日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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エアコン購入 ヤマダ電機かヨドバシか

2008-06-30 23:36:16 | Weblog
今日は妻のアッシー君で出かけたついでに近所のヤマダ電機に足を向けた。エアコンの下見である。平日の昼間とあって人はまばら、エアコンの売り場でと見こう見していると店員が近づいてきたのでいろいろと説明してもらった。私は加湿機能のあるD社の製品を見たかったがここでは取り扱っていない。しかし説明を聞いているうちに、加湿機能が必要なら専用の装置を買えばいいような気になってきた。そして店員は私が今まで気にもとめなかったF社の製品を勧める。表示価格は同等品に比べて必ずしも安くないが、なかなかの勧め上手なのでこれでもいいなと思うようになった。店員が出してきた値段は表示価格よりもかなり安く、取り付け工事費と現在使用中のエアコンの取り外しも無料なので私は妥当かなと思った。出直すのも面倒なので決めかけたが、妻が待ったをかけた。もっと安くならないの、とお決まりの口出しである。

掛け値なしの最終価格だと店員は頑張っていたが、妻を納得させたら買って貰えると思ったのか、いったん奥に引っ込み出てきてはこれでどうですかと電卓の数字を見せる。ただこの価格にするには前橋の本社の了解を取らないといけないので、それでよければ手続きを進めるがと云う。つい頷いてしまった。私は本社の了解なんて話に勿体をつけているだけだろうと思ったが、だんだんと本当かと思うようになってきた。レジで実際に本社に電話をかけている。ところがそれがなかなか繋がらない。2、3分で済みますと云っていたのがなんと30分近くなってもまだ繋がらない。店員の説明によると、この価格にするには本社から暗証番号を貰わないとレジを操作できないとのことである。私は気が長い方ではあるが店員の方が気を遣って、いつになったら電話が繋がるのか分からないから暗証番号が取れたら電話で連絡するので、改めて出直していただけないかと申し出た。そこまで義理をたてることもないのであるが、なるほど、ギリギリまで値引きはどうも本当らしいと思い家に帰った。

夜、電話がかかってきたときは私は入浴中だったので、1時間ほどして電話をするとのことだった。いつものようにNHKのニュースを見ながら食事を始めたところ、あまりにもタイミング良く?ヤマダ電機の文字が大きく画面に飛び出た。大手量販店の優越的地位を乱用して納入業者から延べ約16万6000人を派遣させ、店の新装、改装オープンの際、商品の陳列や補充、接客などで人件費を一切払わなかったことに対して、再発防止策を講じるよう公正取引委員会が排除措置命令を出したというのである。

そう云えばヤマダ電機の店内のビラには、私の考えている大きさのエアコンの売れ筋として一位がN社、二位がT社、そしてF社は三位と書かれているのに、あの店員は一生懸命にF社の製品を勧めたから、ひょっとしてF社筋の派遣店員だったのかも知れないと思った。食事中に改めて電話がかかってきたときに、F社の派遣員さん?と早速確かめるつもりだったのに、いざとなると聞くのをころりと忘れてしまった。

家でヨドバシでの値段を調べてみるとエアコン本体に工事費などを合わせた総額はヤマダ電機より少しは安い。ただこれはヨドバシののポイント分を値引きとして計算するからであって、実際に支払う金額はヨドバシの方が多い。エアコン本体価格が高いだけにたとえば18%のポイント分でも結構大きな金額になる。最近は私もあまりヨドバシで買いものをしないので、ポイントの利用価値は以前ほどではなくなった。しかし、ヤマダ電機のやり方を聞いたばっかりに、ここに決めるのもどうも釈然としない。どうしたものだろう。
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一弦琴「四季山」

2008-06-30 15:08:52 | 一弦琴
               詞 不詳
               曲 真鍋豊平

  春は吉野の 白雲も 花とみへけり 音羽山
  卯の花になく ほととぎす 初音ゆかしも
  
  龍田山 秋は紅葉の 色こきに
  妻恋ふ鹿の 声すなり
  
  冬は鞍馬の 峰の雪 
  さゆるふすまも 忘れつつ 眺めやるこそ あはれなれ
  
  かぞふれば かぞふれば
  春夏秋も 冬もみな 一年ながら おもしろや


「四季山」のお浚いを始めてもう二ヶ月近くになる。むつかしい。
まず演奏時間が15分を超えるほど長いので、なかなか覚えにくい。お浚いを始めて全曲を少なくとも百回以上は弾いているが、それでは曲の流れが頭に収まるにはまだ足りない。ちゃんと覚えようと思えば寝食を忘れるほど熱中しないといけないのかも知れない。それではお遊びがお遊びでなくなってしまう。その頃合いをはかるのが難しい。

とにかく辛うじて一応は弾けるようになった。忘れないようにしばらくは毎日弾くことにしようと思う。そのうちに手が独りでに動き、声も自然と出てくることだろう、と言うことを夢見ながら。

徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」に従ったが、「七八」をその通りに弾くとどうも落ち着きが良くない。お師匠さんは「八」で行きましょうと仰る。たしかにその方がぴったりと来るので、気が変わらない限りこの弾き方にする。一曲が長いので前半後半に分けてアップロードした。

追記(7月24日) 演奏を差し替えた。

 
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エアコン水漏れの季節再来に思案中

2008-06-28 10:14:40 | Weblog
「エアコン水漏れの簡易撃退法」をこのブログに載せたのがちょうど一年前である。またエアコンの季節がやってきたが、今年はまだ本格的稼働状態にはなっていない。だんだんと我慢強くなったのだろうか。でも6月25日は湿度がとても高く温度が30度近くてパソコンの稼働音も高くなったのでエアコンを入れてみた。



5時間運転しただけで200ccほど水が溜まった。水漏れ対策バンドは去年のままだったので接着がゆるんだところがあり、水が下にしたたり落ちたので多少は手直しをしたが、簡易撃退法は健在だった。しかし、である。このまま使い続けるのも良いがもう丸10年は使ったことでもあり、いずれほかのところに故障も出てくる可能性も高いし、その時に交換しても機械の寿命が私をはるか超えるようでは馬鹿らしい?し、私が一日中一番長い時間を過ごす場所のことでもあるし、なんて考えるとそろそろ買い換えの潮時かと思ったりする。

インターネットで調べると最近のエアコンはやっぱり進化している。「自動お掃除」はとても便利そうで10年間フィルター掃除不要なんて不精者には有難い。なかには暖房時には外気の水分を取り入れて加湿装置が働く機種もあり、美しい声を保つために喉の状態に気を配る心ゆかしい人などは飛びつきそうである。それよりなにより運転効率が10年前とは格段によくなって、電気代などは半減しているのではないだろうか。そのせいかどうか、一年間使用の電気代をどのメーカーも誇らしげに表示している。ということで新しい機種に食指がむずむずし始めたが、さて、いかなる仕儀に相成りまするや。
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老嬢に山姥とはうらやましい

2008-06-27 00:26:59 | Weblog
朝日朝刊(6月26日)の三面に新潮社最新刊の広告が出ていた。ぱっと目に入ったのが吉行和子さんの「老嬢は今日も上機嫌」という本のタイトルで、「老嬢」とはなんていい言葉だろうと反射的に思った。かってオールドミスという言葉が流行った。未婚のまま婚期を過ぎた女性という意味で、どちらかというと侮蔑的に使われた。しかし今や晩婚時代となりオールドミスは死語化したが、老嬢という言葉自体は残っているようである。日本国語大辞典(小学館、初版)によると寺田寅彦の旅日記に「神戸から一緒のアメリカの老嬢二人」とあるそうだから、本来の使われ方としては歴史が古い。未婚、既婚を問わず美しく年を取った女性向けの言葉である。今週はNHKBSでミス・マープルシリーズを放映しているが、ミス・マープルこそ老嬢という言葉にぴったりで、齢を重ねても光り輝いた存在なのである。

なぜ老嬢という言葉がいいなと思ったかというと高齢者を肯定的に表現しているからで、それに対して男性を表現する言葉が見あたらないからである。お嬢ちゃんには坊ちゃんだから、では老坊という言葉があるかといえばそれはない。せいぜい思い当たるのは老僕であるが、これは年老いた下男のこと、「新明解」さんは下男を「庭仕事・力仕事などをするために雇われている男」と説明している。「雇われている」を「飼われている」に置き換えたら、これこそ私の今の姿ではないか。ああ、あわれやわれ、言葉は社会の鏡という、高齢化社会が出現するよりはるか昔から、男女の行き着く先は老嬢と老僕として定められていたのである。

新潮社の広告のちょうど上に多田富雄さんの聞き書きが載っており、次の一節がまた目を引いた。《社会学者で歌人の鶴見和子さんは障害を背負いながら、山姥(やまうば)のような迫力で現代の危機的課題を次々突きつけてくれました。》

山姥は岩波古語辞典には「深山に住むと信じられていた鬼女」とある。山姥は人間にはない怪力を備えていると言い伝えられているので、多田さんもその意味で肯定的にこの言葉を使われたのだろうが、残念ながらこれと対の男性を表す言葉はない。高齢者を肯定的に表す言葉が女性にはちゃんと用意されているのに、男性にはない。それがうらやましいのである。
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佐渡裕プロデュース喜歌劇「メリー・ウイドウ」雑感

2008-06-26 12:00:28 | 音楽・美術
昨日(6月25日)は西宮芸文センター大ホールで本番の舞台を楽しんできた。レハーサルと違い華やかな雰囲気がある。劇場の入り口に花がたくさん飾られているのもその一つ。でもよく見るとざこば師匠への花が圧倒的に多い。贈った方が面白がっていると思えばそれまでだが、ちょっと場違いな感じ。浪速のノリもいいけれど、これではまるでざこば一座の公演のように見えた。細かいことだが飾り付けにバランス感覚が欲しいと思った。

と、のっけから注文が飛び出したが、やはり舞台は楽しかった。しかし本音を言うとレハーサルを観なかった方がもっと楽しめたような気がする。今回の演出にはいろんな趣向がこらされていて、それが公演の大きな目玉になっていると思う。それを既に知っている分、楽しみが減ることになる。さもありなんと思い、レハーサルの内容を妻に一切話さなかったのが正解で、無闇に手を叩いている彼女を見てその確信を深めた。まだ公演途中でもあるのでこれからの方の興を削がないためにも、私の印象に残っている二三のことだけを以下に記す。

舞台背景がなかなかスマートだった。とくに第二幕の切り絵のようなバックがとても新鮮でモダーン、それでいてベル・エポックの雰囲気が良く出ていた。それに東欧風の味わいのある衣裳がしっかりと作られているものだから、あっ、金がかかっていると思うとそれだけで贅沢な気分になってしまった。やっぱり、贅沢は素敵だ!装置はイギリスのサイモン・ホルズワース、衣裳はイタリアのスティーヴ・アルメリーと解説にあったので、なるほどと頷いてしまった。これに加えて、演出の広渡勲、振付の川西清彦の諸氏をスタッフに起用したところが佐渡裕プロデュースの「プロデュース」たる所以だろうか。

言葉はすべて日本語だったが、カミーユ役のテナー、経種廉彦さんには感心してしまった。テナーの突き抜けるような透明な高音の美しさはいうまでもないが、日本語の歌唱の素晴らしさは抜群だった。言葉が実に明晰で自然、なんの違和感もないので字幕などは要らない。なせばなる、のいいお手本だと思った。ハンナ役は私の好きな塩田美奈子さんであるが、欲を言えば80%の力で歌っています、と思わせるような歌唱が欲しかった。でも存在感は確かで次の再会が楽しみである。

フレンチ・カンカンはやはりみものである。これは何べん観ても楽しい。大股開きをするような中心的ダンサーが8人横並びしていると思ったら、場面が変わると横並びがあるときは7人、さらには6人になったりするので、いったいどうなっているんだろうと気になった。フレンチ・カンカンといえば、カミーユに言い寄られるパリ駐在ポンテヴェドロ国大使夫人、ヴァランシエンヌ役のソプラノ天羽明恵さんが大使夫人として余興に踊り子として出てカンカンを踊ったのがよほどお気に召したのか、それとも衣裳がそうさせるのか、カンカン踊りの場面の後ではなにかあると衣裳の裾を持ち上げて脚を覗かせようとするのが面白かった。森麻季さんならどうしただろう。

公演が始まったのが午後2時で終わったのが5時、いわば現役世代のみなさんが仕事をしている時間である。学生時代に講義をエスケープして映画館に潜り込んだような後ろめたさをふと感じたが、公演を終わって帰途につく老若男女の観客一人一人の表情が実に明るく美しいのを見て、後ろめたさも吹っ飛んでしまった。


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問われるのは「学士の質」より「文部科学省の質」

2008-06-23 18:23:29 | 学問・教育・研究
朝日朝刊(6月23日)に「学士の質 どう保証」の見いだしで次のような趣旨の記事が載っていた。



《「大学全入時代」が迫る中、学士の質保証を求める声が強まっていることなどが背景》だそうであるが、「学士の質保証」が何を意味するのか私には分からないし、誰が「学士の質保証」を求めているのかも分からない。また余計な仕事を大学に負担させようとしている、というのが私の率直な印象である。

「大学全入時代」とは大学入学希望者総数が定員総数より少なくなる状況だと私は理解しているが、この状況が学士の質を低下させるのが本当なら対策はきわめて簡単、大学の数を大幅に削減すればよいのである。私の論法ではそうなる。しかもその状況をもう少しこまかく見ると、それほど深刻に考えることはないようである。それは「大学全入時代」になったからといって、全員が希望大学・学科に入学できるのではなく、希望者が多い大学・学科では今までと同じように入試の競争率は高くなり、これまでと同様にそれなりの素質のある学生が選抜されるのである。急に質が下がるわけではない。いずれの時代にも、何を判断基準とするかはさておき、出来るものから出来ないものまで統計的に分布するものである。社会を引っ張っていこうとする意欲に燃える層(の存在を前提とするが)にとっては「大学全入時代」になろうとも、自分の目指す大学・学科に入るためには厳しい競争が依然として待ち受けているわけで、状況が大きく変わるわけではない。

需要があって大学を作ったのであれば、需要が減れば大学を減らすべきなのである。たとえば私学で定員の50%以上100%未満の定員割れ大学が平成18年度からは30%を上回る状況になっている。文部科学省の箱物行政の結果である。大学を作るばかりが能ではない。定員を満たさない大学は、少なくとも学部・学科単位で整理されるべきである。そうすると「大学全入時代」は数字的には解消してしまい「学士の質保証」問題も私の論法では消えてしまう。不要になった大学を整理できないなにか特別な理由が文部科学省にあるのだろうか。

薬事日報(2008年05月15日)は「薬系大学の3割が“定員割れ”-全体でも入学定員を割り込む」と伝えている。《薬系大学・学部全体として“定員割れ”したのは、全74校中22校。このうち03年度以降の薬大新設ラッシュで誕生した新設校が、28 校中17校と6割にも及んだ。一方、伝統校でも、北陸大学、福山大学、徳島文理大学、第一薬科大学では、定員充足率が70%前後とかなり苦戦を強いられた格好だ。 特に、入学定員が半数にも満たなかったのが、奥羽大学(定員200人、入学者55人、定員充足率27.5%)と青森大学(120人、47人、39.2%)。両校とも07年度の時点で43%、62%と定員割れしており、今年度はさらに厳しい状況となった。》そうだ。いわば「実学」を授ける薬学系の大学ですらこの現状である。定員割れを起こし、その存在意義の疑われる大学の整理こそまずあるべきだ。

「大学全入時代」と「学士の質保証」のつながりが私にはすんなりと見えてこないので、屁理屈めいた考えを述べたが、朝日新聞がまとめた「大卒が身につけるべき能力は?」をみても、やはりその中身には頭を傾げてしまう。



文部科学省が中教審の報告をうけて唱える「学士力」に話を限っても、学生がここに記されたような能力を一つでも身につけることが出来ればそれはそれなりに結構である。だから学生にそのつもりで大学生活を送りなさい、と勧めたら済む話である。30数年間大学教師を務めた私ではあるが、コミュニケーションスキル、数量スキル、情報リテラシー、・・・・、なんてどう教えたらよいかも分からないし、ましてや学生が到達目標のどのレベルまで到達したのか、評価するすべが思い当たらないので戸惑ってしまう。かっての国立大学が独立行政法人化したからには、その本来の趣旨に基づき文部科学省の(もちろん経産省の)余計な口出しに教師を巻き込むような愚を毅然と退ける見識を期待したい。

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J:COMウルトラ160Mの速度低下 モデム交換でとりあえず回復

2008-06-23 11:31:42 | Weblog
6月15日から続いていた回線速度の低下がモデム交換でとりあえず通常の状態に戻った。



速度が下がった状態でこれまで使っていたモデムの電源をオン・オフするといったん通常速度に戻ったものの、もう翌日には下りが2.123Mbps、上りが4.924Mbpsまで低下する始末だった。モデム交換の効果をしばらく見守ることにする。

ところで私の加入しているCATV局の光ケーブルが何者かに刃物で傷つけられる事件が6月19日と21日に発生している。とくに19日は2万8千世帯でテレビ受信、それにインターネット通信や固定電話の発着信が出来なくなり、復旧に9時間かかったとのことである。私のところは幸い難を逃れたがこのような形で示された回線システムの脆弱性が気になるところである。このような悪さをする犯人、現場を見つけたら梯子を外してやろう。
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朝日夕刊から日経夕刊へ鞍替え

2008-06-21 23:27:19 | Weblog
朝日新聞夕刊のコラムで「死に神」と表現された鳩山邦夫法務大臣が激怒したとか伝えられている。どこかの新聞が夕刊を廃刊するとのニュースを見たような気がするが、少なくとも朝日新聞夕刊ではなかったようだ。このように他人事のようにいうには私なりの訳がある。

朝日夕刊はほんとうに読むところが少なかった。パラパラとページをめくるだけでハイ終わりということが珍しくなかった。そのようなことを話していると「日経夕刊はもっと読み応えがありますよ」とすすめてくださった方がいた。日経新聞といえば株屋さんをはじめお金儲けに熱心な人のための新聞というイメージが強かったので半信半疑であったが、夕刊料金を取っているので仕方なく作っているとしか思えない無気力な朝日夕刊にはほとほと嫌気がさしていたのですすめに従うことにした。都合良く朝日新聞の販売店が日経をも扱っていたので、夕刊だけを朝日から日経に変えてほしいと申し出たら、その日から日経夕刊を配達してくれた。

変更初日は朝日夕刊も入っていたので早速両者を比べると、日経夕刊の方が圧倒的に読み物記事が多い。たしかに株価が見開きほぼ全面に出ているが、目を通さない広告と思えば気にならない。文化的な記事も目白押しで肝心なニュースも一応出ている。全24ページの夕刊の読み応えは全32ページの朝日朝刊に優るとも劣らない。そうか、お金儲けに熱心なだけに費用対効用のセンスが研ぎ澄まされている読者を相手にしている日経は骨身を削って紙面作りに努力しているんだ、と私は一人合点したのである。鞍替えして半年近くなると思うが今は私以上に妻が満足している。

秋葉原惨劇の犯人は他人に注目してもらいたかったとか報道されている。朝日新聞もなんとか世人の気を引こうとして、だんだんと過激な表現をそうとは認識できずに気軽に使うようになったのだろうか。もうその先が見えているような気がする。
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これぞ必見! フレンチ・カンカン in Sado's 「The Merry Widow」

2008-06-20 16:19:02 | 音楽・美術
オケボックスに指揮者の佐渡裕登場、そしてそのオケボックスから民主党副代表で地元出身参議院議員らしき人物が壇上によじ登ってきた。人の集まるところに顔を出すのが政治家の常とは言え臆面もなくと思ったが、しゃべり出すと顔つき以外はまったく別人、大阪の芸人桂ざこば師匠であった。妄言多謝。師匠は手際よくオペレッタ「メリー・ウイドウ」の筋書きを説明する、いわば狂言回しの役である。そして序曲が始まった。

明6月21日から7月6日まで兵庫県立芸文センター大ホールで12回公演される佐渡裕の「メリー・ウイドウ」に先だって、昨日(6月19日)と一昨日に公開レハーサルがあり、抽選当選者が無料で招待されたのである。この公開レハーサルは本番通りに進行する総仕上げで、オーケストラのメンバーこそ指揮者の佐渡裕さんを含め日常の服装だったが、舞台、出演者の衣装などは本番さながらであった。会場の埋まり具合からみると招待客は1000人ほどで、会場の各所に何かのモニター役であろうかスタッフが点在していたようであった。

このオペレッタは元来が三幕物であるが、それぞれの舞台が70分ほどの二幕に改編されている。それと幕が上がって歌が始まって分かったことだが言葉がみな日本語である。テロップというのだろうか、歌と同時に舞台両脇のパネルに文字が流れる仕組みになっていた。それとどう呼べばよいのだろうか、オケボックスと観客席の間が「花道」になっていて、登場人物が始終出入りして舞台をより広くしていた。ただこの「花道」は幅が1メートルほどでしかも観客席側にフットライトが据え付けられている。演技の最中に「花道」から転落するようなことがないだろうか、とふと気になった。無事を祈りたい。

それはさておき、このオペレッタは私の予想を遙かに超えて素晴らしく絶品であるとの一言に尽きる。これならヨーロッパ、アメリカを巡業してまわっても成功間違いなしと思った。何がどう、と無料で楽しませてもらった私がとくとくと述べるのは、これから本番を楽しまれる方々の興を削ぐことになるので差し控えるのがマナーというものだろう。でも私がこだわり期待したフレンチ・カンカンの素晴らしさを強調することだけはお許しいただきたい。まさにロートレックの世界なのである。そして踊りの時間もたっぷり、これを舞台の実質的最前列である第二列目、かぶりつきで観賞した私の歌仲間に感想を聞きそびれたが、多分興奮で言葉が出なかったことだろう。夕べ眠れたかしら。今やパリに出かけるには燃料費として59000円も運賃以外余分に払わされるご時世に、最高の入場料にたとえ12000円を払ってもこのフレンチ・カンカンを観ればもうそれだけで元が取れるというものだ。高い席のチケットはまだあるそうなので、フランスの芸術の香りに酔いしれたい諸兄姉に絶対のお勧めである。

そのついでにもう一つだけ。物語が一筋縄では終わらないのである。実におしゃれな趣向を凝らした演出になっており、オペレッタの醍醐味を満喫できる仕掛けになっている。その一つであるが昨夕も大団円に近づき「メリー・ウイドウ・ワルツ」を登場人物全員で歌うとき、最後の数小節だけ皆さんもどうぞ、と観客も声を合わせるお許しが出た。ここぞとばかり声を張り上げたのはいうまでもないが、6月25日に私が出かける本番では、コーラスが始まったときから終わりまで是非観客にも一緒に歌わせていただけないものだろうか。観客も一緒に加わってこそ燃え上がるのがオペレッタの舞台ですぞ!
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FireFox 3インストールの落とし穴にご注意!

2008-06-20 08:46:45 | Weblog
FireFox 3のダウンロードギネス世界記録への挑戦に参加するつもりだったのに、旅に出ていたので出来なかった。それで昨日ダウンロードしてインストールしたがその後である問題に気づいた。FireFox上で毎日一番よく利用している日本製のアドオンソフトがまだ使えないのである。これはしまったと思い、以前のFireFoxに戻すつもりでシステム復元を行った。そして改めてFireFoxを起動しようとしたらシステムエラーのメッセージが現れた。システムエラーの報告はキャンセルしてFireFoxのアイコンをいくらクリックしてもウンともスンとも動かない。そこで慌ててFireFox 3インストール後の状態にもう一度システム復元をした。でもFireFoxは動かない。

いったんコントロールパネルからFireFox 3を削除し、ふたたびダウンロードしたFireFoxのファイルからインストールしたが、アイコンをクリックしても梨の礫で黙りを決め込んでいる。FireFox 3は以前のバージョンに上書きされるらしいので、それでシステム復元が効かず、そして何かがおかしくなってにっちもさっちも行かなくなったようである。お手上げである。どうすればよいのか、何方かお教えいただけたら有難いのであるが、今のところFireFoxのホームページに対策は出ていない。

ギネス世界記録への挑戦とかなんとか、お祭り騒ぎに浮かれてつい足元をすくわれてしまった。そして今、FireFoxならぬInternetExplorer7からこのブログにアクセスしている始末、このお祭り騒ぎなんじゃらほいである。皆さん、落とし穴に注意しましょう。

追記(6月20日)
システム復元を元に戻したところダウンロードしたFireFox3のフォルダーも消えてしまった。FireFox3を改めてダウンロードしてインストールしたところ、今度は正常に作動した。何がなにやら訳が分からないまでもこれでFireFox3が使えることになった。あとはアドオンソフトのアップグレードを待つことにする。

(6月22日)
私が重宝しているアドオンとは『Firefox アドオン for 「紙copi」』のことであるが、幸いFireFox3 日本語版正式版への仮対応が行われてテスト版バージョンのインストールが可能になった。素早い対応に感謝!
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