問われることになると思った。上述のように元来『賞味期限』が適用される牛乳では、その期限設定に余裕があるから、その期限が少々過ぎても食品として使用不可能になるわけではない。この事実を知った上でマスメディアが『消費期限』切れと報じているのであれば、これは事実を歪曲した煽動報道と云うことにもなる。もしこの事実を知らずに『消費期限』と報じているのであれば、事実の確認を怠ったガセネタと云われても仕方があるまい、と思った。

ところが不二家ウエブサイトに次のような一文のあるのに気付いた。

《過去7年間の間に、消費期限または賞味期限を過ぎた原料を使用したとの例が18件(消費期限15件、賞味期限3件)あったとの報告がありました。内訳は、消費期限については9件が乳製品(牛乳、生クリーム)、6件が卵類(加糖卵黄、生卵白、生卵黄)、賞味期限についてはブルーベリージャム、チョコビッツ、アップルフィリングの3件でした。》

これだと確かに消費期限切れの牛乳であり、不二家の発表をマスメディアがそのまま踏襲しているようにも受け取られる。私は自分では確認していないが一部の低温殺菌牛乳には消費期限の表示がされているとのことである。不二家はこの種の牛乳を使っていたのだろうか。

今回のようにそれほど期限切れが問題になるのなら、取材側に日頃飲んでいる牛乳パックには『消費期限』ではなく『賞味期限』と記されていることに気付く者が一人ぐらい居て、なぜ不二家の牛乳が『消費期限』切れと発表されたのか、そ事情を自らの取材で明らかにして欲しかった。

確かに不二家の消費者の信頼を裏切るような行為はいけない。しかし一方、マスメディアに煽られてか、全商品の撤去を促すような消費者側の過剰反応が、また別の意味で私には怖ろしい。

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一弦琴「初春」

2007-01-18 21:08:12 | 一弦琴
松の内は過ぎたが、お正月らしい「初春」のお浚いを重ねてきたので披露する。保津川下りの舟がゴッツンゴッツンと岩にあたりながら流れていくようなぎこちなさがあるが、のどかな気分で唄ってみた。

自己採点では100点満点のいいところ70点。やはりゴッツンゴッツンがいけない。流れに乗りきっていない。そして間延びが聞き苦しい。つまり『つながり』が良くないのである。それにところどころで変な思い入れのある弦の弾き方がいやらしい。

これだけ自分で問題点が分かっておりながら、そうしてどうすればよいのかある程度見当はついていても、なかなか修正できない。先ずは手が独りでに動き出すところまで、身体が覚え込んでいないのが根本原因のような気がする。


追記(1月19日)
昨日の演奏は歌い出しに違和感がある。そこで教本から離れて唄ってみた。
演奏は差し替えた。

追記(1月20日)
リズムに多少乗れた感じになった。そこで少し遊びを入れてみた。
演奏はさらに差し替えた。

追記(1月21日)
遊びを入れたがやはりしっくり来ない。調弦も変えてあらためて唄ってみた。
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♪万里の長城からションベンすればよー

2007-01-17 12:18:22 | 在朝日本人
朝鮮京城三坂通りのわが家は、朝鮮神宮の参道に通じる坂道に面していた。龍山師団の兵隊さんが行軍訓練でこの坂道をよく上り下りしていた。時には軍歌を歌いながら行進していく。

  ♪万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く
   大和男子と生まれなば 散兵戦の花と散れ

このような歌を、前と後ろの分隊が一小節ずつ交互に歌い継ぎ、ザッザッと足音を立てて歩いていく。いつの間にか私も耳からこの歌を覚えてしまった。

このような歌もあった。

  ♪万里の長城からションベンすればよー 
   ゴビの砂漠に虹が立つよ

で始まり、いろいろと歌の文句が変わって続いていく。そのなかで私の記憶に一つだけ残っているのがある。

  ♪巴里のエッフェル塔からションベンすればよー
   ダニエル・ダリューが傘をさすよ

というので、このような節である。

「硫黄島からの手紙」を観たことが連想に連想を生み、この歌が出てくる羽目になったのであるが、このたび歌ってみてある違和感を覚えたのである。

一番はよい。二番がしっくりこない。戦争中はもちろんフランスも敵で、だからこそ仏印などを奪ったりしている。その敵国人にションベンをかけて気勢をあげる、との見方が成り立たないわけではない。しかし文句全体があまりにも『文化的』だし、軟弱感が漂っていて、軍歌らしくない。

母が昔語りに兵隊さんが歌っていた、と一番の歌詞をちゃんと云ったことがあるので、これが歌われていたことは確かである。しかし他には覚えていなかった。

「ダニエル・ダリュー」がもし兵隊さんたちに本当に歌われていたとしたら、その中には物知りがいて、ダニエル・ダリューとシャルル・ボワイエ演じる彼女の代表作「うたかたの恋」を講釈していたかも知れない。それに耳を傾けて頷く兵隊さんを想像すると、なんと日本軍兵士の文化度の高かったことよ、と賞賛したくなる。

ところが「ウィキペディア」によると、1935年に公開されたこのフランス映画は日本では検閲で上映禁止となり、戦後になって公開されたとのことである。この映画はともかく、戦前の日本におけるダニエル・ダリューの人気度がどの程度のものであったかが分らないので、このような歌詞が世間に広がっても不思議でなかったのかどうか私には判断できないが、軍歌に登場するにはやはり場違いかな、との思いが強い。

となると「ダニエル・ダリュー」が私の記憶に定着したもう一つの可能性を考えてみないといけない。戦後、軍歌のいろんな替え歌が輩出した。ダニエル・ダリューとは全く無縁であった少年の私が、ただ面白がって口にし出したのだろうか。「万里の長城」と「ダニエル・ダリュー」がなぜ対で私の口から流れ出るのか、この疑問はちょっとやそこらで解けそうもないようだ。
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習い事の年限

2007-01-15 13:21:20 | Weblog
私が敬愛していた大学院時代の先輩がある時洩らした一言がある。今でもはっきりと覚えているが、「どんなにいい先生でも付くのは5年ぐらいと決めておいた方がいいよ」というのである。その先輩は自ら有言実行を果たした。大学院で学位を得るとアメリカに留学し、帰国後は他大学に助手の職を得て教授に協力しつつ新しい分野の研究を始めた。そして学会賞を授かるような立派な業績を挙げてまた別の国立大学に教授として赴任した。理想的なコースを歩んだと云えよう。

この言葉は先輩独自の人間観から出て来たものであった。5年間も人間同士の付き合いが続くと、良いところ悪いところを含めてお互いが見えてしまう。友人、夫婦関係はそれでもいいが、師弟のような上下関係では必ずぶつかり合うようになる、というのである。もちろん我慢をするのは弟子の方だから、ストレスが溜まってきてそのはけ口を探し始める。

なるほど、と思った。習い事で考えてみると、弟子の成長速度が師匠のそれを遙かに上回るのである。習い事を始めたとき、弟子は0から出発する。師匠の持っているものを100だとする。弟子が60に到達したときに師匠は100ならまだよい。下手すると90に下がることもあるだろう。師匠も精進しないと身を切り売りするしか手がないからである。弟子にとって最初は仰ぎ見るような存在だった師匠が、だんだんと自分の手の届きそうなところに近づいてくる。これは技に関してであるが、師匠の人間性も露わになってくる。最初は盲目的に従っていた弟子が次第に自我に目覚めてくる。ぶつかり合ってもおかしくない状況が自然と生まれてくるのである。人間関係を良好に保つために、習い事でも5年あたりを一つの区切りとするのがいいのかも知れない。

私の習い事の周辺で変化があった。ふと気がつくとお稽古仲間で見慣れた顔が減っているのである。稽古歴5年以上の方々である。それぞれの事情があってのことであろうが、仲間が減っていくのは正直なところ淋しい。私にすれば切磋琢磨し合う仲間の多い方が心丈夫だからでもある。しかし、5年もお稽古を続けておれば、自分なりの道を極めていく素地は十分に出来上がっているから、後は精進次第である。場は違ってもお互いに修練を競い合い、また相見える折のあることを祈念したい。
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